全ては君のために

第九話の二・月の下でただ哂う


   /

 あれからどれぐらいが経っただろうか?
お母さんやお父さんがわたしを心配してくれて部屋の前に来るけれども、わたしはそれを邪険に扱ってしまった。
トマやセリーヌたち子供、神父様やニコラさんたち大人まで様々な人が来てくれる。

わたしは、そんな人達を追い返していた。
ろくに話すことなく、ろくにかまわず。

わたしは文字通り、閉じこもっていた。

部屋にだけでなく、心から。

こうしていれば何も感じなくてすむ。
何も思わずにすむ。

そして何もせずにすむ。

だって、このままでいたら何かをしてしまう事は分かっていた。
わたしはそれが怖かった。
とても怖かった。

この街の人たちが、
クラスメイトが、
子供たちが、
お母さんやお父さんが、

どうにかなってしまうだなんて。

わたしがどうかしてしまうなんて。

そんなの……そんなの……!

「神様……わたしが何をしたと言うのですか……」

わたしはそんなに罪深い人だったんですか?
わたしはそんなに酷い事をしたって言うんですか?

それとも神はわたしに試練を与えているのですか?

だとしたらもうわたしは耐えられそうにありません。
こんな思いなんて、わたしはしたくない……。

今はもう懐かしい光景。

子供たちと遊び、ニコラさんが笑ってくれたり、神父様が少し文句を言ったり、フランソワと他愛のない話をしたり……。
何もかもが懐かしい。
お母さんとお父さんの暖かさに触れたい。子供たちと笑いあいたい。クラスの友達と話したい。

あれも、これも、もうできないの……?

あのとても近く、でも今は遠い幸せな日常を……。

「誰か……助けてくれますか……?」

誰でもいいです。
どうかこんなわたしに、道を指し示してくれますか?
わたしをこの果てしない、気が狂いそうな恐怖から救ってくれますか?

自分で自分を抱きしめる。

思えば思うほどその思いは募っていく。
そして、また考えてしまう。
だからわたしは心を閉じないと。
まっくろにしないと。

「……」
だけど、そんな事はもう出来ない。
それだけ今のわたしには昔がまぶしすぎた。

ああ、神様。
あなたは残酷です。


……分かっている。
本当は分かってる。

これはもうどうしようもない。
いつ収まるか、なんかじゃない。

これはいつまでたってもおさまらない。

いくら心を閉じても、
いくら何も考えなくても、


ワタシノココロハヌリツブサレテイク……


だからだろうか。
なぜかは分からない。
だけど、ふと考える。
考えてしまう。

それこそ御伽話みたいにのようにわたしを救ってくれる人が現れるんじゃないかって。

颯爽とする白馬の王子様でなくてもいい。
わたしを救ってくれる、そんな人が。

……でもそんな人がいるのかしら?
都合がよすぎる。いくらなんでも。

と、軽いノックの音が聞こえてきた。
また今日もお母さんがわたしを心配してきてくれたんだろう。

「エレイシア、わたしよ」
「お母さん……」
自分でも気のないと分かる返事を返す。
いや、むしろ話すことも今はしたくなかった。

だって、人とかかわりを持ってしまったらまた何かを思ってしまうから。
そんな事は思いたくないから。

「……お願い、早くここから去ってよ……。でないとわたし……」
「でもエレイシア……」
……なおも話しかけようっていうの……?
駄目よ。わたしは……わたしは……!

「はやくそこから消えてよ……!」
ものを投げつけたい衝動を何とか抑えて言葉を発した。

それはお願いなんてところじゃない。
これは、懇願だ。

心からの、衝動に今すぐにでも負けそうな理性から何とか発する。
必死の懇願、それを怒りのように見せて、悟られないようにする。
だって……。

「お願いだから……」
その小さな言葉でわたしは会話を終わらせた。

静寂が訪れる。
だけどわたしの五感は研ぎ澄まされていて、外の風の音はもちろん、廊下に複数の人がいることも分かってしまった。
多分また神父様が来てくださったんだろうけど、ご期待に沿えることはできない。
この事は、他人はおろかわたしにだって解決できそうにないのだから。

「エレイシア、あなたを心配してくださってセブンさんまで来てくださったのよ。お願いだから部屋から出てきてちょうだい」
え……?

