王道・橙子さんの場合

第13話


   /橙子

「――粛」
「――疾!」

荒耶が腕を前に突き出したのと織が飛び出したのは全く同時。
荒耶が言葉を発したのと織が呼吸をとったのも全く同時。 荒耶が開いていた手を握り締めたのと織が刀を振るったのも全く同時。

その事実には驚くしかなかった。
いくら戦乱の世でない今でも魔術師の中にも戦闘に特化した者はいるし、代行者と呼ばれる協会の者たちもいる。
当然彼らの目的は人外の存在だろうと、敵であるならば始末する事にある。10メートルであろうとも一足一刀の間なのだろう。

が、目の前の織は荒耶のほんのわずかな行動の間に数メートルの間合いを零にし、かつ攻撃を加えたのだ。
確かに両儀の家では剣術も教えているとは聞いていたが、式の戦闘スタイルを見る限りでは技術のみでも荒耶には及ばないはずだった。
誰もが誤解していたのかもしれない。
直死の魔眼やら「」に繋がる肉体やら殺人衝動やら、そんなご大層なものに覆い隠されていて見抜けなかった。

両儀式は、間違いなく武芸者だ。

日本刀は叩き切るのには向いていない。もちろん突く事にも他の剣と比べると向いていない。
日本刀はただひたすら斬る事に特化したものだ。力に頼ったものじゃなくて卓越した技術が必要だ。
そして真の技術があるならば、例え式のように力がなくても十分すぎるほどの威力を持つ。

以前荒耶に対して少女の腕力しか持っていないと表現したけれど、アレは少し違う。
両儀でどんな訓練を受けてきたのかは知らないが、彼女の体は刀を振るう事に特化している。
無駄に力を含めず、ただひたすらに心技体全てをバランスよく伸ばすように。

その熟練された動きで振るわれる350年もの年月を持つ刀の一撃は、十分に荒耶の結界を破壊するだけの威力ないし神秘をともなっている。
まるでガラス細工を取り落とすようにして荒耶の一番外側の結界、蛇蝎を破壊していた。

それだけではなかった。
織は真っ直ぐ荒耶に向かっていたにも拘らず、急激な変化を見せた。
荒耶が突き出したのは仏舎利が埋め込まれていない右腕。織は左に飛びながら結界を切り裂いたのだ。
まるで荒耶が握りつぶす空間をあらかじめ把握していたように、だ。

剣道には先々の先という言葉がある。ようは相手の先に先んじて攻撃を行うもので、相手が行動する前に機会を制するものだ。
相手と同時に行動して先を取るのが対の先、逆に相手に行動させてその隙をついて勝つのを後の先という。
剣術が剣道となった今においても機先を制する事はとてつもなく重要な事だ。

荒耶や式ほどの実力者ならばその読み合いが不可欠になるかと思っていたが、一体これは何だ?
経験や才能による感での先を読む、なんて話じゃない。式の読みはもはや未来予知の領域だ。
まさか、現代においてこれほどの事ができるなんて。

「『両儀』はどれほどの所なんだ……」
なまじ日常とはかけ離れた生活を送る魔術師だからこそ、その異質さには驚かされるばかりだ。
そして、同時にとても恐ろしい。

だが荒耶とて生半可な魔術師ではない。
死徒どもを除くなら静止の起源を持ち、長くを生きる荒耶の経験値は誰よりも勝っている。
先を読むのなら荒耶だって優れている。

右手を突き出した状態で自身の右側に回りこまれても荒耶は焦らない。
更に織が追撃をしようとする所を狙い、身体を急激にひねりつつ織がいる空間を把握する。
早い。荒耶の一連の動作もさる事ながら、織もまた攻撃態勢に入っている。
その間、一秒に満たない。

荒耶の動き、あれは間違いなく蛇蝎を捨てた動きだな。
そして金剛への追撃に移る所を捉えた上で勝負を決しようとしていたのだろう。
事実、織の俊敏な動きにも関わらず、荒耶は彼女を捕らえていた。

「しゅ――」
「凶れ」

荒耶の怒声が部屋に響き渡って、全てを握りつぶす魔の腕を突き出すはずだった。
腕を突き出して、叫び、握り締める瞬間に勝利を手に掴む動作は熟練されていて疾い。
でもそれに相手に気づく動作が加われば、いくらあいつでも、始めからやる気で相手を見て捻る行動より遅いのは当たり前だった。

「ぬうっ!」
これは事実上1対3の戦いであり、荒耶は両儀織と同時に浅上藤乃と黒桐鮮花の存在を忘れてはならないのだ。
ナイフの両儀織ならこの程度の人数差なぞ一蹴してしまうだろう。
だが、織ほどの達人を相手にしながら他の事に意識を割く事は自殺行為に等しいはずだ。

