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「黒桐、悪いが給料は渡せん」
「はあ?」
 一体この人は何を言っているんだ? とてつもなく聞き捨てならない言葉を発した気がするんだけれど、はたして僕の気のせいなのだろうか?
「渡せないって、払えないって事ですか?」
「いや、今なら払える。が、払いたくないとだけ言っておこう」
 伽藍の堂、いつもどおりの日常が流れている。そして、僕と橙子さんとのやりとりもまたもはや日常のものと化していた。
「また何か買おうと思ってるんですか?」
「その通り。今月は大量に出費したいから、給料を払う余裕がないんだ」
 ジト目で睨みつける僕の視線をよそに、橙子さんはいけしゃあしゃあと言葉と述べる。……まったくこの人は。と僕は頭をかかえるけれど、そうしたって事態は一向に進展はしないだろう。
「労働基準法で訴えたら間違いなく僕が勝ちますけど?」
「それは困る。だから役所に届けられる前に口封じを行うだろうがな」
「うっ…!」
 この人だったら本気でやりかねないな。笑みを浮かべてはいるけど心が全く笑ってない。
「で、僕の給料をつぎ込んで何をしようとしてるんですか?」
「実は中世フランスのイイモノが見つかったんでな。それのための資金だ」
「じゃあ僕は今から役所行ってくるので」
「まてまてまてまて」
 出て行こうとする僕に橙子さんがそれを必死に抑える。半分冗談だったけど、僕はあきれ果ててため息をもらす。そして、真剣な目つきで橙子さんに述べる。
「橙子さん。せめて従業員の給料ぐらい払える環境を整えてくださいよ」
「善処しよう」
 いや、善処だけならお役所でもできるでしょう。そんな考えが顔に出たのか、橙子さんは真顔でこう言ってくれた。
「大体ちゃんと生活できてるじゃないか。どこかが言っていたが、ヒモは男の理想だぞ」
「これ以上式に迷惑をかけられません!」
 そう、はっきり言ってここ最近給料が滞ってるせいで、式にとてつもない迷惑がかかっているんだ。これは、どうにかしないといけない。ヒモ生活なんてこっちから願い下げだ。
「なら黒桐、ネットトレードでもやったらどうだ? 調べ事が得意なんだから、すぐにでも大もうけできそうだが」
「株、ですか。その元手となる資金もないんですけど?」
 ジト目で見るのを橙子さんは口笛を吹くかのようニさらりと受け流しているようだ。
「……ならこの仕事でもやってみるか?」
「え?」
 橙子さんは煙草を灰皿に押し付けると、封をこちらの方に放り投げてくる。見た目はただの書類のようだけど……。
「これなんですか?」
「どこぞの事件らしい」
「いや、それはファイル読めば分かりますって」
 入っているのは現場検証の細かい指摘とか状況とかが記されているものだ。複数の事件のが入っている。全部殺人事件だ。
 問題はなぜそれを橙子さんが持っているか、だ。
「それは迷宮入りしているやつでな。犯人はまだ捕まっていない」
「……これ連続殺人なんですか?」
 被害者は中学生が三人で、誰も殺害方法が違っている。これをみると……、
「林は中華包丁のようなものでメッタ斬りにされてるし、細川はバットのようなもので撲殺、相田は事もあろうか斧のようなもので首を飛ばされている」
「……すごい殺され方ですね」
 ファイルの中には一般の人が知りえないような細かなものまであるし、しかも被害者の写真まで入っている。また大輔さんを情報源にしたのか、それとも別のこねからか。
「犯人はその殺され方からして屈強な男に間違いないというのが警察の意見だ。普通の男だろうと首を一発で落とす事なんぞできんからな」
 ……中学生で人生の幕が下りてしまったのか。人生はまだまだこれからだったと言うのに。彼らは一体どんな目標に向かって進んでいたのだろうか?
「そう言えば被害者の年齢は式の学年と同じだったな」
「僕らの?」
 事件が起こった年号を見てみる。たしかにこの事件は最近のものではない。だけれども僕らより少し年齢が低いようだけれど。
「あ、違う違う。お前たちじゃなくて、今の式と同じ学年、つまり高校生だな」
「あ、なるほど」
 今式は高校に通ってるんだっけ。今日もまじめに行ったのかな?
「で、橙子さん。なぜこの事件が橙子さんの手元に?」
「自分でも分からん」
 はい? 今何といいました?
「なぜかは分からんがニュースで見た事を思い出して興味を惹かれ、ちょっとした所から入手したわけだ」
「ちょっとしたところって、まさか大輔さんからじゃないでしょうね?」
「さあな」
 もしそうだったら大輔さん、情報漏えいで懲戒免職ものですよ。……まあ、黙っていた方が無難かな。
「この林って子の両親が有力な手がかりには二百万出すって言ってるんでな。当分忙しい仕事もないし、やってみたらどうだ?」
「って誰かに頼まれたんじゃなかったんですか?」
 僕は情報を渡す代わりに調べてみてくれって言われてるとばかり思ってたんだけど。
「それもある。黒桐が受けるというなら先方にもそう言っておくから、前金で給料の半分ぐらいは出せるがな」
 う、それはちょっと魅力的かも。今は仕事を選んでられるような懐事情では残念ながらない。仕方がないな……。
「分かりました。受けると伝えておいてください」
「分かった」
「それと、調査費用はちゃんと請求しますからね」
「う……っ!」
 橙子さんはその言葉を聞いて若干後ろに下がる。
「金の亡者がここにいるぞ」
「ルーズよりははるかにマシです」
 そう言って僕は席に座って、残った仕事をやっておく事に。
 正直、殺人事件を調べる動機が金っていうのはすごく泣けてくるけど、しょうがないじゃないか。
「あっと、言い忘れたが……」
「何です?」
 手をうって橙子さんは身を乗り出す。
「万が一犯人に遭遇しても、戦おうだなんて思うなよ」
「思いませんよ」
「この前みたいな事もあるしな」
 この前みたいな事って…、ああ、アレか。
「お前のバカは死んでも治りそうにないからな」
「それひどいですよ」
 バカは死ななきゃ治らないとはよく言うけれど、死んでも治らないとは酷い。でも、そう言った橙子さんの表情が緩んだ。
「だが、いい莫迦だ」
「え?」
「なんでもない」
 また煙草を取り出し、器用に片手で火をつける。
「そして、そんな事はないだろうが……万が一こっち関係だったらすぐに電話しろ。そうしたら式に任せるから」
「……」
 その言葉に、僕は返事をしなかった。
 とにかく今言えるのはこれだけだ。これ以上式に迷惑はかけられない。この状況をいかなる手段を使っても打開する必要に迫られてる。



