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世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団、略してSOS団。
文芸部の長門さんと書道部の朝比奈先輩を説得――と言っていいかは疑問が大いにあるけれど――してついに発足となった新たな活動。内容は涼宮さんの頭の中に思い描かれているのみで書類上はいまだ非公式。それでもここにあることには違いなかった。
朝比奈先輩は桜色の唇をぽかんと開けたまま、長門さんは本の虫、キョンは前途多難だとばかりに目を覆い、私は微笑をうかべるだけだ。
「じゃあ毎日放課後ここに集合ね。今日はこれで解散でいいわ」
涼宮さんは私達全員にそのように言い渡して荷物を手に取り、
「ところで佐々木さん」
今思い出したとばかりにこちらに顔を向けてきた。
「あなた確か他にクラブ活動してたわよね。みくるちゃんも辞めたんだから佐々木さんも辞めなさい。我が部の活動の邪魔だから」
「涼宮さん、兼部は無理なの?」
「当たり前じゃない。そんなことしてる暇なんて無いわよ」
兼部は無理か。一体どれほどの活動をするつもりなんだろう。未だに涼宮さんの構想を読み取れないおかげで首を傾げるしかない。
「分かったわ。じゃあ明日にでも今所属してる部活には退部届けを出しておくから」
ただ、朝比奈先輩に同じ質問をしてくれていたおかげでその答えを考える時間はたっぷりとあった。
要は今所属している運動部と、これから関わる事になるだろう涼宮ハルヒの団が天秤にかかっただけの話。まだ入部してから二週間も経っていないから退部の意思を示しても部にはなんの損害も出ないだろうし、特に配慮も必要ないはずだ。
「なにっ!?」
「さすが佐々木さん。話が早くていいわね!」
しかし私の意志を聞いたキョンはまるで人類が滅亡する可能性を示されたように驚愕の声を上げ、対称的に涼宮さんは指を鳴らしてひまわりも顔負けなほどさわやかな笑みを見せる。
「佐々木、おまえ正気か?」
「もちろん正気だとも。キョンの方こそ文庫でよく見かける絵に描いたような愕然を見せてくれているけれど、そこまで動揺する発言だったかい?」
「ありえん……」
キョンは今にも信じてもいない神に向けて「神よ」と言いそうに顔に手を当てる。
「まさか佐々木が何をするかわからん部……もとい、団のためにせっかく入った運動部を無碍にするだなんて。どうやら俺の中の佐々木を書き直さなきゃならんようだな」
「そうだね。たしかにこの団は設立経緯、部員召集を含めて変な団と呼ぶにふさわしいものだろう。正直先行きを考えると不安でたまらない。タイタニックが航路途中で氷山に激突する可能性が考慮されていたらきっとほとんどの客は乗船しないだろう」
涼宮さんが中学時代に行った事を今度は私達の手助けを得て更に向上させて行うかもしれない。私が考えるに谷口くんの評価こそが普通に違いないはず。私自身「じゃあこれやって」と命令されても素直にうなづけないと思う。
実を言うと団そのものを考えたならばきっぱりと断っていたはずだ。同好会設立に必要な五人がそろってしまえば私がこの団に固持する必要は無く、たまに顔を出す程度で十分のはずだ。
「けれど……」
私には不思議な事にそんな気はさらさらなかった。
ええ、そうね。私はきっと涼宮ハルヒが起こす何らかのアクションを見たいのかもしれない。結果はどうでもよくて、涼宮ハルヒが成し遂げようと行う過程を共に体験したい。私が体験してきた今までの人生の中では決してなかったものを。
「僕は涼宮さんと共に歩む事にするよ。うん、それがいい」
だから私は確信を持ってうなづく事ができる。
「ろくなことにならんぞきっと」
「部活を含めた学生生活と勉強の両立は元々するつもりだったからね。それが運動部からこの団に変わっただけさ。元々運動部にも幅を広げたかったから参加しただけだったから未練はそれほどない」
それに息が詰まるほどの目まぐるしさではないはずだから、他にやりたい事ができたらその時間を割けばいい。一年の間は授業をしっかり受けて基礎を固めればいいから、予備校も考慮外にする。
「しかし……いや、お前が決めたんなら間違いは無いだろ」
キョンは僕への説得をあきらめたのか、肩をすくめていすに座りこむ。
涼宮さんは感心感心と満足そうにうなづくと、改めて解散を宣言した。肩を落としてトボトボと立ち去っていく朝比奈先輩にキョンは声をかけた。
「朝比奈さん、別に入んなくていいですよあんな変な団に」
「いえ、大丈夫です。あなたもいるんでしょう?」
流されて物事を決める彼ではないのに現状にいる自分を不思議に思ったのか、キョンは首をかしげるだけだった。
さて、SOS団設立を涼宮さんが宣言してから、文芸部は徐々に団の色に染まってきた。日本茶セットはともかく冷蔵庫や土鍋セットを持ってきたのには若干苦笑した。けれど、
「コンピューターも欲しいところね」
の一言で始まったパソコン強奪……もとい、拝借事件には口を開くしかなかった。たぶん一台数十万はするどんな最新のゲームにも耐えられるだろうハイスペックを兼ね備えたパソコンを使って何をするのかと思ったら、ホームページ製作だけだったと知ったらもう唖然とするしかない。
当然と言えば当然だけれど、もはや有名になった涼宮さんの伝説に一つ書き加えられたようで、今も何かを計画していると噂になっているらしい。手段はともかく有名になるのは良い事かもしれないけれど、
