幻橙英雄
第9話・統治王A
/1年前・interlude
「その面、もう二度とワシの前に晒すでないと確かに申しつけた筈だがな」
「遠坂の次女を受け入れたそうだな。そんなにまでして間桐の血筋に魔術師の因子を残したいのか?」
夕闇の迫る空の下、鬱蒼とそびえ立つ洋館。
その応接間で2人の人物がテーブルを境に座っていた。
聖杯戦争を始めた三家のうちの1つ、間桐。
よく言えば間桐の生き字引、悪く言うなら生にしがみつく亡者の成れの果て。
それが訪問者、間桐雁夜が目の前にしている人物、間桐臓硯だった。
間桐雁夜は魔術師ではない。
魔術師は一子相伝。通常は長男ないし長女に家督は受け継がれ、それ以下の者たちは生家が魔術師の一族だとも知らずに過ごす。
そして一般人として生きる事も出来るが、たいがい魔術師の子なので養子に出される。
間桐雁夜もまた次男であったため、家督を受け継ぐ事はなかった。
それでも彼は実家、すなわち間桐が魔術師の一族である事を知っていた。
その決定的な理由は兄である鶴野より魔術師としての素質があったためだ。
現に臓硯は鶴野より雁夜に家督を継がせようとしており、わずかであるかもしれないが彼に期待していただろう。
それでも彼は拒絶した。己の運命から。
魔術はおぞましく唾棄すべきものか。
それを痛感したからこそ親兄弟と決別し、普通の道を歩みだした。
だが、今ほどそれを後悔したことはなかった。
自分の決定がまわりまわって1人の女性に、1人の少女に降り注いでしまったのだから。
それを止める事も出来た。
だが、彼はその出来事を許してしまった。
誰よりも大切だった女性を、その運命に引き摺り下ろす事を。
彼は自分自身を許すことはないだろう。
許す必要はない。それは甘んじて受け入れる。
自分はどのような思いをしてもかまわない。
この世でただ1人、悲しませたくなかった人を思うなら……。
「――そういう事なら、聖杯さえ手に入るなら、遠坂桜には用はないわけだな?」
「おぬし、何を企んでいる?」
「取引だ、間桐臓硯。俺は次の聖杯戦争で間桐に聖杯を持ち帰る。それと引き換えに遠坂桜を開放しろ」
きっかけはついさっき。
雁夜の幼馴染である遠坂葵、遠坂の現当主時臣の妻との再会だった。
葵には2人の娘がいて、その2人とも雁夜は親しかった。
出張から帰るたびに2人の娘、凛と桜にプレゼントを用意しもした。
そんな時、葵からつぶやかれた1つの言葉が雁夜の全てを変えた。
「あの子は、間桐の家に行ったわ」
そう、彼はその可能性を考えなかった。否、考えようとしなかった。
己の時は違ったから、桜の場合も違うだろうと。
桜が魔術師の次女であっても、間桐の養子に出されるなどとは夢にも。
間桐の魔術師となる。それは通常の魔術師と全く異なっている事は間桐の者であっても分かる事だ。
もはや伝承とは名ばかりの拷問。身体に刻み込むやり方に桜がその結果どうなるのか、想像に難くない。
「しかし雁夜、巻き込まずに済ますのが目的ならば、いささか遅すぎたようじゃのう? 遠坂の娘が当家に来て何日目になるか、おぬし、知っておるか?」
「爺ぃ、まさか――」
散々泣き叫ぼうが、この魔術師は聞きもしない。
あるのはただひたすらに続く悪夢のみだ。
そして、既にその悪夢が桜に降り注いでいる事も知ってしまう。
臓硯から桜を奪い返す事は雁夜にはできない。
魔術師に一般のものが勝つ術は確かにある。だがその術を雁夜は持たない。
ゆえに交渉しかない。その結果己がどうなろうとも、かまわないだろう。
悪夢は桜に降り注いでしまった。それは決して癒される事のない決定的なもの。
それでもこれからの悪夢から桜を救い出す術はある。少女の未来を取り戻す事はできるのだ。
聖杯戦争。それこそがその少女を救い出す唯一のチャンス――。
「さて、どうする? すでに頭から爪先まで蟲どもに犯されぬいた、壊れかけの小娘一匹。それでもなお救いたいと申すなら、まぁ、手助けしてやらんでもない」
「……異存はない。やってやろうじゃないか」
雁夜は冷え切った声でそう答えた。元より他に選択肢はなかった。
一般人として過ごした雁夜が聖杯戦争に参加できるほどの魔術師となる手段は唯一つ。
刻印虫で魔術回路を無理やり拡張させるしかない。
そんな聖杯戦争までの短時間で行うとなれば、虫に食い蝕まれた雁夜の肉体は数年で限界を迎えてしまうだろう。
それでも雁夜はよかった。
自らの過ちをそれで少しでも元に戻す事が出来るならば、それでよかった。
不意に違和感を感じる。
それが臓硯のニュアンスだと気づいた雁夜は疑問を投げかけた。
「ちょっと待て。その『手助け』って何だ。随分と気にかかる言い方だな」
「それに対する答えは、それすらも遅すぎたと言う事じゃよ、雁夜」
「何、だと?」
遅すぎた、何が遅すぎたというのだ?
