第一部

「ま、また遅刻だぁー!」
 朝、俺は間抜けた声を上げながら道を駆け抜けていった。聞こえる音は疾走する事での風くらいなものだ。
 当然学生の身分な俺が目指すのは学園以外の何物でもない。毎度毎度俺は朝起きるのがだるくて、遅刻ぎりぎりでの登校が多い。でも寝る時間が次の日の気分に直結してる俺としてはもうちょっと眠る時間が欲しいものだ。その分授業ではたっぷり寝させてもらいますよ、先生。
 と、大聖堂の鐘が鳴り出す。まずい、これが鳴ってるって事は、今閉門時間五分前じゃないか。これは本気で急がないと遅刻確定だ。もうこうなったら息切れで最初の授業がまともに聞けなくても関係ない。全力で走る!
 疾走する場所が前回の大戦でできた廃墟から復興した繁栄の街に変わっていき、周りの建物が多くなっていく。通り過ぎていく人が多くなっていくけれど、これから仕事に行く人たちばかりみたいで、まだ通学路に含まってる商店街に活気はなかった。これを通り過ぎれば俺の通ってる学園に辿り着――。
「ってまずい」
 本当にまずい。もう既に生徒会の連中が門を閉め始めてる。彼女達は情の言葉が一切ないから、見逃すなんて事は絶対にしてくれないだろうし、ここで遅刻になっちゃったらトイレ掃除確定だ。
 もう剣術訓練の時みたいに息を切らしながら、何とか滑り込みで校門を通り過ぎて、閉め出される事を免れた。はあ、疲れた。
「また君? これで何度目よ」
 そんな末路な俺に更なる追い討ちをかけるみたいに、嫌味な声が耳に入ってくる。
 振り向けば門の端でボードと鉛筆を手に持った生徒会長が笑みを浮かべていた。風でふんわりとして肩まで伸ばした金髪が流れている。出来れば無視したいけれど、そうすればこっちがどんな目にあうか分かったもんじゃない。
「さあね、生徒会長さんは今まで食ってきたパンの枚数は覚えてんの?」
「毎日二枚食べてるから、逆算してほしい?」
「いえ……結構です」
 生徒会長、エリザベスはスタイルのよさをこれみよがしにするように、腕を組んで胸を張る。聡明さを抱かせる美貌で学業も優秀。こっちとしてはどんな完璧超人だよ、みたいに言いたい気分は正直ある。
 苦笑いを浮かべるしかない。彼女に口喧嘩で勝とうだなんて多分十年は……いや、その時には彼女もレベルアップしてるだろうし、一生かかっても無理だろうな。
「本当、毎日堂々と遅刻しそうになって疾走する人なんてあなたくらいなものよ、グェネ。なんと今のところ連続二十一回達成中。これで遅刻がないなんて、ある意味才能なのかもねー」
「ほっといてくれよ。俺が朝弱いのはとっくに知られてる事だろ」
 そうね、なんて彼女は全く否定もせずに大きく笑った。いや、少しは否定して欲しいんですけど。さすがにそこまでされると凹むよ。
「そうかしら。わたしが思うに、あなたが夜中まで起きていなければ多分お寝坊さんは改善に向かうんだと思うんだけどもさー」
「う……、仕方がないだろ。俺だって色々とやりたい事があるんだよ。実技の腕だって上げていきたいし、家の仕事手伝わなきゃいけないし……」
「あら、勉学にはげむ、が抜けてるわよ。本業を忘れちゃ駄目よ」
 そんな事言われても、みんな事実なんだからしょうがないじゃないか。どうやったって勉強がおろそかになってるのは覆しようの無い確定事項なんだからさ。
「もしかして実技に続いて勉強の方も駄目なの? 我が生徒会に入ってくれればもれなく家庭教師をしてあげちゃいますけどねん」
「全力でお断りします」
 ただでさえ少ない自由時間が生徒会で潰されたんじゃあたまらない。うちの学園は会長以外の任命は選挙と会長推薦の二通りしかないから競争率激しいけど。
 と、いけない。そろそろ一時間目が始まっちゃう。せっかく門を通れたのに授業に間に合わなかったんじゃあ意味が無い。そんな風な事を頭に思い浮かべて会長に何かを言おうとしたら、
「……それでグェネ、貴方初級魔術ぐらい使えるようになったのかしら?」
 彼女はこんな事を口にしてきた。
 俺は思わず発言しようとしたままで固まる。どんな表情をしてるかなんて自分では分からないけど、鏡を見たらさぞかし面白いものが見れるだろう。
「いくら剣技の腕が伸びていくからって、この国は技じゃなくて術を重視する所。この学園にまで入れるほどの生徒で、初級魔術をろくに使えないなんて貴方ぐらいなものよ」
「使えなくたって気にしないし、問題じゃないって。俺が目指してんのはおえらい大魔術師様でも大神官様でもないんだから」
 嘘だ。気にもしてるし、事実問題なんて山積みだ。
「でも……いつも実術試験だとギリギリで合格できれば申し分なし、追試なんてしょっちゅうなんでしょう? やっぱりわたしが一度……」
「いいっていいって。会長は忙しいんでしょう? 俺にかまってる暇なんてないんだろうしね。それにギリギリでも合格できてれば十分だしさ」
 嘘だ。そのギリギリの合格だってずるをしてやっとで、自分の実力なんかじゃない。
「……そう、今度の試験はちょっと難しいから、ごまかしなんて効かないわよ。訓練の方は大丈夫なの?」
「それはもうばっちり。これでも結構時間割いてるほうだしね」
 嘘だ。魔術そのものが使えないから制御とか発展とかの基本すらできない。俺にやれるのは唯一つ、魔術を扱うための元となる知識の向上ぐらいだ。
「まあいいや、一時間目に遅れそうだし、話は後で聞くよ」
「はいはい、頑張ってねー」
 俺は会長が手を振るのを尻目に、教室に全力で向かう事にした。
 そう、俺はこの学園始まって以来の落ちこぼれだった。何で入学できたのかはまだ分からないけど、子供でもできるような初歩的な魔術すらうまくできないでいる。魔術とか精霊術とか、何かと術が活発なこの国ではいくら剣に優れてても、所詮は意味が無い。
 ずっとそれで馬鹿にされてきてた。今みたいな感じに。
「あ、ほら。あそこで走ってんの、あのグェネじゃね?」
「ああ、あの魔術が全く駄目な、いわゆる落ちこぼれってやつ?」
「全く、何でまたあんな奴がこの歴史ある学園に入れたのか。コネも裏金もするだけの力なんて無いんだろ?」
 廊下の端々で聞こえる露骨なまでの罵声や卑下の言葉は無視する。聞きたくも無い。
 俺はおまえらとは違う。俺が目指してるのは、お前らなんかとは別の所にあるんだ。だから他の奴らと比較するな。そしてその後で馬鹿にするな。確かにおまえらにとっては笑いの対象にすぎないかもしれないけれど、俺は俺の目指したいものを目指すだけなんだ。
 そう、俺は絶対に――。

 俺は相手が放ってくる風の刃をかわしながらクレイモアを両手に持ち、目の前にいる相手に向かって突撃した。相手になってるヘンリーもそれに答えるように剣を構えて俺を待ち受ける。
 手に衝撃が走って金属音が耳に響く。やっぱりただの正面打ちじゃあ防御されちゃうようだけど、ヘンリーはそこから反撃に転じる事はできないようだ。
 俺はそれを見て取ると、剣を手首で翻して切りかえしにかかった。狙うのは相手の左手首。剣は曲線を描くようにヘンリーの手首に吸い込まれていって、また鈍い音と共に止められてしまう。
 俺はそのまま後退しつつ間合いを計って呼吸を取る。相手の喉下に剣先を向けた中段の構えをとる。重心はやや下において、いつでも相手の行動に反応できるようにする。
 ヘンリーの奴は剣を高く振り上げたままでこっちのに向かって疾走してくる。ああ、それ多数対多数ならまだしも、一対一の場合愚作じゃないのか?
