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「魔術師――」
僕の目の前にいるこの人は自らそう名乗った。
そう言えばあの赤い魔術師が言ってたっけ。橙子さん達の協会では最高の術者には色を冠した称号が与えられる、と。この人はマリンブルー、つまり藍色。原色の青に近い色、でも決して原色ではない色だ。
「やはり貴方もこちらの事情は知っておいでのようですね。そう、私も根源にたどりつくのに失敗しましてね。出来れば『赤』が欲しかったのですが、今は別の方法でのんびりやっているわけです。まあ、今はそんな事はどうでもいいでしょう」
にぎやかなファミリーレストランの中、僕らの周りだけはなぜか静かだった。ランチメニューとして、飲み物はおかわり自由でもあったし、僕らは遅めの昼食を食べていた。僕は2杯目、ミハエルさんは3杯目のコーヒーに入っている。
「でもミハエルさん。魔術師は本来自らの正体を隠していて、知られたらその相手の口封じをするのではないですか? たまたま僕が知っていたからどうにもされそうにないですけれども……」
「いえ、私は貴方がこちら側に関わっていたとは知らなかった。貴方の態度から、ミキヤさんはあちら側の人間でありながらこちら側の事も知っている、と判断しただけの事です。おそらく私は貴方が思っている以上に貴方の事を高く買っていますよ」
その説明であまり納得は出来なかったけれど、それを追求していても始まらない。何しろ問題点から大幅にずれてる。僕は咳払いをして、とにかく本題に入る事にした。
「じゃあまず僕が今まで調べた事を……」
僕は今まで調べた事を出来る限り詳細に説明する。協力してもらうんだから、それは当然の事だろう。ミハエルさんは一つ一つの説明にうなづき、顔色一つ変えずにそれに聞き入っていた。
僕の話が終わると、彼は再びコーヒーを飲み干す。
「なるほど、無差別に起こる事件ですか……。だが範囲は限られている、と。なるほどきわめて異質であり、興味深い事件ですね」
「何か分かったんですか?」
僕がそう聞くのは、正直どうしたらいいか見当がつかないからだ。ただでさえ何の関係もない事故にしか見えないものを事件とするなら、無差別にしか受け取れない。
「では幹也さん、貴方はこの範囲の限られた事件に関連性はあると思いますか?」
「え?」
関連性、事件が起こる時刻も被害者も共通点は全くない。事件現場も道路や鉄道の駅などさまざまだ。強いて言うなら手口が同じように事故にしか見えないことだけだ。なら無差別としか考えようがないけれども、彼は僕には見えない共通点でも見つけだしたのだろうか。
「事件が起こる時刻、そして被害者にも何ら接点がない。そう、全くと言っていいほどありません。つまり、無差別。それが貴方の考えだと思いますが、いかがでしょうか?」
「ええ、僕はそう思っています」
「ですがもう1つの見方もできるんですよ。全く別の時刻、全く別の人間、全く別の事件現場。それで事件が起きる。犯人はそれでデータでも取っているのではないか……とね」
「データ、ですか?」
突拍子もない意見に僕は首をかしげる。
「そうです。実験の時にもあらゆる方法で試しますよね。アンケートの場合も、20代女性ではこうだったが50代男性は違う。立場ごとで別の結果が得られるはずです。それを総計的に調べるためにありとあらゆる人と接触をしているのではないかと」」
「それってつまり、色々な人を犠牲にして何かを試していると?」
「貴方がお調べになった犠牲者のリストでは年代も立場も全く別の人達が犠牲になっています。ほんの少しの共通点すらないのでそのような仮説をたてたまでですが……」
あくまで仮説は仮説です、そう言い切って彼は勘定書きを読み、財布の中身を確認する。割り勘を申し出た僕だったが、あっさりと断られてしまった。僕は彼の誠意を無下にしたくはなかったので、お言葉に甘える事にした。
「どちらにしても犯人を見てみない事には何とも言えませんね」
「それで、どうやって調べるんですか?」
それが一番の気がかりだった。いくら次の犠牲者が搾り出せたとしても、それに該当する人はいくらでもいる。つまり、あまり無差別と変わらない。おまけに一見事故にしか見えないのだから証拠もない。
