多重鏡像

第二話


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「えっと……」
「どうかしましたか?」
 パフェを上品に食べるミハエルさん。話では彼はオーストリア人で、特に一箇所にとどまって公演をやるのではないらしい。らしいと言うのは金を払って会場に行った事がないからだ。
 僕は手品に興味がないと言えば嘘になるけど、会場に行くかとなれば誘われでもしない限り行かないと思う。
「おとといの生放送、面白かったですよ」
「そう言っていただけると私もうれしいですよ。やった甲斐があると言うものです」
 本来なら合い席するだけでこんなに他人と話す事はまずないだろう。なのにこんな世間話みたいなのをするんだから、僕がどれほど時間をもてあましていたかが容易に分かる。
「あれだけの魔術をやるのでしたら、さぞスケジュールが大変でしょう」
「たしかに。あれだけの手品をやると色々な所からオファーが来てしまいまして、仕事には困っていませんが、目が回るほど大変ですね」
 僕が魔術と言ったのにわざわざ手品と言い換えたのはただの偶然だろう。さっきもイリュージョニスト(魔術師)との言い方をしないで手品師と言っていたし。
「でもそんなに忙しいのでしたらなぜわざわざこちらまで?」
 じゃあ何でわざわざこんな辺鄙な場所まで足を運んだのか気になって聞いてみる。個人の事情で断られると思ったら、意外にも彼はいやはや、とのしぐさを見せながら彼はため息をついた。
「いえ、長年見かけなかった知人がこちらにいる事が最近分かりましたので、伺ったのですが…。運命とは皮肉なもので、彼女は不在でしたよ。ですからここで一息ついたら帰ろうと思っております」
「そうですか」
 僕は軽くうなづいた。
 訪れたら不在でした、と言うのはよくある話だが、それが数年がかりとなると衝撃は大きくなるものだろう。
「どんな方だったんですか?」
 聞くだけ野暮だったかもしれないけど、彼は「まだ他には?」といいそうな顔をしていたのでついしてしまう。聞かれて彼はあごに手を当てて考え込む。
「そうですね……。外見は一言で言うなら玲瓏……でしょうか。内面は奮起……とでも表しましょう。それが私の知る彼女です」
「なるほど」
「秀才とは彼女のような人物を言うのでしょう。ですが一つ惜しいのは彼女は天才ではなかった。あ、いえ。私から見れば十分天才なのですが、彼女自身の目的を果たすまでには至らなかった。それは彼女自身が一番堪えたはずです」
 彼は自分の事のようにいかにも残念そうに語る。この人はその彼女をとても深く考えているように僕には見えた。
 一体どんな人だったのだろうか、僕はわずかながらその女性に興味をもった。
「私には妹さんより彼女の方に目的を達成して欲しかった。だが彼女はあきらめてしまった。いや、少なくとも他の人達から見れば、ね。私はイマイチその説に納得がいかなかったので、こうして足を運んでいるわけですよ」
「そうだったんですか……」
 いくら先を越されてしまっても、目的をあきらめてしまう事がどんなにつらい事かは僕もよく分かっているつもりだ。
 ミハエルさんは肩をすくめる。
「いや、お恥ずかしい話を長々と……」
「いえいえ」
 僕は思わず手をぶんぶんと横にふった。
「そんな事ないですよ」
 そう、そんな事はない。誰だって自分の知っている人には成功して欲しいものだ。ましてやそれが大切な人ならば…。最も、そのかなえたい願いにもよるけど。
「その人……、まだその夢を追いかけているといいですね」
「ええ。そうですね。」
 外のを見つめながら彼はそうつぶやいた。その視線ははるか遠くを見ているようだった。そう、雲のうえでも……。
 パフェの器の中にはもうアイスがほんの少しだけしか残っていなかった。一方の僕の紅茶ももう二杯目に入っていたけれど、少しぬるくなっている。
