Fate/the midnight saga

第2話


   /前30日

「真木……憐」
「そう。それが俺の名前だ」
彼は子供のように純粋な笑顔を浮かべた。

……何か裏でもあるんじゃないだろうか?
冷静になってみればただでこうして親切にしてくれるだなんてどう考えてもおかしい。
もし彼が聖杯戦争の関係者なら、こうしてアインツベルンの侍女服を着こんだ僕はあからさまにその存在を誇示している。
接触を持ってもおかしくない。

僕は彼を真剣に視て……魔術師でないと断定する。
魔術師特有の魔力の痕跡が見られない。その意味ではこの人は一般人だ。

次に外見。……英国の言葉を借りるならば、実にアンバランスだった。
下は袴なのに上はドレスシャツを着こなしていて、しかもネクタイはネクタイと言うよりリボンであって蝶々結びをしている。
僕の尻の下にあるのはどう斜め見してもフロックコート。しかもそれなりに生地や仕立てがよく、仕事によるものだと僕でも分かる。
ウェストコートは着ておらず正装ではない事だけは分かるけれど、明らかにわざとそうしているようだった。
……なんなんだ、この奇妙なセンスは。

身体は抱えられた時に分かったけれど、細身に見えて引き締まっていて、明らかに鍛えていると分かる。
それでも一見すれば中性的に見えてしまう感じなのは、顔立ちのせいだろう。こんな格好をしていなければ女性だと見間違うほど中性的だ。
後ろで赤いリボンを使って束ねている長髪の質はつややかなもので、若干の波が入っている。これが更に助長させているんだろう。

物腰は……この国でもたまに見かける武士のものだ。庶民とは明らかに違っているのが判断できる。
腰には刀と脇差をさしているのだからこの推測は当たっているはずだ。

――総合的に考えて、警戒に値する存在だろう。

「どうもありがとうございました。そしてご迷惑をおかけしてしまって申し訳ございません」
「困った時はお互い様さ」
彼はコートのポケットから財布らしきものを取り出して、ある程度の金額を僕の手のひらにのせた。

「これは?」
「さっき言ったいたんだ食材の代金。同じのを買うって豪語したけれどさ、さすがに貴女を俺につき合わせたんじゃあ迷惑だって気づいてね」
なるほど、そのための代金ならば……。

僕は彼の手首を掴み、お金を乗せようとして……見事に振り払われた。
今度は彼が持っていた痛んだ食材を掴もうとして……軽くよけられてしまった。
僕は思わず立ち上がって彼を睨みつける。

「親切にしてくださったのはありがたいのですが、私はほどこしを受けません。したがってその食材を返していただきたい」
「ほどこしって……随分と突き放すなぁ」
彼はため息まじりで上着のほこりをはたいてまた着なおした。

「ならこの傷んだ食材をその代金で買ったって思えばいい。それでいいだろ?」
「む……」
確かにそれなら理にかなっている。買った時の代金よりもやや少なめなのもそのためだろう。
……はあ、これで買いなおしたら更にお金がかかる。お嬢様やヨハンに何て言えば……。

「あれ? このぐらいの金があれば食材全部買ってお菓子が一個買えるほどだぞ」
「えっ?」
このお金で?

「……あいつら、よそ者だからって足元見やがったな。後でとっちめてやらなきゃならなそうだな」
レンは呆れたように頭を抑える。
……なんて事だ。最善を尽くしたと思っていたらまだ先があっただなんて。

「迷惑じゃなければ俺が買い物に付き合おうか?」
「お気遣いには感謝いたします。しかしこれ以上貴方様にご迷惑をおかけするわけにはまいりませんので、これで失礼致します」
本当に感謝はしているけれど、彼が何者か分からない以上下手に彼に干渉するわけにはいかない。
僕は頭を下げてその意を心から表す。

「……そう、分かった。また何かあったら街の人に声をかけてみてくれ。レンの名前だけで通るはずだから」
レンだけで通るって、貴方どれだけ有名人なんですか。
彼は寂しげな表情を一瞬見せたが、すぐにまた笑顔に戻った。

「じゃあまたいつか会えるといいな」
「はい、それでは失礼致します」
僕は彼が立ち去っていくのをおじぎをしながら見送った。

マキ、レン……か。随分と不思議な人物だったな。
ああいった人物がこうした街の日常を構成しているんだろうな。
温かさに満ちた、僕とは無縁の……。

「そもそも生きる意義も世界も違うか」
僕は彼の事は忘れる事にして、再び市場へと向かっていった。


「あら、ディートじゃない。そんな所で何してるの?」

買い物をようやく終えようとしたその時、不意に後方から聞こえてきたのは甘いほど幼く最も聞きなれた声だった。
振り向くと声の主は何か面白い事柄を悟ったみたいに笑みを浮かべる。

「って野暮な質問だったわね。いい食材は買えたかしら?」
「はい。新鮮なものばかり揃えてありまして、こちらも助かります」
その人物、お嬢様は僕が手に持っていた野菜をしげしげと眺め、セイバーに視線を移す。

お嬢様の粉雪のように美しい髪や幼さの残ったあどけない美貌は否応なしに人を惹きつける。
セイバーの身長がこの場にいる誰よりも高い存在はこの場を支配するように佇む。
明らかに僕らは目立っていた。

「……お嬢様、これでは襲ってくれと言わんばかりなのでは――」
「どっからでもかかってらっしゃいの間違いよ。例え大勢いるこの場でも、ね」
ふふ、と笑うお嬢様は何処までも純粋だった。
純粋がゆえにその台詞が出てくる冷酷さには感心するばかりだ。
そんな僕の考えを見抜いたのか、お嬢様はこちらの顔をのぞきこんできた。

「ディート、午後は私に付き合いなさい。いいわね?」
……え? 何でまた?

