/一年後
――聖杯戦争。
俺こと真木憐達が懸命になって駆け抜けた戦いから一年が経過していた。
真祖の姫ことアルクェイド・ブリュンスタッドの手によって聖杯は破壊され、第二次聖杯戦争は終結した。
さて、そんなわけで戦いを終えた俺は身辺整理を行って冬木の地をあとにした。
向かう先は勿論人生の何割かを過ごした英国、魔術師の総本山でもある時計塔だ。
数ヶ月にも及ぶ馬車や船を使った長旅は相変わらず俺にとってはあまり好ましいものではなかった。
まあ旅の行程はちゃんと選んだから戦争とかには巻き込まれずに順当に進みはしたが。
時計塔への帰還を果たした俺はとりあえず落ち着きたかった。
なにしろ戦いを終えても冬木の地では休まずに瑪瑙の事後処理を手伝ったし、長旅は正直心休まるものではない。
てなわけで質素な研究室、要は俺の工房にたどりついて真っ先にやったのは布団の上に寝転がる事だったりする。
しかし、状況がそれを許してくれなかった。
俺は数百人は入れそうな大部屋の中央でたった一人で立たされたわけだ。
要は裁判である。
何をとち狂ったのかと文句をいいたくもあったが、どうやら時計塔のお偉いさん方は俺を冬木のセカンドオーナー代理として扱うらしかった。
まあそれも無理はない。瑪瑙は下半身が動かないために英国まで足を運ぶのは無理。
しかし魔術用具を使ってのやりとりは莫迦らしいと悟ったのだろう。
こっちにとっては甚だ迷惑な話だった。
だって俺はあくまで遠坂としてではなく真木憐個人として参加を表明していた。
時計塔にもそう報告を行って休学届けも提出したし、受諾されたんだからそれを認めているとばかり思っていた。
なのになんで俺が遠坂の者として今更? なんて思ったわけだが断るわけにもいかないのだった。
向こうの言い分によれば、まず一般人に甚大な危害を及ぼした事が気に入らなかったらしい。
まあバーサーカーとか前キャスターとか結構やってくれたから否定はしない。けれどそれで責任を求めるのは筋違いだ。
なんていっても遠坂代理の参加者は事態収拾に尽力を尽くした。
その結果のバーサーカー組撃退だし、ライダー組がリタイアしても評価はされるべきだろう。
と言うかやったの日本の魔術師とマキリなんだから糾弾は筋違いだと思うが。
次に魔術協会から派遣されたマスターの抹殺。
魔術協会の執行者、シャルロット・ド・ブランドーは遠坂双魔に敗れた。
それを俺の個人的感情を抜きにすれば別に不思議でもない。何しろ今回ほとんどの参加したマスターが死亡している。
それだけ今回の聖杯戦争が混戦だったという証だし、死と隣り合わせの世界でその言い分は間違いなく馬鹿げている。
まあ、所詮この二つは前座でしかないんだろう。
本題はこの後。
そう、今回の聖杯戦争では二度も「」に至ってしまったのだ。
一回目はサタナとニムエによる神代の貴婦人達による万能の釜の中身と器がそろった結果生まれた必然。
二回目は合計七体のサーヴァントが満たされて生じた聖杯戦争真の目的でもある聖杯の成就。
知りませんで通したかったが、どうやら敵も侮れないものでしっかりと観察していたらしい。
要は魔術協会の監視なしに門を開けて、その門を破壊されてしまったのが相当に気に入らなかったらしい。
なんつー子供じみた言い分だ、などと内心呆れ果てたが一応口にはしないでおいた。
思わず洩らしたらたちまち面倒な事になるのは目に見えている。それは正直だるい。
そんなわけでお偉いさん方が一堂に集まって色々とおっしゃるわけだ。
耳の右から左へ状態だったが、黙っていたら立場が悪くなる一方なのは目に見えていたので反撃に出た。
なにを隠そう、言い訳は達者なのだった。
まず一回目。
本来なら魔法使いだっただろうサタナとニムエが聖杯戦争の制約を受けてそれぞれ魔術師の形で参戦したのが重要点だ。
別の形で制約を受けていたのだから、それが重なり合えば本来の魔法を行使できてもおかしくはないだろう。
魔法使いが魔法を使っただけなのだから驚く点などない。これが俺の言い分だった。
こっちの方は事情を説明したらなんとなく分かってもらえた。
一応この世界にも片手の指で足りるほどだが魔法使いもいる。
もしこの言い分が通らなかったらその魔法使いが魔法を行使したら即糾弾、なんて無謀な事をしでかす道を作ってしまう事になる。
さすがにお偉いさんもそれをしでかす無謀っぷりはなかったようだ。
次に二回目。
これは天下の宝刀を使わざるを得ない。
「聖杯は真祖の姫、アルクェイド・ブリュンスタッドの手で破壊されました」
誇張を一切含めない事実を言葉を選んで並べたわけだ。
要は責任のなすりつけである。
そもそも俺とアーチャーの組み合わせで駆け巡った聖杯戦争はアインツベルン城で終了している。
遠坂瑪瑙の聖杯戦争は英ねえの手で、遠坂双魔の聖杯戦争も俺とアーチャーの手で終わった。
要は、「」へと至る聖杯を成就させたのはアインツベルンであって遠坂ではない。
更に真祖の姫や蛇、それからシェラザードを含めた様々な妨害者が現れたのも大きい。
ついでに埋葬機関の干渉もほんの少しだけトッピング。全面的に聖堂教会のせいにしてもよかったが、瑪瑙の今後も考えて自重した。
そして決定的なのは真祖の姫による終結。
いかに人類最高峰の英雄と言えども実力的に考えれば死徒二十七祖の前後。
真祖の姫に真っ向から対抗できる英雄などそれこそうわさに聞く英雄の頂点に立つ英雄王ぐらいだろう。
もしかしたら英雄王と同格のランサーだったらできたかもしれないが、今となっては確かめるすべはない。
短くまとめればこんな感じだ。
妨害してくる相手が悪かったんだからどうしようもないじゃん。
そうなってくると事態は面白いように転がっていった。
色々とごたごたはあったが、結局かなりいい形で裁判は終結となった。
遠坂、アインツベルン、マキリ。それぞれ一切お咎めなし。冬木の聖杯戦争は今後も継続。
ただし遠坂が監督役を兼任するのは問題であるから今後の課題とする、だった。