 相手の剣の軌道を寸前まで見極めて、俺も剣を振り上げる。今度は軽い金属音が響いてヘンリーの剣がそらされた。明らかに顔色の変わる相手をよそに、俺は相手の目の前に位置したクレイモアを振り下ろした。
「くっそ!」
 ヘンリーは悪態をつきながら口をすばやく動かして、力ある言葉を発した。
「ウインドバッシュ!」
 両手に持ってた剣から離した片手をこっちの方に向けた途端、そこから強風が吹き荒れた。体重がそんなにない俺は風の影響で押し流されるようにして体勢を崩し、吹き飛ばされて地面を転がった。
 いたたた……。受身は十分にとったつもりだけど、やっぱり痛いもんは痛い。
 相手は吹っ飛ばされた俺を見てチャンスとでも思ったのか、顔をにやけさせてこっちに突撃してくる。
 俺は相手が振りかぶって剣をおろすのをじっくりと見極めると、地面を転がりながら立ち上がった。そしてその勢いをそのままに地面を強く蹴って相手に飛びかかる。攻撃が読まれたってかまいやしない。
 俺とヘンリーの剣は今までで一番激しい音をたててぶつかり合った。俺の勢いをそのままヘンリーは受けたようで、体勢が揺らぐ。俺はすかさず踏ん張ってる脚を小突いた。
「う、うわっ!」
 相手は間の抜けた声をあげながら地面に倒れこんだ。しかもどうやっても反撃が難しいうつぶせの状態で。
「これで終わりだ、ヘンリー。おまえの負けでな」
 俺は地面に剣を突き立てて、止めを演出する事でこの試合を終わりにした。相手が悔しがってるのは分かってるけど、それに動じる俺じゃあ――、
「またおまえか、グェネ。何度言わせれば分かる。剣技の稽古で足技を使う馬鹿がどこにいるんだ」
「いって!」
 頭に強い痛み、それが思いっきりのげんこつだと気づくのに少し。その犯人が先生なのに気づくのにも少しかかった。
「いいか、これはあくまで剣技を鍛える授業であって実戦経験をつませるものじゃない。現におまえ達の持っている剣には切れ味を極限まで落とす魔術をかけてある。にも拘らずおまえは私の言いつけを守らなかったようだな」
「先に破ったのはヘンリーの方だ。剣技の授業なのにアイツ魔術使ったじゃないか。それはどう説明するんだよ!」
 俺がヘンリーの奴を指差しながら怒鳴ると、先生は心底からため息をもらしやがった。
「ああ、そうだな。剣技の授業なのだから、術での直接攻撃は反則だ。が、ヘンリーが使ったのはあくまで牽制と体勢を崩す程度のものだ。それにここは魔法大国なのだから使うのは当然だろう」
「何だよそのへ理屈! 魔術訓練の時に剣技使ったら怒るくせに!」
「それが嫌ならば別に止めはしない。この国から出て行けばいいだろう」
 まるで家畜を見るような冷めた目で俺を見下して、先生はヘンリーの方に駆け寄った。俺に対する態度とは打って変わったような温和なもの。かける声は優しく、気遣いが見られた。
 その言葉の端々に「落ちこぼれ」の単語を見え隠れさせながら。
 俺は歯噛みしながら傷ついた体を引きずりながらその場を後にして、保健室に向かう事にした。
 ……なんで俺って術が使えないんだろうか。なんか特別な理由でもあるんだろうか。もしそれが才能の一言で片付けられちゃうんだとしたら、俺が目指してるものには手が届きそうにない。
 いや、俺がなりたいのはやっぱり決まってる。才能なんて関係ない、真に実力を認められた存在。そう、俺は――。
「あれ?」
「ん?」
 ばったり、が正しいかもしれない。昇降口付近で俺は思わぬ人物に出会った。
「ランス?」
「グェネ?」
 俺たちはまるで親しかった友人と再会するかのようにお互いを指差す。時間はまだ授業中、露骨な贔屓にあった俺は生傷が絶えないからこうして保健室に足を運ぶのはしょっちゅうだけど、成績も品行も優秀なランスが授業をさぼる理由なんてないし……、
「ははーん」
 ふと、ある可能性に行き当たって、思わずにやける。相手はそんな俺を見て憮然とした様子だった。でもこんな事でしか俺は彼をからかえないし、ちょっとは勘弁してくれな。
「ランス、もしかしてまた実践授業で体力使い果たして保健室行きか?」
「うるさいっ。俺は、おまえみたいに、肉体労働には、向いてないんだ。ほっといて、くれ」
 相手、ランスはかぶりを振って全否定する。まあ、そんな事した所で台詞が途切れ途切れだから説得力皆無だ。そんな様子に俺は笑いがこらえきれない。
「全く、術の構成力は本職の術士でも顔負けなのに本当に体力ないんだな。顔は女子にも二枚目だって言われてるんだから、文武両道目指したらどうなんだ。このままだと本当に貧弱な坊やだぞ」
「そう言うグェネこそいい加減体力馬鹿はやめたらどうなんだ。体力があったって術が構成できないんじゃあ意味ないだろ。エリザベスが教えると言ってくれるなら甘えればいいのに」
 う、それを言われたんじゃおしまいだ。ランスが体力なしなのと同じで、俺もまた術の構成力なしなんだからな。二人のいい所を足して割る二すれば間違いなく優等生が出来上がっただろうに。
 まあいい、とランスはため息をもらす。
「俺は別に体力なんかなくたって大丈夫だ。それよりグェネの方がよっぽど深刻だろう。この世界がこの世界のままな以上、このまま甘んじてれば先が見えなくなるぞ」
「……分かってるさそれぐらい。自分が一番よく、な」
 ランスの表情が曇る。どの辺の逆鱗に触れたかは分からないけど、どうも俺の発言が気に入らなかったらしい。
「なんでそうまでしてここにこだわるんだ。剣の腕があるおまえだったら別にこの学園にいなくても……いや、むしろこの国にいる必要もないはずだ。何がおまえを術に駆り立てるんだ」
 ランスは目を睨みつけるように細める。聡明さを感じさせる声の端々はとがっていて、まるで俺に責任があるみたいな言い方だ。
