/幹也

 どこまでも青い空、ほんのわずかにある白い雲、広くどこまでも続く大地。
太陽は大地をすみずみまで照らし、僕らに温かみを分け与えてくれる。
本当、直接見ていないのに太陽の光はとても眩しい。

そんな中、僕こと黒桐幹也はいたって普通の格好をしていた。
黒髪に黒ぶち眼鏡。その黒で統一している服装を見て橙子さんはいつか、
「君は少しぐらい流行を追ってみてはどうなんだ?見ていてどうかと思うのだがな」
と言っていたけれど、変える気は全くない。

 僕の周りにいるのは三人。
式、鮮花、そして浅上さん。浅上さんが来ている事以外はいつもと同じだ。
その式、彼女は既に羽織っていた上着を右手でかかえていて、かなりと言うか……。

「幹也」
式は僕の顔を見ながらそう述べる。
和服姿の彼女は今ものすごく不満そうな顔をしていた。いや、憤慨?
……まあそんな色々な感情がこれでもかと言うぐらい交じり合った表情を浮かべている。

「だからオレは反対だったんだ。アイツの言う事を真にうけるなんて」
そしてこの一言、これが今の僕たちの状況を物語っていた。

僕はおろか、鮮花や浅上さんもそれについては否定しようとしない。
鮮花は式と同じく橙子さんへの憤りを感じているようで、憮然としている。
一方の浅上さんは物珍しそうに辺りを見渡している。

「でも兄さんはわたし達の事を考えて行動してくださったんです。そう言うのはどうかと思いますけど?」
「そうですよ。先輩だって色々と苦労は重ねているのでしょうし……」
式の言葉に対し、鮮花が反論、それに浅上さんが同意する。

「そんな事は関係ない。今起こってる現実がそれを見せてるだろ?」
「大体あなただって乗り気だったじゃないですか。
 『本人の許可をもらって嫌がらせができるんだ。それを利用しない手なんてないだろ?』
 これあなたの一語一句そのままの台詞ですけど?」

「それとこれとは話が違うだろ。オレが言ったのは報酬の部分だ。それまでのはめるまでの話じゃない」
この先いつまで続くか分からない口論をしだす鮮花と式。
ここが事務所ならそれに橙子さんが入ってきて仕事の効率をほぼ0にすることこの上ないが、あいにくここはそうじゃないのがせめてもの救いだ。

僕はため息をついて浅上さんの方を見る。
こんな状況になっても凛々しい、と感じさせてくれるのは心強い。

「ごめんな浅上さん、僕の……」
「藤乃、でよろしくお願いします。先輩」
凛々しくもかわいらしい顔をこちらに向けて真顔でそう述べる。
少し考え込んだが、式も呼ばれ方にこだわっていたし、僕の方もこだわる理由がない。

「んー、じゃあお言葉に甘えて……。藤乃さん、僕の……」
「藤乃さんじゃあ私が先輩をこき使ってるみたいじゃないですか。ダメですそんなの。呼び捨て、もしくはちゃん付けで」
呼び捨てかちゃん付け……。いいのだろうかとも思うけど、些細な事だろう。

「分かった。なら藤乃ちゃん、僕のせいで君まで巻き込んでしまって……」
「いいんですよ先輩。私だって好きであそこにいるんですから」
にこっ、と漫画ならそこで確実にその擬音が入るに違いない笑顔で答えてくる。
こんな状況じゃなく、公園でお弁当を持ちながら昼を食べてる時にこんな会話をしてればいい雰囲気なんだけど……。

「おい幹也、こいつと話してても事態は変わりはしないぞ」
「兄さん、そんな和やかな会話でこれが改善されるなら式にだって土下座しますけど」
いつの間にか言い争いをやめた二人がジト目でこちらを睨んでくる。
……頼むからこんな事以外でも仲良くしてほしい。

「兄さんは今私たちがどのような状況に置かれてるか分かってるんですか?」
「でもタダで旅行にいけた事に変わりはないじゃないか。それで良しとしないか?」
「ただの旅行ならな」
「ただの旅行でしたらね」
うあ、式と鮮花のコンビ攻撃。ボーナスポイント付きますよ。
それに2人の目つきが更に冷たくなった気もする。