「……セブンさんが……?」
セブン、七夜魁さんがここに?
少し、本当にほんの少しの希望を持ったようにエレイシアさんはつぶやいた。
僕はなんて声をかけたらいいか迷っていたが、それは無駄に終わった。

「……お母さん、ごめんなさい。セブンさんと二人きりにしてほしいの……」
「え……?」
「でもセブンさんもお願いだからわたしの部屋には入らないで……! 誰も入れたくないのよ……!」
自分が今までに発した事のないぐらい悲痛な声で言っているのが自分でも分かる。
でも、そうしなければわたしは、あなたを……。

「……で、僕としてはおそらく……」
「……私はともかくエレイシアの事だから……」
「……セブンさんと二人きりになりたいと言っているし……」
「……たとえ彼女がどんな思いを……」

そんな何気ないお母さんや魁さんの会話まで鮮明に聞こえてくる。

しばらくして、お母さんと神父様は部屋から離れて聞くことにしたみたい。
……でもお母さんたちがそこにいるのもはっきりと分かってしまう。

「エレイシアさん、魁です。久しぶりですね……」
魁さん、いるんですね。
この薄い扉を一枚隔てた、向こうに。

「魁さん……、本当だったらこんな再会はしたくはありませんでした……」
本当にこんな再会はしたくありませんでした。
ですが……こんな状態にならないとあなたは来てくれないのですね……。
誕生日、出来ればきて欲しかったです。

「一体何があったんだよ。セリーヌや神父さんを始めとして、街のみんながエレイシアさんを心配してるんですよ!」
「すみません、でも……これはどうしようもないんです……! わたしはここにいなくては……!」
そう、わたしはここにいなくちゃいけない。
そして誰とも関わってはいけない。
それだけは確かなのだから。

「一体何があったんだよ! わずかでもいいから教えてくれないか! 少しぐらいなら力になるから!」
「……」
返事が出来ない。
わたしには返事が出来るぐらいの答えを持っていなかったから。

部屋から聞こえる時計だけがうるさく鳴る。
うるさくてうるさくて何度壊そうと思ったことか。
でも壊さなかったのは、周りに投げるものがないだけの理由だった。

……そう言えば……。

「魁さん……」
「……何だい?」
こんな時にわたしは気になった事があった。
いや、こんな時だからこそ疑問に思うことがあるんだ。

だからわたしは話すことにした。
それがどれだけ魁さんの内側のものなのかはもう考えられなかった。

「魁さんは……死徒、でしたっけ……? 人間でなくなった時はどうでしたか……?」
「え?」
そんなわたしの質問に彼は驚きを隠せない。

魁さんは死徒と呼ばれる吸血鬼。本来なら人間の世界では生きていけない人。
だっていうのに彼は昼の世界であんなにも明るく楽しんでくれた。喜んでくれた。
人でなくなっても、家族がなくなっても、彼は笑っていた。

だからわたしは聞きたかった。
彼が、自分自身をどう思っていたのかを。

「人間でなくなった時か……。僕が死徒になったのは自分で望んだからじゃあない。でも決して無理やりされたわけでもなかったんだ」
「え……?」
無理やりでは、ない?

「本当なら死ぬはずだった僕を生かすためにやってくれたんだ。だからうらんだりはしてない。」
それじゃあその誰かは、魁さんを生かすために人でなくしてしまった、と言うことなの?

「でも……最初は苦しかった。いくら僕のためにやってくれたと言っても、死徒である以上人間を襲わなきゃならない本能に駆られて…
 自分が怖かった。そのまま流されそうで…」
「……」
「だから今はなるべく輸血用のアレを利用する事にしてそんな『衝動』は起こらないようにしてるけど、それでもあの時みたいに……」
それは、あの時わたしを襲った時のように……。

「なるのは今でもつらい……。悲しいんだ……」

それは、自分自身が不幸になったから悲しいんじゃなくて、
それによって他人が傷つく事が悲しい。

そう言う事なんですね。魁さん。

「……そうですか……」
それならわたしは……。

「でしたらなおさらわたしはここを出てはいけないと思うんです」

「……!?」

きっぱりと、わたしは彼に言った。
魁さんも神父様も息を飲むのが聞こえてくる。
お母さんはわたしの言った事がまだ分からないようだ。

「何て言えばいいんでしょうか……。貴方みたいに言えば、流されてしまいそうなんです……」
「流される……?」
そう、わたしは流される。
ただただわたしという存在が、流されていく。