「なぜ現状に甘んじる。行動できるのにしないのは愚者のやる事だぞ。いつまであんな連中にいいように言われているつもりだ」
 あくまでも俺が全て悪く、それを訂正するような強い口調で俺に言い放つ。
 ……確かに俺がこの学園に入ったのは実は俺自身のためじゃない。学園に入る前だってただでさえ術の構成は苦手中の苦手だったんだから、わざわざ術に優れたこの国でも指折りの伝統を誇る学園に入る事はなかったんだ。そうすればこんな思いだってせずにすんだはず。
 もし剣士になるんだったら今からでも間に合うはずだ。この学園とはおさらばして地力を磨けばいい。その方が上達も早いだろうし、何より俺に向いている。
「……それに対する答えは随分と前だけど、ランスにだけは言っただろ」
「おまえ、やはりそれを目指してるのか」
 だけど、俺にはこの道を進まなきゃいけない理由がある。例えどんな困難な道が待ち受けていても、俺はそれを絶対に叶えたいから。
 だから俺は断言するように言い放った。
「ああ、俺は決してイレインの事を忘れはしない。そのためにも俺はこの学園にいなきゃいけないんだ」
 ランスは若干驚く表情を見せるけれど、すぐに普段のおとなしい、でも不敵さが滲み出す態度に戻った。
「そうか……光栄と言うべきか、莫迦かお前はと言うべきか。なら俺から言う事は何もない。お互いにがんばるしかないだろうな」
 ああ、俺もそうする。どんな道が待っていようと、俺はイレインのためにこの学園で学ばなきゃいけないんだ。そして、絶対にあの悲願を達成してみせる。
「ところでランス、歴史の宿題なんだけど、提出期限いつまでだったか?」
 重い話題はもうたくさんだとばかりに俺は転換する。ランスにとってもこの話題は重苦しかったようで、表情をいつもの日常のものに戻した。
「ああ、それなら三日後までだ。確か、何らかの遺跡について調査を行う事だったよな。グェネはいつやるつもりなんだ?」
「んー、俺は明日の休みにやろうかって思ってるけど。場所はもう決めてるから、後は行ってまとめるだけだな」
 どうも俺は結構歴史には興味あるから何気に成績は高いんだよな。他は平均より下のもあれば結構高いのもある。要は留年や退学に繋がる成績をとってない事だ。術の実践が芳しくないんだからどっかで補わなきゃいけないのは分かってるけど、これでも維持するのが大変なぐらいだ。
「なんなら俺と一緒にやるか?」
「冗談、個人でやった方が評価は高いからそのつもりでやるさ。いくら学力で劣る俺だって歴史ぐらいはランスに勝ちたいしな」
「それは期待してるよ」
 俺たちは談笑しながら保健室へと歩んでいくのだった。学園でも人気の高いランスと行動を一緒にする事で、俺への陰口が更に強っているのを感じながら。

「ふう……、疲れたぁー」
 翌日、昨日言った通りに俺は王都の郊外にやってきた。さすがに魔道汽車を三本も乗り継いできたから腰が痛い。今度からはおとなしく座席で寝る事にしよう。
 もちろん休日を優雅に楽しむ……なんて余裕をすごす事は俺にはできない。宿題になってる『何らかの遺跡の調査』をするだけだ。学園の近くに遺跡があるからそこでもよかったんだけど、他のみんながそこを選んでるのを見て気がひけてやめにした。
 そしてその結果が俺の目の前にある。このアヴァロンから現れた英雄が活躍していた時代、魔王軍と度重なる戦いを繰り広げた城で、王都のような城塞都市じゃなくて丘の上に建てられた戦略上どうしても必要な拠点だった。
 石造りの城壁は今でもしっかりと維持されていて、崩壊したら当時の文献を駆使してある程度の修復はしているらしい。おかげで壮大なまでの存在感は一切失われていない。現在でも国家が管理していて、一部を除いて一般にも公開されている。ただし入場料をとるあたりがせこい。
 さて、じゃあ俺はここで壁画に書かれた文字や壁画を模写して、それを元に考察する事にしよう。
「さあ、じゃあがんばるか」
「おまえ、いつもそんな感じに独り言をしゃべってるのか?」
 ひゃあ、なんて実にすっとんきょうな声を上げる俺。穴があったらすぐに入りたい気分をどうにか抑えつつ、緩やかに視線を声の主の方に向ける。
「なんでランスがここにいるんだよ」
 俺の反応に呆れたのか、疲れた表情を見せて目の前の人物、ランスは肩をすくめる。彼は腕を組んで次のようにおっしゃってくれた。
「俺たちのクラスも自国史の教師はカーティスなんでね。宿題にここを選んだだけの話だ。それにしてもまさかグェネと被るとは思わなかったな」
 それは俺の台詞だって。まさかよりによってランスと被るとは思わなかった。優秀な奴と比べられるのが嫌だったからわざわざこっちまで来たのに、意味ないじゃないか。
「不満そうだな。だがおまえが俺を超えるような考案をすればいいだけの話。自分に自身がないんだったら、運がなかったとあきらめるしかないな」
 ランスは不敵に笑みを浮かべながら手をひらひらとさせて入場していった。
 今さら引き返して別の遺跡に行くのも馬鹿馬鹿しいな。ここはランスとぶつかる事も覚悟の上でこの城で宿題をすまそうか。
 俺はため息をもらしながら、ランスに遅れること少しで受付に金を払って入場した。
 城の内側は魔王軍が攻めてくる事を前提に考えて作られてるので、城外より高い。城壁の一部には穴が開いていて、そこから弓を射る事ができるようになっている。現在アヴァロンで採用されている兵器の数々はもちろん、その原型すらなかった時代だ。使える武器は技での剣、盾、槍、弓など。そして術ぐらい。この城はその強固さと人間の強さでのみ圧倒的な数もの魔王軍を阻んできたんだ。
