Fate/the midnight saga

第7話


   /一日目

 僕の体は空間を渡り、気がつくとやわらかい地面に落とされた。
何とか体を起こして確認してみると、どうやらそれは砂のようだった。
更に辺りを見渡してようやく今いる場所が海岸付近だということに気づく。

顔に砂がついた僕を尻目に、その犯人は見事なまでの姿勢で着地をし、何やらこちらに示した。
もしかしてうまく姿勢を決められたから褒めてほしいんだろうか?
もちろんそんな事をしてやる義務も義理もない。

「貴方は一体……何者ですか!」
「ううっ、厳しい反応……。せっかく命を救ってあげたのにその恩を仇で返すなんて――」
「いいから質問に答えなさい。さもなくば私にだって考えがあります」
今の僕には当然冷静に状況を判断できるような思考は存在していない。
僕は今コイツにものすごく腹を立てているから、その相手にふさわしい行動をとるだけだった。

「ちょ、ちょっと! 魔術は使わないでお願い! 世の中手を取り合って平和が一番だよ!」
「問答無用です」
顔を青ざめさせて弁明を始める相手に対し、僕は哂いながら魔術詠唱を開始した。
相手は対抗手段として魔術を行使しようとはせず、ただ顔を引きつらせるだけあった。

「待って待ってよ! とりあえず話をさせてくれ! それで君が納得してくれれば最高だろ!」
「……」
……めまいがする。コイツにじゃなく、魔術を行使しようと回路を働かせて集中するとだ。
魔術での干渉をしようとするたびに自分の意識がどこかに削り取られていく、そんな錯覚がしてならない。

「――分かりました。それでは弁明をどうぞ」
「そんな王族が取るに足らない奴隷に投げかける冷たい視線を投げかけないでよね……」
そんな事は知りません。ただでさえこっちは感情が激しく高ぶっているって言うのに。
彼は僕が魔術詠唱をやめると、ためらう事無く浜辺に座り込んだ。

「君も座ったら? 今しんどいんでしょう?」
「私への配慮は不要です。それより話を聞きましょうか」
僕は立ったまま彼を見下ろす事にした。それでも距離は数メートルは離れているけれど。
一呼吸おき、僕は質問をする事にした。

「まず、貴方は何者ですか?」
「言っただろう、僕はアトラスの錬金術師だとね。質問攻めになる前に言っておくけれど、僕はこの地で行われている聖杯戦争にはなんら興味がない。
 したがって君達の探求に介入しようとは微塵も考えていないからそのつもりで」
そんなもの信用できるか。
彼はアインツベルンの者をこうしてさらってきている。その時点で既に介入の意思はあったと言う事じゃないか。

「――あれは仕方がなかった。ああでもしなければ君は殺されていたんだから。
 聖杯戦争が永久に始まる気配を見せなくても、この数日であれと似たような行動を必ずとっていた」
気まずい顔をする彼を僕は鼻で哂ってやる。
そんな顔して言葉を並べたって信用するこちら側の者は誰一人だっていないはずだ。

「……じゃあどうやって僕が聖杯戦争に関わってないって証明すればいいのさ」
「両腕を包み隠さずお見せいただければ」
さすがに彼もむっときたのか言い方が投げやりになってきたが、僕は丁寧に対処した。
自分でも嫌になるほど冷たい口調ではあるけれど。

「何でこんな事を……」
彼はぶつぶつ文句を言いながらも両腕をめくって見せた。
……魔術で隠蔽している形跡もないし、令呪の兆しもない。彼は間違いなく今回のマスターではない。
しかし彼が他のマスターと結託している可能性も否定できない。そうなれば証明は不可能だろう。

「なら言っておくけれど、僕は『聖杯戦争には』興味がない。だけど……『この土地には』興味がある事は事実だ」
「え……?」
悩んでいた僕に見せた彼の顔は、さっきまでの陽気なものでは一切なかった。

それは一流の魔術師……いや、もっと別のナニカが持つ存在感を放っている。
確かに笑顔を絶やしていない。だけれど彼は重大な何かを胸のうちに秘めている気がする。
そしてそれは僕らとは決定的に違っている価値観にもとづくものだと確信できた。

「ああ、確かにあの爺さんが介入したものだとは聞いているから関心がないといえば嘘になるけれどね。
 けれどそんなちょっとしたモノなんかより、僕は――君の方が興味深い」
僕の方が、興味深い?

そう言えばこの男、いくら敵サーヴァントたちと戦闘中だったとはいえアインツベルンの領地であるあの場にやってきていなかったか?
お嬢様方やセイバーは戦闘中、僕に興味を持つんだったら確かに願ってもない機会だったかもしれない。
そして、もし聖杯戦争に興味があるならお嬢様方や聖杯の方に赴いたはずだ。絶好の機会なんだから。
なら、彼が言っている事は本当――?

「正直に言っちゃうと僕は僕のために君を救った。君のためでは決してない
 そう、僕は君の生存ではなく、ロアの生存こそが真の『手段』だ」

船にいたときに散々感じた海風が吹き抜けた。
それなのにどうしてだろうか。身を引き裂くように受け取ってしまったのは。
僕は髪が乱れていくのを全く気にも留めずに彼だけを凝視していた。

「そう、ですか……」
だからこうして僕……いや、ロアをお嬢様から救い出したわけか――。

「それも違う」
「えっ?」
彼はあっけらかんと僕の考えている事を否定する。

「万が一君を完全なるロアにしてしまった場合待ち受けているのは監督役による聖杯戦争の暫定的ルール決めだろう。
 そうなってしまったら英霊七体全てが敵に回るっちゃうからね。そうなったらロアであっても生きてはいられない。
 ――既にロアがこの地に存在している事は監督役の耳に入っているらしいから対処もきっと早いだろうね。
 僕が望んでいるのはロアそのものではなくてロアという存在なんだから、出来れば覚醒してほしくない。
 今の君の方がいいんだよ」
「今の私に、ですか?」
今のロアでもディートリッヒでもないあいまいな僕をさらってきて彼に何の利益があるって言うんだ?
いや、ロアの存在こそ彼が望むものなんだから、それこそ鍵を握っている――。