桜が死んでしまったと言うならまだしも、生きているならば遅すぎる事はないはずだ。
「雁夜、なぜ聖杯戦争に表向きのルールが定まっておるか分かるか? なぜ部外者どもにこの尊い儀へ手垢をつけられねばならぬのか分かるか?」
唐突に始まる臓硯の言葉。
一見それは何の関係もなさそうに聞こえるが、おそらくは関係あるだろうと思い立って黙っておく。
とりあえず首を横に振った。
「我らだけでとり行えば必ずや歪みが生じるからじゃ。例えばワシらと遠坂が準備をする前にアインツベルンが7体の人形を用意してみぃ。
全てのマスターがアインツベルンになってしまい、自ずと聖杯は奴らの手に渡るじゃろう」
「……ルールは三家間の牽制の役割を果たしていると言いたいのか」
「その通り」
臓硯はおぞましい笑みを浮かべる。
だが雁夜には顔が歪んでいるようにしか見えない。
「その結果、三家がサーヴァントを複数持つ事はなくなった。持つ事になる時は次を考えない時、すなわち絶対の勝算がある時だけじゃ。
残念じゃがおぬしらに勝算などあるまいて」
「ま……まさか……!」
「そのまさかじゃ。残念ながらの」
雁夜は一瞬で絶望した。
唯1つ、たとえ万に一つであれ存在していた可能性すら消えていく。それを雁夜は感じ取ってしまった。
「此度の聖杯戦争で間桐は鶴野をマスターとする」
そして、その絶望はその言葉で決定的なものとなった。
鶴野、雁夜の兄。
彼を間桐のマスターとして選出する。
すなわち、自分が間桐のマスターとして聖杯戦争に参加する事すらできないのだ。
「莫迦な! 鶴野にはまだ令呪が宿っていないとさっき言ったばかりじゃないか!」
「確かに。じゃがそれはあくまで今の段階での話。あやつの決意も捨てたものではないのでな」
冗談ではない。臓硯も認めているように鶴野は魔術師としての素質に乏しい。
そんな彼をマスターとして選出するなど馬鹿げている。
焦りを隠せない雁夜の全く気にする事もなく臓硯は高らかに笑う。
「あやつはおぬしや時臣と生来比較される事に憎悪の念を燃やしておってな。おぬしがこの家を出て程なくしてマスターを名乗りでおった」
「あいつが……?」
「既に調整を受け初めて数年にもなろう。その間よくぞがんばっているものじゃて」
にわかには信じがたいが、臓硯が嘘をつく理由など1つもない。
ならば今述べられている事は現実であろう。
「間桐のマスターとして出る事の出来るのはたった1人。素質はあるが訓練は1年と素質は乏しいが訓練はその数倍。
聖杯がどちらを選ぶかはワシにも分からぬ。かと言えワシとしては鶴野が選ばれようがおぬしが選ばれようがかまわぬ。
此度の聖杯戦争は始めから勝負を捨ててかかっておるのでな」
それは歪めようもない事実。
いかに雁夜が調整を受けても、鶴野が調整を受け続けても、おそらくはあの時臣を始めとする魔術師達にはかないはしないだろう。
それでも、万に一つは確率があるならば……。
「そうさな、まずは一週間。虫どもの苗床になってみるが良い。それで狂い死ににせずに折ったなら、おぬしの本気を認めてやろうではないか」
「つまり、俺を間桐のマスターと認めると……」
「早合点するでないわ。ワシの見立てでは聖杯戦争は一年後に行われる。うまくゆこうとおぬしと鶴野の魔術師としての実力は五分と言った所よ」
五分、それはつまり雁夜と鶴野のどちらが選ばれてもおかしくない状況。
もはやそれだけ差がなくなってしまうならば令呪が宿る確率もまた五分だろう。
決定的要素、すなわち英雄を召喚するための触媒でも持ち合わせていない限り。
「だがな、それでも万一、おぬしか鶴野が聖杯を手にするようならば――よかろう。その時は無論、遠坂の娘は用済みじゃ。
アレの教育は一年限りで切り上げる事になろうな」
つまり、結局雁夜自身がマスターとして選出されなくても鶴野と協力しなくてはならない。
それはもはや後戻りは出来ない事を意味する。
「では、さっそく準備に取りかかろうかの。処置そのものはすぐに済む。――それとも、考え直すなら今のうちだが?」
雁夜は無言のまま、決意を持ってそれを拒絶した。
「善哉、善哉。まぁせいぜい気張るがいい」
臓硯は杖に寄りかかりながら腰を上げ、大儀そうに邪悪な笑みを浮かべつつ応接間をあとにする。
虫を入れ、臓硯の傀儡となってもなお彼はスタートラインに立っていない。
スタートラインにたとうとも条件は圧倒的不利からのスタートだ。ほかの者を倒し、奇跡に至るにはそれこそ宝くじなど目ではないほどの確率だろう。
だが、それしか方法がないのならそれを選ぶしかない。
そう、
「雁夜……!」
目の前の実の兄を押しのけてでも。
「久しぶりだね雁夜。どの面下げて戻ってきたのかと思ったら意外と元気そうで安心したよ」
「兄さん、あんた――」
応接間に微笑を浮かべながら入ってきた実の兄、鶴野を目の当たりにして雁夜は目を見張る。
鶴野の状態はついさっきまで一般人だったが長年見てきた雁夜には異常が見てとれた。
頭髪はおろか、肌からも色素が抜けていた。髪は真っ白で肌は土気色。
その身体の動きは十年前、間桐と決別した時に見た鶴野と比べても若干鈍い。
自分では普通のしぐさをしているようだが、長年付き合ってきた雁夜から見ると彼の様子の異変は想像もつかないほどだった。
まあ、それが一般人から見たらどうなのかは分からないほどではあったが、雁夜からすれば異常そのものだった。
これが何の結果であるかはすぐに分かった。
それは間桐のマスターとなるための調整の代償がこれをもたらしたのだ。
そして、鶴野より短時間で調整を行う雁夜は彼よりも……。
「へたな事はいうなよ。俺は俺の意志でこうなってるんだからな」
「分かってる。言うつもりはない」
雁夜も鶴野が持つ感情を理解できていたのでそれについては何も言わない。
遠坂時臣はどの魔術師よりもそれであった魔術師だった。
彼の表での普段の生活でもその本質たる裏の世界でも関係なく、いついかなる時でも。
当然、鶴野といた学生時代においても。
きわめて単純に言うならば、鶴野にとっては時臣は絶対に許さない、いわば人生をかけた敵でもあった。
魔術師としての素質を弟の雁夜にすら劣ると言われ続け、挙句の果てに自らの子供は魔術回路すら持たない者。
その極めつけは、
あの憎き遠坂の娘を養子にもわらざるを得なかった状況だった。
日常生活の優雅さ、その本質のあり方、そして魔術師としての能力。
全てが時臣より劣っている事は鶴野は身にしみて分かっている。
そして、それが一生かけても埋められない差である事も。
だが1つ、たった1つだけ、遠坂時臣を上回る事の出来る手段がある。
それが聖杯戦争。