荒耶の体が揺らめき、その場から黒い外套ごと蜃気楼のように消え去っていく。
歪曲の力が及ぶ前に空間転移に踏み切ったか。
いかに荒耶の神殿の内部だって暗示は必要だ。コンマ一秒の暗示であっても、今の織には十分。
その結果、荒耶の結界の第二陣が砕け散った。

「――やはりその眼は危険だ。早々に潰させてもらう」
もちろん荒耶にこんな御託をのたまっている暇などありはしない。
刹那の時がとても重要な場面で口上の出番など当然ない。
例え彼が空間転移で藤乃の後ろに回りこんだとしても、だ。
単純に私が彼の眼からその意思をはっきりと感じ取っただけだ。

魔術を一切使わない正拳突き。
ストレートでもないジャブ程度のものだが最も早い攻撃で、十分に藤乃の頭を粉砕する威力を持っている。
空間転移の直後に行う奇襲攻撃。黒桐は論外として、藤乃と鮮花は対処するどころか反応すら当然できていないはずだ。
攻撃に優れているが戦闘能力が皆無の藤乃を先に潰しにかかったか。

だが――、荒耶は攻撃を中断しざるを得なかった。
たった一本のコンバットナイフによって。

いつそれを準備したのかとか、どうやって悟ったのかはこの際どうでもいい。
重要なのは、織が第二陣の結界を破壊する時には片手うちだった事だ。
空間転移間際、つまり結界が荒耶の出現先と出現前とで神秘が分散させられる所を狙っての攻撃だったから片手うちでも十分破壊できるが……。

もう一本の手でナイフを放っていたとは。

荒耶の結界は境界線では絶大な威力を発揮するが、多分内側には効果はないはず。
もしそうなら結界ではなく領域と表現するはずだからな。
荒耶の移動先に結界が現れた時、既にナイフが結界の内側にあった事になる。

荒耶の出現場所を予知していたとしか思えない行動。
それでも想定の範囲だったのか、荒耶は左手でそれを簡単に弾く。
まあ、直死でもないただの投擲が荒耶に効くはずないんだが、な。

無論織だってそれは分かっているはずだ。
多分、彼女が欲しかったのは防御か回避に使用したひと時。
織は6メートルほどの距離を一気に零にすべく疾走する。

流れる体。いかに荒耶の周りにまだ不倶があっても、藤乃の頭をぶち抜いている間に織の攻撃は襲いかかるだろう。
荒耶はそれでも攻撃の手を緩めない。多分左手で防御でもするつもりなんだろう。
藤乃の事を思う暇すらありはしない一瞬の出来事。
なのに――、

「FoLLte――!」

鮮花は思わず感嘆の声を漏らしたくなるほどのタイミングで魔術を構成した。
その構成、世界への働き、カタチ。この世界に来る前と比べてもレベルアップが認められる。
その理由はおおよその見当はつく。つくのだが……、

「鮮花、なんて無茶苦茶な……」
あろう事か鮮花は背面全てを対象に魔術をぶっ放したのだ。
あの速度、間違いなくあらかじめ暗示をかけていたな。

何しろ藤乃の能力は大橋すらねじ曲げるほどだ。人間なんぞ雑巾以下に過ぎない。
その一方で藤乃に戦闘能力がないのは明白。不意をつけばあっという間に片がつく。
式との距離を出来る限り離す事を考えるなら目の前に出現するより背後に回る方がいいから、この行為は予測できる。
だから荒耶が空間転移をした瞬間に術を発動させれば、相手は既に網にかかっていると言うわけか。
誰の入れ知恵か知らんが、随分と優れた戦術だ。

いかに荒耶でもその魔術は無視できるほどの規模じゃなかったようで、奴は後退を選択した。
たった一回の跳躍で数メートルは飛び退くが、たった一足で数メートルを超えてくる織より遥かに遅い。
二足一刀、織が刀を振るうと最後の結界が切断された。

また一歩織は踏み込んで、荒耶を間合い内におさめる。
振るわれる一閃はまるで死神が振り下ろす鎌のようで、だが禍々しさは一切ない流星のようだった。

「――蛇蝎……!」
黒い魔術師の声が響く。
仏舎利を埋め込んだ左手が両儀織の刀を防ぎ、同時に荒耶は一歩踏み出すことで刀の間合いから拳の間合いに縮めていた。
いかに両儀織が剣の達人でも、この間合いでは荒耶の敵ではない。

「な……っ!」
私は思わず立ち上がってしまっていた。
それだけその光景には驚愕させられた。

荒耶は魔術を構成する暇も惜しいのか、右ストレートを放つ。
何気にえげつないのは織の重心を的確に捉えた攻撃を行った点。
両手を刀に添えている織に対処するすべはない――はずだった。