それは衝動、それは本能。
でもその言葉は何かが違うと思う。
それが何かまでは分からない。

でも、ナニかだ。

ワタシガナニカニナッテイク

ワタシモシラナイナニカニ

「……詳しくは言いたくありません。でも……これだけは分かってください。わたしはお母さん、お父さん、街のみんな、そして……魁さん、
 あなた方の事を大切に思っています。だから……だからこそ……」
「ダメだ! そんな悲観的じゃあ…」
そう、だからこそ、だからこそ……。

「わたしの事はしばらく放っておいてもらえませんか……?」
「エレイシアさん!」
「お願いだから……そっとしておいてください……!」

もうわたしはこれ以上魁さんと話すことは出来なかった。
話せば話すほどわたしはその扉を開けてお母さんに、神父様に、そして魁さんに助けを求めたかった。

でも、わたしはお母さんたちを求めている自分にも気づく。

どんな風に求めているのかは分からないけれど、求めている。

それは、固執と言うべきなのかもしれない。


わたしは確実にお母さんを、お父さんを、ニコラさんをロバートさんを子供たちをクラスメイトを街の人たちを、望んでいる。
そして、魁さん。あなたもまた望んでいる。


   /

 それからというもの、魁さんはわたしに様々な事を話してくれた。
それは魁さんの内面に触れるものではなく、世界を旅してまわった時の話。
それは小説にもないほど壮大な冒険もあれば、わたしたちの街のように安らぎのひと時を過ごしたものもあった。

それらの特徴としては、魁さんは都会にはあまり足を運ばないようだ。
彼が求めたのは人間の培った歴史、文化、そして交流だった。
彼は言う。

「……都会って人間関係があまりなくて居づらいんだよ。僕はこういった静かでささやかな幸せをすごす街の方が好きだ」
冷たくなく、でも熱くもない。そんな暖かい生活を感じたい。
それは魁さんが暖かくないから、とまで聞こえてくるほど切ないものだった。

でも、わたしはその魁さんにあれ以来全く話をしていなかった。
むしろわたしは彼がいないと自分を説得するので精一杯だった。

だって、彼がそこにいると分かるだけでわたしの衝動はふくれあがる。
彼の言葉、息、気配にいたるまで、わたしの心を乱す。

今すぐこの扉を破って魁さんに触れたい。
魁さんに全てを話したい。
そして……。

いやだ。

だからわたしは自分を自分で閉じ込めて、日に日に増していくそんな衝動を抑えるしかなかった。


人に救いを求める、だけど人を求めている。


そんな自分がそこにはいた。

そうしてわたしはずっと彼を無視し続けた。
いや、しようと努力した。
でもわたしの心から魁さんが消えることはなかった。

「それじゃあまた明日……」
お母さんを気遣ってくれているのか、魁さんは決まった時間になるとわたしの部屋から離れていく。
そうしてわたしは1人になる。

でも、

それが、

どんなに孤独で、

人を求めているのか、

はっきりと自覚させられてしまう。

いつだったかは分からない。
もう思い出せない。


「エレイシアさん、僕は少しでかけてくる」
それから何日がたったかも分からなくなった頃、魁さんは旅の話しもせずにこう言ってくる。
それは今までのものと違って、決意に固められていた。

「何が起ころうとも、僕は元の状態に戻してみせる。だから待っていてくれ」
彼は力強く、でも不安に彩られながら去っていく。
わたしはそんな去っていく彼にも何も声をかけなかった。

どんなに引き止めたくても、
どんなに望んでも、

それが■■につながるのなら……、



もうどれぐらいたったかも分からなくなった頃、わたしの部屋を訪ねる人は誰もいなくなった。
多分お母さん達はわたしをそっとしておく事でいずれは治ると願ったからだと思う。
そうしてわたしは1人になった。

これでわたしは何も感じず、心を冷まして、壊してしまう事ができる。
そうすれば何も思わずにすむ。
そう思っていた。

だからなのか、わたしはもう殺したいとかそうすれば愉快だとか、そんな考えは浮かばなくなっていた。
他人を思い浮かべてもそんな想像はしなくなって、
それがよかったって思えるようになる。

それはそれでいい事だと思う。
だってそんな衝動がなくなればもう人を傷つける心配がなくなるのだから。

だけど、その分逆に増す感情があった。
それはこんな風に1人で閉じこもっていると顕著に現れるものだった。
もしかしたら人間の本質なのかもしれない、その感情が日に日に高まっていく。