聖杯戦争にマスターとして参加するならばその結果は召喚する英雄次第。
主に戦うのがその召喚された英雄にしろ、魔術師としての実力を問われる事であるには違いない。
つまり、手札次第では全てに劣る鶴野でも時臣を出し抜く事ができるのだ。
60年周期な以上、次の機会は間違いなくない。
魔術師として散々見下されてきた鶴野であったが、この機会にあの時臣の長い鼻をへし折る事ができる。
その未来予想図のためならばどんな困難をも乗り越えられそうな気がしていた。
たとえその結果その先にどんな事が待ちうけていようと知った事ではない。
ようは、遠坂を屈辱にまみれさせて屈服できればいいのだ。
「臓硯は俺を受け入れたぞ。残念だったな」
「一度捨てたモノにすがりつくおまえよりはましさ」
はっ、と鼻で笑ったつもりだろうが表情は以前とは若干異なっている。
その一瞬後には嘲っていた鶴野の表情は一変する。
「俺はサーヴァントを手に入れ、時臣のやつの高鼻をへし折る。ついでに蟲蔵にぶち込んでやってもいいかな。おまえの出る幕なんてないよ」
「兄さんには悪いが、奇跡に至るのは俺だ。そして絶対に桜を救い出す」
雁夜とて桜を養子に出した時臣を許せるはずがなかった。
あいつさえ桜を養子に出さなかったら葵も悲しみの涙を流さなかったし、桜も悪夢に襲われずにすんだ。
遠坂時臣。
あいつだけはこの手で引導を――。
この感情は2人で完全に一致していた。
そして、そのために兄弟をも蹴落とす事すら考えていた事も。
interlude out
/数日前・interlude2
結論から言うと雁夜はついに乗り切った。が、そのために払った肉体の代償は大きかった。
もはや左半身はぼろぼろで、眼は完全に白濁し視力を失い、顔面は麻痺し、身体の感覚はどうしても遅れてしまう。
不整脈により動悸は日常茶飯事。食事はもはやブドウ糖の点滴だ。
現代医学からするともはや死に体。臓硯の見立てでは残った寿命は一ヶ月だそうだ。
だが、運命とはどこまでも皮肉だった。
間桐の代表として認められたのは雁夜ではなく、鶴野の方だったのだ。
その鶴野もまた雁夜よりはましだが全身の反応が鈍くなっている。
彼もまた臓硯の見立てでは数年生きられればいい方なんだそうだ。
雁夜は鶴野に令呪の兆しが現れても調整を取り止める事はしなかった。
令呪が現れたとて遠坂時臣を始めとするマスターを倒す事は難しいのだ。
こうなってしまった以上、雁夜は鶴野の手助けをする以外道はなかった。
そして、いかにして聖杯を持ち帰るか、に考えを持ってきていた。
「やあ雁夜。見に来てくれたのか」
いよいよ召喚の儀をとり行う日。
鶴野は微笑で雁夜を出迎えた。
地下の蟲蔵。
腐臭とが饐えた水気の臭いが立ち込めるこの場所。
本来この時間は桜の教育を行うものであったが、今日はそれよりはるかに重要な事を行うために取り止めていた。
雁夜は無言で壁に背をもたれ、座り込んだ。
嘲るように鶴野は雁夜に冷笑を浴びせる。
「まあいいや。おまえはそこで俺が第一歩を踏み出す様子を指をくわえて眺めてればいいさ」
「召喚の呪文は間違いなく憶えて来たであろうな?」
そんな嘲りを完璧に無視しつつ、念を押すように臓硯は鶴野に訊く。
それに不快感を全く示さず鶴野は鼻で笑った。
「もちろんだとも」
「いいじゃろう。だが、その呪文の途中にもう二節、別の詠唱を差し挟んでもらう」
「それも分かってるって」
鶴野は臓硯の言葉をいい加減に聞き流しつつ召喚の陣の準備にとりかかった。
「俺らの魔術師としての格は、他のマスターどもに比べればはるかに劣る。ならサーヴァントのクラスでそれを補うしかない、だろ?」
「ほう、随分と物分りがよいではないか」
鶴野の言葉に表向きは感心するかのように言う臓硯。
それが鶴野を過小評価しているから出た言葉に過ぎない事はうすうす感じていたが不快にはならなかった。
召喚呪文のアレンジによるクラスの先決め。
本来ハサン・サッバーハしか該当する者のいないクラス、アサシン。
そしてとある付加要素を許諾するだけで該当させる事が出来るクラス、バーサーカー。
「では今回呼び出すサーヴァントには『狂化』の属性の付加を――」
「悪いけどバーサーカーを呼び出す気はないね」
鶴野は臓硯の提案を言葉の途中で突然、あっさりと拒否した。
これには傍観者の雁夜も驚きを隠せない。
自分達の腕で英雄を召喚すればもはや英雄の足を引っ張るだけにすぎない。
英雄のステータスに自分達の未熟さがもろに出てしまうからだ。
その点バーサーカーならばクラス補正でステータスの上昇を図れるはずだ。
もし雁夜がマスターとなっていたならば、この申し出をあっさりを受け入れただろう。
その結果、受ける苦痛が何倍になろうとも。
「せっかくこうして俺は弱い立場にいるんだ。それを最大限利用しない手はないだろ」
「ほう、つまりおぬしは……」
そうして全て自分の考えが正しいかのように主張する鶴野。
彼の真意を読み取り、臓硯も笑う。
「そう、俺はアサシンを召喚する」
鶴野には算段があった。
おそらく臓硯ならばバーサーカーを薦めるだろうが、それは自殺行為に等しい。
過去バーサーカーを制御しきれた者などいない。自分よりはるかに優れた魔術師であっても。
そしてその戦法は馬鹿正直に正面から突っ込むぐらいしか出来ない。しかも魔力をバカに食う。
全く持って馬鹿げていた。
それよりアサシンを召喚するならば聖杯戦争終了間際まで静観を決め込むもよし、マスターを暗殺するのもよし。
バーサーカーよりもはるかに使い道が多い事は容易に想像できた。
しかもアサシンはその性質上、魔力の消費が少ない。
正に一石二鳥だった。
「卑怯だとは言うまいね」
「まさか。ただおぬしからそう進言するとは思わなんだ。触媒として用意した物品も無駄になってしもうたわ」
鶴野は話半分にそれを聞き、何度も繰り返し練習した事を始めた。
ただ、今回は本番として。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師マーキュリー。
降り立つ風には壁を。四方の扉は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
そうして儀式が始まる。
ただ1つの妥協もなく、ただ1つの油断もない。
「
繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
今、召喚の儀を行う鶴野の頭にはその場にいる臓硯や雁夜どころか時臣の事すら頭になかった。
雁夜ほどではないが調整を受けている鶴野の魔術回路の使用での傷みは通常の魔術師のそれとは比べ物にならない。