偶発目撃

第二話

   /

 朝、登校の時間。俺は憂鬱気味で通学路を歩いていた。昨日思ったとおり、この状況だと確実に遅刻ペースだ。
「結局……、あれはなんだったんだ?」
 別の思考に切り替えようとしても、結局はその疑問にたどり着いてしまう。最も、あれはとうてい俺の理解しきれるような世界じゃあないが。
「ああもう! 考え出したらきりがない!」
 そう言って振り払おうとする事も何度目になる事やら。結局昨日から事態は全く進展してないし。てゆうか悩みまくってるせいでかなり後ろに下がってる気がするんだが。
「七瀬くん」
 実は両儀には臨死体験があって、俺が見たのはあの世の一部とか? にしたってあれほどイミフメイじゃあないだろ。
「七瀬くんってば」
 だからってこの世にある世界では考えられないし。じゃあ両儀は異世界人でしたオチか? X-FILEに出れるって。
「な・な・せ・く・ん・ってば!」
「ぐええっ!」
 いきなり首絞め入りましたよ。マウンドに落ちるのにあと何秒だ?
「……円?」
 せきこみながら何とかその犯人の方に顔をむけると、そこにいたのはかわいらしい女子、すなわち円だった。男子がころっとくるような笑みを浮かべてあいさつをする。だが俺は騙されないぞ。
「おはよー。元気だった?」
「それが朝から首絞めでオトそうとしてるやつの台詞ですか?」
「愛情表現ってやつ?」
 あれが愛情表現かよ。なら昼ドラにそのパターンが出てきたら一応認めよう。
 ――違う。そんなんじゃなくて、俺が言いたかったのは……、
「おはよう。今日はまた随分と遅いんだな」
「え? そう?」
 俺の言葉にきょとんとする円。ってこの状況に気づいてないのか?
「時計見ろって」
「時計?」
 俺の指摘に円は腕時計を見つめる。キャラクターものっぽいけど俺にはどんなかはさっぱりだったりする。
「まだ余裕じゃない。おどかさないでよー」
「この時間がか?」
 俺も時計をのぞいてみる。もう既に授業開始まであと五分だ。このままいけば遅刻は免れない。だと言うのにこの余裕はどっからくる? まさか裏口があるとかか?
「だってあと二十分はあるよー?」
「は?」
「え? ちょっと七瀬くん?」
 俺は思わず円の腕を取り、腕時計を見る。確かに授業開始まであと二十分。これならヨユーで学校に着く。
「俺の時計が壊れてるのか? でもたしかニュースで合わせたはずなんだが……」
 俺と円の腕時計を見比べてみる。……あれ? 円の方の秒針が動いてない?
「円、これ電池切れてないか?」
「え?」
 円は自分の時計を見つめて、またまたーと手を振る。
「そんなはずないよー。だって手巻きにしてるんだから」
「ならゼンマイが切れてんだろ。秒針動いてないし」
「うそっ!」
 いや、気づけよ。通学路だって昨日より人が少ないぞ。まだ学校来てから2日目だけど。
 と、いきなり円は全力ダッシュを開始した。転校したばっかの俺でもいまからダッシュしても間に合わない事は分かってるぞ。
「へ?」
 と、いきなり俺の体が前の方に引っ張られる。ってこれはなんだー?
「おい円! なんで俺の手を引っ張るんだ!」
「だって今から走ったらもしかしたら間に合うかもしれないじゃない!」
「んなアホな!」
 円は俺の手を持って学校へと全力でダッシュしてる。って俺だって結構速い方なのにこいつ俺より速いし!
「自分で走るから手を離してくれぇぇっ!」
「それじゃあ間に合わないじゃない!」
 ゴッド、俺何かしましたか?
 とにかく彼女のおかげかせいか、両儀の事は頭から消えていた。

