天気予報大雨

 天気予報では午後に八十パーセントで雨になるらしかった。
 朝、外を見る限りでは雲ひとつない、文字通りの快晴だった。ここまで清々しいのを見たのも久しぶりで、どう考えても雨が降る気配は一切なかった。
 それが突然変化を遂げたのは昼休みが終わったあたり。授業に突入した時は空はすでに白を通り過ぎてねずみ色、むしろ墨汁をぶちまけたような濃い灰色と表現した方がいいぐらいに暗くなっていた。雨足もその時を境として急激に強まっていき、ついには雷鳴まで轟くようになった。
「おい雨月(うげつ)、おまえ傘持ってきてるか?」
 鉛筆片手に窓の外をただ眺めていた俺に、後ろ向きで語りかけてくる強者が一人。一応名前は本郷(ほんごう)とかいう。別に俺は授業を真面目に聞いてないから話しかけるのもいいけれど、あからさまに教師に反逆するのもいかがなものかと思うが。
「雨具なら持ってきてるぞ。降水確率高かったしな」
「あー、オレはせっかく女子と距離を縮めるチャンスだったのに、持って来るの忘れちまったんだよー」
 なんだそれは。降水確率が高かったら女子と仲良くなれるだなんて初耳だぞ。
 イマイチ分かっていない俺に、本郷は公式が分かってないやつに理解を促がそうとする優等生っぽく発言する。
「いいか、午前中があれだけの快晴だったんだ。傘を忘れた女子はたくさんいるはずだ。なら「傘一緒に入っていかない?」って誘うチャンスじゃないか」
「とりあえずおまえの頭の中が終始快晴なのは良く分かった」
 何の話かと思えば、そんなくだらない事かよ。どうでもよすぎてあくびを噛み締めるのが精一杯だ。そんな漫画みたいにうまくいったら、今頃学校中がカップルだらけになっているに違いない。
 だが本郷は空気を読む頭のねじが数十本は破損しているらしい。なおも続けようと意気込んでいる。これが休み時間だったら今頃張り倒しているところだ。
「相合傘、いい響きじゃないか。俺、愛内(あいうち)さんにぜひしたかったなー……」
「愛内? 何でまたあいつなんだよ」
「雨月、おまえほど愛内に関心のないやつも珍しいぞ」
 珍しい言われても事実なんだから仕方がないだろう。
 愛内朋美(あいうちともみ)、学年の中ではかなり人気のある女子だそうで、野球部のエースで活躍する斎藤(さいとう)も彼女に気があるとか。彼女には他の女子にはない特徴があって、ストレートの髪が腰まで伸びている。手入れも行き届いていて、みずみずしさを感じさせる。
 公言すると男子全員を敵にまわしそうなので控えているが、正直な話俺の好みではない。クラスは同じだが親しくもなく、その他大勢いる女子の一人にすぎないと考えているので理由などない。
 ただ、あえて言うとしたら、あまりに完璧な点が気に入らないのだろう。架空の物語でたまに見かける才色兼備キャラ、彼女は正にそれだった。二次元ならともかく現実に存在すれば正直覗き見るだけで十分だ。俺にとってはどうせ高嶺の花なんだから。
「……まあ、人の好みなんてそれぞれだしな」
「それだけで片付けられると思ってるおまえの考えをぜひ把握しておきたいもんだがな」
 そうは言われても、これが俺の印象の中での彼女だった。だから話してもつまらないだろうと確信し、一度も会話した事がない。したいとも思わない。
「おまえ、もしかして哀川(あいかわ)がいいのか? 彼女随分とかわいいしなー」
「帰れ」
 おそるおそる発言する本郷の戯言を切り捨てて、また外を眺める。
 哀川里奈(あいかわりな)は俺の幼馴染だ。腐れ縁とでも言うべきか、なんと幼稚園時代からずっと一緒だ。確かに人気がある事は分かるけどよ……、
「天気予報? そんなの当たったらもうけものよ。それにこんないい天気なのに雨なんて降るわけないじゃない」
 俺と同じニュースを見ていたはずなのに、こんな事を自信満々に主張してくるんだぞ。あんなわがままで横暴なやつにどうやって恋愛感情抱けと言うんだ。なんだったらおまえがあいつと付き合ってもいいんだぞ。
「そんなことが起こるなんて夢のまた夢だ。結局いつもと変わらないに決まってるだろ」