「佐々木さん、涼宮さんと何をたくらんでいるの?」
このように朝倉さんににこやかに言われた時はお茶を噴き出しそうになってしまった。
「ごめんなさい、なんですって?」
「運動部辞めちゃったんだって? まだ二週間も経たずに退部届けを出したと思ったら涼宮さんと関わってるんですって」
「ええ、それは事実だけれど……」
確かに私やキョンが涼宮さんの協力者だとも噂になっていることは知っていたけれど、さすがにこう面と向かって断言されると苦笑いするしかない。
この際共犯者になっていたのは棚上げして、涼宮さんが何を考えているのか考えをめぐらせた。可能性はいくつも頭に浮かぶけれど、自論を展開するのは野暮だと判断して、
「分からないわ。私も楽しみにしているところ」
肩をすくめながら首を横に振るにとどめた。
「何事もほどほどにしておいてね。義務教育と違って問題を起こしたら処分が厳しいわよ。あなたがしっかりブレーキ役にならないと」
ブレーキ役か。あいにく私はそっと手を差し伸べたり静観する事があっても、自分から人を妨げようと思ったことはあまり無い。何しろ今のところ私にとって厄介な問題点が何一つ無い。それに涼宮さんが次に何をするのか楽しみにしている自分を肌で感じている。
不本意だとため息をもらしているキョンには悪いけれど、私は彼女を誘導する事はあっても停止させる事はないつもりだ。
そんな決意を固めた私を小一時間ほど問い詰めたくなるような事件が起きてしまった。
「じゃあああん!」
彼女がSOS団の活動の片鱗を綴ったビラの入ったのとはまた別の紙袋から取り出したのは、正直これが私の現実生活で関わってくるとは夢にも思わなかったが、バニーガールの衣装だった。
「これなんてドラ○エ?」
「それ、正直俺も思った」
もはや私とキョンは絶句するしか道が無かった。
「まさか全員そんな風なのに着替えるの?」
「いえ、二着しか買えなかったらあたしとみくるちゃんだけよ。フルセットだから高かったんだから」
「そ……そう」
私と長門さんが外れたのは多分スタイルが前面に出るコスチュームだから。暗にその事実を突きつけたれているようで少し落ち込む。それでも朝比奈先輩には申し訳ないけれど、私はさすがにこういった衣装はちょっと遠慮したい。
「佐々木、何か反論してやってくれ。このままじゃマジで公序良俗になりかねん」
キョンは眉をひそめながら涼宮さんには決して聞こえないようひそひそと私に語りかけた。それで私もようやく我にかえる。これを目の前にして自分の事だけしか考えられなくなっていた事にやや衝撃を受けてしまう。
「気持ちは分かるから頼む。この奇怪な団体最後の堤防であってくれ」
その言い草だとキョンは止めないのかい? 朝比奈先輩に、
「今度あいつ(涼宮さん)が無理やり朝比奈さんにあんなこと(パソコン寄贈事件)しようとしたら、俺が全力で阻止します」
と豪語していたのは嘘偽りではないんだろう?
こうして私とキョンがはた目から見ればあきれ果てるだろう会話を繰り広げている間にも、涼宮さんは朝比奈先輩を追い詰めつつある。指の動きはイソギンチャクが小魚を絡めとろうとしているようで、一歩間違っていたら私があれの餌食になっていたかと思うとぞっとする。
しかしこのままでは朝比奈先輩が瞬間脱衣術の餌食になるのは目に見えているので、
「涼宮さん、ビラ配りにバニーガールが必要な理由は?」
一応反論してみる事にした。いささか言葉が上ずっているのは気のせいよきっと。
「その方が注目度がバッチリだからよ! この格好ならたいていの人間はビラを受け取るわ。そうよね!」
「確かにそう……いえ、違うわ」
思わず肯定しそうになって、かろうじて残っていた思考能力が止めてくれた。
このまま見過ごしていたら間違いなく生活指導室まっしぐらだ。けれどそれを指摘しておとなしくやめる涼宮さんとはとても思えない。正当法が通じないのなら、ここはからめ手を使うしかない。
「涼宮さん、あなたはもっと萌えを重要視するべきよ」
「…………すまん、何だって?」
一瞬空気が死んだ。キョンはまるで丁寧に組み立てられた積み木の塔が音を立てて崩れたような表情を見せているし、さすがの涼宮さんも意外なものを見る目をしていた。
気持ちは分かる。私だってこんな事で議論はしたくない。けれどここは涙を呑んでするしかない。
「これほどの顔、体つき、あどけなさ。確かに朝比奈先輩にはバニースーツも似合うかもしれない。けれど、官能性に着目せずとも十分に魅力があるとは思わない?」
「それで?」
「だから侍女服でもチャイナドレスとかにこだわる必要は全く無く、学生服でも体操服でも十分なのよ。注目度を得たいのならもっと別の選択肢があると思うの」
キョンは私の意図を察したらしく、関心の声をあげてくれた。私もいたってまじめな表情を取り繕ったまま、心の中では笑っていた。
(なるほど、ビラ配り事態には何の問題も無い。だが制服のままでも十分だと認識させてコスプレを回避させるつもりか)
(くっくっ。もちろんこれは特徴が出ている朝比奈先輩だからこそ通用する手でもあるけれどね。涼宮さんの意見を持ち上げつつ更に上の、と見せかけた方法に誘導する。全員が納得して万事うまく方法だよ)
私とキョンは超能力者顔負けのアイコンタクトで意思疎通をしてみせた。
万が一涼宮さんが反論しても更なる材料をかかげて畳み掛けるだけよ。さあ、意見の貯蔵は十分か?
