/志貴
「てなわけで、俺にも正直何がなんだかはさっぱり分からない」
「……」
「……」
居間、俺はとにかくあの後翡翠に全てを説明し、ここで秋葉にもそれを説明した。
当然の事ながら秋葉は「また琥珀の姦計ですか?」みたいな顔だし、翡翠もまゆをひそめている。
理解してもらうのに数十分は要したけれど、それでも理解してもらえたのはよかった。
ちなみに俺が着ているのはいつも琥珀さんが着ている和服で、目をつぶっている間に翡翠に着替えをしてもらった。
「それでは琥珀に兄さんの人格と記憶が入っているだけで、兄さん自身がそのままと言うこともありえる訳ですね?」
「……そうかもな」
ただ単に俺は本当は琥珀さんで、遠野志貴は遠野志貴のままなのかもしれないけど。だったら今の俺は何なんだ?
「ただ琥珀さんの体は持っても、記憶は全くない。遠野志貴のままなんだ。昨日の記憶もあるし、それっておかしくないか?」
「兄さんが起きていないので、その点は何ともいえません。ですから早く起こしてきましょう」
「待った。今はまだ6時20分だぞ。俺…志貴はまだ熟睡してるし、起こそうったって無駄……」
秋葉が手をこちらに突き出し、俺の言葉を止める。
「それぐらい私に考えがあります。ですから兄さんは居間で待っていてください。糾弾はその後にでも」
「まだやるのか?」
「ええもちろん」
ふっ、と笑みを浮かべて椅子から立ち上がる秋葉だけど、秋葉が何をしようとしているのかはやっぱ気になるわけで。
「…悪いが俺も同行させてもらうぞ。自分の体に何かあったんじゃあたまったもんじゃない」
「…別にそんなひどい事をしようだなんて思ってませんけど、まあついてきたければどうぞ」
と秋葉が言うので、お言葉に甘えて秋葉の後ろを歩くことに。
ちなみに翡翠も「志貴さまを起こすのでしたら私が」と主張するけど、先ほど俺が言った理由もあって、少し手荒くやるつもりらしい。
…俺の体が五体満足で危機を脱する事を切に願おう。
てなわけで俺ら3人は俺の部屋にいた。
当然のことではあるが、ベッドには俺が寝ていた。
鏡で見るのとはやはり印象が違っている。それに、自分の寝顔を自分の目で見る事になるとは…世の中は分からんものだ。
「ところで秋葉、翡翠が何回起こそうとしても俺って目覚めないんじゃなかったのか?」
ふと思った疑問をそのまま口にするけれど、秋葉はそれぐらい想定の範囲内だと指をふる。
「それはここに寝ているのが兄さん、つまり遠野志貴だったらの話ですよね? ではもしここに寝ているのが琥珀だとしたら?」
「いや、琥珀さんの体だと俺でも6時に起きれたし、さすがに俺の体の中身が琥珀さんだったとしても無理じゃないかな?」
「なら賭けましょうか? もし私が試した事でここにいる『兄さん』が起きたら今度の休日は私とどこか行くと約束してください」
む、あくまでこの現象が解決する事を前程に話しているようにも聞こえるけど、まあいいか。
「いいぞ。じゃあ逆に起きなかったら3ヶ月ぐらいお小遣いを2倍って事で」
「……いいでしょう。では賭けは成立ですね」
秋葉はそう言うと俺の体へと近づいていく。
俺の体はまるで死んだように眠っていた。うーん、みんなが言ってる事は本当だったんだな。
そんな『俺』の耳に秋葉は口を近づけて……。
「あ、翡翠がブルマで道場にいるわよ」
「えっ!? どこですか!?」
絶句。それが俺のまず最初に頭に浮かんだ言葉だ。
目の前の『俺』はいきなりベッドから起き上がり、左右を見渡したのだった。
…恐るべしは琥珀さんの翡翠にたいする執念、だろうか…。
とまあギャグ話であれば本来ここでネタ晴らしなのだろうが、今回はそうはいかなかった。
『俺』は次の瞬間、眉間にしわを寄せた後、こめかみに手を当てる。
「う……っ!」
「大丈夫ですか志貴さま!?」
『俺』の出したうめきに即座に反応を示した翡翠は『俺』へと駆け寄り、両肩に手を当てる。
そんな翡翠に『俺』は顔をむけて、笑顔を見せる。その笑顔は俺の顔ではあるが、琥珀さんの笑顔を思い出させた。
「大丈夫よ翡翠ちゃん。ちょっとめまいがしただけだから……」
俺の声で女言葉を使われるととてつもなく困るんですけど。色々と。
が、『俺』が感じているのはめまいなどという生ぬるいものでは到底ないはずだ。
「ところで翡翠ちゃん…」
「何でしょうか?」
「なんで翡翠ちゃんも秋葉さまも、この部屋もラクガキだらけなんですか?」
なにしろ俺が視ているのは死そのものなんだから。
「琥珀さん、そこに置いてある眼鏡をつけてくれ」
長時間眼鏡を外していると正直体がもたないので、俺は先に進めることに。
「えっと、これですか?」
琥珀さん、の言葉に反応をしたのだから『俺』はやっぱり琥珀さんなんだろう。
琥珀さんは俺の眼鏡をつけると「おおっ!」と感動の声をあげた。
「すごいです!これって魔法の眼鏡ですか!?」
「ん、まあそう言われればそうかもね」
本物の魔法使いである先生がくれた、俺と言う人物にとっては秋葉たちとは別の意味で最も大切なものだ。
でも魔法のめがねって、俺はそうは思わなかったなー。先生自身が魔法使いって思ったからめがねが魔法のものとは思わなかったし。
同じ現象を受けたとしてもとらえ方が違えば印象もまた変わる。それを感じた。
「あれ?」
と、そこでようやく琥珀さんは部屋にある違和感を感じ取ったようだ。
主に琥珀さんの視線は俺に向かっている。秋葉が自分の寝床に来る事もめずらしいけど、それは些細な問題らしい。
「えっと…」
「琥珀さん、今琥珀さんは俺、つまり遠野志貴の体にいますので、よろしくお願いしますね」
「ええっ!?」
琥珀さんの確認の時間は俺にとってはとても気まずいのでとっととネタばらし。当然驚く琥珀さん。
しぐさも一つ一つが琥珀さんっぽいけど、俺の体でそれをやられると違和感ありまくりだな。
でもできれば琥珀さんの姿で拝みたかったです。はい。
とにかく俺は琥珀さんに状況を説明する。
やっぱり俺の体の中にいるのは琥珀さんで、琥珀さんも俺の記憶は一切なく、やはり琥珀さんそのままだと言うことだ。
原因は当然の事ながら不明。てゆうか解明できる人なんてうちにはいない。
「…この原因が分かる方はいらっしゃらないのですか?」
翡翠が沈黙を打ち破ってそう主張する。
うん、俺もそれは思う。と言っても原因が分かりそうな人はいない。
「シオンはアトラスに帰っちゃったし……先生は行方知れずだし」
「ですがわたしたちでは兄さんたちに何が起こっているのか分かりませんよ」
「……あとはアルクェイドとシエル先輩か」
正直色々と面倒なことが起こりそうで怖いんだけどなぁ……。保留って事で。
「とりあえず電話をして相談して、対処しようがなかったらアルクェイドや先輩にも相談するか」
「…癪ですけど、この際仕方がありませんね」
苦虫を噛み潰したかのように顔をしかめる秋葉。
うーん、やっぱり秋葉は先輩やアルクェイドとはあまり関わりたくないのかなぁ……。
とは言え、それ以上の対策を打ちようがないので、我慢してもらうしかない。
「でもまだ朝ですよ? シオンたちを起こしては迷惑をかけるだけですし」
「秋葉さま、エジプトはまだ24時きっかりで、深夜を回ったばかりです」
時差の事をするどく突っ込む翡翠に睨む秋葉。
「そ…そんな事は分かってたわよ!ちゃんとね!」
「分かってたけど忘れてたんでしょう秋葉さ……ぶはっ!」
秋葉の右ストレートが琥珀さんを一瞬で沈黙させる。
俺の体ということをお忘れなく。
でも普段の琥珀さんに対しての接し方とはまた違う。どちらかというと俺に対しての接し方だ。
秋葉、一瞬の事だから俺が言ったと思って対処しただろ。
「それに志貴さま、そろそろ学校へ行かれる時間ですが、いかがなさいますか?」
「え? どうするか?」
どうするかって、それはもちろん学校には行かなきゃ出席点が響くし、成績はむやみに下げたくはないしな。
それに予備校に行っていない俺は授業をまじめに受ける必要がある。
やっぱ行かなきゃ……。
「って、そうだった。俺今琥珀さんなんだっけ」
今さらながらその事について思い出し、頭を抱えるハメに。
もしそのまま学校に行ったら……。
「よっ、有彦」
「へ? 遠野のとこのメイドさん?」
「違う。俺は遠野志貴だって」
「何ぃっ!? お前は女をはべらすだけじゃ飽き足らず、女になっちまったのか!?」
りぴーとあげいん。
「あら琥珀さん、今日はどうしたのですか?」
「あ、先輩。俺志貴です」
「は?」
「詳しい事は話しますから、とにかく解決法を…」
「…つまり、今遠野くんの身体にいるのは琥珀さんだと」
「って先輩。何黒鍵持ってるんですか。てゆうかその第七聖典もどこから取り出したんですか」
「何、琥珀さんの姦計にはもう慣れてますから、少しきついお灸をすえる必要があると思いましてね」
「何の解決にもなってませんって!」
りぴーとあげいん。
「あれ? 志貴は?」
「アルクェイド、俺が志貴だって」
「妹にそう言えって言われたの? 私の目はごまかせないわ」
「いや、身体は琥珀さんだからごまかせなくて当然…」
「早く志貴出しなさいよ。さもないと志貴の家族みたいなものだからって加減はしないから」
「だから俺が志貴…」
「へえ、あくまでそう言うのね」
りぴーとあげいん。
「いやだぁぁぁっ!」
俺なんか悪いことしたんですか?