「怖れながら申し上げますが、理由をお聞かせ願います」
「私がそうしたい気分だからよ。ヨハンには私から言い聞かせておくから安心なさい。仕事だって一日貴女が抜けたくらいじゃあ支障は無いわ。
 それと荷物持ちが嫌なんだったらセイバーに押し付けてもいいのよ」
「そっそんなわけにはまいりませんっ!」
「じゃ、付き合ってくれるわね?」
絶句。僕にはもう選択肢が無いも同然じゃないか。
午後に控えている仕事の山を考えると苦笑いしたくもなってくるけれど、背に腹は変えられない。

「かしこまりました。不肖ながらお供させていただきます」
「うん、よろしい」
お嬢様は晴天がよく似合いそうな笑顔を見せてくれて、軽く一回転をなさった。


 そんなわけで僕とお嬢様は昼食を取った後で一緒に歩く事となった。
ちなみに昼食として選んだのはうどんだった。
箸を使って食べる行為は訓練を受けていたからできたものの、吸って麺を飲んでいく行為には違和感しか感じなかった。
味は……正直おいしかったのかは分からなかったけれど、嫌いな味ではないと思う。

一応ナプキンも持ってきていたから助かったけれど、そうでなかったらお嬢様の衣服は今頃うどんの汁まみれだっただろう。
かく言う僕も若干ついてしまったのは衝撃的だった。

当然の事ながらサーヴァントであるセイバーは食事の必要が無く、傍らに座しているだけだった。
ただし、聖杯からさずかった知識で日本食の食べ方も身についているらしい。
聖杯はどれほどまでを一般常識として英霊に与えているのだろうか。少し興味もわく。

「貴女も教育を受けていたから知っているけれど、この冬木の地には四つの霊脈があるのよ。
 円蔵山、セカンドオーナーである遠坂の邸宅一帯。あと二つは川の向こう側で南の丘の上、そして旧城下町付近よ」
もちろんその辺りの知識は事前に学び、それを元として戦略を組むよう教育を受けている。

神秘が薄れてきている今では霊脈はあまり関係してこないだろうけれど、かつては神秘こそが全ての上を行く存在だ。
そんな時代につくられた神殿のたぐいや王宮などはそれを考慮に入れた上で土地の選定を行ったはずだ。この国とて例外ではないはず。
円蔵山と遠坂邸がどちらかと言うと優れていて、円蔵山こそが命脈の集結地だとか。

「昨日と今日で川の向こう側の霊脈を確認したんだけれど、今では特定の一族や機関が支配している様子はなかったわ。
 だから今後魔術師かキャスターが一帯を手中に治めてくる可能性は十分に考えられるわね」
「それでは今日はこちら側の霊脈の確認を?」
お嬢様は不敵に唇を上げ、ここからでも見える山の方を指差した。

「遠坂は昨日確認済み。最後の仕上げとして円蔵山に向かおうと思うのよ」


あまり早く歩いた覚えは無かったけれど、数十分ばかり時間をかけた程度で円蔵山の頂上に位置する柳洞寺のふもとに来る事ができた。
峠道の坂は終わり、残されたのは果てしなく思えてしまうほど物々しい石段だった。

僕らは無言で石段に足をかけて上りだした。
昇っても昇っても景色が変った様子はなく、両脇に森が広がり、先には石段が広がるばかり。後ろを振り返ってようやく高さを実感できるだけだ。
……体力担当じゃない僕にはさすがにきついものがある。

「うー……長い」
始めは歩く速度と同じだったのに、次第にペースが落ちていく。
しまいには僕もお嬢様も疲れ果ててしまい、懸命に足を動かす風になってしまった。

「……こんな所に拠点置くような奴はよっぽどの好き者よね」
「ですが……」
僕は静けさを保つこの空気を吸い込んで、深く吐き出した。
そして落ち着いて辺りを感じ取っていく。

「……これはもはや聖域にまで達しているのではないでしょうか」
「そうね。数百年の歴史を持つ神殿に来たのなんて初めてだけれど、まさかここまでのものとはね……」
ここの空気ははっきり言えば異常だった。

心は海のように穏やかに、身体は生命力にあふれ、魂は不安など消えてしまいそう、そんな空間だった。
自然とこの山全体に結界はかかってしまい、異端の者を排除しようとしているかのようだ。
おそらくはこの参道を除けば異端の存在、つまりサーヴァントが突入する事はできないはずだ。

「進入するにはこの道一本……こんな所をキャスターに取られて『神殿』を構築されたんじゃあいくら抗魔力のあるセイバーでもやっかいね」
「歴史ある寺が頂上にはあるようですし、手を出してしまったら他のマスターが結託をし、総攻撃をするのではないでしょうか?」
「始まってしまえばどう転ぶかは分からないわね。警戒を怠らないようにしないと。セイバー」
お嬢様は隣で黙々と昇るセイバーに体を向け、セイバーもそれに答えるように顔だけを向けた。

「今何者かがいる様子は?」
「ない、な。ただ私が感知できる範囲はそう遠くない上に敵が何らかの能力を行使していないと判断できない」
「そう……」 そう、とだけ返事をするとお嬢様は歯を食いしばった。
……明らかに息切れしている。少しペースが速すぎたのか?