   /

「ざけんなあのバーコードヤロー……!」
 机にはいつくばって俺は思わずつぶやいた。
 結局あの後急いで教室に駆け込んだのはいいんだが、バーコードが既に参上していて、結果俺と円がターゲットにされまくったのであった。予習してきてたから良かったものを、ご丁寧に宿題までよこしやがった。しかも今どき古文和訳全部とかありえねぇだろ。
「お疲れだな一式」
「…他人事で大いに結構」
 正直な感想をもらすと、話しかけてきた相手、すなわち蓮城が大声で笑い出した。あまりに大きな声だったが、クラスメイトは至って平然としている。……これが日常と化しているのだろうか? 恐ろしい。
「で、古文全訳を食らった感想は?」
「最悪。古文なんてやったって意味ねぇし」
「あ、俺もそれは同感だな。つーか何で今もあるのかすっげぇ不思議なんだけど」
 確かに。それ言えてるよなー。どうなんですかそのへん?
「てゆうか……」
 あのバーコード、俺ばっか目の敵にして円の方にはほとんどむけてこなかったな。
「もしかしてあのハゲロリコンか?」
「それこの学校ではタブーな」
 一時期それがものすごい信憑性高くて問題になった事があったらしい。俺の知った事ではないんだが。
「ところで一式」
 改まって蓮城は述べてくる。真剣な表情をほんの少し見せているが、これはあくまで気軽なものだろ。
「何だ?」
「今日暇か?」
「忙しい」
 バッサリと切り捨てるのもなんだったが、ここはストレートに言った方がいいだろ。蓮城は立ち上がるなり俺の肩を強くゆすってきた。
「何でだ!?」
「剣道部の見学に行くって言っただろ」
「聞いてないぞそんな事」
 あれ? 言ってなかったか?
 あ、そっか。言ったのは円にであって、蓮城にじゃあなかったんだっけ。
「お前が柔道得意なように、俺は剣道の道を進むの。分かったか?」
「……納得したようなしてないような」
 が、うーんといきなり腕を組んで悩みだす。なぜだ?
「いや、うちの剣道部、柔道部と違ってあまり強くないぞ」
「強くなくていいんだよ。ちょっとした息抜きみたいなもんだからな」
 そう、はっきり言って剣道部に期待するのは交友関係みたいなもんであって、実力アップじゃないし。
「ちょっと蓮城くん、強くないってどういうことよ!」
 と、いきなり女子の一人がそう言い出してくる。こうやって異議を唱えるって事は部員かマネージャーか。
「どういうことって……そのままの意味だがな」
「うー! それはあんたが全国大会行ってるヨユー!?」
 あ、蓮城のやつ柔道で全国大会行ったのか。じゃあ俺ってそんなやつと昨日乱取りさせられてたのか?
「だったら都大会でもいいから勝ち抜いて見ろって」
「う…っ!」
 蓮城のあからさまな嘲笑に女子は何も反論できず、ただ黙ってしまう。どうやら成績はそこまで悪くはないようだけど、よくもないらしい。
「七瀬くんはどうなの!?」
 キッと俺を睨みつけて女子は声を荒げた。って苗字じゃなくて名前ですか。
「どうなのって、反論があるのかって事か?」
「違うわよ。剣道したいんでしょう? だったら成績教えてよ」
 それはまた随分とストレートだな。
「初対面になんつー……」
「あんたは黙ってて!」
 更に無駄口を叩こうとする蓮城を女子は一喝で押さえる。いや、俺も思ったから同情はしない。
 さて、言うべきか言わざるべきか。どっちにしたって俺へタレだし。
「全国大会ベスト四。準決勝で優勝者にボコボコにされたのが最高」