そのような事を気にしていては集中など出来ないのだ。
「告げる――。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。 聖杯の寄るベに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
それでも鶴野はなおも集中し続ける。
全ては憎悪の文字のみで。
「誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
雁夜が見ても鶴野の四肢が痙攣しているのが分かる。
血管が破け、血が流れていても彼は通常の召喚のようにそれを行っているのだ。
「汝三大の言霊を纏う七天、」
「え?」「な……」
はたから見ていたギャラリー2人はその詠唱に間のぬけた声をあげるしかない。
鶴野は確かに通常通り召喚をやっている。
このままいけば確実に英雄が召喚できるだろう。
だがそれは真っ当な英雄であって、特殊な英雄ではない。
それは通常通りの召喚を行ってしまっていて、アサシンを召喚するための間の二小節が抜けているのだ。
これではアサシンは召喚できない。
「莫迦野郎……! それじゃあ通常の召喚だぞ!」
雁夜はそう叫ぶが時既に遅し。
もはや詠唱は取り返しのつかないところまで来てしまっている。
「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
そうして陣に集まる魔力がそれを燦然と光輝かせ、そこから雷と風を生み出す。
召喚の陣に具現化する、人の身でありながら人の域を越えた者。
その存在がこの召喚がとりあえずは成功した事を証明していた。
が、
「あ……ががが……!」
その召喚の際に魔力をごっそり持っていかれた鶴野はそれを見る余裕はないが。
その存在は女性だった。しかも雁夜から見てもその美貌は実感できた。
赤毛は惜しげもなくウェーブかかかって腰まで垂れ下がり、服は古代のように布で簡素にできていた。
腕は細いと言うより引き締まっていて、華奢に見えても戦うものとの印象を抱かせる。
そして何より驚いたのはその風格だった。
まるでそれは人の上にたつ者がもつような威厳あるもの。現代風に言うならカリスマ性がある。
その容姿、風格、物腰。全てが彼女を人ならざるものに見せる。
ありたいていに言うなら絶世の美女であったが、それでははかれない何かが彼女にはある。
雁夜は確信できた。
間違いない。彼女は正英雄だ。
鶴野が望んだ暗殺者の反英雄などでは決してない、と。
「……」
サーヴァントらしき女性は喉に爪を立てながら転がる鶴野を見ると、彼の体をそっと押さえる。
そして彼の口元にどこから取り出したのか、入れ物に入った液体を飲ませてゆく。
召喚されていきなりマスターを殺すサーヴァントもいないだろうと臓硯と雁夜はそれを静観する事にした。
痙攣を起こしながらもその物体を飲んでゆく鶴野。
そうして数十秒後、鶴野の体が大きくそると、次には元の落ち着いた様子に戻っていた。
「が……は……っ!」
「ふむ……どうやらわらわの知る魔術師とはまた違った方法で魔術を行っているようじゃが……あいにくわらわにはその程度しか出来ぬゆえ」
鶴野が自分で体を支えるのを見ると、彼女は鶴野の真正面に立つ。
微笑を浮かべる女性を何とかして視界に捕らえようと鶴野はあごを上げた。
「では問おう。そなたがわらわを呼び出し者と思うのだが、いかに?」
「あ? ……ああ。そうだ。俺がおまえを呼び出した」
少し落ち着いてきたのか、息は荒いが女性の問いに答える鶴野。
出来うる限り尊厳を持ってそうしようとするが、まだ頼りなさげだ。
「では後ろのいる者たちはそなたの同盟者か?」
「え?」
あごでさししめす様子はまるで自分よりも立場が低いものにするかのような仕草だった。
そしてその先にいるのは臓硯と雁夜。
「苦しむそなたを前に何もせなんだので放っておいたのじゃが、あやつらはそなたと同じように魔術師じゃろう。ならば……」
「あ、ああ。なるほどね」
つまり敵なのではないか、そう言いたいのか。
マスターとなった者以外の魔術師は全て敵。
それだけ疑ってかかる事は聖杯戦争においては当然の事だろう。
当然それは身内だろうと例外ではない。
敵だと認識させて2人を殺すのも一興だが、まだあの2人は鶴野にとっては必要な存在だった。
「まあそうだな。老人は俺の師匠で、青年は俺の舎弟だ。一応手は出さないでおいてくれよ」
「舎弟……」
あながち間違いではないのであえて訂正はしないが、言いたい事が山ほどできた雁夜だった。
「よろしい」
女性はそれに満足したのか、警戒をある程度解く。
そして腰に下がった曲刀を床に立てた。
「わらわはアサシンのクラスを依り代に現界したサーヴァントなり。これよりそなたの命運はわらわと共に、わらわの信念はそなたと共にある」
この場にふさわしくない透き通った声で彼女はそう高らかに宣言してのける。
その声にいっぺんたりともマスターへの懐疑はなく、また自分の立場も心得ているようだった。
「ア……アサシン?」
だがその声や物腰よりも、鶴野はその言葉に疑問を持たない事ができなかった。
「臓硯、あれはどういう事だ? アサシンとして召喚されるのはハサンだけではなかったのか?」
「ふむ……意外と言えば意外か」
雁夜もまた共通の疑問を臓硯に投げかける。
先にもあるように、アサシンは通常ハサン・サッバーハのみ召喚される。
なぜならアサシンの語源がイスラム教ニザール派の侮蔑用語から来ており、すなわちハサン・サッバーハがその起源だからだ。
ゆえにアサシンはハサン・サッバーハのみのクラスのはずである。
にもかかわらず、目の前にいる間違いなくハサン・サッバーハではないと断言できる女性はアサシンだと名乗った。
その存在そのものが既に暗殺者とは言いがたく、むしろ本人がそうだと言っても信じがたい。
ならなぜその女性がアサシンなのか、疑問が尽きなかった。
「セイバー、ランサー、アーチャー。これらは全て武器に関したクラス。ライダー、キャスターはその動作に関したクラス。そこまでは分かるな?」
「それがどうした」
「だがな、バーサーカーとアサシンは違う。前者は北欧神話のベルセルクを起源とし、後者はイスラム教ニザール派の者を起源とする。
つまり、ベルセルクは元々ヴァルキュリーどもと同じように固有名詞に過ぎなかったと言う事じゃ」
息をのむ雁夜。
バーサーカーがヴァルキュリーと同じ。
つまり、本来ならばバーサーカーもアサシンと同じようにその起源となったもの達のみ召喚されてもおかしくないはずだ。
が、現実はそうではない。これはなぜだ?
