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「さて、君は橙子嬢の変わり様はどう思うかね?」
「どうもこうもあるか。アオザキはもう終わったも同然だ」
その部屋にいるのはわりと大勢。ただしその会話に加わっているのは服、髪など黒スーツを着込んだ男と赤コートを着た男の2人だけだった。
赤コートはいかにも失望したという表情を隠そうともせずに浮かべ、黒づくめはただ煙草をふかしていた。
「おまえも訪ねてみろ。いかにおまえがアオザキを高くかっていたからとは言え、あれでは幻滅するね」
「そういう君もあの橙子嬢を高くかっていたようだが? 次期院長ともあろう君が一介の魔術師を眼の敵にするとは」
「社交辞令はよせ」
赤コートは黒づくめを睨みつける。万人であれば一瞬ですくみあがるほどの殺気を込めて。口調も軽いものから鋭いものへと自然に変わっていた。それを黒スーツはさらりと受け流す。
「アオザキがルーンにおいても人形師としても、私の上と位置付けられていた事はおまえも知っていよう」
「ルーンにおいてはともかく、確かに人形師としては君とは別の意味で完成に近づいてはいたね」
「私はそのアオザキを自らの力で超えねばならなかったんだ。やつを殺害するにしろ、自らの知識向上にしろな。だがやつは自滅した。やつは自ら私の上からいなくなったんだよ」
黒スーツは灰皿に煙草を押し付ける。そして煙草をまた取り出した。学生の数人が二人に対して挨拶をする。それに答えたのは黒スーツだけだった。
「ならば君が彼女を導いてはどうかね? 結果的に君が殺されようとも、彼女が亡くなろうともね」
「無論そのつもりだよ。今のまま彼女を殺したところで何の意味もなさないからな」
「……なるほど」
その部屋から一人、また一人といなくなっていき、今いるのは黒スーツと赤コートの二人だけとなった。その二人がしゃべらないのであれば、後は聞こえるのは時計の音だけだ。
「それで、おまえの方はどうなんだ? おまえも彼女と同様、原色を得られなかったようだが?」
「私の方はかまいませんよ。むしろあの程度の研究で原色をもらっていたら世界に対して失望していたでしょうから」
嘲るように言い放つ赤コートに黒スーツはあっさりと言ってのけた。
「おや、それが十数年かけた研究に対する態度かい?」
「ええ、あれは私の研究にとっては所詮土台にすぎませんから。あとは「」を目指すだけです」
赤コートは意外、との表情を示した。この男にそのような確固たる意志があったとは思っていなかった。赤コートの印象ではこの男はただ物事を楽しんでいるようにしか見えなかったからだ。
「全く、あれを土台と言われては他の魔術師は何と言うか。相変わらず君は掴み様がないな」
「君にそう言ってもらえると嬉しいな」
そう言うと黒づくめは立ち上がった。赤コートが「どうした?」と聞くと、
「そろそろ講義の開始時間だ。ならば彼女を探すのだよ」
なぜ講義の開始時間に学院を探す必要があるのか、それをいち早く察知した赤コートは何も言わずに黒づくめを見送った。
案の定講堂でないところに先ほど赤コートとの会話で話題に出た女性がいた。廊下の壁によりかかり、力を抜いて座っていた。今までの彼女からは想像もつかないほどの、赤コートならばまずこう言うだろう。
「ふがいないな」、と。
「まあ、詳しく彼女を観察した所でそこに彼女がいる事に変わりはありませんがね」
彼女を観察しようとしていた黒づくめはそれの無駄さに自らを哂って彼女へと近づく。
「Guten Tag、橙子嬢。ご機嫌はいかがですか?」
「……」
橙子と呼ばれたその女性は、床に落としていた視線を黒づくめの顔にむける。そしてまたかくんと、まるで人形のように床に視線を戻す。
「……何の用だ……? 今さら私と議論した所でおまえの研究の足しにはならない」
「それについては否定しておきますが、議論をするために訪ねたのではありませんよ」
そう言うと、黒づくめは反対側の壁に座り込む。いつも優雅にしていた黒スーツからは考えられない行為だったが、今の橙子にはどうでもよかった。
「その様子ですと、また学生が犠牲になったようですね」
「……ここは表じゃない。別に何人行方不明になろうと知った事ではないだろう」
「確かに。殺されても誰も文句は言えないでしょう。殺される方が悪いのだから」
その廊下は利便性が悪いためか、ほとんど人通りがないに等しい。今も誰も通ろうとはしなかった。
