/13日目・interlude

 太陽がさんさんと照り続ける。
星の光は森全体を照らし出し、木々の葉からもれるあわい光は大地に恵みをもたらす。
動物達はいっせいに起き上がり、世界は動き始める。

しかし、この場においては何一つ目覚めやしなかった。
森の中でたたずむ存在はたった二人の男女だけである。
主賓と主演。今宵の宴はそれだけで十分だった。

「くくっ、この時を何世紀待ったことか」
普段の温和さからは考えられない歓喜に歪んだ表情を見せる男、シェラザード。
目をぎらつかせて女、真祖の姫をなめるように見渡す。

「待望の瞬間を今迎えることが出来たんだ。少しばかり付き合ってもらおうか」
「消えなさい。三流役者の芝居になど興味がないわ」
一方の真祖の姫はなんの感慨も見せずにただつぶやいた。
だがその反応すらもシェラザードにとっては喜びの対象でしかないらしい。

「ははっ、つれないこと言うなよ。そのためにいそいそとだるい方程式を解き明かし、面倒な儀式にも付き合ったんだからさ。
 ――それにこの心像風景すら君のために創り上げたんだから」
シェラザードは両腕を振り、狂喜に満ち溢れたように笑った。

『記憶の貯蔵』、これがシェラザードの心像風景たる固有結界である。
数万の魂を束ねるためにシアンという記憶の紛い物を授けたのも之の賜物である。
しかし、用途はそれだけに留まらない。

記憶を貯蔵できるのは何も人間だけではない。ありとあらゆるものを貯蔵し、再現できるのだ。
無論神秘が強すぎる神殿たぐいは多大な負荷がかかるが、今回は何ら問題なかった。
なにしろシェラザードが行ったのは数時間前のアインツベルンの森の再現だけなのだから。

情景に何ら変化はない。
あるとしたら、夜か、昼かの違いのみだ。
しかし死徒と真祖にはそれでも十分。

「心配せずともすぐに終わるからさ」
「そうね」
真祖の姫はゆっくりとシェラザードへ向けて歩みだした。
邪魔された怒りも何もない。ただ無造作に無表情に近づいてゆく。

「では、今宵の悪夢の幕を開けるとしよう」

シェラザードが飛び出したのと真祖が攻撃を仕掛けたのとはほぼ同時。
それが開幕の合図となった。




Fate/the midnight saga

第50話


   /

「ふむ、こんなところですか」
シェラザードの固有結界が閉鎖されたのを見守った後、シアンは一息ついた。

「真祖の姫にただ無策で立ち向かうと思ったのですがさすがは死徒二十七祖でしょうか。しっかりと対策を練っていたようですが、ね」
後は固有結界が砕け散るのを待つばかり。
それまでの間シアンは状況を知るすべがない。

シアンの見立てでは確かにシェラザードには真祖の姫を撃破するべく特化された神秘が存在する。
そして確かにそれは真祖の姫にも有効だろう。
だが、それで彼女を打倒できるかは全くの別問題だ。

シアンが思い出すのは生前出会った、魔王と呼ばれる存在。
全てを凌駕するその存在にシアンたち人間はなすすべがなかった。
かろうじて撃破できてきたのも運の要素が強いと断定しても良い。

無理だろう。シェラザードでは真祖の姫を倒せない。
魔王を断罪するための存在、アルクェイド・ブリュンスタッドを彼が打倒する事は叶わない。
アレは、人間の及ぶモノではないのだから……。

「くだらない」
そうなってもシアンにとってはどうでも良かった。
シェラザードが敗れるにしろアルクェイドが奇跡的に撃破されても、やる事にかわりなどない。

なぜなら新アサシンなどシェラザードにとっては所詮捨て駒に過ぎない。
舞台の進行を的確に行う雑用なのだ。決して舞台上に立つ主役ではないのだから。
そして全てが順調に終わってしまった今、雑用のやることなどたった一つだけしかない。

「貴方もそうは思いませんか? 所詮今宵の宴など独りよがりの茶番だと」

「ははっ。いくら事実を的確についてる意見だからってそう断言されたんじゃああいつだって浮かばれないんじゃないかい?」

招かれざる客に、丁重にお帰り頂く事だけだ。

「嘘ばっかり。そうやって貴方が口先ばかり達者になるからいつまでたっても当代のナルバレックがやばい人たちばかりなんです」
シアンは木の上から、いつの間にその場に姿を見せていた少年は木々の間から。
それぞれシェラザードの固有結界が展開されているだろう地点を眺めている。
シアンの指摘に少年は心外との表情を見せた。