とにかく学校に行く事で死亡フラグが立つイベントが盛りだくさんだと言うのはよーく分かった。
「…仕方がないから、休むしかないかな」
「あら志貴さん。それなら簡単じゃないですか」
琥珀さんがさぞ名案かのように手を叩いて笑みを浮かべる。
「いや、琥珀さんの身体で遠野志貴に変装するなんて不可能だろ。
第一琥珀さんの声って高いから『俺』の声まねなんて不可能だし」
俺がこの状態で学校に行くのはまず不可能だ。それこそ『琥珀さん』を『俺』と認識するよう暗示をかけまくらなきゃ……。
でも琥珀さんはさも当然のごとくこういいました。
「ですから、わたしが志貴さんの代わりに学校へ行けばよろしいのですよ」
琥珀さんの意見は俺の想像とは真逆にあったりする。
「なるほど」「姉さん、それは…」「何考えてるの!」
俺、翡翠、秋葉の言葉が同時に発言される。
俺の態度が違う事で有彦他は疑うかもしれないけど、外見は明らかに遠野志貴。
ならば学校の先生を騙す事はできるだろう。
それでも秋葉は烈火のごとく怒り出した。
「いいこと琥珀! いくらあなたが兄さんの身体を使っていようとあなたが琥珀と言う事実に代わりはないんだから!」
「ですが秋葉さま、志貴さんの出席点が下がってもよろしいのですか?」
「う……っ!」
この琥珀さんの意見に秋葉は反対意見を失ってしまう。
それはそうだ。学生は学校に行く事が一番の義務なのだから、わざわざ打開策があるのに欠席するなんて馬鹿げている。
いくら俺自身が勉強をできずとも、出席しているかどうかは内申に響いてくるから。
……でも学校って勉強するところであって、成績を気にする俺って少し悲しい気もするけど…。
それでも秋葉は納得いかないのか、反撃にでようとする。
「でもこの屋敷の事は…!」
「秋葉、俺だって少しぐらいは家事全般はできるぞ。翡翠の負担はでかくなるとは思うけど、
琥珀さんが学校に行ってもやれない事はないと思うけど?」
「ぐ…っ!」
今度は俺の意見に秋葉はぐうの音も出てこない。
俺は翡翠にあらかじめ俺が足手まといになる事をあやまったけど、翡翠は志貴さまならよろこんでお手伝いしますと言ってくれたのは
とても嬉しかった。
秋葉もようやく納得いってくれたようで、ふう、と一息もらす。
いつもは説得できないでひどい目にあう俺だけど、正論を言えば秋葉も納得してくれると思っていた。
「…いいでしょう。あくまでこの状況を打開するまでの間ですけど」
「ありがとうな、秋葉」
俺が頭を下げて礼を言うのを見て秋葉は戸惑う。
「…兄さんがあやまる事ではありません。兄さんも一刻も早く原因を突き止めてくださいね」
「善処するよ」
とは言ったけど、正直どうなるか……?
俺には何もできないのだから、やはりシオンの電話待ちにしざるをえない形になっている。
「あっと、そろそろ朝食作らないと間に合わないな」
俺がいつも起きる時間よりはまだ数十分余裕があるけど、それは俺の生活ペースでの話。
秋葉のペースからしたら今から作り始めるとちょっと遅い。
「台所にある材料適当に使わせてもらうぞ。居間で待っててくれ」
「あ、志貴さん。わたしがいる時はわたしが作りますから、志貴さんは居間でくつろいでいてくださいな」
「いや、そうはいかないぞ。今は俺が『琥珀』で、琥珀さんが『遠野志貴』なんだからな」
「ですが今は家の中ですよ。ならわたしは琥珀で、志貴さんは志貴さんじゃないですか」
「ちょっと2人とも」
と、台所に向かおうとする俺と琥珀さんを秋葉が呼び止める。
「…どうかしましたか?」
「琥珀、まさかあなた学校に行ってもそのままの口調でいる気じゃあないでしょうね?」
「あはー♪ そんな事するはずないじゃないですか。」
「あなたの言動は即兄さんの評判につながるんですから、今から兄さんの口調になさい」
あ、口調か。全然考えてなかった。
確かに俺の姿で琥珀さんの口調をされたら当分俺学校に行けないだろうな……。
その琥珀さんは戸惑いを隠しきれない。当然と言えば当然か。
「い……今から……ですか?」
「そうです。特にアルクェイドとシエル先輩に対しては断固としてそれを維持なさい」
「それって不公平じゃないですかー。どうせなら志貴さんにもわたしの口調でいてもらいましょうよ」
は? さりげなく爆弾発言しなかったか?