「そうね。確かに印象度を高めるためにはそれを考慮してもいいわね」
朝比奈先輩はその言葉を聴き、心底からほっとしたように胸をなでおろした。
「ええ、何気ないしぐさが人をよりひきつけるのだから、早速そのための資料を……」
「その必要は無いわ。あたしにいい考えがあるの」
そのような笑顔で断言されると南極で凍死寸前であっても救われると確信できそうだ。ただし、それが本当に救いになるとは限らないと思い知らされるまでかかった時間は三秒に満たなかった。
「大和撫子も大切だと思うのよ」
「……大和撫子?」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。このままだと大雨どころか猛吹雪が到来する予感がする。
「佐々木さんの体格はとってもスリムだから、きっと着物が似合うわよ。明日用意しとくから心待ちにしといて。有希もゴシック系みたいなちょっと怪しげな印象をかもし出すものが似合うと思うわ。三人とも素材はいいからやりごたえがあるわね」
「すまん、お前の言ってる事がさっぱり分からん」
キョンがたまらず頭痛を抱えるようにつぶやくけれど、涼宮さんは今の発言こそが世の中の常識だとばかりに胸を張る。
「だから今日はみくるちゃんのグラマーさを最大限に引き出せるこれでいくわ。さ、おとなしくなさい!」
「いやあああぁぁぁ!」
朝比奈先輩の制服は涼宮さんの手際の前にあっさりと陥落していく。彼女の悲鳴でなぜ他の部の方々がやってこないのか不思議……いや、そんな事考えてる場合じゃない。私が、たぶん救いを求めるような眼差しで、キョンに視線を送ると彼もまた行動に出るべきだと思っていたらしい。
(佐々木、強硬手段に出よう。ハルヒの暴走を止めるぞ)
(キョ……いや、分かった。悔しいけれど背に腹は変えられない)
(俺が朝比奈さんをハルヒから引き離すから、佐々木はハルヒを取り押さえてくれ)
(了解)
一連の会話を目線だけで行う。キョンは決意を込めて朝比奈先輩の方を向き、足を上げかけると、
「見ないでぇ!」
この場面で至極当然の主張を最も言われたくない時に言われてしまった。
「えっ、あの、先輩?」
「ええいくそっ! 鍵が……!」
もはや私達には大急ぎで廊下に脱出するしかなかった。その時長門さんはまるで何事も無いかのように読書を続けていた。
閉めたドアから漏れる朝比奈先輩の悲鳴と涼宮さんの勝ち誇った雄たけびを背に、私はがっくりとうなだれるしかなかった。
「……どうやら墓穴を掘ったどころか頭から飛び込んでしまったようだね。弁解の余地も無い」
「気にするな。この奇怪団の発端はそもそも俺だ。しかし佐々木にしては随分と珍しいミスをしでかした事は否定しない」
本当、自分のペースを乱されて歯車が狂うばかりだ。
ちなみにビラは半分ほどしか配っていなかったが、涼宮さんが生活指導室に連れて行かれてしまったために中止になった。
「キョンよぉ……いよいよもって、おまえは涼宮と愉快な仲間達の一員になっちまったんだな……。やっぱ世間は広いや」
「ほんと、昨日はびっくりしたよ。帰り際にバニーガールに会うなんて」
谷口くんと国木田が続けざまにキョンへと言葉を投げかけてくるのを彼はうるさそうに聞き流していた。
既に涼宮ハルヒの名は校内では有名どころか常識になりつつある。そして私は私で涼宮さんに好きで付き合う変な女、と認識されているようだった。個人的には他人の批評はあまり気にならないのだけれど、
「それにキョンと佐々木さんが、僕が知る限り最もやらなそうな二人が関わってるなんてね。一富士二鷹三茄子を見る以上に夢でも有り得なさそうだよ」
「初夢か。僕も正直夢であって欲しかった」
ぜひ昨日のやりとりは悪夢にしてしまいたかった。
余談だけどそれらは江戸時代初期頃から語られ始めた。起源については駿河国での高いものを並べたものや徳川家康の言葉など、様々な諸説があるようだ。十二月三十一日から元旦の年越しの晩と勘違いしている人もいるけれど、実際は元旦から二日ないし三日までの夢の事を指す。
今度キョンと夢に関して長く語り合おうかな。その中に涼宮さんたちを加えても面白そうだ。
「佐々木さんがこんな事を了承するなんてね。須藤もきっと百年の幻想から目覚めるだろうね。それにこのビラだって佐々木さん監修のわりには書いてる事支離滅裂だし」
「朝比奈先輩を巻き込んでしまって僕だけ我関せずはいけないと思うからね。須藤が興味を持ってるのは岡本さんだろう。チラシの内容は完全にノータッチだ。多分彼女にとって分からせる気が皆無なだけで、この文そのものは至極単純明快だろう。あいにく僕には彼女の判断基準を文章化するなんてできそうにない」
「それだけ的確に受け答えできるのにこんな結果になったのはなんで?」
さあ、それは私自身も深く問い詰めたいところよ。
「面白いことしてるみたいね、あなたたち。まさか今日もやるつもり?」
「……どうやらそのようね。たぶん今日は私の出番よ」
朝倉さんまでやってきた。彼女も見覚えがある藁半紙をヒラヒラさせている。
本当、なんでこんな結果になったのかしら。
「佐々木さんまでバニーガールに?」
「たぶん昨日のような不快な思いをしたくないでしょうから、別の衣装になると思うわ」
「でも、あれはちょっとやりすぎだと思うな」
私もそう思う。正直初めて学校を休みたいと心の底から思ってしまったし。
その日の放課後、公約どおり涼宮さんは別の衣装を持ってやってきた。今度は花魁が身に纏うほど豪華なものをお手ごろに簡素化した和服。その日朝比奈先輩が欠席だったため私と涼宮さんでビラ配りを行った。ただ、昨日が昨日だっただけにまともな衣装でも先生方は取り合ってくれず、強制終了となった。
「佐々木、まさかおまえまでそんな事をしでかすなんて……」