「ではバーサーカーにあってアサシンにないもの。それは資格だろうて」
「資格……英雄になるためのか」
雁夜もようやく臓硯の言いたい事に気づく。
その臓硯は何が面白いのか、ただ笑っていた。
「左様。アサシンのクラスに該当する英雄がハサン・サッバーハ以外にはとてつもなく少ない。狂って逸話を残せばよいバーサーカーと違い、
暗殺によって英雄視されねばならぬのだからな。万一該当する英雄が現れようとも、他の六クラスのいずれかに該当する英雄ばかりなのでな。
かのギリシアの大英雄ヘラクレスなどその典型じゃろうて」
「つまり、ハサン・サッバーハ以外をアサシンとして召喚する意味が全くないと?」
「故にそのようにしたはずなのだが、前回で些細なミスが生じたか……?」
前回の事を言われても雁夜に知る術はない。
文献も残っていなければ臓硯が話してくれるはずもない。
「そうなのか?」
臓硯の説明を聞いていた鶴野はアサシンと名乗った女性に聞いてみた。
ふむ、と彼女はうなり、
「そうじゃな……強いて言うならばセイバーに該当しなくもない。イレギュラーなクラスになる事もないじゃろうから、
セイバーかアサシンがわらわの適正クラスじゃろう」
「じゃあなんでアサシンなんだ?」
「先にセイバーが召喚されてしまっておるようじゃのう。こればかりはわらわにもどうしようもない」
間桐よりも先に召喚を行う者達。
3人には心当たりがあった。
すなわち、遠坂とアインツベルン。
「まあいいさ、そんな事より……」
クラスの事はもうどうしようもない。
ハサン・サッバーハでなくてもアサシンとして召喚されたのだから、それなりのものがあるはずだ。
その肝心な事を訊かずにはいられなかった。
「アサシンのクラスで召喚されたからにはそれにあった宝具があるんだろう。見せてもらおうか」
当然それはアサシンの実力だった。
ハサン・サッバーハがアサシンとして召喚されたなら問題ない。
どう考えてもその宝具は相手を必殺する手段に他ならないだろう。どのような手段にしろ。
だが目の前にいるのは得体の知れない絶世にも近い美女。アサシンとは想像も出来ない。
その秘密が宝具にあると睨んだのだが……、
「無理じゃ」
あっさり否定された。
「は?」
鶴野は間の抜けた声を発してしまう。
「わらわの宝具はそれこそそなたの魔力と生命を根こそぎ持っていきかねん。わらわ自らは使わぬようにするゆえ、
どうしようもないと覚悟を決めたときに使用許可の命令が欲しい」
「な……っ!」
そんな莫迦な話があってたまるか。
宝具が使えない英雄に勝ち目などあるものか。
宝具は英雄が英雄である証。くだけて言えば代名詞のようなものだ。
それが使えないとなればカニ鍋にカニが入っていないものになっているようなものだ。
我ながら頭の悪い例えだと雁夜は苦笑するが、一流の魔術師が使役する宝具を使える英雄を相手にするとなれば笑い事ではすまない。
「それと説明も差し控えておこう。「宝具があるから安心」と思われては困る。ないものとして戦略を練ってもらいたい。
それが嫌ならば別の方法をもって魔力を供給する手段を確立して欲しい」
「ふざけるなよおまえ……!」
鶴野はあまりの態度に怒りをあらわにした。
そのこぶしは震え、今にも殴りかかりそうなほどだった。
「本来アサシンになる者たちの宝具、なんと呼ぶのじゃ?」
「は?」
唐突につぶやかれた単語に鶴野は怒りを忘れてあっけにとられてしまう。
聞いたアサシンはいたって普通で、鶴野の先ほどまでの怒りを全く気にしていないようだ。
こんな時になぜ本来アサシンになる者、つまりハサン・サッバーハの宝具の事など聞くんだ?
わけが分からない。
困惑する鶴野だったが、
「ザバーニーヤ、だが」
一向に進みそうもないので臓硯が教える事にした。
アサシンはその単語の知識を聖杯から獲得し、うなづく。
「イスラム教での神から地獄を任された天使たちの総称か。なるほど、確かにそれは暗殺者らしい名称じゃて」
アサシンは刀を鞘から抜く。
抜き身となった刀が暗い地下室で不気味に輝く。
その刀からは魔力を大して感じない。
ただ博物館で見かける量産品でない事も分かった。
これからこいつは何をしようとしているんだ? まさか自分より魔力の高い臓硯にマスターを移す気では?
