/橙子

式が抱える中、両儀織はその姿を消滅させた。
その体も服も、彼女が始めから存在しなかったみたいに消え去った。
ただ一つ、日本刀だけが床に転がる。

彼女の退場で、残ったのは私が招待した四人だけ。
両儀織を知らない鮮花と藤乃もさる事ながら、黒桐と式の反応は筆舌に尽くしがたい。
強いてあげるのなら自身の一部をごっそりと消失した、と表現すればいいか。
今はきっと織の事で思いがいっぱいのはずだ。

ゆらりと、式は立ち上がる。
体重を感じさせない、まるで幽霊のように。
式を覆う空気、首のかしげ具合、指で軽く包まれた刀。その全てが妖艶に魅せる。

黒桐が式に何かを言うが、ここからだとほとんど何も聞き取れない。
ルーンを使って聴力を強化してもよかったが、私はあえてそれをやらなかった。
ただ式は他の三人を制して私のほうへと振り返る。

彼女の凍てつく殺気は化け物どもと関わってきた今までの人生を振り返っても類を見ないものだった。
それでいて彼女の凛々しく静謐な様子は少しも損なわれていない。むしろ触れれば崩れ去りそうなほど繊細にも見える。
私は生物本能による恐怖なんかより、彼女の様に思わず魅了された。

これで止まっていては私の目的が果たせない。
そうでなくてはわざわざこれほどの手間をかけてまでこの世界を用意した意味が無い。
ぜひとも黒桐達には――。

「セクメトの特殊能力を発動!」
私は空気が読めないほど高らかに宣言をした。

セクメトは構えをとると、勢いよく発火する。
その熱はわずか数秒で千度を超え、セクメトが立っていた床がバターのように溶けだしていく。
セクメト自身は結界に守られているために融解を免れているが、これだけの熱量を魔術で引き起こしているんだからそうもたないだろう。

「攻撃対象は両儀式――」
式はゆっくりと構えをとる。
やはり構えは正眼。あくまで攻撃と防御のバランスをとるつもりか。

彼女は瞳を閉じて、静かに私を見据える。
もはや目の前の敵、セクメトには何の興味も示していない。
――両儀式の全てがこちらに向けられているにも拘らず飲まれる事が無いのは自分でも驚きだった。

「レイニング・スターフェニックス!」
自分でもどうよと思うネーミングで私は命令を下し、セクメトがそれに呼応するように飛び上がった。
そして灼熱と煉獄を身にまとい、隕石のごとく式の方へと落下していった。

いくら発火に魔力を使っていても周辺の熱は物理現象、熱まで殺す事はできないはずだ。
それに炎を貫通してセクメトを攻撃しようと思った時には日本刀は溶けてなくなってしまうはず。
つまり、この攻撃を式は対処できないと予想する。

黒桐達がひるんでも式自身は全く怯む様子が無い。
それどころか微動だにしないまま、退屈そうに状況を見ているだけにしか見えない。
彼女はあまりにも落ち着いた様子でセクメトを捉え――、


「無空」


式の両目が開く。

線が走る。

終了。

瞬き一つすら出来ないほど刹那の出来事だった。
式は文字通りセクメトを一閃してのけた。発火をうながす魔術の起動式を殺した上で、完璧に後の先を取る形で。
日本刀が溶ける暇も無かった。溶けて床に流れ落ちた時には全ての事が成し遂げられた後。

それでも私が呆気に取られる事は無かった。多分表情すら変わっていなかったと思う。
……いや、それは語弊があるな。
正しくは、そんな暇など一切無かった、だろう。

何しろ既に死は目前に迫っている。

式は織の残した日本刀を手に取ると、たった数歩で十数メートルもの距離を縮め、私の胸に日本刀を突き立て――。




王道・橙子さんの場合

第15話


   /幹也

あまりもの速さで一連の行動が行われてたせいで全てを理解し切れなかった。
気がついた時には橙子さんがセクメトだと言っていた者の体は勢いをそのままに向こうの方へと転がっていった。
鮮花も藤乃ちゃんも何が起こったのか分からないようだった。

気がついた時には、式は橙子さんの目の前に立っていた。

まるで剣道型の残心のように日本刀で橙子さんの喉下に切先を突きつけている。
ほんの少しささっているせいか、血が刃を上を流れている。 式の表情は見えなかったけれど、橙子さんはそんな状況でも驚くほど冷静に見えた。

「……まさかセクメトを一刀両断してのけるとは、見通しが甘すぎたか」
どれだけの時が流れたのかは分からないけれど、橙子さんはため息をもらすと両腕をあげて頭の後ろで組んだ。
冷淡な表情ではあったけれど、その眼も表情も僕が知っている橙子さんだった。