「合気柔術……だと……!?」
その瞬間、織は荒耶の攻撃をそらした。
流れるような身体さばきで、まるで身体の全てを一度に動かしたみたいにすばやい動きで。
さすがに達人技とまでは言わない。それでも不意をつくには十分すぎた。

結果、渾身の一撃をそらされた荒耶は刀での攻撃を防御していたのも祟ってか、重心をずらされて体勢を崩した。
これでナイフでもあれば攻撃を加えられたんだろうが、織はそのまま一歩退いて再び飛びだす。
再び襲いかかる死神に対処しようとした荒耶だったが、

「凶れ」

藤乃の両目が荒耶を捉える。
周りに障害物なし、藤乃と荒耶の距離は数メートル、部屋の照明は完璧。どう考えても逃れるすべはない。
案の定荒耶は逃げの一手をうつしかなかった。

「やはりこうしざるをえまいか……!」
荒耶の出現位置は私の傍ら、つまり織から十数メートルは離れた位置だ。
彼は腕を突き出して、前方の全てを掴み取れるほど大きく手を広げる。

空間転移から休む間のない動作には無駄が一切なく、動き出していた織は未だに距離を半分程度にしか縮められていない。
後ろにいた荒耶を見ていた藤乃は当たり前、鮮花もまた荒耶に視線が追いついてない。
前方の世界全てを圧縮しようと、荒耶は手のひらを握り締めた。

「金剛訳・粛!」

荒耶の前にある世界が内へ内へと圧縮されていく。
織ばかりでなく、目の前にいる五人全てを巻き込むほど強力な大魔術。
どうしようもないほど無情な一撃だったが、

轟、という振動音は、
斬、と言う刃音で両断された。

声もなく、目の前の現実を荒耶は受け入れるしかないだろう。
それは私も呆気に取られるほどの手際だった。
もはや脱帽するしかないほど、見事な。

「……やっぱり、ぜんぜん嬉しくない」

目の前の絶対的な死神が口を開く。
彼女は手に持った凶器を振るい、静かに私たちを見据える。

「ただ、やっぱおまえが『有る』のは我慢できない」

ただそこに在るだけで冷酷な殺気が私たちの全身を貫く。
……まずい。正直意識していないとあっという間に飲まれそうだ。気をしっかり持たないと。
だが目の前の様子には歯噛みするしかない。

「――有り得ん」
荒耶も眼前の光景にはその一言を投げかけるのが精一杯な様子だった。
その言葉に私は返事も出来ない。

正真正銘の殺人鬼……いや、剣豪がそこにはいた。
両儀式と言う名の剣豪が。


「解せぬ――いかにして破った、両儀式」
荒耶は苦悩に満ちた表情のままその言葉を口にする。
多分それは自問自答を促す独り言にすぎないんだろう。だがきっと荒耶が結論にたどりつく事はない。

いつの間にか拘束具が外れた理由は簡単だ。
鮮花が魔術を使った時に藤乃が捻じ切り、織と藤乃が攻撃を仕掛けている隙に鮮花が焼ききり、拘束をある程度除去しただけだ。
後は誰かが刃物を渡して直死で全ての拘束を殺すだけだった。
その前に荒耶は全体攻撃を行おうとした。前方全てを圧縮しつくすその攻撃は誰にも対処が出来ない、はずだった。

事実は違った。
まず織が閃光とも思える速さで拘束具を全て切断、この時点で式は自由になった。 そして、空手だった式の手にはいつの間にか刀が握られていた。

問題はそれが織の手に持っていた日本刀ではなく、以前目にした九字兼定の一本だったからだ。
後に聞いた話では荒耶との戦いで折られたと聞く。
それが突如として両儀式の手元に出現したのだ。

結果的に大魔術は直死で両断されたが、荒耶は大魔術よりどうして日本刀が出現したのかで混乱しているに違いない。
一方でそれを出現させた式はただ首を振るだけで返答を示す。
彼女の目は主張している。現れたから使っただけだ、と。

「蒼崎、おまえの仕業か」
「冗談、そんな芸当が私にできるはずがないだろう。ただあえて言うならば……」
おまえの仕業だ、荒耶にそう言ってやった。

「笑止、私が両儀式に日本刀を与えたと言うのか」
「ああそうだ。それが唯一つの事実で、そうなってしまった時点でおまえに勝ち目はないよ」
荒耶の目に憤怒の炎が宿るが、無論私の知った事ではない。
だがこのまま自己満足していると余計な事になりそうなので、簡単に説明ぐらいはするか。

「いいか荒耶、ここはおまえの神殿である前に『祟り』の固有結界内なのは分かっているな。
 元々の固有結界は人々の噂や人間が最も恐れるイメージを操り、流布させる事で、
 局地的に増大・収束させて最終的に一つの明確な決まりごとにまで育て上げるシステムだ。
 そしてその能力と夢魔の能力を掛け合わせた時、それは悪夢の具現化に様変わりした」
私は静かに式を指差す。