担任の岡部先生は私の成れの果てを見て心のそこから嘆くようにつぶやくだけで、説教する気すら起きなかったようだ。
その成果だが、SOS団宛のメールは、悪戯を含めて、一軒も来なかった事を加えておく。
さて、ある日の事。涼宮さんはこのような言葉を漏らしていた。
「やっぱり謎の転校生は押さえておきたいと思うわよね」
涼宮さんの定義では新年度が始まって二ヶ月も経っていないのに転校してくる人は十分謎らしい。
確かに義務教育を過ぎて転入試験が必要となる高校生にまでなって転校を繰り返す人は割と少ない。けれど希少と言えるほどでもない。
だから涼宮さんにとって待望の転校生が現れても私はさほど驚きはしなかった。ちなみに情報源はもちろん涼宮さん。先生が朝のホームルームで語る前、クラスの誰よりも早くにそれを把握していた。一体彼女の情報源はどこなのだろうか。
「すごいと思わない? 本当に来たわよ!」
涼宮さんは目を爛々と輝かせて歓喜を隠そうともしなかった。キョンにとってはそんな涼宮さんがもはや日常と化したのか、適当なあいづちをするにとどめている。
涼宮さんは予想通りというか、一時限目終了と同時に真っ先に飛び出していった。転校生がやってきた一年九組の今頃の様子があまりにも容易に想像できてしまったために思わず笑みがこぼれた。
「キョン、君はどう思う?」
「どう思うって……涼宮ハルヒの事か?」
「いや、転校生が涼宮さんの望みどおり謎なのか」
キョンはなにを分かりきった事を聞くんだと言いたげに手を左右に振ってみせた。
「そんなわけないだろうが。五月中旬に転校する事になった学生が全員謎的存在だったらあいつは苦労なんざしてないだろ。一体どれだけいると思ってるんだ?」
「そうだね」
あまりにも現実的なキョンの主張に苦笑するしかない。
「大体巨大カマドウマと某光の巨人が戦ってる現場を垣間見るほどの奇跡が起きたとして、転校生が謎の存在だったとしよう。じゃあおとなしくそいつがハルヒの奴が提唱する団に加わると思うか?」
思えない。良かれ悪かれ涼宮さんと関われば否応無く目立つ事になる。転校生が謎の存在だったとしてもそれを公言して歩き回っているはずはない。なら少しでも目立つのを避けてもおかしくないはずだ。
「朝比奈先輩のような親切な方、悪く言えばお人よしじゃないかもしれない。そう言いたいんだね」
とりあえず普通の転校生だったとしても適応できるオブラートな表現に留めておいた。更にキョンは心底からあきれたように続ける。
「当たり前だ。いくらハルヒが強引極まりないからって、もっと意志の強い人間ならば拒否しおおせるだろう。その謎とやらを抱えてるならハルヒと関わって目立とうとはしないはずだろ」
随分と辛らつな意見だけど、的は射てる。
しかしその転校生が加われば涼宮さんの団は丁度五人の団員がそろう事になる。発足を学校公認にすべく奔走する役目は僕が引き受けてもいい。けれどどうやらキョンは「涼宮ハルヒの手下」の称号がいたく気に入っていないらしい。後ろ指をさされるのが嫌なんだろう。
私も大学に進学したいからできるだけ内申に響く真似だけは避けたいんだけれど、この調子で行くとその願いは叶えられそうにない。
どうしたものだろうか。
謎のバニーガールズとして認知されてしまった朝比奈先輩は、けなげにも一日休んだだけで文芸部室に顔を見せるようになっていた。
部活と言っても未だ涼宮さんはキョンたちに活動方針を伝えていないので、する事は何一つない。長門さんはいつもどおり黙々と読書を続けていて、キョンは自宅から持ち出したらしいオセロで朝比奈先輩と対戦していた。私は中間テストが近づいている事もあって教科書や参考書などを広げて復習にいそしんでいる。
キョンの手製ホームページはカウンタが大して回る事無く――コンテンツがトップページだけだったら当たり前だろうけれど――メールも届かず、すっかり宝の持ち腐れになっていた。パソコンの用途はもはやネットサーフィン専用機になっていて、コンピ研が涙を流すに違いない。今度海外ソフトでも購入してインストールしてみようかとひそかに考えている。
「涼宮さん、遅いね」
盤面をじっと見つめる朝比奈先輩は落ち込んでいる様子が見られない。私はその事に若干ほっとした。
「今日、転校生がきましたからね。多分そいつの勧誘に行ってるんでしょう。それより朝比奈さん、よくまた部室に来る気になりましたね」
「うん……ちょっと悩んだけど、でもやっぱり気になるから」
朝比奈先輩はあどけない手つきでオセロの一枚を置き、間に挟まった敵の色に染まった石を次々と裏返していく。
げ、軽く悲鳴を上げるキョンはふと視線を感じたのか、長門さんが――始めてみせる光を瞳に宿しながら――興味本位に盤上を覗き込んでいる様子に気付いた。
「……代わろうか、長門」
キョンの言葉に長門さんはからくり人形のぜんまいを巻いたようにうなづき、キョンから簡素なルール説明を受ける。そして彼女は繊細な指先で石を盤上に置き、ぎこちなく石をひっくり返していった。
「……?」
そこでふと気付く。朝比奈先輩の様子がどことなくおかしい。
長門さんを妙に意識しているのか、うつむいたまま長門さんをうかがおうとせず、たまに上目でのぞいてはすぐに視線を戻す仕草を繰り返している。ゲームに集中できていないのか、戦局はあっというまに長門さんへと傾いていく。
そう言えば涼宮さんに初めてここにつれてこられた時も朝比奈先輩は長門さんを意識していた。何か特別な思いでも抱いているのだろうか。
「理由が解らん」
何気なくキョンに語ってみたところ、彼はそれだけを言うに留まった。
その勝負は朝比奈先輩に再び主導権が戻る事無く長門さんが大勝。再戦となろうとした時、涼宮さんが一人の男子生徒の袖を接着剤でくっつけたように離さず引っ張ってきた。
「へい、お待ち!」
どこかの出前?