「無空、と言ったな。後の先、言わばカウンターをとって打ち込む技のようだが……両儀に伝えられているものか?」
――ええ、と式は答えた。
やれやれそういう事か、橙子さんは首を振ってあきれ果てる。

「人間が培ってきた技術に人間が捨ててきた神秘が敵うはずがないか……。あの作品には自信があったんだがなぁ。
 それにしてもてっきり殺されるとばかり思っていたんだが、残心を示すだけとは意外だ。
 蒼崎橙子という存在は私が死んだ所で代わりが現れる。だから私を殺しても不殺はとおるんだが?」
――それでも、私は幹也にこれ以上背負わせたくはないの。

「両儀織を殺したのは私だ。それでもか?」
式は一切の返答をしなかったし、一切のしぐさも見せなかった。
ただ橙子さんは呆気に取られたように目を見開き、静かに息を漏らす。

「……参った。私の業が両儀式の技に屈した以上、私は敗北した事になる。潔く戦いを止めよう。
 ――実を言うと式の殺気を受け止めているだけで精一杯なんだ。こうまで純粋に恐怖と魅了を感じ取れたのは初めてだよ」
そして橙子さんは崩れるように玉座に座り込んだ。
顔は苦笑いで引きつっていて、全身からは冷や汗が滲み出している。

……終わった。
本当に長かったここ数日の旅がようやく終わりを迎えた。
この世界を構成してた敵側の魔術師は全員倒れたから、これでエンディングのはずだ。

「橙子さん、わたし達の勝ちならば早くこの世界から出してもらえませんか?」
「そうだな。どうやらゴドーワードの奴もリタイアしたらしいし、『祟り』がこの世界に参加する事はない。私たち三人は敗れた。
 ――つまり、これで終わりって事になるんだろうな」
橙子さんは軽く息を漏らして天井の方を見上げる。

「よし、クライマックスだ。準備はいいか?」
「――ええ、いいわ」
橙子さんはあさっての方向に語りかけているにも拘らず、どこからか少女の鈴を鳴らしたような声が返ってきた。
まるで部屋全体から発せられたように。
橙子さんの言う『祟り』なんだろうか?

「おめでとう諸君。君たちはアドベンチャーと言うものを体験したわけで、冒険ももうすぐおしまいという事になる。
 スタッフロールに私は出れないから、今のうちに参加してくれた感謝の意を述べておこう」
あいにく橙子さんの感謝を素直には受け止められない。
他の役柄として呼ばれた人達が犠牲になってしまったんだから、喜べるはずがない。

「それではクライマックス、がんばってくれ」
「クライマックスをがんばれ?」
なんだかとても意味深な発言だ。
それではまだ続きがあるみたいじゃないか――、

そこで、気づいた。
何で今までこの可能性を考えられなかったのか不思議なほどありふれた展開を。
そして、橙子さんだったら必ずやりかねない事を。

「まさか橙子さん――」
「察しがついたか。さすがだと言いたいな」
橙子さんは意地悪くにいっ、と笑いを浮かべた。とても無邪気な笑いで怒る気もうせてくるほどだ。
鮮花は僕と橙子さんを交互に見て不思議そうな表情を浮かべるだけだった。

「ちょっと兄さん。クライマックスはエンディングの前にやる、いわばラストではないんですか?」
「違う。後日談、つまりエピローグがなくてもラストとクライマックスは別物で、ラスボス撃破とラストの間にあるべきものだ」
と説明しても鮮花には――と言うより僕と橙子さん以外は全く分かっていないようだ。
そのベタな手段は、アレしか考えられない。

「そう、ラスボスがいるアドベンチャーでのクライマックスの展開、まさしく王道のものがあるだろう」
本当に橙子さんの目は天真爛漫に輝いていた。


「脱出劇(はぁと)」


本っ当に天真爛漫に。

その途端、遺跡の中が急激にゆれだした。
まるで大地震の時みたいに揺れているせいで、装飾品に手をついてかろうじて立てるぐらいしかできない。
石造りの天井からは砂が漏れてきていて、よく見ると一つ一つのブロックの隙間が広がっている。

「橙子、貴女――」
「私を殺しても止まらないよ。これを行っているのは『祟り』であって私じゃない。
 ラスボスを倒したと同時にその洞窟や建物が崩れ始めるのはもはや常識、なんてね」
橙子さんは全てが揺られている中、揺れる体を壁に体重をかけてようやく支えてゆっくりと立ち上がった。
それを見て式は日本刀を鞘に収めてこっちに走り出した。

「急ごう。いつ崩れるか分からない」
「そ――そうね。早く行かないと下敷きになるわね」
「わっ分かりました。精一杯走りますっ」
僕たちの元へ戻ってきた時には式は元の口調に戻っていた。
鮮花も藤乃ちゃんも雰囲気の違いに少し驚いたみたいだけど、すぐにうなづいた。
僕もうなづきかけて、ふと橙子さんに視線を戻してしまった。