「なに、その点はご心配なく。考えがありますから」
「考え?」
ミハエルさんはただ煙草を吸うだけだった。
勘定をすませた僕らは街で一番高いビルの屋上にいた。本当は関係者以外立ち入り禁止のはずなんだけど、無断で入り込んだ次第で。高いビルは他にもあったが、ほとんど街を一望できた。
「ここで何を?」
ビルの屋上は風が強くて、寒い。腕を組みながら僕は彼に聞いてみる。
「監視です」
「ここから?」
「はい。と言っても我々は文明に住むものですから、視力は大した事ありませんよね。残念なことにそれを補う文明の力を私は持ち合わせていない。ですから……」
そう言うと彼は僕が今まで聞いたどんな早口よりも速い速度で何かを詠唱しだす。
「門よ。天は晴れ、地は乾き、全ての障害は今ここに消え、あるのは汝と我のみ。汝の手にあるのは剣と盾、我の手にあるのは汝を導きし旗なり。――」
はっきり言って何と言っているのかは僕にはさっぱりだった。ただ一つ言えるのは、日本語では当然なく、英語でもフランス語でもない。イタリア語っぽいけど何とも言えない言葉だ。もしかしたらラテン語かもしれないけれど、あいにく大学中退の僕に分かるのはせいぜい一般的な言語だけだ。
彼の様子を呆然と眺める僕。はっきり言って詠唱が長い。以前鮮花や橙子さんが見せてくれたものとは比べ物にならないほど長い。
「――。そして今ここに汝と我とを結ぶ扉は開かれん。いでよ、我が僕たる者よ。開け、運命の扉よ」
そして彼は手を正面に出した。と、本来二次元である彼の影が盛り上がり、三次元のものとなる。いや、と言うよりまるで彼の影が水面のように、影から何かが出てくる、の方が表現としては正しい。そして、何事もなかったかのようにでてきたもの、彼女はそこにいた。
彼女は彼の前で礼儀正しく傅く。
「お呼びでしょうか、マスター」
「この街でこちら側関係のものを察知したら知らせてください。ここが一番見やすいでしょうから。頼みましたよ」
「かしこまりました。ご希望にお答えいたします」
その金髪でかなり美人の分類に入るその女性は、うやうやしく一礼した後に街を見渡した。
えっと……、今のは?
「ああ、彼女は私の使い魔ですよ」
「使い魔?」
ああ、そう言えば何か聞いたことがある。たしか魔術師が自身の忙しさを解決するために創るパシリのようなものだとか。
……あれ? 橙子さんの説明と式のぼやきが混同しているような気がしないでもないけれど、僕の頭の中ではごっちゃになっていてもう切りはなす事はできそうになかった。
閑話休題。つまり、彼女ならどんな遠くでも異常を察知できると言うわけか。彼女を召喚した原理はこの際置いとくとしよう。説明されても八割も理解できないと思う。
「さて、後は我々も街に出て見ますか。見落としがあるかもしれませんし、先ほどのように事件に遭遇するかもしれませんしね」
「え? でもそうすると彼女と連絡が取れませんよ。携帯かなんか無いんですか?」
そう、せっかく彼女を召喚したのに彼は彼女にそう言っただけで何もしようとしなかった。使い魔と魔術師の意思疎通が簡単に出来るのかもしれないけど、僕は困ってしまう。最も彼女はミハエルさんの部下なんだから僕にまで情報を回す必要はないかもしれないけれど。
そんな彼は同じ表情でたんたんと述べる。
「そう言えばそうでしたね。私としたことが失念していましたよ。私も彼女が考える事はトンと分からないもので」
「それはマスターが腹黒いせいかと思われます。わたしの責任では御座いません」
「まあ、とにかく携帯番号を教え合い、何かあったら互いに連絡の形にしましょう」
と言うわけで僕達は互いに携帯の番号を教えあう。意外にも彼女の所有していたものは海外ものの最新機種だったと思う。
「少し気になったんですけど、彼女は一人でも大丈夫なんですか?」
「ええ、もちろんですよ。私はどちらかと言うと多数の者ではなく優れた個の方が好きでしてね…。彼女はその結晶ですよ」
そう言いながら、吸っていた煙草をその辺に捨て、足で火を消す。
「それでは行きましょうか。時と犯人は待ってくれそうにありませんから」