 でも当時は貴重だったけれど紙もあったし、石版どころか粘土板だってあったはずだ。記録するのにわざわざ壁を使う必要はなかったはずだ。そんな質問を以前ランスにぶつけてみたら、
「その城はアヴァロンの英雄時代よりもっと前に神殿として建てられたものなんだよ。英雄はそれを改築して城にしたに過ぎない」
 だそうだ。まあつまり、壁画や壁文字を模写しにやってきた俺はアヴァロンの英雄時代に対しての考察は一切出来ない事になるんだよな。と言うか、なんで記録媒体の使用禁止なんだよ。そのへんどう考えても間違ってると思うんだがなぁ……はあ。
 まあいい、愚痴はそれだけにしてとっとと書き写すとするか。
 三時間ほどしてようやく俺が目当てだった箇所の模写を終えた。解説本は鞄の中に閉まってあったから、それを見ながらちゃんと理解に努めた。後はこれを元に考察を深めれば宿題は終了、と。
 城の中は当然の事ながら飲食厳禁だ。ご丁寧な事にゴミ箱の一つもないでやんの。警備員は国直属の魔術師、こっそり食す事もできなさそうだ。
「なるほど、おまえはここを模写してたのか。随分と意外なこともあるもんだ」
 仕方がないからと荷物をまとめていると、奥の方からランスがポケットに両手を突っ込みながら歩んでくる。持ち物が鞄だけな所をみると、どうやら彼も模写を終えたらしい。
「まあな。騎士と姫の逃亡。それについて書かれたこれ、吟遊詩人に伝わったのとはまた違ってるんだ」
「伝説については諸説ある上に遺跡によって描かれた内容は違うがな」
 まあそれを言っちゃあおしまいだ。伝承の違いなんてそれこそ星の数あっても不思議じゃないし。
「俺の方はこの地で始めて現れた英雄についてを模写した。悪いが今回もトップはいただかせてもらうぞ」
「言ってろよ。歴史に関しちゃあ稼ぎ所だからな。ランス、君から今度こそトップを奪還して首位は俺だ!」
 完璧に勝利を確信したような微笑を浮かべるランスに対して、俺は自信たっぷりに自分を指差す。いくら筆記の成績がランスの方が圧倒的に高くても、歴史だけはこいつに負けたくないからな。
 さて、やる事もやったし言いたい事も言った。なら残った時間は遅い昼飯と観光に費やそうじゃないか。せっかく高い入場料払ったんだからちょっとぐらいのんびりしたいし。
 そんな事を思いながら、俺たちは今でも十分に使える食堂に足を運んだ。そう、俺たちが。
「ランス、なんでついて来るんだ?」
「別に。俺も模写に夢中になってて昼食を取るのを忘れただけの話さ」
 しれっと言い放つ、俺の後ろを歩む彼。飄々《ひょうひょう》としてるあたりもはや確信犯だろうな。
 とは言ったものの、ランスと一緒に食事を取るのも悪くはない。彼とは幼い頃に別れてから学園で再会するまでどうしてたのか俺は知らないし、学園でもあまり話す機会に恵まれなかったしな。たまにはゆっくりと語るのも悪くはないだろう。
 食堂は食堂でも王族などが使ったものじゃなくて、兵士が食事を取る所しか公開されてない。まあ、食いかすを掃除するのが面倒くさいのは分かるけどさ。とにかく俺たちは鞄から弁当を取り出して、お互いに見せ合ってみる。
 ……ぐう。俺は食費をけちってるから思いっきり手作りだけど、ランスの方も手作り。ただし、そのレベルは大きくかけ離れてる。ようはランスの方が間違いなく豪華だった。
「レベル高すぎだよそれ。もしかしてそれ君自身が作ったのか?」
「まさか、いくら没落貴族だからって家政婦の一人はいる。だから俺は一切携わってなんかないさ」
 盛り合わせ、色艶は完璧に近い。もし商品にして売り出したら間違いなく大儲けだろう。問題はリピーターが出てくるほどの味かって事なんだけど。
「一口いっただきー」
「あ、おい。ちょっと……」
 抗議の声を上げるランスは完璧に無視しつつ、とりあえずは肉を一切れいただいてみる。……何この香ばしさと深い味。一流料理人に作らせたら肉の一切れでもこんなに幻想的なのかよ。うらやましいぞこいつ。
「そんなにおいしいか?」
「ああ、十分においしい。こんなのを毎日食えるだなんて本当にうらやましいったらありゃしない。幸せもんだよ君」
「毎日食べてればそのうち飽きるもんだ。そうやって人は慣れていくものなのさ」
 それはまた意味深な発言だな。まるで慣れるのが怖いみたいな言い方じゃないか。
 俺はフォークを手にとって弁当を口に運んでいく。パンにしてもよかったんだけど、あれって腹はふくれるけど夕飯時までに空腹が耐え切れなくなるんだよな。朝食の延長みたいなものだから別にかまわないんだけど。
 一方のランスの方は食が進まない。何かを考えるようにして遠くに視線を送る。いつものランスらしくないといえばランスらしくない。
「何か悩み事でもあるのか?」
「いや、そこまで深刻な悩みじゃない。それにこの悩みを解決する事は現時点では不可能だしな」
 それってもしかして……、
「前回の大戦がらみ、か」
「ああそうだ」
 俺たちは同時に窓から空を見据えた。今日は雲が本当に流れていて、風の強さを物語っていた。その雲の隙間からのぞかせる太陽のまぶしさが心地いい。散歩してればさぞ気分爽快になるだろうな。
「グェネに望むものががあるように、俺にも望むものがあるという事だ。ただ、現状に全く満足していない事だけは確かだな」
「あんな成績優秀な君がか?」
「あれだと所詮井の中の蛙にすぎない。俺が望んでいるのはもっと上だ」
 ランスは高く手をかざすと、点を掴み取るとばかりにぐっと拳を握り締めた。
「いずれ俺は世界を変えてみせる。今の悲しい世界はぶっ壊して、いずれは必ず成し遂げてみせるぞ」
 そして彼は力強く宣言する。
 ランスがその意思を持ったのは前回の大戦直後からだ。俺自身は彼に何があったか詳しくは知らないし、そしてどんな世界をランスが望んでるのかも分からない。