橙子さんは壁伝いに歩き始めていて、僕らが来た入り口とは別の通路に行こうとしている。
彼女はこっちの視線に気づくと、わずかに笑った。満面の笑みでありながらその目線や表情はどこか儚げで、物悲しげでもあった。
そして、一人でこの間を立ち去っていった。

「急ぎましょう兄さん、もうすぐ遺跡も崩れるでしょうし」
「ほら、幹也も」
この間に背を向けて脱出しようとする式たち。彼女達には悪いけれど、僕には別の考えが浮かんでいた。
この瞬間を逃したら今後一生機会が訪れないんじゃないか、そんな気がしたから。

「――悪いけれど、先に行っててくれないか?」
「「「えっ!?」」」
僕の言葉に三人ともが声を出して驚いた。それも当然の事だと思う。

「式、鮮花と藤乃ちゃんを頼む」
「おい、幹也――!」
今にも神殿全体が崩れ落ちそうで、時間の猶予はない。一分一秒でも無駄には出来ない。
僕は式たちに何の説明もしないままある方向に向けて走り出した。
彼女達の制止を振り切って、出口とは反対側の方向に。


   /式

幹也は入り口とは逆の方向に走っていった。
私たちの言葉を一切聞かずに、たった一つの事を確かめに行ったんだろう。
今にも崩壊しそうなほど揺れている神殿の中を出口とは逆方向に走っていく、そんな無謀な事をしでかすだなんて――多分三人とも予想してたんだろう。
現に私たちは言葉でこそ幹也を止めようとしたけれど、それを行動で示そうとはしなかった。

「幹也、貴方って人は――」
どこまで自分に稀薄なのですか、と鮮花は悔しそうに唇を噛み締める。
藤乃はうつむいて視線をそらすだけ。

「行くぞ鮮花、藤乃。ここはもう危険だ。トウコの事だから、ギリギリに脱出できるぐらいの猶予しかないはずだからな」
「式、あんたは幹也を置いていくつもりなの……!?」
「ああ」
私はうなづいて、その場から立ち去る事にした。もちろん幹也が走っていく方向とは逆に。
だが一歩踏み出そうとした瞬間、鮮花に肩を掴まれた。

「待ちなさいよ。私たちも幹也の後を追うべきでしょう!」
「オレはあいにくこの先の出来事に興味はない。藤乃は知る必要がない。多分この先を知る必要があるのは鮮花だけなんだろうな。
 だけど、鮮花は躊躇した時点で知る資格はないだろう」
「っ!」
私の言葉に鮮花は目を見開いてたじろいだ。
その上で幹也が立ち去って言った方向に顔を向ける。

これからの事は真っ先に駆け出した幹也だけが知るべきなんだろうな。
いち早く脱出を考えた鮮花と、確かめようと思った幹也の決定的な違いが二人を分けたんだろう。
だったらここから私達の出番なんかない。せいぜい脇役の立ち位置ぐらいだろう。

「幹也なら必ず戻ってくる。それだけは間違いないだろ」
私の言葉に鮮花は黙ったままだ。拳を赤くなるまで握り締めているし、肩は少し震えている。

「分かりました。行きましょう」
「藤乃……!?」
「鮮花、先輩ならきっと無事に帰ってきますよ。だってそういう世界なんでしょう?」
藤乃は後ろ髪を引かれるように幹也が行った方向を見ていたけれど、やがて背を向けて駆け出した。
仲間が心配する中、主人公が颯爽と現れるってやつか。
……私も幹也と橙子の会話で随分と無駄知識が増えたものだ。

「どっちにするにしても、もたもたしてるとぺしゃんこだぞ」
「……」
私も鮮花から視線を外して藤乃に続く。
それでも私の方が藤乃よりもペースが速いらしく、彼女に合わせることにはしたが。
やがて、後ろの方から駆け足が聞こえてきた。


この前の脱出劇の時とは違って、化け物は一切現れなかった。
あれだけ殺してやったんだから品切れってやつだろう。死体が片付いてるのは裏方の雑用でもいるのか?
その代わりに私たちを阻んでいたのは大地を揺るがす振動と――、

「左に進め、右に落盤だ」
次々と崩れ落ちてくる天井と柱だ。
視界全体を見極めて私達の進行に邪魔になってくる奴を判断、対処していく。
可能な限り避けていく事にして、対処できなくなったら――、