「ちょっと、あの人をボクのせいにしないでもらえないかな」
「冗談ですよ。と、なればもはや遺伝性のものですか。もっとたちが悪いじゃないですか」
「まあボクはそのおかげで全く飽きないけれどね。けれど今回ばかりは酷いったらありゃしない。
 極東の地まで行ってこい、なんて問答無用で出張だよ」
わざとらしくうんざりする少年にシアンは苦笑いを浮かべた。

「けれどそれを容認した、という事は……分かっていたんでしょう?」
「まあね。分かってない奴なんていやしないよ」
少年は憧れにも似た喜びに満ちた笑みを浮かべた。

シアンと少年、この二人は一切視線を合わそうともしなかった。
それは二人にとってそれだけで十分なのか、それともお互いにとってお互いがその程度でしかないのか。
シアンは後者だな、と心の中で判断する。

「……さぞ少なくなったんでしょうね。彼みたいな死徒は」
「そうだね。大それた事をしでかす奴はもうあいつ一人だけだ。個性派がまた一人消えてなくなるのは残念でならないよ」
「また思ってもいない事を口にする」
シアンは思わず深いため息を漏らした。

二人が記憶するシェラザードは異色ぞろいの二十七祖の中でも特に変わった点などなかった。
ただ一つだけ最大の違いがあった。
彼は、“主”を滅ぼそうとしていた。

動機など分からないし知った事ではない。
それにかの者ごときが“主”に太刀打ちできるはずもない。
他の祖たちは共通の認識を持ち合わせていたが、それでもそういった者が存在する事を許せない者達もいる。

真祖狩りを思い描く死徒はことごとく消えていった。
真祖自身の手で、真祖や“主”に忠誠を誓うものたちの手で、時として脆弱な人間の手で。
もはや考えをふと抱くことはあろうとも、それを実行に移すほどの者は数少なくなってしまった。

「わたしはてっきりあなたは姫自身の手を煩わせてしまったと憤っていると思ったのですがね」
「いやだなぁ、そこまで心が狭いとは思っちゃいないよさすがに」
口ではそういっているようだが、言葉の端々に若干の違和感を感じる。
シアンはその正体を探ろうとは思わなかったので少年の方へと振り向かなかった。

「……で、シェラザードがこの世から消えてなくなるのはもはや時間の問題ですらない。ならあなたの出番なんてないじゃないですか。
 まさかあなたほどの人が静観決め込むとは思えませんしね」
「君自身も言ったじゃないか。所詮今宵は茶番、それにそれ以上干渉するのは野暮というものだろう?」
「……確かに。彼については彼女自身が解決しなければならないでしょうから」
ミハイル・ロア・バルダムヨォンについて解決するのはアルクェイド・ブリュンスタッド自身でなくてはならない。
この場にいる二人だけではない、ある程度のものが抱く共通の認識でもあった。

「ではまさか純粋に彼女に会うためにここまで?」
「それもある。けれど野暮用を済ませないと帰ったら雷が落ちてきそうだからね。それを済ませたい」
「シェラザードの討伐なら黙って待っていればいいでしょうに。固有結界に干渉できない以上、こうしている他ないのでは?」
「いや、僕に下った命令はそれじゃない」
初めて、少年の視線がシアンに向けられた。
それを肌で感じ取ったシアンもまた少年の方へと視線を向けた。

「第三聖典を回収せよ。これが任務さ」

少年は見た目相応の純粋な笑みをシアンへと向けてきた。
ただその瞳はどこまでも深く、彼が何を考えているのか全く予測できないようにしていた。
シアンは思わずため息を漏らす。

「……嫌な性格です。この身がいくら偽者であれ、わたしがそれを容認する事はないとはわかっているでしょうに」
シアンは片手に数本の黒鍵を持った。そしてもう片手に少年の述べていた第三聖典を持つ。
ただその表情は全く気の進まない者のものだった。

「そんなの僕が知るもんか。僕が記憶してる君は生き汚い、執念深い、面白いの三拍子ぐらいだから」
「……光栄です、と言っておきましょうか」
うんざりしたように述べたシアンだったが、そのどこかは嬉しそうに笑みを浮かべていた。

「ところで最後に一ついいでしょうか?」
「ん? 別にかまわないよ。急ぐ用事でもないしね」
なら遠慮なく、とシアンは一息置いた。

「万が一真祖の姫がロアの一件を解決した場合、事態は大きく転換すると思いますか?」
「――だろうね。ただそれが金の姫自身でない事だけは確かなはず。
 と、したら姫がしなければならないものを横取りして『誰が』成し遂げるか、によってどう転換するかは分からないよ」
シアンは天を仰いだ。
あいにく今日は満月ではない。おそらく明日辺りだろう。
もう一度満月を眺めたかった。シアンは純粋に思った。