「…する意味なくない?」
「わたしが不利というのは理由になりませんか?」
「いや、だからって俺が琥珀さんの口調?それはちょっと…」
困る。果てしなく困る。普段の俺とはギャップがありすぎる。
が、何かそんな事を言えないような視線を秋葉と琥珀さん。はっきり言ってとてつもなく怖いです。
「えっと…?」
「志貴さん、わたしにだけやらせるんですか?」
「……」
神でも仏でもいいから、俺が何をしたのかをぜひ教えていただきたいです。
「ではなれるためにたった今から開始なさい、琥珀。さあ」
「志貴さんがわたしと一緒にやってくれるのでしたら」
琥珀さんは断言をする。
……普通に聞けば今の言葉は
「お願いです志貴さん。わたしだけやるのははずかしいので一緒にやってくれませんか?」
ととらえるのがベストなのだろうけれど、あいにく俺には
「志貴さんがやってくださらないのならわたしもそのままの口調で行かさせてもらいますねー♪」
といっているようにしか聞こえない。
「……分かった」
だから俺はこう返事をするしかなかったわけで。
元に戻る保障はどこにもないけれど、元に戻った時の俺の名誉のためにも目先の屈辱は耐えるしかない。
「ではまず日常会話からいきましょう。兄さん、乾先輩より聞きましたが、そろそろ小テストがあるようですね。先輩たちが
いて勉強の邪魔をしていませんか?」
「いやあれは悪いのは俺じゃなくて……いてっ!」
すぱーん。
気持ちのいい音と共に俺に鈍い痛みが走る。
後ろを振り返ると琥珀さんがハリセンを持って笑みを浮かべていた。
「駄目だろ『琥珀さん』。今『俺』は『琥珀さん』なんだから」
「う……っ!」
完璧だ。
俺の目の前にいるのは遠野志貴の身体の中にいる琥珀さんじゃない。
もはや目の前にいるのは遠野志貴本人だ。
そんな俺の心情をよそに琥珀さんは秋葉のほうを向く。
「秋葉、俺は今後一切アルクェイドたちを屋敷に入れさせはしない。俺からもきつく言っておくよ」
「……すばらしいまでの模範解答ですが、兄さんはそうは言いません。もっと若干の笑みを含めて「じゃあ言っておくよ」で十分です」
秋葉が俺をどう見ているのかがよく分かりました。
はっきり言って的確にもほどがある。第三者から見れば俺はこうなのか。
「何しろ屋敷には俺が大切に思っている人が既にいるんだから……」
「こ……琥珀?」
「琥珀じゃない。俺は秋葉の兄さんさ」
「……っ! 悪乗りが過ぎます!」
すぱーん。
琥珀さんの手から奪い取ったハリセンで琥珀さんを叩く秋葉。
「痛いですー……」
「琥珀も兄さんも、先輩やアルクェイドさんにかんぐられるような失態を演じるようでしたら容赦はしませんから」
「……」
俺はもはや苦笑いを浮かべるしかなかった。
「では琥珀、そろそろこの屋敷の地下王国を取り潰そうと思うのですがどう思います?」
「秋葉さま! そんなごむたいな……いたっ!」
すぱーん、とまた秋葉のハリセンがヒット。
秋葉は沈む琥珀さんをよそにこちらの方を見る。
……まずいな。琥珀さんがあれだけ遠野志貴をやってくれるんだ。
俺もそれに答えて琥珀さんを演じなければならない。
だが俺にそんな事ができるのか? 遠野志貴ができたのも琥珀さんの演技力の賜物だ。
……いや、そう悲観的になるな。何のための日常生活だ。
日常生活での琥珀さんのしぐさ、考え。それらを全てイメージしながらそのまま表せばいい。
どこかの少女漫画じゃないけれど、俺は琥珀さんの仮面をかぶる。
「おことわりいたします秋葉さま。庭園にあるのはどれも薬の材料ばかりで万一秋葉さまや志貴さんがご病気になられても調合できる
ようにしてありますし、工房は最近物騒なので安全対策の向上を促す意味でどうしても必要です。この家の事を思って作ったんです
けれど……いけませんでしたか?」
よし、完璧に演じきった……と思う。
どうだ秋葉?
「……」
三者三様に唖然としている。
翡翠は驚きのあまり目を見開いているし、俺の体にいる琥珀さんは目を輝かせているし、秋葉はただ驚いている。
「完璧です、志貴さん。そこまでわたしを見てくださっているなんて感激です」
沈黙を真っ先に破ったのは琥珀さん。
あつく手を握って上下に振る。
「……それもいいかねませんけど、この場合は「あはー♪ みんな重要なものばかりですからだめですよー」程度で十分です」
と口では言う秋葉だけれども驚きを隠しきれていない。
俺も琥珀さんならそう言うほうがいいかもとは思ったけれど、あえてこの台詞を選んでみた。
「志貴さま……」
翡翠は何もいえない。
ただただ驚いている。
「まあ、兄さんも琥珀も及第点と言うところですね。この調子でよろしくお願いしますよ」
こほん、とせきをして秋葉は立ち去っていく。
「……では志貴さま、姉さん。わたしたちも」
「分かったわ翡翠ちゃん」
「姉さん」
反射的に言ってしまった琥珀さんの言葉。それに反応し視線を送る翡翠。
琥珀さんはびくっと体をさせてせきをする。
「あー……分かったよ翡翠。さ、行こうか琥珀さん」
「分かりました志貴さん」
俺も翡翠に対していつものように対応してしまうところだったから危なかった。
やっぱり俺は演技には向いていないようだ。
どうなるんだ?
/秋葉
と言うわけで、私は琥珀と共に学校に行く事にする。
いつ琥珀がぼろを出してもいいように今日は一日中見張っていないと。
兄さんの評判を落としたくはない。
「こは……、いえ。兄さん。くれぐれも評判を落とすようなことはしないでくださいね」
「分かってるよ秋葉。俺も『遠野志貴』の評判を落としたくはないからな」
笑みを浮かべながら琥珀はこう言った。
……若干の違和感こそあるけれど、それは私が兄さんの事をずっと見ていたから感じる事。
他人から見たらまず分からないほどにまで琥珀は演じきっている。
……何だかんだで琥珀はここまで兄さんの事を観察していたのですか。
しぐさや口調。それらの一つ一つにそれを感じさせるものがある。
どれもこれも普通に日常生活を送っていたのであれば気づかないしぐさばかり。意識していないと覚えられないもの。
「よう遠野。今日は秋葉ちゃんと登校か」
すると後ろの方から聞こえてくる聞きなれた声。
私と琥珀が振り向くと、そこにいたのは兄さんの友人、乾先輩。
「乾先輩。おはようございます」
「お、おはよー有彦」
私と琥珀はほぼ同時にあいさつ。
まずいですね。乾先輩ほど兄さんと親しい仲なら琥珀の違和感に気づいてしまっても不思議ではない。
と言って琥珀が乾先輩と兄さんの会話を聞いた回数はごく限られている。
ここは琥珀の演技力に任せつつ私がフォローをして乗り切るしかない。
「仲がいい兄弟っていいよなー。俺んところもぜひそうありたいぜ」
「そうですか? 乾先輩のところの方がよっぽど正しい兄弟のあり方だと私は思いますが」
「あれが正しいって言えるなら夢なんかないぞ」
はあ、と大きなため息をついて背中を丸める乾先輩。
私がいる時はなるべく私が会話に参加をして琥珀がぼろを起こす事のないようにしなくては。
「にしても遠野」
「何だ?」
ポケットに手を入れつつ彼は笑みをやめる。
「おまえどうかしたのか?」
「「……っ!」」
鋭い。やはり分かる人には分かってしまうのか。
だけどこの調子だとアルクェイドやシエル先輩まで兄さんの異常に気づく可能性はきわめて高い。
そのためにも何らかの布石をうっておかねばならないでしょう。
「……実は今朝方つまらない事が起きてしまいまして、兄さんにご迷惑をかけてしまったのです」
「遠野に?」
うそは言っていない。故意に隠している部分はあるけれど。
「そのせいで兄さんの態度がいささか変化しているかもしれません。ですから乾先輩」
「おう。フォローをしてくれ、だろ? 分かったぜ。遠野の事は俺に任せな」
にっ、と笑いながら親指で自分の方を指差す。
私が言いたかった事を確信しながら言って。
「他ならぬ秋葉ちゃんの頼みだ。聞かないわけにもいかないしな」
「それは助かります。兄さんをよろしくお願いしますね、有彦さん」
「おう!」
……これで授業面はカバーできる。
残る課題は授業中にアルクェイドが乱入してくる可能性。これは私の教室からも見れなくはないから危惧する必要は低い。
あとは……。
/志貴
「それでは姉さん。掃除はわたしは致しますので、台所の勝手と洗濯をよろしくお願いいたします。メカヒスイさんが手助けしてくださいます」
「ヨロシク願イイタシマス」
翡翠とメカヒスイは恭しく一礼をし、翡翠はそのまま去っていく。
残ったのは俺とメカヒスイだけ。
さて、俺は今琥珀さん。ならばする事は決まっている。
「洗濯は人並みにしかできないしな……。メカヒスイ、俺は……いたっ!」
すぱーん。
どこからとりだしたのか全く持ってさっぱりなほど鮮やかな一撃が俺を襲う。
見ればメカヒスイの手には琥珀さんが持っていたハリセンがあるじゃないか。
「スミマセン、どくたーカラノ命令デス」
「……」
俺なりに驚きを表現したかったけど、またハリセンの餌食にはなりたくなく寸での所で思いとどまる。
どうやらメカヒスイはある程度琥珀さんの味方らしい。
これじゃあ俺が俺である事が出来ない。
「仕方がないな……」
結局琥珀さんがいなくても俺は琥珀さんでいなきゃいけないのか。
……俺にできるのか?