「FoLLte――!」
「凶れ」

鮮花の魔術と藤乃の歪曲でどうにかしていく事にした。
接触しない形での魔術の構成は難しいとか言っているけれど、落盤全てを溶かすほどの熱量は必要ない。
せいぜい軌道をそらすだけでいい。逆に溶かすと高熱の液体になってかわしにくい。
あいにく日本刀は鉱物を斬る事には向いていないから、私は見極めに専念していく。

そして、二度目の脱出を果たす事ができた。
あたり一面が真っ暗になっている――と思ったが、入り口付近に駆けつけてくるたいまつか何かがあった。
目を凝らしてようやくその人物が誰かが判別できた。

「お嬢様、ご無事で」
「鮮花、無事だったか!」
墓守の一族なんて役柄の秋隆と秋巳大輔。
彼らは馬を下りると真っ先に俺たちの方に駆け寄ってきた。

「大輔さん、さっきは随分と危なそうでしたけれど、戦争には勝てたんですか?」
「あー、アイツらね。包囲作戦を展開して撃滅。今エキストラご一行様が掃討作戦の最中ってところだ」
へえ、あの戦力差をひっくり返せたのか。ざっと見ただけでも結構な数がいたのに。
私の思った以上に戦術面で優れていたんだろうな。

「で、遺跡の様子からすっと……そっちの方はカタがついたんだろ」
秋巳大輔はしげしげと私たちが出てきた神殿の方向を眺める。
まだ入り口付近にいるせいか大地は結構揺れているし、ここから見えるだけでも柱や天井が次々と崩れ落ちていく。

「ええ、この世界を構成していたまじゅ――悪人は全員倒れました。後は――」
「エンディングを待つだけ、か。思った以上にリアリティがあって面白い世界だったなぁ」
秋隆と秋巳大輔が一般人よりだったからか魔術師の事柄の言及は避けたか。
秋巳大輔は神殿の入り口の方を心配そうな視線を送るのを見て首をかしげる。

「あれ? そう言えば――」
「秋巳様、それ以上はおっしゃらない方がよろしいかと」
ようやくこの場の異常に気づいた秋巳大輔の口を秋隆がそっと制した。
その行為だけで彼は悟ったのか、咳払いをして乗馬する。

「――神殿が崩れるんだったらこの付近も危ないだろ。もうちょっと離れようぜ」
「そうですね。神殿の掘られた岩山ごと崩れてもおかしくはなさそうですし」
秋隆も私に向けてうなづいて、羽毛のように軽やかに乗馬した。
馬を走らせる二人に私たちも続く。

「幹也の……莫迦っ」
「先輩……」
名残惜しそうに私たちが眺める中、神殿はだんだんと小さくなっていく。

「……」
私はその場を立ち去る秋隆の方へと駆け寄っていった。


   /幹也

僕は崩れ落ちようとしている神殿を逆走していた。
一刻も早く式たちと一緒に脱出するべきなのが常識であり、物語でもあるんだろう。
だけど、いてもたってもいられなかった。
こうでもしない限り手から零れ落ちる砂のようになってしまいそうだったから。

可能な限り僕は走って、揺れが激しい時は壁伝いに進んでいく。
さっきまでとは違って通路の幅は狭く、現代建築物ほどの広さしかない。
こっち側には始めて足を踏み入れたけれども、なぜか分かれ道になっても迷う事無く進む事が出来た。

そして、僕は一つの部屋の前に立っていた。
この先に何があるかなんて見当もつかないけれど、僕はそれを開ける決心を固めた。
つばを飲み込んで、石の扉に手をかけた。


部屋の中だけが別世界だった。
この世界じゃあ時代錯誤な設定のものはカイロ博物館だけしかない(橙子さん談)はずで、どれも忠実に再現していたはずだ。
なのに目の前に広がる光景は第二次世界大戦時のものとは絶対に思えない、つまり現代のものだったからだ。

「しゅ……手術室?」
「その通りだ」
正直な感想を漏らした僕に、不意に切り出される少女の声。
振り返ると、僕が入ってきた入り口のすぐそばの壁に橙子さんが寄りかかっていた。
彼女は入り口、それから僕を確認すると静かに歩みだした。

「黒桐一人か。式と藤乃は来ないと思ってたが、まさか鮮花まで来ないとはな……。こういった予想は裏切って欲しかったんだがなぁ」
ぼやくようにして言い放ちながら髪をかきあげ、彼女は僕の目の前に立つ。
この部屋はなぜか神殿から隔離された空間のようにゆれが一切ない。だから僕は彼女の容姿を詳細に捉える事ができた。

「だが黒桐が来てくれただけでも私は嬉しいよ。それだけでもこんな無謀な事をしでかした意味があったと言うものだ」
彼女はほんのわずかに笑みを浮かべ――にも拘らず僕の心を揺れ動かす魅力が含まれていて――手術台らしいものによりかかった。
そしてそっと布に包まれた何かをなでる。