「まあそれが黒姫でなかっただけマシなんですがね」
「黒姫? ……ああ、あの紛い物か」
二人とも言葉こそさばさばしていたが、その表情は明らかに嫌悪感をあらわにしていた。
ただシアンが向ける対象が黒姫と呼ばれる少女の内面であり、少年の向ける対象は黒姫の存在そのもの、といった決定的な違いはある。

「そう言えばあの月蝕姫ってロアに無様に返り討ちにあったんだっけ。あいつも半端な仕事してくれるよねぇ。
 どうせだったら殺してくれればよかったのにさ。
 ――え? 三度目の虚言? そうだね。こればかりは認めてあげるよ」
アレばかりは自分の手で打ち滅ぼす――、少年が言わずともシアンは間違いなくその言葉を聴いた。
個人的には同意を示したかったシアンだったが、死者(それも偽り)の身ではそれもかなわなかった。

「……では『誰が』真祖の姫を出し抜いてそれを成し遂げるんでしょうかね。出来るならその人物を拝みたかったのですが」
「僕も見てみたいね。どう転ぶのか実に興味深いよ」
シアンは肩をすくめ、少年はくっくと笑った。

少年の四肢の一つがいつの間にか無くなっている。
シアンの持っていた黒鍵の何本かは既に消えている。
鋭い金属音とけたたましい物音が深夜の森に響き渡る。

「全く、なんていう悪夢なんでしょうか」
シアンは目の前にそびえる、魔獣と呼ぶべき存在を前に最後のため息を漏らした。


   /

 シェラザード。死徒二十七祖十九位。
実は本名は誰にも知られていない。というより知っていたものは皆先に旅立ってしまった。
しかしアトラシアの名を持っており、その名が現すとおりアトラスの錬金術師である。

死徒になったのは人間としての限界を感じたためであり、決して他の祖が敬う“主”のためではない。
むしろ逆。シェラザードの最大の目的は、真祖と呼ばれる存在の根絶にあった。
原因など単純。戯れに行動して世界をかき乱す存在を許せなくなっただけだ。

故にその魔術師としての技能も魔術の果てに在った固有結界すらも、真祖の打倒に特化したものにした。
それは星に立ち向かうがごとく無謀な試み。
だがシェラザードは決して挫けなかった。

戯れの言葉にどれほどの者が犠牲となったか。
どれほどの災厄が夜に降り注いだか。
そして、どれほどの影響をもたらした事か。

 そんな折、一人の魔法使いによって“主”と讃えられた存在、朱い月は敗れたと聴いた。
だがその後も朱い月の残した影響は計り知れず、かの者の紛い物が次々と世に現れた。
真祖、または魔王と呼ばれる者たち。彼らのもたらした悲劇は計り知れず。
シェラザードはどのような手段を用いようとも根絶を誓った。

そして、残った敵はたった二人だけ。
漆黒の姫は捨て置き、彼は純白の姫を求めた。
決して叶わぬ理想を求めて。その果てに自身も堕ちようとも。

吸血鬼の存在しない世界を目指し……。


 そのような強い想いを秘めて立ち向かおうとも現実は非道だった。

「ぐ……っ!」
朱い月が消滅してからシェラザードは何人もの真祖を倒してきた。

紛い物の真祖では太陽のエネルギーを克服できない。
『記憶の再現』で日中を再現し、自身が太陽を克服した手段を逆に行使する事で屠る最大の攻撃。
太陽光の収束、それがシェラザードの講じた手段である。

シェラザードの周囲は可視領域の光のみ通し、赤外線や紫外線ははじく。
可能としているのは波長の屈折だった。
それを応用、敵を焦点として太陽光を収束、膨大な光エネルギーで敵を倒すのだ。

星の光は、星の上に君臨するものたちをも焼き払う――。

「が……っ!」
それなのに。
そのはずなのに。

いざ戦ってみればそううまくはいかなかった。
今までの死徒や真祖とは勝手が全く異なっている。

普通の真祖どもと違っている事など始めから承知の上で挑んだ。
だがいざ蓋を開けてみればシェラザードの予想を目の前の存在ははるかに超えているのだ。
いつぞや魔王を退治する際に見せていた実力からは考えられなかった。

シェラザードが手をかざすと光の焦点が移動し、真祖の姫に合わせる。
光とて熱量を持っているために鏡を空想具現化したところで阻むことは叶わない。ゆえに回避以外道はない。
彼は回避方向にも別の焦点をあわせて退路を封じる。そして敵を焼き払おうとする。

Alt Scbule.

だが、シェラザードが一瞬前までいた地点を紅い衝撃波が通り過ぎる。
大地や木々ごと引き裂くその一撃はシェラザードが意識を一瞬だけでも外すのには十分。
その間に真祖の姫は焦点からあっさりと脱出する。

Alt Nagel.