「無理だよ。君にはロアの存在から僕の目的にたどり着く事はできない」
「? それはなぜですか。私の考えが至らないとおっしゃりたいのですか」
「違うよ。君に説明をしたアインツベルンのお嬢さんが監督役から不必要な事を一切聞いていないからさ。そしてそれこそが鍵を握っている」
くどい。いい加減に話の本質に入ってほしい。

「ううっ、そんな不満げな態度をとらなくても話すからさぁ……。
 知ってのとおりロアが死徒になった過程は変わっていて、真祖の姫君をそそのかした事で済ませている。
 『蛇』の異名も、純粋無垢なイヴをそそのかして禁断の果実に手を伸ばさせた存在から来てるのかもしれないね」
「それが?」
「じゃあその『イヴ』は『蛇』をどう思う? 誘惑を与えた存在を」
僕は浮かんだ仮説のとんでもなさに息を呑んだ。
彼はそれを察したようで、嬉しそうに唇を吊り上げる。

「真祖の姫君はロアを必ずや断罪しに来るはずだ」

「真祖の姫君が、目的――」
いや、そんなもんじゃない。彼が考えている計り知れない企みは、そんなもんじゃ……。

「あいにく姫君の眠る千年城へ赴いたあかつきには彼女の親衛隊気取りがうるさい。あいつらをうまくやり過ごすには彼女が自ら出る時が一番。
 しかし困った事に彼女はロアの一件以来ロアに関わったときじゃなければ外に出てこないんだよ。
 ロアがどこに生まれていつ覚醒し、どれぐらいで姫君が現れるかを調べるのにはずいぶんと時間がかかった。
 でももう終わり」
彼はわざとらしく万歳三唱する。だけれど表情は実に嬉しそうだからまんざらでもなさそうだ。
彼は誇らしげに続ける。

「君を半覚醒の状態に留める事で真祖の姫君も察知できるし君自身は助かる可能性が出てくる。
 だから今の状況は君、つまりディートリッヒにとっても有益な事なんじゃないかな?」
「そんなの絵空事です。死徒化を食い止める方法は存在してません。私のロア化が収まらない以上、覚醒は多分数日中にも起こるはずです」
自分でも分かっている。そんな予測は甘すぎる事を。

多分、この日が沈んだ時が僕がディートリッヒとして送れる最後の時だろう。
夜になれば死徒としての誘惑が勝り、僕はきっと誰かを求めてさまよい、そしてその人を毒牙にかけるんだろう。
――そして、ディートリッヒの存在は無くなり、ミハイル・ロア・バルダムヨォンが復活を果たす。

結局監督役のセカンドオーナーが暫定ルールを定めて僕に狙いを定めても、きっと真っ先に駆けつけるのはお嬢様だ。
これ以上僕の事でお嬢様の手を煩わすわけにはいかない。
だから僕は――。

「ですから、貴方には申し訳ないのですが、私はこの場にて命を絶たせていただきます。失礼――」
「そうだねぇ、僕の考えでは君をずーっと気絶させた状態にしておく手段をとろうとしてたんだけれどね」
それでは何も解決になってないじゃないか。

手元に刃物は無いから僕は浜辺に落ちているわりと大き目の貝を拾い、首に据えた。
これで頚動脈を切断すれば十分に死ねるはずだ。まだ昼だから死徒になる心配も無い。
さようならお嬢様。わたくしはこれにて失礼させていただきます。

「実はもっといい方法を見つけちゃったんだ」

「……へ?」
「あ、もちろん聖杯とやらで君を完全に回復させるなんて手段じゃない。君にとっても僕にとっても、いいように回る手段さ」
自分でも分かる間の抜けた声を発した僕にあわてて付け足す彼だったけれど、もちろんそんなものはあまり聞こえなかった。

いい方法を見つけた、だって?
一体どんな方法を見つけたって言うんだ?
そんな都合のいいものがあるって主張するのか?

「さて、君には選択肢が二つある。一つは真祖の姫君が到着するまでずっと気絶しているパターン。
 この場合は姫君が来た瞬間に君を殺害する事を保障しとこう。
 そしてもう一つは僕の提案を受け入れて一時的なその場しのぎを受けるパターン。
 この場合君はただのアインツベルンの侍女ではなくなり、一人の存在として行動する必要が出てくる。
 僕から言えるのは比較すれば後者の方が君の大切な存在に迷惑が及ばない、って所だけだろうね」
――っ。

前者の方はお嬢様が僕を殺すために彼を追い回す可能性が残っている。
後者の方は僕が僕でいられてお嬢様の下で働く事が出来る。
だから確かに彼の言っている事は正しいけれど……。

……そのどちらもが僕のエゴで成り立っている気がしてならない。

アインツベルンの為を思うならば僕はこのまま潔く幕を下ろした方がいいに違いない。
懸念材料は排除され、お嬢様は純粋に聖杯戦争に取り組むことが出来る。
僕の存在一つで複雑な事情が改善されるなら、僕は喜んで――、


「――あいにく、君にその選択肢は、無い」


彼は、押し殺した、凍て付きそうなほどの殺気を、無表情で投げかけてきた。
感情が高ぶった僕でも明確に背筋が凍る思いを味わうことが出来る。
のどがからからで何も言えない。行動に出ようと思っても指一本も動かない。

「今この状況で君が僕に対してそんな選択肢を取れると思っているのかい? 随分と楽観的な考えだねぇ……」
「……ぁ……」
彼は本気だ。やると言ったら即座にその手段を講じるに違いない。
それこそ僕の賛否なんか二の次で。

いけないっ、気圧されるな!
僕はこの場で命を落とさないと後々にお嬢様が迷惑になるだけだ。
そんな事には僕自身なってほしくないし、その方がアインツベルンの悲願に近づくはずだ。
迷う余地なんて、どこにもない……!