「で、貴方の方はどうなのです?」
「へ?」
 鮮花がいたら「なにを間の抜けた声を出しているんですか、兄さん」と言われるに違いない、そんな声をあげて僕は返事してしまう。
「貴方は先ほどから三回も時計を確認しました。本をゆっくりと読むためでしたらそんな事はしないはず、つまり、あなたは誰かと待ち合わせをしていますね?」
 そんなに僕は時間を気にしていたのか。
「仰るとおりですよ。僕は今待ち合わせをしています。あともう少しなんですけどね」
「それは失礼致しました。そんな大切なところにお邪魔をするわけには……」
「いえ、待ち合わせ相手が来たら店を出てどこかに行くつもりでしたし、あなたがここを発つ必要はありませんよ」
 立ち上がろうとする彼に僕はそう言う。言っている事は本当なので、何もくつろぎに来た彼を発たせる事はできない。
「差し支えなければどんな方だかお聞かせできますか?」
「ええ、かまいません」
 待ち合わせ相手、式が来るまでは何もする事がないし。
「そうですね、雰囲気は中性的なんです。しかもものすごく綺麗な顔立ちをしているんです」
「それはさぞかし両性に好印象を持たせる事でしょうね」
「ええ、それはもう」
 きっぱりと僕は肯定する。だって事実だし。今でも学校ではバレンタインでチョコをたくさんもらえるんじゃないかとおもうぐらいに。昔もそうだったし。
「口調も男なんでそれに更に拍車をかけていて……。髪は肩までなんですが、乱雑に切っていまして。……一言で言うなら日本人形みたいな印象を抱かせるんです。」
「日本人形、ですか」
 感嘆の声を彼は漏らした。まるで何か心当たりでも探るように考え込んでしまった。僕の表現がまずかったかな……?
 そんな僕の思いを読んだのかは分からないけど、彼は煙草をくわえて火をつけながら首をわずかに横に振った。
「いえ、知り合いからうかがった人物の特徴に似ていたもので、つい連想してしまいました。失礼を」
「そうですか」
 それはほっとした。僕の一言で困惑させていたらどうしようかと思っていたし。
 と、店のドアについていた鈴がチリーンと鳴って誰かが入ってきた。不思議だがこの店は入り口が西と東、両方にあった。何でこんな構造にしたかまでは分からないが、開いたのは僕の後ろ側のドアだった。
 振り返ると、そこにいたのは相変わらずの和服に革のジャンパー、ロングブーツを履いた少女だ。間違いなく式だった。
「式。こっちだよ」
「幹也、待たせたな」
 その少女、式は僕の呼びかけに応じてこちらの方にやってくる。他の客が思わず式の方を見て賞賛に取れるため息をつく。うん、その気持ちは十分に分かる。
 で、僕の近くまでやって来てからようやく対面している席に座るミハエルさんに気づいたようだ。まゆをひそめて彼を見つめる。
「で、こいつは?」
「こいつって……」
 初対面に失礼だろ、と言おうとしたがまた「お前の一般論は嫌いだ」とか言われそうだし、彼も気にしてないようだからあえて言わないでおく事にした。
「おとといテレビで見ただろ? あの魔術師だよ」
「あの手品師か。何でお前とその手品師が話し込んでるんだ?」
「まあ……それには深い事情があって……ね」
 ごもっともな質問だけど、話すとややこしくなりそうだから出来るだけ簡素に述べる。
 話が終わると、ならもういいだろと言って僕を置いてさっさと外に出ようとする。
「ちょっと待ってよ式。そんなに急ぐ必要はないじゃないか」
「……」
 僕の言葉に式は全く反応も見せずに店から出て行ってしまった。あわてて僕は勘定をすませ、外に出ようとしてミハエルさんの事に気づく。
「ミハエルさん、それでは僕は失礼します」
「ええ、それではまたいつか会える日を楽しみにしておりますよ。あなたとでしたら、ね」
そう言って彼がコーヒーを飲むところを見ながら僕は店を後にした。