「「「うそぉっ!?」」」
 と、この女子以外にも声が上がる。でも全員女子。
「七瀬くん全国大会経験者!?」
「本当に!?」
「嘘じゃないわよね!?」
 そして俺の方に迫ってきて、ものすごい形相で俺にしゃべってくる。俺はなすすべなくコクコクうなづくだけしかできなかった。
「救世主キター!」
「どうかぜひ私たち剣道部に!」
「団体も全国に連れてってくれると嬉しいわ!」
 んな無茶な。優勝者に完膚なきまでにボコされたせいで自分の実力をいやと言うほど知ったんだが。
「じゃあ私たちを連れてってね」
「いや、今の俺だと無理だろ」
 連れてってねって、団体戦は勝ち抜きじゃないんだぞ。分かってるよな?
「何でよ?」
 当然の疑問を女子は俺にぶつけてくる。かなり不満そうなのはいたし方ないだろうな。
「優勝者にボッコボコにやられたからそいつに勝てると思うまでは稽古を積む事にしたんだ。大会に出る気はない」
「今年こそ勝てるわよ」
「無理だって」
 そう、あれから稽古を絶やしてはいないが、あいつに勝てるだなんて全く思ってない。
「あいつは俺たちみたいにスポーツでやってるんじゃないんだ。剣士だなんて生ぬるい言葉じゃなくて、剣客って言葉がしっくりくるような、な」
 審判どころか、大会運営委員やってるおえらい方もそいつ見て感嘆の声もらしてた。てゆうかあんなの反則だろ。俺が一番もったらしいけど、それでも一分半かからずにストレート負けした。後で決勝でそいつと戦った奴に話を聞いてみたけど、俺と同じ事言ってたし。
「それでも全国レベルでしょ? そこまで行くには問題ないじゃない」
「む、それは確かにそうだけど……」
「じゃあ四の五の言わずに来なさい! いいわね!?」
 命令口調かい。
「い・い・わ・ね!?」
「はあ……」
 ……どっちにしても剣道部には入るつもりだったし、俺は返事をすませてまた机にはいつくばった。
「剣客か……」
 絶対にあれ日本に残る本当の武士ってやつだろ。間違いなく。よくニュースで出てくるオリンピック選手を侍だ武士だとか言ってるけど、表舞台に出るような奴らにそれを名のる資格はない。最低でも俺が見る限りは。
「てゆうかそこらにいないからすごいんだよな……」
 この平和な日本でそんな奴がいる事そのものが驚きだろ。てなわけで俺が不幸だった。これにて終了。
「……納得いかねぇー……」
 にできればどれだけよかったか。そううまくないからへこむんだろ。あー、思い出すだけでも腹が立ってきた。そもそもそんな剣客してるやつがフツーの高校大会出てくんなよな。三学年ある高校生の中でもそいつ一人しかいなかったし。そこいらに剣客してる奴がいるはずが……いるはずが……、
「いたし」
 俺は更にへこんでしまった。
 そうだよ、うちのクラスには両儀がいたんだっけ。
 最初両儀を見て思った感想は、凛々しいというのもある。だが、一番印象深いのはその雰囲気だった。語彙に乏しい俺が彼女を表現するのは難しいが、あえて言うなら、すごみがあるってやつかな。俺はおろか全国大会準優勝の奴でも決して超えられないすごみってやつが。
「うーん」
 でも優勝した奴との決定的な違いは、そのすごみが鞘でおさめられているって所だろ。両儀をつつんでるのはその心情か、信念か、それとも……。
「まさかね」
 あの両儀をおさめてる男がいるとか? いそうにないだろ。いたら会ってみたい。
 と、ここで二時間目のチャイムが鳴る。俺はカバンから教科書を取り出して、授業に備えた。