「じゃあメカヒスイちゃん。食器洗いはわたしがやっておきますからお洗濯のほうお願いね」
自分で言っててものすごく違和感を感じる。
でも口調はおろか声の高低もちゃんと琥珀さんをイメージしてやった。
だからメカヒスイもこれで納得……。
「表情ト仕草ガ甘イデス。ヤリナオシヲ」
してくれませんでした。
しまった。どうやら口調などの声に気を取られすぎてしぐさまでは考えつかなかった。
いくら琥珀さんの体、琥珀さんの口調で話していてもしぐさは遠野志貴のままなんだ。
確かにそれだとエセ琥珀さんになってしまう。
「……」
考えろ。この場合琥珀さんだったらどんな思いで言葉を発し、どういうしぐさをしてメカヒスイにうながすか。
いくら周りが見えてないとか良く言われる俺でも普段の生活で琥珀さんを十分に観察したはず。
それを動員すれば……。
「じゃあメカヒスイちゃん。食器洗いはわたしがやっておきますからお洗濯のほうお願いね」
俺の中の脳内琥珀さんがそう言ってくれる。
……俺が想定していた琥珀さんより控えめの笑み、しぐさをしている。
そうか、オーバーリアクションが原因だったのか。琥珀さんといえば笑みが印象的だけど、それではいけないのか。
……よし、今度こそ。
「じゃあメカヒスイちゃん。食器洗いはわたしがやっておきますからお洗濯のほうお願いね」
「分カリマシタドクター」
メカヒスイは全く違和感を感じさせないほどの優雅な一礼をして去っていった。
さて、台所を見渡してみよう。
食器は四人分だけあってアルクェイドの家よりも多いし、食器の銘柄も有馬の家とは違う。
食器洗い機はやはりというかない、その代わりに洗剤がちゃんとしまってある。
よし、やってしまいますか。
「と、危ない危ない」
今俺は割烹着なのだった。腕まくりをしないと水が服にかかってしまう。
さすがに洗濯の手間を増やしたくはないし、袖まくりをして……と。
「さあ、やるか」
さすがに食器洗いは俺でも出来たので、一時間もたたずに終わってしまった。
やり方が雑だと言われるかもしれないけど、そうなったら教えてもらうしかないか。
さて、じゃあ俺は……。
「……翡翠は自分の仕事をしているだろうし……」
掃除や俺の部屋の手入れは彼女の仕事だ。
いつもの遠野志貴なら手伝うと名乗り出る事ができるけど、今の俺は琥珀さん。琥珀さんには琥珀さんのやらなければならない仕事がある。
俺の仕事、つまり学生生活を琥珀さんがしてくれるならば俺は琥珀さんの仕事をすべきだろう。
「決まり。メカヒスイの手伝いをしよう」
メカヒスイにさっき頼んだ、本来なら琥珀さんがやるべき仕事をするか。
「というわけで手伝いに来ました。わたしに出来る事は何かありますか?」
「アリマセン」
断言されてしまった。
ちなみに今俺たちの目の前にあるのは洗濯機。
服で洗い方が別々な上にシーツなども洗うので最低2回は動かす必要がある。いまやっているのは1回目のようだ。
1人暮らしならここでコインランドリーの出番だろうけど、遠野の屋敷でそれの出番はないだろうし。
かと言ってそのために業務用の洗濯機を買ってくるわけにもいかないだろう。金持ちだからって無駄遣いはいけない。
「……」
掃除、炊事、洗濯。主婦のやらなければならない事三つ。だがこれらの全てが終了、または現在進行形。
なら俺のやる事って何かあるか?
「あ、買い物があったか」
でも夕飯のメニューも考えてないし、俺の作れるのはごく限られている。
と言うかそれの前に財布の場所すら分からない。
困った。これでは本当にやる事がないな。
「……」
かと言って洗濯という義務を放棄してまで翡翠を手伝うわけにはいかないしな。
なら今日やるはずだった小テストの勉強でも……。
って勉強道具は俺の鞄の中、つまり今琥珀さんの手元だった。
まいったな。洗濯機が止まるのは30分も後みたいだ。
よし、ここは……。
と言うわけで俺は親父の書斎から適当な本を持ってくる。
こうして洗濯機を前にして本を読むのもまた風情があると思う。
なぜかあったギリシア神話の悲劇の本を読む事にした。
「ドクター、ソレハ……」
「ああ、これはギリシア神話の……」
と言いかけてあわてて言葉を区切る。
俺琥珀さんっぽくしてないじゃないか。またハリセンの餌食になってしまうじゃないか。
おちつけ、とりあえず俺は琥珀さん、俺は琥珀さん……。
「秋葉さまが「たまには活字の本を読みなさい」とおっしゃるので書斎からちょっと拝借してきちゃいました。エウリピデス著のものですけど
ご存知ですか?」
「イエ」
俺も知らない。ただギリシア神話ってだけで取ったようなものだし。
ちなみに今俺が読んでいる部分は『王女メディア』。
コルキスの王女メディアが夫イアソンと暮らしていて……って部分までしか読めてない。
一体メディアがどんな人物で、これからどうなるのかは読んでからのお楽しみだ。
ちなみにこの本、いつかシエル先輩も言っていたけどシェイクスピアもそうだったように、劇の台本のようにして書かれている。
台詞が多いからそこから物語を想像する事になる。
うーん、そう分かってても結構違和感があるよな。
「……」
あれ? なんか夫のイアソンがどうも不穏な感じが……。
「ドクター」
「うおっ」
集中している中でいきなり声をかけられたので驚いてしまった。
ふと見るとメカヒスイが洗濯物をかごの中に入れて待機している。
既にまた洗濯機は動き出しているし。
「もう30分経ったんですか。随分と早いですねー」
すごくいいところだけど本にしおりを挟んでそこらにおいておく事に。
一体この後メディアがどうなるのか楽しみだな。
うん、外は絶好の洗濯日和というやつで、あっという間にかわいてしまいそうだ。
まずは大きめのシーツやタオルケットなどを洗ったようで、それを物干し竿にかけていく。
さすがにこれだけ重いものをひもに引っ掛けるわけにもいかないだろうし。
「ソレデハドクター。私ハ庭ノ掃除ヲシテマイリマスノデ」
「分かりました。こっちはまかせてくださいね」
一礼して去るメカヒスイを見送って作業開始。
意外とシワなしにほすのに手間取り、洗濯機に戻った時は既に次のが終わっていた。
「えっと……」
とりあえず空になったかごの中に新たに洗い終えた洗濯物を入れていく。
翡翠の服、秋葉の服……ってちょっと待て。
服はまだいい。いつも見ているものだから。内側のシャツもまだいい。それも服のうちと考えられるから。
でもこればかりはどうしようもない。
洗濯物に手をつけている以上絶対に突破しなくちゃいけない事。
秋葉や琥珀さん、翡翠の下着の事を。
まずいまずいまずい。
今琥珀さんという女性の体なのに体が緊張してしまって動かせない。
体の熱もどんどん上がっていくような気がするし、心臓の音が聞こえてくるほどになる。
男の俺に女性の下着を扱えって言うのか? そんなの……。
いや、今の俺は琥珀さん。なら琥珀さんがするように俺もこの下着をちゃんとほさないといけない。
なぜならそれが琥珀さんの仕事だから。
ああ、モラルと義務がせめぎあう。
よこしまな考えはないつもりだけど、俺は今琥珀さんだけど、中身は健全な男なんだぞー!
