/幹也
日は既に傾きかけている。
それでも日本みたいに夕焼けじゃなくて、空はまるで青色を更に塗り重ねたみたいに濃くなってる。
太陽があるあたりだけが橙色に輝いてて、たった数分前に見た時よりも太陽が沈んでいる。
そう言えば清少納言の「春は曙」とかの言葉をアメリカの人たちが理解できないって聞いた事がある。
明確な季節の移り変わりがない気候の土地では春夏秋冬を感じてもらう事が難しいらしい。
まさか日本とエジプトだとこんなに夕焼けの様子が違うなんて知らなかった。
こんなさりげない所まで橙子さんは世界を再現していたなんて、つくづくすごいとしか言いようがない。
車を走らせてからしばらく経つ。
その間僕らには一切の会話もなく、軍用の車はまるで葬式みたいに静まり返ってる。
……いや、実質葬式に近いかもしれない。
周りに見える景色は依然変わりない。見渡す限り一方には大河が、他は全て黄金の砂が支配する世界だ。
この時間にもなればある程度は気温が下がってきていて過ごしやすい。
日本みたいに蒸し暑いんじゃなくて、から暑いからこそこの気温でも涼しく感じるのかな。
確かこの旅の始めに遺跡に向かった時はせいぜい二時間ぐらいで辿り着いたから、まだまだ先か。
……この調子だと辿り着く頃には日は沈んでいて、すんでのところで式を助けられない……。
「くそっ、僕は一体何を考えてるんだ……!」
一瞬でも悲観的な考えが思い浮かんだ情けない自分を叱咤しながら、僕はハンドルに頭をぶつけた。
思いっきりやったから痛みが大分あるけれど、それが僕から焦りを少しだけ取り除いた気がする。
「兄さん……砂漠の中だからいいとしても、その調子ですと免停確実ですよ」
なんて鮮花の言葉が聞こえるけれど、多分気のせいだろう。
「なあ鮮花、浅上」
ふと、助手席であさっての方向を見ていた織が視線をそのままに声を発した。
「何よ」
「そんなつっけんどんに言わなくたっていいだろ。別に茶化すために声をかけたんじゃないんだから」
織の声はいつもの調子だけれど、鮮花の声は随分と冷めている。
「今は話しかけないで下さい、わたしとっても機嫌が悪いんです」を隠そうともせずに言葉の隅々に感じる。
そんな鮮花を織は本当にふざけた印象は全く抱かせない口調で続ける。
「おまえら、オレが荒耶を食い止めてる間にアイツを攻撃しろ」
「っ!」
思い出したくもない事をいきなり提示されたみたいに、バックミラー越しに見える鮮花の表情が明らかに曇る。
窓の外を眺めてる織の表情を見る事は出来ない。でもいつか夕方の教室で見た時とは全く様子が違う。
「荒耶、宗蓮……」
「トウコの事だから逃げるなんて選択肢はない。俺たちは式を助け出すと同時にアイツを打倒しなきゃいけないんだ」
……そうだ、僕らが式を助け出すって事は、あの人を倒さなきゃいけないんだった。
これが映画だったら主人公に有利になるように補正がかかるのかもしれないけれど、相手は彼だ。
ドイツ兵を一瞬で全滅させた事。
式と同じく剣術には優れてるはずの織が手も足も出なかったほどの実力。
おまけになんだか結界のようなもので防衛をしているんだから、もはや彼は無敵だ。
「不倶、金剛、蛇蝎って言ったっけ。お前にも解っただろ、アイツの周りには結界みたいなのがあるって事が。多分三つぐらいだ。
あの境界がある限り、アイツは接近戦では無敵だ。そして、式ならともかくオレにはあれを突破するすべが一切ない」
「分かってる、分かってるわ……。でも一流の魔術師の技をどうやってわたしごときが突破しろって言うのよ」
鮮花の視線は織の方に向いてない。鮮花は右手にはめた革製の手袋を眺めるだけだ。
そして握り締める。
「あのコルネリウス・アルバって魔術師を見たでしょう。炎のですらわたしよりはるかに優れた魔術を構成してた。
それでも橙子師や荒耶はあの人をあまり気にはかけていなかった。『魔術師』であの人たちに勝つなんて不可能よ」
「……結界って言うのは領域と違って境界の内側全部に広がってるもんじゃない。あくまでその区切りだけが他者を阻むんだ。
だから、外側から内側に入ろうとするものならオレの刀だろうと、音速で飛んでくる弾丸だろうと通す事はない。
それは逆を言えば元々内側から作用するものなら効くはずだ」
ああ、確かその話は以前式に聞いた事があるような気がする。
「……つまり、わたしの魔術なら彼の結界を突破できるかもって?」
「それは分からない。アレが魔術でできた魔力の壁ならもしかして魔術の作用まで阻むかもしれない。でも……」
「ってあんた、まさか――」
鮮花の視線が織に移った。その瞳には烈火が宿ってて、その炎は今にも織を焼き尽くそうとしているようだ。
それを気にもかけずに、有無を言わさない表情で織の方も鮮花に視線を移した。
「ああ、多分浅上の能力なら確実に有効なはずだ」
「織、あんたって人は彼女に能力を酷使しろって言うの……!?」
口調も穏やかの域を越えて激しくなる。多分車の中じゃなかったら立ち上がっていたかもしれない。
「それしかない。現にこの前の戦いだと荒耶は真っ先に浅上を狙ってきてた。今ある戦力の中じゃあアイツに攻撃できるのは浅上の能力だけだろうからな。
アイツほどの武芸者相手に出し惜しみなんてできない。ここは全員で持てる力を使うしかないだろ」
「それはそうだけれども……」
「それに最前線で戦うのはオレだぞ。一番危険性が高いのはオレだって事も忘れないで欲しいな」
「う……」
