/11日目

「随分と久しいな憐! もうかれこれ十年ってところか。昨日はあれほど強固だったキャスターの神殿を攻略してねぎらいの言葉を贈ろうじゃないか」
双魔が何か言っているようだが、なんでこの場所にいるかはどうでもいい。
今目の前にある状況は一体なんなんだ?

塀の上には双魔とランサーらしきサーヴァントが立っている。
ディートは絶望したような暗い表情、クリスはこの状況に対する憤りを見せている。
アーチャーはなぜか体中から刃を生やし、セイバーには幾重にも宝具が突き刺さっている。
両方のキャスターは身体に力が入らずに横たわっている。

「あ……ああ……」
英ねえは今までに見せた事の無い狼狽を見せていた。
剣を落とし、目を見開き、体中が震えていて、それでも触れようとする。
もう英ねえの眼中に数多のサーヴァントはない。状況すらどうでもいい。

俺だってそうだ。もう他の者たちは目に入ってこなかった。
なんで、葵が血まみれになって横たえているんだ?

「ああああああっ!!」
英ねえの慟哭が不気味なほど静寂な辺りにこだました。




Fate/the midnight saga

第43話


   /

「葵……葵ーっ……!」
一秒が惜しい。早く葵の元に駆けつけないと。葵を助けないと……!
鈍い痛みが身体を走る。
外廊下から庭に出る際に膝から力が抜け、地面に倒れ込んだと数秒後に分かった。

「ぐ……!」
ふざけるな。こんな時に動かないでどうする。

俺の剣は自分のためにはない。
俺の神秘は自己満足のためじゃない。
俺の想いはくじけていいものじゃない。
俺は、俺は――!

「愁傷な心がけだが憐、オレがこの場にいるのは何のためだと思ってるんだ?」
不意に俺の鼻をかすめて何かが通り過ぎる。
爆音とともに土砂があられのように降り注いだ。
傍目で見るとそれが宝具の投擲だと判断できた。

「おまえが、これをやったのか?」
声に出来たのは自分でも驚くほど冷淡な言葉だった。
双魔は嘲笑を絶やさずに腕を組んで余裕を見せる。

「ランサーのしわざがオレのせいだと主張したいならその通りだが、それがどうした?」
「な、に?」
目の前の男は一体何を言っているんだ?
何がそんなにおかしくて笑う?

「マキリの娘は魔術師で、自分から進んでマスターになる道を選んだ。
 そして戦う意思もあって逆に殺される心構えだってできていたはずだろう。
 オレは聖杯戦争として当然の事をしたまで。何をそんなに憤る」
なぜこいつらだけが立っている?
アーチャーも英ねえも倒れていて、葵が血を流しているのに。
なぜ双魔だけが……!

「更に言うならこの場には聖杯戦争の生き残り全員が集っている。
 一網打尽にして一気に勝利を決められる機会なのに、それを見過ごす莫迦がどこにいるんだ?
 マキリの娘が入った世界はそういったものだろうが、憐」
「双魔……!」
もうこれ以上目の前で嗤う男の言葉など聞いてられるか。
回路に魔力を流せ、身体を奮い立たせろ、この刀をやつの頭に振り下ろせ。
これ以上おまえになにもさせてたまるか。

「俺はおまえを許しはしないぞ、双魔ぁぁっ!」
「誰がおまえに許しを請いた?」
轟く金属音。と同時に炸裂音まで聞こえた。
炸裂音がランサーの宝具での投擲、金属音がアーチャーの防御だと分かったのはその後だった。

「普段なら反応できたかもしれんが、今のおまえじゃあ感知すらできなかったようだな。満身創痍の状態ではオレは倒せないぞ」
「アーチャー……!」
双魔の口上は一切無視して、よろけながらもアーチャーの傍らに立つ。
ぐ、膝どころか体中から力が出ない。魔力もぞうきんみたいにしぼっても出せそうにない。
だがアーチャーを気にかける事ができるぐらいには頭が冷えてきたのは実感できた。

「その状況どうしたんだ一体!」
「投影魔術の使い過ぎ、かな。これでも戦う分には支障ないぞ」
「そんなわけないだろうが……!」
アーチャーの周りに散らばってたのは武器破壊で名を馳せた一品ばかり。
それにアーチャーの症状は魔術のバックファイアーごときじゃなく、固有結界の暴走だ。
自らの心像世界に内側から食い破られているんだ。無事のはずないだろう……!

