/鮮花

「で、何か用なの?」
私は目の前でフォークを眺めている式に言ってやる。

場所はアーネンエルベ。私がイライラしながら外をうろついていると、そこにものすごくタイミングが悪いのか、式に出くわしてしまった。
そしてなぜそんな事を言い出したのかは分からないが、式が少しゆっくり話せるところで落ち着かないかと言い出したので、この喫茶店に来たのだ。

鮮花はついこの間来て気に入ってしまい、今度また来ようと言っていたが、それはまだ果たされていない。
店の中は天気が快晴なのだろう、かなり混み合っていた。
私達は偶然にもテーブルが開いたところにやってきたので、すぐに座れたが、席待ちで列をなしていた。
見ると私達以外にも10代が多い事が分かる。一人だけはさすがにいないようだけれども。

「しかし先輩がここを知っているとは驚きましたよ……」
「同感、てっきり腹がふくれる店しか知らないとばっかり――」
「あ、ひどいです二人とも。わたしがカレーなどを食べる行為に満足する女だと思ってたんですか?」
すぐそばのテーブルでは3人組がそんな会話を交わして笑い声をあげていた。
本当にいつもどおりの日常を送っているようだ。

再び式に視線を移す。
中性的で整った顔立ち、そしてその和服は否応なしに店の視線をひきつけていた。
そんな私も一瞬凛々しいと思ってしまったのが悔しい。

「分かってるだろ? オレがお前を呼び出す用件ぐらい」
式はあっさりとそんな台詞を言って腕を組んだ。
どうも彼女はここの食べ物や飲み物より、この店自体の雰囲気を好んでいるようで、注文したものもケーキ一つだけだった。

「橙子師の提案ですか? でも私、あなたと話すことなんてないんですけど」
「オレはある。お前にははっきりと言ってなかったからな」
店のウェイトレスが私たちが注文していた品をトレイに乗せて運んできた。
式の前にガトーショコラを、私の前にパフェを置いてうやうやしく一礼する。

はっきりと言わなければならないこと?
式が私にはっきりと宣言する事など簡単に分かってしまう。
私は取り繕いもせずに口元に笑みを浮かべた。

「宣戦布告ね、違う?」
「察しがいいな」
式は一息入れ、こちらを見すえる。

「幹也と行くのはオレ一人でいい。分かったな?」
「そちらこそ、兄さんと旅行へ行くのは私1人で十分です。あなたにも藤乃にもやらせはしないわ」
なぜか周りの人たちがこちらの方を見て若干後ろに下がっている気がするが、所詮気がするだけだ。

「……まあいいわ、それよりあんたはどんな方法をとるのよ」
これ以上不毛な会話を続けても意味がないので、私は話題を変えることにした。

あの橙子師をはめるとなれば生半可なものでは通用しないどころか返り討ちにあうのが当たり前になるだろう。
橙子師と幹也の会話をたまに聞く限り、ほぼ一方的に橙子師が詳しい事をしゃべる有様だった。その知識量は半端じゃない。
だとすると無難なもので納得させるか、橙子師をぎゃふんと言わせるかのどちらがいいのかは…。

「あいつをぎゃふんと言わせる」
「えっ!?」
私は思わず驚愕の声を上げてしまった。
あの橙子師を欺き、ぎゃふんと言わせるなんて早々できたものじゃない。
風の噂では協会時代にそうしようとした人物は今でもトラウマを抱えているとか。
そんな彼女をはめる……か……。

「本人の許可をもらって嫌がらせができるんだ。それを利用しない手なんてないだろ?」
「それはそうだけど……」
「お前もあいつの理不尽さにあきれてるんじゃなかったのか? 一石二鳥じゃないか」
「……っ!」
確かに式の言っている事は正しい。正しいけど現実的じゃあない事ぐらいは私にだって分かる。
しばらく考え込んでしまったが、やはり私の結論は変わらなかった。

「私は兄さんとの旅行を優先させます。確かにそれも魅力的ですが……」
「そうか、分かった。じゃあな」
式はそっけなく立ち上がって颯爽と店を後にした。

「……ってあいつ勘定踏み倒しやがった!」
今さら言っても仕方がないので、後で請求するとして私は追加注文をオーダーする事にした。



王道・橙子さんの場合

第2話


   /橙子

 私があんな事を言い出したのはほんの気まぐれにすぎない。
それによってこのところ退屈な日常を変える事ができればよかったが、思わぬ副作用があったようだ。
最も黒桐のやつは締め切りが近いから仕事をしろというがね。

式と鮮花が何をしてこようが動じない自身はある。最も式のやつに実力行使に出られたらいささか面倒な事になるが、問題はなかろう。
問題は藤乃と黒桐だ。特に黒桐はある意味他のやつらよりも脅威になりえる。何しろ奴は頭がきれるからな。
多分ある意味で私よりも……。

そんな訳で4人がどう出てくるかは実に楽しみでもある。これで退屈な日常が一変するだろう。
退屈こそ平和である証とも考えられるが、それでもある程度の刺激は必要だろう。
さあ、どう出てくるか?