「分かるか? 式のあの姿はおまえがいだく悪夢の表れなんだよ……!」
少し誇張したかもしれないが、大筋には合っている筈だ。
荒耶宗蓮は日本刀を装備した両儀式の事を頭のどこかで考えた。その結果その姿に両儀式はなった。
それだけの話だ。それ以上でもそれ以下でもない。

「ああ。ついでに言っておくが、この遺跡ごと潰そうだなんて考えない方がいいぞ。
 式がああなってしまったが最後、神殿どころか固有結界すら一刀両断しかねないからな。そうなれば悪夢であるおまえは消えるしかない」
私の言葉に荒耶は何も言い返すことはできない。
ただ彼は式を視界に納めるだけだった。

織の強さがあれほどだったんだ。直死の魔眼を所有する式を相手にして荒耶が無事に済むとはとても思えない。
一対一でも滅ぼされたのに、織たちもまだ健在。
更に式と織のコンビネーションは多分私の想像を絶するものなのだろう。単純に二人を敵に回すだけじゃない。
勝敗は目も当てられないほど明らかだった。

「なんという無様な。しかしおまえ達のような未熟者に、荒耶宗蓮は破れない」
それでもこの黒い魔術師は退く事はない。
彼は荒耶宗蓮という存在である限り、ずっと進み続ける。
それが果てしなく遠い道のりだったとしても、な。

式が無言で進み出る。織もわずかに微笑を浮かべて一歩前に出た。
構えは織と同じで正眼。同一人物のはずなのに若干雰囲気の違いが見られるのは年月の違いだろうか。
だがそれもほんのわずかな違いで、他人から見れば双子とは比べ物にならないほど動きが同じである。
正にシンクロ。彼女達だったらダンス訓練なしでイスラフェル倒すんだろうなーなんて莫迦な考えも頭に浮かんでくる。

そして二人の両儀式は飛び出した。
私から見て左が織、右が式。仏舎利のある左で式の攻撃を防御させないためなのか、特に意味はないのか。

荒耶はすばやく片手をあげながら後方に飛び退いた。
途端に荒耶の周りに再び三重の結界が出現して荒耶を守ろうとする。
そしてわずかに出来た隙に割り込む形で、魔術を解き放つ。

「――粛!」
「疾!」

荒耶が圧縮しようとした空間は織の方だったのに式の一振りで無効化されてしまう。
更にそれだけに留まらない。なんと返す刀で荒耶の結界まで切り裂いてしまった。
一振りで2つの結界が掻き消え、織の一振りで最後の結界が破壊される。
ほんの瞬き一つにも満たないほどの出来事。その間に神業じみたユニゾンアタックをやってのけたのだ。

しかもこの二人、留まる事を知らない。
壁を蹴って距離を離そうとした荒耶に一瞬で追いつこうとしている。
やっぱりこれも身体能力じゃなく、未来予知に限りなく近い機先の読みを行っているからこそだ。
神秘と言うもので武装をした荒耶にはもはやこの二人を倒す事はできない。

「おのれ、ならば――」
荒耶の身体が空中でおぼろげになっていき、再び空間転移が行使された。
二人の両儀式は当然のように彼の出現位置を予知しているように行動を開始していた。
向かう先は……壁?

荒耶宗蓮は天井付近にいた。
エジプトにある通常の神殿や遺跡に比べてここの間はとても広く設計してある。
更に、天井はかなりの高さになっていて、十メートル以上になっている。
その場所にいる、つまり両儀式では物理的に届かない位置にいる事になる。

対する二人の式は恐ろしいほど器用な事に、壁の装飾を利用して垂直に駆け上がっていく。
あれじゃあ平面を疾走している時とそう大差ないほどだ。
でも、最高地点から飛びかかったとしても式たちの跳躍力では荒耶には届かないと思うんだが。

荒耶もそれが分かっているようで、空間転移から間を全くおかずに動作を開始する。
対象に向けて腕を突き出して、拳を握り締める。これだけで終了の動作だ。
当然彼は最大の障害を二人の式としていて、両腕を双方に向ける。

「秘紋・夜摩無間禄」

魔術師の声が響いた。
彼の手は握り潰すものではなく、まるで一区間をわしづかみにするものだった。
当然私の見た事のない技術で、どうやら式も目にした事のない技術のようだった。