鮮花は言葉に窮したみたいで、黙ってしまう。
「まあコクトーが式を救い出せば戦局は一変する。式が結界さえ破壊してくれれば後はオレと二人がかりでどうにでもなりそうだしな」
「そうだね。けれど荒耶はその式をどうにかしようとしてるんだから、荒耶を倒さない限り式は救い出せないんじゃないか?」
「その時間はオレ達が稼ぐとしようか。一瞬で全滅なんて事にはオレが絶対にさせない」
……本来、自分はこういう役回りじゃない。
何しろ今の僕は常人以下の身体能力しかないし、それを補う技術もない。
でもこれは橙子さんが作り出した世界。
他の魔術師が関わっていようとシナリオは橙子さんが書き出したものなんだから、それに準じて進んでいくはずだ。
なら多分、みんながみんな自分に出来る精一杯の事をすれば絶対にハッピーエンドになるはずだ。
「……兄さん」
「ん? どうしたんだ?」
なんだか鮮花の口調が険しい。
勝機が見えて、この世界から脱出する兆しが見えたって言うのに。
「まずはこっちを向いてください。話はそれからです」
「あのね、運転中にそっちむけるはずないだろ。バックミラーがあるんだから、それ経由でいいだろ」
「全くよくありませんっ」
……仕方がないな。砂漠だから事故を起こす事はなさそうだけれども。
「織、すまないけれどハンドルとアクセル頼めるかな」
「ん、分かった」
「それで、どうしたんだ一体」
僕は後ろの方を振り返って鮮花の顔をのぞくけれど、うつむき加減でよく表情が分からない。
「織と兄さんの話だと兄さんが式を助け出す事が大前提になってますけどっ、それってどういう事なんですかっ」
「いや、だって僕にはそれしかできないし、しょうがないだろ」
「どこがしょうがないんですかっ」
語尾が強調されているのになんでか言い方がとても冷たい。
おかしい、鮮花の機嫌を損ねる事は何一つしていないはずだけれど。
「そうやってっ、兄さんはっ、いつも式の事になるとっ、見境をなくしてっ、猪突猛進になるじゃないですかっ!」
「猪突猛進て……それは言いすぎだろ」
「いいえ、その結果がソレですから、決して言い過ぎではないはずですが?」
鮮花は前髪で隠された僕の左目の方に指先を向けた。
「兄さんは式のために十分に傷つきました。もうこれ以上傷つく事はないと思います。幸いにもこっちには兄さんの出番がないほど人数もそろっていますしね」
「何だよそれ。僕に留守番でもしてろって言うのか?」
「その通りですが、何か?」
思わず絶句する。
なによりとんでもない台詞をあくまでも真顔で言ってきた事に驚いてしまった。
「飛行機の中でも言いましたが、わたしが式を助けます。話でしか聞いていませんが、荒耶という魔術師はおそらく空間転移が使えます」
「空間転移?」
「テレポートのようなものです。魔法の真似事とも言われるほど高度の魔術ですが、恐ろしい事に彼はそれを神殿の内部のみで可能とするらしいんです」
鮮花は僕にも分かるよう簡潔に説明してくれた。
白い魔術師が構成したこの世界でも、あの遺跡だけは小川マンションの時のように彼の領域なんだそうだ。
神殿を平たく言えば工房のワンランク上の存在らしいけれど、荒耶はその中でのみ空間転移を可能とするらしい。
そう言えば彼が藤乃ちゃんの後ろに回りこむ時、全くといっていいほど見えなかったのはそのせいなのか?
「もしかしたらあの人は橙子師から式の弱点を聞いているかもしれません。つまり、兄さんです。
荒耶がそれに付け入らないという確証があるのですか?」
「……荒耶が僕を人質にとる手段を使ってくるかもしれないのか」
「そうです。そして兄さんが傷ついていくのが、しかもそれを当然のように受け止めるなんて」
鮮花はその先も何かを言おうとしたけれど、言いよどむ。
「兄さんのためにも、式のためにも。兄さんは自重してください」
彼女の瞳や固く結ばれた唇など、顔全てが有無を言わさない強さに満ち溢れている。
きっと礼園でもこんな感じでみんなから尊敬を集めているのかもしれない。
「それは、できない」
だけど、ここで退くわけにはいかない。
「今はまだ無事でも到着する頃には一刻も争うほど危ない状況だ。誰一人として無駄な動きなんて出来ない。
それに今回は危ないのは鮮花達だって同じだろ。なのに僕だけおいていかれる状況なんて我慢できるか」
「そんなわたしたちだからこそ兄さんには無事でいて欲しいんですが……」
「とにかく、何と言われようとも僕は式を助け出す。そのためならなりふりなんてかまっちゃいられないだろ」
鮮花は僕の言葉に返事せず、無言のままで瞳を覗く。
そして、また何か言われると思ったんだけど、意外にも深いため息をもらした。
「……はあ、それだからこそ兄さんなのかもしれませんね。重要な事柄にもたまには妥協ぐらい見せてください」
「だからこそ彼なんだろ。みんなから好印象を受ける、オレ達のコクトーだ」
鮮花は頬を膨らませてそっぽむき、織は含み笑いを浮かべてまた外の方に視線を戻した。
なんだか二人ともとても嬉しそうで、見ている僕まで笑みを浮かべたくなる。
「織、その『オレ達』ってまさかあんたと式じゃないでしょうね」
「さあな。ご想像にお任せしとく」
「ふん、この異常者」
「なんだよ、ヘンタイ」
単純な罵りあいでも、そこには侮蔑とか憎悪が一切感じられなかった。
多分二人とも単純に自分の意見を言っただけだと思う。
……もしかして、僕が思った以上に二人は仲が悪くて、同時に仲が良いのか?