と、セイバーはそっとお嬢様の背中に触れると、次の瞬間には軽い荷物のように持ち上げておぶってしまった。
目を丸く見開くお嬢様は言葉も出ない……というより言葉を発しようとしてもそうならないようだ。
そんなお嬢様をうかがってセイバーは満足そうに微笑を浮かべた。

「頑固だなマスターは。サーヴァントであっても元々は人間だった身だ。これぐらいの配慮は浮かぶさ」
「な……あ……」
「なに、まだ敵が周囲にいる様子はない。こうしていても何ら問題はないだろう?」
お嬢様は顔を林檎のように真赤にしながらセイバーを指差すものの、発する言葉は支離滅裂だった。
僕は自然と微笑ましく笑みが浮かんでしまう。

そうして昇る事かなりの時間、ようやく山門までたどりつく事が出来た。
普段ここまで脚を酷使した事なんてなかったから実に疲れ果ててしまった。
お嬢様はセイバーの背中から軽やかに降り立ち、境内をうかがう。

「特に……変わった様子はなさそうね」
確かに、文献で見た通常の寺と遜色ないと思う。
後はせいぜい寺に住み込んでいる僧侶に話を伺い、何らかの変化があるかどうかを聞くぐらいか。

「ちょっとディート」
「……なんでしょう……か……」
「貴女大丈夫?」
大丈夫じゃありません。キロ単位の荷物を持ちながらこの階段をのぼっていくのはさすがに疲れます。
必死になっておもてに出さないよう努力しても、すぐににじみ出てしまうほどの疲労感だ。

「あの建物で少し休みましょう。帰りはセイバーに荷物を持たせるといいわ」
「感謝いたします……」
息も切れ切れになりながら何とか本堂に辿り着いて、座り込んでしまった。
深呼吸を何度も行って息を整えていく。

「ほう、異国の者とは珍しい」

不意に、奥の方から声が聞こえてきた。
思わず僕とお嬢様はそちらの方に振り返り、セイバーはお嬢様の前にすばやく出た。
やがて木製の床をわずかにきしませながら誰かが現れる。

「しかし仏の道は誰にでも平等に開かれている。ようこそ柳洞寺に」
その人物は手を合わせて僕らに軽く会釈を行った。

「……」「……」「――」
「? ワタシの顔に何かついているのか?」
警戒を怠らないセイバーを除いた僕ら二人はその人物の姿を見て正に呆気に取られていた。
そんな僕らの様子を不思議がるその人物。

「――なるほど。貴女方だったか、先日この地に来訪した方々とは。それではワタシを一目見て驚くのもうなづける」
あいにくワタシは世間に疎くてね、と続けるがそんな事問題じゃない。

「アンタ、何?」
初対面の相手にかける第一声としては不躾以外の何物でもない言葉をお嬢様は投げかける。
とは言え、僕も同じ気持ちだったので弁解するつもりは無かった。
彼女はほう、とうなると、

「ワタシはこの柳洞寺に滞在する、柳洞はなぶさ という者だ」

当たり前のように自己紹介を行った。


   /

 彼女は一言で表すならば少女だった。年齢ならば僕らとほとんど同じぐらいだろう。
服装は典型的な和服と袴。ただし全てが贅沢な要素など何一つ無い黒で統一されている。垣間見る程度では巫女装束と判断できなくも無い。
だが彼女の肌は対照的にまるで死人のように白く、腰よりやや上まで伸びた髪と瞳は黄金に泥をぶちまけたように濁っていた。
当然の事ながらこの国の人間ではない。

何でこの国でこの時期柳洞寺にこんな人物がいるか?
そんなのもう決まっているだろう。彼女の目的なんてそれこそレンという男性よりはるかに明らかだ。
僕達はなるべく冷静を装いつつ相手の出方をうかがっていると、

「……そう身構えてもらっても困る。そこまでワタシは妖しい者に見えるのか? 随分と信用されてないのだな……」
全く警戒せずにため息をもらして腕を組んだ。
その行為は僕から見ても明らかに隙だらけでもあった。

「全てを疑ってかかってこそ何事にも対処できる、それが信条なのよ。貴女のせいじゃないわ」
「そうか、だがワタシにはあいにくオマエの警戒心を解く芸当などできないぞ」
彼女は黄金の瞳でさざなみもたてないようにお嬢様を見据える。

「お参りならば賽銭箱はそこだ。説教を聴きたいのなら住職を呼ぼう。境内の見学のみならうちの若い衆に任せるとしよう」
「いえ、柳洞寺がどんな所か見に来ただけだから三つとも必要ないわ」
それより、と今度はお嬢様がハナブサを鋭く睨みつけた。

「何故あなたがここにいるのかをぜひ聞きたいわ」
「何を警戒しているのか分からないが、ワタシは明治が始まるはるか以前から柳洞の者としてこの寺に住み込んでいるのだが?」
即答だった。
僕は思わず呆気に取られる。

「確かにワタシはこの寺よりほとんど出た事は無いが、以前の住職には大変世話にもなっているし街の者とも交流はある。
 ワタシの人物像が知りたいのなら街の皆に聞いてみてくれ。――これである程度答えにはなったかな?」
お嬢様と僕はまだ呆気を引きずりながら顔を見合わせた。