ああ、俺は一体どうすればいいんだ琥珀さん。
「志貴さん、ここはやってしまいましょうよー」
と俺の脳内琥珀さん。
何をだって。
「ええい、落ち着け」
既に下着は洗濯済み。つまり考えようによってはただの布のはずだ。
そう、あれはただの布、あれはただの布だ。
秋葉や琥珀さん、翡翠が肌に身につけていたなんて考えたらそれこそ頭がオーバーヒートする。
肌に実をつけていたと考えたら……。
「……だめだ。どつぼにはまってる」
思わずがくっとうなだれる。鏡で見たらさぞかしとほほな表情をしているんだろう。
どうしても同じ身につけるものなのに妙に意識してしまう。
メカヒスイや翡翠に頼むなんて論外だから早くこの下着を干さないといけないんだけど……。
「仕方がない」
と言うわけで妙な及第点で自分を納得させる事に。
つまり、じかにふれてる印象さえ持たなければいいのだからとさいばしのようなものでつまむ事にした。
まるでばっちいものを扱っているようにも見えるけど、俺にはこれが限界なんだ。
ごめんな。
こんなところを秋葉や琥珀さんに見られたらとんでもない事になるのは間違いない。
「見ちゃいましたよー。志貴さんのうろたえるところ」
「兄さん。私の身に着けているものがそんなに汚らしいですか」
……考えるだけでデッドエンド一直線だ。
急いで済ます事にしよう。
そうすれば時間的にお昼だ。
/秋葉
「今日のは自信作ですよ」
何でこんな事になってしまったのだろう。
いえ、全ての原因は分かっている。
「へー、妥協しない先輩が自信作って言うぐらいだからきっとおいしいんっすね」
「もちろんですよ。みんなの分もある程度ありますからね」
4時間目の現代国語が若干遅れたせいだ。
私が琥珀を昼に誘おうと教室に一直線に向かったのだけれども、
「あ、でも飲み物は用意していないんです。購買まで一走りしてきますか」
「あ、シエル先輩。俺が持ってきてるから大丈夫ですよ」
既にシエル先輩が乾先輩と一緒になって琥珀と昼を食べる約束を済ませて移動している途中だった。
どうやらシエル先輩の授業は一足早くに終わったらしく、チャイムが鳴って授業が終わったと同時に声をかけてきたらしい。
「お、気がききますね。ハイ、これはその分のお金です」
「いいですよシエル先輩。俺がおごりますって」
「いえ、そういった面はしっかりしていないといけませんから。ですからお駄賃はすみませんがありません。気持ちだけ受け取ってくださいね」
と言うわけで私はシエル先輩、乾先輩と一緒になって琥珀と中庭で昼食を取る事になったのだ。
いつもなら琥珀のお弁当を作らせているけれど、今日はあのごたごたで作る暇がなかった。
なので昼は朝のあまりものと言うか、おにぎりになっている。
それでも塩だけでなくおかかなどの具が入ってはいる。
「おや秋葉さん。今日はおにぎりですか」
「ええ、そうですけれど」
シエル先輩が意外そうな目でこちらの手元を見る。
確かにいつも琥珀に作らせてる弁当だったから見た目は花でしたけれど……。
「遠野くんは購買で何かを?」
「いえ、今日は秋葉……と同じでおにぎりです」
琥珀も今日は私と同じでおにぎりになっている。具もおかかや琥珀手作りのふりかけと私と同じだ。
飲み物は水筒にお茶を入れてきたし、購買にいく必要はなかった。
「そうですか。ではお2人ともこれを見て驚かないでくださいね」
シエル先輩が手に持っているのはお弁当箱が入っている包み。
だけれども随分と大きい。1人では食べきれないのではないかと思うほどに。
「またカレーですか?」
「はいそうです」
私の質問に即答するシエル先輩。その笑みはとてもうれしそうだ。
琥珀はシエル先輩の食事にカレーの比率がとても多い事はあまり知らないし、乾先輩はいつもの事なのか逆に楽しそうにしている。
「今回は会心の出来ですからね。じゃーん」
と言いつつ彼女は包みとふたを開ける。
またいつものようにカレーとご飯の二段構造なのでしょう。
と思っていたら……、
「「「あれ?」」」
その場にいた皆がそう声を発してしまう。
てっきり私はふたを開けたら半液体状のもの、つまりカレーが見えると思ったのに、
「……これなんですか?」
「カレーです」
乾先輩が弁当を指差してソレを指差す。
カレーと聞いて彼は首をかしげた。
「でも先輩。俺にはこれが別の料理に……」
「カレーです」
なおも同じ事を述べる。その確固たる自信に揺るぎはない。
その弁当の中身、鶏肉の料理を目の前にしても。
「論より証拠です。まずは一口どうぞ」
と言いつつ同じ包みにつつまれていたナイフとフォークを手渡してくださる。
この鶏肉の料理をカレーと言うのだから味はカレーだと思うのだけれども。
「それでは」
私がまずその鶏にフォークを入れ、ナイフで口に入れられるほどに斬る。
そしてそれを口に運んだ。
……なるほど、確かにカレーです。
その独特の辛さ、でも甘さもあり、更に鶏の味を殺していない。まさに絶妙なバランスでこの料理は成り立っている。
本当においしい。会心の出来と言うのもうなづける。
「どうです?」
「……店に並んでいても何ら遜色のないほどにおいしいですね。味のバランスも歯ごたえも考えられていて、結構なお手前です」
「それはどうもありがとうございます」
シエル先輩は私の感想に笑みを浮かべながら礼を述べた。
うん、本当においしい。
「へえ、どれどれ」
「じゃあ俺も」
琥珀はナイフとフォークで、乾先輩は箸でそれを取り、それぞれ口に運ぶ。
そして2人とも最初は驚き、かむ内に表情が緩んでくる。そして飲み込んだ時には笑みと意外さにあふれていた。
「これ本当に鶏っすか? 全然そうは思えないんっすけど」
「本当ですね。味にも品がありますし、互いがハーモニーを奏でています」
乾先輩と琥珀がそれぞれ感想を述べる。
だけど琥珀、あなた地が出てきているわよ。
「でもこれってどちらかと言うと肉料理ですよね。いつもみたいにルーがメインじゃないんですけど」
「よくぞ聞いてくれました遠野くん」
確かに琥珀の言うとおりだ。
これは肉料理と呼ぶ方がふさわしい。
カレー味のパンでもそれはカレーではなくパンの一種。これもカレーではなく肉料理なのではないだろうか?
カレー味なら何でもとの印象を抱かせる先輩だけどその分そこにはこだわる。
あくまでカレーと言うのだから何かしらの理由があるはずだ。
「これはフランス風にしあげてみたんです」
「フランス風に?」
「はい。フランスでは必ずと言っていいほどに肉料理がメインです。魚を食べるだなんて言語道断。フランスに行けばまずは肉料理と言えるほど。
ですからカレーに関してもルーがメインで具がサブではなく、肉がメインでルーがサブになっているんです。したがって肉料理と言えばそれまで
ですが、フランスでカレーと言えばこんな料理になるんですよ」
「へえ……」
思わずうなづく。
言われてみれば確かにフランスでの魚料理はムニエルなど限られたものしかない気がする。
それにスープとしてカレーのルーを食べる姿もあまり想像できない。
ならフランスでカレーと言えばこういったものをさすのだろう。
「日本とは本当に違った食文化なので一度行ってみてはいかがですか? 自分の価値観が広がって面白いですよ」
「あー、俺んちは金ないんで海外旅行なんて無理っすよ。バイトでためるにも十万は軽くかかるんすよね?」
「俺は日本で十分ですよ。まだこの国だって見てないところややってない事がたくさんありますし」
「ヨーロッパでしたらわたしが案内できますしある程度の言語は得意ですからぜひ呼んでくださいね」
あら、このおにぎりも中々おいしいわね。
おにぎりと言うとひるまでにのりはふやけて冷たくなってあまりおいしくない印象を持っていたけど、これならいいかしら。
「秋葉さん、あなたはどうですか?」
「私ですか? 私は海外には留学と言う形ぐらいしかないと思いますが」
海外になんて行っている暇がないとも言えるでしょうけれど。
日帰りで行くにも遠すぎるし。
「そうですか。貴女ほどの方でしたら海外に視野を向けていると思っていましたが、予想通りでうれしいです」
「……それは私にこの地から離れろとおっしゃりたいのですか?」
少しむっとくる。
その言い方だと私に一刻も早く行ってしまえといっているようにも聞こえてくるから。
「いえ、とんでもない。その頃にはわたしもこの地にはいませんよ。進路を考えなきゃいけない時期ですし」
「え? 先輩大学に行く時ここから通うって事はしないんですか?」
「アメリカほどではありませんが、ここの大学の授業料も高いですしねー。いっそバカロレアを受けてみるのもいいかもしれませんね」
そんな日常の会話が穏やかな天気の中で話し合われる。
シエル先輩はアルクェイドさんほどではないけれど、積極的に兄さんに関わろうとする。
だけど学校では良い先輩の印象が先行していて、彼女もそれに答えるように兄さんに控えめだ(あくまで他のところよりも)。
いい意味で年上なんだと感じさせる。
「……」
だけど彼女ほどするどい人ならば些細なしぐさの違いで兄さんの身体にいるのは別人だと気づいていてもおかしくないのだけれども。
口調もたまに琥珀が入るし、細部のしぐさまで兄さんではあるけれど多少の違和感はやはりある。
でも彼女はそれに関して乾先輩のように尋ねたりはしない。
「それにしてもこの肉料理本当においしいですね。今度レシピ教えてもらえます?」
「かまいませんよ。わたし以外の手作りカレーもぜひ食べてみたいですし」
そのシエル先輩は明らかにいつもと同じだ。
いえ、少し控えめといってもいいぐらいだ。
……なぜ?