「ん? コクトー、アレが見えるか?」
少し思考を巡らしてると、織が前方を何気なく指差してた。
目を凝らしてよく見てみるけれど、あまりよく見えない。
「いや、特に何も」
「あ、見えます。なんだか人がいっぱいいるみたい」
藤乃ちゃんが運転席に身を乗り出して、やっぱり前方を指差す。
……駄目だ。僕の視力じゃあどうも見えないらしい。
「人が大勢いますね……」
「ああ、多分あの様子だと数千はいるな。しかも全員銃とか三日月刀とかで武装してる」
す、数戦もの武装した人たち?
それはもう大勢の人とは言わない。もはや軍隊だ。
「……なら強行突破は難しそうだね。迂回するしかないのか」
「いえ、それは大丈夫だと思います」
戦闘を出来る限り避けてどれだけ時間がかかるかで頭を悩ませていた所に鮮花のこの一言。
はっきりと言い切る鮮花に少し驚いた。
「おい、その根拠は一体なんだよ。あの様子だといつでも襲い掛かってきそうな雰囲気だぞ」
「そんなの単純よ。だってわたし達彼らと会ってるから」
呆れた様子で聞く織は鮮花のあっさりとした返答に目を見開く。
鮮花はそんな織を気にもかけない様子で、髪をかきあげた。
「彼らは墓守の一族の軍……と設定されたノンプレイヤーキャラです」
/大輔
「族長、後方から英国の車が接近しているようですが」
「英国の車ー?」
伝令が馬を走らせてきて、早急にそんな報告を行った。
確か英国は遺跡を発掘してた勢力だよな。今さら何の用だって。
「で、何台?」
「一台だけのようですが」
……じゃあ援軍でもないしこっちに襲い掛かってくるでもなさそうなわけか。
伝令の一種か、それともなんだ? 新たな展開が待ってるわけか?
うーん、そうだな……。
「とりあえずこっちに話があるようだったら武装解除してもらって呼んできてくれ。一応用心しとけよ」
「了解」
適当にあしらう感じの命令でも慇懃に礼をしながら立ち去っていく俺の部下。
なんだか快感。
俺の目の前に広がるのは大軍隊。そして前方にあるのは俺たちが攻め込もうとしてる遺跡だった。
遺跡がもう目に見える距離になってきたんで軍に陣形を整えさせて、今現在その途中だ。
さすがにゲームみたいに一瞬で準備終わり、じゃあ戦争スタート……ってわけにもいかず、数万の軍勢が準備を整えるのを待つしかなかった。
何しろ遺跡が目の前なのに敵さんは怪物の一つも送ってきやしないし、さっき偵察を送ったら帰ってこないしな。
それに俺って一応ゲームとかはたしなんでるけど、秋隆の知識の深さには参った参った。
「しっかし、この軍隊見てるとまるで俺がアレキサンダーになったみたいだなぁ」
思わず感心しながらそんな事をつぶやきたくもなる。
何しろ数万の人数を命令一つで動かす立場に俺いるんだし。
「秋巳様がアレキサンダーなのでしたら私はさしずめエウメネスでしょうか」
エウメネスって誰だよ。
「アレキサンダーに仕えた書記官でもあり、指揮官でもあった、とでも言えばよろしいでしょうか」
「ふぅん」
知らないな。俺が知っているって言えばせいぜい後に国を分け合った4人ぐらいだし。
「それに、どちらかと申しますと秋巳様はハンニバルの方が正しいような気がしますけれどもね」
「ハンニバル? カルタゴの将軍だっけか。そりゃまたなんで?」
「それはこの戦争を行えばわかりますよ」
秋隆が浮かべた笑みは、純粋に微笑んだのかもしれないけれど、なぜか俺には不敵な笑いに見えた。
「族長、お連れしました」
「おう、ご苦労さん……って」
兵士の声が聞こえてそっちの方に顔を向けて、結構驚いた。
今度はどんなサブイベントかと思ったら、とんだメインイベントだったか。
「鮮花、ルクソールからカイロまでの鉄道の旅は快適だったか? 俺外国の鉄道って乗った事ないからぜひ感想聞かせてくれよ」