続けざまに腕を振るうとそれだけで紅い線が奔った。
シェラザードは意識ではなくほぼ反射的にそれをかわすしかなかった。
木々はあっという間になぎ倒されていき、そのすぐそばを新たな紅い衝撃波が襲う。

状況は最悪だった。
相手は腕や足を振るうだけで一撃必殺の攻撃を仕掛けてこれる。
だがシェラザードは意識を集中させた上で光を収束させなければならない。
手間隙を丹念にかけてようやく攻撃面だけを見れば互角など、馬鹿げている。

何しろ生物面から考えても敵とシェラザードでは違いすぎる。
シェラザードにとっての致命傷でも敵にとってはどうかは未だに試せていないのだから。
それに問題点はまだあった。

Weiss Katze.

想定していたよりはるかに敵が速い。
まるで瞬間移動しているかのように移動していく様を捉える事ができない。
その上で、

Eins Hitze.
Zwei Kalt.
Drei Reise.

接近戦でも技術が一切見られない、ただ己の身体能力のみで振るわれる攻撃。
それでも大地がえぐれ、岩が砕け、空が割れる。
技術の粋を集めて対処していても、戦慄しざるをえなかった。

「元々の性能だけでこんなにも差があるもんなのか……!?」
真祖が強いのは何も生物面だけではない。世界から無限の供給を受けられるからだ。
それを固有結界という自身の心像風景に閉じ込めておくことで遮断。
純粋な一対一、ゆえに人類の技術と叡智によって究極の存在すら凌駕できるはずだった。

しかしそれでも後ろを振り向くことは絶対に出来ない。
この数世紀を何のために費やしたのか、この人生を何のために捧げたのか。
最大の敵は目の前の存在ではなく、焦ろうと挫けようとする己自身なのだから。

「収束、照射……!」
再び太陽光の焦点をあわせ、レーザー状に解き放つ。

森は度重なる二人の攻撃で既に原形をとどめていない。もはや荒野となった台地が広がるばかりだった。
その上を真祖の姫は苦もなく疾走する。
表情は出会ったときから一切変化を見せていない。

「……こうなったら」
このままではジリ貧は確実。
真祖の姫の生命力を考えれば、一撃でしとめなければ後がない。
シェラザードは準備を開始した。

シェラザードが形成する世界全体が暗くなる。
世界に太陽光が降り注がなくなったと察知した真祖の姫は攻勢を強める。
理論ばかりでなく戦闘技術も日々磨いてきたシェラザードでも、現状は守勢でも精一杯だった。

それが一体どれほど続いただろうか。
数秒か数時間か数年か。シェラザードにとっては時の認識を忘却させるほど長き時が経過した。
致命傷になる傷以外は全て無視。存命にのみ意識を配った結果、彼は怒涛の攻撃から生き延びる。

既に防御していた右足と左腕が消失していた。
それでもシェラザードは力強く真祖の姫から距離を離す。
慎重に、だが最大限の速度で真祖の姫に照準を合わせる。

「……終わりだ!」
シェラザードは、勝利を確信した。


全生命感謝し恵みサテライトブレイド!」


今までの攻撃は常時降り注いでいた太陽光の一点照射で、その威力は常時変化がない。
だが今回は違う。光の屈折を利用して降り注ぐ太陽光を幾重にも収束、計り知れないエネルギーを得たのだ。
それを今までの戦いから計算する真祖の速度を考慮に入れ、逃げられないほどの広範囲に渡って照射を行った。

「ふふ……ふはははははっ!」
倒れた木々が、岩が、大地が。一瞬で蒸発して気化する。
熱量に換算しても全ての固体が原形を留めない数千度の光線。それも太陽光。
回避はどう考えても不能。直撃すれば真祖だろうとひとたまりもない。

「勝った……真祖の姫アルクェイド・ブリュンスタッドは僕の心像風景の前に屈した!」
シェラザードは歓喜の笑いを高らかにあげ、この達成に酔いしれた。

これで純粋に真祖を名乗るものが現れる事はない。
そうなればあとは死徒を名乗る吸血鬼どもを一掃し、この世界は浄化される。
その時こそ、平穏の訪れだ。

「この偉大なる第一歩をいつまでも心に刻み、これからもやっていこう……」
感動を覚えたシェラザードは思わず胸に手を当て、そっと涙を流す。

太陽光の照射はほどなく終了し、固有結界内は再び日光で満たされた。
さきほどまで光が降り注いでいた直系数百メートルの箇所は大穴が開いており、底は見えそうになかった。
その辺り一帯も大地は高温にさらされたために物質として変化を遂げており、凄まじさを物語る。