「一年九組に本日やってきた即戦力の転校生、その名も、」
「古泉一樹です。……よろしく」
その男子生徒はとてもさわやかな微笑を浮かべて一礼した。
なんとなく女子と男子で彼への意見が真っ二つに分かれるんじゃないかと思う。運動も勉強もそつなくこなす人気者の二枚目、とでも評そうか。
そして古泉くんは晴れやかな笑みを絶やす事無く、
「入るのは別にいいんですが、何をするクラブなんですか?」
と、私たちどころかこの学校全体が知りたかった疑問をさりげなく口にした。
一体これに対する答えをどれほどの人が想像してどれほどの人が挫折しただろうか。多分散々その質問をされたキョンこそ最も答えを知りたがっている人の一人だろう。私も例に漏れずその一人だったので、思わず涼宮さんに注目してしまう。
そんな私たちの思いをよそに、涼宮さんはこの場にいる全員にケネディがアポロ計画を打ち明けるように高らかに宣言する。
「教えるわ。SOS団の活動内容、それは、」
大統領の演説も顔負けだ。この場にいる全員がきっと固唾を呑んで涼宮さんの言葉に聞き入っている。そして涼宮さんは驚愕の、しかしある意味当然の真相を放った。
「宇宙人や未来人や異世界人、それから超能力者を探し出して一緒に遊ぶことよ!」
私は思わずなるほど、と感じてしまった。キョンはキョンでやっぱりか、と納得しているようだったけれどどのようにリアクションしようか迷っているようだった。しかし残り三人はそうもいかなかったようだ。
朝比奈先輩と長門さんは時が止まったように動かない。無表情無動作だった長門さんまでもが驚愕を隠しきれておらず、目を丸くしている。対称的に古泉くんは複雑な表情を見せながら朝比奈先輩、長門さん、そして私に視線を移して、なにやら納得したようにうなづいた。
「はあ、なるほど。さすがは涼宮さんですね。いいでしょう。入ります。今後とも、どうぞよろしく」
デンタルクリニックの広告に出てきそうな白い歯を見せつつ微笑を浮かべる古泉くんは、キョンの前に手を差し出す。丁寧な挨拶を行った後キョンが自己紹介しようとしたが、
「そいつはキョン。あっちの可愛いのがみくるちゃんで、そっちの眼鏡っ娘が有希で、こっちの細いのが佐々木さんよ」
なんとも簡素な紹介だけれど、要点はきちんと抑えている辺り凄いかもしれない。ただ身体的特徴がこれといってないからって細いはないと思うのだけれど。
「いえー、SOS団、いよいよベールを脱ぐ時が来たわよ。みんな、一丸となってがんばっていきまっしょー!」
どうやら涼宮さんは私やキョンは当たり前ながら、長門さんまでちゃっかりと部員にしているあたり彼女らしいと言うか。そんな事実ではあったが、長門さんはやはり定位置に戻ってハードカバーの読書にふけるだけだった。
あの後、涼宮さんは古泉くんを連れて学校を案内しているし、朝比奈先輩は用事があると帰宅したので、部室には私とキョンと長門さんだけになっていた。キョンはオセロ盤を片付けているから帰宅するつもりのようだ。
片づけが一通り終わり、彼は鞄を提げて、
「佐々木、おまえこれからどうするんだ?」
ふと思い出したようにこちらに視線だけを向けてきた。頼むから会話している時ぐらい顔を私に見せてよ。
「中間テストまで一ヶ月をきってる。高校受験の貯金は学期末には使い果たすと聞いているから、そろそろ本腰を入れて勉強したい。それにこんな時期に転校してきた古泉くんはテスト範囲が分からないだろうから、簡単に教えるつもりだ。キョンも勉強会に参加するかい?」
「いんや、遠慮しとく」
「そうか。無理に咎めるつもりはないけれど、中学の二の舞だけはしないようにしてくれよ。勉強のために勉強するなんて言語道断だからね」
「分かってるが、一年時ぐらいのんびりさせてくれ」
キョンは煩わしそうに手を振って見せた。
この調子だと彼の母親曰く超低空飛行を再び繰り返しそうだ。またそろって予備校通いもいいかもしれないけれど、できる事なら学業を効率よくこなして学力を高めたいのが私の高校生での方針だし、キョンもやればできるのだから予備校漬けは勘弁願いたい。
「じゃあな」
「本読んだ?」
唐突に言葉がつむがれたので私は正直驚いた。多分キョンも同じだと思う。いつの間にか長門さんの視線は本からキョンに移っていた。
「いや、まだだけど……返した方がいいか?」
「返さなくていい。今日読んで」
いつものように原稿用紙一行にも満たない言葉だが、この時ばかりはその一つ一つに重みを感じた。なんというか、いつもの様子なのに明確な意思表示を示しているような気がする。
「帰ったらすぐ」
「……解ったよ」
キョンが応える長門さんは何事もなかったようにまた読書を始めるだけだった。
しばらくすると満足そうに涼宮さんと古泉くんが部室に戻ってきた。キョンと朝比奈先輩が帰宅した事を告げると「そう」と淡白に述べるだけだった。と言うよりなにやら涼宮さんの意識はこちらに向けられている気がするのだけれど。
「どうかしたの?」
「佐々木さん。部室は部活をするところであって勉強をするところじゃないわ。きっちり区別しないといけないの。面白いことをする時間に面白くないことをしてたら興ざめでしょ」