「大輔さん、わたし達は軽口を叩けるほど時間は余っていません」
俺の前に連れてこられた幹也や鮮花たちは明らかに不機嫌で、切羽詰まってるようだった。
こりゃ冗談なんて言ったらぶっ飛ばされそうだ。
だけど、そんな事は今のところどうだっていい。
「てっきり俺はクライマックスでそこの嬢ちゃんを助けるかと思ったんだが、もう助け出しちまったのか」
目の前でさらわれた式がいるんだから。
そう思って発言したんだが、どうも触れちゃいけない事だったっぽい。
途端にみんな顔を曇らせたからだ。
「……いや、オレは――」
「……秋巳様、こちらは式お嬢様の双子で両儀織と申します」
青ざめて視線をそらす彼女の言葉を秋隆が、優しく制しながら発言した。
俺は頭の中でこの前であった少女と、目の前の少女を見比べる。
……さすがに違いが分からん。
「双子? マジで?」
「些か違いますが」
……地雷踏んだか。
「てことは、クライマックスは式って彼女を助け出すシーンなわけか」
「……言い方は不謹慎ですけど、概ねその通りです」
幹也なんて写真にとっておきたいほど鋭いものだ。
こりゃあ……犯罪すら侵しかねないほどの決心を秘めた人間が見せる雰囲気だ。
「それで大輔さんの方こそここで何をしてるんですか?」
「まあ、幹也たちの味方って所だが、詳しくは鮮花にでも聞いてくれ。さすがに二度説明してる余裕もなさそうだしな」
橙子さんがどうのこうのの話は今すべき話じゃなさそうだしな。
大軍隊を覆っていた空気が少しずつ緊張に包まれていく。
それに風で発生する音以外のもんが聞こえてくる。
間違いなさそうだ。これは……、
「やっこさん、ついにきやがったな」
双眼鏡を覗いて思わずそんな声がもれてくる。
俺たちが展開させてる軍の前の砂が次々と盛り上がっていく。
そして、その中から現れるのはどれもこれもが日常生活じゃあお目にかかれないような化けモンばっかだった。
やれやれだぜ、全く。
「遺跡を守る守備軍って所か。多分俺たちは主人公達が遺跡に突入するための時間稼ぎって所かな」
「しかし……」
秋隆は淡々と状況把握してるみたいだけど、正直俺は顔を引きつらせたい気分なんだけどな。
「ヲイ、やっこさんの軍隊、間違いなく……」
「そうですね。十万は超えるでしょうね」
軽くこっちの数倍はいるんですが、こんな状況どうしろっつーんだ?
「秋隆、コレ本当に勝算あるのか?」
「当然です。田楽狭間の戦いのような奇襲を使わずとも、戦術次第で数倍もの敵を倒す事は可能ですよ」
随分と自信満々に言ってくれるが、この世界で死んでもちゃんと元の世界に戻れるんだろうな。
「……大輔さん」
「何だ?」
どんな方法で勝つんだろうななんて考えてたら、幹也が神妙な表情をしてこっちを覗いてる。
めったに見ない気迫についたじろいだ。
「僕たちは一刻も早く遺跡に行かないといけないんだ。だから……」
「分かってるって。あくまでこの大軍隊はストーリーを盛り上げる脇役に過ぎないんだし、主人公の事はたててやらないとな。
一刻も早く辿り着けるよう軍の中に紛れ込ませればいいんだろ?」
俺は笑いを浮かべて幹也に言ってやった。
そう、この話は幹也たちの話であって、俺たちの話じゃない。
市民Aじゃあないにしろ、メインキャラじゃない事だけは間違いないだろうな。
なら、俺がやる事は話を盛大に盛り上げる事だろ、やっぱり!
「としたら、やっぱり軽装歩兵に紛れ込ませるか?」
「いえ、ここは右翼騎兵の方に紛れ込ませましょう」
秋隆の発言には結構驚いた。
何しろ俺たちの軍は中央突破を前提とした陣形を整えてる。
中央前方に軽装歩兵、中央後方に重装歩兵、右翼と左翼に騎兵みたいにしてる。
いわゆる、敵軍を中央で分断して各個撃破する典型的な戦法だ。
だから最前の軽装歩兵に紛れ込ませるかと思ったんだが、違うのか?