「……じゃあまず手始めは逆恨みで襲ってきそうな小僧と烏か。二人とも厄介な相手なんだよなぁ」
真祖の姫を倒すという目的と快挙を成し遂げたのだから、これ以上の維持は必要ない。
シェラザードはもう一度歓喜に満ち溢れた笑みを浮かべ……、


「……少し日差しを浴びすぎたかしら」


凍りついた。
凍りつくしかなかった。

「――嘘だ」
それだけ目の前の事実を信じられない。
目の前の現実を認められない。
だが、確かにその出来事は目の前に突きつけられている。

「この程度の相手と戦いになるなんて、性能が落ちてるみたい」
「嘘だっ!」

光の照射で開いた大穴から飛び上がってきたのはシェラザードが倒そうとしていた対象。
服こそ消失していたものの、彼女自身はやけどの跡一つすらない無傷の状態だった。
その服も空想具現化で再びまとい、何事もなかったかのようになる。

「いくら真祖といえどもあれだけ圧縮された太陽光を照射されればひとたまりもないはずだ!」
「そうね。直撃していればこの身であろうと危なかったかもしれない。――けれど、」
それを説明する必要はない、彼女の瞳がそう物語っているかのように真紅から黄金へと変化していく。

単純な話である。日差しは遮ればいい。
真祖の姫は幾重にも宝具クラスの盾を具現化して日傘にしただけだった。
盾が蒸発したらすぐさま新たな盾を創り上げる。太陽光さえ遮れば熱量などどうでもよかった。

無論固有結界内のために世界からの供給がない以上、空想具現化とて無尽蔵に出来るわけではない。
だから真祖の姫の力とて有限である。
要は、小細工抜きの力比べでシェラザードが負けただけに過ぎなかった。

「さあ、讃えなさい。この禍々しい朱い月を――」
真祖の姫が手をかざすと、森林に降り注いでいた日光を遮る巨大な影が形成される。
その正体は言うまでもなかった。


Blut de Scbwester.


偽りの月――。

「ぐ……! 相乗、照射――!」
光を屈折させ偽りの月を蒸発させようと試みるシェラザード。
だが貯める時間もなければ熱量も足りない。表面が液化するだけで月そのものは消えてくれない。

「さよなら。ここが千年を生きた貴方の終焉よ」

真祖の姫が腕を振り下ろす。それに応じて偽りの月も落下を始める。
太陽光での撃墜――不可。回避――不可。防御――不可。
結論、生存――不可。

「アルクェイド・ブリュンスタッドォォォッッ!!」

シェラザードはもはや月に隠れて見えないアルクェイドにありったけの意思を込めて叫んだ。

巨大な力が森林に、大地に降り注ぐ。
偽りの世界を形成していた空間はその力に耐え切れず、急速にひび割れていく。
衝撃波がシェラザードの固有結界を破壊しつくし、元の深夜の世界に戻していく。

 夜の住人の根絶。
そう願ったシェラザードの心像風景はなにも真祖殺しに特化するために記憶の貯蔵になったわけではない。
いつまでも世界に温かい日光が降り注ぐように、そう想い続けたからこそ形成できたものでもある。

そう願い続け、走り続けた一人の魔術師は今宵の宴で人生の幕を下ろした。


「参ったね。まさか君がここまでやれる存在だったなんて今まで知らなかった」
月明かりの夜の下、少年は感心するように微笑する。
その微笑は純粋無垢そのもので、外見上の年相応のものだと誰もが感想を述べるだろう。
だが少年を知るシアンにとっては苦笑いの対象でしかない。

「ははっ。左足でなく右腕を使っておいて相手を称賛ですか。一応私にだってちっぽけな尊厳があるんですよ」
「あれから何年経ってると思ってるんだよ。兵器の発展は素晴らしいんだから、見せびらかさなきゃ損だろう。
 昔の『令嬢』を知ってる君だからこそ、『彼女』を出したんだから」
少年は傍らに倒れる存在に目を向ける。

そこにあったのは先程までシアンと対峙していた悪魔だった。
戦闘の結果で数多の黒鍵が突き刺さり、武装から何まで全て無事ではすまされなかった。
今だ動こうとはしていたが、明らかに戦闘不能にまで陥っていた。

この悪魔は普段めったに面に出さない存在ではあったが、少年はこの場で出した事に後悔はなかった。
シアンとの戦闘中、まるで日中の天気を語るようにのどかにデザインに関して意見の交換も行った。
所詮この場は前座の宴ですらない。ならば死闘を演じるのも滑稽というものだった。

「じゃあこれは回収させてもらうよ」
「好きにしてください。どうせもう私には使える手がありませんから」
少年は手に取っていた第三聖典を起用に回転させる。
シアンは若干皮肉を込めながら言い放ったが、相手はその程度は気にも留めないらしい。