僕はためらう事無く割れた貝殻を首に突き刺して、一思いに切り裂こうととする。
あまりにも集中していたから突き刺した時点で痛みはあまり感じられない。そのまま一気にやりぬく……!
手に再度力を込めて振り切ろうとして――、

「言っただろう。その選択肢は君にはない、と」
手首をがっしりと掴まれていた。

は……早い!
ジェイナ達戦闘用ホムンクルスと幾度となく戦闘訓練を行った僕でも動きを捉える事ができなかった。
しかも僕の手首をがっしりと掴んだそれはまるで固定されているようにびくともしない。

「この……!」
「無駄だ」
僕は即座に無詠唱の電撃を相手に行って麻痺させようと暗示を開始した瞬間、彼は狙い済ましたように腹部への一発を僕へ放った。

頭まで突き抜ける衝撃と呼吸ができない苦しみで暗示が四散していく。
僕の中の全意識が今の攻撃でのダメージに向けられていて新たに魔術を構成するどころじゃない。
ろ……肋骨の下から肺に突き抜けた……。

「仕方がない、強硬手段を取らせてもらうよ。
 まあアインツベルンの魔術師相手に説得なんてできないと分かっていたから、始めから想定はしていた事だけれどね」
「はっ……ぁ……」
まだ呼吸も伴わない僕を彼はらくらくと担ぎ、再び魔術の詠唱にかかる。
先ほどと同じで空間がゆがんでいき、一瞬にして空間を跳躍する。

空間転移、まさかこれほど使いこなす存在がいたなんて……。
そんな正直な感想をよそに彼は再び見事に着地し、僕をそっと下ろした。
そして彼は気さくに手を上げてみせた。

「さて、君たち。さっきの僕の要請は考えていてくれたかい?」
「……え?」
僕の要請……?
苦しみながらも僕は何とか彼が言葉を投げかけている方の存在に視線を合わせて――目を見開いてしまった。

「こいつは信用できない。アインツベルンの奴なんか救ったってこっちには何の得にもなりやしないわ」
「信用できるかできないかではありません。私達にとって重要なのは、彼女を救えるか否かでしょう」
冷酷のまなざししか向けてこない少女と硬い表情を崩さない麗人。

彼女達は面と向かい合ってシェラザードと対峙していて、臨戦態勢は整えている。
だけど少女の方がより警戒していて、麗人の方は取引ができるほどに落ち着いている様子だった。
この二人を僕が見間違うはずがない。つい二週間前に遭遇した組み合わせだ。

「シャルロット、キャスター……」


   /

「貴方は一体この者たちに私をどうさせようとしているのですか……!」
「煩いから少し黙っていてくれ」
彼は今あくまでもキャスター達に意識を裂いているようで、僕の方は気にも留めていない。
彼はいつの間にか突き刺して傷つけたはずの首も治療していて、あくまでも僕を死なせないつもりらしい。
だが僕がサイド自殺を試みれば間違いなく彼は強硬手段にうってでる。ここは耐えて機会をうかがうしかない。

「ええ、先ほどから貴方の提案をキャスターと共に相談していた所です。
 ――随分と回り道をしていたようですが、私の意志はとうに決まっています」
「シャルロット! 君は……!」
己のマスターだというのに殺気まで秘めた目線でキャスターはシャルロットを睨みつけるが、シャルロットは冷淡で厳しい表情を崩さない。
そして、鋭い言葉を言い放った。

「いいでしょう。私、シャルロット・ド・ブランドーは貴方の提案を受け入れてそこの者、ディートリッヒを救う事を約束する」

「なんですって……!?」
「ぐ……っ!」
「おおっ」
僕はあまりの衝撃でしばらく我を忘れ、キャスターは持っている杖を折れるのではと思うほどに強く握り締めた。
一方のシェラザードは歓喜の声をあげて小躍りまでしそうだ。

「いやー、一流魔術師がまさか僕の要請を受け入れてくれるなんて驚きだよ。実を言うともっと色々と手を考えていたんだけれどね」
「貴方の提案を受け入れるのではなく私の信念に従ったまでです。それに万一断りを入れたとて、貴方に懐柔されるほど私は弱くない。
 そこを勘違いしないように」
「それはやってみないと分からないけれど……どっちにしても穏やかにすんでよかったよかった」
あまりの展開に僕の頭がついていってない。
反論しようにも思考がまとまらない。

「それじゃあ後はよろしく頼むよ。彼女自殺までしようとしてるから気をつけてね」
「それぐらい貴方に言われずとも分かっていますから今すぐ私の前から消えなさい。さもなくば魔術協会の名の下に執行しますよ」
優雅な物腰だったシャルロットは一転して腕を前に出して構えを取る戦闘体勢に入った。
強さを見せながら軽さも感じさせる。あの様子だとすぐにでも顔面に拳を叩きつけてきそうだ。
一方の彼は苦笑いをひきつらせて一歩後ろに下がる。

「それじゃあねディート。また会おうか」
「お待ちなさい!」
きびすを返して立ち去ろうとする彼を僕は強く呼び止めた。
自分の見定めたもの以外を気にも留めないようにして彼は顔だけをこちらに向けてきた。

今彼にどんな侮蔑の言葉を投げかけたとて状況は変わりはしない。
だが僕は彼にしなくてはならない事がある。
それは――、

「名を、お聞かせ願いましょうか」
この者の名を刻んでおく事だ。この者への恨みは決して忘れはしない。

「シェラザード、だよ」

涼しげに言い放つと彼は風のごとくその場から姿を消した。

「……さて、それでは私達もとりかかりましょうか」
しばらくの静寂の後、最初に口を開いたのはシャルロットだった。
それで僕とキャスターも現状を思い出す。

「キャスターのマスター、貴女は――」
「シャルロット、で構いません」
そこで話の腰を折らないでほしかった。

「――シャルロット、貴女は私がアインツベルンに従う者だと分かりながら私を救おうと述べるのですか?」
「当然です。貴女は私の敵ではない。いえ、取るに足らないの意味ではなく、戦うべき相手ではありませんから」
さも当然のように断言するシャルロットにキャスターまで唖然とする。
僕にとっても当たり前の事が当たり前ではない事を見せ付けられているようだった。

「それでも私はアインツベルンに組するものですよ。貴女の敵なのですよ。それなのにまだ救おうとおっしゃるのですか?」
「? なぜ貴女がそのような事を気にかけるのか分かりませんが、救える者を救おうとするのは人間にとって当然の行いではないのですか?」
――は?