「だって明らかにおかしいでしょう! この世界は!」
鮮花はそう言って地面の砂を蹴り飛ばす。
砂場にあるような灰色のものではなく、黄金に光り輝くそれを。

 青い空、白い雲、広くどこまでも続く大地。
太陽は大地をすみずみまで照らし、僕らに温かみを分け与えてくれる。
そうさっきは言ったが、それどころかものすごく暑い。

周りを見渡すと360度全てに地平線が確認できる。
多少の起伏があるものの、ほとんどがその黄金の砂で覆われている。
遠くには動物園でしか見たことのないラクダに乗っている民族衣装に身をかためた人が見える。

そう、僕らは今エジプトっぽい所にいた。




王道・橙子さんの場合

第1話


   /幹也

 そもそものやりとりは橙子さんの全くの気まぐれから始まったようなものだ。
と言うより厄介ごとは全て橙子さんから始まってる気がしないでもないのが悩みの種だ。

「黒桐ー」
いつものように資料を整理していると、気のない声で橙子さんが話しかけてきた。
sしかもなぜかは分からないけれど、メガネを外した状態で。

仕事の期限が近づいていると言うのにこの余裕はどこから生まれてくるのだろうか?
それにこんな声で話しかけるとたいていロクでもない事しか起きない事は経験で分かっていたから答えたくはなかった。
けれど、答えないとそれでまた事情が複雑になりそうだったので、とりあえずは返事をしておく。

「……なんですか改まって」
「『呼んでみただけ』なんて事はないから安心しろ」
そんな事になったら本気で転職考えます。

「まさか給料払えないとか言わないでしょうね」
「言わんよそんな事」
即答するが、目が泳いでるんですけど。
僕の生活がかかってるのだが大丈夫なのだろうか?
あのウイジャ盤の事もあるし、その他例をあげれば頭が痛くなるだけだ。

「そうですか」
……まあ今更言い出しても限りなく遅いので、改めて資料の整理を再開する。

「今は」
「しっかりと払ってもらいますからね」
「給料の話は置いといてだな……」
ごまかしましたね、確実に。それはもう確実に。

「黒桐、実はな――」
「はやく言ってくださいよ。仕事の締め切りは明日ですからね」
だと言うのに微妙に橙子さんの手が動いてないように見えるのは気のせいでしょうか?

「王道とは何だと思うかね?」
「はあ?」
あまりに突拍子もない事だったので、思わず間の抜けた声を上げてしまう。
一体何を言い出すんだこの人は。

「……」
「……」
場に流れる静寂。僕は手を休めて彼女を眺めており、彼女もゆっくりと加えていたタバコを灰皿に押し付けた。
そして、軽く息をはく。

「ほら、色々あるじゃないか。新任教師のためにドアに黒板消しを挟んでおくとかバケツを用意するとか」
「その言葉でどんな青春時代をすごしたか容易に想像できるんですけど」
「気のせいだ」
「……で、何でまたそんな事を?」

橙子さんは顔色一つ変えない。
ちなみに彼女が今持っているのは漫画、たしかかの週刊誌、黄金時代のものの本だったはずだ。
……何に触発されたのか容易に分かってしまうのが悲しいんですけど。

「実はな、私も一度ぐらい王道というものを味わってみたいのだよ」
「はあ……」
気のない返事をとりあえずしておく。

「鮮花や式にもそう伝えておいた。黒桐、お前もぜひやってみてほしい」
「そんなくだらないことをやってるヒマがあったら仕事してください」
そう言っても多分その気まぐれが達成されない限り仕事ははかどらないだろうと思い、深くため息をつく。
式や鮮花がこの提案に乗っかってくるとはとても思えないし。

ちなみにその式と鮮花は橙子さんに言われた仕事をやりに外出中、事務所は僕と橙子さんだけだ。
だからこそ仕事がはかどると考えていた僕の予想からは大きく外れているのが残念だ。とっってもっ。