初日はいきなり式が見え透いた手口で挑んできたが、あっさりと返り討ちにしてやった。
黒桐のやつは私よりも気づくのが早かったようだったがこれは予想通り。
しかし藤乃にもバレているようでは当分心配あるまい。

「さて……。どんな手で私に挑んでくるか?」
私は独り言をつぶやく。それだけ期待は大きかったからだ。
が、予想は現実とは大きく離れるものなのだろうか?
色々と奴らは挑戦してきたが、二例だけを思い返す事に。

 外回りからの帰り道、私はその時大通りを歩いていた。
何の事はない。事務所に行くのに一番近道だからだ。
煙草をくわえながらのんびりと歩く。黒桐のやつがうるさそうだが、まあ良しとしよう。

昼間だったが人通りはまあ私から見れば十分多い方だった。
背広姿の男、制服姿の女子、様々な人が通りを歩いていた。
中には公園に向かうのだろうか、子供がサッカーボールだかを蹴って他人に迷惑をかけながら進んでいた。

そう言えばいつだったか、黒桐が、
「橙子さん、スポーツはした事ありますか?」
と聞いてきた事があった。
その時は莫迦にするなと言って色々と列挙したものだ。
が、正直興味を持てないものに必死になる事が理解できないので、できるがやりたくないと言う事にしておこう。

そんな事を思っていると、そのサッカーボールを蹴っていた子供らの一人が、車道側にボールを蹴り飛ばしてしまった。
これはまたハタ迷惑な……と思うだけであまり気にならなかった。
車にボールがぶつかって大惨事になるかもしれないが、あの様子なら大事故には繋がらないだろう。

 と、いきなりその男子がボールを追いかけて車道側に向かう。
車道の中でも歩道側には違法駐車がしてあったが、それを見事にすり抜けてボールは進む。
視線を移すと、お約束のように後方から大型トラックが進んでくる。
いかんな。このままでは間違いなく典型的な衝突事故パターンじゃないか。

 さて、どうするか?
@私の責任ではないし、興味もないのだから放っておく→
 ガキは死んでトラック運転手は業務上過失致死罪で逮捕、会社はもちろんクビ。まあ私には損得両方ない。
A一応助けておく→黒桐にでも話したら少しは私を見直すかも?

「…まあいいか。面倒くさがるほどの手間でもあるまい」
そう言うと私は加えていた煙草を手に取り、刻印をつむぎだす。
ただのモノであるボールや魔術師でもない子供ぐらいなら遠くからでも文字を重ねられるだろう。
ただ驚愕の声をあげる大人どもを尻目に、ガキはそのまま車道の方へと飛び出した。
と同時に私は二つの対象に魔術を使用しようとする。
が、

「危ない!」
大人どもの間から車道に飛び出す女性が一人、彼女は子供だけを抱えて中央分離帯に倒れこむ。
一瞬遅れてその場をトラックが急ブレーキをかけながら通り過ぎていった。
ほう、と感心するのは私だけのようで、辺りは騒然とするばかりだった。
大人は拍手を送る者やただ騒ぐもの、大丈夫かと声をかける者など様々だ。

結局渋滞の原因にはなったがけが人や事故は起こらなかったようで、子供とその女性が歩道の方に戻ってくる。
その女性は意外にも私がよく知っている人物だった。

「もう大丈夫よ」
「ありがとうお姉ちゃん!」
女性の問いかけにとびきりの笑顔で子供は答えるが、こいつ人生終わりかけた事分かってるのか?
その女性は私の存在に気づくと、かなり驚いた顔をした。

「と、橙子さん!?」
「鮮花、随分と無益……もとい、勇敢な事をするじゃないか」
その女性、鮮花に対して私はそう声を送る。
照れ笑いを浮かべる彼女は何かに気づいたかのようにこちらに真顔を見せた。