「おや、もうあと十分しかありませんね。乾くんたちのクラスは体育ではありませんでしたか?」
「……今日種目なんだったか?」
「ハンドボールだろ。もっとサッカーみたいなものがしたいよな」
乾先輩はあわてて購買で買ったもののごみをビニール袋にいれ、琥珀もそれにつられてごみを片付ける。
「秋葉、これは俺が持ってくよ」
と私が食べ終えたごみも持つ。
こういう面は気配りと言うか、琥珀だなと思ってしまう。
「じゃあ先輩、放課後会えたら」
「ええ、また会いましょう。お2人とも良い一日を」
琥珀たちはうなづくとそのまま走り去っていった。
さて、10分前ということは私たちもそろそろ行かなければならない時間でしょう。
……ん? お2人とも良い一日を?
なぜその言葉を昼の今に言うのだ? 朝言うならちょっとかわった台詞でうなづけるけど、もう一日が半分過ぎた状態でいうなんて。
「……」
いえ、ここは妙な詮索はしない事にしましょう。
私の態度から感づかれては全く意味がないのだから。
/志貴
「ごめんね翡翠ちゃん。わたしの献立のレパートリーって少ないからこれぐらいしかできないの」
「いえ、それでも志貴さ……姉さんの料理をいただけるのですからとてもうれしいです」
そう言ってくれると俺も作ったかいというものがある。
昼、琥珀さんの作りおきがないので俺が作ることにした。
といっても俺が作れるものは限られてるからスパゲティにしようと思い立ったので適当に材料を探してみた。
自分の中では今日はたらこスパゲティの気分だったんだけどあいにく肝心のたらこがない。
のでしょうがないからミートソースにしました。
「さ、いただきましょうか」
「ええ、ですが……」
翡翠は怪訝そうにミートソースを作った器を見る。
スパゲティは2人分にしたのでオッケー。だけどミートソースを何を勘違いしたのか、3人分作ってしまったのだ。
いやはや、量を勘違いしたのか人数を勘違いしたのか。たぶん後者なんだろうけど何で3人?
「これどうしましょうか?」
「うーん」
困った。これをずっととっとくわけにはいかないし、俺と翡翠だけで1.5人分食べれるとは思えない。
だからってスパゲティをゆでてメカヒスイに食べさせようとしてもたんぱく質とかをエネルギー源としてるわけでもなさそうだし……。
「タッパにつめこんでおきましょうか。あとでおすそわけの形であげちゃいましょう」
「分かりました。それではタッパを用意します」
決めた。後でアルクェイドのところにあげに行こう。
再度ゆでれば十分においしいスパゲティになる事だろうし。
テーブルにはテーブルクロスがあるから拭く必要はないし、あとは……。
「じゃあわたしがもりつけしておきますから、フォークを運んでくれない?」
「分かりました」
食器棚からフォークを取り出して運ぶ翡翠。その間に俺はもりつけを行っていく。
メカヒスイは継続して庭掃除中。一緒に食卓についてもらいたいけれど、無理強いはいけないよな。
「よし、完璧です」
指を鳴らして左右両方に皿を持ち、スパゲティを運ぶ事にする。
……なんだか本当に俺琥珀さんになった気分。しゃべり方も違和感がだんだん少なくなってきたし。
「あの、志貴さま」
「ん? どうした?」
その思いは一秒足らずで崩壊。志貴さまと言われたからつい。
メカヒスイはいないからはりせんの餌食になる事はないけれど。
「どうしたんだ翡翠?」
見れば翡翠が困った顔をしている。
位置はちょうど調理室と居間の間。
「スパゲティは何分ほどでゆであがりますか?」
「んー、量にもよるけど10分はかからないな」
もちろん麺の固さにもよる。今回は俺の好みにしてしまったけれど、翡翠の好みも聞いてみるべきだったかもしれない。
でも出来上がったあとに何で聞くんだ?
もしかして作りたくなったとか……。
「いえ、実は……」
と、翡翠の後ろの方でドアから出てくる人物が1人。
ああ、そう言えば彼女もまた遠野の住人のようなものだった。
失念してた俺が馬鹿だったな。
「ごめんな。レンの分もちゃんと作るよ」
起用に片腕で2つの皿を持ってその彼女、レンの頭をなでる。
スパゲティを喜んでくれるかはさておき、今レンがいるならばないがしろにするわけにはいかないな。
「すまないが翡翠、ゆでてくるからこれ運んでおいてくれ」
「分かりました」
もう完全に口調は俺。
さて、客人が来たからには腕によりをかけないとな。
といっても後は麺をゆでるだけなんだけど。
台所に向かって麺を取り、お湯でさっとゆでる。
1人分だからそう待つ必要もないだろう。これなら10分以内に昼食を……。
「……ん?」
後ろを振り返るとそこにいるのはレン。
てっきり翡翠と一緒に居間にいるとばかり思ったんだけど。
「あ、もしかしてもう一品必要か?」
デザートの代わりになる甘いもの。できればケーキよりも果物の方がいいけれどあいにく冷蔵庫の中にそれはない。
だとしたら砂糖を使って甘くするしかないから……。
「玉子焼きぐらいなら俺にでも作れるな」
あれなら作り方しだいでデザートの代わりにもなる。幸い卵はいくつもあるから十分な量を作れるだろう。
そうと決まればと卵、砂糖、四角いフライパン、それからこげてつくとまずいので油と……。
「よし、出来たぞ」
手際よく完成。スパゲティの盛り付けもすんだし、これで昼食は完成だ。
でもその前に玉子焼きを味見、と……。
……ごめん。まるで菓子みたいに甘くなっちゃった。
かろうじて卵の味は残ってるけど砂糖の味の方が多い気がする。
甘さ控えめにしようとも思ったけど、レンがいるからと張り切ったのがまずかったか?
「ごめん。こんな味だけどどうだ?」
一切れをフォークに刺してレンに差し出す。
無言でレンはそれを受け取り、口に運ぶ。
もぐもぐ。
もぐもぐ。
レンはこくこくとうなづいてフォークで更に玉子焼きを取ろうとする。
よかった。レンには好評のようだ。
「じゃあ続きは向こうに行ってからにしよう。翡翠をいつまでも待たせちゃいけないしな」
レン用のフォークも持ったし、俺たちも居間に向かおうとする。
と、レンはこっちのすそを引っ張る。
「レン?」
レンは相変わらずの無言。だけどその表情で何を思っているのかある程度は判断できる。
今回は……寂しさ? いや、心配?
「もしかして……」
レンには俺が誰だか分かっているのか?