なるほど。それは一理ある。明確な区別なしの生活だとメリハリがつかなくなって間延びした日々を送る事になるだろうから。私も今までは家で勉強していて部室では主に読書に時間を割いていたからそんな事は言われなかったけれど。
「そうね。けれど中間テストも近づいてるから、古泉くんに教えてあげるのもいいかな、そんな風に思っただけよ」
「転入試験に受かるぐらいだから勉強の要領ぐらいわかってると思うけれど」
それは私も思った。勉強はこつこつと日々の努力を積み重ねれば結果が伴うものだ。入学試験より転入試験の方が難しいだろうし、古泉くんがキョンのようにせっつかれないと勉強しないとは思えない。
けれど、試験には偏差値以外のなにかだって関わってくる。
「先生方によって出題傾向が違うと思うの。幸いにもこの団には朝比奈さんという先輩がいらっしゃるから、ご覧の通り」
私がテーブルの上に次々と用紙を広げていったのは、朝比奈先輩が一年の時に受けた一学期中間テストの過去問だった。ただし朝比奈先輩の点数を明かさないために問題用紙だけで、解答用紙込みになっている場合は問題だけを丸写ししておいた。
「担当は去年とあまり替わっていないから、これで一連の傾向は把握できるはずよ」
「あんた、こんなの当てにしてるの?」
涼宮さんはさもつまらなそうに言い放つので私は首を横に振る。
「もちろん名誉のために言っておくけれど、違う」
大学入試と違って学校のテストは基礎力を図るもの。授業さえまじめに受けて演習をしていればできるものだから、過去問に頼りすぎるのはさすがに良くない。
「中学時代の傾向から考慮するに、おそらくキョンは次の中間テストでも理数系が壊滅するはずね。ある程度の成績を残さないと二年生になった時に彼のご母堂の堪忍袋の尾が切れてしまって、予備校通いを強いられるかもしれない。そうならないためにやっておいたの」
「ふうん」
涼宮さんは過去問をひらひらと持ち上げ、丁寧に一まとめにするとテーブルに戻す。
「参考書は?」
「一応取り揃えておいたわ。センター試験以降にも耐えられるほどのものを選んだつもりだけれど、まだ一年なのもあって自信が今ひとつなのは否定しないでおく」
最低限応用されそうな問題にはカラーペンでアンダーラインを引いておいた。これなら自習を時間外労働だと言い放つキョンでも大丈夫だろうと思う。
「そうね。この学校って案外曲者が多いから注意しといた方がいいわね。古泉くんならそうね……一時間ほどで説明終わるでしょうし受けていきなさい」
「ええ。それはこちらとしてもありがたいですよ」
古泉くんは青春ドラマの主人公のようなさわやかな微笑を浮かべて真向かいに着席する。涼宮さんもまたその隣に着席した。
「ええと、まず数学Tからね。教科書で言うならテスト範囲は最初から……多分ここになるわ。このページの例題は絶対に出てくるだろうから下の練習はやっておいた方がいいわね。その後のここは応用になるけれど、もしかしたら出るかもしれない。やり方を覚えておいて損はないはずよ。そう言えば最終問題に大学入試問題を引っ張ってくるって豪語していたけれど、涼宮さんは見当ついた?」
「あんなのほっといたわ。他の問題全部正解だったら九十点行くんだから、解ったら儲けもの程度よ」
私はあらかじめアンダーラインを引いておいた自分の教科書を古泉くんに見せつつ臨時講義を行っていく。古泉くんは本当に飲み込みが早く、思っていた以上に進んでいく。たまに授業中寝ていた涼宮さんは聞く必要がないからそうしていただけのようで、ほとんどを理解していた。
くっくっ、こうしていると中学三年の頃をつい先日の時のように鮮明な記憶として思い出すよ。学校の解答用紙に刻まれた数字が盛大なカウントダウンを刻んでいたキョンが学習塾に行く事になって、そこで私たちは親しくなって。そしてそれぞれの進路に向けて一緒に勉強をした日々を……。
「佐々木さんってキョンのなに?」
「へ?」
いきなり聞かれたために間抜けた声を発してしまう私だったが、涼宮さんはいたって真剣な眼差しをこちらに向けていた。私はその様子に軽く驚いてしまった。
「ただの中学での同級生にしては親しすぎるし、幼馴染とも違う。けれど恋人とも違う気がするの。一体キョンのなんなの?」
「親友」
「は?」
即答。今度は涼宮さんの方が目を見開いて間の抜けた声を発した。
「確かに中学三年時代、私はキョンと最も多く付き合っていたと思う。多分キョンもそうだったはずね。けれど国木田たちが誤解していた間柄、つまり恋人同士とはまた違っていると思うの。友達以上で恋人未満、それなら私たちの間柄は親友だと考えるのよ」
私は中学三年頃の学生生活を省みて言葉をつむいだ。
最も私の中の定義では親友とは一年以上期間をおいても挨拶抜きで語り合えるような間柄だから、正確にはキョンは親友でないかもしれない。けれど、ただの友人で片付けられるほど彼の存在は私の中では軽くなかった。
ぎち。
……本当にそれだけなのかしら?