「橙子さん、それでここは何なんです?」
「私の魔術師としての工房」
さも当然のように言い放つけれど、僕は結構驚いていた。

建物の設計図にしろ人形制作にしろ、橙子さんは確かに工房と呼ばれる所で作業に取り掛かってる。
それはどちらかと言うなら本当に職人のような工房であり、失礼なほど単純な言葉でくくってしまえば工作の分類だ。
あの生きたような人形ですら、多分それにくくられるんじゃないかと思う。

でも、この部屋で行われるのは間違いなく生物に携わるものだろう。
部屋の陳列とか空気とかが無機質なものを扱う事を許していない。
創る者である橙子さんからはちょっと想像も出来ない空間だ。

「そうだな。一応一般医師並みに手術ぐらいは行えるだろうが、めんどい。それにそんな技術など所詮目的の副産物に過ぎない。
 手術室に見えたとしても、その目的は全く異なるものだ」
「――それではやはり」
おそるおそる切り出す僕に橙子さんは静かにうなづく。

「ああ、こんな風な部屋で蒼崎橙子は蒼崎橙子を創っていた」

またいともあっさりと、僕の常識が橙子さんの常識ではないように言われた。
彼女は僕の様子を観察するような目線を送ってはいたけれど、完全に無視したように続ける。

「生物学に携わる以上、ろくでなし人形師の三流工房のままでいられるか。細菌感染や工房汚染など、細心の注意を払わないといけないからな」
実を言うと伽藍の堂にもあるんだ、なんて流し目で言われた。
当然僕は手術室みたいな工房なんて一度も見た事はない。

「さて、人形とは何か、そして魔術師が今まで創り上げた人造生物がどんなもんだったか、それをふまえて私がどんな道を歩んできたか。
 こんなの今は正直どうでもいい話だ。最も大切なのは、その結果私がどんなものを創ってきたか、とどんなものを創りたかった、だな」
そんな事を言い出した橙子さんはおもむろに黒のネッカチーフに手を伸ばして、丁寧にほどいてゆく。
その次になんとボタンにまで手を伸ばした。

「ちょ、橙子さんっ! 一体何を――」
「黙ってろ。うぶなネンネじゃあるまいし」
いやいきなり目の前で服を脱がれたんじゃあ誰だって驚きますよ男女関係なしに!

それ以前になんでまた橙子さんは僕の目の前で脱ぎ始めたんだろうかそれすら意味が分からないし笑えない!
繊細な指でボタンを取っていく様子とかきちんと脱いだ服をたたんでいく様子とか一つ一つのしぐさに魅力を感じると言うか色気があると言うか!
ああもう! 何だって言うんだこの状況はっ!

何を言うにしてもことばにならない僕を尻目に橙子さんは純白のシャツまでも脱ぎ終わった。
僕なんかまるでカカシ扱いしているのがなんだか複雑な気分だけど、これはどう考えてもおかしいでしょう。
今目の前にいる橙子さんは下着姿――って橙子さん、まさか貴女って人は――!

そうして、何もできないままに僕はその光景を瞬きもせずに眺めているだけしかできなかった。
下着も丁寧にたたんで、橙子さんはどこも隠そうともせずに僕の前に立つ。
生まれたままの姿で。

「――どうだ?」
涼しげな表情で口から発せられる冷淡な口調は目の前の姿と完璧に矛盾していた。
しゃべり方はいつもの橙子さんなのに、目の前にいるのは今の式よりも幼い姿なんだから。

その姿を形容しようと思って……やめた。ほんの少し硬さの残ったあどけない姿とだけ考えておく。
そうでないと今の状況を冷静に把握できそうにない。
興奮したとかそんなんじゃない。まるで一流の芸術家が作った女性の裸体像、そういったものを見ているほど感銘を受けていたからだ。

「すごく、その……美しいです」
「率直で結構。これが私の作品だ」
橙子さんは生真面目に僕に向けて言い放ち――作品?

「作品って、どういう意味です?」
「そのままだ。お前も見たんだろう、コルネリウス・アルバ、赤コートの魔術師に殺される『私』を」
思い出すのは式がさらわれた日、赤コートの魔術師が持っていた橙子さんの、首。
それから目覚めた時に見た橙子さんの姿。
その上でもう一度今の橙子さんの姿を眺める。

絶句。
その言葉だけが今の僕を形容するにふさわしいはずだ。
ただ頭の中が真っ白になっていくのを実感できただけだった。

「そう、蒼崎橙子こそが蒼崎橙子の成しえた技術だった、と言うわけさ」
それは確かに言っていた。できるのは完璧な自分ばかりだ、と。
でもそれが生きた蒼崎橙子の事だったなんて予想外も甚だしいほどだ。
じゃあ、今まで僕たちが接してきた蒼崎橙子は――、