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その後、僕とミハエルさんは分かれて街を探索する事になった。
まず僕が訪ねたのは式の家だった。もちろんそこには誰もいない。でも帰ってきたという事は分かった。家捜しをした所で何の手がかりも得られないだろうし、僕は次に両儀の屋敷に向かう。秋隆さんは親切に対応してくれるけど、結局顔を見せていないようだ。もしかしたらと思って学校にも行ってみたけど、結局式はいなかった。
つまり、式は事件の事で街を探索しているのか……。
「なんだかなぁ……」
僕は公園のベンチに座って物思いにふける。
ミハエルさんが言うには、これは盛大なる実験なんだそうだ。老若男女問わず次々と試す事で何かしらの適正を図るんだそうだ。魔術師がそんなあからさまな事をするものなのかという疑問はある。
これは以前橙子さんに教えてもらった事なんだけど、魔術師は普通の人間どころか、他の魔術師にも自らの研究を明かそうとはしない。それは自らの知識が命よりも大切な場合もあるからだとか。ゆえに外部に知られるようなリスクはまず犯さない。
……最も、その時の話のオチとして、例外が多々存在するからいけ好かないと言っていたけど、この際関係ないから頭からその時の様子は排除しとく。
「なら本当にこの事件は魔術師の仕業なのかなぁ……」
どうもしっくりとこない。確かに他の連続殺人――たとえばあの人がした――なんかとは違ってこれは一見独立した、しかも自殺にしか見えない。そういう意味ではこれは意図が読みづらいかもしれない上に、関連性が把握できないから事件として判明しにくい。
だけど結果、自殺を阻もうとする僕やミハエルさんが出てきている。生存者が出てくればそれが自殺ではないとすぐに分かってしまう事を分かっていたのだろうか?
「それともわかる必要がなかった……とか?」
例え意図が明らかにされても自分の行なう事を達成できる自身があったらやるだろう。それともそんな事を全く考えないで、ただ自分の理念を達成しようとしているのか。
「まあ、確かに犯人に会ってみないと分かりそうにないか……」
分かる気もないけど、と心で付け加えて立ち上がる。橙子さんからのノルマはもう達成したし、後は橙子さんが帰るのを待つだけなんだから、式を探すついでに街を歩くかな……。と言っても事件にそう三度も四度も遭遇する可能性は限りなく少ない気もするけど何もしないよりははるかにマシだ。それに……。
僕はもう一度事件の資料を見た。事故は頻繁にどころか、一日に一回は確実に起きている。今日はもう一回起きたけど午前だった。なら午後にまた起きる可能性は否定できない。そして、意外と被害の現場にばらつきがある事も分かっている。
だとしたら、今までの被害現場から離れている場所が今度の現場になるのでは…?
「行ってみる価値は……ありそうだよね?」
僕は立ち上がり、足を運ぶことにした。
「おかわりをお持ちしましょうか?」
「いや、遠慮しておきます」
笑みをこぼしてトレイにポットを乗せた、多分僕よりも年下の学生であろうウェイターがそう言ってくる。正直さっき十分に飲んだので僕は丁重に断った。かるく会釈をしてそのウェイターは他の客に対してもそう言う。
僕が今いるのは漫画喫茶、窓のそばに座り、窓の外にある交差点を眺める。位置的に言えばあの交差点付近で何かが起こると思ってかれこれ二十分ぐらいいるんだけど……。ちなみにあの交差点、幹線道路同士の交差点にもかかわらず歩道橋がない。なんで結構事故が多発している。だからうってつけだと思ったんだけど……気のせいだったか?
それに僕が漫画喫茶に入ったのは不意に惹かれたと言ったほうが正しいかもしれない。まあ、漫画喫茶はビルの三階だ。交差点全体を見るには最適だけど、いくつかあるロケーションの中でここを選んだのはそんな理由からだった。
ちなみに二十分経つのに未だに一冊も読み終えてなく、ほとんど交差点の方を見つめっぱなしだ。
聞こえてくるのは時計の音だけ。もう少し雑談ぐらいのささやきが聞こえるかと思っていたけど、平日のせいなのか、誰も何もしゃべらない。
カチコチカチコチ。その機械的な音が時間の経過を知らせていく。
更に十分経過。やはり何も起こらない。式の姿も見えてこない。なら僕の見込み違いだったのか?