「その意味はいずれ分かりますよ。お嬢様、合図を鳴らしますからその時に突撃を開始してください」
秋隆は幹也たちに事細かに説明をしてるようだけど、あいにく俺の耳は地獄耳じゃないんで聞こえやしない。
教えてくれって言ったら見事にあしらわれたしな。後でのお楽しみで、とか何とか。
「……以上ですけれども、何かご質問はおありでしょうか?」
「いや、ない」
「でしたらお嬢様、これを」
秋隆は馬にそなえていた竹刀袋を恭しく手渡した。
竹刀袋を縛っていた紐を芸術品のように繊細な指でほどいて、それをあらわにする。
それは日本刀だった。
俺も居合道のやり手を見た事はあるからかじった程度には分かるけど、ありゃあ現代の作品ではなさそうだった。
織は慣れた手つきでそれを抜刀し、目を見開く。
「この乱れ刃、これってまさか……」
「正に慧眼。それは津田越前守助廣による作品で、大業物でございます」
「やっぱりそうか……」
困ったもんだと口には言っているんだが、目は喜びを隠しきれてない上にくすくすと笑っている。
正直、不気味だ。
「織、それどれほどすごいの?」
俺が口に出そうと思った直前、おそるおそる幹也が問いただす。
すると織は待ってましたとばかりにくるりと振り返って、にやっと笑った。
「見るか? ちょっとお目にかかれない業物だぜ、こいつは」
「一言一句の違いなく式に言われた記憶があるんだけど……」
あまりもの目の輝きに幹也はたじろいでる。
刀に魅了される少女……不気味だ。
「黒桐さま、それは新刀最上作にして大業物21工の一人、津田助廣によって造られた一品でして、その濤瀾乱と呼ばれる乱れ刃の一種が特徴でございます。
古刀との違いはございましても、以前お嬢様にお渡しした藤原和泉守兼定の作とも並ぶ一品かと」
「えっ、兼定って……初代じゃなくて二代目の、いわゆる九字兼定!?」
式と合わせたとしても織の驚愕っぷりには驚くばかりだ。
その反応が幹也には面白いのか、顔をそらしてにやけてる。
「真偽がはっきりとしていないのでお嬢様に渡したのですが、どうやら今回それを所持していなかったようですので」
「……式、随分といいものを持ってるんだな」
織は実にうらやましげにぼやきながら幹也の方に視線を移した。
「九字兼定ほどの業物なら一度お目にかかりたいもんだな。式もやっぱり同じ反応示してただろ」
「うん、織と全く同じ反応見せてた」
幹也、キッパリ断定。
「でも国宝にもとどくような一品をよくそんな簡単に入手――」
「コクトー、津田越前守助廣の作は確かに業物ではあるけれど、それでも数十万から手に入るもんだってある。
それに九字兼定が古刀って言っても旧重要美術品になったぐらいで、重要文化財にすらなってない。
国宝とか色々出してる岡崎五郎入道正宗とかと一緒にするな」
「ご……ごめん……」
態度に表れてないけれど、織の凄まじい剣幕に幹也は顔を引きつらせた。
それがたまたま琴線だか逆鱗だかに触れたのか、いつもこうなのかは知らないけど、なんだか楽しそうだな。
「それでもこれは新刀でもざっと350年ほどの歴史がある。剣とかサバイバルナイフとかだと不満だったからな」
織は嬉しそうに帯刀して、また丁寧に竹刀袋で包む。
「それではお嬢様、お早く移動を。時間は限られていますのですぐにでも軍を動かします」
「分かった」
織はうなづいて幹也たちと共に走り去ろうとする。
やっぱりあの様子だとどうやら救出には時間制限があるっぽい。
「お嬢様、ご武運を」
去り際にかける一言もまるで映画の一幕。
なのに、織は途中で立ち止まる所まで再現する。
あくまで彼の方には顔を向けないで、背中を見せたままで。
「……秋隆、今のオレもおまえにとってはお嬢様、つまり両儀式なのか? 式とは別の存在になったオレが……」
「もちろんでございます。お嬢様にお会いできただけでもこの物語に参加したかいがありました」
俺は不覚にも和服から見える織のうなじには少し色気を感じたけれど、それが決意と強さにあふれていく。
「……式は、オレとコクトーが必ず救い出す。実生活の時には二人を頼んだぞ」
「かしこまりました」
織は見ていないのに秋隆は慇懃に礼をする。まさに執事の鏡といった所か。
こうして主人公達は最終決戦の場へと向かい、この場に残ったのはその引き立て役か。
「よしっ、じゃあそろそろ……」
「いきましょうか」
なら俺たちは、
「全軍、突撃!!」
その引き立て役を十分すぎるほどこなすまでだ!
どうやら敵さんは怪物の集まりっつっても一応統率はとれてるようだな。
その証拠にこっちが中央突破のために陣形を敷いているのが分かると、中央に人数を集めてきやがった。
このまま突撃した所でこっちの人数はあっちよりも遥かに少ない。
真正面同士の戦いでものを言うのは英雄なんかじゃなくて、所詮は人数だろう。
それを補う兵器もないし、策はどんなのかすら分からん状況だ。
『おおおおおっ!!』
軍の雄叫びが突撃音より大きく轟く。
突撃していく墓守の一族の軍はついに怪物の群れと交戦を開始する。
敵の軍は主に人間の胴体に犬とか猫とかの頭を持った奴で構成されてて、装備は片手に盾、片手に剣だ。
しかも映画を意識した作りなのか、化け物どもは弓を使ってこないし、こっちの弓はあまり効かない設定と来る。
ようは接近戦でしか倒せないんだが、四本足の怪物とかも中にはいるから、正直この人数差だととってもつらい。
戦闘を開始してどれくらいが経ったのかは分からない。
確かに俺らの軍は敵を多くなぎ倒してはいる。
けどよ、あまりにも敵の数が多すぎるせいで随分と押されてきてるように見えるのは俺の気のせいか?