 ただ、なぜこんなにまでランスが強い決意を秘めているのかは分かってる。その理由がランスのほとんどを占めている事も。
「英雄になれれば一番の近道なんだが……さすがにそれは無理だろうしな。ただ、他の者とは一線を引いた何かが欲しいが真実だな」
「……君ならやれるさ」
 でも多分、ランスだったら本当にそのまま有言実行するだろうな。彼にはそれを成し遂げる能力も意思もある。時間はかかるかもしれないけど、いずれはそれが現実のものになってるに違いない。
 だって言うのにランスは口惜しそうに唇を噛み締めた。
「だが……今のままだと何かが足りないんだ。確かにこのまま進んでもやれない事はないと思う。でも、何かが不足している。それが何なのかは俺自身にも良く分からないが、決定的な物が欠けている気がするんだ」
「おいおい、君に決定的に足りないものがあるんだったら、足りなすぎる俺は一体どうなんだよ」
「だがおまえには何が問題なのかは提起されているだろう。俺のは何が問題なのかが分からないんだ。それを確かめない以上、前に進む事は難しいだろうな」
 ……問題が分かっていても、それを解決できる能力がないんじゃあ話にならないと俺は思うんだけれども。だからおそらく、その悩みは俺にしか分からないんだろう。ランスの悩みがランスにしか分からないのと同じように。
「どっちにしても、俺たちが進むのは茨の道には変わりないじゃないか」
「誰がうまい事言えといったっけ?」
 ふと弁当箱に視線を移すと、ランスの方は既に食事が終わっていた。俺の方はまだちょっと残ってるんだけど、同じペースで食べて同じぐらいしゃべって、なんでこうも違うんだ?
「それじゃあ俺は先に城内回らせてもらうぞ。せっかく高い料金払ったんだ。それぐらいはしたい」
 ランスは弁当箱を丁寧に包み込んで鞄の中にしまう。ついでに口の周りについた食べかすを親指で拭いて、それを舐め取った。妙に絵になってるのがちょっと悔しい。
「ん、やっぱりランスもそんな考えだったのか。人間頭に思い浮かぶ事って一緒なのかな? それとも俺が単純なだけか?」
「両方だったりしてな」
「ひどっ!」
 お互いの笑い声が石造りで冷たい食堂に爽快なほどに響き渡る。
「まあいいや、グェネも食事を取った後は城内を回るんだろう? なら早くしろよ」
「やれやれ、それじゃあ期待に答えなきゃな――」
 だけど次の瞬間、そんな温かいやりとりを吹き飛ばすほどの衝撃音が城内に響き渡ったのだった。
 始めは何かの爆発音だと思った。無属性の爆発魔術を使えば似たような音が出るんだけど、もしそうだったら俺たちの学園でも指を折る程度の術者にしか出来ないほどの規模になる。
 それとほぼ同時に城内に衝撃が伝わってくる。石造りの警護な城がゆれて、今にも天井が落ちてきそうな錯覚を感じる。何しろ天井から粉がぱらぱらと降ってくるほどだし、皿が音をたてていてやかましい。
「一体何が……!」
「音からすると何かが降ってきたみたいだな」
 思わず立ち上がって焦る俺とテーブルに両手を乗せて踏みとどまって冷静なランス。でもほぼ同時に外の方に視線を移したのは同じだった。その後の行動は早く、窓へと近づいて音がした方向の外を眺めて――、俺たちは思わず言葉を失った。
 権利の象徴として建てられたのとは違って警護な城塞、それでも庭は丁寧に手入れが行き届いていた。それがまるでごっそりと大きなスプーンでえぐられたようにクレーターが出来上がっていた。
 そしてその中心に倒れているのは一人の子供だった。遠くから眺めている俺たちが見たって重傷なのは分かった。
「急ごうグェネ、死んでないなら治療をしないと!」
「あ、ああ。分かった……って、うわあっ!」
 ランスに促されて城内を駆け出そうとした俺だったけど、彼に手首を掴まれたと思うと次には宙を舞っていた。
 それがランスの魔術で窓の外に投げ出されたって気づくのに数秒。ランスが続いて窓から颯爽と飛び出して俺のもとに来るのにもう数秒。
「重力を軽減せよ、続いて天空を飛行せよ。グェネ、着地は任せたぞ」
「ええっ、そんないきなり……!」
 ランスが魔術を使ったのが数秒、そして俺が思いっきり脚から地面に叩きつけられたのに最後の数秒かかった。
 ……正直脚がしびれる。やっぱり加速度を打ち消したところで、あんな高い位置から落ちてきたランスと自分の体重を支えるなんて難しいって。大体『重力を軽減せよ』はともかく『天空を飛行せよ』は空中をすばやく飛行するための術じゃなかったのかよ。
「おい、大丈夫か! 返事をしろ!」
 そんな俺をよそに、ランスはクレーターの中央にいる負傷した少年の方へと駆け寄る。着ている服は燃えるような赤いローブ、幼い表情は思わず胸が高鳴る可愛さにあふれていて、瞳はとても深い真紅で宝石のようだった。傷は深いのに容姿の方に目が行ったのはさすがにどうよ、と自分でも思うけど。
 だけど問題はそんなことじゃなくて、なんでこんな子供がクレーター作ってここにいるんだ? しかも負傷のあとはクレーター作成の時にできたもんじゃないのに? 疑問は尽きない。
「回復せしは他者、今治療するからおとなしくしてろ!」
 ランスはすばやく術を構成して、夏の夜に見かける虫のような淡い光を発する手を患部に近づける。男性はかすかにうめくと、血を口から吐き出した。
「しゃべるな! 内臓をこれ以上傷つけるぞ!」
「い……いけない。早くこの場から……立ち去って下さい……!」
 それなのに子供は体を起こして言葉を並べる。そんな彼を見ていて気づいたのは、これだけの負傷をしていても男性の目は何かを見据えているように鋭い事だった。
「莫迦な事を言うな! このままではおまえは――」