わたしは、他者を求めていた。


人の身体を、人の心を、人の魂すら。

自分が求めているからそれを犯し、

自分を満たしたいからそれを蹂躙し、

自分が歓喜に震えたいからそれを汚す。


それは、とっても歪んだ求め方だった。



真夜中に明かりが全くない状態でも部屋の細部まで分かるようになった頃、わたしは渇きをおぼえる。
喉ではなくて、全てに渇いていた。

それが何を意味するかわたしは分からない。知らない。知りたくない。
でも、なぜかそれが何を意味するかわたしには何となく分かるようになってきた。


それを潤すには、他者で満たすしかないんじゃないか、と。



眠りの時間が昼夜逆転した頃、わたしの心は静かだった。
何にもかきたてられる事無く、ただおだやかになっていた。

それはどんな感情も浮かばなくなった、というわけではなさそうだ。
多分、わたしの心が磨耗してるんじゃないか、と思う。

でも磨耗していくその心を埋めていくものも確かにあった。
それが何かは分からない。
でも、確かにそれはあった。

それはまるで布にたらした泥水のように、

じわり、

じわりと、

広がっていく気がした。



夢でわたしの知らないところが見られるようになった頃、
わたしはろくに食べなかったし、ろくに飲まなかった。
なぜかは分からない。
でも、なぜか、

飲食が何かにつながるような気がした。

でもその何かでわたしは恐れていたような気がしたけれど、今は全然そんな事はなかった。
ただ、「ああ、そうなんだな」と思えるようになった。

そしてわたしは自分を抱きしめる。

恐れからではなく、
そんな自分に歓喜しているような気がして。



そしてある日、

喉を始めとした全ての渇きの事を考えていた時、
なぜかは分からないけれどわたしは無性に窓を開けたくなった。

外の光景を見たくないからと始めは閉めていたんだけど、それをわたしは何の気兼ねもなしに空けた。
外は日が暮れているけれど、まだ真夜中ではない。
街の明かりはまだ残っているし、人の気配もちゃんとする。
まあ、道とかにはいないけれど。

でもわたしが見たかったのはそんな下界ではない。
わたしが望むのは、もっと尊いものだった。



「ああ、月がとっても綺麗ね」



それは純白の月だった。
周りにある星が塵のように見えてしまうほど、それは美しかった。
いや、そんな言葉すらそれはふさわしくない。

それはただ気高く、尊かった。

全ての存在がちっぽけに見えてしまうほどに、それはわたしの心に深く刻み込まれる。
そして、私の心を感動させる。

そうしてわたしは何の躊躇もする事無く部屋の扉を開く。
身体が衰弱していてよく動かないけれど、歩けないほどではなかった。

壁に手をつきながらゆっくりと、確かめるようにして歩く。
そうしてわたしは両親と数ヶ月ぶりの再会を果たした。

サロンでくつろいでいたお母さんとお父さんはわたしを確認すると席から立ち上がり、かけよってくる。
お母さんもお父さんも目の下にくまができていて、随分と痩せているように見えた。
そんなお母さんは大粒の涙を流して喜び、お父さんも安堵の表情を見せてくれる。

嬉しかった。
お父さんもお母さんもこんなにもわたしを心配していてくれたなんて。
その思いを感じると、わたしは本当に幸せだったんだなって思う。
だからこんなにも笑みがあふれるんだって思いたい。

いや、思いたかった。


でも、実際は違った。


お父さんが倒れる。
始めはひざから。そして体ごと顔も床につける。
そして、首からはたるを壊したみたいに鮮血が流れ出ていた。

単純な話だけど、私がつめで首を切っただけだった。

それを見て現実が把握しきれていないお母さん。
だけどお父さんの返り血で染まったわたしが歩みを進めていると、自然と体が退いていく。
その表情からはもうさっきまでの喜びはどこにもなかった。

ああ、そうか。
やっぱりそうだったんだ。
わたしはお母さんたちがわたしを心配してくれた事に感動していたんじゃなかったんだ。
いや、わたしは感動していたけれど、それが笑みにつながっていたんじゃなかった。