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「で、幹也。オレを呼び出してどうするんだ?」
「どうって……、昨日言っただろ? 橙子さんが出張に行ってて僕は暇同然だって」
 道を歩いている時そんな会話になったので、暇と断言できるほど暇じゃあなかったけど、式にはそう言っておく。まああと一日かければ橙子さんが渡したノルマは達成できそうだから、もうすぐ暇になることには変わりない。
「だからたまには一緒にデパートでも行ってぶらぶらしてもいいかなぁなんて、そう思っただけだよ」
 式がどんな表情を浮かべるかは想像していなかったけれど、きょとんとした顔を見せるのは完全に僕の予想外だった。
「……まあ、たまにはそんな事があってもいいかな」
 視線を合わせずに式はそうつぶやく。
 ……完全に不意をうたれた。照れにも似たその表情がかわいい。
 思わずその言葉が口からすべろうとするが、言ったらまたややこしい事になりそうなので、ガッツポーズを小さくするだけで済ませておく。
 駅前と言ってもターミナルや新都市でもない限りデパートなんてそう簡単にあるはずもなく、自然と僕らはホームに来ていた。世間で言う所の対面式ホームと言うやつで、このまえ列車の編成数を増やした時も他の駅とは違って簡単な工事だけですんだらしい。
 午後に入ったけれども人の数はやや多いと印象を受ける。サラリーマン、親子連れ、学生、色々な人達がホームにはいた。上りも下りもほとんど同じぐらいの人数しかいない。彼らは今何を夢見て、何を思っているのだろうか。
「ここから何駅だったっけ」
 式は白線ぎりぎりの所に立ってそうつぶやいた。
「式、そんな所に立ってたら危ないだろ」
「ホームから落ちる、電車にはねられる、オレがそんなへまを犯すように見えるのか?」
「可能性が低くても駄目」
「……いいから答えろよ」
 式はしぶしぶと黄色い先の内側まで下がった。式が危ないのもあったけれど、きっとあの位置だと運転手は間違いなくクラクションを鳴らすだろう。式にそんな些細な事で不機嫌になって欲しくはなかった。
「二駅。歩けば数十分で着く距離なんだけど、たまには電車使ってもいいだろ?」
 そんな僕は近くで文庫本を立ち読みしている。もちろん黄色い線の内側。
 互いに会話もなく、ただ時間だけがすぎていく。聞こえる音は駅前の車がかすかにといったぐらいだ。この時間帯は電車の間隔もわりと長めなので、本当に風の音すら聞こえてきそうだ。それが何とも言えずに心地よい。
 そんな中……、
「な…なんで……!?」
 不意に男性の声が構内を響いた。実際には小さな声だったが、静かなせいかそれが大きく聞こえる。
 視線を移すと、そこにいたのは四十代ほどのスーツを着込んだサラリーマンだった。外回りなのか会社を早退したのかは不明だけど、対面ホームを指差して目をこぼれおちそうなほど開いている。
「どうしたんだろう?」
 僕は思わずつぶやいた。何しろ彼が指差した方向は誰もいない。あるのは駅名が書いた表示や看板、それに自動販売機ぐらいなんだけど、それらが彼を驚かせているとは到底思えない。
 その時、こちら側のホームアナウンスが流れ出す。
『間もなく、一番ホームを、急行電車が通過致します。危ないですから白線の内側でお待ちください』
 その男性はあろう事か、ふらふらした足取りで前進を始めた。
「って危ないですよ!」
 このままではホームから落ちてしまうため、僕はそう叫ぶ。なのに彼は何も聞こえないのか無視しているのか、ただ前だけを見据えて前進を続けた。
 電車が右方向からやってくる音が聞こえる。対面式ホームの利点は島型ホームと違って線路にカーブが無い事が多いのが特徴で、高速度が出せる利点がある。この辺だと通過する電車は八十キロは軽くスピードを出す。
 このままだと……!
「くっ!」
 想像したくもない事を頭から離し、僕は十数メートルは離れていたけれど、一気に駆け出した。明らかに彼はホームに落ちるタイミング、それでも少し可能性があるならばそれにかけるべきだ。
 と、横を式が通り過ぎていった。明らかに僕より速く疾走していく。
「……っ!」
 だが、そんな式ののばした手でも男性の襟をつかむことはできない。彼はまるでドラマのワンシーンのようにホームから落ちてしまう。