「私をはめる事ができたらツアー旅行を私が全て工面してやる。式とでも行ってくるがいい」
…!
何か裏がある事は間違いない。だがその裏は何だろうか?
怪しさに拍車をかけるのがその褒美とも言うべきツアー旅行だ。
東京の人達で言う熱海一泊旅行並ですら出さないだろうと確信していただけにこれには確実に何かがある。
むしろ嫌な予感しかしない。

「……そのツアー旅行が実は橙子さんの作り出した摩訶不思議世界に案内するものじゃありませんよね」
「んな後で騙すような事などしないよ。れっきとした海外旅行だ」
海外旅行、普通の会社の慰安旅行ならばその海外旅行とやらは例え安いものであっても喜ぶべきものだろう。
でも橙子さんならばそれがどうなるのだろうか……。
想像したくもなかった。

「鮮花も面白そうだと言ってにやけてたし、藤乃も海外旅行に行けるのならとはりきっていたぞ。
 式のやつはいつも通りの態度だったがまあこの際どうでもいい。多分アイツも参加するだろうしな」
「そうでしょうか。式が積極的に参加するとはどうしても思えないのですが」
「分かってないな。確かに式は自分がくだらないと思うものには全く興味を持たないが、それはおまえが絡んでくれば万事解決だ。
 あいつもおまえのためなら火の中水の中、だろう。きっと旅行もおまえのためにささげるさ」
それがさも当然のように断言する橙子さん。橙子さんの常識が世界の常識のように語る。
あいにく僕にとっての常識とは食い違っているようだけれども。

「それでやられた事を理由にしてやり返したりは?」
「子供じゃないんだ。そんなことはせんよ。鮮花もそうだが私の事を社会不適合者と勘違いしていないか?」
「労働基準法であなたを訴えても退けられるぐらいの待遇をしているのなら勘違いでしょうけど」
さりげなく皮肉を言ったつもりだが、全く動じないで本を読み続ける。

「何なら思うような人数分を確保してやってもいいぞ。どうせお前が勝てば式とだけ行って血色よく帰ってくるんだろうがね」
「さりげない爆弾発言はやめてください」

「おや、式の体では不満かね? 発育不足なのは私もうすうす感じているが、それもそれでいいと思うが?」
「って何言ってるんですか!」
僕はそう言って机を叩きながら立ち上がる。
思いっきり誤解を招く発言に、僕の思考はかなり高まりを見せる……気がした。

「もしかしたら複数でないとダメなのか? それはまた……」
「いいかげんにしないとしまいには僕にだって考えがありますよ」
本気で役所に足を運びますよ。十分な書類をともなって。

「おや、そこにいるのは式かな?」
「えっ!?」
僕はものすごい勢いで振り向くが、そこにはもちろん誰もいるはずがない。
……頭では嘘だと分かっているが、体が反応してしまう自分が情けない。
僕の方を見て橙子さんはニヤニヤと笑っている。もはや完全に僕の思考が見透かされてるらしい。

「で、どうするんだ幹也。別にいいんだぞ、無理せんでも。」
僕は深いため息を再びついた。

ここでとる方法は3つ
@「んな事考えてないで仕事してください」→橙子さん、不満爆発で仕事を僕に押し付ける→バッドエンド
A「……まあいいですよ」と言っといてその発言を踏み倒す→一番良さげだけど後が怖い→ノーマルエンド
B「ぜひ」と言い、日ごろの鬱憤を晴らす意味で橙子さんをはめる
 →ツアー旅行が何なのかは分からないが、最悪でも上二つよりはマシだろう→グッドエンド?
よって出す結論は……。

「ぜひやらさせていただきます」
「そうこなくちゃな」
そう言ってようやく橙子さんの手が漫画から離れ、動き出す。
消去法で導かれた前途多難な未来に、僕はため息をついた。


   /藤乃

「聞きましたか兄さん、橙子師の提案」
「ん、聞いたよ」
「一体何を考えてるのかしら」
「さあ、僕の考えなんて及びもつかない事じゃないかな」
橙子さんの気まぐれ発言から二日、鮮花は仕事に追われる先輩にそう話しかけていた。
仕事のピークがすぎたのだろうか、話をふられてもしっかりと受け答えができている。