「さあ橙子さん! ベタ…いえ、王道を見せたんですから賞品は私に!」
「はあ?」
言われてみれば確かにシチュエーションは間違いなく王道ものだ。
その点は賞賛してもいい。だが、

「何か勘違いしてないか? 私は『私に味わわせてくれ』といったはずだぞ。だから対象が私でないと」
「あ…っ!」
声をあげる鮮花だったが、今のはある意味で惜しいと言っていいだろう。。
しかし私が不意に車道に飛び出す事はないだろうしな……。その点は残念。

「まあ今のは十分楽しめたし、後で温泉の元ぐらいは買ってやるぞ」
「……微妙にケチ臭いですね」
ごもっともな意見だが変えるつもりは毛頭ない。

 そんなこんなで事務所に戻ると、黒桐や藤乃が仕事をしていた。
相変わらず式はここにいるだけのようだ。

「黒桐、何か変わったことでもあったか?」
「いえ、特に何も。強いて言うなら荷物が届いてますよ」
なるほど、たしかに荷物が私の机の上に置いてあるな。

大きさは六十センチの立方体ってところか。紙でくるんであり、あて先は私宛だ。
送り主は書いていない。魔術的なものも含んでいないところを見ると、粗品みたいなものか?
消印はこの町のものだから魔術関連の品物ではなさそうだな。
が、よく見ると『お早めにお開けください』と書いてある。

「……何ですかそれ」
「分からん。私だって透視ができるわけではないんだから」
包装紙はブルーのスクラッチ、丁寧にくるまれていたのでこちらも綺麗にそれをはがしていく。
出てきた箱は一見すると菓子の詰め合わせのものだ。紙製とは言え作りが丁寧だ。
これなら……と箱を開けようとする私だったが、なぜかふと三人の顔を見る。

 黒桐は黙々と仕事を、式も腕を組んでソファーに座ったまま、だが藤乃がちらっとこちらを見たので目が合う。
しばしの考案、導き出された結論は……。

「黒桐、これお前宛のようだぞ」
「え? そうですか?」
「お前の名前までは分からず、とにかく事務所に送っておこうと考えたんだろうな」
「はあ……」
気のない返事で黒桐はそれを受け取り、自分の机にそれを置いた。
そしてそれを手に取り、フタを開ける……!

「だっだめです先輩!」
藤乃はそう叫んで立ち上がるが今更遅い。

そして黒桐は見事に箱から飛び出したパンチを顔面に直撃させ、椅子ごと床に倒れた。

「み……幹也!」
「せっ先輩!」
式と藤乃は気絶して頭に星が飛び回っている黒桐に駆け寄っていく。
思わず私は笑みがこぼれてしまう。

「仕掛けたのは藤乃か。お前がびっくり箱を作るなんて驚きだぞ」
「……っ!」
私の発言に藤乃は仰天したようで、目を丸くして動揺している。
そんな藤乃に式は殺気を込めて睨みつけていた。

「藤乃……これはお前の仕業か?」
「だって……、驚かすならこういった箱でやれって書いてあったのものだから……」
藤乃につめ寄る式、うめき声をあげている黒桐。

「まあ、藤乃のせいじゃないな。要は私のほうが一歩先に行っていただけだからな」
あっけらかんと言い放つ私に誰も答えやしなかった。


「――とまあこんな感じだった」
要するにほとんどをかわすだけでなく、返り討ちにする余裕すらあったのだから、あの三人に私をぎゃふんと言わせるのは不可能だろう。
……三人の意外な一面を見れたと言う点では成功だったかもしれないがね。

 残るは何の行動も起こさずに不気味に沈黙を保ったままの黒桐。
行動を起こす様子も全く見られないし、式たちが返り討ちにあってもそ知らぬ顔なのは何故だろうか。
さあ、どう出てくる黒桐?