「ディート、どう考える? 魔術師が聖杯戦争のためとは言え数年間も準備期間に費やすかしら?
 しかもあの様子だと研究のたぐいは一切してないわよ」
「……そこまでして極東の地で行われる聖杯戦争にこだわるとは考えにくいのですが」
確かに聖杯戦争の神秘は魅力的だが、それまでの研究を全て投げ打ってまで参加する魔術師は皆無のはずだ。
アインツベルンとマキリを除けば……。

「そもそも……私にはアイツの事が視えないのだけれど、貴女はどう?」
「――同じです。まるで男性が女性にはぐらかされるように手からすり抜けてしまいます」
「随分と物語みたいな例えじゃない」
幻惑や幻覚のようにはっきりと分かる不鮮明さではない。
さっきから彼女の正体を確かめようとうかがってはいるけれど、魔術師かどうかを確かめようとするとどこかがずれてしまうのだ。
柳洞寺の境内という特殊な環境のせいなのだろうか?

強いて判断材料としてあげるなら物腰と雰囲気。
普通の少女じゃない事は一目瞭然だけれど、魔術に関わる存在でない事だけは推理できた。
身体の動きは滑らかで無駄があまりない、にもかかわらずそのありようは力強い。

「失礼ながらお聞きしますが、武芸者でしょうか?」
思い切って聞いてみる事にした。
ハナブサは感心するようにほう、とつぶやく。

「あいにくワタシの剣は武道や武術とは対極に位置するもの、実戦を想定した殺人剣に過ぎない。
 つい数年前に起こった戦争でも少しばかり参加させてもらった。
 ――もしかして警戒されたのは血のにおいがしたからとか、態度に危険さを感じ取ったからか?
 だとしたらワタシの責任だろう。謝罪する」
「「……」」
ハナブサが再び頭を下げるのをよそに、僕とお嬢様は再び顔を見合わせた。
今度はセイバーもお嬢様に意識だけを向けているようだった。

「セイバー。コイツがキャスターで、全員の記憶操作が終了してる可能性は?」
「ない。これだけ近距離に他のサーヴァントがいたならばキャスターであっても気づいていただろうから、その時は一刀両断している」
「そうよね。野暮な質問だったわ」
野暮でも万一を考えれば考慮に入れるしかないとは思います。

「……だとしたら魔術師でもサーヴァントでもない、開国する前に日本に帰化したものすごく変わった女ってだけなの?」
「その判断も早急だと思いますが、それが現時点で一番納得できる答えなのではないかと」
「そう」
お嬢様は軽く息を吐くと、セイバーに脇によるよう手だけで指示を出した上でハナブサの前に出た。
僕らが密談をしている間、彼女は何も聞いていないようにあさっての方向を眺めているほど落ち着いていた。

「ハナブサ、聞いてもいいかしら」
「答えられる範囲なら」
ハナブサは無表情のまま淡々と答えるだけだった。
いつものように無邪気でありながら不敵な笑顔を見せるお嬢様はセイバーの方を指差した。

「彼、どう思う?」
「今のワタシではまず勝てないだろう、ぐらいにしか分からない。……と言うより、彼ほどの存在をワタシに測れと言われても困るぞ」
「……随分といい洞察力をしてるじゃない」
「物腰や態度や眼、それから手の平を見ればどんな生き方を送ってきたのかぐらいは分かる」
その発言は僕にとっては意外だった。
熟練した達人なら人目で相手の全てを看破できると聞いたけれど、ハナブサは正にその眼でセイバーをある程度見抜いた事になる。
まさか普通の人間がそれをこなすとは思わなかったからだ。

お嬢様は腕を胸元にやりながらしばらく考え込み、やがて納得したのか立ち上がった。
そしてセイバーに手で合図すると、彼はハナブサに背を向けた。
その上で僕にも立つようにうながす。

「じゃあ私たちはもう行くわ。あいにくホトケには一切興味ないし」
「そうか、実はワタシもだ」
あっさりと言い放つお嬢様に苦笑するハナブサ。
今とんでもない爆弾発言を聞いたような気がするけれど、気にしないでおこう。

「それじゃあ私たちみたいにヘンな奴らがここにやってきたら知らせてくれないかしら」
「今度会ったときに、だろう。ワタシから声をかけるなんて嫌だぞ」
「考えておくわ。行きましょうディート」
「はい」
お嬢様はきびすを返し、セイバーと共に歩み始めた。
僕もほぼ同時に荷物を持って立ち上がり、お嬢様に従う事にしようとして――、

「気をつけろ」

いきなりハナブサにそう言われた。
思わず動きを止めて彼女の方に視線を向けてしまう。
ハナブサは闇のように深い表情で口を固く結んで、深い黄金の瞳でこちらを見据えていた。

「オマエの何かが始まろうとしている。その時どうなるかはオマエ次第だろう」
「一体何を言っている――」
「ディート、早くしなさい」
「あ、はい。今参ります!」
お嬢様に返事を行って再びハナブサへと顔を向けると、彼女はもう廊下の奥の方へと歩み始めていた。

――何かが始まろうとしている。
何かとは何だ?