「それは違うぞ。この一年前後おまえが接してきた蒼崎橙子はまぎれもない本物だ。
 ――無論、この世に始めて蒼崎橙子として生を持った存在のみを蒼崎橙子と呼ぶのなら、黒桐幹也が接してきた蒼崎橙子は全て偽物なんだろう。
 実を言うと私にも本物が誰だかは分からない。全く同一の器である以上、どれが本物かを見分ける方法がないんだよ」
詳しく話すと長くなるがね、と彼女は述べる。

「そこまで私は本物にはこだわらなかったしね。アルバの奴は自己を簡単に捨て去る怪物とか表現していたが、それが私の考え方なんだよ。
 大事なのは今ある現実で、そういった意味では明らかにいつもの世界と違う、あからさまに作り物と分かる姿をした今の私も本物の蒼崎橙子だ」
僕はただ橙子さん――最低でもそう名乗った少女――を愕然と見つめるしかなかった。
なんの反応も返せないし、彼女から視線をそらす事もできない。
彼女はそのまま布に覆われた何かに視線を移した。

「この姿は私が十八歳の時を限りなく忠実に再現した状態のものだ。現在の私とは別の存在だからどうなるかと思ったが、大丈夫だったようだ。
 ――さて、黒桐。この場にいるおまえに見せたいものがある」
「見せたい、もの?」
「ああ。舞台が第二次世界大戦中のエジプトでありながらこんな工房を作ったわけ、ってやつさ」
かろうじて僕は声を絞り出す事ができた。
あまりにも急展開過ぎて、全力疾走状態でかろうじて追いついている状態だ。
彼女は上目遣いで僕の瞳を覗きながら布に手をかける。

「これが、現時点で私の出来る限界だ」
そして一気に引き放った。

そこにあったのは目の前にいる橙子さんと全く同じ姿をした少女の肉体だった。

瓜二つ、と率直な感想を持った後、何か決定的に違う違和感を覚える。
なんだろうか、この感じは。どこかが違うような気がしてならない。
まるで式と織……いや、式とシキ以上に違う存在に感じてならない。
なぜそう捉えてしまうのか僕には見当すらつかなかった。

「何、なんですか、これは」
「私だ、と言ったら……信じるか?」
「いえ、決して」
決してコレを橙子さんと言ってしまってはならない、それを直感で僕は悟っていた。
そんな理由は正直どうでもよかった。
橙子さんは意外にも僕の答えに驚愕をあらわにする。

「黒桐、おまえ――分かるのか?」
「分かるのか、と言われても困りますけれど……生きて動いている事を引いたとしても今の橙子さんとコレとでは全く別の存在です」
自分を言い聞かせる意味を含めて断言しておいた。

僕は目の前に横たわる存在に改めて視線を移した。
じっくりと観察しても、外見上は今の橙子さんと全く同じだ。
指先、腕、胴、脚、足、胸、顔、頭、その全てが――あれ?

「ほんの少し、なんだろう……ウォーリーを探せ以上に難しいな。なんか外見もほんの少し違うような……」
なんと言うか、顔つきにわずかな違いがあるような気がする。
横たわる存在の方が今の橙子さんよりも……言っちゃ悪いけれど、純粋なように見えるんですけれど……。

「……そんな事まで分かるのか。黒桐は探る者としては逸材だな、本当に。
 決定的となった日を境とした三日、その前後をイメージして手がけたんだが……私でもじっくりと見ない限り判別が出来ないほどだ。
 分かるか? たった二日の違いが蒼崎橙子と言う存在を決定付けてしまったんだよ」
橙子さんは横たわる存在の頬をなでながら苦笑する。
その苦笑が誰に向けられていたのかは知る由もなかった。

「では橙子さん、これはやはり――」
「察しの通り、これは蒼崎橙子じゃあない。蒼崎橙子という存在のままで至ろうとした所でそれは今の私では絶対に不可能なのは分かっていた。
 これはあくまで蒼崎橙子の姿を真似た全く別の存在、と言うわけだ」
これが、蒼崎橙子という存在そのものを排除して創り上げた、橙子さんの到達点――?

「魔術師としての人形師・蒼崎橙子が目指すべきなのは両儀式のような器なのだろうな。アレは魂、器ともに恐ろしいほどに無色な存在だ。
 式と織が互いに食い合ってカラになってしまえば、それこそ原型とも呼べる存在なんだろう。
 今冷静になってアレやアイツを見つめてみれば分かる。あんなのを一流の仕事をするようになってしまった魔術師が至るなんて不可能だ」
「では、これは何なんです?」
僕は横たわる少女を指差す。橙子さんは口元を覆って複雑なしかめ面をした。

「技術や業の事など全く考えず、工程の一切を把握しないまま衝動とノリの赴くまま無心で創ってみた作品」
「……随分と軽いノリですね」
「そうだな、自分でも認めるよ。……何しろ自分でもコレが何かなんて分からん」
――は?
ちょっと待って、今なんて言った?