「これだから夢のないやつは駄目だな」
 夢と妄想を一緒にするんじゃねえ。そんな事が実際にあるわけがないだろうが。
 言い返そうとも思ったが、反論するのも億劫だったのでそのまま某ガキ大将リサイタルのような俺様自己満足発言を授業終了まで聞くことになった。

 下校時刻、玄関前。どうやら雨具を持ってきていない生徒達がどのようにしようか迷っているらしい。
 ある男子はバッグを抱えるようにして強行突破する。たった数メートル走るだけでシャワーを浴びたようになり、足元には泥が跳ね返る。ある女子は引き返して階段を上っていく。どうやら通り雨と予想して閉門時間まで粘るつもりのようだ。
 結論に至った生徒は意外と少なく、大半は玄関前で立ち往生するばかりだった。立っているだけだと間違いなく事態は進展しそうにない事は明白だと俺は思うのだが。
 当然、あのバカの狂言を実行に移す奴は一人もいない。いたらいたで面白いんだけど。
「あら、雨月くん。今日の部活はどうしたの?」
 そんな事を考えていた俺に気づいた女子が一人、こちらに歩み寄ってくる。その場にいるだけで絵になるほど見栄えがする、さっき話題にでた女子、愛内だった。
 彼女は俺のそばまで来ると、絵画でよく見る貴婦人のように笑いかけてくる。別に邪険にする理由もないので、俺は当たり障りのない返答をする事にした。
「んー、今日は筋トレやりまくるだけだから、理由でっち上げて休む。別にレギュラーじゃないからさぼったところでチームに支障はないしな」
 そんな調子だからレギュラーになれないんだとは自分でも思うけれどな。
「そうなんだ。それじゃあこのまま帰るの?」
「ああ。別に寄りたいところもないし、帰ってテレビでも見る」
「そう」
 以上、会話終了。これ以上話した所でバカ話に突入できるわけでもないし、真面目な話は不必要だ。
「雨月くん、傘はあるの? なんだかみんな持ってきてないみたいなんだけれど」
「傘はない」
「あ。な、なら……」
「強風が吹くって天気予報にあったしな。傘じゃ防ぎきれないと思ってこれ持ってきた」
 某ネコ型ロボットよろしく、俺は鞄の中からそれを取り出して、高くかかげる。
「これこそ人類が生み出した対雨用装備の中で最も優れた一品、その名もレインコート!」
 なんてバカな事は言わないが、これで風にさらされようとも雨に当たる事はない。
「じゃあまた明日な」
「…………」
 愛内は何かを言いたそうに手を伸ばすけれど、すぐにそれを引っ込めてうつむく。
 はて、会話の様子から考えるとこいつは俺に何かを言いたかったはずだが……まあいいか。発言をためらったなら、別にそこまで重要な事じゃないんだろうし。
 俺はビニール袋からレインコートを取り出して……、
「もーらいっ」
 見事に里奈にひったくられた。
 鮮やかとしか言いようがない。俺だって鈍い方じゃないけれど、手元から離れて初めてその事実に気づいたくらいだ。さすがバスケ部でレギュラーで活躍するだけある。決して今の技術を犯罪には使うなよ。
 ……って論点がずれてる。俺の雨具はそれだけしかないし、当然それは一人用だ。
「おいっ! それ俺のレインコートだぞ!」
「いいじゃない。かわいいわたしのために用意してくれたんでしょ?」
 何莫迦な事言ってる。天気予報無視して特攻したのはおまえだろうが。
「何で俺が間抜けな幼なじみの尻拭いしてやらなきゃいけないんだ。寝言は寝て言え」
「うわ、女の子の尻拭いって。勇人(はやと)のエッチ、変態」
「このっ!」
 俺は里奈の戯言そっちのけで奪い返そうと手を伸ばすが、あっさりをかわされた。その後も俺は無様に手を振り回すだけで、彼女の動きに翻弄されまくる。
「大体っ、おまえっ、今日の部活はっ、どうしたんだっ!」
「ん? 今日は男子バスケ部の曜日だから休みよ。勇人と同じで筋トレなんてやりたくないからね」
 ぺろっと舌を出したってごまかされないし、奪い返すまで俺はやめんぞ。くそ、この、ええいちょこまかと動きやがって!
