プロローグ

 目の前に広がるのは真っ赤な炎と黒い煙だった。
 本当なら夜になれば、王都で見ることが出来るプラネタリウムなんて比べ物にならないほど綺麗な星空を眺める事ができるのに。お昼だったらお天道様《てんとうさま》が大きな建物を素敵に見せるのに。雨でも木々が神秘的に呼びかけてくるようなのに。
 ひどい、本当にひどい光景。人が黒くなって踊っていたり、大きな声をあげて飛んだり、川に飛び込んでいったりしてた。
 わたし達が通っていた、みんなの学校は半分がなくなってる。こっからでも教室の黒板が見える。わたし達が一緒になって駆け回った公園、ほとんどの木とか広場は炎が広がってて、赤と黒と茶色に染まってる。そして、わたし達が住んでいた家、こっからだと見えるのは屋根だけだ。玄関も、窓も、自分の部屋も見えない。屋根だけになってた。
 そして、空に広がってるのは星空じゃなくて真っ黒な雲と、無数にいる怪物と、大きな機械の箱だった。真っ黒な雲は下からどんどん出てくるし、怪物は何かを食べたり炎を吐いたりするし、機械の箱は炎を出す丸っこいものを落とす。
 わたしが寝付けない時、お母さんがよく聞かせてくれたお話に出る、地獄。あたり一面が燃えていて、空は暗くて、悲鳴がいきかっている。わたしには目の前のそれがそれにしか見えなかった。
 い、いやだ。こんなの見たくない。見たくないよ。そう、こんなの本当じゃない。本当のわけがないよ。本当のわたしは家のベッドでゆっくりと寝ているに違いないよ。それでいつもみたいに寝坊してお母さんにしかられて、またさわやかな朝を迎える。きっとこれは夢に違いない。
「……現実から目をそらすな。君が抱えてるのは僕の妹なんだぞ」
 隣にいた彼に怒ったような言葉で言われてはっとする。
 僕は今彼の妹を背負って山を登っているんだった。少しでも町から離れて助かろうって彼が言ってくれたから、わたしは今こうしてるんだ。
 現実逃避はいつでも、いくらでもできるけど、それじゃあ彼女は救えない。助けられない。わたしに出来る事なんて大した事ない。それでもわたしはこうして命の重さを背負ってるんだから、彼の思いに答えないといけない。
 山も少しは燃えているけれど、それでも町に比べたら大した事ない。わたしは重い足を踏み締めて、山を登っていった。
 町が展望できる所までたどりついた時、下の方は黒い影が動き回っていた。細長いものを振り回して人は二つになっていったり、棒が生えたりした。空の黒いものはどんどん増えてきてる。
「もう……わたし、こんなの見たくないよ……」
 彼女をそっと地面に寝かせたわたしは、膝をついて思わず泣き出した。
 涙が止まらない、言葉も止まらない。こうでもしないと恐怖も絶望も、何もかもがわたしを襲う気がして。手で耳をふさいで、まぶたをぎゅっと閉じて、ただただこんな悪夢から覚めてほしいと願った。
 それなのに彼は目の前の光景をじっと見つめていた。まばたきもしないで、まるで自分の目に焼き付けるように。拳は硬く握り締められていた。血が流れ出るんじゃないかって思うぐらいに、痛みを刻み付けるように。
「僕は目をそらさない。目を絶対にそむけない。二度と……二度とこんな事を起こさせないために」
 彼は自分に言い聞かせるみたいに何度も同じ事をつぶやいてた。
 わたしはずっと前から彼の強さにあこがれてた。わたしがいつも弱音をはいていた時に支えになる言葉を何度も言ってくれた。今も、わたしはこんななのに彼はとても強いままだった。
 でも、そんな彼の強さがその時だけはとても怖く見えてしまった。

 結局、雨のおかげで町を燃やしてた炎はなくなってた。でも水たまりは黒くにごってるし、雨に濡らされて輝いてた木々もない。わたし達の目の前に広がるのはがれきの山と、弱り果てた人たちだけだった。
 わたしはまた顔を涙で濡らした。なんでこんな事になったのか、そんな事は幼かったわたしには全く分からなかったけれど、こんな悲しい光景は二度と見たくなかった。
 彼の妹を抱える体はとても重い。足は前に進もうとしない。優しい笑みを浮かべてくれる彼はお人形のように無表情のままで、妹は心配そうに辺りを見渡している。天気は晴れなのに、わたし達の心が晴れる事はないだろう。
「僕は……」
 彼はわたしの前を歩いていたから表情をみる事は出来なかった。でもその肩と腕は震えていて、今にも遠くまで駆け出しそうだった。そんな震えを自分で押さえつけるようにしながら彼は、
「僕は、絶対にこんな世界は変えてやる」
 はるか遠くを目指すように決意を込めて言った。
「英雄以上の存在になって、こんな世界は僕が変えてみせる」
 思えばこの時、彼の進む道は決まっちゃったのかもしれない。わたしと同じ年だったのに、まだ子供だったのに、彼はもうわたしよりもはるか遠くに行ってしまっていたんだ。この時も、今も、わたしは彼と一緒に進むべきなのか、別の道で行くべきなのか、それとも平坦な道を進んでいくのか、自分でも分かっていない。
 でも……、目の前に広がる光景、決意を込めた彼、私が背負っているか弱い彼女。弱虫だったわたしでも、進みたい道はできた。どんな思いをしても、どんな痛みを負っても、どんなに苦しくても、歩んでいきたい道が。
 わたしはきっと――。 


続く

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