私は、こうして幸福から絶望へと変わる一瞬を見れて歓喜しているんだ。

「さようなら、お母さん」
そうして私はわたしのお母さんに手をかける。
首に口をあてて、喉の渇きを潤す。

お母さんが涙を流しながら何度も何度もわたしの名前を呼ぶ。
わたしは涙を感じてもそれをやめられなかった。わたしはその声を聞いても涙を流せなかった。
そして、私はそれを受けて更に喜ぶ。

最後までお母さんはわたしの名前を呼び続けて、体を倒した。
わたしが奪った。その血を、命を。そして、希望と未来も。
けれども私は更に死んだお父さんの血と命までも奪った。

そうして全てを奪いつくした後、わたしは身を起こした。


「――百年ぶりか。今回の肉体は、素晴らしく魅力的だ」


そう言いながらわたしの口元はくく、と歪む。

それは聞いたこともない声。
声のトーンは確かに同じ。声紋とやらで確かめればそれはわたしだと判定されるだろう。
でも、それはわたしのものではなかった。


そう、わたしは、私になっていた。


ああ、今のわたしなら魁さんの言っている事がよく分かる。
死徒の事、教会の事、わたし自身に起きていた事が、私の知識を得て分かる。
そうか、だからこそ魁さんはこの街を離れたのか。

私はミハイル・ロア・バルダムヨォン。
人は私をアカシャの蛇と呼ぶ。

……さて、私は試したい事があったのだ。
本来私の転生先は肉体のポテンシャルは元より、その町を支配しやすいように社会的地位も決めなければならなかった。
だが、前回の私はそれを決める前に『姫』に討たれてしまう。
結果、社会的地位の低いわたしが次の私になってしまった。

だが、それを捨てた事によって得たわたしの身体は、一言で表すのなら素晴らしい、だった。
過去の私は社会的地位も求めるがあまり肉体の能力はあまり芳しくなかった。
だが今の私はおそらく初めの頃とほぼ同じほどまでに能力は高い。

私は自分の計算高さを哂った。
考えてみればそうだった。社会的地位など後からでも手に入れられるものだ。
だが、いわば才能は先天的なものであり、後天的なものをはるかにしのぐものだ。

転生17回目にしてようやくその真実にたどりついたと言う事だ。

とは言え初代と同じほどの能力があろうとも、その時の技術を再現できるかは分からない。
わたしは初代の私ではないのだから。
となると、せっかくこれほどの体を手に入れたのだから『姫』がまた来る前に試したいものだが……、

幸いにも今回はその試しが出来る相手が用意されている。
あまりに出来すぎた状況ではあるけれど、それを僥倖だと思うことにしよう。

「……来ましたか」
五感が優れているのは相変わらずで、誰かがこの家の屋根の上に立っているのがよく分かる。
そしてその人物は何かを家の周りにばら撒いていった。

なるほど、簡易結界か。
あくまで秘密裏に処理しようとするとは、さすがと言うべきかもう懲りましたというべきか。
このまま迎え撃つのも芸がないし、少しからかってみるか。

……こう考えが及ぶのは、やはりわたしに影響されているからか。
あくまで私はわたしだから、今こうして身体を動かしているのは私でも過程や方法を選ぶのはわたしのままなのだから。
わたしは何て残酷、と思うけれど私はそうは思わない。

quadratus正方

魔術の詠唱を終了させて解き放つ。
そして、

snapスナップ

私はそれを放った。

天井に小さな穴を開けつつ相手めがけて進んでいくそれは、
残念ながら当たる事はなかった。
どうやら屋根から地面に飛び降りたらしい。

そして窓が破られ、何かが飛来する。

contego

前方に障壁を発生させてその何かの軌道をそらす。
わたしの後ろの壁に突き刺さっていくそれは、やはりと言うべきか、黒鍵だった。

黒鍵、聖堂教会で使われる悪魔祓いの護符。
接近戦に用いるよりむしろ投擲専用の武装として使われる剣だ。
わたしが私になってからまだ2時間もたっていない。だと言うのに黒鍵を用いる者がいる。
そんな人物はわたしの記憶の中には1人しかいない。