   /幹也

「それで、結局降参する事にしたの?」
「ううっ!」
「……っ!」
「……」
僕の一言が3人にそれぞれの反応を与えた。

 あれから色々とやったようだけど、どれも橙子さんを納得させる決定的なものではなかったようだ。
それぞれの表情はまるで地獄の一丁目を見てきたようで、顔を合わしづらい。
それほど返り討ちにあった事が衝撃的だったのかな。

例えば夜のバーでの「あちらのお客様からです」てな事。
見知らぬ人を使って交差点での衝撃的ぶつかりの出会いを演出する事。
橙子さんがぼけた所をハリセンでつっこんだりする事。
エトセトラエトセトラ。もちろん結果は散々だった事は言うまでもない。

「だって橙子さん、かなり用心深い上にちょっとの事では動じないんですよ」
「私達が勉強不足だったせいかもしれませんけど……」
「どっちにしてもオレ達は失敗したんだ。なかなか楽しませてもらったが、そろそろやめる潮時だな。暇はつぶせたし」
それぞれが感想を述べる中、式はぶっきらぼうに言い放ってソファーの上に寝転がる。
……それが学生の台詞か、式。

鮮花はかなり悔しいらしく、さっきから仕事に手がついてない。
浅上さんは苦笑いを浮かべるけど、彼女は何をしたかは語ってくれなかった。
ようは全員手詰まりになっていたのだった。

「幹也、そう言えばオマエ、橙子に何もしてなかったな。どうしたんだ?あんな事までやられて」
「そ……そうですよ! せっかく橙子師が公認で何をしてもいいと言っているのに何もしないなんておかしいですよ!」
式と鮮花は思い出したかのように強く主張する。
あんな事とは多分あのパンチの事だろう。ボクサーの一撃で気絶すると聞いていたけど自分がそれを味わう事になるとは思わなかった。
そう言えばこの二人には何も言ってなかったっけ……。

「三人が降参したら僕も動き出そうって浅上さんには伝えたんだけど。二人とも、僕が動いちゃっていいの?」
僕が問いただすと、式は腕を組んだまま何もせず、鮮花は頭に指を当てて考えてしまう。

「いいぜ、オレは。何も出来ないままよりはいいだろ。」
式ならそう言うと思った。でも思ったよりあっさりした言い方だ。
そして…。

「……兄さんが何をしようとしているのかによります」
「え?」
「説明していただけますか? 何をするかを」
これは意外、そう切り出すとは思わなかった。
これには式や浅上さんも興味を持ったようで、身を乗り出してくる。

「オレも聞きたいな。お前が橙子をどうするのか」
「えっと……どうするんですか、先輩?」
確かに妥当な意見ではある。僕が何をするかによって今後の動向を決めるのも一つの手だ。

「……まあこっちに秘密にする理由はないから言っておくけど……」

 僕は数分かけてなるべく詳しくその手口を説明した。
順を追うたびにみんなの表情に明るさが見え始めた。
鮮花の顔が輝いて見え、式は感嘆の声をもらし、浅上さんはちょっと気の毒そうな表情を浮かべる。

「そ……そんなにやってしまって橙子さん、怒りませんかね?」
「怒るわけないだろ。アイツ自身が言い出した事だ」
「その通りです。橙子師にはたまにはこんな目にあってもらう必要が確実にあります」
浅上さんは当然の疑問を浮かべるが、式と鮮花はやる気満々だ。
それどころか多分僕が行動に移らなくてもしゃべった事を実行しそうなのが怖い。

「って本当にやるつもりかい? 僕はもう少し見送ったほうが……」
「当然だ」
「当然です」
……見事なコントラストをどうもありがとう。賞品はないけど何かの賞をあげるよ。

「それにしても……」
鮮花はもう勝利を確信した不適な笑いを、式は今まで見たことのないようなにんまりした表情を浮かべていた。
今は少し後悔してる。正直話さなかったほうが良かったかもしれない。
と言っても止めるなんて事もしないけれども。

「じゃあ、早速やり始めるか」
「そうですね。橙子さんが来るまでに済ましてしまいましょう」
「そ、そうしましょう」
三人は一斉に立ち上がると、恐ろしいほど手際よく作業を始めた。
そのおかげであっという間に準備は整ってしまい、後は橙子さんを待つだけになった。
こんな時ばかり協力しないで普段も仲良くやってほしいんだけど。

 そして、しばらくして足音が廊下の方から響いてくる。
僕らは黙々と自分の仕事をするそぶりを見せていたけれど、僕から見ると明らかに不自然なのが否めない。
まあ、多分その点は大丈夫だろう。

「諸君、おはよう」
がちゃり、と音を立てて橙子さんがドアを開けた。
声の調子がどこか起源が良さそうな雰囲気だ。

橙子さんがいつもどおりの行動パターンなら、そのままけだるそうに部屋の中に入ってくるはず。
ならば、そこに付け入る隙があるはず……!

