/前16日

「シアン! そっちに死徒が行ったぞ!」
「分かっています…!」
月明かりと星の輝き以外は漆黒に染まった世界、そこに『僕』とシアンはいた。

そこには大勢の何かがいる。
そう、そこには人はいなかった。

いるのはもはや人間ではない存在。
一般的には吸血鬼と呼ばれる存在。

名を、死徒と言う。

『僕』の方に向いていた死徒の群れが『僕』に襲いかかってくる。
ある者はただ牙をむき、あるものは爪をふりかざして。

「聖典、起動」
そんな者たちに動じる事もなく、『僕』は静かに、でも力強くつぶやく。
すると手に持っていた聖書らしきものからページがぱらぱらと抜け落ちていき、周りに展開する。
死徒はそれに触ると音をたててその部分が溶けてしまっていた。

その間に『僕』は魔術の詠唱を開始する。
多分ラテン語だと思うのだけど、残念だがラテン語は分からない。にも関わらず僕にはなにを言っているのか正確に理解できた。

「恋人達の哀歌!」
そしてそれを解き放った。

『僕』の手から発せられたのは雷のようだった。だが、僕の知っている魔術師よりはるかに威力が高い。
それは周りにいる死徒を次々と灰の塊へと変えていった。

「第三聖典!」
シアンの方もそう宣言すると、持っていた剣を旋廻させ、敵を次々と斬り倒していく。

後は一方的な虐殺のみ。『僕』とシアンは次々と敵を滅していく。
残ったのはもちろんこの2人だけだった。

そう、周りは2人だけ。
光景は人が住んでいるはずの民家の間だ。
なのに明かり一つもなく、静まり返っている。
この街はもう誰も住んでいない。それが分かってしまう。

「ふう、これであらかた片付けませたね」
剣を鞘にしまい、シアンは一息しながらそう言い放つ。
『僕』もそれに同意を示す。

「そうだな。意外と死徒の数が多いようだったが、大して苦にはならなかったな」
「まあ、わたし達は雑魚荒らしをするだけで十分なようですから……」
シアンの目は呆れや退屈ではなく、怒りと憎しみに満ちていた。
まるでこの世の全ての憎みを誰かに注ぐかのように。
そんなシアンを『僕』はどう思っているのだろうか?

「シアン、あの姫君がそこまで憎いのかね?」

「…!」

唐突なその言葉にシアンは即座に反応を示し、睨みつける。

「……本気でそれを言っているのであれば、わたしは貴方を過大評価していたようですね。」
「なるほど。ではシアン、君はあの魔王を救う事ができたのかね?」
「そ……それは……」
視線をそらすシアン。
返事をにごすシアンに『僕』はなおも続ける。

「真祖が魔王に堕ちてしまったらもはやどうしようもない事は君が一番よく分かっているはずだ。ならば……」
速やかにけりをつけるのが助けとなるのではないのか?その言葉にもシアンは反応しなかった。

「……」
シアンはただある一点を見つめているだけだった。
『僕』の事も、この町の事もまるで関心がないかのように。

「彼女……、アルテミシアはわたしにとっては全てだったのです」
独白……?

「自分より、神より、そして貴方よりも。本当に全てだった。分かってはいるんです。彼女が助からなかった、魔王に堕ちてしまった事は」
そして、自分が無力なのも……。
シアンの悲痛な表情は彼らしくないもの。いつも暗い表情を見せる彼だけど、今日はそれに拍車がかかっている。

「それでも……」
その時、衝撃音が辺りに響き渡る。
それはまるで大地を割るようなものだった。神が人間への戒めに行なったかのような。

その一点を見つめ、彼はその嘆きから別の感情を滲み出す。

それは、怒りだった。

「わたしは彼女を殺したアレを決して許しはしない」
そして、2人の前に現れたのは2人の人物だった。

 1人は既に体をつかさどる手足の大半が欠けており、おびただしい血で自身の服を染めている。
もう彼は動きはしない。その真紅の目はもはや生ある者のそれではなく、にごっていた。

そして、もう1人。
彼女はその純白のドレスを相手の返り血で染め、その死体を片手で持っていた。
それはさながら姫君、と呼ばれていた理由が分かった気がした。

「ご苦労様です姫君。今回は本当に助かりました」
『僕』は姫に恭しく一礼するけど、シアンは荷物をまとめて帰る準備をしていた。
姫は『僕』の方を見るけれど、何も言わずにその場から消え去っていった。




Fate/the midnight saga

第5話


   /

「はあっ……はあっ……」

起きたばかりのはずなのに息が荒い。
汗は滝のように流れ落ちて、衣服もベッドも濡れていた。
歯は震えて体は冷え切っていて寒い。思わず自分で自分を抱きしめる。

天井は……いつもの部屋。隣には……ヨハンとジェイナ。
よかった……ここは僕、ディートリッヒの過ごしている世界だ。
そんな当たり前の事なのに、それが起こったのがまるで奇跡のように嬉しかった。

「お嬢様……」
それだけで心もだんだんと落ち着いてきて、やっと冷静になる事が出来た。
そして今まで僕に起こった事を分析する思考も回ってくる。

おぼろけながら覚えているけれど、このところ毎日見る夢はいつも同じようなものばかり。
情景も同じ、登場人物も同じ、会話する内容は一貫して同じ。
僕は僕以外の人物の送ってきた人生を映像で見ているかのようだった。

一体誰の?
何故僕が?