「親切な勇人の心遣いに感謝しつつ、それじゃあねー」
「てめえ、待ちやがれこのっ!」
 里奈は陽気に笑いながらレインコートを時代劇の女忍者よろしく早着込みをして、雨の中を疾走していく。こっちは散々振り回されて疲れただけだ。息があがってないのは日々の鍛錬の賜物と言いたいが、それでこんなザマかよ。
「……本当に元気ね」
「元気すぎるってのも逆に問題だと思うんだけどな……」
 ほほえましい笑みを見せる愛内に対して、俺は素っ気無く言い放ちながら頭を抱える。
 くそっ、アイツの行動は計算外だった。これだったら朝アイツの鞄に無理やり折りたたみ傘をねじ込んでおくんだった。以前それやったら不平不満を言ってきやがったからと、ためらったのが間違いだった。
 さて困った。持ってきた雨具はあれ一つだから、今手元にはない。行きが雨で帰りが天気な日もあったけれど、持ってきた傘は毎回持ち帰っているから、置き傘もない。部室にも教室にもロッカーにも……。
「ん? ロッカー?」
 そう言えばいらない教科書と一緒に何か役に立つものを入れたような気がする。具体的に名称まで浮かんではこないが、こんな天気だからこそ役に立つものがあったはずだ。
「それならわたしが……」
「悪いな愛内さん、俺教室に忘れ物してたや。じゃあな」
 そうと決まれば善は急げ。早く教室に向かってそれを取ってくる事にしよう。
 愛内が何かを言いたそうだったけれど、授業中でも歯切れよく発言する彼女にしては随分と口ごもっている。言葉が発せられたタイミングはほぼ同時。俺は彼女の方へと振り返るけれど、また前髪で表情を隠す。
 何だあいつ?
 疑問を抱えながらも俺は階段を駆け上がっていった。

「やっぱり、これが残ってたのか」
 ロッカーの中に入っていたのは折りたたみの傘だった。しかもピンクの下地に魔法少女のキャラクターがプリントされてある代物。
 こんなもんが俺のロッカーに入り込んでる理由なんてただ一つ。この前里奈の鞄の中にこっそり入れておいた物を公衆の面前で叩き返されたんだった。
 あんな瞬間二度と忘れやしねえよ。ちょうどその時も降水確率七十パーセントだったのに休み時間にいきなりやって来て、大声で言い放ちやがった。
「何やってんのよこんなもん勝手に入れてくれちゃってさ。いい年した男子が魔法少女? ばっかじゃないの」
「おい、魔法少女を莫迦にするなよ。あれは特撮ヒーローと同じで変身、必殺技、爽快に敵殲滅。三拍子そろった素晴らしいジャンルだろうが!」
 おかげでついカッとなって言い返したんだが、よく考えてみると論点が完璧にずれてたんだよな。おかげでクラスどころか学校からの俺を見る目が変わったぜ。
 あの後職員室に呼び出されたのは余談にしておいて、とにかくその結果、俺のロッカーにはまだそれが残っていたわけだ。
 あいつ、これの存在忘れて俺のレインコートぱくっていきやがった。後であいつの家に強襲してデザートを強奪する事にしよう。
「雨月、まだ残ってたのか」
 傘で手を遊ばせながら階段へと向かう俺に、声をかけてくる男子が一人。女子の憧れの的でありながら愛内を狙っていると噂されている斎藤だった。
 彼はユニフォームではなくて学生服に身を包んでいる。なのに筋肉質な体つきをしていると分かるのは、やはりエースピッチャーの貫禄なのか。どうやら野球部は筋トレなしらしいので、ちょっとうらやましい。
「ああ。折りたたみ傘をロッカーに入れてたのを忘れててな。それを取りに来てた」
「あー、うん。じゃあ、おまえの傘ってそれだけだよな?」
「……まあそうだな。もう一つは里奈……哀川に強奪されたし」