それなのに僕の予想は大きく外れ、橙子さんは部屋に入ろうとしない。
今日にかぎって…!?
そのまま橙子さんの目の前を黒板消しが落ちていった。
橙子さんを含め、五人は黒板消しに注目する。

静寂があたりを包んでいくが、しばらくして橙子さんは手を顔に当てて深くため息をついた。
それはそれは海よりも深く。

「扉を開けたら黒板消しが落ちてくるトラップか、まさかこの事務所で拝めるとは思わなかったがな。にしても――」
橙子さんはかがんで黒板消しをもてあそぶ。
少しあきれた顔だ。この感じは。

「誰だ、こんなトラップ考え出したのは。陳腐すぎて逆に賞状を送りたいぐらいだ」
「あ、それ僕です」
正直に僕は手を上げた。彼女は黒桐が? という意外そうな表情を見せる。
橙子さんが僕をどう思っているのかは分かりかねないけど、どうも拍子抜けしたらしい。
うーん、こんな表情をされるのはちょっとめずらしいかも。
でも、正直まだ早いかと。

「黒桐が? まさかお前がこんな手にでると……。ちょっと待て」
橙子さんは会話をいきなり切ってこちらの方を指差してくる。
僕の机のそばには天井から伸びる二本のヒモだった。縄といったほうが近いかもしれない。

「それは一体なんだ?」
「これですか? もちろんこうするためのものです」
橙子さんが認識する暇なんて与えません。てなわけでヒモを一本勢いよく引いた。

その直後、たらいが天井から落ちてきて橙子さんの頭を直撃した。
頭を抱えてしゃがみこむ彼女、正直かなり痛そうだ。
たらいは床に転がって動かなくなった。橙子さんも動こうとしない。

うーん、ちょっとやりすぎたかな?
そんな事を思っていた僕だったが、鮮花がやってきてもう一本のヒモを引く。
もうためらいの「た」の字も見られない勢いで。

「あ」
僕が声を上げるよりも前に天井に設置したバケツから水が流れ落ち、橙子さんに追い討ちをかけるように降り注ぐ。
絶句、本当にやったよ鮮花のやつ……。

少し後のほうが心配になってくる僕。浅上さんも同じなようで、少しおどおどしている。
一方の鮮花は笑いをこらえるので精一杯だ。式ですら笑いをこらえている節がある。
正直僕は苦笑いでごまかすしかなかった。

少したった後ゆらりと、まるでアニメで爆発寸前のヒロインのように橙子さんが立ち上がった。
その雰囲気は一瞬般若を連想させて、ものすごく怖いんですけど。

「これも黒桐、お前が考えたのか……?」
「た……確かに考えたのは僕ですけど、率先してとりくんだのは鮮花達ですよ」
「ほーう……」
頭の水滴を払いつつ、橙子さんは一歩踏み出した。

そして、いつの間にか配置しておいたバナナの皮を踏んでひっくり返った。

『……』
辺りに訪れる静寂……じゃなくて沈黙。
鮮花と式は爆笑寸前まで行ってるし、僕と浅上さんは逆にこの先の事を思うと不安でいっぱいだった。
にも拘らず唇が上につりあがっていくのはどうしようもない。

橙子さんは脳天から思いっきり床に落ち、盛大な音をさせた。
多分皮を配置したのは式、あの水をかぶった時だろう。でなければいくらなんでも気づかれてしまうだろう。
手際が良いというかなんと言うか。僕にとっては絶句ものだ。

床にたまった水にもう一度服と頭を濡らす橙子さん。
しばらくすると、さっきよりもゆっくりと橙子さんは起き上がった。
恐ろしいほど静かに。

「……で、これを考えたのは?」
丁寧に述べる橙子さん。正直名乗り出るのが怖いのだけれど…。

「僕です。準備は三人が率先して協力してくれましたけど」
「そうか…。分かった」
そしてなんと橙子さんはさわやかなほどの笑顔を見せる。
怖い……はっきり言ってとてつもなく怖い……。
笑顔が怖いのではなく、この状況で違和感のまったくない笑顔を見せる橙子さんが。

「ちゃぁぁんと旅行に合わせて日程空けとけよ。四人とも、早速手配するからな」
そう言うが橙子さんは部屋から出て行った。
足取りは全身ずぶぬれになっても優雅なままだった。