魔術師らしく論理立てようとしたところで全くの無駄だった。
僕が考えついたものは全て根拠に薄すぎるし、何よりそれを原因に結びつける事が難しい。
一体、何なんだ……。

「僕は一体……どうしてしまったんだ……」
この事をお嬢様に話すべきか? 聖杯戦争を間近に控えたお嬢様の足を引っ張って相談するべきなのか?
冗談じゃない。そうするぐらいなら死んだ方がましだ。

でも……胸のうちに止めておくには事態が大きくなりすぎてる。
好転する可能性はもはや無いに等しい以上、このまま放置した所できっとお嬢様の足を引っ張ってしまうのだろう。
それも冗談じゃない。

「ディート」
「ヨハン……」
髪を丁寧にとかしてゆくヨハンは怪訝そうに僕を見つめる。

「この頃のあなたはどこかが変ではないかしら。どうかしたの?」
「そ……それは……」
「とぼけても無駄です。長年共に過ごしてきた私に分からないとでも?」
……っ! 言い返す言葉も無い。
ヨハン……お嬢様と最後まで『フィール』とマスターを争った人物。
彼女なら……。

「分かりました。話は長くなりますが聞いてくださりますか?」
「当然でしょう。私達は同じ志を持った仲間なのですから」
「む、それはずるい。私も聞く」
ヨハンは僕に軽く微笑んでくれる。隣で聞いていたジェイナもまた身を乗り出して親身になってくれる。
僕は……それがたまらなく嬉しかった。

「……実は――」


「――」「……」
僕は冬木に来てから今まで起こった事を全て話した。
夢の中についても覚えている事は限りなく詳しく語ったつもりだし、主観性は完璧に抜かしたつもりだ。
ヨハンとジェイナは僕が語るたびにうなづいて考え込んだ。

「……まるで誰かの過去をのぞき見ているようですね」
「はい。ですが魔術や使い魔による干渉だとしても、僕にそうする動機が全く分からないのです」
「しかし……魔術の痕跡は見られません。それに使い魔の干渉だったなら私がとうに気づいているはずなのですが……」
ヨハンは僕の額に手を当てて検診、肩をすくめる。
ジェイナは首をかしげて考えて、

「アハトがそうしたのか?」
こんな事を言ってくれた。
当然その発言で怒り心頭なのはヨハンだった。彼女は今にもジェイナを殺しそうなほどに彼女を睨みつける。

「……っ! ジェイナ、貴女は恐れ多くも御当主様まで敬称をつけずに呼び捨てに……!」
「ヨハン、こんな所で言い争わないで下さい。しかしジェイナ、お館様がそのような事をなされてアインツベルンに利点があるのですか?」
「アハトが何を考えてるのか私には分からない。ヨハンは?」
お館様が僕に何かしらの細工をしているのなら確かに原理の合点はゆく。
でも依然動機が不明確だ。今のところ僕の夢や幻像がアインツベルンの役にはたっていない。
だからヨハンはこんな説をすぐさま否定するだろう……と思っていたら、

「……あのお方の考えは私たちが及ぶべきも無いものです。詮索するだけ無駄でしょう」
驚いた事に歯切れ悪く答えるばかりだった。
ジェイナも同じだったようで、珍しく呆気に取られていた。

「でもジェイナ。外部の干渉も無い、ディートに心当たりもない。なら原因はアインツベルンの城で行われた事――」
「もしそうだとしても御当主様には考えがあっての事でしょう。私たちがこの場で推論を重ねる事は無意味に等しい」
ヨハンが一方的に話を打ち切って背を向ける有様なので僕とジェイナは顔を見合わせた。
おかしい。いつも理論にかなった言葉を発する彼女がなぜそのようにする?

「ヨハン、もしかして心当たりでも――」
「ディート、この事はお嬢様には内密にしておきなさい。相談した所であの方のご迷惑になるばかりでしょう」
「え、それは一向に構わないのですが――」
「よしなに」
彼女は身支度を済ませると僕を一瞥して部屋から退出していった。
残された僕はただヨハンの有様に呆然とするばかりだった。

「ヨハン、貴女は一体何を知っているのですか……」
あの様子ではもし知っていたとしても語ってくれそうに無いだろう。

結局事態は好転を見せる様子はかけらも見えてこない。
あの夢、あの幻。
一体僕に何が起こっているって言うんだ……。


「ねえディート、今日は買出しに行くつもりなんでしょう?」
「はい。昨日はヨハンの手伝いをしておりましたので行けませんでした。備蓄もやや不足気味ですから、今日は行かなければならないでしょう」
朝食時。いつものように僕はお嬢様のカップに紅茶を注いでいると、彼女が尋ねてこられた。

買出しは週に一回ほど行い、買いだめしておく事にした。
一週間ほどならば食材の保存も十分に出来るしレシピのやりとりもきく。
これは余談だけれど、肉の確保は野生動物の狩りをジェイナがやってくれていたりする。
肉の確保はありがたいんだけれど、おかげでこちらはどうやったら美味しくなるか悩む事となり献立に困っている。

「なら今日は一緒に町に行きましょう」
それでもお嬢様の提案には本当に驚いた。

「僕の買出しにお嬢様の手をわずらわすわけにはまいりません。そして買出しに付き合う事でお嬢様の調査のお時間を割く事を許容できません。
 申し訳ございませんが、お断りいたします」
僕は始めから決めていた返答を機械的に返す。
あまりにも仰々しかったからか、お嬢様はあからさまに不機嫌になられた。

「だめよ。ディートはわたしの命令が聞けないって言うの?」
「残念ですが、それがお嬢様のためでもあります。どうかご理解を」
「ああもう」
お嬢様はナイフをテーブルに置き、僕の方を思いっきり指差した。
あまりに指が近くなったので思わず後ろに下がってしまう。

「いい? 私がいつもいつも聖杯戦争の事を考えてるだなんて思わないで。
 こうしてアインツベルンの城の外にいるんだから少しぐらい羽目を外しなさいよ」
「そんなはっきりとサボりなさいと言わずとも……」
「それに」
お嬢様は更に身を乗り出して指をさしてくる。

「貴女この所沈んでるじゃない。何かあったの?」
「え……?」
「私の目はふしあなではないわ。貴女が最近おかしい事にもちゃあんと気づいてるのよ」
ぎょっとする僕にお嬢様は尋問するように詰め寄ってくる。

……一応悩んでいる事が分からないようふるまったつもりだったのだけれど……。
さすがです、お嬢様。
ですが……ヨハンと先程語ったように、貴女にご迷惑がかかってしまうのでお話しするわけにはまいりません。

「ご心配には及びません。先程ヨハンから解決策を提示されましたので、それを試みようと思っております」
「ふぅん、ヨハンがね……」
お嬢様はわずかに視線をそらし、僕から顔を見えないようにしてしまう。
どのような表情を見せたのかは分からないけれど、すぐにお嬢様は普段通りになった。

「とにかく、そんなディートのためにねぎらいの意味も込めて街に招待しちゃおうってわけね」
「しかし……聖杯戦争の方は?」
「監督役の遠坂に「いつになったら始まるのっ!」ってせかしたら、「まだ二人のマスターが到着すらしてない」なーんて言ってきたわ。
 好戦的なヤツじゃなければ聖杯戦争開始前、しかも昼間から襲ってくる事はないわね」
なるほど……。僕らがこの街にやってきてから二週間は経過している。
あらかたの探索を終えたお嬢様は残りは敵マスターの動向を確認するだけなのか。