「どういう意味ですかそれは」
「今の蒼崎橙子ではこれを把握しきれない。一体どんな存在なのか、そしてどんなものを持って生まれたのか、果たしてかつて私が切望したものなのか。
 その辺が完璧にさっぱりな状況なんだ。もちろんこれをもう一度創ろうと思った所で手順無視で進めたから無理だしな」
それなんて芸術家ですか。フリーダムにもほどがありますよ。
橙子さんは僕がいつも見る笑いをうかべた。

「こんなものですら創れる事なんて想像もしてなかったからなぁ何しろ。本来なら完璧な失敗作を見せびらかし、私がどんな――」
「どんな?」
「やめた。全てを言ってしまったらつまらん」
言葉を区切って橙子さんは僕に背を向けた。
彼女は端の方においてあった何かを手にとって、裸体を全く隠そうとせずにこちらに歩み寄る。
少したじろぐ僕を見てからかい半分に笑みを浮かべた。

「黒桐、おまえは今楽しいか?」
「ありません。今のままでも十分に幸せですから」
「……そうか、私も同じだ」
僕の即答に橙子さんは満足そうに呟く。

「今の環境が栄光と挫折、偶然と奇跡によって積み重ねられて構成されたものだとは分かる。
 多分初めからやりなおして同じ手順を踏んでも今の蒼崎橙子にはなりやしないだろうな……」
「橙子さん?」
「「」に繋がっていながら平穏を選んだバイトの少女、禁忌に惹かれる燃やす事に特化した魔術師見習い、かつては殺人を愉しんだ魔眼を持つ客人、
 機密情報をあっさりばらすがいい莫迦の刑事、そして最も平凡でありながらある意味最も異端である従業員。他多数。
 満足こそしていないが、私はこの日常を大切にしていきたいし、壊したくはない」
彼女はまるで自分に言い聞かせるようにして天を仰いだ。
一度目元を手で覆うと、何かを決心したみたいに目が鋭くなる。
視線の方向は……姿だけはほとんど同じの少女?

「だから今の私に、これは必要ない……!」

次の瞬間、橙子さんはその持ってきた何かを握り締めた上で勢いよく振り下ろした。
あまりの展開に僕が橙子さんが何をしているのかを理解できたのは事を成し遂げた後だった。
目の前には、横たわる少女の胸にナイフを突きたてた橙子さんがいた。

「橙子さん、何を――」
「私は今の蒼崎橙子のままでいたい。そこから先に進もうだなんて考えてもいない。
 だったら根源に繋がってる式の体同様、この作品も私にとっては無用のものにすぎないのさ」
突き刺さった胸からはほんの少ししか血がにじみ出てこない。
ナイフを持つ橙子さんの腕は力みすぎていたのか、わずかに震えていた。

「コレが蒼崎橙子でないなら今の私が死んでしまっても次に動くのは大人の私のはず……。
 だがコレが万一蒼崎橙子として認められてしまったら次に動くのはもはや蒼崎橙子ではない私だ。それだけは防ぎたかった……」
橙子さんは哀愁漂う笑みを自ら突き刺した体に向けた。
そして橙子さんは指をナイフに紋様を描くように走らせると、ナイフを更に深く突き刺す。
あの紋様は僕でも知ってる。確か戦士を表すソウェルのルーン(正方向)だったっけ。

目の前にあった芸術品とも言っていい、でも決して蒼崎橙子ではないものは炎をたてて燃えていく。
ガスバーナーで酸素が程よく回ってる時に見る炎なんかとは比べ物にならないほど鮮やかな青色だった。
そばにいるはずの僕までは熱が回ってこない。ただ対象となった身体だけを燃やしているようだった。

そうして目の前には何も残らなかった。
全てが燃え尽きて灰すら残っていない。まるで始めからそこには存在していなかったみたいだ。
橙子さんは持っていたナイフを放り捨てると、今度は屈託のない笑みをこちらに向けてきた。

「さあ、後はエンディングだ。盛大にとはいかないが、決めろよ」
「――はい」
おじぎをして走り出す。

「伽藍の堂で、また会おう」
最後にこの言葉を背中に受けながら。


   /シキ

黒桐くんが太極の間から足早に立ち去っていく。
必然的に残った蒼崎橙子の目の前に私は姿を現した。
彼女はさほど驚いた様子もなく私に視線を向ける。多分ある程度予想はしてたんでしょう。