「まあ、候補地だったらあと数個あるけど……」
ここが考えていた所と違うのなら、いつまでもここにとどまる事もできない。僕は読んでいた漫画を本棚にしまう。わりと面白かったから今度集めてみようかな。
そして、お品書きを持ってレジの方へと向かう。と言っても何も頼んでないから時間の料金を取られるだけで、とても安上がりなものではあるけれど。
と、
「な……んだよ……それ……」
もはや聞きなれてしまった調子な驚愕の声が聞こえてきた。
それはほぼかすれ、他の場所ならばまず誰も気づかなかっただろうほどの小さな声だ。だけど今この店内は静まり返っていた。そのささやきのような小さな声でも十分に聞こえてくる。
視線を移して見ると、カウンターにいたのは先ほどのウェイターだ。手には煙の出るヤカン、どうやら紅茶を入れていたようだ。が、その表情は明らかに先ほどとは違う。
この顔は、
―あの線路で電車に引かれた人が―
―あの大型トラックに引かれそうになった人が―
事故が起こる前にしていた顔だ。
自然に僕は走っていた。以前医者に走ることは止めておけと注意されていたけど、僕の足とこれから起こる悲劇を交換するなら安いものだ。僕が走り出した直後、彼はヤカンを頭上にまで持ち上げていた。
「やめ……」
その言葉の直後、彼は頭上でヤカンを逆さにした。その後確定した出来事はもちろん、煙が出るまで沸騰したお湯を頭上から被る事しかない。
「させるかあっ!」
自分でも驚くぐらいの大声を出し、僕はテーブルのうえに敷いてあったテーブルクロスを彼の方に投げつける。これまた自分でも見事と思うぐらいのコントロールで、彼にかかるお湯の前に顔や頭などを覆った。その直後、やかんから落ちるお湯が直撃する。
「ぎゃああああっ!」
絶叫とも言うべき悲鳴をあげて転がりまわるウェイター。いくら覆ったと言ってもクロスは布製、全部防げるわけではない。でも最悪、死ぬ事はない……と思う。どこかに体の表面積の7割までは大丈夫だって書いてあったし、テーブルクロスのおかげで半分近くが彼に当たっていない。
僕は店内をくまなく探す。もしかしたら犯人が店内にいるかもしれないと思ったからだ。悲鳴が大きかったのか、誰もがウェイターの見える位置に来ていた。ある人は興味本位で、ある人は本気で心配して。
そんな中、本棚の隙間の方からこんな事が起こってもなお反応を示さない人物がいる事に気づく。正面からその人を見るほどあせってはいなかったので、そっと覗いてみる。
そこにいたのは――、
その時、マナーモードにしていた携帯が鳴る。着信はミハエルさんの使い魔さんからだ。店内は通話は禁止だったけど、そんな事は言ってられない。そこにいた人物を凝視しながら携帯をとる。
「幹也さん、今感知しました。大通り同士がぶつかる交差点付近のビルの3階から……」
「申し訳ないですけれど、もう手遅れみたいです」
「え?」
僕のその一言で疑問詞を浮かべる彼女だったけど、すぐに理解してくれたようだった。
「まさか……!」
「今僕の目の前にいるみたいですから……」
そして僕は一方的に通話を終わらせた。と言うよりこれ以上続ける事は無理だろう。
目の前にいるのは見間違うはずもない、僕自身なんだから……。
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『僕』がそこにいるということは、既に相手は僕の存在に気づいているのだろう。今さら隠れていても意味なんてない。観念して僕は『僕』の前に姿を現す。
……なるほど。確かに『僕』は僕の双子なんてレベルではなく、存在自体が同じのように感じる。聞いていて調べていたから、他の人よりも驚愕しないですんだのかもしれない。
「けれど……」
聞くのと間近でみるのとでは大違いだ。鏡だってここまで僕を映す事などできないだろう。ここまで自身と同じ存在に違和感を感じるとは思わなかった。
すると『僕』は自らの手、胴、腹、顔、頭などをさわりだす。何の事はない、日常的な動作ではあるが、僕の平常心をかき乱すには十分だった。逃げるという単語は思いついても、その動作をする事はなかった。『僕』は一通りさわったのか、またこちらを見る。
「見つけた……」
「!?」
そんな風に『僕』は笑顔でそうつぶやく。と同時に『僕』はそのまま消滅した。文字通り、蜃気楼が消えていくがごとく。何が起こっているのか全く理解できない僕を置き去りにしてその場に残ったのは……、
「子……子供?」
いるのは僕と、十代にも行っていない少女の二人だけだった。少女は自らの背丈以上の長さの鏡を持ち、なる出僕に何かを期待するようにこちらをただ見つめている。
その鏡は斜めから見てもアンティークの分類に入るほど年代が経っていそうだけれど、丁寧に手入れがほどこされているせいか、輝きを全く失っていない。数メートルの距離を置けば僕の前身すら映し出せそうなほどの大きさだ。
今までならドッペルゲンガーを見た者は自殺を強要させていた。なのに僕は無事で、目の前には少女だけ。どういうことだ?