「かしこまりました。僭越ながらご同行させていただきます」
「どうせだったら荷物をセイバーに持たせればいいわ。荷物持ちなんて大変でしょう」
「ふふ、英雄として召喚されたセイバーの任務が荷物持ちですか。少し気の毒ですね」
「いいのよ。セイバーだって楽しんでくれるわ」
お嬢様は満面の笑みを浮かべになられた。

窓辺から朝日が差し込み、冬の世界に温かみをもたらす。
静かにまったりと時が過ぎてゆくのをお嬢様たちとすごす。
本当にそれは当たり前のようでとても幸せな時間だった。


   /

さすがに一週間ほどで町の様子が変わっているはずもなく、活気にあふれていた。
まず僕らは市場へと足を運ぶ事にした。
朝早くに出発しておきながら真っ先にする事がそれか、とお嬢様に苦情を提言されてしまったが、

「新鮮な野菜のたぐいは早めに手をつけなければすぐに取られてしまいますから」
の意見で怖れながら却下させていただいた。

ちなみに市場の終了間際に売れ残りを買う事で代金をもっと切り詰められるらしい。
しかし、良い物を買うために金は惜しむなと申し付けられているのでそのようにした。
今回わりと多くよい品を手に入れることが出来たのはセイバーのおかげかもしれない。

「これで終了です。あと買うとしたら和菓子などの嗜好品のみですが……」
市場を回り終えても僕の手元はお留守だった。代わりにセイバーの両手には品物がぎっしりと入った布袋が抱えられている。
英雄なのにこき使ってしまって申し訳ございません、セイバー。

「あ、ここのお菓子ってわりとおいしいのよ。わたしやみつきになっちゃう」
お嬢様は和菓子屋の前でルンと踊るように回った。
周りにいた人たちがその動作に一瞬目を奪われる。

「お嬢様、あまりお菓子ばかり食べていると虫歯になってしまいますよ。ただでさえヨハンに嗜好品を食べないよう提言されているのに……」
「それはヨハンの頭に柔軟性がないだけよ。少しは糖分でも取りなさいって言っておきなさい」
いえ、その場合止めなかった僕が責められる事が必至なんですけれども……。
お嬢様は流暢な日本語でおまんじゅうを注文、ちゃんとぴったりの代金を支払った。

「大体いいじゃない。そういうのを食べたい年頃なのよ」
「ディートリッヒ、マスターの事だ。自分の事は自分で考えるさ」
「あ、いい事言うじゃないセイバー」
「しかし……」
思わず眉間にしわがよってしまう僕。一方セイバーは笑いを隠すように口元を押さえた。

「それにいざ虫歯になったら私が宝具をもって殲滅するとしよう」
「どこの英雄が虫歯を抜くのに宝具使うのよ!」
いえ、それを大声で主張なさらなくともいいんじゃないですか?

「それはすまなかったな。冗談だ」
「……」
そんなセイバーを無視して、お嬢様は更に店の主人とやりとりをする。
聞き耳を立てていると、どうも新たな品の値切り交渉をしているようだ。
……アインツベルンの家計はそこまで苦しくはありませんから、僕みたいにするのはやめてください。

「お嬢ちゃん、やるね」
「貴方こそ」
お嬢様と店の主人は互いに健闘を讃えるように笑いあう。
今のやりとりで手に入れたものは……ちょっと大き目の団子を三本ほど。
1人で食べるには随分と多い気がするけど……。これまで見過ごしたらどれほどヨハンに言われるか……。

「はい」
「え?」「む、」
僕とセイバーは同時に間の抜けた声を発してしまう。
なぜならお嬢様が僕らに団子を一本ずつ差し出していた。
その意図を分かりかねる僕らの様子にお嬢様は頬を膨らませる。

「アホみたいにしてないで、受け取ったら?」
「ってこれは俺にか?」「これは私にですか?」
「そうよ。何か悪い?」
むっとしたお嬢様に僕らは弁明をする。
はたから見ていると滑稽以外の何物でもないだろう。

「いや……そんな事はないが……」「そんな事はございませんけれど……」
「なら黙って食べる」
「「は……はあ……」」
僕とセイバーは息の合ったように言葉を合わせて、その団子を受け取る。
口に入れたそれはとても甘く、弾力があっておいしいものだった。

「どう?」
「む、俺の時代にはこんな甘いものは身近にはなかったのでな。これはとても美味だぞ」
「ディートは?」
「私たちの国の菓子とはまた違った味がして、とても新鮮です」
その言葉を聞いてお嬢様はにいっと笑う。
その笑みはとても無垢なもので、思わず心を奪われた。

「うん、本当にいい味してるじゃない」
「そうですね。今度レシピを作成し、僕が作ってみましょうか?」
「本当? これができるの?」
「ある程度は試行錯誤の連続になってしまうかもしれませんが……」
でもこれを再現するとなると、結構知恵を絞らなければなさそうだ。
うん、けれども試してみる価値はありそうだ。

そんな僕らのやりとりをセイバーは微笑ましく見つめていた。
それはまるで実の父親が娘姉妹を眺めているようでもあった。
お嬢様もセイバーの様子に気づき、きょとんとする。

「セイバー、どうしたの?」
「いや、なに……あまりに二人が楽しそうだったのでね。思わず気が緩んでしまったようだ」
彼は微笑をそのままに天を仰ぎ見る。

「このように平和な世界がどこまでもいつまでも広がっていればいいのだが……」
「セイバー……」
お嬢様も僕も食を止めてセイバーに視線を向けていた。

それはきっとどの英雄も一度は考えた事に違いない。
それは誰もが一度は願った事かもしれない。
それはどんなに優れた英雄が挑んでも未だに達成されていない奇跡だった。

「……勝ちなさいセイバー」
おもむろに口を開いたお嬢様はどんな者にも怯まないアインツベルン至高の魔術師だった。
急なそんな表情にセイバーは若干困惑する。

「マスター?」
「勝って奇跡を手に入れなさい。ここの奇跡はそれを成し遂げられる力がある。それをもって悲願をかなえなさい」
お嬢様は英霊を相手に命令を下すように手を突き出した。
外見からは考えられない存在感にこちらを見ていた周りも騒然とする。