そう、琥珀さんの身体にいる俺が志貴だと。
「大丈夫、心配ないよ」
俺は笑みを浮かべながらしゃがみ、レンの頭をなでる。
「いくら俺が琥珀さんの体にいても、琥珀さんのしぐさをしても、俺が遠野志貴なのには変わりないんだから」
そう、某漫画と違って俺は千も万も人生を生きる事はできない。
どう変わったって俺が遠野志貴なのに変わりはないんだから。
これが起こった原因も不明。解決方法も不明。
だけどそれは不変だ。
「さ、行こうか」
レンは無言でうなづいて俺の後をついてくる。
さあ、昼食を始めるか。
/秋葉
「兄さん、今日は一緒に帰りましょう」
「ん、分かった」
放課後、私と兄さんの授業は今日同じ時間に終わるからと私は琥珀に声をかけた。
シエル先輩やアルクェイドさんたちに捕まってしまっては起こっている事が知られてしまうから。
「そんじゃあな遠野」
「ああ、また明日な」
先に帰宅の準備が終わった乾先輩が手を上げながらこちらの方に向かう。
「じゃ、秋葉ちゃん。ちょっと変わった遠野も面白かったぞ」
「ちょっと変わった、ですか」
「おう、なんだか新鮮だったから今日は最後まで授業受けちまったよ。何ていうか洗練されたものがある分刃物みたいな鋭さがないって言うか、
そんな感じかな?」
笑いながら彼は廊下を去っていく。
いいえて妙というか。やはり分かる人にはわかってしまうか。
だけどその分シエル先輩が何も言ってこないのは気になる。
あの人ならば絶対に気づくと思ったのだけれども。
「お待たせ。行こうか」
「ええ、そうしましょう」
夕暮れの道を行く。
大通りから外れれば人は少なくなり、まばらになっていく。
その中を私たちは帰路についていた。
坂道にさしかかる。
今日は思えば不思議な日だった。
いきなり兄さんと琥珀は入れ替わるし、それで琥珀と兄さんは互いに演技をして体のほうになりすまそうとするし、それが妙に上手だし。
乾先輩が気づいたのにシエル先輩やアルクェイドさんは思った以上に反応が薄いし。
ちらっと横を見る。
隣で歩くのは兄さんの体にいる琥珀。
それでも兄さんと一緒に帰宅をしている気分になってしまう。
「あの、兄さん」
「ん? どうしたんだ?」
「……いえ、何でもありません」
まるで琥珀が本当に兄さんになったかのように。
私が琥珀のように兄さんと体が入れ替わったらどうなるのだろうか。
私は誰よりも兄さんの事を知っている自信はあるし、誰よりも兄さんの事を見ている。
だから兄さんのしぐさ、口調、性格もしっかりと表せるはず……。
「……」
表せるのかしら。
私に兄さんを。
いつものようなら問題ない。時々無茶をするけれど、分からないほどではない。
だけど……いざという時に見せてくれるあの頼もしさ、やさしさ。
子供のようにも感じるけれどその実大人にも感じる。あの兄さんを私に。
また私は琥珀の方を見る。
たぶん琥珀よりはうまくやれる自信はある。
演技力はともかくとして、私が一番兄さんを感じているのだから。
その内面も私は全部分かっている……はずですよね、兄さん。
「お帰りなさいませ、秋葉さま」
「ただいま翡翠」
屋敷の門の前。下校時間なので翡翠がそこに待機していた。
私を確認すると深々とおじぎをする。
「翡翠。兄さんは?」
「志貴さまでしたら洗濯物をたたまれた後に中庭で本を読まれています。残す仕事は買い物だけですので」
兄さんが本を?
兄さんは今琥珀だし、漫画でも読んでいるのでしょうか。
「そう。では買い物は琥珀に行かせますから兄さんの鞄を部屋に戻しておいて」
「かしこまりました」
私は琥珀から兄さんの鞄を受け取り、翡翠にそれを手渡す。
翡翠は深々とまたお辞儀をし、門を開けてかけだした。
さて、あとは。
「琥珀、聞いての通りです。財布は私が用意してありますから買い物をしてきなさい」
「分かりました。腕によりをかけますねー」
兄さんの体だけど琥珀の笑みを浮かべながら琥珀は去っていく。
自分の部屋に行って鞄を置き、着替えをしてから庭に向かう。
もうその頃には空はだいだい色。もうすぐ夜になってしまう。
それは本来白のはずの中庭までもオレンジ色に輝かせ、それは幻想的なまでに風景を染める。
と、そこには……。
「兄さん?」
兄さんがいた。
小さなテーブルの上にあるのはギリシア神話の悲劇に関する書物。
兄さんがこういったものを読むのはとても意外だけれども、もっと意外だったのは、
「全く、こんなところで寝てしまっては風邪をひきますよ」
兄さんが椅子に座って昼寝をしているところだった。
ひざにはレンが丸まっていて、とても仲が良さそうで、とても気持ち良さそうで、とてもしあわせそうで。
……言っていて腹がたってきました。
こうなったら。
「兄さん。そろそろ食事を準備する時間です。起きてください」
出来る限り抑えて、でも鋭く私は述べる。
まどろんだ目で兄さんはこちらの方を見つめる。
「あ……きは……?」
「はい、そうです。目は覚めましたか?」
「……ちょっと待っててくれ。今起きる」
兄さんはテーブルの上に手を這わせる。
これは?
「あ、兄さん。眼鏡は必要ありません」
「え?」
私の言葉に兄さんは私、自分を見て自分の頬を触る。
「……そっか。今俺は琥珀さんなんだっけ。起きたら治ってるかなーって思ったんだけど」
「そんなご都合主義な事が起こったら苦労はしません」
兄さんが起きたのに気づいたのか、兄さんのひざで丸まっていたレンは起き上がり、そのまま庭の方に駆け出してしまった。
残ったのは私と兄さんだけ。
「今日は琥珀の仕事、ご苦労様でした。買い物ができなかったのは財布の場所が分からなかったからですよね?」
「ああ。というかそれ以前に俺には夕食は作れそうにないしな。でもやってて退屈じゃなかったぞ」
それは今日の琥珀の仕事は多かったですから。
何しろ炊事と洗濯をしたのだから。
「……ちょっと待ってください。兄さんは洗濯もしたんですよね。なら私たちの下着も……」
「といわれるのが嫌だったんでそこだけメカヒスイまかせ。ふがいない兄貴ですまないな」
……そうですか。
それは安心したというべきなのか、残念というべきなのか。
「さて、今日は俺が琥珀さんなんだから、せめて食事の手伝いぐらいはしないとな。秋葉はくつろいでいてくれよ」
「兄さん。もう屋敷に帰りましたし、あなたは兄さん、遠野志貴なのですよ」
「それでも俺は琥珀さんだろ。なら仕事をしないとだめだろ」
その点は譲れないとばかりに兄さんは強く主張する。
……私にとっては目の前にいる人は兄さんに変わりはないけれど、兄さんにとっては自分が今遠野志貴であり琥珀でもあると思っているのでしょう。
これを論破するのは……、
「分かりました」
やめておこう。無理にする必要はない。
「でしたら私も琥珀を手伝います」
「え? 何で?」
急展開に目を見開いて驚く兄さん。
もちろん思いつきでなく理由もちゃんと考えてある。
「遠野の主人である私が家事をするのがふさわしくないとおっしゃりたいのですね。でも私はそれ以前に1人の女性なのですけど」
「う……」
そう言うと言葉に詰まる兄さん。
これを論破する事は兄さんには多分無理だ。
というわけで、
「では兄さん。一緒にがんばりましょうか」
「……そうだな」
一緒に食事を作りましょうか。
/
「……やれやれ。どうやら今日はつつがなく終わりそうですね」
「そうね。ちょっと不思議だったけど一日が終わったわね」
「おや、わたしは貴女が真っ先に気づいてこの屋敷に突撃すると思っていたのですけど」
「あら奇遇ね。わたしはてっきりあなたが妹や志貴に問い詰めると思ってたわ」
「……やはり気づきましたか」
「馬鹿なこと言ってると殺すわよ。わたしが志貴を間違うはずないじゃない」
「それで、原因は分かりましたか?」
「いえ。今日一日は様子を見てやろうと思ったけれど?」
「そうですか。わたしも今日一日は様子を見ようと思ったので普段どおりにしていましたが」
「何が普段通りよ。明らかに志貴の姿の奴に対してそっけなかったじゃない。志貴の友達とかと同じ態度だったわよ」
「そういう貴女こそ遠野くんの姿をした人と一回も顔をあわせなかったではありませんか。お互い様です」
「んー、志貴の姿をした志貴じゃない奴。それでも別人みたいにしてくれてたらわたしも普段どおりにしてあげたけれど、中途半端に志貴っぽく