不安にかられる鶴野をよそに、
「異教の名称ではあるがわらわはそやつらの代わりとしてこうしている身。生前は無銘ゆえ、この技術はそのように名づけよう」
アサシンは鶴野から視線を外す。
彼女の視線の先にあるのは蟲が住処とする多数ある穴だった。
そして、
「
刀を一閃した。
何の対象もない。刀は空を切っただけだ。
ただその一振りは、戦闘に関しては素人の鶴野や雁夜でも魅了されるほどに優雅なものだった。
その一閃を見ただけでため息が漏れるほどに。
戦闘に必要なのはむしろ技術や豪快さであり、優雅さは見せる剣技ではあるが、心動かずにはいられなかった。
それでもあくまでそれは刀の一閃。
フィクションにあるように刀から衝撃波やかまいたちが発生する様子もなければ魔術の発動も起こらない。
通常戦闘は申し分なさそうだが、それがザバーニーヤと何の関係が……。
「む……!?」
最初に異変に気づいたのは臓硯だった。
彼はアサシンが刀を振った方向、穴を見つめている。
雁夜と鶴野もそれに追随して穴の方へと意識を移してみる。
そうして気づく違和感。
「こ……これは……!」
この場にいるのは鶴野、雁夜、臓硯、アサシンの4人。
蟲蔵の中で生命の息吹を感じさせるのはこの4人だけだ。
それは本来あってはならない事だった。
蟲蔵に無数にいるはずの蟲の息吹を感じさせないのだ。
「あれらはそなたらの使い魔と判断したので死んだように眠らせておいた程度じゃが、本気を出せばこの程度では収まらんじゃろうな」
今度は露払いするように刀をふるい、鞘に収める。
さも当然のごとく言い放つアサシンではあったが、それは3人にしてみればとんでもない事だった。
「無数にいた蟲どもを一瞬で行動不能に……」
「これがわらわの『毒の調合技術』じゃ。おそらくはこれとこれによって成し遂げた事柄がわらわをアサシンとした要因じゃろう」
鶴野はつばを飲み込んだ。
そして自然と顔が歓喜で歪む。
毒の調合技術。
毒と薬は表裏一体だから鶴野を楽にしたものはその技術の賜物だろう。
これを用いればいかに敵が英雄であろうと、かすり傷1つで屠る事も出来る。
そして、アサシンらしくマスターを不意打ちの一撃で暗殺する事も。
間違いない。彼女は自分にとって最高のカードだ。
鶴野はそれを確信し、歓喜以外の何も感じなかった。
これならば作戦次第で遠坂時臣を抹殺するどころか、過去祖先が成し遂げられなかった事を落第と称された自身が達成できるのだ。
それを歓喜せずに何が出来よう。
「それと宝具や魔術を使わぬ通常戦闘ならばどのような英雄だろうととりあえずひけを取らぬ戦いはできよう。
まあその点に関しての説明は追々するとし……」
アサシンの言葉もほとんど耳に入ってこないまま、鶴野は小躍りしたい衝動を必死に抑える。
彼女は更に鶴野に説明しようとするが、ほとんど聞いていない様子にいささかあきれる。
「ちとすまぬ」
「うえ?」
その鶴野の顔を両手で持ち、強制的に自分の方へと向けるアサシン。
首がいい音を鳴らしたのはどうでもいいことだ。
そしてアサシンはただ驚く鶴野のでこに自身のでこをくっつけたのだった。
「あ"」
その瞬間、鶴野の全身を蟲に這いずり回られる。
いや、魔術回路は起動していないから現実に蟲に這われているわけではない。
ただそのような感覚に襲われているだけだ。
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!」
問題はそれが許容できるレベルにないという事なのだが。
声にもならない、奇声に近い絶叫を上げる鶴野。
自分からその感覚を受けに行くのではなく、不意をつかれたので噛み殺す事も出来ない。
まるで本当に魔術回路を起動したかのような実感。
自分の体が生きながらに貪り食われる感覚を味わい続ける。
頭を固定する手を引き剥がそうとするがアサシンの力に勝てるはずもなく、抵抗も無駄に終わる。
アサシンのクラスに当てはめられていても相手は英雄。力では一般人並の鶴野では万全の状態であろうと引き剥がす事は不可能だが。
「額に集中せい。意識を集中させればそれほど絶叫するほどではないはずじゃ」
「う……っ!」
確かに不意をつかれて思わずそうしてしまったが、なるほど。確かに本当に起動したほどの事でもない。
何とか歯を食いしばり額に意識を集中させてみる。
と、
「何だ……これ?」
何かが見えてきた。
漠然としてはいるが、何らかの評価を見せているように見える。
「これでそなたはマスターとなった特権。すなわちサーヴァントの能力を見る事ができるようになっておるはずじゃ。始めゆえにこうなってしまったが、
以後は苦労もせずにわらわと他のサーヴァントの比較検討ができよう」
「それならそうと早く言えよ!」
「聞く気がなくうかれておったのはそなたじゃろうが!」
怒鳴りあうマスターとサーヴァント。
「……俺、こんな奴にマスター権で敗北したのか?」
思わず頭を抱えたくもなってくるが、現実逃避をしても始まらない。
現実が目の前にある以上、それを受け入れてかつその後にどうするかを決めなくてはなるまい。
雁夜はそう自分に言い聞かせはするが……やはり目の前の現実に憤りを覚える。
「さて、では最も重要な事を伝えるとしよう」
言い合いもそこそこに、アサシンはため息1つもらす。
そのしぐさにまた怒りが芽生える鶴野だったが何とか平常心を保つ。
「宝具、技術、能力、他に重要な事があるのか?」
「真名があるじゃろう」
「あ」
忘れていた。彼女はアサシンとは言え正規の者ではない。
当然真名は別に存在しているはずだ。
「そ、そうだったな。なら早く言えよ」
「……言い方にやや不満はあるが、まあよい」
自分で肝心なところに思い当たったかの言い方に不満げにつぶやくアサシンだったが、その程度で済ませておく。