 そして、甲高い金属音が辺りを支配した。

「ぎゃああっ!」
「うっうわあああっ!」
 電車のブレーキ音、男女問わずあがる叫び声、そして、音にもならない現象。
 電車はホームを通り過ぎてからようやく停止した。
 ホームにまで広がるおびただしいまでの血痕、そしてついさっきまで人間だったものの残骸。
「う……っ!」
 口からナニかが出てくるのを必死になって抑える。こんなにもあっけなく人の一生が終わった事がまだ受け止められない。
 ホームと停止した電車の中があわただしくなっていく。狼狽したり、友人と震えながら抱き合ったり、何かを叫んだり……。
 そんな反応を示す人達の中、たった一人の人物、式はさっきまであの男性が見ていた向かい側のホームをただ睨んでいた。


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「…まさかね、幹也がこうして事情聴取されるハメになるとは思いもしなかったぜ」
「それは僕の台詞ですよ、大輔さん」
 警察署にやって来たのは警視庁捜査一課の刑事、秋巳大輔兄さんだった。
 あの後、一応事件性を調べるために運転手や構内にいた人達が事情聴取を受ける事になったのだ。
「だがまさかお前が突き落としたとは……」
「冗談でもそんな事言わないでくださいよ」
「分かった分かった」
 全く……、今はふざけてる場合じゃないでしょう。本当にこれで仕事をクビにならないか本気で心配だ。
「で、結局事件性はあったんですか?」
「いや、運転手も構内にいた人達も一様に同じ事を言うだけだ。つまり、最初に男性の異常に気づいて声を出したのは幹也、そして転落を止めようとしてお前と式って娘が走りよったけど間に合わず、どんっ。
 これはもう自殺で片付けられそうだな」
「でも、その人は遺書とかも出していなかったし、自殺にしてはおかしなやり方だと思いますけれども」
 そう、自殺ならば誰にも止められないように一気に飛び降りるはずだ。でもあの人はふらふらとホームから飛び降りた。あれなら誰かに止められてもおかしくなかった。
 あるいは、止めてほしかったのか。
「それに自殺にしては様子もおかしかったし、何より遺書も出なかったのでしょう?」
「ん、そんな様子じゃあなかったみたいだな。家族関係も円満、会社での待遇も悪いものでもなかった。むしろ俺より待遇いいし。だから精神異常って説もおしゃかだな」
 ……ふと思ったけれど、いずれは公にされるにしてもこんなに手の内をばらしていいのだろうか。機密漏洩に当たらないのか不安になる。
「まあ、真実がいずれにせよ、自殺で片付けられるんじゃないか? そうなると補償金が大変そうだな」
 あ、そうか。聞いたことがある。たしか鉄道での飛び降り自殺とかをすると復旧や電車が止まったせいで多大な損害を受けるんだっけ。
 だとしたらやっぱりおかしい。家族関係円満なんだったら家族に迷惑をかける飛び込み自殺は絶対にしないはずなのに……。
「ところで式は?」
「ああ、お前さんのガールフレンドなら先に事情聴取が終わったからってロビーでくつろいでるぞ」
 飲み物を口に含んでたら間違いなく今のでふいていただろう。自分でも赤面していくのが分かる。何かを言おうと思っても言葉になって出てこない。頭が真っ白になってイクノが自分でも分かった。
 そんな僕をからかうように大輔兄さんは高らかに笑った。
「事実だろ? もう見ているこっちがはずかしくなってくるぜ」
「大輔さん…」
 僕は大輔兄さんの両肩に両手を乗せて、出来うる限りにこやかな笑顔で述べる。
「その事でからかうのは無しの方向でお願いしますね」
「わ……分かった……」
 うーん、こんなにいい笑顔で話しているのに、何で大輔兄さんは引きつった笑顔を見せるのだろうか。不思議だ。
「ま、まあ……彼女が座るだけであんなに地味なロビーが変わるとはね。まさしく中国の皇帝を骨抜きにした楊貴妃?」
「じゃあ僕らも早く行きましょうよ」
 楊貴妃みたいに時代に翻弄される事は式に限ってありえそうにないけど、な。
 式は僕の事情聴取が長引いた事に明らかに怒っているようだった。ふくれっ面こそしてないけど、てゆうかそんな式も見てみたいけど、僕を見つけたとたんに睨みつけてきた。
「えっとー、式?」
「幹也、遅い」
 第一声がそれか。もちろん明るい笑顔で「幹也、おつかれさま」は全く期待していなかったけども、それはいくらなんでもあんまりだ。
「どうせお前のことだから、必要以上に細かく話してたんだろ」
「うっ……!」
 確かに。刑事さんの方から「もういいです」って言ってきた。
「そう言う式の方こそ出来るだけ簡素に言って数分で終わりにしたんだろ?」
「う……」
 視線をそらす式。立場が逆になったようだ。刑事さんが「もう終わり?」とでも言ってきたのだろうか?
 まあ、いつまでもそんな話をしているわけにもいかない。
「それじゃあ大輔さん、僕達はこれで失礼します」
「おう、それじゃあ……って待て。言いたい事があったんだ」
 立ち去ろうとした僕をあわてて呼び止める大輔兄さん。思わず僕らは顔を見合わせた。
「どうしたんですか?」
「最近自殺がはやってるのか?」
「はあ?」
 いきなりの言葉にそう言うしかない僕。自殺がはやってるなんて……、殺しや薬の次ぐらいにあってはならない流行だと思うけれど、そんな事はあまり聞かないな。
「ほら、いつぞやだったか、自殺が多発した時があったろ」
 大輔兄さんの言葉に僕は思わず式の方を見てしまった。式もどうやら僕と同じ考えを持ったようだ。巫条ビルの事を。最も僕より式の方が険しい顔をしている。あの時はあまり関心を示していなかったように見えたけれども、何かあったのか。
「実はな……あの時と同じで一見何も問題ない人達による自殺が、ここ最近で多発してるんだ」
「「えっ?」」
 僕と式の問いかけが見事に重なった。
「ほら、三日か四日前ぐらにニュースで流れたろ? ひき逃げの話」
 ああ、あれか。式が僕に注意を促した、あの。
「あれみたいに何かに意識を奪われたかのように事件にあうパターンが急増してるんだ。これって何か関連性があるのか?」
「……分からないですよ。そればかりは」
 その事件に関してニュース以上の事を知らない僕はこう言うしかなかった。