   /

「ごめんねー。あたしのためにきりあげてきちゃって」
「いいって。俺も道具も無しにやりたくないし」
 結局、俺は剣道部の見学をして、少し竹刀を握らせてもらって、退散してきてしまった。何の事はない。防具をつけずにやるなんて考えられないからだ。別に忘れたわけではなく、始めからこうするつもりだったりする。まあ、入部届は出したから今日のところはこれでいいだろう。
「あれ? そう言えば……」
 蓮城のやつに今日早く帰れるって言ったんだがなぜかよそよそしく断られた。
 曰く、
「オレに青春が来たんだ!」
 と、自分の世界に浸っていた。誰かの台詞だが、青春に溺れて溺死してくれ。
「それと、結局ダメだったな」
「ダメだったね」
 話し相手は素直に認める。その相手、円は頭をかいてえへへーと笑った。
「でも試してみてよかったじゃない? 何もしないよりは誠意が伝わったはずだし」
「伝わった結果が古文全訳かよ」
 こんな事だったら授業自体をさぼればよかったぞ。うん。
「それは初犯だからじゃない? 自分の授業に遅れるなって」
「……だといいんだがね……」
 帰ったら辞書片手にやらなきゃな…。とほほ。
「それで、悩みはとれた?」
「へ?」
 俺の顔を覗き見るように彼女は顔を目の前に動かしてきた。悩みって何だ?
「ほら、朝かなり怖いカオで考えてたじゃない。どうしたの?」
「ああ、あれか」
 両儀のあれの事か。
 確かにあれは俺にとっては理解の範疇をはるかに超えるものだ。だからと言って、それを理解しようとは思わない。結局、その考えでおちついてしまった。
「無事迷宮入りしたんで出てくる事はないだろ」
「えー? 解決したんじゃなくて、迷宮入りしたのー?」
「そ、迷宮入りしたの」
 見事なまでに。
「どっちにしても悩む事はなくなったな。心配してくれてありがとうな」
「どういたしましてー」
 と、彼女はそこで一回転して満面の笑顔を見せる。
「それにしても、七瀬くんが剣道やってるなんて意外だったなー」
「なんだよそれ。秘密にもしてないぞ俺は。もっと他の秘密ならたくさんあるけどなー」
「へえー、一体どんな秘密があるの?」
 いや、隠しておくから秘密なんであって、隠さない秘密は秘密じゃないだろ。
「例えばエロ本は参考書の後ろとか、実は毎週笑点見てるとか」
「えー? エッチな本ってベッドの下とかじゃないの?」
 真顔で言わないでくれ。真顔で。
「んな超典型的な場所に置いてたら一発でばれるって」
「そうかなー?」
 そうだろ。間違いなく。なおも真顔で円は質問をしてくる。男女の話題がエロ本ってどうよ?
「バレたらどうなるの? やっぱ捨てられるの?」
「そんなパターンもあるかもしれないが、「この子もこんな年になったのね……」って呆れられて机の上に整理されて置かれてたって奴もいるらしい」
「……なんかそれはちょっと……」
 円、苦笑い。ちなみにそうばれた奴は翌朝俺に全ての本を渡してきたし。はっきり言って迷惑ではないが、迷惑だ。
「笑点の方はあたしのおとうさんも見てるよ」
「あれは誰が見ても面白いだろ。今どきのお笑い芸人は好きじゃない」
 お笑いより落語が好きなたちだからな。俺って。
「でもそんなはずかしい秘密じゃあないじゃない」
「本当の秘密を言って欲しいか?」
「んー、どうかなー?」
「円の秘密を聞かせてくれるんだったらいいぞ」
 冗談でそう言ってみる。当然冗談と思わせるような口調で言ったから、続く会話も冗談交じりのはず。