 おかしいな。いつもの斎藤と違って言い淀みが多い。先輩と後輩どちらにもはきはきしていて、監督からも絶対の信頼を受けている斎藤が、だ。さっきの愛内を連想させるのは俺の気のせいだろうか。
「な、なあ雨月」
「何だよ」
「何も言わずに俺にその傘を貸してくれ!」
 斎藤は頭を腰ごと九十度近くまで深々と下げる。俺は唖然とするしかなかった。
 傘を貸せって、斎藤も傘を忘れたのか。そして里奈同様に俺から帰宅の手段を奪おうって迫るのか。何考えてるんだこいつら、天気予報ちゃんと見てるのか? いや、そもそも大雨でもグラウンドで泥だらけになっても練習する野球部のエースが言う事じゃないだろ。
「斎藤、おまえ傘は?」
「忘れた。頼む、何も言わずに傘を貸してほしい」
 俺はしばらく考えて、結局貸す事にした。決め手は斎藤が見せた誠実さだった。傘一本で頭を下げるんだから、何かしらの意味があると思って。
「これでいいんならほら、明日にでも返してくれよ」
「サンキュ、恩に着るよ!」
「あとそれからその傘の柄……っておい、話途中だぞ!」
 俺の言葉が終わらないうちに斎藤は陸上選手顔負けの速度で廊下を走り去っていった。間違いなく先生に見つかったら反省文ものだろう。
 まあ、いいか。多分傘を借りたのは濡らしたくない物を持ち帰るためだろう。俺の鞄は防水性だし、万一濡らしても教科書とノートとプリントぐらいだ。大した事ない。それだけの犠牲で斎藤の大切なものを守れるなら、それでめでたしめでたしだ。
 心を満たす満足感と共に俺は階段を下りていく。レインコートも折りたたみ傘もない以上、残った手段は強行突破か座して待つぐらいだ。当然俺は強行突破を選択する。時間の無駄は極力避けたかったし、プールの授業を思えば雨にさらされても風邪をひかないだろうし。
 昇降口付近にさしかかったあたりか、唐突に悲鳴が聞こえてくる。ピンクではなくブルーの悲鳴が。美少女ゲームで言えばフラグが一本は抜き取られたと確信できるような。……自分で考えてなんだが、例えが微妙だな。
「なんだなんだ?」
 まだ校舎内に残っていた生徒も、まばらだが悲鳴の聞こえた方向に足を向けていた。俺もその野次馬に同行する形で、玄関に至る。
 十数名の生徒が見守る中、その場に展開される世界は摩訶不思議だった。
 まずその十数名は、誰もがどのようにそれを受け止めていいのか分からないようだった。男子はアイドルの意外な素顔を見たかのように、女子は幻想が崩壊してしまったかのように、驚愕の表情になっていた。女子の一人は涙まで流していた。
 そしてその中央、その世界を作り出すのは二人の男女だった。女子、愛内は広げられたそれを見つめる。男子、斎藤は自ら広げたそれを見て固まっている。
 俺の魔法少女がプリントしてある折りたたみ傘で、二人は相合傘をしているのだ。
「嘘よね……嘘だよね、斎藤くん……」
「うわ、野球部のエースが魔法少女かよ」
「あたし幻滅……」
 聞こえてくるひそひそ話はどれも残酷なものばかり。哀れみさえ中には含まっている。その言葉が更に斎藤を奈落の底へと突き落としていくのだろう。今まで培った斎藤のイメージが崩壊する様子は笑い話にもならない。なにこのデジャヴ。
 いつまでたってもこのままだと斎藤が現実放棄するかもしれないので、仕方なく俺は前に進み出た。
「おい斎藤、おまえどうしたんだ?」
「分からない。傘を広げたら周りが騒然としちゃって、彼自身も傘の絵柄を見て動かなくなったのよ」
 ただ呆然とする斎藤の代わりに答えたのは愛内だった。絵柄の事説明してやろうと思ったら消えたのは斎藤だから自業自得と言えなくもないんだけど、無理にでも引き止めておくべきだったかな。
 でもなんで愛内と相合傘を?