「貴女の事情は全て彼から聞きだしました。なるほど、確かにミハイル・ロア・バルダムヨォンは我々魔術協会にとっても脅威の存在です。
 ――だから貴女の死を容認してもいい、とはならないでしょう」
いや、だから……。

「貴女のアインツベルンのマスターへの忠誠心がとてつもなく高い、まさに従者の鏡な事も今の様子を見れば簡単に想像付きます。
 だからこそ私が普段倒している外道な魔術師とは違う存在だと認識しています。ならば私には見捨てるなどできはしない」
人の話を聞いてくださいよ。

「お気持ちはありがたいのですが、貴女の手を煩わす手段を私はとる事はできません。
 貴女の手を煩わす事で私の主に些細であっても不利益になるような事はあってはなりませんので。
 彼の者の手を離れた今、誰にも妨害される事なくこの命を絶つ事ができる現状を作り出してくださった貴女方に感謝いたします」
「すぐに等価交換の話題になるのが魔術師の悪い癖ですよね……。見返りは必要ありませんよ。
 私は貴女を救いたいから救うのであり、真心に邪まな思いは含まれていません」
彼女は臨戦態勢を解いてゆっくりと微笑んだ。
さっきまでの厳しいものとはまるで別人だ。

「シャルロット、放っておきなさいよ。どうせ救った所でコイツはすぐに自殺をするわよ。貴女が救ってやる価値はないわ」
「価値で選別できるほど私は人間ができていない。そして救った後道を示すのは私の役目ではないでしょう。
 ――ですが、彼女の人生は彼女だけのものでない事をお忘れなく」
僕の人生は、僕だけのものではない――?
その意味を分かりかねていると、キャスターは心底あきれ返ってため息を漏らした。

「あたしはごめんだね。どうしてもって言うなら令呪でも何でも使いな。おとなしく見捨てなさいよ」
「ではそのようにしましょう」
あまりにもあっさりとした返答。
本当に一瞬だけ彼女の真意を把握できなかった僕らだったが、どうやら僕とキャスターの取った解釈は別のものだったらしい。
ただし、キャスターの方が間違った意味にとっていた。

「ええ、じゃあ早く神殿形成の魔力を集めましょう。
 シャルロットが町の人になるべく被害がかからないようにって言うから広く浅くしか集められないし――」
「何を勘違いしているのですか、キャスター」
シャルロット、貴女まさか――そこまでするのですか!?
信じられない。敵側の僕に対して何の利益にもならない事をどうしてこうも当然のように行う?

「令呪をもって命じます。そこの少女を全力を持って救いなさい」

「えっ!?」
令呪、呼び出された英霊に対する絶対命令権。
どのような格が上の英霊であろうと、サーヴァントに堕ちてしまったからにはそれに抗う事などできはしない。
例えそれが神秘を身につけた、神代の魔術師だろうと――。

ぐるりと反転したキャスターは僕がとっさに防御する暇もなく魔術を構成する。
手に持っていた杖で地面を軽く叩いたとたんに土が生きているように盛り上がって僕の四肢を拘束したのだ。
ぶ……物理的に拘束されては逃げようがない……!

「シャルロット、あんたは……!」
「申し訳ありません、キャスター。ですが貴女が賛成してくれない事はこの数週間の生活でよく分かっています。
 逆に私も譲れないものがある事は貴女とて分かっていたはずでしょう。――そして、このような行動に出る事も」
「だけど……っ」
歯を食いしばって強制に抵抗しようとするキャスターだけれど、その悲痛な面持ちとは裏腹に足はこっちの方に向かってくる。
キャスターの思いは当然だ。おかしいのはどのように考えた所でシャルロットの方に違いない。

「なぜです! なぜなけなしの令呪まで使って私を助けようとするのですか!」
「もちろん、それが人として当然の行いだから」
……っ! 駄目だ。彼女の考えを変えるには時間が全くない。

キャスターが僕の目の前に立ち、虚空から具現化させたのは大きな釜だった。
当然ただ食事を作るようなものでもないし、魔術用具ですらなかった。
これの神秘は半端ない。おそらくはこれがキャスターの宝具――。

令呪を使い、宝具をさらけ出し、なぜそうまでして僕を救おうとする――。
僕には全く理解できなかった。

「……っ! ああもうっ! そうだったわねそうだったわねっ! シャルロットって奴はそういう奴だったわよね!
 すっかり忘れてたわっ!」
キャスターは怒声を発しながら杖を地面に突き刺して頭をかいた。
一言で心情を表すなら、もうやってられないわっ、といった所でしょうね。

「いいわ! ならこのあたしの真名にかけてあたしはこの少女を救う。やるからには半端な作業はしない。
 全身全霊をもって術式を行うわ」
キャスターは一回、二回と深呼吸をして――今までに見せた事のない落ち着き様になった。

その目はどの谷底より深いようでありながら星々のように輝き、僕の方をじっと見つめていた。
僕を囲うようにして紐状の何かを設置、その後で四方に何やら小物を置いていった。
キャスターはそれに入らないようにした上で、無言のまま杖をゆっくりと紋様を描くようにふるっていく。
その上で再び杖を円にした紐に触れるように何回か叩いていった。