彼女はウェイターの事件を目撃しているはずだし、『僕』の消滅を見ていたはず。なのにこうまで取り乱さないのはあまりに不自然だ。
つまり……、
「彼女が犯人?」
僕は首をかしげた。そういえば……、
「魔術師ってのは努力もあるかもしれないが、才能がモノを言うんだ。だから見かけだけで判断するなよ。10代に満たないやつが魔術師になっても何ら不思議じゃない」
と橙子さんが愚痴のついでに言っていた気がする。なら彼女が今まで自殺を引き起こしてきたのだろうか。
いや、そう決めつけるのはまだ早い。魔術師であっても会話が成立するはず。ミハエルさんが来るまでの時間稼ぎぐらいはできるだろう……。
「えっと……、どうしたのかな?」
とりあえず無難に呼びかける事にした。彼女は反応を示すけれども、首をかしげるだけだった。
「僕に何か用があるの?」
「うん」
彼女はこくりとうなづいた。子供らしい、純粋な笑みを浮かべている。いや、決して橙子さんや鮮花の笑みに魂胆が見え隠れしてるとかじゃあなくて……。
「やっと見つけたの」
「え……? 何を?」
「貴方を!」
彼女は満面の笑みを浮かべて答えた。
ちょっと待てよ。確か今までのはあらゆるタイプを試しての実験だって仮説を立てていたはず。その内の三人があの会社員であり、あのOLであり、あのウェイターだった。それで出た結論が僕?
「一体僕に何を……?」
「何もしないよ。貴方には」
今度はくすくすと笑う少女。
『貴方には』……か。これで決まりだ。犯人は彼女だ。
「一体何のために人を犠牲にするんだ。何の罪もない人達だったじゃないか」
「もうしない。貴方を見つけたから」
口調を鋭くする僕だったが、彼女は全く口調を変えずにあくまで少女らしく語る。……だけど純粋な無邪気さがあるって事は、罪の意識なんて全く見られない事にも繋がる。まるで本当に善悪の区別がつかないように。
「長い間貴方を探してきたの」
そう言って彼女は僕の方へと歩みを始める。相手は少女なのに僕は思わず背筋を凍らせてしまう。
ここは会話を続けるか、退くか。どっちをとるべきだ?
「逃がさないよ。と言うより逃げられないでしょ?」
「!?」
僕はその言葉に反応してとっさに逃げようとするけれど、足が言う事を聞かない。力を入れてもびくともしない。首は動くので辺りを見渡すと、いつの間にか僕の後ろに『僕』がいた。足だけが僕と同じ姿勢になっている。
「悲願だったの。相手を見つけることは。でもようやく達成できた」
彼女は喜びの表情を絶やす事無く僕に近づいてくる。
「そのためには何人も犠牲にしていいのかよ。探すだけだったらいくらでも……」
「だめだよ。痕跡を残せば怖い人達が来ちゃう。でも机上だけじゃあ分からないの。だから試す必要があった」
だめだ。脚全てが動けないから這いつくばって逃げる事もできそうにない。
「そして不適合だった人達を皆殺しにしたって言うのか」
「幸い痕跡を残さないで後片付けをする手段があったから。でも怖いお姉ちゃんに会っちゃったから……」
「え……?」
彼女はその言葉の後で鏡を脇によせて、僕に両腕を回してしがみついた。その華奢な体は柔らかく温かい。
「待っててね。貴方には怖い思いは絶対にさせないから」
怖い思い、あの自殺の事だろうか。僕が目的だからなのか……?