「斎藤くんが一緒に帰ろうって誘ってくれたの。それで傘を広げたら……」
 あー、何となく分かったわ、斎藤のしたかった事。そりゃあご愁傷様で。
 斎藤は俺がこの場にいる事に気づくと、今にもぶん殴りそうな形相で俺の胸倉を掴む。
「雨月、これどういうことだ?」
「どういうことだ言われても、俺には折りたたみ傘としか答えようがない。それに今時売られてるやわなアルミ製じゃなくて、骨組みがしっかりしてるから強風にも耐えられる一品だぞ。何が不満だ」
「柄だ柄。一体なんだよこれは」
「四年前にブームになった魔法少女のキャラアイテムだが」
 大体俺が里奈と言い争ったのおまえだって見てただろ。そんで爆笑してただろ。てっきり俺はおまえがそれを承知で、それでも借りようとしていたのかと思ってたんだがな。
 まあ、おまえが怒る理由もよく分かる。本郷の言ってた漫画みたいな事を実行しようとしてたんだよな。それで広げた傘が魔法少女だったら誰だって頭にくる。俺だって多分憤る。自分はともかくとして、相手の事を考えればなおさらだ。
「魔法少女がおまえの趣味に合わない事は良く理解してたけれど、まさかこんな事に使うとは想像もしてなかったんだ。すまん、このとおり謝る」
 とにかく本郷の馬鹿話を実行に移す勇者がいたんだから、やったからには俺だって成功してほしい。しかもそれを行ったのが斎藤で、相手は愛内だ。ならなおさらそれを望んでいる。
 斎藤も俺の心の内を理解してくれたらしく、服を掴んだ手から力がゆっくりと抜けて、
「斎藤くん、それ雨月くんのでしょう。借りておいてその態度はひどいと思うんだけれど」
 愛内のさりげない言葉で止めを刺された。
 斎藤には相当なショックだったようで、胸を押さえながらただ愕然として空笑いをしだす。もちろんこんな斎藤は誰にとっても初めてで、ある女子が今の彼を壊れてしまったと表現するほどだった。
 やがて斎藤は空笑いをやめて俺に折りたたみ傘を手渡し、雨の中を傘をささずに立ち去っていく。哀愁ある背中が今の彼の全てを物語っていた。俺にはただ彼が退場していくのを黙って見ているしかできなかった。
「斎藤……」
 結果の一端を俺が握っていただけに、罪悪感が胸の内をくすぶる。
 仕方がない、帰ろう。もう俺にはどうしようもない。ただ明日にでもあいつを本郷たちと励ますぐらいしかできそうにない。その方法は帰ってからゆっくり考えよう。とにかく疲れた。
「あ、ちょっと雨月くん」
「……」
 これで愛内が何かを言おうとするのは三度目だ。さすがにおかしいと思う。
「どうした? もしかして傘でも忘れたのか?」
「……そうよ。今日忙しくて傘持ってくる余裕がなかったの」
 それはおかしい、俺の記憶どおりなら愛内は授業開始十分前には確実に教室にいたはずだが。
「そうか、なら……」
 愛内は恥ずかしさにも似たためらいで頬を桃色に染めている。大雨の日なのに川のように流れる黒髪は見苦しさを全く感じさせず、繊細な指は両手で複雑に絡まっていた。
 俺はそんな愛内を……腹立たしくさえ思った。
「え?」
「じゃあな」
 手をひらひらさせながら挨拶を交わし、俺は足を踏み出す。手元に魔法少女のプリントをした傘はなく、それは今愛内の手元にある。
「雨月くん、これってどういう事なの? それに雨月くんはどうするの?」
「傘がないならそれ我慢して使え。俺はコンビニで適当にビニール傘買う」
「でも、それじゃあ雨月くんがびしょ濡れになっちゃうよ。だったらこれ借りられない」
 愛内が言ってる事は正論だ。しかも親切心から言ってくれるんだろう。それが更に神経を逆なでする。もう堪忍袋の緒がとっくに切れてたので、俺は真正面から愛内と向き合うようにした。
「なら、なぜその台詞を斎藤には言ってやらなかったんだ?」