「憐、すまないが頼み事がある」
「え……? いや、言ってみてくれ」
だがアーチャーは自分の事とは考えられないほど涼しげな顔で語りかける。
思わず言いよどんだが、俺はアーチャーを信じてる。

「令呪を使って俺をしんがりにさせてくれ」
「なにっ!?」

思わず声を荒げる俺。
一体アーチャーは何を考えて……,
と、ここまで考えてまだ冷静な判断ができてない事に気づいた。

落ち着け。こんな時こそ冷静にならなきゃいけない。
自分には出来なかったがおまえはそうなれ、英ねえが口をすっぱくして言ってくれた言葉だ。
俺は激昂して本能で戦える程優れてはいない。
判断力と洞察力、経験に裏打ちされたものこそがすべてを制するんだから。

俺ばかりじゃなくてこの場にいる誰もがもうランサーに対抗するすべがない。
一斉にかかっても、とてつもなく悔しいが、返り討ちに合うのが関の山だろう。
だから誰かが足止めをして、回復した上で再戦するしか道はない。

つまり、アーチャーは俺に自分がその犠牲となる、とうながしているわけか。

「……俺にその決断をしろって言うのか、アーチャー」
「それ以外道はない。この中じゃ俺が一番ランサーを足止めできる」
令呪を使って一時的に増幅してやっと、だろ?
だから再契約の機会は決して訪れない。命令すればそれっきり、アーチャーとの別れだ。
俺の意地なんかこの場の命に比べられないほど大した事ないが、それと引き換えにしなきゃいけないのがアーチャーだなんて。
けれど、だが、いやしかし……!

「……ごめん、アーチャー。謝っても謝りきれない」
「ん、懸命な判断だな」
誰かを犠牲にしなきゃならない選択肢なんて間違ってる。
そんな選択肢が現れないよう最善を尽くすのが俺の信念だった。

けれどそれに直面した時、こんなにも心が裂けそうだなんて知らなかった。
俺は絶対に間違ってる。仕方がないなんて言い訳するつもりはない。
俺はこの選択肢を選んだ事は絶対に忘れやしない。

「じゃあランサー。この場の死に損ない共を一掃して、オレたちの勝利だ!」
「無論だソウマ」
ランサーが自信にあふれた笑みを浮かべた状態で背後の空間から宝具の剣を取り出して、思いっきり身体をねじる。
大けがを負ったサーヴァント達が絶対にかわせず防御できない威力で放つつもりか。

「アーチャー、令呪をもって命ずる」
後悔しても仕切れない。だけど俺はこの事実を心に刻み付ける。
アーチャー、おまえを喚びだせて本当に良かった。

「全力をもって……」
ランサーを倒せ。そう命令しようとしたその時だった。

「むっ!?」
ランサーがたたずんでいた塀が突如粉々に砕けた。
と同時に崩れるがれきから刃が数本ランサーに向けて射出される。

ランサーを取り囲むようにして放たれたものだったが、ランサーは槍を旋回させてことごとくたたき落とす。
直後、今度はランサーに向けて一直線に飛来する物体が現れる。
それが細身の剣だと判別できた時にはランサーは既に構えなおしていた。
そして引き込む間すら見せないほど高速で槍を突き出し、それらを次々と撃ち落として、

「えっ!?」
逆に槍の方が弾かれてランサーの身体が大きくのけぞった。

ランサーほどの身体能力、体重だったらただの投擲ごときで体勢を崩す事はないはず。
だがアレは質量差を覆して相手を吹っ飛ばす投擲方法、

「鉄甲作用……!」
莫迦な。あの技法は聖堂教会の中でも指折りの代行者にしか出来ない高度な技術のはず。
なんでそんな代行者が今、ランサーを攻撃する必要が……?

それでもランサーはさすがなもので、すぐさま体勢を立て直して投擲の撃墜に戻った。
しかしなお数本に一本の割合でランサーはひるむ。

「アーチャー!」
誰のしわざかはこの際どうでもいい。
重要なのは圧倒的に優位だったランサーがこうして攻撃されている事。
それを逃さない手はない。

「無理を言って悪いがランサーを攻撃だ」
「了解だマスター」
アーチャーは両手に弓と矢を投影して構える間もなく一挙動で放った。
即興ながらランサーを襲うのは宝具。今の状況で攻撃を受ければひとたまりもないはず。

「ぐっ!?」
苦悶の表情を浮かべながらランサーはそれと全く同じ宝具を取り出して投擲する。
とっさの事だったのか全体を使っての投擲で、身体が大きくねじれている。

「う……おおおっ!」
アーチャーが更に追撃に入る中、咆哮して大地を踏みしめたのはセイバーだった。
武器が全身に突き刺さってはいたが戦闘続行スキルは伊達じゃない。

「!」
そして高らかに宣言をすると、空間が歪んで突然巨大な馬が出現した。
シグルズの愛馬グラニ召喚、騎乗スキルも最大限に生かすつもりか。
唸りをあげるとセイバーは怒濤の勢いで突撃を開始した。
その気迫は攻められる者全員が戦意を失って逃げ出しそうなほどだ。

