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俺には世界を支配する能力がある! そのような事になればどんな厄介な目にあうだろうか、と空想する余裕があるほどには源一成《みなもとかずなり》は日常に満足していた。
無論彼の人生の中で特筆するような出来事は起きていない。普通の子供時代、普通の学生生活、普通の受験戦争。まだ高校一年になったばかりの短い人生は平凡そのもの。おそらく自伝形式で書き綴ったとしても出来上がるのは見事な日記だろう。
しかし魅力的刺激的な生活になったとしても迷わず目をそらしていただろう。彼は空想は空想と割り切って静かに暮らしたかった。
だから厄介ごとにもあまり首を突っ込まず、目立たないがそれなりに人との関わりを残して中学時代を終えた。高校も彼のいた中学校からの進学者が少ない、だが交通の便がいい所を大した感慨もなく選んだ。
つい一週間ほど前から始まった高校生活でも一成は変わらない。友人もできて部活にも所属し、勉強も何とかついていけている。これからも大半の人が送るような、それでも彼にとっては面白い日常的な生活を過ごすだろうと思っていた。
その日も特筆するような事柄はなかった。一成は深夜まで本屋を徘徊しながら目当ての本を探し続け、半分ほど手に入った事に満足していた。最も手に入れられなかったものも半分なので深いため息を漏らしもしていた。そして今帰路にある。
春も半ばにさしかかったはずだったが深夜の冷たさは冬の名残がまだ残っているようだった。彼は思わず身を震わせながら満天の星空を眺める。星座には疎かったが有名な星を発見するのはたやすかった。雲ひとつない様子に思わず白い息をはく。
そこで彼はふと普段決して聞かない物音を耳に入れる。
(……金属がぶつかり合う音?)
彼が真っ先に思い浮かべたのは映画かゲームの音が漏れている事。しかしそれにしては音に迫力があるとすぐに否定する。彼は深夜にふさわしくない音に純粋に興味を抱き、音源を確かめるべくそちらの方へと足を向けた。
「……公園か」
音は一成にとってやや馴染み深い公園の中から聞こえてきた。公園の門はこの時間になると治安の関係上硬く閉ざされて通り抜けが出来ず、無人のはずだった。
一成は怪訝に思いながらもとりあえず門前から聞き耳だててみる。正門でも幹線道路から少し外れているのでめったに車は走行しない。雑音なしに聞き取る事ができそうだ。
耳に入ってくるのは金属と金属の衝突、地面の破砕、木々の倒れ。深夜に誰かが忍び込んで立てる音とは到底思えなかった。
網目状のしきりから様子を窺おうとしても、よほど内側で行われているのか視界に入れる事は出来ない。一成はじれったくなりこれから自分がとるべき手段を考える。
一つは公園内に進入してこの目で確かめる。だがもし厄介事が行われていたら後々面倒な事になる。それだけはどうしても避けたい。
一つはこの場で音だけを聞き入る。危険性は低くなり詳細に状況を知る事ができる。しかし門から窺う程度を知った所で十二分な把握などできそうもない。
一つはこの場をあきらめて帰宅してしまう。今なら名残惜しさは起こらずにいずれこの出来事は忘れ去られるだろう。
「……考えるまでもなかったな」
門を超えていく手間と肌を刺す寒さを考慮に入れて迷わず最後を選択する。一成は無駄足を踏んだことに首をすくませつつきびすを返したその時だった。
急に辺りが静寂に包まれた。
聞こえるのは風で木々が揺れる音だけ。一成は思わず身を振るわせたが、すぐに平常心を取り戻して恐怖を抱いた自分を哂う。
風ごときに脅える自分を自重しながら肩をすくめて歩みだそうとして、
「どこへ行くの?」
突然澄んだ声に呼び止められ、一成は反射的に声の方向へと振り返る。
雲ひとつない、月下の真夜中の中。門壁の上に少女がたたずんでいた。
「――」
一成は鮮やかな光景に思わず息を呑んでしまう。
くせが一切ない長髪が涼風でたなびく。意志の強い鋭い目は店頭に並ぶ宝石をしのぐほどの輝きに満ちている。桜色の肌に結ばれた唇はみずみずしい。身体は触れれば壊れてしまいそうな硝子細工を思わせるほど華奢で、年相応のかたさがあった。
だが、一成の視線に入るのは彼のクラスメイトが十中八九美人と断定するだろう容姿でも体躯でもなかった。
「残念ね。運が悪かったと思って諦めなさい」