「それが貴方がここにいる理由、私がここにいる理由。いいわね」
しばしの静寂が訪れる。
それを破ったのはセイバーの不敵な笑みだった。

「……了解したマスター。我が剣と存在の全てをかけて、貴女の悲願をかなえてみせよう」
「期待しているわ、セイバー」
「もちろんだ。私は貴女に召喚されたサーヴァントだぞ」
その時の二人を僕はなんと表現すればよかったのか。

それは正に英雄伝説の一幕だった。
麗しき姫君に永遠の忠誠を誓う騎士。姫君のためならば騎士はたとえドラゴンを相手にしても立ち向かってゆくだろう。
この現代では絶対に見ることの出来ない物語の一場面がそこにはあった。
そしてどんな本、どんな文献も足元にも及ばない事を始めて知った。

「……さて」
「……では」
お嬢様とセイバーは絶対の自信にあふれた表情のまま、お互いに同じ方向へと視線を向けた。
僕の方ではない。人々を通り越したその先だ。

「そんなわけだし、あなた達には早々にご退場願おうかしら」
「そうだな。敵は少ない方がいい」
そしてお嬢様とセイバーが言葉を投げかけると、


「……なるほど。さすがは始まりの家系、と言った所でしょうか」


返答が帰ってきた。

遠く人の影からこちらに歩み寄ってくるのは二人。
そのどちらもがまだ西洋化の進んでいないエドの町の中で確実に異彩をを放っていた。
それは僕たちと同様に――。

「お初にお目にかかります。そちらの言語に合わせた方がよろしいでしょうか?」
「結構よ。あなた達の言葉を私が習得していないとでも思ったのかしら?」
その人物は片言のドイツ語でお嬢様に語りかける。なまりはあるが、普段の会話には差し支えないようだ。
対するお嬢様はフランス語でその人物に投げかけた。こちらはさすがに流暢で、母国語と違いが無い。

「――そうですか、私もそちらの方が助かります」
彼女は若干言いよどんだ後、滑らかなフランス語で語りだした。
言葉の一つ一つに切れがあり、さながら麗人を思わせる。

「私の名はシャルロット・ド・ブランドー。協会よりマスターとして派遣された魔術師です」
そうして麗人、シャルロットは自ら名乗り上げた。


 シャルロットは大人の女性であるのに紳士用のスーツを着込んだ麗人だった。背も女性にしては高く、この街の男性をも越えている。
年齢は二十代後半、金の短髪は惜しい事にあまり手入れがされていないようだ。
端整な美人と言っても差し支えはなさそうだが、マリンブルーの瞳は相手を刺すように鋭く視線を送り、殿方をひるませている。
身体は出ている所は出ていて締まるところは締まっている。だがその肩幅の広さから、ただ工房に閉じこもる魔術師ではない事は明らかだった。

もう一人は少女で装飾などが一切見られない、典型的な魔術師のローブだった。あえて言うなら色が純白な所か。
彼女は間違いなくかわいいはずなのに、そんなのは全く気にしないがごとく手入れがなされていない。
手も肌も髪も、人前に出るために『一応』見繕った程度でしかない。もはやこれは犯罪だ。
身体は少女らしく初々しくかたい。力仕事とは完全に無縁のように華奢だった。

そしてこの二人から感じる魔力量。
シャルロットと名乗った女性はそれほどでもない。多分時計塔にありふれる中の一人と判断。
だけど、この少女は一体何なんだ?

全く何もしていないにもかかわらず漏れ出す魔力は常人どころか他の魔術師をはるかに超えている。
聖杯戦争に参加するマスターとして訓練を受けたお嬢様より、神代の英雄であるセイバーよりもだ。
間違いない。彼女らは……、

「シャルロット・ド・ブランドー、神秘がとうに廃れた現代であるにもかかわらず宝具を所有する家系の門下で協会屈指の執行者……。
 協会も味な事をするじゃない。戦闘のエキスパートを派遣するだなんて」
「聖杯『戦争』を銘打っているのですから頭でっかちの魔術師を送ろうだなんて考えもしなかったのでしょう。
 話の信憑性が今だ低く、わざわざ個人的に極東の地まで来訪する魔術師はおそらく数少ない。
 ――今回派遣された私ですら遠坂の要請があっての事ですから」
それはそうだ。

我々アインツベルンこそ最重要に位置づけているものの、他の魔術師達の認識はとことん甘い。
交通手段が発達していない現代において時計塔からここまで来るのにどう考えても半年はかかる。往復で一年はかかる。
しかも冬木の聖杯戦争は一度失敗している事実がある。
様々な準備を整えた上で一年間の研究をふいにして懐疑ものの願望器『聖杯』の奪取を目指すか、静観を決め込むか。
僕達には考えられない事だが、多くの魔術師はこの儀式をないがしろにしているわけだ。

「ふぅん、それじゃあわざわざ足を運んでまで無様にやられに来た貴女はよほどの道化なのね」
「否定はしません。自らの手を汚す執行者は魔術師の底辺と思われている傾向があるようですからね」
お嬢様は明らかな嘲笑を行い、それをシャルロットははなにもかけない。

「ですがその分己の技術に過信する事は無い。己の実力と相手の戦力をすべて吟味した上で妥当な行動を選択できる。
 それが他の魔術師との違いではありませんか。そして――」
それこそがこの戦いでは必要な能力です。彼女は真顔で言い切った。

……明らかに空気が冷たい。
ただの他愛の無い会話でありながらその真意はお互いの探りあい。
しかもサーヴァントが相対している状況、下手をすれば即時戦闘になりかねない。
僕は彼女達がどう出るにしても行動を起こせるよう身構えたが、

「一つ言っておくけど、あんたが動けば戦闘の引き金になるわよ。やめておきなさい」
興味なさげに敵サーヴァントがささやきがつぶやいた。
彼女はシャルロットとお嬢様が会話をしている事すらわずらわしく、セイバーにすら注意を払っていない。
あまりにも無防備。警戒心を全く感じない。