「――人に見られたか。まあいい、それでも私がやる事に変わりはない」
 ランスがなおも恫喝しているその時、その声は響いた。
 俺たちは三者三様に主を見て反応する。子供は宿敵が現れたように睨み、俺は正体も分からない相手に得体の知れない何かを感じ取って剣に手をかけ、ランスはとっさに子供をかばいながら術を構成できるよう意識を集中させて。
 その人物は白銀の軽装鎧を純白の衣の上に装備し、顔を兜で隠していた。極上の絹のような白い髪を惜しげもなく流していて、身長は多分俺と同じぐらいでランスより低い。その玲瓏な風貌や無機質な声から性別を割り出す事は不可能。
 いや、正直そんな事はどうでもよかった。一番肝心なのは、もっと別な所にある。
 彼女は、光を身を包ませて空中にいるのだ。
「光、だと? 莫迦な……有り得ない」
 三人の中で一番動揺していたランスが今の俺の気持ちを代弁してくれた。多分もうちょっと言うのが遅かったら言ってたのは俺だろう。
「なぜおまえが光の術を使える!」
「そんなの決まっているだろう、少年」
 かぶりをきったランスに対してあくまでも感情が一切こもっていない声で語りかける相手。そんな調子のままで、
「私が英雄と人々が呼ぶ存在だからだ」
 当たり前のように言ってくれた。

「戯言を言うな! 世界大戦はおろか局地戦争すら起こっていないこの国に、英雄が現れるはずがないだろ!」
「愚問だな。その規模に関係などなく、災厄ある所に英雄は必ず現れる。更に言えば現れるのは必ず事後だ。つまり、その者こそ災厄の種とは考えられないか?」
 『英雄』はまさに降臨するように静かに大地に降り立った。そのたたずまいにはひとかけらの乱れもない。
 あまりの光景に俺とランスは動く事が出来ないでいた。目の前に伝説でしか知らない英雄が現れたんだから、それも当然だろうな。何しろ伝わる伝説では英雄は百戦錬磨。歴史では何度か敗北をしてるけれど、結局最後には勝つ存在だ。子供をかばって立ち向かったって勝率はゼロだ。
 でも、こんな子供を英雄が倒さなきゃいけないのか……?
「……僕は何も悪い事はしていません。僕はただ僕が進むべき道を進んでいるだけの話であって、英雄に狙われるような事はしてないはずですよ」
 こんな状況なのに子供はまるで簿焼きを言うような仕草をする。その言葉はまるで俺の心を見透かされたようだったので、少し驚いてどんな表情をしたかは分からない。
 そんな少年はランスの制止を振り切って、傷ついた体を抱えながら立ち上がった。
「すみません、こんな事に巻き込んてしまいまして。英雄の狙いは僕だけみたいですから、今すぐ僕から離れた方がいいと思います。そうすれば多分あなた方は巻き込まれないと思いますから」
 小さい身体で勇ましく前に進み出るその様子は、俺が見たって立つのがやっとだ。ましてや戦闘なんてとてもできっこない。
「英雄さん、どうかこの人たちは見逃してくださいませんか? 僕とは何の関わりのない人たちなんです」
 『英雄』は無言でうなづいて、虚空から光に包まれた剣を取り出して構えをとった。
 ああ、確かにこのまま子供を見捨てれば俺たちは助かるだろうな。もし学園にその事が知られたって、英雄の目撃はランスだって見てるから信じてもらえるだろうし、何の罪も受ける事は無いだろうし。
 だからって……俺にはこの子供が英雄が倒すべき悪人にはどうしても見えない。何より幼いって言うのに、見ず知らずの他人な俺たちを気遣ってくれてる。俺に見捨てるなんて事はできない。
 じゃあどうする? 英雄と正面きって戦うか、子供をつれて敵前逃亡するのか、それとも見捨ててしまうのか。ああくそ、そんな重要で今後の人生にも影響を与えそうな選択を一瞬でしろって言うのかよ。
「……英雄とやら、一つ聞きたい」
 葛藤する俺をよそにランスはいつもの調子を崩さずに問う。右手で左目を隠す仕草、彼が真剣な事を考えている時のくせだ。
「おまえはどこの英雄だ」
「それもまた愚問だ。英雄に国籍や種族など関係あるまい」
「質問に答えてもらおう。それとも英雄にもなれば自国が卑しくなるか」
 『英雄』がその時どんな表情を見せたかは兜のせいで分からない。でも、肩の動きからすると目を細めて不快感を示したんだろう。ランス、挑発するような物腰はやめてくれ。
『英雄』は自分の胸に手を当てて、
「ルテティアだ」
 断言するように言い放った。
「そうか」
 俺は視線を『英雄』に向けてたから、どんな表情をランスがしてるかなんて分からなかった。でも目の端に映った彼を言わせて貰うと、漆黒の笑みに彩られていた。
「なら貴様は俺の、敵だ!」
 ランスはそう言うが同時に手を『英雄』の前に突き出した。
「広域に爆破しろ!」
 そして力ある宣言と共に『英雄』の周りが爆破炎上する。
「うそ、あんなに若い人がこんな強力な術を……!」
 少年は自分の状態を一切忘れたようにただ驚く。まあ、ランスの術の威力は宮廷魔術師ですら舌を巻くほどの威力だからな。学園を卒業すれば間違いなく国の重要な機関への道が約束されるんだろう、みたいな事を言われるほどに。
「グェネ、こいつは俺が抑える。おまえは彼を一刻も早く王都に連れていくんだ。王室なら彼を守るほどの力もある。役所に行けばワープ魔術で一気に移動できるはずだ! 再度発動!」
 ランスが俺に強く促すのを見て、俺も決心が固まった。ランスが引き金になるなんて情けないったらありゃしないけど、決定した事は俺の意思だ。
「行こう。ランスの回復魔術である程度は動けるよな」
「でも、あの人を置いて僕だけ行くだなんて……」
「ランスはその辺の節度はきちんとしてる。命の危険が迫ったら逃げるさ」
 俺は、この子供を絶対に助ける!