彼女は自分の胸に手を当てて、
「わらわの真の名は――」
そして彼女は真名を述べる。
それに驚くのは聞いた鶴野だけでなく、雁夜や臓硯もまた同じだった。
正英雄でありながらアサシンの条件を満たす行為も行っている。それが彼女だったからだ。
だが触媒なしで引き当てたにしてはとてつもなく強力なカードだとは断言できる。
「それではそなたの名を教えてもらいたい。これでわらわとそなたの契約は完了じゃ」
「ああ、そう言えばそうだったね」
満足げな笑みを浮かべつつ鶴野は自分の名を誇らしげに述べる。
「俺は間桐鶴野だ。今後はよろしく頼むよ」
「うむ、よろしく頼むぞよ」
鶴野とアサシンは笑みを浮かべつつ互いに握手を交わした。
これで自分の目的を達成するという今まで非現実的だった事柄が現実味を帯びてきた。
こいつがいる限り、絶対に達成してみせる。
どんな英雄を召喚しようが、それを上回る戦略を練ればいいのだから。
アサシンにも聖杯戦争に参加する目的があった。
当然英霊でありながら魔術師の使い魔となるのだから、それに見合ったものを求めるのは当たり前だ。
マスターは魔力面で不満が残るものの、これならば勝ち残る事も可能だ。
お互いに思いに違いがあろうとも、この握手は本物であった。
――と、ここで終わればもしかしたら美談でまとまっていたかもしれないが……。
「……」
鶴野は先ほどアサシンから見せられた能力値にやや不満があった。
たしかに有名な英雄を呼び出せた事は僥倖だが、宝具が使えない上に能力値はマイナスの棒がいくつもついている。
白兵戦となった時に逃げられるだけの能力値をもっていなければ話にならない。
と言ったところで目の前の英霊は他人を犠牲にするやり方で魔力を集めようとは思わないだろう。
鶴野自身の魔力のたくわえはなく、このままだとこの状態で戦争に突入する事になりそうだ。
不安を残したままで。
「あ、そうそうアサシン」
「なんじゃ? 魔力消費を抑えるべく霊体化しろと言うのならその通りにいたすが……」
鶴野はアサシンの言葉を首を振って否定する。
その笑みは臓硯と並ぶほどに黒いものだった。
「オマエさ、雁夜のやつと寝てくれない?」
「は?」「何……!?」
その言葉に、その場にいた全員が驚愕の声を上げた。
言った本人と臓硯を除いて。
「おぬし、何を考えとる」「鶴野、おまえ何を……!」
アサシンと雁夜はお互いと鶴野を交互に確認した上で全く同時に質問を投げかける。
ただ2人の表情は全く違ったが。
アサシンは「こいつ何考えてんだ?」とあきれ果てているし、雁夜は「ふざけんな」と言いたいほどに憤慨している。
が、鶴野はそんな2人の気持ちを知った事かとばかりに胸を張る。
「決まってんだろ。魔力が足りないんだから雁夜とパスつなげてそっちからも供給できるようにするんだよ」
「な……」「に……!?」
再び2人は互いを見る。
もちろんお互いに鶴野が言った言葉の意味は十分に理解できる。
足りない分は余所から持ってくるのが魔術師。
鶴野1人ではアサシンを十分に支えきれないが、雁夜と2人ならば宝具も使用できるようになる。
そしてそのラインをつなげる方法で一番簡単なのが体液の交換で、その中でも性交が一番手っ取り早いのも分かる。
「う……うーん……」
アサシンは自分の真名とサーヴァントとしての立場を比較し考えると悩む。
確かにその方が能力値もアップするだろうし、宝具も一回は使用できるようになるはずだ。
だが生前の彼女は立場を考えると、おいそれと体を投げ出すのには抵抗がある。
「う……ぐ……」
雁夜は現実と理想を比較し考えると悩む。
アサシンの話では今の状況では宝具は使用できない。これでは並居る強敵を相手に絶対的な不利に立たされるだろう。
ならば鶴野の提案はそれを一気に解決する術ではあるが……、
なぜか雁夜の頭に真っ先に思い浮かんだのは葵だった。
葵、自分が誰よりも大切だと思った女性。
年上の幼馴染、今目の前にいる鶴野よりはるかに姉弟らしかったかもしれない。
あの瞬間の慎ましい笑み、あれは絶対に忘れる事はできない。
だからこそ、雁夜はどんな手段を用いようとも未来を手繰り寄せたかった。
例えそれが自分の気持ちと決定的に反していても。
「おい雁夜。おまえ俺の手伝いするんだったらそれぐらいはやってほしいね。別に始めてってわけじゃないだろ」
「……分かった」
「あ、そうか。おまえアイツに嫁いだ……え?」
なおも言葉を発そうとする鶴野は意外との表情を見せて雁夜の方を見る。
しばらく雁夜の言葉を考えていたが、
「おまえ、今なんて言った?」
「分かったと言った。やってやろうじゃないか、性交でもなんでもな」
もう一度雁夜の真意を確かめる。
しばらく唖然としていた鶴野だったが、ようやく理解に至ると笑みを浮かべる。
思いのほか自分の案が通った事に満足したらしい。
「まあいいや。おまえが誰をなんと思おうと俺の知った事じゃない。俺の邪魔さえしなけりゃいいんだ」
そう言いながらきびすを返すと、鶴野は満足したままで手をひらひらさせて出口へと向かってゆく。
「じゃ、アサシン、雁夜。頼んだからな」
そう言い残して出て行った鶴野を雁夜は睨んだままだった。
そうして場に静寂だけが戻る。
雁夜とアサシンはお互いを見はするが、言葉を交わそうとしない。
ああは言われたものの、お互いに気がひけるのは間違いなかった。
「……致し方あるまい。どうやらそなたはわらわなど目にも入らないほど誰かを思っているようじゃな。ならばわらわと行為を行うのは不本意じゃろう」
長い沈黙の後、口を開いたのはアサシンだった。
その口調は動揺も重さも感じさせず、さっきのままだった。
「この状態でも戦闘を行えるじゃろうし、そなたは……」
「契約と割り切ればいい」
その言葉を重い口調で雁夜はさえぎる。