してたせいで会う気が起きなかったのよね」
「おや、あの遠野くんはおそらく琥珀さんですよ。ちょっとした笑みやしぐさで分かります」
「ふーん、そうだったんだ。残念だけどわたしにはせいぜいあなたぐらいしか分からないし」
「それは光栄ですね」
「それで、正直これからどうするの?」
「もちろん明日になっても治らないようでしたらわたしが2人を診断し、しかるべき処置を行います」
「ま、それでも治らなかったら世界中どこに行ってもいいから治す方法を探すわ」
「おそらく琥珀さんの中身は遠野くんですよ。でしたら……」
「また心にもない事を言う。わたしはあの性格、やさしさ、鋭さ、それに目、口、声、顔、身体。全てを含めて志貴が好きなの。どれかが欠けたら
志貴じゃないなんて言わないけれど、満足でいて欲しいわ」
「それは分かります。ですが遠野くんは今日秋葉さんたちには真実を言い、わたしたちには言いませんでしたよね。間違いなく秋葉さんより
わたしたちの方がこの手に詳しいのに」
「何が言いたいのよ」
「いえ、遠野くんはこのままでもいいのではないかと思っているのではないでしょうか。だからこそわたしたちに何の相談もせず、ごまかそうとまで」
「まさか。明日になっても駄目なようなら絶対に相談してくるわよ。今日は志貴が琥珀を思ってやったんじゃないの?」
「……琥珀さんを?」
「そう」
「ああ、なるほど……。いつも屋敷で仕事をする彼女に学生生活を見せたかった。そんな感じでしょうか」
「さあ? とにかく志貴が何も考えてない事はないと思うわ。まあしてこなくても無理やり相談させるけど」
「同感です。この状態が続くのはお互いのためにはなりませんから」
「ええそうね」
「……ところで、すると貴女はわたしたちの方を?」
「いえ、それは昼。朝は寝てたし午後はこの屋敷を眺めてたわ」
「という事は貴女は……!」
「ええ。見てたわよ。琥珀姿の志貴。あのメカヒスイがいないところだとほとんど志貴だったわ」
「普段と全く変わりなく?」
「んー、確かに志貴だったわよ」
「なら安心です。対処法は今晩ゆっくり考えましょうか」
「ええそうね。でもさ」
「え?」
「もしこれでわたしが元通りにしてあげたらお礼に一日デートとかしてくれるわよ」
「な……っ! そんな事はこのわたしがいる限りさせません! 事態の収拾はわたしの得意分野ですから!」
「……そうかな? そう言えば聞こえは言うけど結局裏方……」
「何なら今この場で決着をつけてもいいんですけど!」
「やめとくわ。あなた傷つけちゃったら志貴に嫌われちゃうし」
「……そうですね。わたしたちが争うのを好まないようですし」
「ま、今日のところは引き下がるとしますか。後でレンに今日の事教えてもらおーっと」
「そうですね。わたしは明日に備えて下準備でも進めます」
「それじゃあまた明日」
「ええ、また明日」
/志貴
一日が終わる。
琥珀さん生活はやる事はたくさんあってめまぐるしく時はすぎていった。
いかに自分の時間が無駄に過ごされているかが分かってしまったわけで。
中庭で夜空を見上げる。
今日一日晴れだったおかげで都会でもある程度の星は見えてくるけど、やはりほとんど見えない。
かわりに夜空を支配するのは白い月。
夜に絶対的に君臨するかのようにそこにはあった。
「志貴さん、そこにおられましたか」
と、俺の体の琥珀さんが姿を見せる。
「悪いな。お茶会を抜け出しちゃって。ちょっと1人でたそがれたかったんだ」
「奇遇ですね。わたしもなんです」
そういうと琥珀さんは俺の横の椅子に腰掛けた。
……俺の体だっていうのにやっぱ琥珀さんらしさがでている。
しぐさの一つでこんなにも印象が違うのもなのか。
と、聞いておきたいことがあるんだ。
「それで琥珀さん」
「なんでしょうか?」
「今日俺の生活を送ってどうだった?」
そう、今日琥珀さんは学生生活を送った。
本来ならば行っていただろう、すごしたであろう時間を、今日。
「感想、ですか?」
「そうだよ。有彦とかシエル先輩とか、学校ではまた違った印象になるだろ」
まずは無難に交友関係から。
いきなり核心部分を話すわけにもいかないし。
「そうですね。何だかわたしの視点から見るシエルさんとは違い、あの人からは聡明な印象をもちました。乾さんもわたしと話す時とは違い、
本音を言ってくださるし。秋葉さまは学校でもやはり優秀なのですね」
「まあそうだな。でも」
転校してから秋葉は俺やシエル先輩のようにありのままの自分で接している友人ができたのか?
浅女には晶ちゃんとか大勢いるみたいだけど。
ってそれは俺の杞憂か。秋葉がそんな立ち回りが下手だなんて思えないし。
「じゃあ授業はどうだった?」
「あ、今日の科学と物理の小テストですが、あまりに簡単だったので半分ほど寝ちゃいました。有彦さんは「遠野のうらぎりものー」と言って
いましたけど」
う、それは前日まで自信がないと言い合っていたからだ。
結果的にあいつを裏切る形になってしまったけど罪悪感はゼロ。すまん有彦。
「他に今日は体育とか現代社会とかあったっけ。それはどう?」
「そうですねー。体育は面白かったです。志貴さんの身体はわたしのよりはるかに動かせたので。さすがに現代社会はお手上げです。テレビで見た
だけではさすがに難しいですね」
ん。俺はちなみにもっぱら睡眠タイムだ。
むしろあれは催眠術の一種だろと思いたくもなってしまうほど眠気を誘う。
なので赤点まっしぐらなのは言うまでもない。要自主勉。
「楽しかった?」
「ええ、とても新鮮で楽しめました」
「そうか……なら」
いよいよ核心部分。
これを言ってみたかったから今日一日はアルクェイドやシエル先輩にも相談しなかったんだ。
「すみません。やはり電話越しではお役に立てそうにない。真祖や代行者が対処できないようでしたらそちらに向かいます」
これがシオンの答えだった。
でも聞いたのは午前。午後にも相談する事は出来たけど、俺はしなかった。
せっかくだからとこれを聞きたかったから。
「秋葉に頼めば高校編入も出来ると思うんだ。小テストを楽と言えるほど学力があるんだから、琥珀さんなら……」
「いえ志貴さん。わたしにとっては遠野の屋敷で十分ですよ」
言葉の途中だというのに琥珀さんはきっぱりと言い放った。
「でも琥珀さん。ある程度ならメカヒスイに頼めるし、琥珀さんと翡翠が行くのだって秋葉は反対しないだろうから……」
「いえ、行けないのではなく行かないのです」
またきっぱりと言い放つ。
ためらいもなく、その選択肢は彼女の中にないように。
「学校に行かずとも勉強は出来ますし、交友関係は翡翠ちゃん、秋葉さまや志貴さんとご友人だけでわたしには十分なんです。ですからあえて
学校に行くメリットもないんですよ」
「琥珀さん……」
「ですからお気持ちはありがたいですけど、今のままでも十分幸せですので、すみませんがその話は……」
「……分かった。琥珀さんがそこまで言うなら……」
でももっとわがままを言ってもいいのに、と思ってしまうけどそれを口には出さない。
本当なら琥珀さんと翡翠は俺と同級生ぐらいで学校に通っていたはず。
もしかしたらありえたかもしれない、4人での登校。
でもそれは現実じゃなく、かなえられはしない。
それでも琥珀さんにとって今日という日は特別なものになったと信じたい。
友人と馬鹿話をして、先輩と世間話をして、後輩とまじめな話をして。
そんな日常が非日常である琥珀さんにとっては特別なものと……。
「志貴さま、姉さん。そろそろお時間です。秋葉さまも呼んでおられるので」
と、翡翠が俺たちにそう告げる。
そうか、もうそんな時間になってたか。
「ん、分かった。すぐ行くって伝えてくれ」
「分かりました」
翡翠は一礼して立ち去る。
さて、じゃあ戻りますか。
「志貴さんの琥珀生活は明日にゆっくりお聞かせ願いますね」
「……情けない話ばっかだぞ」
特に洗濯関連は顔から火が吹き出そうだ。
俺の言葉に琥珀さんはふふ、と笑う。
「かまいませんよ。わたしばっか話すのは不公平ですから」
む、そうだよな。確かに不公平だ。
んー、でももし本当に明日になっても治らなかったらアルクェイドやシエル先輩と相談してみるか。
いつまでもこうしているわけにもいかないし。
でも、今日という一日を送れた事を感謝するか。
おしまい