――魔術師に呼応して、二人の両儀式の空間が縫い取られた。

「なっ!」
私は思わず驚愕の声をあげてしまった。しかも同時に立ち上がりもした。
それだけ目の前の光景には驚かされていたからだ。

あれは王顕のように対象だけの動きを止めるなんて代物じゃない。
神代の魔術師しか成し遂げられない神殿の構築。もはや魔法の領域にある空間遮断に空間転移。
これだけでも十分に全魔術師でもトップクラスだというのに、まさか空間固定までやってのけるとは。
文字通り定めた空間座標上の全存在を固定するものだが、式にとってやっかいなのはさっきみたいに肉体的な固定な事だ。
魔術を構成する死を視る事ができても腕が動かせないのだから殺す事はできない。

「言った筈、おまえ達は未熟者だと。そう、おまえ達に決定的に欠けているのは経験、才能だけでは埋められぬ差だ。
 故に、荒耶宗蓮が両儀式に敗北する事はありえない」
それは混じりけが一切ない彼の本心なのだろう。
荒耶は天井に足をつけて二人の両儀式に止めを与えようとする。

「SforZando――!」

不意に力ある言葉が聞こえてこなければ、間違いなく両儀式を倒せていただろう。
その瞬間、荒耶が天井に足をつけた瞬間に大気が振動して、勢いよく燃え上がった。

視線を移せば腕を荒耶の方へと突き出した鮮花が目に映る。
荒耶や式達に視線が釘付けになっていたから全く気づかなかったが、どうやら大魔術の暗示を行っていたらしい。
いや、でも正直荒耶と二人の両儀式の動きに鮮花が追いつけるとは思えない。

だとしたら、鮮花は荒耶があそこに空間転移するだろうと予測していたのか?

有り得ない話ではない。荒耶が式達に苦戦するなら彼女達の攻撃が届かない範囲まで退却して、遠距離攻撃に移るとは予測できるはずだ。
ようはさっきとほとんど同じ行為をまた行っただけ。荒耶が空間転移した瞬間に網を引っ張っただけ。
別にここは驚くべき点ではない。

だけど物質界に働きかける構成、魔術の組み立てと効果。やっぱり鮮花はレベルアップしている。
しかもこの構成、どこかで見た事があると思ったら、

「コルネリウス・アルバの魔術構成……?」
あいつ、未熟ながらアイツの構成を模倣しているっていうのか?

私のルーンの中にもソウェルという燃やすためのものが存在するけれど、攻撃には非常に向いていない。
燃やす事に特化した鮮花の手本としては私よりむしろアルバの方が向いていたかもしれない。
……だとしても、数日という短期間だけで随分と構成力が上がったものだ。
さすがに一流魔術師の業にはまだまだだが、十分に及第点だ。

思わず私は関心の声を上げる。
炎は瞬く間に荒耶の近辺に襲い掛かり、天井を構成する岩盤が融解していく。
さながらバターのようになっていき、荒耶にも降り注いでいく。
もちろん荒耶自身に燃焼の効果が及ぶのには刹那の時も必要ないだろう。

「胎蔵訳・転――!」
それでも荒耶は魔術師である。
粛の言葉だけで行われる空間圧縮では不十分だと思ったのか、荒耶は足を振るって背後の空間を捻じ曲げた。
空間遮断。奴は背後の空間全てを切り取って隔離し、無限の空間に追放したのだろう。

だが、それがまずかった。
多分空間圧縮を使わなかったのは二人の両儀式を固定する行為で両腕を使っているためのはずだ。
それでも一瞬でも式から意識をそらしたのは致命的だった。

そのコンマ一秒にも満たないタイミングで、式はほんのわずかだけしか動かないにも関わらずに空間固定を行う魔術を殺した。

直後には織の空間すら殺し、再び二人は自由になる。
そして、勢いよく荒耶へと飛び込んでいった。

「――王顕」
織に及ぼそうとした魔術は直前に式に殺される。

「――粛……!」
今度は式に向けられた魔術を彼女は体勢も崩さずに両断する。

それでも二人の両儀式が荒耶宗蓮に届きはしない。
いくら卓越した武芸者だったとしても、そう人外の動きが出来るはずがない。
それこそ天井すら床として使うような技術でもない限り。

「……うそ」
そんな風に思っていた私が愚かだった。

二人の両儀式は互いに顔どころか目もあわせない、無論声もかけあわない。
それなのに、二人は以心伝心が出来ているかのように行動を行っていたのだ。
荒耶へと向かっていく飛び込み、織の方がなぜかやや下の方に行っていたのを見て取れてはいたが……。

次の瞬間式は織の肩を蹴り、更に加速を行ったのだ。
確かに織を原点として相対座標で考えれば式は更なる加速が可能なのは分かる。
それを実戦の場で何の相談もなしに行えるものか?