「そうそう、私もとうとう色をもらいましたよ」
「そうか、とうとうおまえも色をもらったか。それで、色は何だ? おまえの欲しがっていた赤か?」
「いえ、原色はさすがに……」
「なんだ。おまえもそうか」
橙子は乾いた苦笑いを浮かべながら手を黒スーツのほうに出す。それが煙草を要求しているのだと分かると、彼は素直に応じた。煙草をふかす女性、白い息を軽くはく。
「なんだこの不味い煙草は。安物だろう」
「あまり高価なものは手をつけないものでして」
「妙な所にこだわるな」
黒スーツは笑みをこぼした。心を許したものにしか見せないような笑みだ。橙子が黒スーツをどう思っているにしろ、黒づくめは橙子を気に入っていた。
「で、本題に入りますけど、貴女はこれからどうするつもりで?」
「……どういう事だ?」
「いえ、好奇心です」
「どうもこうもあるか。まだ何も考えたくないな」
黒づくめはそれを聞くと、煙草を床に押し付けて立ち上がった。そして無言で立ち去ろうとしていた時、
「待て」
鋭い言葉が彼を止める。振り返らずに彼は返事をした。
「ミハエル、何を求める」
「……!」
黒づくめはそれこそ驚愕の表情を浮かべる。一瞬だけだったが、それの意味を理解するには十分だった。ならばそれに答えるのが黒づくめの男、魔術師ミハエル・フォン・シュレーゲンとしての最大の敬意だ。
「私が決してとどかぬものを」
「ミハエル、何処に求める」
「私の最も近き所に」
「…ミハエル、何を目指す」
「もちろん、終わらぬ果てを」
その日をおいて、ミハエルはその学院から姿を消した。
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「やれやれ…、随分と昔の事を思い出したものだ」
ミハエルはそう煙草を吹かしながらつぶやく。
そして右手からは風の攻撃魔術を放つ。が、それは今対峙している人物にあっさりとよけられてしまった。相手は魔術の弾丸を放ってくるのでそれをひらりとかわす。
「「何もなければ」、ですか。その何かが起きてしまうとは予想内とは言え、いやはや」
深夜のとある広場、そこにミハエルはいた。仕かけてきたのは相手の方が先だった。つまり、鏡を持つ少女。今日はこれで四回目となるドッペルゲンガー出現であった。
「しかし、まさか魔術師のものまで精巧にドッペルゲンガーを作り出すとは、よほどの物と見える。ぜひ欲しいぐらいだ」
と述べてみるものの、実際には今戦っている相手、みはえるを五体満足で倒す事は不可能に近そうだった。
みはえるが具現化されるまでは彼の読みの範疇の内、何しろ幹也と少女の間に入ったのだから邪魔者とされてもおかしくはない。そしてみはえるの自殺をうながす暗示が効かない所までも予測済み。
だが、それが失敗して戦闘を手段に選ぶ事になるとまでは予想外だった。しかもただ身体能力だけではなく、確実にもう一人の神秘を保有した自分が生まれているのだ。使う戦法、使う体さばき、使う魔術、そして使う思想まで、全てがミハエルそのものだった。
アルローネははるか遠くからそれを眺めるだけだった。ドッペルゲンガーが二体出ないとは限らず、射程も分からないから。
もちろんそれでもミハエルを助けようとはしたが、彼に止められてしまっていた。
「ほう、魔弾の射手も使えるとは」
そんなミハエルはみはえるよりも少女の鏡を破壊する手段も考えるが、さすがに自分相手にそれは無理のようだ。
と、ミハエルの詠唱と共にそばに天使か何かが出現する。
「ワルキューレ……!」
「おや、これはまずいかな?」
アルローネは驚愕を、ミハエルは純粋に賞賛の声をあげた。
召喚魔術、九人のうち三人のワルキューレは、アルローネが動く前にミハエルの体を串刺しにしていた。痙攣も起こさず、槍につきささったままのミハエル。
そして……、
「マスターッ!!」
アルローネの絶叫とともに、風の攻撃魔術がミハエルを細切れにしてしまう。
ミハエルの体は血をしたたらせ、肉を散乱させて飛び散る。もはやそれは者ではなくて物と化していた。アルローネはミハエルへと駆け寄っていくが、別の場所で見ていた少女は興味なさげにワルキューレの消滅と共に姿を現す。
「…残るは1人だけ。待っててね、幹也お兄ちゃん」
少女はそういいながら月を見上げて微笑を浮かべるのだった。
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