「変わった奴だったわね」
「だが私から見たところでも彼女はかなり実戦経験をつんでいるようだったな。だが――」
お嬢様とセイバーの会話を僕は半分も聞かないでいた。
ハナブサの言葉はあまりに漠然とした言葉に何の手がかりも感じ取れないままで、何を言いたいのかさっぱりだった。

なのに、なぜかわずかな不安が胸に残った。


   /前23日

 上を見上げても横を眺めてもあるのは長い列を成す本棚で、どれもが年代を感じさせるほど古いものばかりだった。
そこは全く見知らぬ場所、そこで本を読んでいる人物が一人。
文章はラテン語で書かれていてどうやら詩集のようだった。

静寂を破ったのは来訪者が入出するために扉を開いた音だった。
靴の音を響かせて、見たことのない聖職者の服装をした女性が目の前に立ち声をかけてくる。
背は随分と低く成熟しきっていない印象を与える。それでもかわいいというより凛々しいというべきか。
髪は聖職者らしくなく、少し短く刈っているだけだ。藍色の髪とエメラルドの瞳が彼女を印象深くする。

シアンと呼ばれた目の前の人物と誰かが会話を始めた。
その内容から来訪者が神父であり、二人ともが聖堂教会の代行者だとも分かる。
彼らの口からいくつかの固有名詞はでるものの、枢機卿や騎士団、埋葬教室という言葉が飛び交うだけで僕には見当もつかない。

やがてシアンは本題に入るかのように目線を細め、その人物を見据えた。
シアンの口から発せられた一つの単語でその人物の声の調子がわずかながら変化を見せた。
真剣に語りかけるシアンを取り合わないその人物。明らかにその話題からそれたいようだった。

――真祖の姫君。

やがて会話は終わりを向かえ、シアンは魂が抜けるほど深いため息をもらして十字を切った。
そしてその人物に最後の忠告を残し、立ち去ってゆく。
その人物はシアンの忠告を自分の事だろうと一瞥し、再び読書に戻ってしまった。

その人物とは、僕。
僕の知らない僕は間違いなく笑みを浮かべていた。



「な……んなんだ……」

汗が滝のように流れて自分の身体を思わず抱えてしまう。
見慣れた天井、見慣れた光景。
ここは……アインツベルン城の自分達の部屋だった。

「一体今のは……」
思わず自分の顔に触れると、まるでお湯の入った袋のようにほてっていた。
なのに辺りは――アインツベルンの城より気温は明らかに高いはずなのに――ものすごく寒く感じてしまう。

「おはようございますディート。昨晩は随分とうなされていたようでしたけど、悪夢でも見ましたか?」
ふと隣を見ると、ヨハンがたった今着替えを済ませたばかりなのか、寝巻きを丁寧にたたんでいた。
その奥ではジェイナが半分眠った意識を覚醒させるように眼をこすりながらの状態で寝巻きを脱ぎ始めている。

「それにしても寝汗が酷いですね。そのままお嬢様の前に出ても見苦しいだけなので、せめて蒸しタオルで身体をお拭きなさい」
「――分かりました」
僕はヨハンの指摘を半分も聞けなかった。

夢が取りとめの無いものな事は僕にも分かっている。
だけれどもあそこまで意味不明なものを見ているのは最近になってからだ。
なん、なんだ、あれは……。

カーテンからもれる光によって日の出は向かえている事は分かった。
僕達侍女の一日の始まりを知らせるものだ。
ならばと僕は夢の事は後で考える事にして、ベッドから起き上がる事にした。

胸に宿る不穏な何かに動揺しつつ――。


先週に引き続いて買出しに来ていた僕ではあったけれど、実は頭を抱える有様になっていた。
その原因は今朝、お嬢様の何気ない一言にあった。
回想開始。

「ディート、今日は買出しの日だったわよね。ついでにお土産買ってきなさいよ」
「お土産、ですか?」
「そうよ。特にお菓子のたぐいをよろしくね。
 一応私も結構色々なところを回ってみてるけれど、全部は試しきれないのよね。だから適当な店の適当な品物でも買ってきて頂戴。
 ヨハンとジェイナにも食べさせたいからほどほどにいいヤツをお願いするわ」
「……」

回想終了。
このようなわけで、僕は寄り道をしなければならない事が決定していた。
市場での八百屋の主人に話をうかがったところ、町民に親しまれている茶店があるらしいので、そこに足を運ぶ事にした。

「いらっしゃいませー」
僕が店内に足を入れると、明るく元気な声と共に奥の方からお茶をお盆に乗せて一人の女性がやってくる。
彼女は僕を一目見るとはっと驚き、

「あら、これは珍しい事もあるものですね。親方、お客様が来てくださいましたよ」
「おおっ! それは本当か!?」
奥の方から更に男性が現れた。手には和菓子に使われると思われる材料が握られたままだった。
彼は僕を見るなり目を輝かせ始める。

「くぅー、職人生活ン十年。とうとう海の外からやってきた奴らにも俺が認められたってぇー事か……!」
「やりましたね親方!」
演技の一幕を見ているような感涙を流す男性に元気いっぱいに拳を握り締める女性。
……僕が言うのもなんだけど、妙な光景だ。