元々聖杯戦争に関わったものたちに罪状なんてない、魔女狩りみたいなものだったんだ。
この結果になるのは当然なわけだがやっぱり嬉しかった。
先人達や当代が駆け抜けた儀式を続けたい、それが俺の純粋な願いだったから。
そんなわけで裁判終結直後の今、こうして友人と語っているわけだ。
「終わったー。正直退屈な講義よりも長くて途中寝そうになったぞ」
「本当に信じられねぇ、アレ本当にレンなのか? 授業開始で即居眠り、それがレン・トオサカだろうが」
「うるさいな」
時計塔での友人……もとい、悪友ことアレクサンデルは俺の様子がおかしかったのか、くくっと笑ってみせた。
時計塔内部にある食堂の一つに俺達はいた。
昼食用な場所なのもあって食事は始めに想像していたよりは簡素で俺にとっては嬉しかったものだ。
最もこの時計塔、れっきとした貴族と呼ばれる者も集うのでそれなりに味も品格も保障されているが。
アレクサンデルは由緒正しき家の跡継ぎなのだが、訳あって実家を離れて時計塔に籍を置いている。
一応俺もアレクサンデルの事情を知る数少ない一人なのだが、思い返すと間違いなく長くなるのでやめておく。
「そういうお前は傍聴席に座ってどうだったんだ?」
「はっ、俺をなめてもらっちゃあ困るなぁ。眠たくなったら即退出、醜態を晒すわけねぇだろうが」
ああそうだよな。お前はそうやって外見をいつも取り繕ってるもんな。
その理由が「内面を看破できる者しか認めない」な辺り根性が悪い。
ちなみに今見せているのがアレクサンデルの素である。
普段面に出している場合、こいつは淑女に変わる。
男のくせに淑女。一応弁解しておけば彼の生物学上の性別は女である。アレクサンデルも実は偽名だ。
性同一性障害とはほんのわずかに違った考えを持ち合わせているだけと考えている。魂の質が男なんだろうか?
「しかしあの老いぼれどももざまあねぇな。よってたかって糾弾しておいて結局レンはお咎めなしたあ情けねぇ」
「そう言うなって。所詮あいつらは自分たちの事ばっかしか考えてないんだから、結局俺を裁くなんて二の次だろ」
と一応言ってみたものの内心ではざまあみろと高らかに宣言したかった。
理由は言わずもがなだが、目の前のアレクサンデルも同様の意見を持っていたと知った時には驚いたものだ。
「仕方がないといえば仕方がないのかもしれないがな。なんと言っても聖杯を破壊したのが真祖の姫だ。さすがの奴らでも手も足も出まい」
「ったくよぉ、そうやって自分より上の存在に対してへつらうってのが頭来る話だぜ」
やや山吹色の入ったロール状の金髪を揺らしてうんざりしたようにため息を漏らすアレクサンデル。
一応外見の格好は淑女そのもの。美貌もあきれるほど男どもを魅了してるが、これがこいつの真相だと知ったらどうするつもりだ?
「なんだったら真祖の姫だかなんだか知らねぇがしめる奴はしめる! とか豪語して千年城強襲する莫迦はいねぇのか?」
「どこの魔道元帥だって」
俺達は二人して馬鹿笑いしだす。
会話の内容とその時に行う仕草は常時他愛のないものに変換されるよう協同で魔術を展開しているので全く問題ない。
だから俺達は遠慮なく素で話し合っているわけだ。
「しっかし英霊に師事に真祖の姫の参上、挙句の果てに聖杯の成就か。随分と濃厚な期間を送ってきたみたいじゃねぇか」
アレクサンデルはこんな性格ながら甘党である。
アイスとチョコなどがトッピングされたパフェの器をスプーンで叩きながら身を乗り出してくる。
「お褒めに預かり恐縮です、ってか」
ああ、確かにこの数年間は俺にとってかけがえのない出来事ばかりだった。
姐さんや師範とも再会した。英ねえとも葵とも出会った。
聖杯戦争に参加して様々なサーヴァントやマスターともめぐり合った。俺の兄妹の遠坂双魔と瑪瑙とも再会した。
尊い悲願を胸にしたクリスとも出会ったし、感情をそのまま体現したようなディートにも出会った。
そして青い剣士と歩み冬の世界を心像風景とした、アーチャーにも。
思い出したらきりがない。
あの戦いからは一年経った今でも回復しきっていない。それでも俺の道を明確に照らし出してくれた。
だから俺は歩んでいく。どんな困難が、絶望が待ち受けていようとも絶対に乗り越えてみせる。
俺のこの胸にある想いは、本物なのだから。
「はーあ、しくじっちまったな。こんな事だったら俺も参加しとけばよかったぜ」
そんな想いをよそに我が悪友は思いっきりぼやいてくれた。
背中をそらす仕草に思わず腹をくすぐってみようかなんてとんでもない考えが浮かぶが、自重しとく。
「はあ? なんでだよ。与えられる奇跡に興味ないって言ったの誰だよ」
「だけど英霊との出会いがレンをそこまで大きくしたんだろ。正直おまえと再会した時は驚いちまったぜ」
そんな指摘をされるほど俺は変化を遂げたのだろうか。
自分では大して成長していない、いつもどおりの憐なのだが。
「そう言ってるおまえだってそんな若さで様々な実績を積んでるらしいじゃないか」
「周りの評価なんざ俺には関係ねぇな。そんなものは俺の姓を振り回せばいくらでも転がり込んでくる」
……そうだったな。
アレクサンデルは自分が納得しさえすれば後はどうでも良かったんだったな。
そう貫こうとしてもある程度は気になる俺とは大違いだ。
アレクサンデルは再びグラスをスプーンで叩く。
いつの間にか中身は空になっており、器をもてあましているようにも見えた。
俺も食事を終えたので紅茶を口にしだした。
「で、レン。おまえはこれからどうするつもりなんだ?」
こんな時ばかりアレクサンデルは艶めかしく笑みを見せてきた。
こいつ、本当に一度決着つけてやった方がいいかもしれないな。
「聖杯戦争に勝った。奇跡も目の当たりにした。時計塔では絶対に伸ばせない成長をしてきたんだ。それを生かさないなんてことはなんだろ?」
「勝ってない。勝ったのはアインツベルンのクリスで、俺は負けたんだ」