「それよりさあ、急ごう!」
 ランスの方は一度も振り返らずに子供の手首をもって引っ張る。こんな事は言ったけれど実はものすごく不安はあった。だって相手はあの英雄、普通の人間が戦って勝てる相手じゃない。
 でも、この場合これしかないだろう。いくらランスだってまだワープ魔術は使えない。俺が足止めを受けるよりこっちの方がいいって判断したんだろうから、俺は彼の期待と自分の意思に答えるだけだ。
 ――そんな考えは実に甘かったと思い知らされたのはそれからほんの僅かな時も経たずして、ってやつだった。
 不意に感じ取れたのは、術士の風上にも置けない俺でも感じ取れるほどの凄まじいまでの大術行使の波動。それに驚愕しつつ振り返って目に入ったのは、『英雄』の手から発せられる光の柱だった。
 それは上空にそびえたってから傘のように展開していき、城内をドームのように包み込んだ。まるで光のカーテンだな、なんて思うけれど、実際はそんな生易しい代物じゃないはずだ。
「本来は外から内を守るものだが、逆に内から外を守るものでもある。ようは、私がおまえを逃がすとでも思ったのか?」
 ランスと戦っていたはずの『英雄』は全くの無傷だった。それどころか鎧や服も一切汚れていない。爆破の余波で術者だったランスですら少し汚れてるのに、だ。当然そのたたずまいにも揺るぎなんてない。
 ランスは肩で息をして呼吸を整えていて、表情には疲れが明らかに見えている。
「さあ、無駄だと分かったらそこをどけ。おまえたちでは私には勝てない」
「それは……これを受けてからにしてもらおうか!」
 ランスはあくまで淡々とした『英雄』に向かって喝破し、詠唱を……っておい、それってまさか……。
「ランス、君……こんな場所でドラゴンバスターを使う気か!」
「ドラゴンバスター……!」
 俺の言葉に子供の顔も青ざめた。『英雄』もまた構えを若干変化させる。
 ドラゴンバスター。文字通りこの世界で最も強き種である竜族すらも一撃で倒せる威力を持ち、使いようなら城一つすら攻略できる最大攻撃魔術。当然それに応じて扱いが難しく、高レベルなもんだ。威力はさておき二十に満たないランスがそれを扱えるのは、世間一般の常識で考えれば有り得ない事だろう。
「こんな所で使ったら住宅地に被害が……!」
「黄竜を破壊せよ!」
 俺の制止なんて完璧に無視しつつ、ランスは『英雄』に対してその術を解き放った。
 ランスの腕の先にあったものが全てランスの術に飲み込まれていく。術の余波は俺たちすら満足に立ってるのがやっとで、結果をうかがう事が出来ない。
 光の奔流は『英雄』が作り上げたフィールド魔術にぶつかって、凄まじい衝撃音を立てる。ドラゴンバスターは一直線通過型じゃなくて単体攻撃型。にもかかわらず今にも障壁を硝子のように破りそうな勢いを保っている。
 いくら英雄でも、城一つ落とせて竜すら撃破できる術をまともに受けたんじゃあひとたまりも……、
「光の疾風よ」
 とっさに反応できたのは日々の鍛錬の賜物としか言いようがなかった。まだ竜破壊の術が続いてるのに、それを突き破って光の刃が疾走してきた。俺自身は子供を剣で何とかかばう事ができたけど、
「ぐぅっ!」
 術に専念してたランスはそれをまともに受け止めていた。光の刃はとっさに展開した魔術の障壁に衝突して、音をたてて崩れ去った。
 刃の衝撃より術の中断の反動でランスは苦痛に顔を歪ませる。あれだけの攻撃魔術を中断したのにそれだけで済ませるのはさすがとしか言いようがない。
「光の槍よ」
 だが次にはランスに向かって一直線に光の槍が突撃する。ランスの体は次の瞬間に大きく飛ばされて城壁に激突した。彼の右肩は大きな穴を開けて、そこから血が大量に流れ落ちている。
「ランス!」
「光の烈風よ」
 とっさにランスの元へ駆け寄ろうとした俺の体に鈍い衝撃が走ったと思うと、いつの間にか俺は窓を突き破って城内に叩き込まれていた。転げまわった全身よりも攻撃を受けた腹がものすごく痛い。
「う……がふっ……!」
 呼吸を整えようと思ってもあまりの苦しさに立ち上がる事もできやしない。こんな事だったら鎧くらい装備しとけばよかった。
「あくまで私に立ち向かうか」
 硝子を踏み締める音が耳に入り、外からの日差しで出来た影が俺を覆った。つばもろくに飲み込めない俺が何とか見上げると、光の剣を俺の喉元に向けた英雄が構えていた。
「未成熟ながらその実力は高い。障害と見なし、排除させてもらう」
 とっさの声も出ない。目の前には確実な死が用意されている。俺の死神の表情は全く見ることが出来ないけれど、多分声の調子と同じで人形のように全く感情がこもっていないんだろう。
 俺はここで死ぬ。英雄にたてついた大馬鹿者として歴史に名を刻んで人生に幕を下ろす。
 ふざけるな。俺はここであきらめない、こんな所で死ぬわけにはいかない。俺にはまだやりたい事、やらなきゃいけない事があるんだ。
「さらばだ」
 『英雄』は手に力を込める。今すぐに回避行動をとっても間違いなく次の瞬間には俺の喉元に剣が突き刺さっているはずだ。
 俺は……やらなきゃいけないんだ。やりとげなきゃいけないんだ。
 『英雄』は剣を突き出す。ほんの僅かな時にも満たない短い時間。
 そうだろう、イレイン。そうだろう、俺が絶対に守り抜きたい、ただ一人の存在――、
「むっ」
「えっ?」
 その時、床が淡く激しい光に包まれた。最初は目の前の『英雄』が何かしたのかと思ったけれど、反応を見るとどうも違うらしい。
 じゃあなんなのか、そんな事を考える暇は全くなしに光は紋様を描き、そして次の瞬間には俺の身体はその光に包まれていき、意識が急激に暗転していった。

 鈍い痛みと一緒に目が覚める。俺は強く打った頭をさすりながら辺りを見渡す。
 目の前にあるのは神殿の遺跡みたいな建物だった。その大きさは学園の近くにある国でも屈指の大きさを誇る大聖堂と同じくらいかもしれない。なんだかとっても古そうなんだけど、まだ年月が経っていないみたいに崩壊の跡がない。文字とか彫刻とかで判断できるほど年代特定の知識があるわけじゃないから、俺にとっては別に観光名所と化してる城とかと何ら変わりない。