 結局警察署を出たのは日も暮れてしまってからだった。あたりは不気味なくらい静まり返り、虫の音が聞こえるほどだった。街灯に照らされた道を僕と式は2人で歩いていた。
「デパート、行けなかったね」
「いつでも行けたから……気にする事なんてない」
 式はこちらを見ずにそうつぶやいた。静かなせいか、それでもしっかりと彼女の凛とした声が聞こえる。
「以前こんな時は「自殺なら誰にも迷惑がかからない方法でやればいいのに」って言ってたのに、今回はそんな事ないね」
「そうか?」
 遠い昔なのか、つい最近なのか、あの巫条ビルの事を思い出してそう言う。
 本当に今回は、普通の自殺なんだろうか。何か拭いきれない違和感がそこにはある。
「式はあの人の死亡、自殺だと思う?」
「なんとも言えないな」
 急に式の顔が険しくなる。さっきあの人が死んだ直後に向こうのホームを睨んでいた時と同じ雰囲気だ。
「……もしかして、何か視えたとか?」
「もし視えたとしても、幹也に何かできたのか? オレにだってできなかった。」
「あ」
 僕は思わず目元に手を当てた。
 なんて迂闊なんだ僕は。そうだった。さっきあの人の服さえ掴んでいれば助かったかもしれないんだ。だから……。
「ごめん」
「幹也が謝る事じゃない。あれは誰にだって止められなかった。多分幹也と同じタイミングで駆け出してても、オレは間に合わなかった」
 式はそうつぶやくけれど、表情は苦々しいまま変わらない。
 何しろ僕らがもう少し早く彼の異変に気づき、奔り始めていたら彼は助かったかもしれないんだ。それは悔やんでも悔やみきれない。
「で、幹也」
「式?」
 出来るだけ冷静をよそおって僕は答えるけれど、内心では後悔の念が渦巻いている。
「これからどうする? どっちの部屋に行くか?」
「どっちのって…、僕のか、君のか?」
「ここからだと同じぐらいじゃないか。だから」
 二人一緒に行動する事は前提か。まあ、二人での行動がなくなってしまったんだからいいかな……?
「じゃあ僕の方で」
「分かった」
 僕はふと空を見上げる。雲は多かったが、欠けた月明かりが夜空を照らしていた。今頃鮮花達も同じ夜空を眺めている事だろう。橙子さんの方は朝が来ているだろうけど。
 明日はどんな天気になっているのだろうか。そしてその時、どんな事が待ち受けているんだろうか。