「はっ、莫迦いうな。純粋な勝敗で言ったっておまえはやろうと思えば勝てたはずだろうがよ」
まあ、確かに無理にアーチャーと再契約を結んで、ランサー相手にもうちょっとうまく立ち回るように支持して、セイバーを不意打ちすれば勝てただろうな。
が、それは俺じゃない。俺の求める終結は純粋な勝利じゃなかった。少なくともあの時はそうだったんだ。
なら負けたって後悔はない。その結果を受け止めるだけだ。
「そうだな。外の世界をめぐってみたいって言うのもある。双魔兄さんはどうも十年間そうしていたみたいなんだ。
それに英ねえ……メドラウトが駆け巡ったブリタニアを見返したいって考えもあるかな。だけど――」
「だけど?」
うん、やはり俺はそうしようとは思わない。
俺という器を大きくしてくれた穏やかな時は、熾烈な戦いは終結した。
「しばらくは時計塔でがんばるつもりだ。旅に出るのはもう少し後でもいいかな。とにかく……いろいろな事を学んでみたいんだ」
なら俺はその器を満たすようにしなければ。
この悪友どころか英ねえや葵たち、みんなに恥じないようにしていきたいものだ。
そんな俺の様子をうかがっていたアレクサンデルは肩を震わせて笑っていた。
「やっぱレン・トオサカはそうでなくちゃな」
アレクサンデルの中の俺がどんな認識かは知らないが、悪い気分ではなかった。
「貫き通して見せろよ。絶対に」
「ああ勿論だ」
お互いがお互いの拳を合わせる。
同時に俺もアレクサンデルも不敵に笑いあってみせた。
「んでうちの根性なしどもが今回の騒ぎで下した結果なんだが、正直どう思う?」
「どう思うか?」
アレクサンデルも紅茶を味わう行程に移ったようだ。
さすがに生まれた時から英才教育を叩き込まれたおかげで作法は完璧。外見と見事に一致している。
「別に。思ったよりも判決緩くて拍子抜けしたぐらいだ」
「違うって。おまえじゃなくて別の対象があっただろうが」
ああ、聖杯戦争に関わった者達以外に下された決定ね。
シェラザードは死人にくちなし。見事なまでに色々な罪状が下されていた。
哀れ死徒よ。だが同情はしてやらん。俺お前の事ほとんど知らないし。
聖堂教会の介入は新アサシンの存在が更に話をややこしくしていたが、一応活動にあたっては日本の機関には事前承諾を得ていたらしい。
だからシェラザードが新アサシンの固定に使っていた第三聖典は数字持ちによって問題なく回収された。誰だかは知らないけど。
そもそも聖杯と銘うつ戦争に介入をしてこないよう遠坂が働きかけたんだから罪が軽いのは当然だ。
魔術協会もそんな不確かな理由で始める全面戦争はさけたかったらしく、糾弾は建て前だけに留めたらしい。
で、真祖の姫。実は彼女への魔術協会の対処が一番気になっていた。
討伐隊を組織するのか、情けない体たらくで黙殺するのか。
まるで腫れ物をさわるような扱いに思わず腹をこらえて笑いそうになったのは内緒だ。
そんな中、颯爽と現れる人物が一人。
「まっさかあの人が登場するなんて思いもしてなかったぜ」
「アルクェイドの責任は自分の責任だーとかなんとかだったっけ? アレには驚いたね」
そう、その人物によって真祖の姫への糾弾はどこへやらになってしまった。
彼の発言で協会内はあわただしく動き出しており、今やっと収まりつつある状態なわけだ。
そんな有様に俺とアレクサンデルは滑稽すぎて連日笑っていたわけだ。
「直接の弟子を数人取る、だったか? 各部門でまあ喜劇もびっくりなほど大騒ぎだったな」
「はは……。あの人の直弟子になるって事は破滅の後に廃人が決定だからな。
けれど機嫌を損ねないよう優秀な者を送らなきゃならないし、頭の痛いところだろ」
まあその人物があっさりと事態を解決してしまったために真祖の姫にも糾弾は及ばなかった。
そうして表立った断罪がなかったのは個人的には非常に嬉しい事だ。
それにしても各部門は一体誰を直弟子に選定したのだろうか。
協会の中では顔は狭い方だけれど、それでも気になるといえば気になる。
先生に言わせればとっても面白い事になるらしいから、ご愁傷様と言いたい。
「ま、せいぜい目に留められないよう注意するこったな」
「は? 俺なにか恨まれるような事やったか?」
おいおい、とアレクサンデルは呆れ果てる。
「真祖の姫に責任を全て押し付ける気満々だったんだろ。あの人は真祖の姫を気に入ってるんだから、どうされる事やら」
「わざわざ俺みたいなぺーぺーの半人前相手にそんな事をするとは思えないんだが――」
と、まで言ってアレクサンデルの言いたい事が分かった。
思わず席を立って手で顔を覆う。
「……まさか、俺達の部門は俺を生贄にするつもりか?」
「はっ、まさか。そんなのに選ばれるほど優秀だとか自惚れてんのか?」
アレクサンデルは鼻で哂ってきた。その目はまるで哀れな者を眺めているように冷たい。
思わずガンドを放ちたくなったがかろうじて押し留めた。
「まあ、とりあえずは気をつけろって事だな」
「気をつけてどうにかなるもんじゃないと思うんだが……」
万が一そんな事になったら今度はどんな手を使ってでもおまえを巻き込んでやるから安心しろ。
いつの間にか俺達のカップは空になっていた。
見ればちょうど次の講義が始まる時間も迫ってきている。
だから、もうこれで本音の語り合いは終了だ。
「さあて、やる事は山積みだな。なんていったって三年近く俺休んでたしな」
「日本の土下座ってのを見せてくれたら手伝ってやってもいいぜ」
「誰が。ある程度は自力で勉強するっ」
俺とアレクサンデルは周囲に展開していた魔術を解く。
途端にアレクサンデルの態度は淑女のものへと早変わりする。
俺もまた余計な事に遭遇しないよう、自己主張をあまりしないおとなしめの学生を演じる。
「ではいきましょうか、ミスタトオサカ」
「そうですね、エレオノーラ嬢」
そうやって俺はまた新たな一歩を進み始める。
あの時誓った想いを胸に。
他のみんな、どうしているんだ?