「ようこそ冬木の街へ!」
「街の皆さんを代表してー……」
「「俺(わたし)達が歓迎いたしまーす!」」

「…………」
『…………』
親方と呼ばれた男性とアオイと呼ばれた女性は満面の笑顔でポーズを決めてくれていた。
正直、反応に困ります。

「親方、葵ちゃん」
「なんだ?」
しばらくの沈黙の後、客の一人が顔を引きつらせながらようやく口を開いてくれた。

「自重しろ」
「そ、そんなぁ……!」
まるでピアノの鍵盤を一斉に叩いた時が似合いそうな反応を見せる親方。
隣ではアオイが半泣き状態になっていた。

「うう……だからやめませんかって言ったのに……」
「い、いや……でもよぉ……珍しいじゃないか。藩の外からの来訪者だって大別すれば俺たちと同じだろ?
 あの黒船ってやつが来てから世の中すっかり変わっちまったし、海の外から来た方でも歓迎すべきじゃないか」
それであの盛大なやりようなのは完璧に間違っていると思います。
もしお嬢様が訪れたとしてもやめてくださいね。

「ほら親方、彼女以外にもお客様がいらっしゃるんですから、仕事仕事」
「おおっ、そうだったな。それじゃあな!」
親方は気さくな笑顔を振りまきながら奥の方へと立ち去っていった。
のれんで見えなくなった後、アオイは深いため息をもらす。

「すみません、あの空回りな元気を他の方々にも是非分けたいものですけれど、親方はそれが好印象な方なんです」
「いいえ、あやまられる事はありません。むしろ歓迎される事はありがたい事ですよ」
「それでももっと方法があったんだと思うんですよ。本当にごめんなさい」
彼女は僕に対して何度も頭を下げてくるので、僕は正直あわててしまった。
何しろ僕は謝罪を受ける立場にはいなかったから……。

「それでもこうやって外の方がやってきてくださって街の人たちはみんな喜んでいますよ。
 みんな町の事を考える明るい方々ですから」
「そうなのですか。私は逆に部外者は歓迎されないとばかり思っていましたが」
そう、実を言うと僕はそんな事ばかり考えていたりする。

何しろこの国の近状を聞く限り、海外の者にかなりの抵抗があるのではないかと思ったほどだ。
いくらお嬢様にはセイバーがいても、街全体で注意されてしまっては完全に遠坂とマキリの思う壺だ。
……結局杞憂だった事が最初の日で分かってしまったが。
「――確かにそう主張する人たちもいる事は事実ですが……」
アオイはなぜか物悲しげな表情を見せて笑みを浮かべる。
その言葉に客の人たちも何か心当たりがあるようで、複雑そうだった。

「それでも素敵な方々ばかりですから、ぜひこの街を好きになってくださいね」
「そうですね。これほどまでに親切な人たちがいるのなら、必ずここは良い街になるでしょうね」
「はい」
アオイは僕を席に案内してくれ、荷物をわきに置いてくれた。
お品書き……メニューを読んでも何がなんだかさっぱりなので、とりあえず彼女お勧めのものを持ってきてもらう事にする。

ゴザと言うらしいが、靴を脱いで食膳につくなど向こうでは決して考えられない事だ。
こんな些細な所でも改めて文化の違いには驚かされるばかりだ。
それにしてもどう座れば行儀がいいんだろうか。

「なああんた」
温かくにがいお茶をすすっていると、前のテーブルに座っていた初老の男性がこちらに身体を向けてきた。
身を乗り出してこない辺り配慮がうかがえる。

「何でしょうか?」
「あのかわいいお嬢ちゃんとでかい男との関係は?」
かわいいオジョウチャンとでかい男? お嬢様とセイバーの事か?
その話題に興味を引かれたのか別の客もこちらに顔を向ける。

「あ、それ俺も見た。あの男、かなりの凄腕っぽいよな」
「ああ。武士とかっていばってた野郎があっさり道をゆずってたしな。ありゃ見ものだったぜ」
「この街じゃあそんな事ができそうなのって百目木の旦那か柳洞の姉御ぐらいだしなぁ……」
「無理無理。百目木の旦那は控え目だし、柳洞の姉御はやりかねなくても寺からほとんど出てこないしな」
「おいおい、沙耶ちゃんを忘れんなって。彼女だってこの前叩きのめしてたじゃないか」
「彼女の事は禁句だ禁句。例を挙げたらそれこそきりが……」
一同爆笑。事情が全くつかめない僕は完全に置いてけぼりだ。

「そんな屈強な男を従えてる女の子、明らかに俺たちとは住む世界が別だろ」
「あのお嬢ちゃん、藩主のお姫様とはまた違った雰囲気が出てるんだよなぁ。アレが向こうでの高貴な出ってやつなんだろうなぁ」
「で、どんな関係なの?」
なれなれしく失礼だとは思うけれど、不思議と嫌な感じはしない。

「私がお仕えしている方々です。私はあの方々にお仕えできる事を誇りに思います」
「へぇ……」
一同は関心の声をあげて、互いを見合わせた。

「何でこの冬木の街に?」
「申し訳ございませんが、お嬢様に関わる事なのでお答えする事ができません」
きっぱりと、僕は返答を拒否した。
守秘義務に反するなんて建前の概念ではなく、僕自身がお嬢様の事を話したくなかったからだ。

「それじゃあ君、年はいくつ?」
「つい最近十六になったばかりですが」

「じゃあ趣味は?」
「……炊事洗濯ですが」

「今好きな人とかいるの?」
「――質問の意図が全くつかめないのですが」
今鏡をのぞいたらいぶかしげに眉をひそめているんだろう。
僕の個人情報を聞き出してこの人たちに有益な事でもあるのだろうか?