「――」

何か一定のリズムが聞こえてくる。
その音が心臓の鼓動だと気づいた時、僕はだんだんと落ち着きを取り戻していた。
そっと胸に手を当て、自分の鼓動を感じ取る。

「……ああ」

静かだ。

周りの音は何も聞こえてこない。ただ僕が生きている証だけが身体全体に行き渡る。

お嬢様もシャルロットも口をしきりに動かしているけれど、何も聞こえてこない。

なのに視界は鮮明に映し出され、僕の脳裏に刻まれていく。

目の前にいるのは麗人と少女。僕らの……敵。

気だるそうに傾ける事で見える少女の首筋はとても美しく、どの芸術作品にも勝る美しさがある。

あの細そうな首は他のどの少女よりも繊細で華奢。手をかけてしまうだけで脆く落ちそうだ。

「――ふふっ」

もし自分の手をあの首に回したらどれだけの興奮を味わえるだろうか。

はは、もしかしたら興奮のあまりにはしたない事までしてしまうかもしれない。


苦しみのあまり悲鳴もあげられずに歪むその顔を頭に思い描くだけでもう……。


「…………――!」

いつの間にか、敵サーヴァントの瞳がこちらを見つめていた。

それはまるで不純物が一切無い宝石、エメラルドのように何処までも深い翠色の輝きを放っていた。
そしてそれがまるで僕の全てを窺い知るように全く動かずに固定されている。
マスターのシャルロットではなく、敵サーヴァントのセイバーでもなく、この僕にだ。

その上で、少女は顔を歪ませた。

僕が頭の中で思い描いたものとは正反対。この世のどんな人種、どんな事をしている者でも浮かべられないような面持ち。
正にそれは神々がいて神秘が偉大だった神代に生きた妖姫のものだ。
興味と狂喜に満ちたその笑みは背筋を凍らせるほど恐ろしく、美しかった。

そこでようやく僕は気づく事が出来た。 今まで気づかなかった事がどうかしていたのに、それを当たり前だと思っていて気づく事が出来なかった。

僕は、今、何を考えた?

「あ……――」
もはや頭の中は雪原のように果てしなく真っ白で、ほんの少し先も見えそうにない。
ただ僕はその場に立ち尽くす事だけしか出来なかった。

「――とは言え、どうやら未だに全サーヴァントの召喚には至っていないようですから、昼間から戦闘を行うのは野暮と言うものでしょう。
 今日は挨拶だけで済まさせてもらいます」
シャルロットは肩から力を抜いたようにすくめる。
いつの間にか会話が進んでいたのか、戦闘は行われないようだった。

「あなた方は外様の者が神聖なる儀式をかき回す事に酷い嫌悪感を抱かれるかもしれません。
 執行者の私とて神代から続く魔術師の家系の門下にいる者。それがどれほどの屈辱かはある程度察します。
 ですが――」
彼女は己のサーヴァントに視線を向けて、再びお嬢様に戻した。
先程までの相手を観察するものではなく、明らかに決意を相手に示すためのものだ。

「奇跡は私たちが頂戴いたします」

シャルロットは腕を突き出して拳を握り締め、敵サーヴァントは不敵な笑みをこぼす。
その態度にセイバーは心をたぎらせているようで、お嬢様もまたその決意に受けて立つように唇を吊り上げる。

「上等じゃない。次に会った時をあなた達の最後にしてあげるわ」
「覚えておきましょう。それでは失礼致します」
シャルロットは敵サーヴァントにもうながして、歩み始めた。

それはマスターとマスター、サーヴァントとサーヴァントのみが行う出会いの一幕。
魔術師と英霊の全てがぶつかり合う前哨、プレリュート。
何か心打つ場面だったはずなのに、僕の中にはたった一滴の波紋すらたたなかった。

シャルロットはセイバーの横を、敵サーヴァントは僕の横を通り過ぎようとして――、


「今のうちに死んでおきなさい」


「!?」

なんだ?
今サーヴァントは何を言った?
今のうちに死んでおけ……だって?

あわてて振り返る僕に対し、少女は神秘的な笑いをかけながらシャルロットと共に立ち去ってゆく。
少女には僕に何が起こっているのか分かっているって言うのか?
気がつけば僕は懸命に走り出していて、敵サーヴァントの肩を掴んでいた。

「待ってください! 貴女は……貴女は私に何が起こっているのか分かるのですか!?」
「……この馬鹿力」
敵サーヴァントは苦痛の表情こそ見せないけれど、よく考えたら僕は少女の肩を肉が千切れそうなほど強く握っていた。
だけどあわてて手放す余裕すら僕にはなかった。

「そうね、あんた面白いから一つだけやさしいこのあたしが教えといてやるわ」
彼女はかわいらしい指でこちらを指し、普通の少女では決して浮かべられない黒さのこもった嘲笑を浮かべた。

「覚醒してしまえば死にたくても死ねなくなるわよ」

そう述べるが彼女は僕の手を振り払い、シャルロットと共に立ち去っていった。
ようやくお嬢様とセイバーも僕の元へと駆けつける。
二人とも僕の蛮行の事は一切問いただそうとせず、ただ敵コンビを眺めているだけだった。

「ディート、アイツ何て言ったの?」
「……」
茫然自失とする僕はお嬢様の問いかけにすら答える事ができなかった。

冷たい風が僕の心まで冷やしてゆく。
辺りのにぎやかさは影を潜め、静寂だけが世界を包む。
それはさながら今の僕を表しているかのようだった。


   /前8日

「全く、遠坂の怠慢は今度じっくりと話し合う必要がありそうね……!」
その日の朝は天気がとても穏やかだった。風すらも温かく包み込んでくれるようで、ジェイナも気分が晴れると言っていた。
だが対照的にお嬢様は間違いなく不機嫌であらせられた。

「あいつらに問い合わせてみたらまだサーヴァントが召喚された気配がないんですって!
 全く、既にこっちもマキリも準備万端だっていうのに、何で邪魔な外部の奴らのために待たせられなきゃならないのよ。
 腹立たしいったらありゃしない……!」
お嬢様は文句をつぶやきながら朝食をなさる。

普段の僕だったら口に物を運びながら会話をするなんて言語道断だ、と注意していた所だろう。
だが僕は最近になって感情が右に左にと振り回されがちだった。
何か決定的なものが僕の中で変わり始めている。間違いなくそれは感じ取れたもののそれが何だかはまだ分からなかった。

ただ、
少しでも気を緩ませていると、
ある方向に思考が奔ってイキソウデ――。

「ディート、聞いてる?」
「え? あ、はい。しっかりと耳に入れております」
「はあ……」
お嬢様は呆れるようにため息をもらした。

「心ここにあらず、かしら。ヨハンもどこかよそよそしいし……あなた達お爺様に何言われてここに来ているの?」
「な……っ!」
その言葉は衝撃的だった。
それは間違いなく僕の全てを否定する一言……!