/
朝、遠坂瑪瑙はいつものようにゆっくりと目覚めた。
相変わらず朝は彼女自身にもどうしようもないほどに頭がぼやける。
低血圧気味なのか単純に朝に弱いのか。自分にも判断は出来かねたが、おそらく一生治らないだろうと自覚はしていた。
瑪瑙はゆっくりと起き上がり、つつましく車椅子に座った。
髪に櫛を通してから洋服に着替え、鏡で入念に確かめる。
車輪を回転させて洗面所に向かい、冷水を顔に浴びせて頭をはっきりさせてゆく。
居間に向かうと新たに雇った使用人がほがらかな笑顔を浮かべながら頭をたらす。
いい匂いがする。今日の朝ご飯も期待できそうだった。
食事を終えると瑪瑙は出かけると使用人に言い残し、車椅子を走らせる。
今日は週一で百目木邸に訪れる日。活発的でない瑪瑙にとっては数少ない外出する機会だった。
退屈は間違いなくしていない。心待ちにしていないと言えば嘘になるだろう。
見上げれば空は雲ひとつない青空。涼やかな風が頬をくすぐる。
さんさんと照り続ける太陽の光がやわらかく温かい。
瑪瑙は髪を揺らしながらゆっくりと車椅子を移動させて情景を楽しんだ。
百目木邸ではゆったりとした日常が流れていた。
ここ最近の世間事情から道場としても寺小屋としても生徒が少なくなってきたものの、百目木邸に住む人間が食に困るような事にはなっていない。
それでも皆道場以外の副職を持ち始めたのだから、この国も変わりつつあるのだなと瑪瑙は実感した。
「おはようございます、百目木邸の皆様」
「あ、瑪瑙ちゃん。お久しぶりー」
百目木邸に入ると、面倒くさそうに庭の掃き掃除をしていた百目木沙耶に出会った。
沙耶は瑪瑙を見かけると途端に表情を明るくする。
「元気にしてた? ちゃんとご飯食べてる? 朝ご飯はちゃんと食べないと一日の元気がでないわよー」
「まだ一週間しか経過していませんからお久しぶりもないと思うのですが。それに私は朝ご飯を毎日食しております」
と瑪瑙は豪語したが実はレイリーに指摘されるまで朝食を抜く生活を続けていたりする。
朝ご飯は面倒ではあったが、その後が清々しくなると分かったので続けている習慣だった。
「そう。なにか困った事があったら言って頂戴ね。うちの若い衆こき使ってもいいからさ」
「ふふ、心遣いには感謝いたします。けれど私が与える労働は厳しいですよ」
瑪瑙は風鈴が鳴るように、沙耶はあっけらかんと笑った。
皆一日の活動を開始している時間だったが、爽快な笑い声は百目木邸以外でもしっかり聞き取る事ができるほどだった。
風が涼やかにふく。瑪瑙の洋服や髪、沙耶の着物がわずかに揺れる。
思わず瑪瑙が髪を押さえていると、沙耶は遠い目でどこかを眺めていた。
怪訝そうに瑪瑙が沙耶を見つめていると彼女は見られていると気付き、ごまかすように笑う。
「あー、ごめん。ちょっと色々ありすぎて最近こんなふうにぼーっとする事が多くなっちゃって」
「……そうですね。この一年間は色々とありました」
だが瑪瑙はそんな沙耶に同意を示した。
彼女に合わせたのではなく、純粋に沙耶と同じように思ったからだった。
聖杯戦争終結からは色々あった。
遠坂瑪瑙の二人の兄、双魔と憐はアインツベルンの者達が手助けしてくれたおかげでかろうじて一命は取り留めた。
けれど重体には変わりなく、まともに動けるようになるのに一ヶ月近く要した。
完全な復帰にはおそらく十数倍の期間が必要だろう。だから一年経った今でも万全ではないはずだ。
アインツベルンの者達は早々に冬木の地を去っていった。
最後まで礼儀正しく報告をくれたのは瑪瑙にとっては正直なところ少し嬉しかった。
だが彼女達の荷物の中にある……壊れた聖杯。それを持参してアインツベルンの城に報告するらしい。
「……敗北者として処分されるかもしれませんよ。それでも戻るのですか?」
自分の領分でないとは分かっていたが、瑪瑙は問わずにはいられなかった。
それだけ魔術師として大成していないとは自覚している。それでも構わないと瑪瑙は考えていた。
「構わないわ。私は私の意志を示す。それだけよ」
アインツベルンの少女は歌うように語り、手を振って立ち去った。
残った双魔と憐もそれぞれある程度動けるようになると身辺整理を進め、冬木の地をあとにしていった。
今頃双魔は世界の諸国を旅し続けているだろうし、憐は時計塔で勉学に励んでいるはずだ。
それぞれ遠坂とは決着がついた。今後彼らが自分から遠坂を名乗る事はないだろう。
遠坂はいまや瑪瑙ひとり。今後のためにも自分自身の全てを高めなくてはと彼女は意気込んだ。
事後処理は滞りなく行った。
聖杯戦争終結と同時に報告書をまとめ上げてロンドンの協会本部とアインツベルンに提出も行った。
アインツベルンの領土は本国から来訪した使者が修繕するとあったのでそこだけは放置しておいた。
なので冬木全体に限定して聖杯戦争が残した爪痕を直していき、一月も経たないうちに普段と変わらない生活模様が戻ってきた。
世間一般を騒がす事件もたびたびあったが、これ以上の出来事はもう行われない。
瑪瑙自身の生活もそれに比例して聖杯戦争以前の水準に戻ってきた。
相変わらず先人達の残した資料や文献、そして数少なく海外から持ち込まれる品々だよりではあったが自分の研究も再開した。
時計塔に赴けない自分では「」には決して至れないだろうが、遠坂の後継者に少しでも多くのものを残すよう最善の努力をするつもりだった。
唯一つ変わったと言えば、魔術師として屋敷の中に閉じこもる毎日だったのを改めた事だ。
憐のおかげもあったが彼女にも冬木の町内で知人も出来た。
冬木を管理するセカンドオーナーとしてではなく、遠坂瑪瑙個人として冬木の町での生活を楽しんでいた。
少しは人間らしくなれたかな、とたびたび思うようにもなった。
そして百目木。当主だった百目木一成は八十年以上の人生を数ヶ月前に全うした。
これで冬木の地から第一次聖杯戦争を知る者は誰一人いなくなった。それがいい事なのか悪い事なのか瑪瑙には判断がつかなかった。
師範には全会一致で沙耶が選ばれ、今では彼女が師範として若い者に剣を教えている。