「残念な事に彼もまた勘違いを起こしていないどころか、多分私を最も親しかった友人程度にしか思っていないの。女子として嘆くべきか、親友として憂うべきか。どちらがいいと思う?」
「そんなのあたしが知るわけないじゃない」
「そうね」
涼宮さんは無感情のまま言葉だけを私に向けて、一人窓の外を眺めるだけだった。
私は苦笑しつつ教科書に視線を移す。既に理系教科は済んでしまい、現在日本史Tの最中。センター試験でも頻度が高い江戸時代からで、以前の時代はUBの範囲。わりと古代も好きなんだけれども、えり好みはしてられない。
多分、キョンが私を見る眼は良くても親友、悪くても友人だろう。そう断言できる自負はあるし、根拠になる道を歩んできたからだ。胸を張って主張できるだろう。
……本当に? 本当にそれだけなの?
ぎちぎち。
イメージするのはぜんまいと歯車で動くからくり人形。生粋の職人によって創られた作品は一寸の狂いもなく動いていく。何年も何十年も何百年も、その在り方を損なう事無く動く精巧なもの。
その正確さがほんのわずかずつ狂っていく。ぎちぎちと音を立てて歯車が悲鳴を上げる。その在り方までもが変質してしまうほどの――。
「私はキョンの親友……よ」
私はキョンの親友。それ以上でもそれ以下でもない。
キョンに対して本能の成すまま欲情する事なんて論外、恋の対象などと粗悪な思考だって抱いていない。それだけは心の底からうなづける。そんな情緒的感情的な思考活動は抱かない。抱いたとしても思春期にみられる一時的なものに過ぎないから問題ない。
ぎちぎち。
砂なんてノイズじゃない。埃なんて時間が陥れる磨耗でもない。手入れでの不可抗力ですら。製作者以上の職人が、温かく優しい手で『調整』するのだ。精巧だった作品がそれだけだった作品がそれを犠牲にして別の幅を持ち始める――。
「キョンは私の友人……」
ぎちぎち。
そして外見は全く同じで中身もほとんど同じ。細部のほんのわずかだけが変化したソレが持つ動作。それは、
彼は私にとってこの世のどれよりも大切な――。
「佐々木さん。気分が優れないようですが、大丈夫ですか?」
「――え? え、ええ」
不意の呼びかけに反射的に答える。それが古泉くんの気遣いだったと分かったのは声をかけられてから軽く十秒も経過した後だった。
古泉くんは私と涼宮さんへ交互に視線を移した後、手をあごにやって納得したようにうなづいた。
「どうやらそろそろ潮時のようですね。今日この時間は僕にとっても大変有意義なものになりました。二人とも今日はどうもありがとうございました」
「礼には及ばないわ。団員を管理してこその団長だものね」
「古泉くんは要領がいいからきっといい点数が取れるはずね。それだけでも嬉しいわ」
私と涼宮さんは古泉くんの他人行儀なまでの会釈に笑顔で応じた。ただ涼宮さん以上に私は上の空になっていたおかげで、その後に交わした会話を全く覚えていなかった。
下校。古泉くんが先に帰ってしまったために自然と私と涼宮さんが肩を並べて歩く展開になってしまった。無言で歩く事で情緒的雰囲気をかもし出せるほど私と涼宮さんの関係は濃くないので、自然と話題が上る事になる。
「それじゃああたし達よりはるかに進んだ宇宙人や未来人が来れる可能性もあるのね」
「そうね。まだ人類の物理法則は完璧なものじゃない。一般相対性理論と量子論を総合した究極論ができていないから。車椅子の天才スティーヴン・ホーキングは物理法則が超光速移動や時空間移動を妨げるよう共謀していると主張しながらも、その可能性については未知数だから誰とも賭けをしないと断言しているほどよ」
以前話した内容をより具体化して語り聞かせる。これも自宅学習の合間を縫ってやったものではある。正直な感想を述べれば涼宮さんは聞き手ではなくて議論しあう意味で優秀だった。彼女は私が話した内容をすぐにでも自分のものとして私に反論してくるのだ。ある程度の受け答えじゃなくてお互いの考えがぶつかり合う会話はキョンにはない心地よさがある。
けれども今日はそれが色褪せている。涼宮さんはどこか黄昏ていて私は考えがここにあらずだ。上辺だけの会話が成立しても心に響く事は決してない。
口から慣性のように並べられる自論をよそに、私は再び自分の考えへと埋没していく。
ぎちぎち。
なんで私はこんな感情に振り回されているんだろうか。こんなもの吊り橋理論のように一時的なものに過ぎない。それに流されては後にしっぺ返しを受ける事になるだろう。私はどんな時でも理性的かつ論理的でいたい。それを妨げるのが雑音じゃなくて一流のオーケストラなんて洒落にもならない。
間だ。そう、間をおかないと。親友の定義と同じように間を置いてかつての自分を客観的に、そして冷静に判断するんだ。私が『私』であるために。