「捕縛!」

その言葉と同時に外から光が発せられ、こちらを照らす。
と同時にわたしの身体が動かなくなった。

その人物は外に立っていた。
わたしの記憶の中にあるいつもの彼ではなく、私が何度も見てきた、代行者のそれだった。
わたしから考えると今の彼はとても意外だ。

「随分とお早い到着でしたね、神父様」

私はわたしがしゃべる調子で言葉を発した。
外にいた代行者、つまりアレク神父はその言葉になおも殺気を漲らせる。

「その口で語るな、ロア」
おや、随分と厳しい口調ですね。

「大方わたしの部屋の扉に何らかの細工を施していて、それをあけた時は既に私に変わっている。
 そんな確信がおありだったからこそこちらに来たのでしょう?」
「……」
彼は何も言わずに指の間に黒鍵を挟み、構えをとる。
そのまま動けない私を刺し殺す気か。

「それにしても……捕縛用具といい黒鍵の数といい、随分と大盤振る舞いではありませんか。光栄ですね」
「……こうなってしまわないように努力をしたのですが、やはり手段はありませんでしたよ」
なおも身体を絞る。

「すみません、エレイシア。私にはこうするしかない」
そして、


「父と子と聖霊の御名によって、あなたを滅します。ロア」


黒鍵を私の方に投げつける。
それは先ほどよりも十分に速い速度。

「contego」

だけど黒鍵が金属である限り、軌道を変える事は十分に出来る。
放たれた4本の黒鍵はそれぞれわたしに当たる事無く後ろの壁に突き刺さっていく。

「ん?」
間髪いれずにもう4本の黒鍵がこちらに向かってきた。
左右ほんの時間差で放ったものか。

盾を持続。そのままそれも軌道をそらす。
無駄な。黒鍵の投擲は効かないというのに……。
いや、それが狙いではない?

「はああっ!」
そして、本命ともいうべき攻撃がやってくる、
二回目の攻撃のほんの少し後からやってくるのは、神父の突進型の攻撃。
なるほど、黒鍵の投擲でタイミングを計り、そしてずらした攻撃でしとめる、か。

liberatio解放

だけど甘い。
そのまま私は呪縛を解除し、攻撃も回避。そのまま爪をふるう。
人間を何人も殺せるほどに速いそれは、

「浅薄!」

4本の黒鍵に受け止められる。
攻撃をした方ではなく、もう一方で。

「へえ」
思わず賞賛の声をあげる。
全身のばねと足場を用いて敵の攻撃の威力を最小限に散らす技法、彼はそれを実戦でやってのけたんだ。
現に彼が足をつけている床はひびが入ってめり込んでいる。

間髪いれずに放った私のもう一方の手での攻撃もかわし、再び神父は距離をとる。
残念、若干法衣に爪での攻撃跡が残っているけれど、傷は負っていない。

「ブレイドシンカーといい、威力の散らし方といい、随分と経験をお持ちのようですね。神父様」
「……」
何も言わずに再び突進をする神父。

なるほど、あくまで私には接近戦でいようというのか。
確かに、私は魔術師であっても代行者のように接近戦には向いていない。
それは私が埋葬機関の前身を作った事実をおいても変わりない。

確かに神父は並みの代行者と比べても優秀な分類に入るかもしれない。
それでも位持ちには到底及ばないけれど。
だからその戦法をとっても死徒に遅れを取ることがない。

いくらこの身が人間ではなく死徒と言っても、私には接近戦には向かないし、わたしも接近戦のための闘いなんて当然した事がない。
詠唱に入ろうとしても接近攻撃に気がまぎれ、暗示が出来ないと踏んでいるのか。
だとしたら、それは大きな間違いだ。

incumbo集中

「な……っ!」

私がたった一小節で詠唱を終わらせると、神父が持っていた黒鍵を手に吸い付ける。
ちょうど鉄が磁石に吸い付くように。

結果、神父と私は刃と柄の違いこそあれ、互いに黒鍵を指の間に挟む恰好となる。
死徒である私が教会の概念武装を手にした事によって若干焦げるけれど、些細な事だ。
神父はその時点で黒鍵を放棄したのか、指から黒鍵を放して手を後ろに回す。
新たな黒鍵を取るつもりか。

accelero加速

「が……」

雷の魔術により加速して私は黒鍵を投擲する。
いくら魔術師の私にだって元は聖職者。鉄甲作用ぐらいは使える。
黒鍵の勢いをそのままに神父は壁に叩きつけられた。

sepultura土葬

「しま……っ!」

間髪いれずに私は黒鍵を投げつける。
全て急所に当てるつもりだったが、さすがに加速もしていない私の投擲では当たらなかったか。
3本は壁に当たるけれど、最後の1本は神父の左腕に突き刺さる。