「え……!?」
素直に驚くしかなかった。
円の内側、つまり僕の方に向けて大儀式と呼ぶのにふさわしいほどの土地の魔力が集まっていくのだ。

おもむろにキャスターは大釜の中に手を入れ、ためられていた水を手ですくい出した。
それを天にかかげたうえで、僕の口元へと持っていく。
口をつぐんで拒もうとも思ったけれど、キャスターのあまりにも真剣な様子を見てしまうとそんな気がどうしても起きなかった。
ゆっくりと、水がそそがれていく。


「大いなる大自然の恵みよ」


水はまるで僕の体の隅々まで浸透するように広がっていくような気分がしていく。
そして水は大地の息吹を呼び込んでいき、僕の身体へと収束していく。
だんだんと飢えが、渇きが、欲が洗い流されていくのを実感できた。

嗚呼……。
こんな安らかな気分になれたのは一体いつ以来だろうか?
いつから僕の心は、魂は壊れていたのだろうか……。
そして、いつから僕はお嬢様方にご迷惑を――。

「土地と大釜の恩恵で貴女の魂は癒されていく。ゆっくりとお休みなさい」

まぶたが熱くなるのを感じながら、僕は静かに眠りについていった。


   /

 僕はたまに一人で回廊を歩きたくなる事があった。
回廊に飾られているのはアインツベルンの歴史を刻んだ絵画で、そのほとんどが苦難と挫折のものだった。
アインツベルンの魔術師が拝むのはその中でも最も古きステンドグラス。
それに刻まれているのは始まりの聖女が天空の杯に手をかけている姿だった。

天空の杯はその後もいくつも描かれてはいるけれど、誰も触れてすらいない。手をかけているのは彼女たった一人だけだった。
ただし、その彼女ですら片手だけだった。両の手でその身に抱く様子は見られない。
手にはかけたけれど、己の手からすり抜けていく様子にもみえてしまう。

しかし、僕が最も好きな絵画は別にある。
最も古いステンドグラスから長く歩いていき、端の方でようやくそれを見る事ができる。
その間のものも立派なものもあるけれど、僕の心には響かなかった。

そこに描かれているのは一人の肖像だった。
慈母神のように優しく、しかし戦いの女神のように勇ましいほどの決意を秘めたそのたたずまい。
構図はなぜか真正面でも横でもなく、背中を見せるものだ。
更にその目で見据えるものは天の杯ではなく、前方に広がる限りなく広い、太陽で黄金に輝く大地だった。

「やっぱり貴女もこれが好きなのね」
ステンドグラスに描かれた女性とほとんど同じ姿をした少女が銀の髪をかきあげて僕の元へと近づいた。
少女、クリスティーナもまた僕と同じようにしてステンドグラスを仰ぐ。

「私もこれが好きよ。この方が……いえ、アインツベルンが目指していたものの真実を描いているようで」
「アインツベルンが目指していたもの――」
「隣を御覧なさいよ」
見たくはなかったけれど、クリスの申したとおりに視線を移す。

描かれているのは三人の魔術師が天の杯に手を伸ばす姿。説明されなくても分かる。
中央の方がユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルン。冬の聖女だ。
そして左右の二人が遠坂とマキリの者なのだろう。構図や意匠をうかがえばどれほどの屈辱だったのかがよく分かる。
ようは前回の聖杯戦争の儀式を描いているものだ。

「アインツベルンの魔術師がこの出来事をどのようにとらえているのかが一目瞭然よね」
「はい。ユスティーツァ様も先代様も、苦渋の決断をなされた事がはっきりと描かれておりますね」
「ちょっとディート。七代目である先代は冬の聖女で、貴女が言ってる『先代』は六代目でしょう。
 確かにユスティーツァは当主になられてからすぐに儀式を行ってしまわれたけれど……」
「ですが他の方々も同じようにおっしゃっておりますよ」
クリスは不満そうに軽蔑のまなざしを向けながら隣のステンドグラスを指差す。

「だからこんなものが作られるのよ。アインツベルンの恥以外の何物でもないわ。こっそり壊しちゃおうって考えた事が何度あったか」
「先……六代目様はその屈辱を全て背負われるとおっしゃいました。
 貴女様が憤るお気持ちはよく分かりますが、あの方々の成し遂げた後を受け継ぐ事が重要かと思われます」
「私が言いたいのはそんな事じゃない」
クリスは全ての妄執を払拭するかのようにかぶりをきって目の前の絵画を指差した。

「私は彼女の尊い意志が歪められた事がこの上なく嫌なのよ」

「歪められた――?」
静かにうなづかれてクリスは続ける。

「ここに飾られる絵画は歴史として次の代が刻んでいくわ。前回の聖杯戦争の儀式の様子だって刻んだのは六代目でありユスティーツァじゃない。
 六代目や当主様にはユスティーツァの抱いたものが一体なんだったのか最後まで分からなかったようね」
「わかっておられない? それは一体どのような――」

「歴代当主の肖像画は別で、当代で製作されるわ。
 その時の当主がどのような思想を持っていて、どのような悲願へ向けて歩もうとなさっているのかを示すためにね。
 ――目の前の絵画を見る限り、彼女は先を目指していた」
回廊が時が止まったようにしんと静まり返る。
外は吹雪で回廊にまで暖は入れていない。凍てつくような寒さで指先がかじかんでいく。
その中、僕達はただ目の前の絵画に釘付けだった。

「天の杯を抱く事を悲願にしたんじゃなく、その後の世界に彼女は目を向けている。
 成就させた『手段』を用いて、初代が望んでいた『真の悲願』に――」
「真の……悲願……」
「今やこの城の誰もがこの絵画に秘められた想いを見ようとしない。ただ見たいのは『手段』の達成だけ。
 だから隣の駄作が出来上がるのよ」
クリスはゆっくりと冬の聖女の肖像画に手を伸ばし、万物を掴むように手を握り締めた。
いつもお見せになるあどけなさはどこにもない。決意の熱を秘めたその瞳は目の前の肖像画同様、先を目指していた。