「も……申し訳ございません……! 私が至らぬばかりに貴女様にそのような落胆をさせてしまいまして――」
「違うわ。あなた達は十分……いえ、それ以上にやってくれてるわ。ただね、」
あなた、お爺様にどんな命令を受けてきた? 彼女は血の気も凍るように冷ややかな取り澄ました声を投げかけた。

「不思議だと思ったのよね。戦闘用ホムンクルスのジェイナはともかくとして、わざわざ魔術・儀式用ホムンクルスをディートとヨハンの二人をつけてきた事が。
 あなた達、何らかの戦闘を魔術なしで行える?」
……僕もヨハンもせいぜい警護用程度だ。執行者のような本職にはかなわないはず。
お嬢様はガーネットの眼を僕に位置づける。

「答えは唯一つ。貴女かヨハン、もしくはそのどちらもがそれ以外の用途で選ばれた……かしら」
正直言葉が出なかった。

そんな事は知らない。僕はお館様より聖杯戦争の手助けをするよう仰せつかっただけだ。
ただ僕も疑問だったのは、今回の聖杯戦争の選抜に僕は拒否を示して代わりをあてがえなかった事だ。
非協力的な僕に発破をかけてまでなぜお館様は僕をお選びになられたのだろうか……?

「お館様の真意は僕には分かりかねます」
「――そう。貴女もそんな風に主張するのね」
だから僕はまるで模範的な答えしか返せなかった。
お嬢様も問いをあきらめたのか、再び食事を始める。

時を置いてお嬢様は口を拭いたナプキンを皿の横に伏せ、席を立った。
僕は食器とナイフやフォークを静かに片付けてゆく。
ふとお嬢様は何かに気づかれたようにこちらに視線を向けたらしいが、この時の僕には気づくすべが一切無かった。


「……お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
週一回の買出し。
どれだけ気落ちしていたのかは自分自身に分かるわけ無いけれど、たった四回しか会っていない店の主人にまで言われたのだから相当なものなんだろう。
我ながら情けなくなってくる。

「ご心配には及びません。自己管理はしっかりと出来ておりますので」
僕はきっぱりと発言しておき、買い物を続行する事にした。

途中色々な事はあったが、概ね先週と同じように済んだ。
市場の店主との値切り交渉はいつも以上の成果をあげてお金の節約も出来た。
微笑ましい子供の遊びも見る事ができたし、敵マスターらしい人物に遭遇する事も無かった。

ならば寄り道をする衝動も義務も無いから、早く戻る事にしよう。
そう思い至って僕は足早に帰ろうとしたところ、

「きゃ……!」
見事に誰かとぶつかってしまった。
私事に気を取られていたせいでバランスが取れずにその場でしりもちをついてしまった。
わずかに痛むお尻をさすっていると、相手の方が手を差し伸べてきた。

「す、すみません。大丈夫です……か……?」
「いえ、私は大丈夫ですか……ら……」

僕と相手の言葉はそこで完全に止まる。

そう、目の前にいたのはレンだった。


   /

「レン……?」
「お久しぶり……と言いたい所だが、どうやらそうのん気に言ってられない状況みたいだな」
レンは僕を起こすと逆にしゃがみこみ、いつの間にか路上にぶちまけた食材を丁寧に拾っていく。
今度はいつぞやのように傷ついたものと無事だったものを分ける事はせずに布袋に入れてゆく。
全部入れ終わると、レンは満開の花が咲いたのと同じような笑顔を振りまいた。

「はい、これで全部だ。今回はそう痛んだものはなさそうだったから安心しろ」
「前回に引き続きありがとうございます」
僕は慇懃におじぎをした上で立ち去る事にした。
当然彼と話す話題など皆無だったからだが……、

「ちょっと待ってくれ。今のお礼って事でいいからほんの少し付き合ってくれないか?」
「……は?」
一体彼は何を言っているんだ?
僕は彼に拾ってくれと頼んだ覚えはないし、彼が拾わなかったら自分で拾っていただけの話だ。
それを口実に彼と時間を共にする義理などない。

「お断りいたします。私は忙しいので」
「……いやごめん。こんな小さな親切を大きなお世話にする頼み方にしたのがまずかったな。気分を害したならあやまる。悪気はなかったんだ」
彼は苦笑をしつつ弁明。
……少し神経に障ったが、気にしない事にした。

「それでは失礼いたし――」
「あらディート、こんな所で何をしてるの?」
一刻も早くこの場を離れたい衝動に身を任せて立ち去ろうとした時、目の前にいたのは予想もしなかった人物だった。

「お、お嬢様……!?」
「あ、そっか。今日は買出しの日だったわね。うっかりしてたわ」
セイバーを従えたお嬢様は悪戯っぽく微笑して腰に手を当てる。
……お嬢様の前まで感情の起伏が激しくなっている所を見せてはいけない。なるべく普段どおりにふるまわないと。
お嬢様はレンの方を一瞥すると僕の法へと近づいてこられた。

「レン、こいつ、誰?」
「マキ・レンと名乗りました。見ての通りの姿をしている上にヨーロッパの言語を一通り習得しています。警戒に値する人物かと」
「そうね。それに……」
レンの両手には包帯がつけられていた。
長袖をしているから、実質肩から下……令呪が現れる箇所を全く見せないようにしている。
いくら魔力を感じ取れなくても疑惑の対象からは外せない。

「私たち以外……外の輩かもね。セイバー、こいつの周りにサーヴァントは?」
「いる気配がないな」
お嬢様はレンを観察するように見つめて、その後に不敵に笑った。

「レン、って言うのかしら。あなたディートとは知り合い?」
「へ? ……まだ三回しか会ってないから知り合いにも及ばない気もするけれど、互いを把握しあってるんだから確かに知り合いだな」
ってお嬢様、彼と話し出すんですか?
僕の思いを嘲笑うようにお嬢様は続ける。

「その様子だと俺の自己紹介はいらなそうだけど……俺は真木憐。ディートと知り合ったのは三週間前だ」
「ふぅん、わたしはディートの主人であるクリスティーナ・フォン・アインツベルンよ。分かるかしら?」
レンはわざとらしくなく自然に肩をすくめた。