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 深夜、私は幹也に断りを入れた上で夜の散歩、と言うより徘徊を行なっていた。
 さすがにこの時間帯になると人が少ない。たまに酔っ払いや深夜帰りのサラリーマンが自宅へと帰るだけだ。そして夜を照らすのは街に設置された街灯だけ。星明りは気休め程度にしかならないし、私自身は懐中電灯を持っていない。
「……」
 歩きながら私は昼間に起こったことを考える。
 あの男は幹也が声をかけた時、向こうのホームを指差して狼狽していた。幹也達には視えなかったようだから、またこちらがらみなのだろう。
 そう、私が見たのは、もう1人の、男。
 その男は服、髪型、体つき、顔立ち、全てが死んだ男に酷似、いや、鏡や写真より鮮明な、もう1人の男だった。そいつは男に不敵に笑いかけると男は操られたかのように前進を開始した。
 男の顔を見れば分かる。あれは、殺人だ。何の目的でそんな事をするかまでは分からないが、確かに事件は起こっている。何より、私は幹也に後悔の念を持たせてしまった。これだけでも悔やまれる。
「オレがもう少しはやくスタートしていれば……」
 彼は助かり、幹也もあんな思いをせずにすんだだろう。なら私にも責任はある。いくら何でもご都合的に再び遭遇するとは思えなかったけど、行動はする。
 そう思っていると、着いたのはわりと大き目の幹線道路。さすがに深夜だからか、車の数はまばらだ。
「……でも」
事件が今の所無差別に起こっている以上、幹也に被害が及ぶ可能性だって否定できない。ならば、どっかに行ってしまった橙子はあてにできない。自分が解決するしかない。
 横断歩道の信号は赤のまま。このまま渡ってもいいのだけれども、気分は止まっていたかったのでそうする。
 と、道路の向こう側に人がやってきたようだ。めずらしい事もあるものだ、と思っていたが、その人物を見て思わず声をあげてしまう。

 アレは、私だ。

 ワタシは不敵に笑うと私の方に手招きをする。すると、体がワタシの方へと歩みだすのを自分でも感じた。
 信号は赤、道路の向こうからは大型のトラックが来ようとしている。
「っ!」
私はその見えない糸をなぎ払うかのように立ち止まった。何も視えないという事は暗示の一種なのだろうが、私には効かない。
「……!」
 ワタシの表情が明らかに苦々しく曇る。そしてもう一度手招きをするが、今度は私は微動だにしなかった。
 トラックが通りすぎ、信号が青になった。ワタシはまだそこにいたが、私を確認すると距離を離すように走り出した。
「逃がすか」
 無論、逃がすつもりは全く無く、私はワタシを追いかける。ワタシと私の距離は少しずつちぢまってはくるが、決して追いつけはしなかった。後ろを振り返るワタシ、その顔には私が見せないような微笑が張り付いている。
「……」
 と、ワタシは路地裏の方に入っていく。
 ああ、そうか。つまり私を誘いだそうっていうのか。
「いいだろう。それに乗ってやる」
 そして、誰もいなくなった。私たちを除いて。