彼女の持つのは禍々しい紋様が刻まれた真紅の剣。
服と肌を染めるのはナニ色かの斑点模様。
「――ぁ」
とっさになにかを答えようとしても喉がからからに乾いて声がかすれてしまう。必死になり頭を回転させるが混乱して空回りするばかりだった。
非日常的な物音、それが突如やんだ直後に現れた少女、手には朱色に染まった剣。この状況をどう楽観的に捉えても導き出される答えは狼狽してる今の一成でも一つしか思い浮かばなかった。
「俺はなにも見なかった何も聞かなかった何も言わなかった。だからおまえも俺の存在を忘れてだな――」
「断る」
かろうじて搾り出せた命乞いにも似た言葉を少女は鋭く冷たくさえぎる。
やがて少女の体が流れるようにゆっくりと動く。そしてとった構えは剣道をたしなむ一成には見覚えのある、だが実際の試合ではお目にかかった事のないものだった。
「脇構え……」
剣先は柄と手元で隠れて見えず、剣の長さがどれほどか目測すらできない。重心移動は身体に染み付いたように自然そのもの。今少女が見せた動きは一成がこれまでどれほどの有段者からも見たことがないほど洗練されていた。
「おまえはここで死ぬのよ」
瞬時に悟った。悟らされた。
自分は目の前の少女に殺される。勇敢に立ち向かおうと全力疾走で逃げ出そうと抗う事などできやしない。既に少女は人生の幕を支えるロープの前で剣を構えている。後は振り下ろすだけだ。
源一成よ、ここで死ね、と。
少女は門壁の角にかけていた足で軽く踏み込んだ。最低でも一成にはそう見えた。
「――っ!」
門壁上でたたずんでいたはずの少女はいつの間にか後ろにいた。更に既に残心を見せて構えている。髪が川のように流れていなければ始めからその場にいたのではないかと疑いたくなるほどだった。
一成は反応できた自分自身を正直褒めたかった。少女が挙動を見せた瞬間に手に持っていた本の束を盾代わりにして回避を取っていたのが幸いだった。
彼が首元に持ってきていた十冊近くの本は、辞書二つを含んで一刀両断されていた。その切り口は鮮やかなもので、再びつなげたら接合する可能性すら錯覚させるほどだった。
少女がたった一瞬で行った行動に一成は戦慄する。首の皮一枚でつながっていることを素直に実感せざるを得なかった。
非難が口から出そうとしても声にもならない。今すぐ背中を向けて逃げ出したくても少女から目が離せない。
「へえ」
逆に少女も目を見開いて一成を見つめていた。それは現実味がなかった少女が始めてみせた人間らしい反応に思えた。
「対処できたんだ、一の太刀を」
少女は笑っていた。嘲笑でも不敵にでもなかった。見た目の年相応の無邪気な喜びに満ちた、桜の木の下で浮かべたなら十人中九人の男子が心動かされるほどの可愛らしさを一成は感じる。
「普通の人間にしては反応がいいじゃない」
しかし彼にとってはそれが怖く恐ろしかった。
一成が求めるのは少しばかり不思議な事が起こる可能性がある平穏な日常世界。ある程度刺激があってある程度楽しめればいい。困難を乗り越えて笑顔を浮かべる皆々にさりげなく自分が混じっている日々が理想だった。
だが、彼女は一成が求める日常生活で見るような笑顔でこれから彼を殺そうとしているのだ。それに恐怖しないはずがなかった。
「けれど二の太刀はかわせなかったようね」
「に……ノ……」
一成が声に出そうとして代わりに聞こえてきたのは何かがあふれる音だった。再度声に出そうとしても不可解な音が聞こえてくるだけだった。
「ぁ……ふ――」
生暖かい何かが身体を伝ってようやく音の正体を悟る。恐る恐るホットプレートに誤って触れてしまった時のような熱さを感じる首元に触れようとして、彼はいつの間にか身体が倒れていた自分に気付く。
いつの間にか一成の首元は切断されて、おびただしい量の鮮血が体の表面を濡らしていた。既に痛みより寒さを肌で感じていた。
「白き月に抱かれて、やすらかに眠りなさい」
なぜ彼女が自分をこんな目にあわせるのか、どうやって分厚い本で防御した中を突破して首を切断したのか、そもそも二の太刀とはなんだろう、そのような様々な疑問や走馬灯のようによぎる過去すらどうでもよかった。
ただ一成は月下に立つ実に幻想的な少女を眺めるだけだった。
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