『令嬢』から若干離れた場所、シアンは倒れていた。
もはや両腕と片脚はちぎれ、腹の半分がごっそりとえぐれている上に頭も一部粉砕している。
それでもまだ活動を停止していないのは魔力で動くサーヴァントだから、とは皮肉かもしれない。

「……やれやれ、これで『シアン』などというちっぽけな存在のカラを被せられた哀れな数万もの魂は消えるわけですか」
「そうかな? 僕の見たところ君を構成する魂はもはや自然浄化できないほどに汚染されている。
 『シアン』が消えたところで再び魂は集合して災害をもたらすんじゃないのかい?」
「……はあ、そうですか」
シアンは頭をかきむしりたかったが、腕もないのではそれも叶わなかった。

シアンを構成する魂は前キャスターが宝具でかき集めた、数多の戦死者や戦争被害者達である。
無念のうちに倒れていった者達が、前キャスターの宝具と共にその恨み憎しみ苦しみを増大させていった。
もはや悪鬼悪霊どころでは済まされない。いる事態が既に世界にとって害でしかなくなっていた。

今はまだいい。サーヴァントというクラスに当てはめられているから安定している。
しかし、枠がなくなれば消える間際にどれほどの結果をもたらすのか。
シアンは想像したくもなかった。

「結局、あなたはわたしに後始末を押し付ける気満々なんですね」
「もちろん」
またやれやれとつぶやきたかったが、代わりに出たのはおびただしい量の血だった。
どうやら胸に風穴が開いているのが原因らしいが、もう痛覚らしい痛覚も麻痺している。

「全く、手間をかけさせるんですから」
シアンは体中が悲鳴を上げているのを完全に無視し、一呼吸置いた。

「――告げる。わたしが殺す。わたしが生かす。わたしが傷つけわたしが癒す。
 我が手を逃れうるものは一人もいない。我が目の届かぬものは一人もいない」

そして、決まりきった文句を口ずさみはじめる。

「打ち砕かれよ。
 敗れた者、老いたる者をわたしが招く。わたしに委ね、わたしに学び、わたしに従え。
 休息を、唄を忘れず、祈りを忘れず、わたしを忘れず、わたしは軽く、あらゆる重みを忘れさせる」

神への信仰など『彼女』と出会った時に失った。
この身が嘘偽りであろうと、鮮明に思い出せるたった一人の存在。
シアンが必ず救おうと想い、叶えられなかった――。

「装うなかれ。
 許しには報復を、信仰には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を」

それでもこの身は聖職者。いな、その未練を体現した者。
神は存在する。だが決して万物を愛する事などない。
『彼女』を失った時、シアンは全てを悟った。

神が愛をもたらすのではなく、神を信仰する人間の想いこそが愛をもたらすと。
この想いが、『彼女』が美しいと言ってくれた重いがある限り、シアンは永久に聖職者であり続けよう。
人間であろうと魔王であろうと、いかなる者へも平等に。

全ての存在に、救いあれ――。


「――――“この魂に憐れみをキリエ・エレイソン”」


『シアン』というカラを被せられた数多の存在が無に還されてゆく。
新アサシンは束縛や呪詛から解放され、消えてなくなっていった。


 風が吹きすさぶ中少年が視線を戻すと、何もなかった空間がひび割れていく。
そして硝子細工のように砕け散ると、現れた人影はたった一つだけ。
もう一つは影も形もなく、己の心像風景と共に消失していた。

「……こちらも終わりですか」
少年は目の前の存在、真祖の姫に対して優雅に一礼した。
真祖の姫は少年を気にも留めずに飛び去っていき、残ったのは少年一人だけ。
少年は軽くため息を漏らして肩をすくめた。

「んー、こうまで露骨に無視されると非常に残念でならないんだけどなぁ……。まぁしょうがないといえばしょうがないか」
事情が事情だし。そう少年は納得してきびすを返す。
向かう先は冬木ではない。この舞台での自らの出番は終了したのだから。

「それではまた会いましょう、黄金の姫」

少年、埋葬機関第五位にして死徒二十七祖の一人、メレム・ソロモン。
彼の姿は闇夜へと消えていった。


   /

 真祖の姫は剣騎士に連れられた標的を察知し、そちらへと向かってゆく。
その速度は仕草だけを見れば徒歩と何ら変わりもないにもかかわらず、速い。
令呪の効果が切れた剣騎士へと徐々に接近しつつあった。

真祖の姫が蛇の気配を感じ取ってから既に13日。
今までからは考えられない微細なもののために手間取ったが、一度感じ取ればもう逃す道理などなかった。
あとは追い詰め、殺すだけだった。