「……やりました。やりましたよ兄さん。ついにあの橙子師を欺いてぎゃふんと言わせたんですよ!」
「幹也、お前絶対に犯罪者にはなるなよ。どんなやつでもお前にぎゃふんと言わされそうだからな」
「ちょっとやりすぎた感もありましたけど……、旅行に行けるのは純粋に嬉しいです」
橙子さんが扉を閉めた途端、三人がそれぞれの感想を述べて立ち上がり、互いに健闘をねぎらう。
正直、ここまでやる必要はなかったと思うんだけど、のりのりだった三人を止める事はしなかった。
まあこの際橙子さんには痛い目を見てもらったほうが今後のためかもしれないと思ったから。

 でも、その今後の事を考えるとやっぱり不安になってくる。
あの様子だと先が思いやられると思うのは僕だけだろうか。


   /橙子

 ここはとある場所。あり大抵に言えばものすごく暑い所だろう。
準備し始めてから随分と経過したが、思った以上に順調だった。
この調子で行けば一週間以内に全てが整うだろう。

私の脇を多くの人々が行きかい、何かを成してゆく。
空はとても青く、雲なんぞ一切見られないほどの快晴。太陽はとてもまぶしい。
そばにある建造物はこれまた風情をかもし出している。
私はあまりにも出来すぎている事に笑みが抑えきれないでいた。

「順調に準備が進んでいるようだな。これだけ盛大にやれば問題の十や二十ほど見つかると思っていたが、杞憂だったか」
「そうでもないわ。貴女が別の作業をしている間に他の人達がミスをカバーしていただけの話よ」
少女の声があきれ果てているが、それでも思ったよりもはるかに順調に進んでいる事には違いない。
これほどうまくいくとは正直自分でも信じられないほどだ。

もしかしたら私は私じゃなくて別の誰かなんじゃないのか?
蒼崎橙子じゃない誰かが蒼崎橙子以上の働きでも見せてるかもしれないな。
そんな風に考えて思わず苦笑してしまう。

「で、他の者達は今どうしているんだ?」
「あいつらは自分の仕事の最終調整に入ってるわ。その後私事を始めるみたい。彼らはもう適応してるわ」
そうか。あいつら、思った以上に熱心に取り組んでいるな。嬉しい誤算だ。
それと彼らが思った以上に柔軟なのは助かった。せっかくだからと声をかけたのは正解だったようだ。

「全ての準備が整ったら顔を見せに行くと伝えておいてくれ」
「私は貴女の使い魔じゃなくてよ。それを分かっていて?」
「だから頼むんだよ。お願いします」
「……ふん、別にあんたのためにやってるんじゃないんだから」
少女の声が遠ざかっていく。
私は少女には目もくれずに一つの建物のドアノブに手をかけて、盛大に開け放った。

中には大勢の人がいたが、その中心にいる三人へと私は一直線に足を進めた。
私に気づいた三人は会話を止めてこっちに顔を向けた。体を向けてこないのは彼ららしいと言うべきか。
だが約一名、口の中に物をほおばったままなのは殺意が湧いてくるからやめてくれ。

「慣れたか?」
私の発言にそれぞれが独特の反応を返してきた。

「ああ、いつでも出迎えられるぜ」
「うん、今からでも楽しみでたまらない。待ち遠しいよ」
「それで、いつ準備って奴が終わるんだ? さすがにやる事が無いと飽きてくるんだけど」
我慢しろ。おまえ達が大丈夫でも私達の準備がまだなんだからな。

「所でトウコ、一つ聞いていいか?」
「あ、ボクも一つ聞きたい事があるんだ。いいかい?」
「どうぞ」
それでもめまぐるしいほど忙しいわけじゃない。質問ぐらいは聞いてやるか。
まず一方に発言を促す。

「何でボクらなのか、教えてもらいたいんだけれども」
「おまえらだけじゃない。基本的に彼と彼女と深い関わりのある者は平等に招待している。
 ただおまえ達が今の位置にいるのは私の一存だ」
そう、とあっけなく納得したそいつは再び皿に盛られた料理にフォークをつけた。
それをため息交じりで見やりながら、もう一人が言葉を発する。

「なんでわざわざこんな事を?」

とてもあっさりとした口調で、今行っている全ての本質を突く言葉を。
私を含めた四人の動きが止まった。周りはにぎやかなのに、まるでそこだけ時間が切り取られたように。

「他に方法だってあったはずだろ。なのにトウコはオレ達を呼び出した事を含めてわざわざこんな事をしてる。
 王道の体現とか呼び出された時は言ってたけど、今の状態が異常なのはオレにだって分かる事だ。
 場合によったら――」
オマエを殺す。そいつは冷たい殺気を込めた視線を私に向けた。