「秋巳様。おそれながらお聞き致しますが、剣や槍などの経験は?」
「ん? ああ、こう見えても一応警官なんでね。銃が使えねぇのは残念だがよ、迂闊に死ぬようなへまはしないぜ」
と言った所で俺らがいるのは重装歩兵のトコだから、そう簡単に攻めてこられるような事はなさそうだけどよ。
更に時間が経過。
あたりはもう暗くなり始めてる。そうなったらこっちは明かりをつけなきゃいけなくなるから、圧倒的に不利になっちまう。
正直このまま行っちまうと、間違いなくこっちが負けちまうぞ。
俺たちの屍を超えて主人公達は遺跡に突入、なんて展開は勘弁だぞ。
「……そろそろですね」
状況を見ていた秋隆はつぶやくように言いながら兵士の一人に顔を向けた。
「へ? そろそろ?」
「合図を上げてください。戦局を覆す時です」
戦局を覆すって事は、策を発動させるのか。
「それではまず我々の部隊は後退です! 後退なさい!」
空が明るくないのをいい事に、火薬での合図は全軍に伝わったんだろう。
秋隆が何を考えてるのか知らんが、うちらは引き下がるらしい。
「なあ、そろそろ俺にも策ってやつを教えてくれたっていいだろ。な」
「そうですね。そろそろネタ晴らしの時間でしょうし」
……その言い方、分からなかった俺がまるで馬鹿みたいじゃないか。
どういう意味だよそれ。
「先程貴方様の事をハンニバルと申しましたが、これはそのハンニバルがローマ軍に仕掛けた現代にも残る戦術なのです」
「ハンニバルが?」
んー、残念ながら歴史に関してはせいぜい高校の教科書レベルしか知らんからな、俺。
戦国武将とかは余分に知っててもそんなトコは知らないな。
「まず本陣によって敵の本軍の勢いを何とか食い止めます。その間に左翼及び右翼の騎兵が両脇から突撃するのです」
「え?」
俺は双眼鏡で両軍の様子を確かめてみる。
……確かに俺らがいる真ん中の方は後退を開始してるけど、逆に両翼はものすごい勢いで敵を蹴散らしてる。
特に幹也たちが行った右なんかがすごい。
んー、なんて将軍様?
「こっちが押されてるように見せかけて幹也たちを遺跡に向かわせたわけか。こりゃすげえな」
「いえ、そんな単純なものではありませんよ」
え? 違うのか?
更に時間が経過する。
俺たちのいる本軍に向かってなだれ込んでいく敵軍。
度重なる攻撃ですっかり陣形は薄く平べったくなってて、俺らのいる位置から十数メートル先はもう交戦中だ。
一方、右翼の軍は敵を蹴散らし終わって遺跡の方へと向かっていく。左翼はまだ突撃中だけど、時間の問題、と。
「ん?」
変化が見えたのは、右軍と遺跡との間に何も無いような状況になってからだ。
右軍は進路を変えて、回るようにして突撃を続ける左軍と向こう側で合流したのだ。
「おい、これって、まさか……」
目をこすってもう一度状況を確認する。
んで、思わず口を開けて呆然とする。
「これこそがかの有名なカンネーの戦い、少ない兵数で敵を包囲した戦術なのです」
平べったくなった本陣、回り込んだ右軍、広がる左軍。
間違いない。こっちの軍は敵の軍を取り囲んで、全方向から攻撃を仕掛けようとしてる。
いくら大軍だろうとも戦いに参加できる人数は外周の俺らの方が圧倒的に多い。
後はこっちが突撃して内側の敵を殲滅すれば終了だ。
「これの欠点は敵が別方向から増援を送ってきた場合なのですが、この度はそれを考慮に入れずともいいでしょう」
「こ……こんな簡単に敵を取り囲めるもんなのか?」
「本陣が退く事で敵にはこちらが押されていると錯覚させ、突撃させるのがポイントです」
な、なんつう策士だ。
思わずあきれ果てる。
「さて、後は敵を蹂躙すればおしまいです」
「だな」
油断さえしなければこの勝負、勝ったも当然。
さあ、こっちは最後の花を咲かせますか。
後の出番は俺たちじゃないしな。
「全軍、敵を撃破しろ!」
/式
「全ての準備は整ったぁっ! 後は本陣にチェックをかけるだけ!」
橙子の奴は妙にハイテンションで再び私の前に姿を現した。
まるで幹也がたまに見るアニメに移るヒロインが浮かべる満面の笑みだ。
ただし、ろくでもない考えを思い浮かべて後にとんでもない展開になった奴のものだけど。
荒耶はずっと玉座に座っていて、腕を組んで何もしていない。
まるで何もかもが制止したように微動だにせず、時が来るのを待っているようだった。
橙子が入ってきても何もしようとしない。時間とやらが来ていないのか。
「式ー、頼むから何か反応を示してくれないか。冷酷なツッコミでもいいからさ」
「そんなのごめんだ。この世界から抜けた後に幹也にでもしてもらえ」
「こういうのが一番反応に困るんだがなぁ……」
うんざりを隠そうともしないで橙子は肩をすくめた。
橙子は腰に手を当ててしなやかに歩み寄ってくる。
それだけを見ていれば淑女……と言うよりお嬢様そのもので、姿勢も正しい。
黙っていれば引く手数多だろうに、どうやったらこうひねくれてくる。
「さあ、ついにクライマックスの時が来た。どうだ、捕らわれのヒロインの気分は」
「さあな、少なくともろくでもない事に巻き込まれた不快感はあるな」
「緊張感や危機感はなし、か。残念」
橙子は深いため息をもらしやがるが、何言ってんだコイツ。
「いいか式。どんな話だろうと、結局はひねりのない王道こそが一番盛り上がるのだ。それが最終話近くならなおさらだろう」
「そういった細かい話は鮮花にでもしろ。オレを巻き込むな」
「なら独り言と思って聞き流してもらっても結構。スルーされててもその場にいるだけで十分だ」
こいつ、まだ話すつもりか。
「そして、囚われの身となっているお姫様を王子様がお助けする展開は昔から語り継がれる物語だろう。子供の頃読んでもらったこと無いのか?」
「よしんばそれが合っていたとして、オレ自身がなりたいとは思わない」
「本当にー? 黒桐に助けられる自分を想像してみろ。周りはきっと嫉妬の渦だぞ」
黒桐に助けられる自分?