「『フォン』が付くからドイツかオーストリアから来た……ってぐらいだな。そこまで外国に詳しくないんで」
「そこまで分かれば十分よ。ドイツとブリテンの違いどころかドイツすら分からない人達がこの国には大勢いるぐらいだしね」
やはりお嬢様もそう思われるんだ。自国の事すら知られていないのは確かに物悲しい。

「ところでレン、その手の包帯はどうしたの?」
「包帯? ああ、これか」
随分と単刀直入ですね。
レンは少し意外にもそれが何でもないように差し出す。

「包丁でちょっと怪我したら姐さんがものすごい形相で包帯ぐるぐる巻きにしてくれてね。大げさだけどそこまで酷いものじゃないぞ」
「ふぅん、ちょっと見ていい?」
更に単刀直入。敵の本陣にまで攻め込むものだ。

お嬢様が確かめようとなさっているのは、腕にある令呪があるかどうかを確かめる事だ。
聖杯戦争の参加者たるマスター、またはその候補には必ず令呪が、または予兆が現れてくる。
お嬢様が疑っているのはレンが魔力を隠し、包帯で令呪も隠しているのではないか、だろう。

無論僕は止める気は一切ない。
ただし、彼の出方次第では……もありえるので警戒心は払っておく。

レンは「見せないと駄目か?」と苦笑しながらうかがうが、お嬢様は「ダメ、見せないと」と断言。
レンは深いため息をつき、

「しょうがないな。あまり見せたくないんだけど……」
やけにあっさりと包帯をほどき始めた。

まず見せたのは右手。表裏両方を見せるけど、その兆候はなし。若干手のひらに切り傷が見られる。これが包丁の後だろう。
そして左手。こっちも同じで兆候なし。と言ってもこちらの方は完全に無傷だった。
結論、レンに令呪は備わってもいないし、その兆しもなかった。

「ねえレン、何で無傷なのに包帯を?」
「あー、包帯を巻いてくれた人に直接聞かないとわからないな。俺にもよく分からない」
お嬢様の素朴な質問にレンはまた包帯を巻きながらぼやいた。
さっき巻いた時よりも巻き方が綺麗で丁寧だ。

「で、クリスティーナ嬢、ご満足いただけたかな?」
「クリスで別にいいわ。あなたに敬語を使われるいわれなんてないしね」
少しにやけてレンはお嬢様をからかうように述べて、お嬢様はふいっとあさっての方を向いてしまってレンの顔を見ていない。
妙なところで子供っぽいですよねお嬢様。

「所でこの最近で町の中結構巡ってみたんだけど、ちょっといいかしら」
「お、冬木の町についての質問なら大歓迎だぞ」
レンはそっちの方がまるで自分の事のように意気揚々としだした。
自らの故郷で意気消沈する者など本でもお目にかかった事はないが、自分以上にはりきっていると自らを過小評価しているようで腹が立つ。
その言葉にお嬢様は勝利したように微笑を浮かべて……、

「あそこの丘にある……」
「遠坂邸?」
あっさりと先を越された。

「あそこも不思議だよなぁ。あるって分かってるのに誰もそこに行こうとしない。誰かが住んでいる事だけは分かっても誰が住んでるのかは分からない。
 江戸時代にも藩主がそれで困った困った、なんて話を聞いた事あるぞ」
「ふ……ふぅん、あなた自身はどうなのかしら?」
あっけらかんと話すレンにお嬢様は面食らったようで、若干言いよどんだ。
魔術師ならば遠坂の話題を出されれば何らかの動作を起こすとしたんだろうけれど、レンには無駄だったようだ。
レンはそれを全く気にしないで続ける。

「俺? うーん、実は遠坂に関しては俺も疎い。世間との交流も絶ってる上に買出しも家政婦任せ。
 家族構成その他もろもろ全部冬木の謎なわけだ。役に立てなくてすまないな」
「別に期待してたわけじゃないからいいわよ」
お嬢様はもはやレンは一般人だと断定したのか、興味なさげに返事をした。

「……まあいいわ。行きましょうディート」
「ちょっと待った。そっちが二つ質問したんだから、こっちの質問にも答えて欲しい」
もはやこの場に用はないと立ち上がりかけたお嬢様はレンの言葉に反応を見せる。
ただし好意的なものではない事は明らかだった。

「……いいわよ。交換代償としてそれぐらいはしてやるわ」
「そうか。それじゃあこれはその手間賃代わりって事で」
僕の予想に反してお嬢様は再び席に戻られた。
思わず呆気に取られる僕をよそに、お嬢様はきょとんとしながらレンから差し出されたものを覗き見た。

「……何これ?」
「名前は飴で砂糖菓子の一種。口の中で舐め転がして食べるもんだ。結構甘くて美味しいぞ」
お嬢様は小袋から白っぽい物をひとかけら取り出し、物珍しそうに眺める。
レンもまたお嬢様のもつ小袋からひとかけら取り出し、口の中に放り込んだ。

「……しまった。製法間違ったかな、結構やわらかいな……」
「ふぅん……」
レンは眉間にしわを寄せてぼやいた。
レンの様子をうかがっていたお嬢様は躊躇なしにアメとやらを口の中に入れる。

「んー……ん?」
口の中で転がしたお嬢様の表情が少しずつ変わっていく。
あれはデザートや菓子を食したときの喜びに満ちたものだ。

「結構おいしいわね」
「本職はもっと上手に出来るんだが、まぁ妥当な線ではあるな」
「じゃあこれごと全部貰っていいかしら?」
「げ、葵にもおすそわけしたかったんだが、うーん……。よし、まあいいでしょう!」
お嬢様は喜びに目を輝かせてアメが入った小袋をセイバーに手渡した。
先程までの突き放したような態度は微塵も感じられない。

「それで話って何かしら。話題によっては答えてやってもいいわよ」
「そうか、なら遠慮なく……」
本当に遠慮なく、レンは知り合いと他愛のない話をするような口調で、

「ディートリッヒに何かあったのか?」

驚くべき事を口にした。
お嬢様もあまりに意外だったのか、一瞬唖然となさった。

「俺が彼女を見かけたの三週間前、それから二週間前。それだけなのにこうまで態度に違いがあるとさすがに違和感を感じる。
 三週間前は主に心から使える献身的な侍女だったのに、今のディートは模範的な侍女を必至に演じようとしているだけにしか見えない。
 彼女に何かあったのか?」
「……そんな事あなたに関係ないじゃない。我らアインツベルンに口出ししないで」
「するさ」
憮然と言い放ったお嬢様だったが、レンは彼女の様子に全く怯まずに真剣な面持ちで見据える。