「私は絶対に『フィール』を受け継ぎ、アインツベルン……いえ、始まりの聖女、そして冬の聖女の悲願を成し遂げてみせるわ」
「クリス……」
「だってそれが私の生まれてきた意味、ここにいる意味なんだから」
クリスは微笑を浮かべると、僕に向けて手を差し伸べる。
少女らしい小さく温もりに満ちた、それなのに導き手のように大きく頼もしく感じられた。

「ディート。私が今度のマスターになった時、もちろん付いてきてくれるわよね」
「クリス、残念ながら私以上に優れたホムンクルスは大勢おられます。貴女がフィールをおつぎになられる時、それは私が廃棄される時でしょう」
「ディートってそうやって自分を卑下するからマスター候補から早々に脱落するし……もっと自分を大切にした方がいいわよ」
それは確かに他の者からも言われている事だけれど、僕自身は変えるつもりが一切ない。
僕は正直な気持ちから他人が優れている事を悟っていたし、彼女らがクリスについた方が確実にお役に立てるはずだ。
僕も努力は積み重ねているけれど、それが実る事は多分ない……。

「いい? あなたは私を信じているわよね」
「もちろんです。私は貴女こそがフィールをお継ぎになられると確信しております」
クリスは他の候補者よりも明らかに優れた存在だ。おそらくはあのヨハンですらクリスにはかなわないだろう。
これは懇願でもあって、また歴然とした事実でもある。

「なら私も貴女を信じているわ。貴女は必ず聖杯戦争で私の傍らに立っているだろう、ってね」

「――」
何も言う事ができなかった。
この方は僕が彼女を信頼し評価しているのと同じように僕を信頼して評価している。
理由なんか思いつかなくたっていい。僕はこの方がそのように思ってくださる事がたまらなく嬉しかった。

「――はい」
だからがんばろう。
他の仲間達を蹴落とす事になっても。犠牲になっていく仲間達に胸を張っていける存在に。
そう、クリスティーナを助けていけるような存在に。

僕は差し出されたクリスの手へと自分の手を近づけて――。


「……ん――」
 ゆっくりと意識が覚醒していく。

まどろんだ視界がだんだんとはっきりしていき、目の前の光景としてとらえる事ができたのは……一面の闇だった。
……いや、違う。果てしなく広がるのは光をちりばめたもの、これは星空だ。
月は出ていないようだけれど……もしかして今の時刻は夜……?

「まずい……!」
昼寝をしていたのであれば仕事を全て投げ出してしまった事になる。
弁明の余地なんかない。せめて夜の仕事で挽回しなければ――。

と、頭の中が混乱している状態で起き上がってようやく辺りがアインツベルンの城でない事に気づいた。
あたり一面に広がってるのは雑草。それも草原とは言えないような丘に位置している。
見渡せば少し遠くに街の明かりがともっていて、ここがアインツベルンの領地でもない事に気づいた。
そして、ようやくぼやけていた頭が鮮明になっていく。

「そうだ、私は――」
「おはよう。それともこんばんはとでも言うべきかしら」
頭を抑える僕に横から誰かが意地の悪い笑いをくれる。
振り向くとそこにはたきぎの最中の者がいた。

「その様子だと身体を十分に休めたようね。ぐっすりと眠れた?」
キャスター、のサーヴァントで召喚された少女はたきぎをつつきながら木の枝に刺さった魚の焼き具合を確かめる。
……なんだか僕は今とんでもない光景を目にしてるんじゃないだろうか。

「ほら、君は飢えや渇きに耐えるためにずっと飲まず食わずだったはずよ。
 覚醒寸前まで行ってたさっきまでならまだしも、人間に戻った今はもう餓死しててもおかしくないんだけど」
ほら、とキャスターは魚をこっちにさしだして来た。

確かにとてもおなかがすいているのを思い出してしまう。
衝動で潤したかった喉とは違って、おなかの方からそれぞれ訴えてくるような気がした。
……いけない。頭の回転が追いつかない。

「敵にほどこしをうけるわけには……」
「なら捨てるわ。どうせサーヴァントなあたしには必要ないものだし、シャルロットの奴はサバイバル生活に慣れすぎて少食極めちゃってるし」
「それではこれらは僕のために用意してくれたって言うんですか?」
たきぎの近くに並べられているのは野菜、水、それから塩と思われる調味料。
調理こそされていないけれど、一人分の食事としては悪くない。

「あたしは無駄な事するなって言ったんだけどねー。毒なんて入ってないから安心なさい」
「……ではいただきます」
パン切れ一つだって貴重な雪山生活をしてたんだ。食材を無駄にするなんてとんでもない。
僕は用意された食べ物に手を伸ばした。

「市場から手に入れた野菜、河で取れた魚、井戸から汲んできた水、それから海水から作った塩ね。
 ……神代のあたしから見たってこの食事はないって思うんだけれどさ」
「いえ、ご親切にありがとうございます」
調理は一切されていない粗雑な料理ともいえない食べ物。
なのに……とてもおいしい。まさか飢えや渇きが最大の調味料だと思い知らされる日が来ようなどとは思わなかった。
ヨハンやジェイナにはこんな事絶対に言えないだろう。

「ご馳走さまでした」
「お粗末さまでした。本っ当にお粗末でしたっ。ていうかあんた、本当にご馳走だって思ってる? 単なる社交辞令なんじゃないの?」
「……いえ、今の私にとってはご馳走でしたよ」
「今の間は何よ今の間は」
気のせいですよ。ええきっと気のせいですよっ。多分。

いえ、そんな事はどうでもいい。今重要な事はもっと別にある。
あまりにもお腹がすいてて頭が回らなかった……じゃない。雰囲気に飲まれるところだった。
何しろ僕は――。

「僕は……一体どうなったのですか?」
「それは自身が一番よく分かっているはずよ、ディートリッヒ」
キャスターは籠から魚を取り出して再び火元のそばに突き刺した。
そのついで、本当に世間話のような口調で話し出す。