(捕らわれている状態の私、その目の前に立つのは荒耶宗蓮。
今にも彼の手が私にかかろうとしていて、今にも命の危機。
心の底から叫ぶ私。すんでの所で颯爽と現れる幹也は今まで見てきたどの彼よりもかっこよくて、頼もしくて……)
「ば、ばかばかしい」
「おやおや、何かしら思考を張り巡らせていたようだが一体何をお考えで?」
「かっ関係ないだろ」
橙子は微笑を浮かべながら肩をすくめる。
……完璧にこいつに主導権握られている。
「そもそもそれならおまえ自身がお姫様になればいいだろ」
「んー、確かにこの姿ならそれも可能だろうけどな、それではロマンがないだろ。何しろ私と黒桐でやった所で盛り上がりが一切無い」
「なら荒耶とでもやればいいじゃないか」
「えっ? 荒耶と?」
話をそらすために放った言葉だったけど、どうやら橙子に対しては有功だったようだ。
顔を深刻にさせて視線をそらした上、あごに手を当てて真剣に考えてる。
「私と荒耶か……やったら多分そんな王道のようなものは出来ないと断言するぞ」
「やってみないと分からないだろ」
「分かるさ。何ならアルバを証人として呼び出してやってもいい」
「いや……いい」
そんな事された所で、あまり有益な証言が聞けるとも思えない。
……第一今何時だろうか。一体どれだけの時間が経ったんだ?
途中で一回寝たから時間の感覚も無くなったし、荒耶や橙子から把握する事はできそうにない。
肉体的に拘束されたこの身体が開放される手段は今の私にはない。
いくら眼で死が見えていても、それを斬るための腕も指も使えない。指さえ使えれば爪で切断できるのに。
……今幹也や織たちはどうしているだろうか。
多分彼らは無事だろう。もし何らかの出来事があったら橙子が言ったはずだ。
くそ、やっぱり今私がいる位置はどう考えてもお姫様だ。
我ながら情けない……。
「ん? 式のところの執事、随分と優秀じゃないか」
「は?」
いきなり何を言い出すんだ?
私のところの執事って……秋隆か。
「アルバが創った怪物軍団にまさかカンネーの戦いを再現してのけるとはな……なんてこっただ。予想を遥かに上回る白熱ぶりじゃないか」
「カンネーの戦い?」
「平たく言えば包囲作戦だ。白兵戦でそれをやってのけるのはよほどの軍師だぞ。何しろかの有名な将軍ハンニバルが――」
「トウコ、話が長くなりそうなんだったら寝るぞ」
幹也と橙子の長話は毎回聞いててうんざりするほど退屈だ。
それを私にされても実に困る。
「式、随分と余裕だな。後もう少しでおまえは荒耶によってその頭を叩き落されるって言うのに」
「別に。おまえの言った事が正しいんなら、この遺跡を守る怪物どもは全滅だ。なら織たちが来ておまえを成敗するだけの話だ」
「なるほど、確かにあいつらはもうこの遺跡に突入した。
まだ遺跡内にはトラップやモンスターのたぐいを元通りにしておいたが、それを突破されるのも時間の問題だろう」
「橙子の方こそ随分と余裕だな。覚悟しておいた方がいいんじゃないか?」
一度この遺跡に侵入したから分かるけど、決して織たちに突破できないような仕掛けなんかじゃない。
もう時間の問題に過ぎない。
「……さて、覚悟? 何の覚悟だ? 覚悟をするのはむしろ式の方だろう。それに今のところ全て計算どおりだ」
橙子は偉そうなほど傲慢な態度をとっているように見える。
ここまで徹底しているとむしろ呆れを通り越して関心にまで至る。
「計算どおりって何だよ。負け惜しみは見苦しいぞ」
「負け惜しみなんかじゃないぞ」
橙子は私を冷然と見やりながら唇を吊り上げる。
下目遣いの彼女の笑みは腹が立つほど黒い。
「なぜなら、私は十分に時間を稼いだからな。そうだろう?」
「そうだな、時は満ちた」
ゆっくりと、それは立ち上がった。
止まっていた時間が、動き出したかのように。
目の前には黒づくめの少女、目の前には黒づくめの男。
だがお互いの顔からは表情と言うものがごっそりと抜け落ちたようで、まるで仮面。
静かに佇む二人が今の状況を何よりも表していた。
「気づかなかったのか式。時刻はもう深夜だよ」
「深――夜――」
「そう、もう私に荒耶を止める理由は一切無い。式の脳髄を引きずり出そうが、阻止をするのは私じゃあない。別の誰かさ」
橙子は踵を翻し、祭壇から降りていく。そして全身の体重をかけるように玉座へ座った。
「だがその阻止をする可能性を秘めた黒桐達はまだここに到達する様子はない。言っただろう、後は本陣にチェックをかけるだけだってな」
「……っ!」
私は橙子の言葉に思わず息を飲んでいた。
「話は済んだか、蒼崎」
「荒耶。話はすんだも何も、私はおまえが時間になっても一向に動こうとしないからしゃべってただけだ。