 橙子さんが外回りと言って事務所を出て行って、残っているのは私を含めて四人だけだった。
私は橙子さんに頼まれた事務所の片づけを、鮮花は魔術書の写本作りを、式さんはソファーで本を読み、そして先輩は忙しそうに仕事をしていた。
式さん以外にはご苦労様ですといいたい。

 ちなみに今式さんが読んでいるのは「続・遠野家のコンゲーム」。
前作がそれなりのものだったので作られた続編で、結構コアな所に人気があるらしい。
橙子さんが前に読んでいたのをそのまま借りてきたようで、微妙なよれ具合に見覚えがあった。
……でも一家で騙しあいをしながらゲームをする本をなぜ読んでいるかまでは私には分からない。

「で、どんな方法でいくつもりですか?」
鮮花は自分の手を進めながらなお話を進めた。
先輩はうーんとうなって…、

「……それならもう手はあるから鮮花は別の手でやってくれ。ひょっとしたらもう明日には?」
「な……っ!」
鮮花がなぜ絶句するのかは分からないので先輩は手を進める。
一方の鮮花は何かを確信したように先輩を睨みつける。何かを確信したかのように。

「兄さん。どうせ兄さんがとったら式と行く気なんでしょう」
「え…? そんな事は一言も言ってな……」
「いいえっ。そうに決まってます。そうは問屋がおろしませんよ!」
鮮花は思いっきりテーブルを叩き、立ち上がった。

先輩に案がある=式さんのために精一杯やる。……ものすごいこじつけなような気がするのだけど。
そんな鮮花に対し、うるさそうに式さんが睨みつける。見るからにかなり不機嫌のようだ。

「うるさいぞ鮮花、少し黙れ」
「あんたはいいかもしれないけど、私はよくないの!」
かぶりをきる鮮花。感情が高ぶるとそれを隠そうとしないのが彼女らしい。

「冷静よそおってるけど、あんただって兄さんと行けることを喜んでるくせに」
「それはそうだ。誰が頼まれたってお前を誘うか。オレが取ったらオレと幹也だけで十分だ」
「私だって桐子さんをはめたらあんたなんか誘いませんから。兄さんと二人でゆっくりしていきますのでご安心を」
「へえ、二人でゆっくりねぇ……。なら友人の藤乃は連れて行ってやらないのか。薄情なやつだな」
「なっ……!」
あ、鮮花が黙った。どうやら建て前と本音の間にさいなまれているらしい。
わなわなと鮮花はこぶしを握り締め、ふるえだした。よっぽど今の一言が効いたようだ。

「も……もちろん連れて行くに決まっているでしょう! あんたなんかとは違うんですから!」
「とってつけたような……」
ああ、お願いですからけんかはよして……と言いたいけれど、そうすると私どころか先輩までとばっちりを食いそうだ。
先輩はこれがいつもの事なのだろうか、黙々と作業を続けていた。
……正直私はここに来始めてからまだあんまりそんなに経ってないから、これには慣れていない。でも慣れたくもないかもしれない。

「こうなったら式の行く手をはばむのはこの私しかいないようですね。兄さん!」
「え?」
急に話題を振られた先輩は少し驚いた表情で鮮花のほうを見る。

「必ずや橙子師を欺き、貴方とともに温泉に行く事を約束しましょう」
「ちょっと鮮花、何か大きな勘違いを――」
「それまでは兄さんは『敵』ですっ!」
返す言葉のヒマすら与えられなかった先輩はただ呆然とするばかりだったようだ。
鮮花は速い足取りで出口の方にむかい、思いっきりドアを閉める。その勢いでほこりが若干舞い落ちてくる。
不安定な食器棚から皿が落ちそうになるのをあわてて止める先輩は浅くため息をついた。

「……まあいいか。今回はどう転ぼうとも悪いほうには動かないだろ」
既に悪い方向に進んでいるような気がしているのは私の気のせいでしょうか。
もしかしてそんな姿を楽しむのが本当の理由では……?