「あたしに秘密なんてないわ」
 ところが、円がそう話したときの表情は、今までの円からは想像できないものだった。

「どうしたの七瀬くん?」
「あ、いや……」
 思わず顔を背けて俺は口に手を当てる。一体今の表情は何なんだ?
「でも教えてよー。七瀬くんの秘密ー」
 そう言って円は普段の口調で俺の手を握ってくる。
「うーん、この手袋をしている原因。それが俺最大の秘密だな」
「この手袋?」
 しげしげと円は俺の手を持って眺める。首を右に、左に傾けて考えて意見を述べる。
「もしかしてやけどしてるとか?」
「傷跡はできてない」
「じゃあ潔癖症とか?」
「近いし、建て前はそう言ってる。けど実際はそうじゃないな」
 そう、これは両親にすら言ってない。子供のころ言っていやな目をされてから潔癖症で通してる。これは、俺にしか分からない事だ。
「じゃあ教えてよー」
「俺によっぽど親しい存在になったら教えてやるよ」
「へえー」
 今度はにまっと円は笑った。
「なら今親しいじゃない。教えてよー」
「もうそんなとこまで行ったのか!?」
 オソルベシ円……。俺の気づかない間にそこまで進展していたとは。
「じゃあ親しい存在になら秘密だって明かせるんだよな?」
「そうじゃない?」
「なら円の秘密を教えてくれ」
 と、俺は地雷をもう一度踏む事にした。円の反応が見たかっただけだ。単純に。

「そんなのないよ。あっても七瀬くんのと同じぐらいだし」
 と円は述べた。さっきと同じ、今までにない表情で。

「……ならもっと仲を進展させる以外なさそうですなー」
 俺は冗談交じりにため息をついて見せたが、それは完全に虚勢である。円はそのしぐさを見て、またいつものように戻った。
「進展させたらちゃーんと教えてね(はぁと)」
「分かったよ」
 と、その後も世間的な話が続いたが、俺には円のあの表情が頭から離れなかった。