最初に言っただろう。今回私はおまえの妨害をするつもりは一切無いとな」
「そうであった、ぬかったわ」
魔術師は橙子のほうに振り返りもせず、ただ独り言のように言い放つ。
「最後に――私の傍らにいた者がおまえであった事は、意味があるのだと信じよう」
「信じない方がいい。所詮私は死者まで利用して目的を果たそうとする愚か者に過ぎないからな」
この時、荒耶からは一切感情の起伏が見られなかった目の前の男に怒気や驚愕のたぐいじゃなく、始めて喜に属する印象を受けた。
橙子の奴も苦笑しているようにも見えるけれど、どこかしらで彼を認めているようにも感じる。
「時は満ちた。あれからゴドーワードと白純里緒と接触したようだが、私がなす事は変わりはない。
そして、いかにその目があろうとも今のおまえではどうしようもない。
前回の失敗を教訓にしようとは思っていたが、まさかここまで早く機会が再来するとは思わなかったぞ」
「ぐ……!」
私は目の前の男にありったけの殺意を込めて睨みつけるが、この男は全く動じもしない。
「いかにその眼が死を捉えようとも、バロールのように死をもたらすものではない。どれほど殺意を込めようとも私は殺せない」
北欧神話なら幹也たちが話してたから少しは知ってる。
こいつの話すとおり、脳が沸騰するほど意識をしても死を捉えるだけで、死をもたらす事は出来ない。
「両儀式。その体、この荒耶宗蓮が貰い受ける」
荒耶の手がゆっくりと私の頭を掴む。
それを振りほどこうとしても、首の動きだけでは荒耶の動きを阻む事は出来ない。
魔術師はもう一つの手で私の体を固定する。
頭は万力でしめられるよりも酷い痛みをともなって圧搾される。
こんな状況確か前もあったけれど、あの時と決定的に違う点が一つだけある。
文字通り、万事休すだ。
多分荒耶の行動は万一も考えて素早く的確に行っているんだろう。
でも私にはとてもゆっくりに感じられた。
彼との始めての出会い、
彼との高校生活、
彼と送った穏やかな日常生活。
私の人生の中でまだ一割にも満たない期間だったけれども、今の私にとってはかけがえのない時間だった。
つまらないテレビ番組、眠たくなる彼と橙子との会話、他愛の無い鮮花とのやりとり。
私は今そんな毎日を送っている。
それがどんなにありがたかっただろうか、どれだけ幸せだっただろうか。
きっと彼にとっては当たり前なんだろうけれど、私にとっては奇跡の積み重ねなんだ。
この世のあらゆるものとも交換なんかしてやらない、かけがえのない……。
本当に、夢のような日々だった。
心の底から実感できるぐらい、それは――。
――なら、静かに死を受け入れるのか?
夢のように幸せだったから、満足なのか?
ばらばらになりそうだったあの時とは違う。
幹也がいなくなったあの時とは違う。
ひとりぼっちになったあの時とは違う。
私を好きだと言ってくれた彼はまだ生きている。
私を背負うって言ってくれた彼はきっとまた無茶をする。
私をはなさないと言ってくれた彼は懸命にこっちに向かっている。
「……」
私はもう一人に戻れない。幹也がいないのなら、生きていく意味なんてない。
幹也にとっては私はやっぱりそうなんだろうか。だったら私がいなくなったら彼はどう思うんだろうか。
彼は私が彼を思うように――。
「……けて……」
幹也が私の事で嫌な思いをするなんて考える、胸が引き裂かれたように痛い。
これから彼と過ごすかもしれなかった日々を思うと、胸が締め付けられたように苦しい。
私は私自身の事もあるけれど、彼が悲しむ事なんてあって欲しくない。
私は……もっと幹也と生きていたい――。
自分でもなぜかは分からないけれど、気がついたら口が開いた。
こんな状況になっても何もできない自分への苛立ちとか無念とか、ましてや橙子の言いなりになるのが癪だとか、そんな些細な事はどうでもよかった。
ただ私はその瞬間、彼の事しか考えられなかった。
「助けて幹也ぁーっ!!」
私に訪れる絶対的な死。
それが私に舞い降りようとするその時、盛大な破壊音が部屋に響いた。
同時に荒耶は私に手をかける事無く手を放して、その場から消え去った。
その直後に荒耶のいた位置で見えたのは緑色と赤色の螺旋だった。
「式ーっ!!」
荒耶の方には視線を向けない。
私はもっと見たいものがあったから。
思ったとおり部屋と通路の間をふさいでいた石の扉は崩壊していて、そこに端然と立つ人たちがいる。
全員私の見知った人たちだけど、悪いけど私にはたった一人の存在しか目に入らなかった。
彼は私を見ると安堵したのか、極上の笑みをこぼしてくれた。
私は、彼が私の前にいる事実だけでこの上なく嬉しくなった。
「幹也……!」
to be continued……