織が落ちていく代わりに式は荒耶へと襲いかかる。
そして振るわれる一刀。

「両儀――式」

瞬間、彼の体が式の刀で切り裂かれた。


   /幹也

「貴――様」
崩れ落ちていく魔術師の身体。可憐に舞う式と猫のように柔軟に着地する織。

――終わった。
さすがにこの人でも胴を両断されて生きてはいられないだろう。
これでようやく……。

魔術師は床に叩きつけられて、切断面から夥しい血が流れ出る。
それはさながら大雨の時の水溜り。天井まで見えそうなほどに色は鮮やかだった。
橙子さんはそんな彼に冷ややかな目線しか送らない。

「また出直しか荒耶。……やはり、別の機会を得ても結果は変わらないものなのかな」
「断じて否だ。ガイアであろうとアラヤであろうと立ちはだかる抑止は千差万別、同じ時が再来するなど有り得ん。
 故に、全く同じ状況を作り出した所で状況が一変する事も当然有り得る」
橙子さんの言葉は黒い魔術師に諭すのではなくて、まるで自分に言い聞かせるみたいだった。
それを彼は完全に否定する。こっちからだと彼の目は見えないけれど、半分にされた背中が全てを物語ってる。

「大乗仏教用語、阿頼耶識。
 人間存在の根本たる識……おまえがその姓を持って生まれたという矛盾がある限り、おまえがアラヤを相手にしてうまくいくはずがないだろう」
「それでも私が荒耶宗蓮である限り、止まる事はない」
そうか、と会話を切って橙子さんは瞳を閉じた。

魔術師の下半身が音をたてて崩れていく。服もなかったように消えていく。夢幻のように。
その間、荒耶宗蓮と蒼崎橙子の間に会話は一切ない。
既にお互いに言いたい事は言い尽くしたのか、それとも言う必要が全くないのか。

「じゃあな、荒耶宗蓮」
「さらばだ、蒼崎橙子」
橙子さんは彼に皮肉げに笑いを浮かべ、魔術師は微動だにせずに呟く。

そうして、荒耶宗蓮は初めからいなかったように消滅した。


「最も、私も橙子の名を持って生まれたという矛盾がある限り、届かないのだろうな……」
橙子さんは天井を見上げて、哀しげに言葉をつむいだ。
そしてまるで黙祷するように目を瞑り、しばらくじっとする。

「……ふう」
そんな緊張を解いたのは織が息を吐く動作だった。

織は刀を一振りすると、まるで剣指南役の人が行う演舞のように刀を橙子さんに向けて構えなおす。
でも織が持つ日本刀みたいに研ぎ澄まされている感じじゃなくて、あくまで残心みたいだった。
研ぎ澄まされた空気がにわかに穏やかになっていく。

それで僕も極度の緊張から解放された。
色々と考える事があったかもしれないけれど、そんな事は頭から綺麗さっぱり消えていた。
僕には、たった一つの事柄しか考えられなかった。

「……よかった」
僕はたった一つの見える存在に向かって駆け寄っていく。

誰かが何かを言っているみたいだったけれど、何も聞こえない。
ただ僕は今ある現実が嬉しくて、それだけしか頭にない。
だから今の状況なんて全く考えないで行動に移ってた。

「式!」
「え? 幹也――?」
僕は人の目を全く気にする事なしに彼女を抱きしめた。

「兄さ……あっ、あーっ!」
「先輩……」
「ほう……!」
「……はあ」
この場にいる全員が何かしらの反応を見せているようだけど、やっぱり意識にない。
ただ僕の腕の中にいる式をこれからずっと手放したくなくて、ずっとこうしていたくて。

式は何かを僕に言いたかったようだけれども、織が視線だけを向けて何かを促して、彼女もまた緊張を解いた。
刀を落とす音が聞こえて、僕の体に彼女の細い腕が回る。
でも、温かさを感じる。

「生きていて、本当によかった」
「……そっちこそ」
抱きしめてる僕にはやっぱり式の顔が見えない。
この上なく式の顔が見たいけれども、彼女を放したくもない。
なんて贅沢な矛盾だ。自分でも苦笑してしまう。

この状況に一切の言葉は要らなかった。
式の鼓動、式のぬくもり、式の全てが伝わってくるようで。
どんな言葉でもこの状況を汚すようで、ただ延々とこの瞬間を味わいたくて――。

やっぱり僕は実感できる。
僕が黒桐幹也である限り――いや、黒桐幹也でなくなってもずっと式にいかれっぱなしなんだな……と。

「式。君を一生――はなさない」

「ああもう、いい加減にしてくださいっ!」
「そ、そうですよ。こ、こんな事をいている場合じゃあ……」
そんな一幕が終わるとしたら橙子さんのにやつきながらの一言なんじゃないかと心の片隅によぎったけれど、意外にもそれは鮮花達の行為だった。
まるで一刻も早く僕らを引き裂くような勢いで僕らを離す。