「みなさん貴女の事に興味を示しているんですよ」
くすっ、と笑いながらお盆に乗せた皿をテーブルの上に乗せたのはアオイだった。
皿の上にはいくつかの和菓子がのせられていて、色とりどりだ。

「私に興味を、それはまたなぜでしょうか? やはり外から来た者だからでしょうか」
「もう、海外の方が珍しいからってだけじゃあないんですよ。何て言っても貴女はとても美人なんですから」
……え?
アオイの言った台詞が全く理解できない僕。
そんなの関係なしに彼女は雄弁に続ける。

「まるで極上の絹のように純白の髪、人をはっとさせる美貌。貴族に仕える方のように洗練された行儀。
 完璧じゃないですか。女のわたしが嫉妬するほどです」
そんなもの考えた事も無かった。

些細な違いこそあれ僕らホムンクルスのベースは同じだ。
容姿だって似たものになるから自然、アインツベルンの城ではこの姿が当たり前になってしまうのだ。
そもそも外見の良し悪しなんて僕ら侍女には無縁の世界でしかない。
お嬢様方、僕らとは別の方々は当然例外だが。

「そうおっしゃっていただけると嬉しいですが、私には外見は関係ありません。ただお嬢様にお仕えするだけですから」
「あまりにももったいないですよ。これからの時代、女は自分の価値を磨き上げてゆくものなんですから」
アオイは胸を張り腰に手を当てて力説する。
和服だからあまり目立たないけれど、しぐさをすればやや胸が強調されて大きい事が分かる。

「はあ……女が強い時代の到来なのかねぇ……」
「おいおい、かみさんの尻にしかれてるのはオマエだけだろ。俺たちと一緒にすんな」
「ははっ、違いねぇ」
一同再び爆笑。笑われた側はむきになって弁明をするも、途方に終わりそうだ。

「葵ー、すまないが一つ何か用意してくれないか?」
と、誰かがのれんをくぐって入店してくる。
その声をうけて店の半分ほどがそちらの方に振り返った。

「あら、今日はお稽古早めに終わったんですね」
「……実はまだ町内一周が残ってる。今日はしごきにしごかれたんで、自分へのご褒美ってやつ?」
「ふふ、そんな事をしていたらまたどんな目にあうか分かりませんよ」
「それだけは勘弁してくださいお願いします」
その人物はアオイと冗談交じりの日常会話をしながら席を探しているのか、視線をこちらに向けた。
そして僕の存在に気づく。

「やあ、また会ったな」
彼、レンは気さくに挨拶を送ってきた。

「レン、一週間ぶりでしょうか」
「そうだな。今日は実にいい天気だな。こんな日は外でのんびりしていたいよ」
彼は女性が嬉しがるようなさらっとした髪をかきあげた。

この前であった不思議な服装ではなく、街でよく見かける和服。ただし袴はきちんとはいている。
略式モーニングコートよりも体つきがよく分かる。彼を女装させたら大和撫子さながらになるかもしれない。
今度進言してみようか、なんて考えも思い浮かぶ。

「この前の服装は?」
「午前中は剣の稽古をしてるんでね。多湿なこの国にはコートやシャツは向かないって思い知らされたから」
わざとらしく肩をすくめてうんざりを表すレン。
そう言えば息も若干あがっていて汗もにじみ出ている。よほど激しい運動をしたんだろう。

「ところで……そう言えば名前、聞いてなかったな」
「名前、ですか?」
「そう、名前」
言われてみれば彼は名乗ってくれたけれど、僕の名は教えていなかったっけ。

けれどたった一度きりしか出会っていない相手の名前を知っても意味無いようにも思えますが。
しかし彼は僕を転倒から救ってくれた方、名前を教えるぐらいならいいだろう。

「ディートリッヒと申します。ディートリィナでもかまいませんが、出来ればディートとおよびください」
「ディートリッヒ、ドイツのサガに登場する王の名前か。それはまた意外だな」
彼は軽く驚いたようだったが、その物語を知っていたレンに僕の方が驚きだ。

「思いのほか博学なのですね。ホランドの文献しか参考に出来ないと思っていたのですが」
つい先日まで鎖国をしていた国の人とはとても思えない。
一週間前の王国英語といい、彼は本当に何者だ?

「ん、まあ特別な事情があるしな。自慢できた事じゃないから悪いけど言及はしないでおくな」
「――そうですか」
あくまで隠すつもり、か。それは残念だよレン。
僕はようじで和菓子を刺し、一つ口に運ぶ。うん、甘くておいしい。

「おい憐、おまえいつこのコと知り合った?」
「抜け駆けかこのヤロウ」
「抜け駆けって……一週間前ちょっと話し合った程度だって」
他の客に問い詰められて後ろに引き下がるレン。顔がやや引きつっている。
そのうちの一人、がたいのいい中年男性はこほんと咳払いをして自分の胸を叩いた。

「それじゃあ俺も自己紹介、と。俺は田中悟。こう見えて大工をやってる」
「おまえまで抜け駆けかよ。なら俺だって……! 自分は鈴木健、そこの銭湯の番台をやってる。そろそろ時間なんだが、ま、いっか」
「じゃあ俺も。俺は本田昭。菓子屋の手伝いをしてる。これがまたあまり売れないんだわ」
皆が次々と自己紹介。一度に紹介される事はないから一応対応はできるけれど、一度に全ては覚えられませんって。

「そんじゃあ俺は入江義雄って言うんだ。君みたいな美人さんならいつだって歓迎だぜ」
しまいにはこの店の親方までそれに参加する始末。
僕は正に呆気に取られるしかなかった。