そうして真祖の姫が数分も経たぬうちにアインツベルンの森を脱出したところで、思わぬ気配を感じ取る。
そのうちの一つは明らかに普通のものではない魂の強さを持っている。
関係ない。邪魔だてをするならば全てを粉砕しつくすだけだった。

「まさかアイツのためにこんな事までしなくてはならないとはな。決着とはそう簡単にはいかないらしい」
「――けれど必要だ。そのためならば神にだってはむかわねばならないだろう?」
冬木と他の町をつなぐ街道。
二人はそこでたたずみ、迫り来る者を待ち伏せていた。
無論その目的など一つしかない。

だから先程通り過ぎた剣騎士を気にも留めなかった。
彼女らには彼女の、自分らには自分らの、それぞれの進む道は異なるのだから。
邪魔立てをするならば、神であろうと容赦なく倒すまでだ。

「お前はそう言えるからいいだろうがな、あいにくオレは普通の人間なんでね」
「それなら僕一人でやろう。君は黙っていてくれればいい」
「はっ、冗談」
迫り来るは絶対の存在、真祖の姫。
それでもなお二人の意志はゆるぎない。

シェラザードが真祖の姫の打倒を目的とするなら、この二人にとってこの場に立ちはだかる行為は手段でしかない。
そう、全ては己の全てをかけた、戦いを行うための、手段だ。
故に神にだって立ち向かうのは決して妄言でも誇張でもない。

決意を、示す。


「“王の財宝ゲート・オブ・バビロン”」


その一人、ランサーのクラスで召喚されたサーヴァントは石版で写し盗った、この世の全財宝が収められた宝物庫の鍵を開く。
彼の空間後方が次々と水面のように波紋をたてて歪む。
そして、その中央から次々と財宝が射出されていく。

呪詛を撒き散らす鎌があった。風を伴う槍があった。炎を巻き起こす斧があった。
人類の宝具の原典は移動している真祖めがけて降り注いだ。
その数は百以上。容赦の文字はどこにも見られない。

Alt Nagel.

真祖の姫は腕を振るい、巻き起こる衝撃波で次々と宝具を撃墜してゆく。
だが撃墜できるのは宝具だけ。それが起こす神秘まではどうしようもない。
そして中には衝撃波をもろともせずに突破してくるものまであった。

更に一段とランサーは攻勢を強める。
令呪の効果が切れるのはランサーが以前思っていた以上に短い。出し惜しみをしなければなおさらだ。
その間に決着をつける勢いでランサーは射出し続ける。

「……」
それを見守るランサーのマスター、双魔の顔はうかなかった。
堕ちた真祖、つまり魔王を処断するための存在である真祖の姫。
その在り方から考えれば、どれほど強力な存在だろうと真祖の姫はそれを上回る能力で現れるはずだ。

ならばランサーのような手数に長ける者ならば戦いを有利に進められる。
それが双魔の出した結論ではあったが、有利の度合いを若干読み違えたかと反省する。
最も誰もが大騒ぎをする存在を相手にしている以上、その程度の誤差は予想範囲内だ。

このためだけに双魔はアインツベルンの城から退却後、遠坂邸に赴いた。
聖杯戦争以外の用途で使うと制約まで行い、瑪瑙から令呪を一つだけ譲り受けたのだ。
出来れば二つがよかったんだが、と双魔は思わざるを得なかったが、さすがにそこまで贅沢は言ってられなかった。

Schneiden Ende.

真祖の姫が巻き起こす真紅の衝撃は更に強まり、徐々にランサーとの距離を詰めていく。
ランサーもまた前方からでなく、あらゆる角度からあらゆる効果を持つ宝具を射出する事で真祖をかく乱し続ける。
完全な拮抗状態。ランサーにも真祖の姫にも別の手段を講じている暇などなかった。

「……そろそろか」
双魔は経験と感から時間が迫っているのを感じ取った。

ここまでは予想通りにいっていた。
担い手どころか所有者ですらないランサーが射出したところで真祖の姫は倒せない。
せいぜい拮抗が関の山だ、と。

その拮抗が崩れた時、勝負は決まる。

 どれほどの時間が経過したか。
ランサーが開いて空間の門が急に閉じ始める。
その度に射出される宝具の数は減っていき、ついには一本もなくなってしまった。

これを見逃す真祖の姫ではない。
最後のほうで射出された宝具の対処を終えると、すぐさまランサーの方へと飛び出す。
距離を縮める時間すら惜しいとばかりに真祖の姫は腕を振るった。

Sterben Ende.