避けきれないと判断してとっさに腕で防御をしたか。
だけど、それは無駄な行為ですよ。
わたしの顔が笑みで歪む。

「な……これは……土葬式典! なぜあなたがこれを……!」
「あら、心外ですね。この魔術作用は元は私が編み出したのですけれども」
黒鍵が突き刺さった部位から石化が始まる。
本来はこれを脚部に行う事で敵の行動力を大幅に制限するか、急所に直接当てて敵を即死させることが目的だが、腕一本でも十分だ。

神父は自分の石化を始める腕を歯を噛み締めながら眺め、

「がああっ!」

そのまま黒鍵で切断した。
気持ちのいい音ではなく、無機物の落ちる音しか聞こえないのが残念だけれど。

でも石化よりも早くに腕を切断したために血が流れ落ちている。
それを神父は無視してこちらに黒鍵を向ける。

「あら、まだやろうって言うんですか。十分に身の程を知ったかと思いましたけど」
「黙れ……! たとえ最後の1人になったとしても、我々は死徒には屈しない!」
今にも気絶しそうな青ざめた表情をしながらも彼は断言をした。

さて、どうするか……。
このままの状態でも神父を倒せる事に間違いはなさそうだ。
でもそれではせっかくこの身体になってその限界がどれほどかを詳しく知りたい意味がない。
とはいえ、単純に威力を上げただけの大魔術では……どうも。

「そうですか……」
いいでしょう。

「ならば見せてあげますよ、神父様」
貴方にはもったいないけれども、見せてあげます。


「私の世界を」


世界に働きかける詠唱を開始する。
力強く、先ほどとは違って最大限に自分を暗示させるように、懇切丁寧に、一切の隙もなく。
そして、


brunstudオーバーロード


私はその世界そのものを変えた。

「…………!」
その世界を見て何も出来ないでいる神父。
それは至極当然の事だ。
むしろ、そうでなければおかしい。

そう、そこには至高の存在がいるのだから。

clementia慈悲

だから、彼にはこれを避けるすべはなかった。

通常自然界に存在するより威力が高い雷は、神父をなすすべなく焼き尽くす。
もはや悲鳴を発せないほどに。

「これが本当の灰は灰に、塵は塵に、でしょうかね」
くすっと哂いながら十字を切る。
まるで絶対なる神への未練を表しているかのように。


世界は元に戻る。
わたしの家に残るのは黒焦げになった神父の死体、それから両親の遺体だけだ。

初めから想定していたとは言え、もはや神父を私の手足にする事はできないでしょう。
だとしたら後で庭にでも埋めますか。

renovatio修復

神父に破壊された跡を時を巻き戻すかのように直していく。
今までの私ならこの街を数日で全て私の思うがままにしちたけれど、今回はそんな事をしようとは思わなかった。

神父が死んだ事でじきに結界も解ける。その時に街の人たちが破壊の跡を見て異変に気づいたらまずい。
だから今回の私は、ゆっくりと時間をかけて、嬲るように、この街を犯していこうかと思っている。
そして……。

私は結界があるうちに外に出て、天を仰いだ。

月がまるで私を祝福してくれているように輝いている。

それはいつ、どこで見ようとも、偉大で、尊い存在だった。

「ふ……ふふふ……ははは……」
私は哂う。月の下でただ哂う。


私は待つ。あの純白の姫君を。
私に神や信仰、目的……いや、私の全てを失わせた彼女を。
世の中のあらゆる存在よりも尊い君を、私は――。


わたしは待つ。あの漆黒の殺人者を。
家族を失い、死徒となっても、なお昼の世界を一生懸命に生きようとする彼を。
暗闇に住むのに今のわたしにはとてもまぶしい貴方を、わたしは――。




to be continued…



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第十話、愛しき日常


第十話に続く

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 やっと書けましたよ続きが。
空いた五ヶ月間に様々な事をしました。特に他の長編を進めていたのが響いています。
この作品は一番最初に書き始めたにもかかわらず、まだ終わっていない体たらくです。2月には終わらせたいですね。

ロアの魔術はシエル先輩なんですからフランス語でもよかったのですが、今回はラテン語にしました。
少しでもロアをうまく書こうとしているのですが、難しい……。今までみたいに書き直すことがないようにしたいものですが……。

次に関してはもはや何も言いません。最終回でお会いいたしましょう。
  2007年1月29日


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