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昔々、とても偏狭の国で一冊の本が生み出されました。
内容は実際に英雄が成し遂げた快挙を小説風に脚色したものです。
魔王によって蹂躙された世界、殺戮と破壊に包まれる中で一人の英雄が立ち上がりました。彼は数多くの人々の力を借り、数々の困難を乗り越え、ついには光の剣で魔王を打ち滅ぼし世界に平和を取り戻しました。
そうしたどこにでもあるような英雄物語はは瞬く間に国全体に広がり、王様も声を上げて絶賛なさりました。国の壁を越えて人々の間に知れ渡るのにもそう時間はかかりませんでした。時を経てもなお人々を魅了していったのです。
とりわけ子供たちは大変強く惹き付けられました。一冊の本がとても純粋な彼らにどれだけの影響を与えたことでしょうか。
そうして彼らは数々の伝説を創り上げた英雄に憧れて成長していきました。いつか書き綴られる英雄と同じように誰かを救い出せる存在になろうと、自分達のような子供を魅了する存在になろうと。
ある少年もその一人でした。
少年の手にはいつもその本があります。ハードカバーの本は側面が手垢で黒ずみ、紙は擦り切れて所々破れてしまっています。それでも少年は決して手放す事はなく、立派に成長していきました。
かつての少年は一人の存在と対峙しました。人々は玉座から彼を見つめる存在を魔王と呼んでいました。
大聖堂のように広いその場所はとても暗く、ガラス窓から差し込む光だけが辺りを見渡すための頼りでした。左右に並んだ肖像はとても静かに佇み二人を見守ります。壁画の貴婦人は祝福するように二人に微笑みかけています。
「……分からぬ。どうしてそなたはわたしの目の前に立ちはだかるのだ」
魔王は言いました。彼は無表情のまま答えようとしないので魔王は続けます。
「そなたを人間どもは英雄とは呼ばぬ。それどころか皆そなたを蔑み、罵り、石を投げつけていたではないか。わたしを倒し、人間どもに平穏を取り戻そうともそなたが得るものなど何一つあるまい」
魔王が思い出すのは部下から報告を受けていた彼の軌跡でした。
始め、彼はこの時代の魔王を倒すために現れた英雄だと讃えられました。けれど、彼は英雄と呼ぶにはあまりに悲劇を歩みすぎたのです。
魔王の軍と対峙している間に滅ぼされた別の国、彼の足が間に合わずに魔王の軍勢に壊滅させられた街、彼の手をすり抜けて命を落とした人々。多くの血が流れ、多くの悲鳴がこだまし、多くの廃墟ができました。
なぜ間に合わなかったのか、なんでもっと強くないのか、どうして救ってくれなかったのか。人々の叫びは理不尽だったかもしれませんし八つ当たりだったかもしれません。けれど、言い逃れのできない事実であることも確かでした。
次第に人々は彼から距離を離し、応援する人より追い詰める人の方が多くなりました。
「人間どもが戯言のように口にするような帰る家も待つ想い人もいまい。だがそなたが復讐のためだけに動かぬとはわたしも良く心得ておる。ではそなたをこの場に駆り立てるものとは一体何なのだ?」
なので魔王にとっては彼が不思議でたまりません。
幾多も葬ってきた自称英雄が宣言する大義名分や大切な者への誓いは聞き飽きていました。彼らが命の最後に発する己の真の欲望は極上の美酒のように味わいました。
けれど目の前の在り方は今まで魔王が見たことも聞いたこともありません。もういなくなった部下達もこぞって首を傾げていました。誰も魔王に答えを示せなかったのです。
かつての少年は鎧の内側にしまってあった一冊の本を魔王に向けて放り投げます。魔王は自分より前の魔王が打ち倒される物語に嫌悪感を示しましたが、やがて魔王はかつての少年の想いに気づきました。
「まさか、この本のようになりたかったからこうして立ちはだかるというのか?」
かつての少年は悔いの見られない微笑みを湛えると、静かに剣と盾を構えます。その瞳はどこまでも純粋に輝いていて、物腰には恐怖が一切感じられません。
魔王は笑いました。もはや自分に従う部下のいない居城に響き渡るほど大声で笑いました。一体これだけ笑ったのはいつ以来だったのか魔王自身にも思い出せませんでしたが、魔王の心の中はとても晴れやかでした。
「なるほど……求めるは栄光でも平穏でもなく、歴史であったか。だがそなたを英雄と讃える者など人間の中には誰一人としていまい。歩んできた道が道なだけな。それではあまりに忍びない」
魔王はゆっくりと立ち上がり、傍らに置いてあった自分の剣を抜き放ちます。途端に周囲の空気から熱が消え、生命の息吹が奪われ、光がさえぎられます。
「ゆえにわたしがそなたに相応しき称号を与えよう」
けれどかつての少年が持つ光の剣は暖かさを、生命力を、光をもたらしません。まるで物悲しき石像のように静かに在るだけでした。
だからこそ魔王は歓喜で顔を歪ませます。彼は光の剣という伝説に選ばれし英雄ではなく、己の実力だけでここまでたどり着いたのです。それは運命が決して定められたものではないと彼が示しているのですから。
「さあ、わたしを殺すがいい。勇者よ」
勇気ある者と呼ばれた存在ははにかむと、魔王へと剣を振り下ろしました。
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