「どうしたんだ? あいつ。随分と腹をたててたみたいだったけど」
式さんは呆れながらつぶやくけれど、どうやら腹をたてていた理由はちゃんと把握してるようだった。
先輩は一方で本当に分からないらしく、首を傾げるだけだった。

「ん、僕には分かりかねるよ。何を勘違いしたのかな……?」
「幹也の考えを冷静に考えればどうせオレ達全員を連れてくんだろ」
あ、それは私も考えてた事だった。
先輩とは式さんや鮮花よりは付き合いが浅いけど、何となく考えてる事が分かるぐらいにはなったかもしれない。
で、先輩の性格なら多分そう考えているだろうと思っていた。

「うん、一応そのつもりだけど、式たちはどこか行きたいところはあるのかい?」
「大丈夫ですよ先輩。わざわざ無理して私を連れて行ってくれなくても、好きな方とだけで行ってもいいんですよ」
「え? そ……そんな事……」
先輩は戸惑いを隠せないようだ。
本当なら先輩は式さんとだけで行きたいのだろうけれど、みんなと一緒にというのもまた本音だろう。
本音同士のぶつかり合いならなやむはずです。

「幹也の希望は関係ない。それに鮮花のやつや藤乃、お前の考えも無駄に終わるぞ」
式さんはきっぱりと言い切った。その表情に変わりはないが、自信に満ち溢れていた。

「そう言うとなれば、もう既に勝算を持っているというところですか?」
「持っているんじゃない。もう実行済みだ」
え? と表情を変える私たち。
実行済みとは随分と手際のいい。

「ず……随分と早いですね……」
「当然だ。鮮花たちに幹也と一緒に旅行なんて連れて行かれてたまるか。もちろんお前にもな」
その余裕は勝利を確信した者の貫禄なのだろうか、それとも私の錯覚だろうか。

 そんな時、扉を開けて橙子さんが入ってきた。
言っては失礼に当たるかもしれないけど、かなりけだるそうにあくびを隠そうともしない。
そして式さん、先輩、そして私に視線を移してからポケットから煙草を出し、口にくわえる。
あくびをしているせいか、めがねは外したままだ。

「おはよう、式、黒桐、それに藤乃」
「既にこんにちはの時間ですけど、橙子さん」
さぞ良い朝日を見たかの表情で挨拶をする橙子さんに対し、先輩はジト目で睨みつける。
それを気にせずに橙子さんは頭をかく。
普通ならだらしのないように見えてしまうそのしぐさも、橙子さんがすると何故か優雅に見えてしまうのが不思議だ。

「無理言うな。午前六時まで起きてたんだ。寝てて何が悪い」
「僕だって同じ条件なんですけど。徹夜ですよ徹夜。残業手当ては十・分・にもらいますからね」
最大限の言い訳は撃沈に終わったようで、橙子さんの動きが若干固まる。
先輩から顔を外した橙子さんは視線を部屋全体に

「所で鮮花の姿が見えないな。どこに行ったんだ?」
「さあ、さっきどこかに行っちゃいましたけど」
先輩があっさりとそうつげる。
……言い方がかなりそっけないです。

再び橙子さんはあくびをする。
そして視線をコーヒーメーカーの方に移した。

「随分と寝たつもりだったが……。黒桐、コーヒーを入れてくれ。クリームは抜き、砂糖は一杯で」
「橙子さん、コーヒーなら先輩じゃなくて私が入れますよ」
先輩は仕事をしているし、式さんは本を読んでいる。
私はまだ訓練の時間じゃないからまだ手は空いているし、コーヒーぐらいなら入れられる。

「いや、コーヒーぐらいならオレが入れる」
「「えっ!?」」
でも式さんのその一言に橙子さんはおろか、先輩まで大声を上げて驚いてしまう。
式さんが橙子さんにコーヒーを率先して入れる、そんな事が今まであったのだろうか? なんて最大限の疑問を投げかけている。

「橙子には目が一発で覚めるぐらいのこーいコーヒーを入れてやるよ」
「それはどうもありがとう。じゃあいただくわね」
橙子さんはめがねをかけてそう言う。

橙子さんがやけにあっさりとしているせいか、私は意識せずに先輩の方に視線を向けてしまう。
先輩はそんな事を気にもとめずに黙々と作業を続けていた。
先輩も随分とあっさりしていて驚く様子を示さないけど、どうしてだろうか?