「必ずまた貴方に会いにくるから。その時は…」
「邪魔者は始末し、目的を達成するのですか。なるほど。楽園の蝶々よ」
その言葉は床の方から聞こえてきた。それに気づいた次の瞬間、『僕』は爆発を起こした上でばらばらになり消滅する。
「え?」
「なっ!」
僕と少女はお互いに反応を示す。どちらも驚きだったけど、彼女の方がそれは強かったみたいだ。そして、僕の影から姿を現す人物がいた。
「建物の中とはね……影が特定できないわけだ。幹也さん、遅れまして申し訳御座いません」
そしてうやうやしく一礼したのは、ミハエルさんだった。こんな状況でも先ほど別れたときから全く態度が変わっていない。
「ミハエルさん、こんな街中で魔術は……」
「私は手品師、手品の一種と思われて終わりですよ」
随分とあっさりと言い放つミハエルさん。……こんなんでいいのだろうかと疑問に思うことは正しいはずだ。多分何らかの工夫はしているだろうけれど。
「さて、まさか初日からビンゴとは、運がいい。数日間の調査は必要と思っていましたが…。いや、この場合貴女が魔術師とは違って活発だからとでも言いましょうか」
彼はくわえていた煙草を携帯灰皿に入れ、その少女の方に体を向ける。
「お初にお目にかかります。私、メイガスのミハエルと申します。貴女がおこした事件の調査をする者ですよ」
そして礼儀正しく一礼する。それはまるで貴族社会にいるかのような優雅さだった。
「さて、貴女の目的はここに達成されつつあるわけだ。残るはその邪魔者を始末するだけ、そうですね?」
「……そう。このまま目的を達成しても、直後に殺されては意味ないから」
まるで「お嬢さん、今日はいい天気ですね」「そうだね」のニュアンスに聞こえてきてしまうほど、その会話は自然だった。
「なるほど、それでその女性とはいつ再会する気で?」
「もちろん今夜中に」
そう言うと少女はきびすを返してとたとたと歩き出す。ふと、またこちらの方へと顔をむける。
「そう言えばお兄ちゃんの名前、聞いてなかったよね。教えてくれる?」
「え? 僕の名前……黒桐幹也だ」
「そう。じゃあまた会おうねお兄ちゃん」
かわいらしい手をふって笑みを絶やさず、彼女は店から出て行った。店に残るのは先ほどのウェイターを気遣う人達と、僕らだけだった。
彼女は目的は達成しつつあると言った。それは僕をどうすると言う事なんだろうか。完全な傀儡にするためなのか? それにしてもあの少女、どこかで見たような気がしてならない。一体どこで――、
「すみませんでした。何もできないまま逃がしてしまって」
ミハエルさんの申し訳なさそうな声で僕は我にかえった。僕はあわてて首を横に振る。
「いえ、ミハエルさんにはミハエルさんの考えがあって見逃したんではないですか?」
そう、例えば少女がミハエルさんを出現させてしまったら、どうなっていたのだろうか。あのまま彼まで自殺を……いや。魔術師のミハエルさんがそんな事になるとは思えない。ならまだ何か別の理由があるはずだ。
「それで、彼女が犯人であると断定できますので、私の使い魔、アルローネと言うのですが、が監視しています。まあ、あの少女がこれ以上の事故を起こすとは思えませんがね」
「でもさっきミハエルさんは「邪魔者を始末し」って言ってませんでした?」
「つまり、彼女は事件を起こす気でしょうね。その邪魔者を始末するために」
「!」
僕が目的で、その邪魔になる者、それは……。僕は一つの可能性が頭に思い浮かんではっと息を呑む。
「まさか、式が……!?」
「かどうかは分かりません。彼女も確かに彼女が創りだすドッペルゲンガーを捉え、かつ精神干渉にも耐えられる。ですがその程度でしたら私ごときでも十分に可能です」
彼はなおも淡々と述べる。
「ですが可能性の1つとして考えておいた方がいいですね。式さんやあの少女がどれほどのものかは分かりませんが。それにしても……、君はよほど彼女が気にかかるようですね」
「!?」
思わず僕はびっくりしてしまう。そんな話題がでるなんて思いもしなかったからだ。とにかく咳払いをして間をとる。
「……そうですね。僕は彼女を一生離さないと決心しましたから」
「……いい眼だ。では私も少しは見習うとしますか」
そして僕らはまだ騒ぎが残っている店を後にした。
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僕らは店を出て、街を歩いていた。もちろん少女が何かをしてもすぐにかけつけられる距離を保って。
街をゆく人の数は夕方が近づいてきたのもあって、多くなっていた。太陽は傾いてはいたけど空が紅くなるほどではなかった。
「まず気づいた事ですけど、少女自体は魔術師でも何でもありませんね」
「え?」
あの少女は魔術師でも何でもない。それはどういう事だ?