「……役柄に開きスペースは作っておいたが、まさか本当におまえの方から干渉するとは思わなかったぞ。
 ゴドーワードが消えたのはお前の仕業か」
「いえ、彼は自分から消えていった。多分満足したんでしょうね」
「それは驚いた。アイツに付き合うだなんて酔狂だな」
くく、と笑う蒼崎橙子。実際にはやっぱり驚いていないくせに。
私とゴドーワードが出会う事だって可能性に入れてたはずよ。

「作品、燃やしちゃったのね」
「アレは私には無用の長物だよ。ゴドーワードの死体と違い、残しておく事に何の意味もないからね」
彼女は私から視線を外して、服を着てゆく。
……そんな行為だって無意味だって悟ってるくせに。

「それで――なんて呼べばいいんだ?」
「両儀式が私の名称だけれど、黒桐くんはシキって呼んでくれるわ」
「そうか。ではシキ、何のために私の前に姿を現したんだ?
 役柄を得ても荒耶や黒桐はおろか、式にすら関わらないでゴドーワードと私の前に現れるとは。
 根源の渦はよほど退屈な所らしいな」
私は返事を肩をすくめる動作でとどめた。

蒼崎橙子、貴女はこの質問だって無意味だって知ってるでしょう。
私が何のために貴女の前に姿を現して、貴女に何をしようとしているのかも。
その上でとりとめのない会話をするなんて……やっぱり変わってるわね。

「分かった、私をす巻きにしてナイル川に叩き込むつもりだろう。
 そうしたらオマエに一生呪詛を送り続けてやるぞ」
「――ねえ、冗談は止めない? 貴女だって分かっているんでしょう、私がここにいる理由」
「さてね。今処分したアレだってお前のでるほどのものではないと思うんだがなぁ」
……そう、やはり貴女には貴女が創り上げたアレが何なのか分からないのね。
でも教えてあげるつもりはない。彼女が望んでいないのだから、教える理由もない。

「……ああ、分かってるよ。そのためにわざわざお前のために『かつて王が求めた神官』の役を空けておいたんだから」
「そしてその役割は、「」を目指す二人の魔術師に……」
蒼崎橙子は静かにうなづいて髪をかきあげた。艶やかな長髪が流れて服の中からでてくる。
最後に彼女は屈に手を伸ばし、つま先をゆっくりと入れてゆく。

「今度新たな世界を創る時はおまえも一緒に参加したらどうだ? SFかホラーを考えてるんだが」
「考えておくわ」
私は何もない虚空からあるものを出現させて、両手でしっかりと持つ。
蒼崎橙子は満足そうな笑顔を絶やさずに真正面に立った。

「――いいのね?」
「もし才能があったらの十七才な私も、現実を突きつけられた十八才の私も黒桐達には必要ない。おまえがしないなら私自身がするだけだよ」
そう、私はそれだけ呟いて手に持った物を抜き放つ。

そして、日本刀を死の点に突き刺した。
彼女の生が失われていくのを私でも感じる事が出来る。
最後に私は蒼崎橙子が魔術師時代相手に問いかける時の口癖をまねる事にした。

「トウコ、何を求めるの?」
「果て無き平穏」

「トウコ、何処に求めるの?」
「限りある日常」

「トウコ、何処を目指すの?」
答えを口にする前に蒼崎橙子は糸の切れた人形のようにその場に倒れた。
満ち足りた者だけがする笑顔を絶やす事無く。

――蒼崎橙子な私。
そんな答えが返ってきたような気がした。

これで荒耶宗蓮と玄霧皐月が消えた事で不安定になっていたこの世界を維持する必要はなくなった。
両儀式とはいついかなる時も一緒だから会っても意味ない。黒桐くんにはこのまえお別れをつげたからやはり意味がない。
なら、私の出番はこれで終幕ね。

じゃあ、またどこかの夢の世界でお会いいたしましょう――。

to be continued……


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 釈明。これをもってこの長編はようやく終わりを告げる……はずでした。ごめんなさい。 思った以上に長くなったのが原因。
――さて、この作品を書いていて真っ先に思う事。「どうやら自分には長編ギャグは不可能だろ」な事です。
中途半端なシリアスでもギャグでもない話になっているのはひとえに自分の実力不足以外の何物でもなく。はあ。
書いているこちらは楽しいのですが、完全に独りよがりになってます。重ねてごめんなさい。

さて、この一年で書き方も大分変わってきたので今読み返してみると結構違和感を覚える文章が結構見られます。
むしろ注意して書いても説明が多いと指摘されるのに、これはフリーダムに書いているために更に説明文っぽくなっている辺りどうしようもなし。
今度は文章を統一させるため、初めからそれを心がけて書いてみたいものです。

では、次の話でお会いいたしましょう。
  2007年10月5日


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