 あれは、人間がするような表情ではない。

   /

「ふああ……」
 俺は大あくびをしながら道を歩いていた。単純に、早起きしたせいだ。この状態で学校に行ったら授業開始十五分前には着くだろう。昨日とは違って人通りも多い。主に学校に行く学生だ。まあ、駅と学校の道では俺が使ってるのとかぶるから当たり前だが。
「おはよー七瀬くん」
「へ?」
 いきなり肩を叩かれて、驚いてしまった。見ると、そこにいたのは円だった。相変わらずの(って三日しか会ってないけど)笑顔満面だ。
「今日は早いね」
「昨日でこりたんでね。一週間は様子見する事にした」
 結局寝たのは夜中の二時です。本当に俺高校生か?
「で、それは何なの?」
「あ、俺が背負ってるやつ?」
 円が疑問に思うのも無理はない。明らかに普通の高校生が持つ荷物より多いし。
「防具袋と竹刀袋。剣道の道具な」
「へえー」
 しげしげと円は俺の防具袋などを眺める。ってそこまで珍しいやつか?
「かっこいいね!」
「いっいったい何言い出すんだよ!」
 いきなり円は満面の笑顔を浮かべながら俺の手を握ってそう言ってきました。ああ、周りの人の視線が熱いなー。
「って蓮城だって柔道やってるじゃないか。あいつと俺とどう違うんだよ」
「んー、治雄くんもかっこよかったんだけど、あたしは治雄くんの事はあまり好きじゃあなかったな」
 うあ、蓮城哀れ。同情はせんけど。
「じゃあ今気になってる人とかいるのか?」
「それは七瀬くんに決まってるじゃない!」
「いや、まじめに答えてくれって」
 嬉しいけど、からかいだって分かるのがくやしいなー……。しかし、円はいたって真剣そうだ。
「真面目よ。あたしはいつでも」
「ホントかよ」
 疑問詞が浮かぶんですけど。……でも、そう言ってくれると嬉しいな。やっぱり。
「ありがとうな」
 が、そうつぶやく限り俺には何も言えなかったりする。……ダメじゃん。

 で、いつものような雰囲気で授業が始まるのを待つ。辺りを見渡しても、変わったところなんて何もない。毎日流れる日常の一こまがそこにはあった。俺は一時間目の準備をして、机によっかかる。
 そして、世界史の教師が早足で入ってきた。今日始めて会うけど、いつもあんな感じに狼狽してて、青ざめてるのか?
「……今日は訃報があった」
 そしていきなりこう言い出す。その表情はとてつもなく暗かった。クラスメイトがその様子を見て、静まりかえっている。やはりいつもの様子ではないようだ。では一体……?

「今朝、このクラスの蓮城治雄が遺体になって発見された」

「え…?」
 今この教師は何と言った?
「緊急の職員会議を開くから、今日の授業はなしだ。それとマスコミが来るだろうから、そこを頭に入れておいてくれ。以上だ」
 そういうと足早に教室を後にした。残ったのは生徒だけだ。
 もちろん、残された生徒は様々な反応を示す。友人にその事を話題にする男子、信じられないと言いながら口をおさえる女子、泣き出す女子までいた。俺もそれが現実なのか夢なのか分からず、頭がグラッとくる。
 昨日まであんなに元気に話をしたのに。あれだけ幸せそうな表情をしていたのに。それが一瞬で消えちまったのかよ……!
「く…っ!」
 俺は思わず拳を机にたたきつけた。若干が俺に注目するけど、知った事か。
 と、俺はそこで二人の人物に目が行ってしまう。
 普通、近い存在が死んでしまったら皆大小はあるけど反応を示すものだ。が、その2人は全く反応を示していない。一人は無関心をそのままに帰る準備を進め、もう一人は女子と話をしているけど、表情の裏はいつものような印象を抱かせる。一人は交友関係自体に興味なしみたいだったけど、もう一人は俺にとってとてつもなく意外だった。
 俺の勘違いなのかもしれない。と言うかそうであって欲しい。
 その2人、すなわち両儀式と貞本円。


 つづく


第三話に続く

戻る


 前の話から一ヶ月以上開いてますね…。話は決まっているんですけど、中々書きませんでした。すみません。
 ようやく事件の片鱗が見えてきたという感じでしょうか? さて、今回も全六話になりそうです。と言うか空の境界長編は多分自分が書くと全六話で収まるんじゃないでしょうかね?
 自分は背景を月姫はボーダー系、Fateをシンプル、空の境界を一枚絵をスタイルシートを使って、にしていますけど、中々小説に合うものがないですね……。探すのが厳しいです。
 次の話で幹也と七瀬がリンクしだすと思いますので、それでは。
  2006年6月17日
  2007年9月27日 第一改訂


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