「見れば分かるがこの町にまだ海外からの来訪者は少ない。ディートもクリスもここにいるだけで少なからずこの町に影響を与えてる。
 三週間もいるぐらいだから、君たちもただの観光でここにきたんじゃないんだろう?
 ……だから俺はこの町の住人として、町に悪影響を及ぼす事はして欲しくないし、君たちに不快な思いもさせたくない」
「随分とご立派な主義主張だけど、レンの話だとディートが悪影響を及ぼしているって事につながるわね」
「……」
レンはわずかながらこっちに視線を流した上で目を伏せた。
それは僕の事を親身になって本気で心配しているようだったけれど、それが僕をいらつかせる。

「市場でディートの様子、聞いたぞ」
市場での、僕の様子……?
お嬢様は興味深げにレンの方へと身を乗り出した。

「話しなさいレン」
「ああ、もちろんそうするつもりだ。嫌といっても君には聞かせたい」

それからレンは今日僕が行った事をつぶさに語りだした。
市場での値切りでは不快な意志を隠そうともせずに表し、時には脅しとも取れる表情まで見せた。
水遊びをしていた子供には厳しすぎる口調で叱咤した。
肩に触れた相手に謝ろうともせず、むしろいらいらが態度に表れていた。
その他もろもろ。

レンから語られる事実にお嬢様は時に唖然としながら僕やセイバーに視線を移し、時に目を伏せたりした。
話が終盤に差し掛かるとお嬢様はもはや少女の様子をひとかけらも見せなかった。
話が終了すると、頭痛の時のように頭を抑えて憔悴したように俯かれた。

「……それ、本当なの?」
「ああ。町中とはいかないけれど、この近辺ではもう噂になりだしてる。
 一週間前から無機質になってきたらしいけど、今日はまるで子供みたいに感情むき出しだ。
 俺も話半分って思ってたけど……今の様子を見ているとあながち間違いじゃないだろうな」
お嬢様は浅くため息をもらすと、こちらに深刻な面持ちを見せた。

「ディート、説明なさい。これはどういう事なのかしら?」
「理由などありません。それが事実です」
答えるのがわずらわしくなったので簡潔に答える事にした。
それが癪になったのか、お嬢様は冷厳に追求を行う。

「私はそれが本当なのか、なんて当たり前の事は聞いてない。なぜそうしたのかを聞いてるの。アインツベルンでの教育を忘れたなんて言わせないわよ。
 アインツベルンの名を辱める行動をとる事がどれほどものかをあなただって分かっているでしょう。
 何か弁明でもしたらどう?」
「弁明? そんなもの必要ありません。私は私の仕事をこなしただけです」
……自分の声すら頭に響く。まるで頭の中で警鐘を鳴らしているようだ。
僕は憤った様子のお嬢様を一方的に無視した上で歯をこすり合わせて自分の荷物を背負った。

「話がそれだけなのでしたら私はこれにて失礼させていただきます。それでは」
「ディート! 待ちなさい……!」
立ち去ろうとした僕の衣服をお嬢様は掴み、その場に止めようとする。
……何をしてくれるんだ、この人は。


「離しなさい……!」


乾いた音が、響き渡った。

僕がお嬢様の手を叩き払ったと分かったのは唖然とするお嬢様を視界に納めたからだ。
彼女は僕と自分の手を交互に見てゆく。
そしてお嬢様は振り払われた手を握り、

「……そう」
急激に冷めていった。

レンとセイバーが雰囲気の変わりように驚き、周りに人が集まりだしている事を気にも止めようとしない。
お嬢様の僕を見る目は明らかに敵対するものへと送るもので、そこには嘲りや戯れなど一切含まれていなかった。
お嬢様は、アインツベルンの魔術師として僕を殺す気だ。

「セイバー、ディートリッヒを殺しなさい」
セイバーはいぶかしげに眉をひそめ、レンは更に驚愕する。

「クリス、こんな所で戦闘を行えば事後処理がとてつもない事に……」
「遠坂に全部押し付けるわ。この者はアインツベルンのマスターへの反逆者として制裁を与える。拒むと言うのなら……」
彼女はセイバーに対して令呪をちらつかせる。
セイバーは苦虫を噛み潰したよう渋い顔をし、お嬢様の前に進み出た。
大方内輪もめで令呪を使われるのが馬鹿らしいからだろう。

「お、おいっ、正気かよ! こんな所で騒ぎを起こせばどんな事になるかクリスにだって分かるはずだろ、冷静になれよ!」
「うるさい、少し黙っていなさい……!」
「な……っ!」
お嬢様は瞬時にレンの方を向き、直後にレンの動きが固まった。
邪魔されないよう魔術を使ったのだろうが、あまりもの鮮やかさに感嘆の声がもれる。

……僕ではセイバーを倒すどころか、逃げおおせる事すら不可能だろうな。
だからって今の僕は弁明したい気分に全くなろうとしない。それが不思議とも思わない。
ならやる事なんて一つしかないだろう?

僕の中で、何かがほくそ笑んだ。
その何かが僕に手段をもたらしてくれる。


お嬢様の気がそれているうちに返り討ちにしちゃえ。


「Eisern Inva--」

僕は自分でも驚くべき技術と暗示を示し、たった一小節で雷の魔術を構成する。
狙いはお嬢様だが、セイバーの抗魔力で守護されないよう広範囲にわたるものを念入りに想像する。
そしてセイバーの動作より早く魔術の構成が終了して解き放とうとして、

――意識を刈り取られた。



to the next stages…


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第6話に続く

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 今回の変更点
憐とディートの関係を始めはあまりよくないように修正。
クリスらセイバー陣営とシャルロットらキャスター陣営の対面を追加。単に最後のキャスターの言葉を言わせたかっただけ。
前8日に憐との再会をずらす。憐とシャルロットを鉢合わせさせたくなかったから。
その他もろもろ、ほとんどを書き換え。
  2006年6月1日
  2007年1月25日 第一修正
  2007年10月28日 第二改訂


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