「え……?」
 愛内が一瞬固まる。徐々に顔色が青ざめていくのが分かるけれど、俺はかまわず続ける。
「斎藤がその傘を俺から借りたのはなんでか、おまえだって分かってるんだろ。あんな漫画にでも今時出てこないような事をやったのは、全ておまえのためだろ。キャラクターものだったから俺を問い詰めたのも、俺がなったみたいにおまえに悪い評判がたたないためだろ。それなのにおまえがあいつに取った行為はなんだ?」
「わ……わたしは……」
「結論だけ見れば、斎藤は不名誉な噂を持つ事になった挙句に雨の中を下校していった。どんな思いをあいつが抱いていたのかは俺には分からないけれど、おまえはそれを結果的に踏みにじった挙句に謝罪どころか一言もなかっただろ」
「あ……」
 愛内は後ずさるけれど後ろは下駄箱だ。もう彼女の様子なんてわりとどうでもよかったので、俺はそのまま踵を返す。
「じゃあな。誰待ってるのか知らないけど、その傘使って一人で帰る方がそいつのためだと俺は思うぞ」
 その言葉を最後に俺は校舎をあとにした。後ろの方がどうなってるかなんて俺の知った事か。どんなに騒ごうが大雨で何も聞こえやしない。どんな事が起こっていようが振り返るつもりは皆無だ。
 大雨はなおも降り続けていて、視界は数メートル先もぼやけて見える。この調子だと家までずっとこのままなんだろう。一応鞄は防水性だから教科書まで濡れないと思うけど、一応制服で覆っておく。
 俺は天を仰ぎながら深いため息をもらし、明日斎藤に何て言うべきか迷っていた。

 翌日の天気予報、午後の降水確率は九十パーセントだった。でも外は雨が晴れ上がったかのように清々しい快晴。事実そうなんだけど。
 折りたたみ傘は愛内のやつに貸したままだ。昨日を引きずってる俺はあいつと話したくないから、学校で雨具を入手するのは不可能。里奈がレインコートを返すだなんて論外も甚だしい。
 なので大きめの傘を持って行く事にしたのだが、登校途中で里奈に強奪された。代わりにと満面の笑みで手渡されたのが、俺の嫌いなアルミ製の折りたたみ傘。何かのイヤミかとあきらめて、おとなしくそれを頂戴した。
 やがて放課後、ものの見事に昨日の再現のように雨が降り注いでいた。玄関前も昨日の再現。相変わらずバカの狂言を実行に移す英雄はいないようだ。ちょっと残念。
 そして、愛内とばったり出会うのもまた再現通りだった。
「あ……」
 俺に気づくと愛内は視線を急に外す。哀愁漂う背中とうなじは男子を十分に魅了するが、俺にとってはそれだけだ。それ以上には決してならない。愛内は今朝学校で会ってからずっとこんな調子だ。
 まあどうでもいい。帰るか。
「おおっ、見事なまでの大雨ねー。これで風がもうちょっと高レベルだったら嵐なんでしょうけど」
 何もここまで再現する事ないだろ。と神(もしいるなら)を罵倒しつつ、後ろでいつでも太陽がさんさんと照っているような陽気な声を発する里奈に顔を向けた。
 里奈はそれでー、と続けながら俺の肩に肘をのっける。
「ところで雨月くん、どうやら愛内さんをふったらしいですねー。わたしのクラスでも噂でもちきりよ」
「知らん、勝手に言わせとけ」
 どうやらそんな事になってるらしい。聞いた話では俺が盛大に愛内をふって、彼女はそのまま泣き崩れたようだ。俺個人の意見を言わせてもらえば、それで斎藤の噂が全くたたなかったので万々歳だったんだが、男子諸君はそうもいかなかったらしい。おかげで今日は散々な目にあった。
 なんでそんな噂になるのかは見当もつきたくないし、後悔は一切していない。
「それよりおまえ、今日部活はどうした?」
「さぼっっちゃった」
 また舌を出して笑う里奈。俺も昨日部活をさぼった身だからとやかく言う権利はないけれど、彼女はレギュラーだろう。大丈夫なのか?