「わたしは間桐葵です。どれだけ滞在するのか分かりませんけど、ぜひこの町を好きになってくださいね」
最後にアオイが満面の笑顔で締めくくってくれて自己紹介は終了した。
僕は……正直語る言葉がなかった。

「わ……分かりました。こちらこそよろしくお願い致します」
何とか返事を行う事ができたけれど、正直圧倒されっぱなしだった。

「憐はいいよなー。何気に女子供に人気があってさ。この前なんて俺のガキが尊敬するやつで憐の名前挙げた時は愕然としちまったぜ」
「でもまだ若いよな。細部の詰めが甘いと言うか、うっかりというか」
「あー、確かに憐のうっかりはひでぇもんばっかだな」
「あんたら……真昼間働かずに言う台詞がそれかよ」
言いたい放題のお客にレンは腕を震わせて怒りを懸命に抑える。
正直僕には話に全くついていけそうも無かった。

「おいおい、ここにいる連中はみんな夕方とか深夜が仕事だぜ。それに今は丁度昼時だ。仕事休みに来てる連中だっている事をお忘れなく。
 最低でもおまえさんみたいに後でボコボコにされる原因は作ってないぜ」
「うぐっ……! 痛い所をー……」

「すみません、ある程度持ち帰りたいのですが、和菓子をいくつか包んでいただけないでしょうか」
「あ、はい。お持ち帰りですね」
用事も済ませた事だし、帰ろう。ここは僕のいる場所ではない。
もし彼らのように語り合うのだとしたら、それはヨハンやジェイナ達僕の仲間――、

ザッ。

ノイズが、走った。

ザッ、ザザッ、ザー。

ノイズがだんだんと酷くなっていく。
目の前で行われる憐たちの他愛の無い会話。視えるもの聴こえるものに何かが上書きされていく。
幻想が現実をどくどくと塗りつぶしていく。

ザァー。

「…………」
「……」
「………………!」

聴こえるのは僕があまり聞かない言語での会話。なのにそれが何だかが手に取るように分かる。
視えるのは僕が一度も言った事のない場所。なのにそれが何処だかが一目瞭然。
相手しているのは僕が一度も会った事のない人物。なのに僕はそれが誰だか識っている。

「――騎士団は一体何を考えてあのような暴挙に打って出た――」
「――仕方がありませんよ。教会の概念では彼らは存在しない――」
「――生ぬるい事を考えるわね。我ら――――は教会の意思がなかろうとも、神敵を殲滅する権限が――」

彼らの主張はそれぞれがそれぞれの正義に則ったものばかりだった。
その正義が現実とぶつかり合い、苦悩する有様をただ黙ってやりすごしているだけであった。
一番感情的になっていた者がその態度に怒りの矛先を向ける。

「――! 貴方からも何かをいってください。わたし達は『彼女』と手を組んでまで神敵と戦っていると言うのに、なぜ枢機卿どもは……」
「世間一般の認識はどうでもいいでしょう。魔女狩りで一々他の意見を気にするの?
 神こそが正義であって、阻むのなら教皇でも断罪するのが――」
「それが枢機卿の前でする発現かい――――――。私はとても悲しいよ……」
「話がややこしくなるからあなた方は黙っていて――」

彼らの意見は真っ向から対立しているようで、実際には強調しあっているようだった。
互いに認め合っているからこそ会話は白熱しているみたいだ。
唯一無二の仲間、の言葉がふさわしい。

そんな彼らを見つめる――は……。

ザッ、ザザッ。

「……ト」

ザァー。

「……ト、ディート?」
ほんの少しのノイズの後、目の前の光景は元の茶店に戻っていて、僕はレンに両肩を掴まれてゆすられていた。
まだ呆ける僕の様子を見て取ったのか、更にレンはゆすろうとする。

「だ……大丈夫です……っ」
僕は思わずレンの手を振り払い、立ち上がった。
レンの様子を気にしていられるほど今の僕には余裕が無かった。

「それでは私は仕事が残っていますので、これで失礼させていただきます」
「え、ちょっとディート……!」
僕はレンの呼びかけを完全に無視して足早に店から出て行った。
一刻も早くあの場所から離れて一人きりになりたかっただけだ。

今の光景は一体なんだったんだ?
知らないのに識っているあれは一体、いつ、どこで、誰と、そんな経験をしたっていうんだ。
分からない、僕には分からない。

「何、なんだよ……」
天を仰ぐと空は見事なまでに快晴で、雲ひとつ無い。
こんなに晴れやかだと言うのに、僕はただその空を眺めているだけしかできない。

 一体僕はどうしてしまったんだ……?



to the next stage…


第3話に続く

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 今回の変更点
アインツベルンのディートがあっさり憐と仲良くする事がどうも考えにくかったので修正。
英の姓を柳洞に変更。理由:全く違う理由で付けたのに『真木』『百目木』『赤木』とかぶっていたから。実はそこまでこだわる姓でもなかった。
ディートとクリスの英との出会いを追加。あらかじめ英を知っていたレンに一人称で説明させたくなかったから。
ディートが冬木に連日訪れる理由が皆無なので、買出しを一週間隔として前23日に変更。
その他のシーンを含めて全て書き換え。主にディートの一人称に違和感を感じたから。

  2006年5月8日
  2006年5月17日 第一改訂
  2007年10月24日 第二改訂


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