「鮮花、一体何をするん――」
「何をしているんだはこっちの台詞です。まだ橙子さんという敵が残っているんですよ。状況を見て自重してください」
鮮花はあくまで冷静に言っているつもりだろうけど、何故か表情は般若を連想させる。
例えるなら恋愛映画で最高に盛り上がるシーンに憤慨する女性、みたいな。
でも何でそれを僕が受けるのかは見当もつかないんだけれど。

「えっと、藤乃ちゃんも同じ理由?」
「え――えーと……はいっ。油断はいけないと思います」
こくこくうなづく藤乃ちゃんだったけれども、どこか違和感を感じる。
どこかでボタンを掛け違えているのか、それとも僕の勘違いか。

式は顔を食べごろのりんごみたいに真っ赤にして視線をそらしている。
声をかけようと思って手を伸ばすけれど……何故かこういうときに限って何も思い浮かばないんだよね。
式は赤面をごまかすみたいに柄に手をかけた。

一方、織はあくまで橙子さんと対峙する姿勢を崩さないけれど、顔を若干こっちに向けて笑みを浮かべていた。
僕達の一連の出来事を見ていて微笑ましくしている――と思ったけれど、よく観察するとどうも違う。
なぜか織の表情は悲しく儚げで、それでいてどこか嬉しそうだった。

なんだろう、この違和感がある表情は。
どこか、何か大切なものを見失っていて、気づかなければそれを永遠に無くして――亡くしてしまう気がしてならない。
……なんなんだ、分からない……。

「最高、としか言いようはないな。BGMがないのは実に残念でならない」
橙子さんは肩をすくめて、いかにも惜しい事をした、みたいなしぐさをする。
鮮花はそんな橙子さんを鬼みたいな形相で睨みつける。

「橙子さん、こんな三流脚本による三流芝居はもうおしまいです。覚悟なさってください」
「怖いよ鮮花。それに三流脚本って……もっと穏やかに話をだなぁ――」
「よくもそういけしゃあしゃあと……!」
橙子さんは苦笑いを浮かべながら一歩退いた。どうやら言葉ものみ込んでしまったようだ。
正直僕らも思わず一歩退いていた。

「正直、怒りを抑えるだけで精一杯な気分なんです。余計な言葉は聞きたくありません」
「私の発言に余計な言葉など何一つないよ。それを相手がどのように余計かどうかを判断するかは蚊帳の外だがね。それにしても――」
「もはや最大の敵、荒耶宗蓮は倒れました。戦闘には詳しくないわたしにも貴女が式に敵うとはとても思えません。
 なら、覚悟なさった方がいいのでは?」
橙子さんの発言を一方的に打ち切る鮮花の言葉は南極も真っ青なほどとてつもなく冷たい。
あいにく僕には原因が思い当たらないんだけれど。

「覚悟? あいにくそんなものとっくに出来ているよ。魔術師は常に最悪のケースだって考えて、それに対する保険をかけておくものだ。
 この場合、確かに両儀式の実力が私の想像より遥かに上に言っていた事は認めよう」
橙子さんはくく、と笑いながら口元に手を当てる。
それが癪だったのか、鮮花は手をわなわなと震わせて静かに激昂した。

「もうたくさん……! 早くわたし達を元の世界に戻してください。もう貴女がやりたい事は全てやりつくしたんでしょう。
 こうしてラスボスを倒したんですから、とっととエンディングにでも――」
「荒耶宗蓮がラスボスだと、誰が言った?」
面白おかしいように笑っていた橙子さんの表情は一見すると全く変わらない。
なのに、なぜ雰囲気が一変したと思ってしまったんだろうか。

「まだ目の前には蒼崎橙子という、この世界を構築した魔術師がいるだろうに」
笑みは嘲笑に、瞳は冷酷に、物腰は僕が最も接している橙子さんから魔術師蒼崎橙子のものに変わっていた。
冷たい、玲瓏すぎる美貌のまま。

「確かに想定の範囲外だったことは認めよう。そして、同時にゴドーワードが私事に奔るとは思わなかった。
 おかげでアルバの始末に使った作品を向こうに回してしまった。
 こうなってしまった以上、式か織のどちらかにそいつの相手をしてもらいたかったんだが、止むをえまい」
「じゃあおまえがラスボスだって言うのか、トーコ」
端然と構える織に笑いかけて、橙子さんは腕を上げた。
それを合図に周りから何かの音が聞こえてくる。

「まさか。アドベンチャーで某SF大河のように人間対人間をやってどうする。まあ荒耶はその点申し分ないが、何せ再生怪人っぽいからな。
 アドベンチャーはファンタジーのように化け物と戦ってなんぼだろう。ただ、使う武器が剣や魔法と銃火器の違いこそあるがな」
それは次第に大きくなっていき、岩と岩がずれる音だと分かった。
と同時に僕達の前に降り立ったのは、博物館で橙子さんが使ってた四人の女神達だった。
僕達は一度見たから驚かないけれど、初見の――特に鮮花は目を見開いている。