 ワタシは不敵に笑うとナイフを取り出してくる。口は笑っているが、眼の雰囲気は、明らかに私を殺す気だ。それでもワタシは襲いかかろうとはしない。この状況を楽しんでいるのか、それとも様子見か。
 ワタシがどんな奴だろうと、明日には幹也が犠牲者になるかもしれないんだ。最低でも普通の人間なんかじゃない。だったら、容赦はしない。
 私はワタシを視る。死の断面が私と同じように存在した。とは言え私自身の死は腕とか見える範囲でしか自分のは視えない。鏡越しに見ようと思っても鏡の死が見えるだけだから。
 誰かが化けたニセモノでもなさそうだな。そう思って私はナイフを取り出した。
 仕かけたのは同時だった。ナイフを断面にそって斬ろうとするワタシ、それを逆の手で払いながら逆にワタシの断面を斬ろうとする私。
 結果、私とワタシは寸分の違いもなく同じ事をしていた。まるで本当に私自身を相手しているみたいだ。それが私の第一の感想だった。ワタシが次に何をしてくるのかは私には完全に分かる。でも私が何をするかもワタシに読まれている。
 ……やりにくい。こんな事だったら脇差でも小太刀でもよかったから持ってくればよかった。武器の性能で勝てたかもしれないのに。あ、でもそうするとワタシもそれを持ち出してくるだろうから、結局今と同じ状況にはなるかな。
 互いに死の断面を斬られるとか内臓や四肢を切断されるなどの致命傷は避けながらも、攻撃をし続けるせいで切り傷が増えていき、飛び散った私たちの血があたりに花のように咲き乱れる。
「……これは、どこかを犠牲にしないと終わらないな」
 トウコが出張に行っている以上、幹也への誤魔化しは必至だろう。だが、逃げるのだけは御免だ。こいつを逃がす選択肢なんて私にはない。犠牲にするなら、左腕かな…? どうせこれはトウコが作った義手だし。
 そうと決まれば早かった。私は一気にワタシとの間合いをつめ、射程距離まで入る。ワタシの行動は完全に予想できた。これなら行ける。
 だが、予想に予想が塗りつぶされた時、私は思わず愕然としてしまった。
「しまっ……!」
 そうだ、ワタシは私だった。同じ事を考えていても不思議じゃない。ワタシは牽制目的の攻撃で左腕を犠牲にして、私に攻撃をしかけてきたのだ。狙うはただ一つ、私の心臓。
「……っ!」
 とっさとしか言いようがないほどの反応。私の左腕は私を守るように私とワタシのナイフの間に割り込んでいた。そして左腕を切断されるわずか前に左腕で敵の体勢を崩す。
 そして、ワタシの死の断面を一閃した。
「――」
 ワタシは声にもならない悲鳴をあげて、地面に仰向けに倒れこんだ。起き上がろうとしてもすぐに自分の血で出来た水溜りの上に崩れ落ちる。
 私は自分の衣服をやぶり、左腕の止血をしておく。気休めでしかないが、やらないよりはいいだろう。
 ふと私はワタシを見る。
「あ……」
 思わず声を出してしまった。ワタシが浮かべている表情は、何といえばいいだろうか。そう、一言で言うならば……、

 ただ、無念だ、と。

 次の瞬間、ワタシは消えた。文字通り、存在すらなかったように。周りを見てもそこらじゅうに鮮烈しているのは私の血だけのようだった。……もうここには用は無い。
 路地裏から出た私の思いはこの事件の真相や犯人の事など微塵も感じてはいなかった。思うのはただ一つだけだった。
「……私が幹也より先に死ぬと分かった時、あんな表情を浮かべるのかな……?」
 もう存在しないワタシに向かって、私はそうつぶやくのだった。



  つづく


第三話に続く

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 X-FILEで言うとこの話では式がスカリーなのかなー、と思うと少しどころかかなりの違和感を持つのですが、無理やりにでもスカリーになってもらいます(爆)。
 この話でようやく事件に幹也たちが絡んできました。この調子で行けば全六話ぐらいで終了するんじゃないかなーと思っています。
 それでは次の舞台で。
  2006年4月3日 第一改訂
  2007年9月24日 第二改訂


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