「つまり、彼女は普通の人だと?」
「魔術師でなくてもこちら側の人間はいますが、少なくとも彼女は普通の人間です」
「なら一体あの現象はなんだったんですか」
彼は禁煙であるあの店では吸えなかった分、煙草を満喫していた。そろそろタバコの禁止条例が作られそうな気もするんだけど、橙子さんが吸っている事務所で働いている僕にとってはどちらに転ぼうとも問題ない。
「貴方は歴史を積み重ねたモノが魔術に対抗する神秘になる事はご存知ですか?」
「え? ええ、知っています。」
確かこの前起こったアルバたち魔術師が起こした事件の直前に橙子さんが言ってたっけ。そう言えばあの刀、どうなったんだ? 式は話そうともしてくれない上にこっちから聞いてもはぐらかすだけだから。せっかく後で少し調べてみたんだから少し気になる。
「では単刀直入に言ってしまいますが、あの鏡でしょう。全ての原因は」
鏡、あの大きな全身鏡か。
「鏡の歴史は水鏡にまでさかのぼれば人類の文明と共にあったと言う話です。あの鏡はおそらく欧州の、しかもかなり高貴な貴族が用いていたもので、千年は軽く超えるでしょうね」
「せ……千年!?」
それって立派なアンティークどころか、国宝にまで認定されてもおかしくはないんじゃないか?
「アンティークにはトンと疎いものでして……おはずかしい。詳しい説明はできませんが、古来より鏡は神話でも使われてきました。例えばあのメデューサを倒すためにペルセウスが使用したとも言われていますしね。童話でもグリム童話の白雪姫や鏡の国のアリスに使用されています。
神秘的な意味合いが強いですから、精霊のように自我を持っても何ら不思議ではありません」
なるほど、と納得する。鏡は結構幻想的な小道具として見られる場合があるから、そんな事があっても不思議じゃない。
それにしても彼女、どっかで見た事があるんだよなぁ……。直接会った事はなさそうなんだけど。
僕らは商店街に入っていた。この時間帯は結構主婦でにぎわっていて面白い。周りには洋服屋や雑貨屋が並ぶ。中には電化製品屋もありテレビがつきっぱなしで、ありふれた民放のニュースを流していた。
「あ」
思い出した。テレビで見たんだ。色々とあって印象に残ってないだけだったんだ。
「あの少女、行方不明の子供ですよ」
「ああ、そういえば新聞にも書いてありましたね。写真まではありませんでしたから分かりませんでしたよ」
彼も手をついて思い出したようだ。
本当にうっかりしていた。式がいないときにテレビをただ付けていた状態だったから、全く印象に残っていなかっただけだったんだ。
「それで今後ですが、彼女が人気のない所に入り次第私が対処したいのですが、よろしいですか?」
「対処する、つまりそれは鏡を破壊するんですか?」
「貴方が魔術師ならば話は別なのですが、残念ながらそうではないようなので。このまま放置してはその邪魔者とやらを消されてしまいますし、先手を打っておくに越した事はないでしょう」
「……」
そちら方面で話が進められたら僕の手の出しようは全くない。ここからは、こちら側では、ない。だからと言って僕は黙って見守る事なんて出来はしない。
「では僕の方は少女の家を訪ねて鏡の事について聞いてみますので」
「……なるほど、確かにただ鏡に向かっていく以外にもありましたか」
と彼は考え込むようにして顎に手を当てる。数秒後、彼は口を開いた。
「分かりました。それでは何もなければ明朝九時にアーネンエルベ前で待ち合わせ致しましょう。それまでは少女や鏡には手出しはいたしませんので」
「何もなければ、ですか。それじゃあ明日会いましょう」
「ええ、明日お会いいたしましょう」
僕とミハエルさんは軽く手を振ってしばしの別れをつげた。
少女の名前はニュースで結構出ていたから、家の住所は簡単に調べられるだろう。ならまず電車で移動しないと。
と、僕の足は駅の改札口の数百メートル手前で止まってしまった。駅前だけあって人通りは多い。その中、数メートル離れた先で立ち止まっているのは……、
「し……式?」
昨日の晩以来顔を見せていなかった、式だった。
つづく
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