「実は昨日自主トレにはげみすぎて、全身酷い筋肉痛になったの。もう体中痛くて痛くてたまらないの」
「ふぅん、なら柔軟で体をよくほぐしとけよ」
「あ、それでさー」
 照れくさそうに里奈は持っていたものを俺に差し出す。それは今朝俺から強奪した大きめの、二人ぐらい余裕で入れる傘。
「傘も長時間させない状態なのよ。お願いだから一緒に入って持ってくれない?」
「別にいいけど」
 あっさりと承諾。里奈が持つ傘の大きさと、俺の押しつけられた折りたたみ傘の小ささを考えたら、その方が妥当だと考える間も無く分かっていたからだ。
「ええ、ありがとう勇人」
 里奈はいつものように幸せをそのまま表したような笑みを俺に見せてくれた。でもなぜだろうか、俺にはこの時だけなぜか里奈の笑みが違うものに見えてならなかった。
 なんていうか、俺は今始めて里奈という幼馴染に、女性としての魅力を一瞬感じた。
 んな莫迦な、と目をこすってもう一度見た時にはいつもの里奈に戻っていた。様子のおかしい俺を里奈は怪訝そうに眺める。
「どうしたの?」
「い、いや……なんでもない」
 多分見間違いだろう。今日は大勢の男子に言い訳したり、真っ白に燃え尽きてた斎藤を励ましたりと、色々忙しかったから幻覚の一つも見るわな。これは早々に帰って気晴らしにゲームでもするか。
 と、里奈は校舎から出る前、下駄箱の方へと振り返り、こんな事を言った。
「計画通りね」
 計画通りって……なにが計画通りなんだ? 俺には里奈がなにを言いたいのかさっぱりだ。首をかしげて思考を張り巡らすが、詮索しない方がいいだろうと考え直した。
 大雨が降り続けるのも昨日の焼き増し。ただ違うのは、隣に里奈がいて傘を差している点。里奈はアニメの主題歌を鼻歌で演奏しながら、手を指揮者がタクトを振るように動かす。俺も知ってる歌だから聴いていて飽きないが、せめて音程外すのはやめてほしい。
「ねえ、腕組んでいい? もっとそば寄っていい? くっついていい?」
 里奈は二曲ほど歌い終わると、妙に嬉しそうにしつつ、はにかんだ笑みを浮かべて俺の方をのぞいてくる。
「随分大きめの傘用意したつもりだけど、まだ雨当たるのか? ほら」
「あ……」
 俺は傘を持ってる手で里奈を抱き寄せた。これで彼女に雨が当たる事はないだろう。
 それにしても、こう触れてみるとやっぱり里奈は女子なのかと実感できる。本郷もあんな事言ってたし、こいつにもいつかはボーイフレンドみたいなのができるのかな。そうなったら俺はお払い箱か。ちょっと複雑だ。
 まあいい、とりあえずは今日もいつもと同じだっただけの話だ。


戻る



 まともに書いて初めて完成させた一次小説です。
それまでただ書きなぐって終わりだったり、未完作品ばかりでしたから。
主人公のコンセプトは「灯台元暮らし」。自分の書きなれているキャラでの一人称なあたり、逃げている気もします。
日常描写はごまかしが一切効かないので、自分の今いる位置がほどよく分かるものですね。
二次にしなかったのは、TYPE-MOONではいないようなキャラを書きたかったから、なだけです。

さて、次の課題は自分が全く書きなれていないキャラでの一人称でしょうか。
それではまた。
  2007年6月9日


2style.net