式さんはそんな私たちなど気にもとめずにコーヒーの準備をする。
私が手伝いましょうかと申し出たけど、式さんはかたくなにそれを拒否した。

 数分後、式さんは橙子さんだけではなく、私たちの前にもコーヒーを運んでくれた。
式さんの前にもコーヒーはあるけど量が少ない。のどが渇いていないのだろうか?
橙子さんのこだわりかは分からないけど、かなりの高価な豆を使っているようで、香りもいい。
先輩もそれを察してかは分からないけど、顔をしかめて橙子さんの方を見る。

「こんなに良い豆を使う予算があるなら給料上げてくださいよ。香りだけで全っ然違うじゃないですか」」
「ウイジャ盤の時と同じ議論を繰り返す気? 私無益な議論は控えたいのだけれども」
橙子さんは先輩の批判を気にしないでミルクと砂糖を少し入れる。
そしてマドラーでコーヒーをかき混ぜて……あれ? 動きが止まった?
何故か橙子さんは若干指を頭に当てて悩みこんで……、

「幹也君、悪いけどコーヒー取り替えてくれない?」
「は?」「え?」「!?」
その発言に先輩、私、それに式さんがそれぞれ反応を示す。
先輩は何を言っているんだ? といった表情を浮かべ、私は純粋に橙子さんの言葉に疑問を持ち、式さんはあくまで無表情だが、若干の動揺が私にも感じられた。

「それはまた何でですか?」
「たまにはブラックで飲みたいと思っただけよ。単なる気まぐれ気まぐれ♪」
「ん、かまいませんよ」
そう言って先輩はあっさりと席を立ち上がり、橙子さんのカップと自分のカップを取り替える。

……その時の橙子さんの表情は何と表現すればいいだろうか、言うならば、
『しめたな』
と心の中で思っているような、そんな表情だ。

対照的なのは式さんの方、完全に青ざめていた。
上辺では冷静を装っているのに心の中は完全に動揺している、そんな感じに見られた。
そして先輩がコーヒーに口をつけようとした時、

「だっ駄目だ!」
式さんが立ち上がってそう叫ぶ。式さんにはめずらしく、随分と表情が必死だった。
それを聞いた橙子さんは勝利を確信したようににやける。

 そこで私はようやく式さんがやった事が漠然と分かってきた。
あまりにもありきたりなような気が……。あ、でもそれが王道なのかな?

「おや、どうしたのかね式、何か不都合でもあったかな?」
眼鏡を外した橙子さんはにやーっと笑いながら指先を頬にそわせた。
ここで式さんは自らの失態に舌打ちをする。
でもここでその失態をやらなければならなかった事は間違いない。

「と……とにかくそのコーヒーなんだけど……。」
「お、式もコーヒーが欲しいのか。なら黒桐、私はコーヒーはいらんからこれを飲め。」
そう言って自分の机からコーヒーを先輩の机に置いた。そして先輩の机にあったコーヒーを式さんに差し出す。

「ほら、これで満足だろ? 砂糖一杯だから味としては悪くないと思うが」
明らかに式さんの顔が歪む。

もはやここまで来てしまえば彼女の敗北は決定的だ。
橙子さんはもう式さんがどんな反応を示すかに興味は移っており、一方の先輩は二人を見比べているが、特に変わった様子を示さない。
……ここは私も黙っておくべきなのだろうか。

「……ならいただいとく」
式さんは苦虫を噛み潰した顔のままで一気飲みにといっていいほどにカップを傾け、空となったそれをテーブルに置く。
かなり乱暴に置いたので、カップがなぜ割れなかったかが逆に不思議なくらいだ。

「これで満足だろ?」
「うん、満足満足」
こくこくと橙子さんはうなづいて口元に煙草を持ってくる。表情はもはや笑いをこらえるので精一杯だ。
式さんはいつもの表情を崩していないつもりだろうが、明らかに屈辱と憤慨に歪んでいる。
先輩はめずらしく、そんな式さんを気にせず黙々と作業を続ける。