「直感力が前より優れている上に洞察力も備わってきてるんですよ。今までの本能に技術が加わったようなものです」
瑪瑙には分からないが、他の師範代たちに言わせると沙耶の剣も聖杯戦争を境に変わったらしい。
どうやら柳洞英こと前セイバー、そして衛宮士郎ことアーチャーの教えは彼女も大きくしたらしい。
もはや冬木どころか藩……ではなく県の中でも彼女の敵はいなくなりつつあった。
それでも彼女には見えない目標がある限り、成長は続いていくだろう。
「憐が帰ってきたらそれこそこてんぱんにやっつけられるほど強くなってやるんだから」
と毎日豪語しているほどだ。
時代が押し付ける女性像とはかけ離れてはいたが本人は全く気にしていないようだ。
そうして今、冬木では穏やかな日常がとりおこなわれている。
「姉さん、いくら瑪瑙さんがやってきたからって掃除をさぼらないでください」
「げ」
そして、今の百目木に欠かせない女性が縁側から沙耶に声をかけた。
彼女の手には洗濯物が多く抱え込まれ、さわやかな汗が額から流れる。
「瑪瑙さん、おはようございます」
「おはようございます、葵」
百目木葵。この屋敷の養子として入った女性で、旧姓は間桐である。
実は葵に関してのマキリとの交渉、聖杯戦争の後始末を差し置いて真っ先にやった。
憐は俺もいくなどと言っていたが怪我人は黙ってろと冷たくあしらって交渉に向かった。
なぜならこればかりは最優先で行わねばならない。あの老魔術師が動き出す前に。
予想通りゾォルケンマキリ、間桐臓硯は生きていた。
肉体の再生に犠牲になった浮浪者は一応把握していたが、あえて瑪瑙は追及しなかった。
居間に通された瑪瑙は目の前に老魔術師、傍らに現在のマキリの当主を眺める形となった。
マキリの魔術師として一定の水準に達していて、更に第三の一端の成功例である間桐葵。
瑪瑙が想像していたよりはるかにあっさりと老魔術師が葵を手放したのには驚くしかなかった。
本当ならそれを冷静に受け止めて終了にするのが大人の対応だろうが、クリスとの別離と同様理由を聞いてみた。
「なに、アレはアレで得るものがあった。もはやあ奴の役目は終わった。あとはこの瑠璃がマキリの礎となるであろう」
どうやら老魔術師は瑪瑙が想像していたよりはるかに深い位置にいるようだった。
だから瑪瑙は老魔術師がどんな思考をめぐらせているのか全く興味がなかったので、早々に追求を終えた。
その代わりに瑪瑙は瑠璃を眺める。
マキリの次世代を生み出す者として育てられた存在は、これもまた瑪瑙が思っていた以上の者だった。
彼女は人間としても魔術師としても終わっていた。存在理由はただマキリの胎盤としてだけ。
このような存在から生み出されたマキリの者がどのような道をたどるのか。瑪瑙の抱く常識からは想像もできなかった。
「……間桐は今後どうなっていくのでしょうか」
もしかしたらいずれは遠坂と間桐が全面衝突する事もあるかもしれない。
瑪瑙はそう思わざるを得なかった。
だがまあ葵の無事はそれで約束された。
あとは魔術協会や聖堂教会から彼女が第三の成功例だと知られないよう最善を尽くせばいい。
葵が今送る日常を守るために。それが遠坂の当代としての義務で、義理だ。
そんな葵は一年前とは見違えるほどに成長していた。
始めは赤ん坊同然だったが彼女の知識の吸収はとても早く、一年でその身体にとりあえずふさわしい精神年齢となっていた。
ただ、比べるとやはり間桐葵と百目木葵は別人なのだと感じ取れた。
「調子はどうですか?」
「はい、もちろん元気ですよ。さすがに姉さんの活発さにはかないませんけれどね」
葵は照れくさそうに舌を出す。
瑪瑙はその仕草があまりに可愛くてくすりと笑った。
「そうそう瑪瑙さん。わたしこの間求婚されたんですよ。凄いでしょう」
「へえ、それで相手は誰なのですか? さぞかし立派なお方なのでしょう」
「うーん、実は断っちゃいました。姉さん達が知ってるとおり、わたしはまだ百目木の中でも迷惑をかけていますから……」
確かに急激な成長を見せていたが、それでもまだまだ至らない点が各所に見られる。
おそらくもう一年ほどすれば元通りになるだろうと瑪瑙は考えていた。
「そう、ですか。ですが焦らずにご自分に合ったやり方で物事を覚えてください」
「はい、もちろんですよ」
彼女は満面の笑みを浮かべながらたらいの中に洗濯物を放り込んだ。
そして洗濯板を持ち、洗い物を始める。
百目木葵は普通の人間だ。魔術の世界には少しも関わっていない。
ならば彼女に内在する魔術回路も世代を経るうちに廃れていくだろう。
もう彼女には必要のないものなのだから。
「平穏ですね」
「そうだねー」
瑪瑙は今流れる光景の感想を思わずつぶやく。沙耶もまた楽しそうに返事をする。
何も変わらない日々がそこにはあった。
そしてこれからも何も変わらず、穏やかな日々が流れるだろう。
憐が必死になって守ろうとした生活が繰り広げられる。
「そういえば」
ふと葵は洗濯の手を休め、瑪瑙へと視線を移す。
「憐とはどんな方なんですか?」
「……彼の話を聞いたのですか?」
若干言いよどむ瑪瑙をよそに葵は笑みを浮かべて返事をする。
「ええ。姉さんや師範代、それに町の人たちがよく話題にしてくれます」
なるほど、憐はこの町に大きな足跡を残してきた。
なら彼を目にした事のない今の葵でもある程度知る事は出来るだろう。
瑪瑙は納得したようにわずかにうなづく。
「さぞかし立派な方なんですね」
「……ちょっと葵ちゃん。あいつらの話をどう聞いたらそんな感想に結びつくの?」
「え? 違うんですか?」
「んー、立派って言うか芯がしっかりしてたって言うか……瑪瑙ちゃんはどう考えるの?」
なんだか助けを求める沙耶の視線に瑪瑙は思わず苦笑する。
「そうですね……」
葵に言われて瑪瑙はゆっくりと憐について考えてみた。
そしてある程度整理を行い、説明してみる。
「憐お兄様は――」
そうしている間も彼女はこの地にいない者の事を考えていた。
去っていった者もいずれはこの地に帰ってくるのだろうか。
その時はお待ちしております。
他の皆様、どうしていますか?