――さて、どう説明するべきか。
こいつらに説明した王道の体現も間違いじゃない。それだって目的の一つだ。
が、こいつらに説明していない目的がまだ存在する事も事実だ。それにこそ今の行為の意味がある。

問題はそれをしゃべる必要があるのかだが、しゃべったらしゃべったでまた支障をきたす恐れが十分にある。
たった一つの歯車がなくなっても計画はおしまいだ。それだけは避けなくてはならない。
やはりここはごまかすしかあるまい。

「言っておくがおまえ達の位置は彼ら寄りだぞ。したがって説明してやる義務も義理もない。
 だが、最低でも彼らの事を考えて行っているとだけ言っておこう」
「……」
私は煙草を取り出して片手でマッチをすり、火をつけた。
目の前の者達は思うところがあったのだろうが、とりあえずは引き下がる事にしたようだ。

「トウコ、あらかじめ言っておく」
「どうぞ」
「オマエが何を企んでるのかオレの知った事じゃない。だが――」
アイツらに危害を加えるなら殺す。冷徹な言葉を残して私から視線を外した。

「おいおい、私はみんなに楽しんでもらうために行動してるんだぞ。それを忘れないでくれよ」
「信じていいのやら……」
「大人のお姉さんを信じなさい」
「――自分で言ってて寒くないか?」
心底から嫌悪をあらわにしてるオマエ、ぶちのめすぞ。

「まあいいさ。どんな暗部があろうと、オレ達のする事は決まってるしな」
「そうだね。この状況を精一杯楽しむだけさ」
「楽しめりゃいいんだがな」
憮然とした中でもどこか笑みを持つ三人、私にとってはそれだけ見れれば十分だった。

準備は整いつつある。
私の目的は一に王道、二に■■、三に■だ。
三は正直期待していない。私なりのけじめをつける丁度いい機会だったから、というついでに過ぎない。
もともとこの準備は一を目的にしていたが、実は彼らが楽しめればそれでいいので、正直これもどうでもよかった。

問題は二だ。
準備を進めているうちに私が行き着いた一つの衝動。
私が蒼崎橙子としてこれからを過ごすにあたって、これはどうしてもやっておきたかった。
これが達成された時、新たな一歩を踏み出せると思う。

さあ、幕開けだ。


   /式

 私はトウコの奴が随分と手際良く旅行のスケジュールを組んで、今日私達を集めた事にかなり疑問を持った。
あのだましうちの後、あいつが随分とあっさりと態度を元に戻して仕事に励む、そんな馬鹿な事があってたまるか。
それに集合が何でこの事務所なんだ?

私と幹也の服装は普段とほとんど変わりがない。鮮花の奴が、
「ちょっと。もう少し服装ぐらいいつもと変えて来なさいよ。この莫迦式」
と言ってきたが、その台詞を幹也にも言えよと言ったら何も反論してこなかった。
一方の鮮花と藤乃はいつもと雰囲気こそ同じだが、少し服装が違った。
あいつに言わせると、その何気ない変化がポイントらしいが、興味はない。

集合時間は朝早くに決めつけてきたくせに、トウコは二十分近く遅れて部屋に入ってきた。
寝起きなのか徹夜なのか知らないが、あくびを噛み締めている。
目の下にくまが出来ているからおそらくは後者だろう。

「よく集まったな。こんな朝早くご苦労な事だ」
「橙子さん、何でここが集合場所なんですか? 私たちはもう子供ではありませんから空港やターミナル駅ぐらい自力で行けると思うのですけれど」
鮮花の言った事は最もな意見だ。
幹也もそれに同意して、同じ事をもっと丁寧な口調で発言する。

「ん、その意見は的確だな。だがそれに対する答えは一つしかないな」
そう言ってトウコはくわえていた煙草を灰皿に押しつける。
そして、むかつくような笑みを浮かべてこう言った。

「ここからが既にツアーの始まりなんだからな」
「えっ!?」
鮮花が声を上げて不思議がる。
この時、私に激しい悪寒が走った。こんな時はろくな事が起こらない。
私は考えるより速くトウコにつめよるが、アイツはそれをあらかじめ想定していたのか、出口を開けっ放しなままだった。