 こんなのがずっと続くかと思うと少し先が心配になってきた。


   /幹也

「にしても式、随分とばれやすい手段に出たね」
橙子さんがトイレといって席をたってすぐに僕はそう口を開いた。
橙子さんは手洗いはゆっくりとするほうのようで(他の場所ではわからないけど)、そんなにすぐには出てこないからこそ言える事だ。

 その僕の言葉に式はすぐに反応を示した。
あの後すぐに式は別の飲み物を口に入れたところだ。態度からして明らかに怒りに満ちている。

「……どういうことだ?」
式はそんな僕を睨みつけてくる。

「だって多分式がやった事って砂糖と塩を取りかえて入れたんだろ? どれぐらいの量かは分からないけどさ」
そう、多分式がやったのはそれ。
典型的な嫌がらせのなかでは飲んだ瞬間に発覚するので多用はされないけれど、橙子さんに思い知らせるのにはちょうどいいと思ったのだろう。
…式の飲んだときの反応からするとかなりの量を入れたかも…。

「……随分と冷静だな幹也」
「うい、だって式がコーヒーを進んで入れるって時点で気づいてたし。普段やってないことをやったらそれはバレるって……」
その言葉に式はテーブルを叩いて立ち上がることで答えを示した。
浅上さんはその式に少しびくっとしている。

式はかなりの形相で僕を睨みつけてきた。
まともにとったら視殺されてしまうほどに殺気に満ちている。
……やっぱりおとなしく言わないほうがよかったかもしれない。

「――なるほど、つまり知っていながらそれを黙殺して、オレが飲まなきゃいけないところまで誘導してたって事か……」
「かなりの語弊になるかもしれないけど、極端に言えばそうなると思う」
「……分かった」
式はそのまま優雅な物腰で部屋を出て行ってしまった。
しかも最後の方でこっちを殺すとばかりに睨みつけて、何かを口ずさみながら。

最後に何を言ったのかは聞き取れなかったけれど、多分、
「お前は、敵だ」
と言ったんだろう。僕はもう頭を抱えるしかない。

「いいんですか? 式さん、あのままでは先輩にまで……」
心配そうに目線で小声で浅上さんがささやいてくる。
僕は手を横に振ってそれを否定した。

「それは無いと思うよ。それより橙子さんに対した雪辱を誓った感じに僕は感じたけど?」
「そうでしょうか……」
内心では結構はらはらしている自分がいるのは分かっているけれど、とりあえず自分に言い聞かせる意味でそう言っておいた。

「それより浅上さんは何か手は考えてるのかい?」
話題を変える意味で僕は今後の事について述べる事に。

「いえ、私は橙子さんや鮮花みたいに奸智に優れてないので、時間をかけて考えさせてもらいます」
そう? なら僕はいつ行動に移せばいいのかな……。
僕の方法なら僕の知っている橙子さんには確実に成功する……と思う。
だから式たちが何もしないまま終わってしまう事になるから、できれば遅くに行動したいけれど……。

「先輩の案がどんなものかは私分かりませんけど、できれば式さんや鮮花が降参してからにしてくれませんか?」
え、エスパー?
いや、確かに浅上さんはエスパーだけど……。読心術でもあるんですか?

「もちろんだよ。行動ならいつでも移せるし、僕もそう思っていたところだ」
「どうもありがとうございます。先輩だって早くくつろぎたいでしょうに……」
……式や鮮花とはまた別の配慮、正直かなりありがたいと思っている。
でもそれで鮮花と式に更なる火種が出てこないといいんだけど……。と思いながら仕事を続けることにした。
何しろみんな忘れてるかもしれないけど、次の仕事の期限があさってだって分かってます?




to be continued…


つづく

戻る




 どうも。
第二話でも書きますが、これは前編をニ分割したうちの1つです。
どうも短編ではすまない長さになってきてしまったので、が主な理由です。
それでは。
  2006年5月27日
  2007年9月30日 第一改訂


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