 まあ、神殿の遺跡自体は国のあらゆる所にあるから別に珍しくもなんともない。問題なのは……問題なのは……。
「俺は今どこにいるんだ?」
 神殿と俺が立つ装置の他はもうほとんどが廃墟だった。元々建物があったらしい場所に石が積まれてるのと、道に石が敷き詰められてるのぐらいで、あとは何もない。しかも見渡す限りその光景が続いている。これはもう滅びた都市って言った方がいいかも。
 俺は学園の宿題で都の外れにある遺跡の調査をしてた。そこは冒険者の初心者が行くような本当に観光名所になってる所だった事もあって、結構順調に進んでた。確かその目的は遺跡に描かれてる壁画文字の複写だった。そんな時にごたごたがあって、なぜか分からないけどいきなり俺は光に包まれてて、気づいたらここにいたわけだ。
 元いた遺跡と今いる滅びの都市との共通点って言えば……俺が立ってる床に描かれてる陣ぐらいだろうか。一度外に出て入っても、ジャンプしてもうんともすんとも言わない。多分別の作動条件があるんだったら俺にはどうしようもない。
「くそっ、一体どういうことなんだ?」
 このままこの場所で待ってても埒があかない。食べ物は望めそうにないし、多分俺が飛ばされた原因は目の前の遺跡にあるんだろう。そうと決まればと、俺は背中に帯刀してたクレイモアを抜き放って、目の前の建物に足を運んだ。
「トーチライト」
 俺は子供にも出来るような初歩的な魔術を、補助魔道具を使ってようやく構成する。右手に神秘を、左手に剣をってやつだ。
 暗くて長い廊下にある光は俺が作った魔術の灯りだけだった。とりあえず建物の中には罠も怪物もいる様子はない。なのに中は遺跡みたいに誰一人いる気配はないし、にも拘らず建物からは廃墟だって思わせない何かがある。
 頭を捻りながら進んでいくと、随分と開けた広間に行き着いた。天井はそれこそ大聖堂よりも高いかもしれない。その天井がどんな構造になってるかは分からないけど、光が差し込んで広間の中央を淡く照らしていた。その中央には円の台座だけはあるのに、そこに飾られているのは何もなかった。
「無駄に広いだけだな……。もしかして手がかりなしか?」
 何のための建物だって。中央に明かりを持ってくるように設計したなら、せめて偶像とかシンボルとか置いとけよ。
 思わず溜息が漏れるけど、ふと気づく。中央を囲うように同じく円柱、でも中央のよりは高さがない台座がいくつかある。近寄ってよく見てみると、台座にはそれぞれ別の文字が書いてあった。なんて書いてあるかはさっぱりだけど。
“待っていたぞ”
「え?」
 不意に聞こえてくるのはそんな透き通った声。それは広間のどこから聞こえてくるのか分からないほどはっきりとした、でも語りかけるのが目的のように小さい。
「なんだ? 誰かいるのか?」
 俺は周りに注意を払うけど、広間に俺以外の誰もいる気配がないし、見えもしない。でも気のせいじゃない事は断定できる。
 返事がないのを見て取ったので、俺は灯りを消して台座に背を置いて、剣を構えつつ隠れた。姿を現さない上に返事もしないんだから、ろくな事を考えてないんだろう。すぐに反応できるように細心の注意を払う。
“私の光の剣士よ。今こそ契約を結ぶ時だ”
 今度は本当にそんな声が俺の耳に入ってきた。声の方向は……上?
 俺の隠れていた台座、今気づいたけど他の台座とは違って、像がそこにはあった。どんな芸術家の作品なのかは分からないけれど、一切の直線を排除した、曲線でしか表していない女の子のものだ。
 まさかこいつが俺に話しかけた? そんな馬鹿な。いくら魔術の才能がからっきしな俺だってゴーレムか普通の像かぐらい分かるって。
“私の名は、そう……ヴィヴィアンだ”
 そんな俺の考えとは裏腹にその像から光が出てくる。始めは漏れているようだったその光はだんだんと漏れてくる量が増えてくる。と同時に像の表面が砕け散ってくる。その光の強さが増してくるにしたがって、見ているのもつらくなってくるほど眩しくなってくる。
 そして、光が弾けた。
「さあ、選ばれし者よ、これは契約だ」
 光が収まってきてようやくおそるおそるだけど、そっちに目を向ける事が出来た。
 そこにいたのは像としてあったはずの女の子だった。
 本当にさっきまで像としてあったように、彼女の身体には直線が見当たらない。強いて言うんだったらその長髪だけで、他はみんな曲線で出来てるみたいに滑らかな体つきをしていた。正直、ものすごくかわいい。あどけない顔、宝石みたいな瞳、しなやかな物腰。全てに思わず心動かされる。声もまた精霊が歌っているみたいだ。
 なのに、そんな見た目からは想像も出来ないほど口調と表情に一切感情を込めないでは、ヴィヴィアンと名乗った少女は淡々と続ける。
「おまえとて知っているだろう。魔王が敗れ去った今とて根本的な解決には至っていないと。そして世界を正すのはいついかなる時だろうと英雄であるとな。私はその英雄としての力を授ける者」
「ち……から……?」
「そう、おまえの望みをかなえる力だ。おまえにはそれを得る資格がある」
 ヴィヴィアンは俺の方に繊細な手を差し伸べてくる。
 英雄、その存在を知らない奴はこの世界にはいないと思う。混沌が訪れた時に必ず現れる世界を正す存在だ。みんな英雄の存在を敬い、そして憧れている。英雄の活躍は物語として、歴史上の史実として、今でも多く語り継がれてる。
 ああそうだな。俺には確かに力を望む理由がちゃんとあるよ。そして今歩んでる道だとその達成が果てしない事も分かってるし、今この契約に乗る事が一番の近道なのも十分に分かってるつもりだ。
「さあ、どうする?」
 ……そうせかさなくても、俺の答えはとっくの昔に決まってる。
 だから俺ははっきりと言ってやった。
「俺は……英雄になんかならない!」


続く

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