/一年一ヶ月後
英国。かつてブリタニアと呼ばれた大地に僕はたたずんでいた。
広がるのは一面の草原。緑と青のコントラストが美しいと純粋な思いを抱く。
頭巾を外しているので風で僕の髪はやさしくそよぐ。
これがかつてキャスターが守ろうとした光景、取り戻そうとした世界。
そう思うと押さえきれない想いで胸の中が熱くこみ上げてくる。
僕は人知れずそっと涙を流した。
「……静かですね」
「そうね。都会とか戦場とかだと絶対に味わえない静寂よね」
隣で同じようにたたずむ少女もまた静かにつぶやく。
彼女はどれほどそれが嬉しかったのか、ワルツを踊るように一回転する。
「せっかくこういうところに来たんですもの。少しは味わいたいわよね」
「そうですね、自分でも意外ですが私もそう思います」
少女は草原に腰を下ろす二人の従者に顔を向けると、二人とも返事をする。
一人は僕にとっても意外なほど穏やかな表情で言葉をつむぎ、一人は首を縦に振る。
僕ことディートリィナ達の聖杯戦争は終結した。
あの時セイバーと真祖の姫は同時に手を伸ばしていた。
セイバーは奇跡をかなえるために、真祖の姫は奇跡を阻むために。
結論から言ってしまうとセイバーと真祖の姫は全く同時に聖杯に触れた。
その直後に真祖の姫は手を振り下ろして聖杯を引き裂き、破壊した。
アインツベルンが今持つ悲願はかなえられたけれど、それを持ち帰る事はできなくなってしまった。
けれど、変化は起きてくれたのだ。
セイバーの願い「ディートリィナの救い」と真祖の姫の願い「ロア消滅の阻止」は同時に叶えられた形になった。
だから……僕は救われた。他者を求める衝動も自分が書き換えられていく実感もなくなったのだ。
真祖の姫は輝く月のような黄金の瞳で僕をよく見渡し、何の反応も示さずに去っていった。
それが行われた奇跡が達成されたと判明した瞬間でもあった。
お嬢様は、セイバーは、アーチャーは、そしてレンはとうとう成し遂げたのだ。
これは後から判明した事だけれど、ロアの方程式を消滅させるまでには至らなかったらしい。
永久停止。これが僕の中で行われているのだとお嬢様は判断なさった。
つまり僕はロアに覚醒する事はない。けれど次は通常通りロアに覚醒するだろうと。
僕らは生死を彷徨うレン達を残して早々に冬木を立ち去った。
なぜなら破壊されてしまっていても聖杯は成就した。アインツベルンには報告しなければならないとお嬢様が判断を下したためだ。
そうして数ヵ月後に本国にたどり着いたのはいいのだけれど、
「ディート、貴女は来ない方がいいわよ」
とご指摘を受けた。
もちろん僕は猛反対した。ヨハンもジェイナもお嬢様に同行するのになぜ私だけ、と強く主張したが、
「ほんの一端でも成就した聖杯の恩恵を賜った貴女が赴けば話がややこしくなるわ」
第三の一端を賜りアインツベルンに仕える者。そんな僕が足を再度踏み入れたら……今後のために何かされるに違いない。
そんなお言葉に僕は納得するしかなかった。
そして僕らは別れた。
お嬢様方は冬の城へと向かわれ、僕はいち早くブリタニアの地を散策する事ができた。
僕が今まで知らなかったことだらけで全く飽きなかった。やはり世界はとてつもなく広いと実感できた。
その一方でお嬢様方はこんなやりとりをなさったと聞いた。
「此度の聖杯は真祖の姫、アルクェイド・ブリュンスタッドの手で破壊されました」
お嬢様から語られた衝撃の事実はアインツベルンの方々を騒然とさせたらしい。
それはそうだろう。せっかく悲願の成就に至ったのにそれをたやすく破られてしまったのだ。あの方々の嘆きは筆舌に尽くしがたいだろう。
やるせない気持ちは自然とお嬢様方に向けられた。
「第三魔法、
「無論です」
お館様のお怒りを受けてもなおお嬢様は涼しげに仰ったらしい。
ただ他のマスターに阻まれたならこれほどまでに呪詛めいた憤怒を見せなかっただろう。
送り込んだマスターとサーヴァントが悪いのだから、次は更に優れた者を創り上げ、選定すればいい。
しかし最後の最後でつめを誤られてはどうしようもない。期待が大きかっただけに失望も大きかったのだろう。
そんな無様な失態を演じたお嬢様方に与えられるのは容赦ない制裁。
円卓を囲んだおのおの方が立ち上がり、一斉に魔術の詠唱を開始した。
たった三人のホムンクルスを相手に数百人は葬り去れるほどの構成を幾重にも重ねていった。
「私達は永遠なる冬の城から離脱させていただきます」
「なに?」
お館様がお嬢様のお言葉にわずかながら気をそらす。
そしてその時、全ては終わっていた。
一同は再び騒然とする事になる。
「ば……馬鹿な……」
お館様は身動きもとれずにただ呆然とつぶやくしかなかった。
なぜなら、お館様の首筋には大剣が当てられており、わずかに血が流れ出していたのだ。
「当主様。貴方は勘違いしておいでのようですが、確かに私達は聖杯を破壊されてしまいました」
どうすればいいのか判断できかねるアインツベルンの方々を尻目に、お嬢様は立ち上がる。
宝石よりも輝いたガーネットの瞳で鋭くお館様を見つめた。
「ですが、此度の聖杯戦争の勝者は私たちなのですよ」
お館様もアインツベルンの方々もその存在を見間違うはずがなかった。
お館様の首を今にも切り落としそうな鋭利な殺気を込めている剣士を、忘れられるはずがなかった。
お嬢様が召喚なさった剣の英霊、セイバー。