「甘いぞ、セイバー!」
「甘いのはおまえの方だランサー!」
ランサーが繰り出した鎖がどんな効果をもたらすなんざ知ったこっちゃない。
だがアーチャーがそれを黙って許すわけがないだろう。

セイバーを束縛しようとした鎖がことごとくアーチャーに撃ち落とされていく。
もちろんグラニも巧みにかわしていくのでアーチャーの援護も必要最小限だ。
ランサーも何者かの投擲よりセイバーの方に身体を向けた。

「覚悟っ!」
「させるかぁ!」
セイバーはグラムを一閃。鎧や宝具ごと身体を一刀両断できそうな迫力を伴う。
その攻撃をランサーは武器を捨て、量の拳で挟むようにして受け止めた。
真剣白刃取り、それを実戦でやるのか!

「ぐ……!」「ぎ……!」
お互いに歯を食いしばって力を込める。
騎乗中とがれきの上が足場、どちらも状況は芳しくない。
だが決定的に違うのは、

「双魔ぁっ! 覚悟っ!」
セイバーには加勢する者達が大勢いる事だ!

アーチャーから放たれた矢は一直線に双魔へと向かっていく。
いくら双魔が腕を上げていても英霊の放つ攻撃を防ぎきれるはずがない。
確実にもらった!

「うああああっ!」

気合一撃。相手は唖然。
両手で抑えていたランサーはあろうことか頭突きでセイバーの剣をそらしたのだ。
その脚でランサーは双魔の方に疾走し、やつを抱え込んだ。

「分が悪い。ランサー、撤退するぞ」
「……残念だ」
ランサーも双魔もこっちに振り向きもせずに逃亡していった。

……いや、これで全部の懸念材料が消えたとは考えにくい。

「アーチャー、ランサーに攻撃した奴は見えるか?」
「ちょっとまっててくれ」
アーチャーは軽やかに屋根上に飛び乗り、辺りを見渡す。
その上で首を横に振った。

「そう、か」
全員が満身創痍なこの状態。もうこれ以上戦いはないはずだ。
なら俺は……!

「葵……!」
ふらつく身体を支えながら一歩一歩彼女に近づいていく。
頭がくらくらする。視界が真っ白になりそうだ。脚がまるで自分の脚じゃないみたいに棒だ。
そのまま俺は膝から地面に顔を埋めようと、

「しっかりしろ」
したところでアーチャーに支えられた。
今の自分の状況からするととてもありがたい事ではあるんだけれど、正直生えてる剣が突き刺さってる。

「む、悪かったな」
「いや。別にいいさ」
こんなしょぼい身体をささえてくれるんだから不満なんてない。
というか感覚が鈍ってるのか、剣が刺さっててもあまり痛くないんだが。
俺の身体は本格的に危機に陥ってるのかもな。

「あ……ああ……」
英ねえはうつむきながら大粒の涙を雨のように流す。
目は大きく見開かれて虚ろ。腕は力なく垂れ下がっている。

「アオイ……なぜ私なんかをかばったんだ……」
それはまるで子をなくした親のような、子をなくした親のような。
かけがえのない存在を失ったようにぽっかりと穴があいていた。
こんな姿の英ねえは初めて見た。

「私にはこのような平穏を生きる資格など……ないというのに……」
つぶやく言葉は全て嘆きばかり。
ほうける気持ちは分かる。涙を流す想いも分かる。自分を責めたくなるのも十分に痛感できる。
だけど、そんな事してたらなんもできやしない。

「まだだ。まだ終わっちゃいない……!」
「え……?」
もう俺は二度とあんな事にはさせやしない……!