「じゃあ、ガイドもいるから後は彼に聞け」
「おいトウコ!」
「良い旅を」
あいつは扉を閉める。私が再び扉を開けるまでにコンマ数秒に満たなかったはずだ。
だが、扉を開けた瞬間、私は絶句した。
扉の外を眺めた幹也や鮮花も私と同じ反応を示した。

「こっこれは……っ!」
始めに言葉をつぶやいたのは鮮花だった。
はっきり言えば、そんなの私の方が驚きたい。

私がまず外に出る。次に幹也。そして鮮花、藤乃と続く。
そこで、部屋は消えた。文字通りそこに痕跡も残さずに。

「幹也、だからオレは反対だったんだ。アイツの言うことを真に受けるなんてな」
私は思わずつぶやいてしまった。

 いつも、と言うより普通の世界では部屋の扉は廊下に常時通じているものだ。
だが私たちが今立っているのは一面の黄金世界。
空は天井などなく、青い空がどこまでも広がり、太陽は外以上に私たちを照らす。
そう、部屋はなぜか砂漠のど真ん中に通じていたのだった。



閑話休題。若干の会話もあったが、結局何の進展もなかった。

「だっておかしいでしょう! この世界は!」
鮮花がいらだって砂漠の砂を蹴り飛ばす。
そんな事しても無駄に体力を消耗するだけだが、収まりガきかないようだ。

「皆さん、ちょっとこっちの方角を見てくださいよ」
「一体何よ藤乃。こっちはただでさえいらだってるんだから……」
「何か見えませんか?」
鮮花の否定をとにかく無視して、私は藤乃が指差した方角を見る。
私は目が良い方だが、米粒が動いているようにしか見えない。

「たしかに何かあるな」
「あれですけど、こっちに向かってくるみたいですよ」
鮮花と幹也もそちらの方に注目する。確かにあれはこちらの方に向かってきている。
よく見ると車、多分四輪駆動の軍用ジープのようだ。
本当に何もない砂漠の中、こちらの方に向かってくる。

 しばらくすると、その軍用ジープは私たちの前で停止した。

「一体何なんですか……?」
苦笑いを浮かべて鮮花はつぶやく。
ジープから降りてきたのは予想通り軍人が数人だった。私たちの前に整列する。
幹也をかばうように身構える私たちだったが、軍人の発した言葉は以外だった。
そう、すべてが――。

「考古学者の黒桐幹也君ですね?」
「えっ!?」
この言葉に一番驚いたのは幹也だった。
いつの間に自分は考古学者にされたのだろうか、疑問に思っているに違いない。
鮮花や藤乃も驚いているが、まあトウコの事だし。
だがこの世界での幹也の肩書きはどうでもいい。

 私が何よりも驚いたのは、コイツの発する声そのものだった。
何しろ、一度聞いたことのある声なのだから。
それも、もう永遠に聞くことはないと思っていた、彼の。

「あ、まあ僕の名前は黒桐幹也で正しいですけど……」
「待っていましたよ」
そう言って彼は深く被っていた帽子を外す。
そして、そいつを見て鮮花は間違いなく絶句した。
そう、こいつは……。

「私は言語学者であり、大英帝国陸軍大尉のゴドーワード・メイデイと言います。以後よろしく」
そう言ってゴドーワード、いや、玄霧皐月は相変わらずの笑みを浮かべて手を差し伸べてきた。




to be continued…


つづく

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 今回は空の境界にトライしてみました。正直かなり難しいです……。精進しないと。
 でもこの頃思うんですが、こうやって小説書いていると、誰がどんなキャラかの新たな発見があり嬉しいです。本当だったらアルクェイドの時と同じく一話構成でしたが、長くなりすぎたんで二話構成に……、飛躍しすぎました。後編は近日中には公開しますので。
 なぜゴドーワードは復活したのか、復活したのは彼だけなのか、そして橙子さんの更なる脚本とは…? それでは次回、アドベンチャーで会いましょう。
  2006年3月13日

 で、読み返してみるとどうもこれ短編じゃあすまなくなってきたっぽいんですよね。てなわけで分割して長編にします。読みにくいかもしれませんが、どうぞよろしくおねがいいたします。
  2006年5月27日 第一回改訂

 そろそろ最終回にあたって全ての見直し作業に入りました。今から見てみると違和感が多い分は少し直し、三点リーダを二つにして鍵カッゴの前に句読点は入れない、などを訂正しました。今週中に最終回を追加できる事を祈りつつ。
  2007年10月1日 第二回改訂


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