「確かに想定の範囲外だった、だが許容範囲内ではある」
絶対の自信を込めて言い放った橙子さんの発言に鮮花は若干呆れる。

「許容範囲内って……橙子さん、あの式達を見てなかったんですか?
 素人目ですけれど、あんな動きが出来るほどの存在が果たしているかどうか……」
「いるよ。存在そのもので見れば式を超える存在はいないだろうが、その実力だけを考えるならまだまだ両の手では足りないほど上がいる」
鮮花の指摘をあっさりと否定した橙子さんの発言は、真偽はともかくさも当然のごとく言っているようで、説得力があった。

あの式達の上を行く――僕には考えられない世界だった。
彼女の剣の舞はそれこそ日本武道館で行われる剣道の全国大会とは比べ物にならないほど研ぎ澄まされていて、美しかった。
それはさながら芸術を鑑賞しているみたいでもあった。
加えて式と織は息を完璧に合わせていたようだったし、式は死を斬る事ができる。

……やっぱり考えられない。
でもそんな事は橙子さんは承知の上でなおもその発言をするんだから、世界はどれだけ広いんだろう。
できればそこまでの世界に式を関わらせたくはないんだけど。

「今回の作品はその中の一人、私の宿敵を完膚なきまでに打ちのめし、しかる後に永久に葬り去る事ができるだけのスペックで製作したつもりだ。
 それをもって今回はおまえ達の相手をしようじゃないか」
すると、四人の女神達は互いに手を組んでいき、中心に誰もおかずに輪を作った。
凄まじく嫌な予感がよぎる。

「今こそ見せてやる。おまえ達の希望を完膚なきまでに粉砕してやろうじゃないか!」
橙子さんの悪女のような高笑いと共に、突然四人の女神達が変形していく。
機械仕掛けじゃないからその仕掛けはあまりに生々しい……かと思ったら別にそうでもなかった。
と言うより、女神達から光の柱が立っていて、うまくごまかしている感じだ?

「アドベンチャーは子供だって見るんだ。南極に落ちた物体と戦うんじゃああるまいし、グロテスクになんかできるか」
さりげなく雰囲気をいつもに戻して解説しないで下さい、橙子さん。
まあ僕もその意見には同意だけど。

そうして姿が明確になっていくにつれ、この場の誰もが驚くしかない。
呆れるしかなかった。こんなものまで創ってしまう橙子さんに。
畏怖するしかなかった。あまりにもその存在がすごすぎて。
背筋を凍らすしかなかった。荒耶とは別の意味で、これは怖ろしかった。

「神獣セクメト、降・臨!」

光が消え、目の前に一体の雌ライオンが存在していた。
もちろん動物園で見るようなものじゃない。
何ていうか、神々しく、禍々しい。

「知っているだろう、セクメトはラーが人類抹殺ように創り出した女神で、彼女の一件で最高神ラーが失脚したほどだ。
 これがこの物語のラスボス、おまえたちが倒すべき存在だ!」
橙子さんはとても面白そうに、そしてわくわくしているようにセクメトと呼ばれた獣に檄を飛ばした。

「幹也、下がっててくれ」
「ああ、こいつは――やばい」
式と織の顔にはもう柔らかさはどこにもなく、ただあるのは目の前の存在を倒そうとする強い意志のみ。

「――兄さん」
「先輩……」
「――さっきの二人を見ただろ。式達がそう簡単にやられるとは思えない。隙を見て彼女達を援護してくれないか」
こういうとき、何もできないのは正直歯がゆいとしか言いようがない。

いや、僕には僕にしか出来ない事だってあるはずだ。
考えろ。どうやったらこの事態を終了させる事が出来るか。全員無事に切り抜けられるか。
そう、それがこの夢以外では存在しない織であっても、それが彼女との別れでも……。

「さあ、ラストバトルだ!」
最後の戦いが、始まる。



to be continued……


第14話に続く

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 連続更新。このまま突っ切る!
ついに荒耶宗蓮退場。随分と時間がかかってしまいましたし、その間進歩がイマイチなのはもはや棚上げするしかありません。
それでも今の自分には概ね満足がいくようになってやや嬉しいです。

ラスボスは元々ハムナプトラ2みたいに巨大蠍にしようかなーとでも考えていましたが、四人の女神でセルケト使ってるじゃないですか。
必死に考えた結果セクメトに決定。大筋以外はわりといい加(強制終了)。
この戦いの結果を皆様がどのように受け取るのかものすごく心配ですが、何とか書ききろうかと思います。

予想では後二話で終了の予定。
このままなら9月中で終わらせる事ができるかもしれません、できたらいいなぁ。
それでは次の舞台で。

  2007年9月16日


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