「あれ?」
おかしい。この議論は以前にもした事が在る。
確かこれは高校進学先を決めようとしていた時だ。有名進学校と一般公立校のどちらかを選ぶ事になって、その時私の脳裏を同じ考えが掠めたんだ。両親や先生方には金銭面と勉強面以外で活発な所を例に挙げて説き伏せたけれど、そんなもの後からこじつけたものにすぎない。
一歩後退して客観性を保つか、精神病を一笑に付して今までを保つか。
どちらにも合格していざ進学先を選ぼうとなった時、私は迷わず後者を選んだ。そう、自分だけの意思で、キョンからすら惑わされる事なく、だ。
精神病なんかで私はキョンとの一時を失いたくない。私は私のままでいる、そう彼が佐々木と呼んでくれる存在にかけて私は誓ったんだ。そう、涼宮さんが熱烈に望んでいてキョンもまたひそかに切望している存在、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者が現れようとも、カタストロフが訪れて神が現れてもだ。
そう……私はキョンと時を刻むと決めたんだ。例えその先に何があっても。
「……ふう」
結論に至ってしまえばぐちゃぐちゃになった思考は鮮明になっていき、落ち着きを取り戻す。
全く、以前心に固く誓った尊い思いを思い出すのにこうして手間がかかるんだと、私の志もまだまだ甘い事になるのかもしれない。そうなるともう苦笑するしかない。
やれやれ、キョン。貴方もこうやって悩む事があるのかしら?
「佐々木さん。あの娘(こ)、随分変わっているわね」
本当に苦笑しようとする半歩手前、涼宮さんの言葉を受けて私は涼宮さんの視線の方へと振り向いた。
交差点の向こう側にいるのは光陽園学院の制服を来た女子。学院特有の黒に統一された制服がかすんでしまうほど黒い。黒真珠のように光沢はない、闇のように一貫した漆黒はない。彼女はただ黒いのだ。瞳だけがその中でも黒瑪瑙なせいで一段と際立っている。
街中にいればどんな人ごみでも一発で見抜ける特長を兼ね備えている。にも拘らず彼女のそばを通り過ぎる人たちは気付きすらしないように通り過ぎていく。
彼女は長く多い髪を風で揺らしながら、まるで私たちを観察するかのように真正面を向いていた。瞬きする気配すら見せずに文字通り髪以外静止していた。
「私たちに用でもあるのかしら」
「ものすごく怪しいわね。信号青に変わったらとっ捕まえて話聞きましょう」
間に挟んだ道路を自動車が駆け抜けていく。その間彼女の目の前を車が通り過ぎても気にも留めない。
おもむろに、彼女は重たげに口を開く。何かをつぶやいているようだけれどあいにく何を言っているのか当然分からない。多分一メートル以内だって聞こえないほど小声のはずだ。
「なになに……」
「涼宮さん、分かるの?」
「口の動きみてればたいてい分かるわよ」
意外な特技の暴露に軽く驚きながらも私は耳を傾ける。
「『――ああ……わたしは――――観測する』ってなによ。一昔前のテープレコーダーの鈍足再生みたいじゃない」
彼女の口調は本当にのんびりしている。彼女の気性が原因、と言うよりはまるで時の刻みが彼女にあっていないかのような印象だ。
「えっと、『今度は…………道を間違えない――あなた達が…………』」
「あなた達が?」
意味深な発言に思わず私もまた目の前にいる女子高生の口元に注目する。
「『大いなる可能性』」
その時、道路を大型トラックが通過した。どうやら黄信号での通過だったらしく、高速で通り抜けていく。トラックが通り過ぎた時は真向かいの信号は青になっていて、私たちと彼女とを隔てるものはもう何もなくなっていた。……はずだった。
目の前の少女が消失しなければ。
「えっ?」
私たちは即座に道路を横断して辺りをうかがう。遮蔽物に駆け込むにしても時間差から考えて距離が長すぎる。トラックは左に通り過ぎたから万一彼女がトラックに飛び乗った事も考えられない。
目の前にいた少女はまるで神隠しにあったようにいなくなっていたのだ。
「佐々木さん、今の見たわよね。いきなり人が消えるなんて事件よ事件。超スピードとか錯覚とかそんなチャチな代物じゃないわ。あたしたちはもっと凄いものの片鱗を垣間見たのよ」
「一体今のはなんだったのかしら……」
「決まり。SOS団としてこれを見過ごすわけには断じていかないわ」
涼宮さんの瞳にはスポーツ漫画も顔負けなほどの炎が燃え上がっていた。今の神隠しにはさすがの涼宮さんの琴線にも触れたようだ。
けれど、私は彼女の言葉にどこかひっかかりを覚えた。
大いなる可能性。一体なんの事だろうか。
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