彼の表情は硬く、冷たかった。アサシンはそれを見て若干驚く。
「そなた……」
「時間も惜しい。早くやるぞ」
だがアサシンは見えた気がした。
果てしなく冷たい雁夜の表情の中に、静かに燃えさかる何かがある事を。
そして、そのためならば何であれするだろう事も何となくだが悟った。
毒の調合を行うのだからアサシンはある程度人体の知識がある。
雁夜をその目で見れば、もはや生きているのが不思議なほどにボロボロになっている。
もしその静かに燃えさかる何か、その目的が彼をそうさせたのならば……、
「そなた、すまぬが名はカリヤでよいのじゃな?」
「……ああ、そうだ」
「そうか、ならばカリヤよ」
アサシンはその玲瓏な容姿からは考え付かないほど堂々とした物腰で雁夜の真正面に立つ。
不敵な笑みを浮かべると、
「女王であるわらわの存在全てにかけてビャクヤとそなたの理想を達成する事を誓おう。何人たりとも脅かす輩を存在させぬとな」
断言した。
普通の人なら大胆不敵とも言えるほどに彼女は断言した。
あまりの雄々しさ、雄大さにあっけにとられる雁夜。
その美貌もたたずまいも彼には目に入らない。彼の心に響いたのはアサシンの言葉、そして在り方だった。
そしてふと思う。
彼女ならば、果てしない道をも乗り越えられるのではないかと。
それがどれほど困難な道で、その行程を考えると目も覆いたくなるものであったが、それでも思わざるをえない一瞬だった。
鶴野がマスターであっても、彼女が自分のサーヴァントでなくても、至れるのではないか。
まだ聖杯戦争は始まってもいないが、それでも……。
「……ああ。よろしく頼むぞ」
だから自然と笑みがこぼれる。
雁夜は進むしかない。脱落する事は自分の存在が許さない。
だが、こんなサーヴァントとならば進む事が出来るかもしれない。
そんな事を思いながらそう述べるのだった。
interlude out
/補足
結果的にアサシンは正規のマスターである鶴野の他に雁夜からも魔力を貰う事で通常まで能力値を戻した。
宝具も一回ならば使用可能だと言う事でその詳細を2人に教えた。
アサシンは雁夜に対し痛覚を和らげる薬を提供したが、彼はそれを拒否した。
話し合いの結果、宝具はいざと言う時のためにとっておく事にし、主に前半戦は静観に徹するで意見は一致した。
『毒の調合技術』。これの本領を発揮するためには条件が必要と言う事でその条件もまた満たす事にした。
ただし、遠坂時臣のグループに関してはその限りではなく、隙あらばどのような状況であろうと攻撃を仕掛けさせる事にした。
マスターである鶴野の日常生活からその行動パターンを導き出せないために『慎一』という偽名を使う事でも一致した。
これによって間桐の者であるかも分からないし、分かっても鶴野と雁夜のどちらがマスターなのかの判断はさすがにできまい。
現にその名で申告もしたのだから、ばれるはずもない。
そして昨日の出来事。遠坂時臣のサーヴァントだった征服王イスカンダルは交戦していたランサー、ローランと思われし英霊と入れ替わる形となった。
時臣のサーヴァントがランサーになったとて彼らのやる事はとっくに決まっていた。
ただ、行動に移ろうと思えば移れる段階にまでは行っていた。
現在アサシンが戦いを目撃していないのはアーチャーのみ。
アーチャーのマスターがアインツベルンの者であるとすれば、おそらくそのチームこそが最大の障害となるだろう。
だが問題ない。
セイバーを始めとして、今回の英霊達は誰もが奇跡に至れるだけの存在である。
ランサーを始末して時臣を脱落させ、後はお互いに争うのを見ていればいい。
そして最後に残ったチームのマスターを手早く暗殺し、弱体化したサーヴァントを葬ればそれで終わりだ。
これで彼らの目的は達成される。
すなわち、遠坂時臣を魔術師として抹殺し、魔術師として落伍者の烙印を押された自分が一流の魔術師ですら成し遂げられなかった奇跡に至る事。
すなわち、遠坂時臣に引導を渡し、女性と少女に明るい未来をもたらす事。
道は果てしなく険しい。
だが、彼らには不屈の思いがあった。
多分続くんじゃないか?
間桐サイドの辻褄合わせ終了。思った以上に苦労しました……。
間桐慎一(自称)の正体は始めから慎二の父親にしようと思っておりました。それは第四次でその弟の雁夜がマスターだと分かっても変えてません。
参戦理由は単純に時臣への憎悪。裏設定として彼らは同級生で(凛と慎二みたいに)、自尊心を傷つけられまくった復讐、だったり。
問題は桜の事をどう思っているか、だったのですが自分が考えていた事をFate/Zeroで雁夜がやってくれたのですんなり解決。
……でもプロットも何度も変えてますから、この話もZero次第で変わるかもしれないと思うと……はあ。
次はアインツベルンサイドの辻褄合わせだと思います。
それでは次の舞台で。
2007年3月25日
今回「鶴野と雁夜が同じ処置受けてるのになんで鶴野はふてぶてしいのか?」との意見をいただいたのでここで理由を列挙。
@鶴野は雁夜と違って元から間桐の魔術師である。
Aマスターとなるための処置は一年の短い期間ではなく、数年もの長い期間を置いていたので負担は雁夜ほどではない。
B遠坂時臣への個人的恨みから参戦した上に、負担は雁夜にある程度押し付けている。
と、考えています。……これで納得していただければ幸いです。
そして「体に異常が起こっているのに他の人から疑われないの?」との意見の返答は、
@上にもあるように鶴野は雁夜より症状が軽い。
Aアサシンのスキル、調合によって見かけ上は回復している(中身はいざ知らず)。
B鶴野自身も一般人に見えるよう工夫(髪は黒く染めてメイクもある程度する)。
C『本当に』疑われてないかは不明。
と、考えています。いずれ本編で書きそうですが、当分先になりそうなのでここで。