彼がお館様のお命を握っていた。
「聖杯戦争が終結してもなおサーヴァントがこの世に留まっているだと!?」
「不思議な事ではありません。確かに英霊ともなれば現界だけでも大聖杯の加護無しでは難しいでしょう。
しかし十分な魔力を供給できればそのままこの世に留める事も逆を言えば可能なのですから」
そんな事は言われなくても十分に分かっている、お館様はそう仰りたかっただろう。
しかし出立の前にセイバーを扱っていたお嬢様の様子から考えれば、今の状況は何よりおかしいと判断したのだろう。
「私の目はごまかせないぞ。いかにおまえの魔力量が常人を超えていてもこれほどセイバーが万全の状態の理由にはならない!」
ちなみに常人とは一般的な魔術師の意味である。お館様にとってアインツベルン以外は全て平凡だ。
お嬢様が従えるセイバーはまるで聖杯戦争の時のように雄々しく立派だ。
いかにお嬢様でもそれほどの状態を維持は出来ない。それがお嬢様、僕、ヨハンの見解だった。
聖杯戦争終結後、セイバーはお嬢様の名にかけてお嬢様をお守りすると固く誓った。
最低限の能力でもいればいいとお嬢様は仰ったのだけれど、解決案は意外なところから示された。
聖杯戦争期間中、マキリ邸にソウマ達が攻め入った後に僕とレンら四人で確認に行った。
その時レンは間桐の魔術の文献だけでなく、聖杯戦争の根底を定める英霊の律し方を記した文献も目に入れていた。
英霊との魔力供給のつながり、令呪の構造。
ほとんどレン自身には実践不可能なものらしいのだが、その中に一つだけ光明を見出すものがあった。
「そうですね。ですから今のセイバーを支えるのは私一人ではないのです。お分かりいただけましたか?」
魔力供給のパスの分割。それが解決策だった。
だからセイバーはお嬢様、ヨハン、そして僕の三人で支えられている存在になっているのだ。
当然令呪のつながりはお嬢様だけのものだ。お嬢様こそがセイバーのマスターなのだから。
「……それで、なんのつもりだ? 私の命を脅かしておまえたちは何をしようとしている」
「当然アインツベルンがかつて願った尊い想いを達成するために動きます」
「それをおまえたちは破壊した! その大罪、断じて許さんぞクリスティーナ!」
お館様の狂おしいまでの妄執(お嬢様弁)にお嬢様は思わずため息を漏らしかけたという。
それは呆れはてからなのか、アインツベルンの現状を悲観したからなのか。僕には分からない。
「ご随意に。しかしながら申し上げますが、セイバーが私達を守ってくれます。その辺りは覚悟の上でよろしくお願い致します」
「ぐ……ぬ……」
お館様は拳を血が流れるほどに強く握り締めていたが、やがて全てを失ったように力をなくして椅子に崩れ落ちた。
完全に呆けた表情を見せていたが、なおも鋭い眼光はお嬢様をとらえていた。
「ではクリスティーナ。我らアインツベルンの元を離れるというのだな」
「いえ、アインツベルンの城をです。アインツベルンを離れるつもりはございません。なぜなら私はアインツベルンの魔術師なのですから」
「この城の意思こそアインツベルンの意思だ。離れたところでおまえらには何ももたらされない」
「それは違います」
お嬢様は静かにかぶりをきった。
それは今まで従順だったお嬢様がお館様に初めて見せた明確な意思。そしてアインツベルンの志だった。
「神の業に至り、それをもってこの世の全ての悪に終焉をもたらす。それがアインツベルンの意志です」
お館様にとってお嬢様の言葉はどんなものだったのだろうか。
長い旅路の果てに磨耗していった尊い悲願。その元々の形を取るに足らないはずだった人形に示される今のアインツベルンの有様。
やはり僕には想像もできなかった。
「……だとしても、この城に留まる我らの方が必ずや早く到達する。それだけは言っておこう」
お館様はアインツベルンの方々に座るよう命令を下した。
しぶしぶ従うアインツベルンの方々はこのやりとりをどう受け止めたのだろうか。
こちらは容易に想像できる。多分お嬢様のお言葉が何を意味しているのか理解できていないだろう。
「行くが良いクリスティーナ・フォン・アインツベルンよ。ゆめゆめもその想い、歪めるな」
「当主様の寛大なお心に感謝いたします」
こうしてクリスティーナお嬢様とユーブスタクハイトお館様のやりとりは終了した。
お嬢様方はその足で冬の城をあとにし、僕と再会したというわけだ。
アインツベルンの者として、僕達は今英国の地にいる。
手紙のやりとりで憐は息災だとも分かっているし、そろそろ英さんの残したアスカロンをブリタニアに返すとも書いていた。
その時は僕らも同行してもらう事になっているから、ちょっと楽しみだ。
ちなみにその憐、どういった事情からかとてつもなく忙しいらしい。今度詳しい話を聞いてみよう。
「ん、いい天気ね」
満面の笑顔を咲かせるお嬢様を眺める。
聖杯が真祖の姫の手にかかった時、お嬢様は聖杯を一手に引き受けていた。
七体の英霊達が帰還を果たして穴が開かれた時も、奇跡が成し遂げられた時も、破壊された時も。
そう、奇跡の体現中の強制終了。その無理がたたったためにお嬢様には修復できない変化が生じていた。
お嬢様は第三魔法のほんの一端だが使い手になった。けれど魔法使いとは到底呼べない歪さが刻まれていた。
ええ、多分これであってるのでしょう。
