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「黒桐、悪いが給料は渡せん」
「はあ?」
一体この人は何を言っているんだ? とてつもなく聞き捨てならない言葉を発した気がするんだけれど、はたして僕の気のせいなのだろうか?
「渡せないって、払えないって事ですか?」
「いや、今なら払える。が、払いたくないとだけ言っておこう」
伽藍の堂、いつもどおりの日常が流れている。そして、僕と橙子さんとのやりとりもまたもはや日常のものと化していた。
「また何か買おうと思ってるんですか?」
「その通り。今月は大量に出費したいから、給料を払う余裕がないんだ」
ジト目で睨みつける僕の視線をよそに、橙子さんはいけしゃあしゃあと言葉と述べる。……まったくこの人は。と僕は頭をかかえるけれど、そうしたって事態は一向に進展はしないだろう。
「労働基準法で訴えたら間違いなく僕が勝ちますけど?」
「それは困る。だから役所に届けられる前に口封じを行うだろうがな」
「うっ…!」
この人だったら本気でやりかねないな。笑みを浮かべてはいるけど心が全く笑ってない。
「で、僕の給料をつぎ込んで何をしようとしてるんですか?」
「実は中世フランスのイイモノが見つかったんでな。それのための資金だ」
「じゃあ僕は今から役所行ってくるので」
「まてまてまてまて」
出て行こうとする僕に橙子さんがそれを必死に抑える。半分冗談だったけど、僕はあきれ果ててため息をもらす。そして、真剣な目つきで橙子さんに述べる。
「橙子さん。せめて従業員の給料ぐらい払える環境を整えてくださいよ」
「善処しよう」
いや、善処だけならお役所でもできるでしょう。そんな考えが顔に出たのか、橙子さんは真顔でこう言ってくれた。
「大体ちゃんと生活できてるじゃないか。どこかが言っていたが、ヒモは男の理想だぞ」
「これ以上式に迷惑をかけられません!」
そう、はっきり言ってここ最近給料が滞ってるせいで、式にとてつもない迷惑がかかっているんだ。これは、どうにかしないといけない。ヒモ生活なんてこっちから願い下げだ。
「なら黒桐、ネットトレードでもやったらどうだ? 調べ事が得意なんだから、すぐにでも大もうけできそうだが」
「株、ですか。その元手となる資金もないんですけど?」
ジト目で見るのを橙子さんは口笛を吹くかのようニさらりと受け流しているようだ。
「……ならこの仕事でもやってみるか?」
「え?」
橙子さんは煙草を灰皿に押し付けると、封をこちらの方に放り投げてくる。見た目はただの書類のようだけど……。
「これなんですか?」
「どこぞの事件らしい」
「いや、それはファイル読めば分かりますって」
入っているのは現場検証の細かい指摘とか状況とかが記されているものだ。複数の事件のが入っている。全部殺人事件だ。
問題はなぜそれを橙子さんが持っているか、だ。
「それは迷宮入りしているやつでな。犯人はまだ捕まっていない」
「……これ連続殺人なんですか?」
被害者は中学生が三人で、誰も殺害方法が違っている。これをみると……、
「林は中華包丁のようなものでメッタ斬りにされてるし、細川はバットのようなもので撲殺、相田は事もあろうか斧のようなもので首を飛ばされている」
「……すごい殺され方ですね」
ファイルの中には一般の人が知りえないような細かなものまであるし、しかも被害者の写真まで入っている。また大輔さんを情報源にしたのか、それとも別のこねからか。
「犯人はその殺され方からして屈強な男に間違いないというのが警察の意見だ。普通の男だろうと首を一発で落とす事なんぞできんからな」
……中学生で人生の幕が下りてしまったのか。人生はまだまだこれからだったと言うのに。彼らは一体どんな目標に向かって進んでいたのだろうか?
「そう言えば被害者の年齢は式の学年と同じだったな」
「僕らの?」
事件が起こった年号を見てみる。たしかにこの事件は最近のものではない。だけれども僕らより少し年齢が低いようだけれど。
「あ、違う違う。お前たちじゃなくて、今の式と同じ学年、つまり高校生だな」
「あ、なるほど」
今式は高校に通ってるんだっけ。今日もまじめに行ったのかな?
「で、橙子さん。なぜこの事件が橙子さんの手元に?」
「自分でも分からん」
はい? 今何といいました?
「なぜかは分からんがニュースで見た事を思い出して興味を惹かれ、ちょっとした所から入手したわけだ」
「ちょっとしたところって、まさか大輔さんからじゃないでしょうね?」
「さあな」
もしそうだったら大輔さん、情報漏えいで懲戒免職ものですよ。……まあ、黙っていた方が無難かな。
「この林って子の両親が有力な手がかりには二百万出すって言ってるんでな。当分忙しい仕事もないし、やってみたらどうだ?」
「って誰かに頼まれたんじゃなかったんですか?」
僕は情報を渡す代わりに調べてみてくれって言われてるとばかり思ってたんだけど。
「それもある。黒桐が受けるというなら先方にもそう言っておくから、前金で給料の半分ぐらいは出せるがな」
う、それはちょっと魅力的かも。今は仕事を選んでられるような懐事情では残念ながらない。仕方がないな……。
「分かりました。受けると伝えておいてください」
「分かった」
「それと、調査費用はちゃんと請求しますからね」
「う……っ!」
橙子さんはその言葉を聞いて若干後ろに下がる。
「金の亡者がここにいるぞ」
「ルーズよりははるかにマシです」
そう言って僕は席に座って、残った仕事をやっておく事に。
正直、殺人事件を調べる動機が金っていうのはすごく泣けてくるけど、しょうがないじゃないか。
「あっと、言い忘れたが……」
「何です?」
手をうって橙子さんは身を乗り出す。
「万が一犯人に遭遇しても、戦おうだなんて思うなよ」
「思いませんよ」
「この前みたいな事もあるしな」
この前みたいな事って…、ああ、アレか。
「お前のバカは死んでも治りそうにないからな」
「それひどいですよ」
バカは死ななきゃ治らないとはよく言うけれど、死んでも治らないとは酷い。でも、そう言った橙子さんの表情が緩んだ。
「だが、いい莫迦だ」
「え?」
「なんでもない」
また煙草を取り出し、器用に片手で火をつける。
「そして、そんな事はないだろうが……万が一こっち関係だったらすぐに電話しろ。そうしたら式に任せるから」
「……」
その言葉に、僕は返事をしなかった。
とにかく今言えるのはこれだけだ。これ以上式に迷惑はかけられない。この状況をいかなる手段を使っても打開する必要に迫られてる。
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