「あたしの宝具で発揮される神秘の一端と土地の魔力を最大限に使って汚染されていたあなたの魂を一時的に浄化したわ。
 だから今のあなたは一応元通りのはずよ。ほら、人を襲いたいとかの衝動は一切ないんでしょう?」
「ええ、ありません」
それでは、目の前のキャスターは本当にこの僕を救ってくれたのだろうか。
その過程がどうであったにしろ、僕は彼女に感謝しなくてはならないのだろう。

「やめておきなさい、感謝なんて。どうせ時間稼ぎに過ぎないんだからさ」
「えっ?」
いい、と彼女は僕の方を指差しす。
まるで闇夜の森のように先が見えないほどの深さを持った瞳が僕の全てをみすかしているようだった。

「聖杯から得たのとシャルロットから聞いた情報が正しいなら、アカシャの蛇は魂そのものを方程式にしてしまっているわ。
 いくら土地の恩恵を得たからって今のあたしには生まれる前から刻まれた方程式を洗い流すだなんてできないのよ。
 あたしがやったのはその進行をある程度逆行させただけ。兆候が始まってしまっている以上、再進行はすぐにでも始まるわよ」
僕は思わず息をのんでしまう。

「あなたに見せたあの大釜こそあたしの宝具なんだけれど……アレには今中身がない。生前のあたしでも中身を満たす事はできなかったから。
 あれさえたまればどんな奇跡をも発揮できるのだけれど、そんな事ができていたらこうしてサーヴァントはしていないでしょうね。
 ま、ようはあたしは結局その場しのぎをしただけにすぎないのよ。悪かったわ、大口叩くような事して」
彼女は僕に対してというよりは僕を救う事のできなかった自分自身に憤っているようだった。
その様子をかろうじて隠しながら彼女は頭を下げて謝罪を示す。

「いえ、わざわざ令呪まで使わせてしまって、シャルロットには何と言えば……」
「いいのよ。アインツベルンに忠義を果たそうとするあんたの方が正しいんであって、シャルロットがどう考えてもおかしいんだからさ。
 あんたが誤る必要性は皆無よ。むしろシャルロットに怒ってもいいぐらいなんだから」
「……」
さすがにそこまで恩知らずではない。

どんな形であれ彼女が僕を救ってくれた事には変わりない。
過去の状況がどうであったにしろ、僕は今の状況で判断して行動するだけの話だ。
しかし……。

「おや、ようやく起床しましたか」
足音と共にシャルロットの声が聞こえてきたので僕はそっちの方に視線を向けて――固まってしまった。
あの、シャルロット。貴女は――。

「シャルロット。あんたが抱えてるそれは一体何?」
「山の中に生息している野生動物ですが」
それは見れば分かる。彼女が抱えているのはわりと大型動物に分類される存在。手に持っているのは野うさぎが何匹かだろう。
いや、キャスターが言いたかったのは絶対に違います。

「違うわよ。あんた、どーやってそれを手に入れたの?」
「もちろん捕獲してに決まってるじゃないですか。何を当たり前の事を聞いてるのですか」
「どこが当たり前なのよ!」「どこが当たり前ですか!」
涼しげに常識のように断言されるとこっちが困ります!
決して僕らが非常識なんかじゃあないはずだ。絶対に!

「あんたは罠をはれるほど器用じゃないし狙撃する銃も弓もない、オマケに武器はテーブルナイフ一本すらない。つまり……」
「え? 素手でとらえる事の何がおかしいのですか?」
「すべてがおかしいって!」「すべてがおかしいです!」
またしてもキャスターと僕の大声での怒鳴り言葉がかぶった。
うん、キャスターは味方だ。

「なに石器時代以前の原始人行為してるのよ! 道具を使うって人類の叡智はどこ行ったのよ!
 あんたそれでも人類の叡智の結晶である魔術師なの!?」
「う……っ。今から千年以上の英霊にそんな事言われたくありませんよ。私が野生の肉食動物のように獲物を狩っていると思っているのですか?」
「へえ、違うの。じゃあどんな手段を使ってるのか言ってごらんなさいよ」
たじろぐシャルロットに侮蔑をめいいっぱいこめてキャスターは己のマスターに促す。
シャルロットは胸を張って――。

「ルーン文字を使って獲物をこっちに呼び寄せて不意打ちする、で終了です」
「神秘をそんなしょうもない事で使わないでください!」「あんたは原始人以下よぉぉっ!」
なんて人なんだ。
僕にこの人を理解できる瞬間は永遠に訪れないかもしれない。

「あまった肉は貯蔵しておきましょう。幸い気温そう高くはありませんし、魔術で熱を奪っておけば長期間の貯蔵も可能でしょう」
「ねえ、シャルロット……」
なんだか今後の事までまじめに語りだすシャルロットにキャスターは脱力しながら肩を掴んだ。
背の高さの違いがあるからさらに物悲しさをかもし出してる。

「あたし、実はこの時代の食ってどうなってるのかちょっと興味あったのよね」
「それは立派な事です。見知った世界とは違った文化に触れる事で自らを広くするのは決して無駄ではありませんよ」
「まっさかあたしの時代より悲惨な生活するとは思わなかったわ」
なんだかキャスター、とっても切実に語りだしたんですけれども。

「そりゃああたしの時代も土地も決して豊かじゃなかったわ。パンは固いし肉はくんせい、スープは少しの野菜と塩味のスープだけ。
 香辛料をまぶした新鮮な肉が豪華な食事に分類されるほどだった。このメニューだって高貴な者がしてきた食よ。
 けれどこれはその時代その世界だからこそ送ってきた食なのよ」
「効率的かつ経済的でいいではありませんか。マナーや味など唯の飾りです。貴族のような偉い人には――」
「ただの飾りじゃたまらないわっ!」「唯の飾りであってたまるものですか!」
駄目だ。食事を作業って思ってる人に食文化について小一時間問いただしたところで効果は零だ。
頭に頭痛を覚えながら僕はもう反論するのをやめた。