サタナのようだと形容すれば分かりやすいだろうか。
ほんの一端だけれど使えるけれどそれすら全く制御が出来ない状態なのだ。
そのおかげでお嬢様は不安定な状態が続いている。安心は一切出来ない。
当面のお嬢様の目的はそれを制御できるようにし、幅を広げていく事だ。
もしかしたら制御だけでも人生全てを捧げても不可能かもしれない。けれどお嬢様は必ずや果敢に取り組むだろう。
それがお嬢様、クリスティーナ・フォン・アインツベルンなのだから。
「それでお嬢様、今後はどうなさるおつもりで?」
のんびりとした空気の中、ヨハンが青空を眺めながらつぶやいた。
実を言うとそれは僕も聞きたかった質問だった。
お嬢様との再会場所を英国に定めたのは他でもない、お嬢様なのだから。
キャスターが駆け巡った大地を確かめたかった僕にとっては嬉しい限りだったけれど、お嬢様がそこをお選びになられる理由が分からなかった。
しかももうすぐ一ヶ月になろうとしているのにまだお嬢様自身から聞いていないのだ。
「……そうね」
お嬢様はきょとんとなさるもすぐに絶対の自信を込めた笑みをうかべてくれた。
「ヨハンとジェイナは見ていないけれど、セイバーとディートは見たのよね。奇跡を」
「奇跡? それならば私達もその場にいたではありませんか」
ヨハンの容赦ない指摘にお嬢様は頬を膨らませる。
「違うわよ。聖杯の成就じゃなくて、もう一つの死者蘇生の方よ」
「ああ」
あの葵に施された、サタナとニムエの神秘か。
確かにアレは聖杯の成就と並ぶと表現しても差し支えのないものだったと思う。
それだけあれは偉大で、尊かった。
「アレを成し遂げたのはサタナもニムエも万能の釜を所有していたからよ。一から最後まで全部彼女達自身の手でやったわけじゃないわ」
「確かに仰るとおりですが……」
けれどサタナとニムエだからこそ万能の釜の担い手であったのではないだろうか。
まあそれは野暮なので黙っておく事にした。
「このブリタニアの大地にはギャラハッドのような第三魔法の成功例もある。ケルトの万能の釜はなにもニムエが所持していたたった一つじゃない」
『……!』
僕達一同はようやくお嬢様の真意に気付いた。
「この地で万能の釜を探すわ。そして再び私達の手で中身を満たしましょう」
ああ、やっぱりこの方はアインツベルンなのだ。そう心底から思わざるを得なかった。
だから僕は感動したのだ。一生この方についていくと決めたのだ。
多分この想いは、永久に消える事がない。
「勿論四人ともついてきてくれるわよね」
「もちろんですお嬢様」「当たり前ではありませんか」「もちろん」「貴女の騎士なのだからどこまでも」
四者四様?にお嬢様に答える僕達。
「じゃあ早速始めましょう!」
腕を振り上げて駆け出すクリスティーナお嬢様。
「ふははっ」
豪快に笑いながら余裕でついていくセイバー、シグルズ。
「クリス! 何度もドレスで走るなと言っているでしょう!」
そう言いながらも侍女服のすそをつまんで走るヨハンナ。
「みんな楽しそう」
大荷物を余裕で背負いながら軽々とヨハンのペースにあわせるジェニファー。
「ちょっと、お待ちくださいみんな!」
懸命に彼女達に並ぼうとする僕ことディートリィナ。
空はどこまでも青く。大地はどこまでも広がり。大気はどこまでも澄み。
僕らの想いもどこまでも果てなく。
きっと挫折もあるだろう。絶望もあるだろう。
けれど、僕らはきっと願いを叶えてみせる。
その意志こそが、僕らそのものなのだから。
さあ、どこまでも駆け抜けよう。
/Fin
まずはここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。
気がついたら既に二年もの時が流れていて、自分を取り巻く環境にも大きな変化が生じました。
それでもこうして一つの形にまとめられた事を心から喜ばしく思います。
TYPE-MOONの作品は自分の中に革命をもたらしたといっても過言ではありません。
めぐりあったのは四年ほど前と随分と後のほうなのですが、一発ではまりました。今まで抱いていた価値観が吹っ飛ぶほどに。
終いに妄想が膨らんでこのような作品を書いたわけですが、途中苦難も色々ありました。原作との違いも生じました。
その全てを含めて自分はこの作品をかけてよかったと思います。
これでディートと憐の物語は終了です。
今となっては自分の中で多くを占める存在にまでなったこの作品、あまりに惜しくて別ルート(特にセイバールート)を書きたいとまで思っています。
嘘予告を書き上げたら正真正銘の終了になると思うとやはり寂しいです。
ですが憐やディートと同様に自分の第二次聖杯戦争も終結させて新たな一歩を踏み出すべきですね。
今後の予定。まずは一次創作にとりかかろうかと。
この作品は書きたい事を書き綴ったので描写の工夫が明らかに足りてません。
しかも最近この作品しか手を付けてないので、それになれてしまった。なのでまずは元のライトノベル形式に戻そうかと。
その上でまだ終わらせていない長編に一旦区切りをつけます。どのような形になるかはまた別にして。
Fateの長編は……案はいくらでもありますが実際に書き綴る機会は当分回ってこないかと。
短編でTYPE-MOONの作品をいくらか書き続けたいものです。
それではまたいつかお会いいたしましょう。
2008年4月27日