ランサーは迫り来る衝撃波を盾の宝具で防御したが、ひびが入った様子に多少驚く。
追撃、また追撃。数回の攻撃だけで盾の宝具は粉々に砕かれてしまった。
真祖の姫は接近を止め、初めてランサーの方へと腕を伸ばした。

タイミングは、今。


神人繋留し天の鎖エルキドゥ

Gnaden Sturz.


刹那の時だった。
その間に全ての行程が終了し、全てに結果をもたらす。

真祖の姫を束縛してゆくのは天の雄牛すら束縛した天の鎖、そして英雄王を律するべく創造されたランサーの分身。
ランサーを束縛してゆくのは真祖の姫自身を束縛し続ける千年城の鎖、それは例え創造主自身にも打ち破る事は不可能。
全く同じ種類の攻撃を全く同じ時に使用したのだった。

「なんだとっ!?」
この結果には双魔も驚愕の声をあげるしかなかった。
そして真祖の姫とランサーの双方にも驚愕の表情が現れる。

この場にいる三人全員にとってもこの展開は予想外。
全員がこの一撃で勝負を決すると思っていただけに、驚きはなおさらだった。
だが驚愕は一瞬の間。ランサーと真祖の姫の両者は既に戦いを行うものへと戻っていた。

双方を拘束する鎖が空間ごと相手を捻じ切らんと動く。
拘束されている箇所は絞られていき、体全体が軋みをあげる。
それぞれが至高の存在を律するためのもの。かたや真祖の姫、かたや半神の英雄。
もたらす効果は十分すぎた。

ランサーにはなおもクラスとして与えられた宝具の投擲が。
真祖の姫にはなお空想具現化が残されている。
だがそれをやらない。わずかでも違う方へと意識を移せばその時が終焉だとお互いに分かっているからだろうか。

「……――」
ただ一人の第三者であった双魔は成り行きをただ固唾を呑んで見守るだけだった。
令呪を行使すれば倒せるかもしれないが、そうなってしまったらその先の決着がない。
あくまでこれは目的でも過程ですらもなく、単純に邪魔の一掃なのだから。


 ぎりぎりと互いを締め上げる。
お互いに顔色一つ変えずに、ただ相手だけを見据えて。


 完璧な拮抗。もはや両者の身体は一ミリたりとも動こうとしなかった。
そうなればもはやこれは根気の勝負。
無論、どちらも根を上げるような存在ではない。


 どれだけの時間が経っただろうか。
時計に目を移す仕草さえ忘れて目の前の勝負を凝視する双魔には分からなかった。


 そして、朝になった。

「世界が、変わった――」
死徒や真祖の世界は終わり、同時に魔術師の宴も終わる。
ここからは日常を生きるものたちの世界で、真祖の姫やランサーが戦うものではなかった。

「……」「――」
お互いがお互いから拘束を解く。
ランサーの鎖はそのままランサーの鎧となり、真祖の姫の鎖は存在理由を失って消滅する。

そして真祖の姫は太陽が昇る方とは逆の方向へと飛び去っていった。

双魔はとりあえず現状を確認してみる。
ランサーの身体は捻じ切られる寸前で耐えていたために大きな損傷を受けており、その上に魔力消費も激しかった。
今更だが令呪を行使すれば良かったかと考えが頭をよぎったが、頭を振って振り払った。

「あれが世界最高の存在、か――」
緊張が解けたために双魔は腰を抜かした。
そんな無様な姿を晒した事より今まで正気を保っていた自分を褒めたくなってきた。

「二度と会いたくないな」
正直、お互いがお互いの事を障害物としてしか認識していたからこの程度で済んだのかもしれない。
もし倒さねばならない相手同士だったらと考えると、双魔はぞっとした。

「だがとにかくこれで時間は稼げた。残ったのは……」
「ああそうだな」
決着だけだ。

双魔とランサー、主従の二人は固く心に決めた想いを胸に戦場をあとにした。




to the next stage……


第51話に続く

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 新アサシン脱落。それでは裏話でも。

 一番最初のプロットに目を移すと、アインツベルン城での決戦で始めから新アサシンは出てきていたようです。
ただし士郎に決める前は志貴にしていたあたり、かなり物語の本筋以外はどうでもよかったようで。
それがシアンというオリジナルに決定したのは多分連載を開始してからだと思います。
実を言うとそのためにシェラザードを登場させたような記憶が……。
それでも物語の本筋から少しずれた登場人物、という意味ではいてもよかったかもしれません。

 ちなみにソロモン登場はオマケのようなものなので戦闘描写は割愛。
捏造してもよかったのですが自重。おそらく公式物語が出ても書かないかと。だって別になくても物語成立しますし。
the dark sixではどのような活躍を見せてくれるのか、とても楽しみです。

 それでは次の舞台で。
  2008年4月12日


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