「それはそうと……」
僕は話題をそらす意味もほんの少し含みながら立ち上がり、頭を下げた。

「まずはキャスターのマスター。いかなる形であれ私を救ってくださりどうもありがとうございました。貴女に感謝を致します」
「いえ、当然の事をしたまでですから気にしないでください。それよりキャスター」
さすがに肉を捌く時はナイフを使っているシャルロットはキャスターに促した。
さっきまでの会話とは雰囲気がうって変わる。

「彼女は一体どれほど覚醒を抑制できるでしょうか?」
「一週間から二週間。彼女の精神次第だけれど、多分それ前後には間違いなく覚醒するわね。
 あ、それと次同じように浄化をしたところで効果はあるだろうけれど、覚醒に向かう速度はその分速くなるわ。
 魂に刻まれた方程式は変える事はできない。聖杯戦争前後に覚醒する運命はおそらく変えられない」
たきぎから火花がはねる。
キャスターは火力が弱まったのを見て手際よく木の枝を加えた。

「ではアインツベルンの方に判断をゆだねましょう。事情を何も知らない私達がこれ以上彼女らの内情に介入するわけにはいかない。
 一週間もあれば聖杯戦争で勝ち抜くには十分でしょうし」
「そうね。あたしもこれ以上別の奴らと関わるだなんてごめんよ」
む、それは意外な意見だ。てっきり最後まで介入するとばかり思っていたけれど。
ああ、だから救うだけして導く事はしないのか。
なら僕がこれ以上ここにいても意味はない。早くアインツベルンの城へと帰ろう。

「申し訳ございませんがそれでは私はこの辺で失礼させていただきます。後の事は主と相談して決めたいと思います」
「ええ、それがいいでしょう。一人で悩むよりも皆で相談した方がかならず良い答えが見つかるはずです」
おじぎをする僕にシャルロットは気さくな笑みを返してきた。
……この人、もしかして敵か味方かじゃなくて戦うべき相手か否かで区別しているのか?

「そう言えばここには空間転移できたんでしたっけ。どこだか分かりますか?」
「おそらくは第三の霊脈でしょう」
丘の上から見渡せる景色、キャスターが神殿を形成しようとしている、地理的に考えて答えは一つしかない。
霊脈にキャスターが神殿を。考えなくても当たり前の事だ。

「それでは失礼致します」
「あ、ディートリッヒ。最後に貴女に送る言葉があります」
きびすを返そうとする僕をシャルロットは今思い出したように呼び止める。
僕は思わず眉をひそめた。

「――『武士道とは、死ぬことと見つけたり』」
「え?」
唐突に発せられた彼女の一言は平淡でありながらどこか諭すようでもあった。
いきなりの言葉に僕はいささか唖然としてしまった。

「この国で江戸中期にまとめられた、武士という存在がこうであるべきだというものを現した究極の一言だそうです。
 言葉の真意は文字通りの死亡讃歌などという馬鹿げたものではない。もっと大切な意味がそこにはある」
「大切な……意味?」
疑問系ばかりの僕の問いに彼女は静かにうなづいた。
そして、こんな言葉を口にした。

「完全に死にたいのなら武士、奉公人、人として今この一瞬一瞬を完全に生きろ」

「今この一瞬を……生きろ――」
「ですからそうやすやすと死を選ぶような貴女は真の奉公人とは言えない。ただ逃げているだけのように私は思います」
そんな考え、及びもつかなかった。

僕はアインツベルンが……お嬢様が世界で、全てだった。
だからご迷惑がかからないよう僕はこの身を終わらせようとしていたんだ。
けれど……このままあがいてあがいて、お嬢様のために何でもやろうとするべきなんだろうか?
どんな事になろうとも必死になってお嬢様のお役に立つ、僕にはそんな強い意志があっただろうか?

まるでそれは人形みたいに、使命感だけでしかなかったんじゃないか?

……僕の意思はとっくのとうに、あの雪の世界で決定付けられている。
僕は、僕がどうなってもいい。どうなってもいいからお嬢様のお役に立ちたい。
そのためならば、そのためだったら――!

「……まさか、見ず知らずの他人から奉公人のあるべき姿を学ぶとは思ってもいませんでした。感謝いたします」
「生きなさい。その手助けぐらいは私でもしてやれますが、進むのは貴女なのですから」
それもそうだけれど、僕はほがらかな笑いをする彼女に感謝したい。

……あがこう。この先どのような茨の道が待ち受けていようと。
せっかくこうしてやり直しの機会を得たのだから、逃げる事はせずに恐れず立ち向かっていこう。
全てはアインツベルン……いえ、お嬢様の悲願のために。

「まあ、最も……」
シャルロットはゆっくりと立ち上がり、尻のほこりを叩き落とした。

「この戦いで生き残れれば、ですがね」
「そうね」

「!?」
シャルロットは街への道に端然と眼差しを送る。
思わず身構えてしまった僕をシャルロットは落ち着きながら後方へと誘導した。

「貴女は関係者ではありますが参加者ではありません。最大限の注意こそ払えませんが、この方が下手に動くよりも安全でしょう」
「お気遣い感謝します」
う、僕ってわりと現金だったんですね。やや意外です。

ほどなくして人影が闇夜から現れる。明かりもつけずに一直線にこちらへと足を運んでくる。
やってきたのは二人組。そのいでたちはどのように斜め見しても一般人とは思えないものだった。
考えなくても分かる。この二人はお嬢様やシャルロットと同じ、聖杯戦争の参加者だ。

今目の前で、伝説の戦いの再現が始まろうとしている。


ステータス情報が更新されました

第8話に続く

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 今回の変更点
キャスターとシャルロットの描写を増やす。
ディートにこの時点である程度緊急措置を与える。

 シャルロットとキャスターのやり取り、思った以上に楽しめました。
ただこのまま進むとキャスターが心身疲労で倒れそうですね(爆)。
さて、大幅な変更予定は残り3話。これを書き終えたらいよいよ第43話に移れるかと思います。
それまでしばしお待ちを。
  2007年11月24日


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