「アーチャー、まず葵に突き刺さってる宝具が何なのか教えてくれ」
「原罪。勝利の剣や太陽剣の原典で、王を選定する剣だ」
「原典? ……まあそういうものか」
ランサーの真名は知らんがそういったものを扱う英霊ですませておく。

「抜いたとたんに爆発して木っ端みじん、なんて効果はないよな?」
「ない。呪いの概念もなにもない。これは見た通りの在り方だ」
うん、確かに純粋に尊いものでどこもひねくれてない。
なら取り除いても問題はないか。

「よしっ」
まず葵の心臓に王者の剣が突き刺さっていて、別れの言葉を交わす暇もなく即死。
だけど綺麗に突き刺さっているから内蔵もそれほど傷ついてはいないはずだ。

「ディート。アインツベルンの治療魔術は錬金術の延長だったな。葵を癒せるか?」
「え? えっと……」
「無理よ。時間をかけて修復しても失った魂を戻す事は出来ない。文字通りアオイは死んだのよ」
言いよどむディートに変わってクリスが冷酷な言葉を浴びせてくる。
時間が惜しいこの時はむしろ事実を言ってくれる後者の反応がありがたい。

ただの治療魔術では葵を救う事はかなわない。
膨大な魔力を流し込む力技に頼るにしても宝具開放ぐらいの量が必要だ。
……選択肢は一つしかないか。

「アーチャー、悪いが俺のコート取ってきてくれ」
「コート? ……分かった」
アーチャーは足早に屋敷の中へと消え、程なくして俺の赤コートを取ってきてくれた。

「コートまで赤って……悪趣味ー」
「ほっとけ」
クリスの冗談を軽く受け流して俺はポケットの中を探り、一品だけを取りだした。
一流魔術師や英雄であってもさすがに驚いたような反応を見せたのは意外だったが、逆に瑪瑙の憤りは想定内だった。

「それは遠坂の至宝――! 十年前の騒動で双魔兄様が取っていったと思っていたのに憐兄様が取っていたなんて!」
「無断拝借したのは悪かったが今はそんな事言ってる場合じゃないだろ!」
「開き直りですよ、憐兄様」
何とでも言え。

単に俺は祖母の遺品を一つだけもらっただけにすぎない。
それがたまたまこれだっただけだ。
遠坂の至宝とも言うべき巨大な宝石をな。

これは魔術用として出回っている普通の宝石などとは比べ物にならないほどの許容量を持っている。
持ち出してから十年以上これにつぎ込んではいるが、未だに限界まで行ってない。
まさに俺の血と汗と涙の結晶ってところか。

「これぐらいの魔力があれば無理矢理治す事だってできるはずだ」
「た、確かにそれほどの量なら力づくで治療できるかもしれませんが……」
「なら……!」
やるのは当然の事だ。
そう確信を持って葵の傷口の方に宝石を持った手を向ける。
そして魔力を流そうとして、気づいた。

「……! ……っ!?」
発動、できないっ!
貯蔵してる樽はあるのにコルクを抜く事ができないみたいだ。
発動に必要な鍵となる魔力すら俺は捻出できないって言うのか……!?

「く、そおおっ!」
助けられるのに。救う手段があるのに。
この俺のていたらくのせいでなにも出来ないって言うのかよ。
それじゃあ十年前となにも変わってないじゃないか……!

「おやめください憐兄様」
そっと俺に触れる繊細な手。
だがひらを見せて迫るそれは大きさ以上の迫力をもたらす。
深刻な表情を見せて瑪瑙は更に手を近づけてきた。

「私がやります。それをお返しください」
「え? だけど……」

「他人の魔力を操作できない、と言いたいのでしょうが、私は貴方の血を分けた兄妹ですよ。
 魔力の質も酷似していますから発動は出来ます」
「……分かった」
方法なんてかまわない。俺は葵が助けられさえすればいい。
俺は自分の手の中にある宝石を瑪瑙に手渡す。

「英ねえ、瑪瑙が治療を始めたらゆっくりと剣を抜いてくれ。速すぎても遅すぎても駄目だから、よろしく頼む」
「あ、ああ」
まさか英ねえに指示を出す日が来るとは夢にも思わなかったがこの際どうでもいい。
血がこれ以上溢れ出ないように微細な力加減が求められるけれど、この人なら大丈夫だ。
英ねえが剣に手をかけたのを見計らって、俺は瑪瑙にうなづいた。

「それではいきます」
瑪瑙は剣が突き刺さった箇所に宝石を持った手を近付けていき、魔力を流し込んでいく。

「へえ」
クリスもうなるほどの(我ながら)膨大な魔力。
長い年月をかけたといえここまで貯めた俺が凄いはずもなく、許容量が高いこれのおかげだろう。
これだったら必ず……!

「ん……!」
英ねえがゆっくりと剣を抜いていき、瑪瑙がその個所を治療する。
そのおかげもあって、剣が抜き放たれた直後には傷口をふさぐ事ができた。
そして再度広がらないよう安定させていき、終わる。
あれだけ溜め込んであった魔力はほとんどなくなってしまい、宝石に残った量は微々たるものだ。

「後は天に祈るばかりなのか……?」
俺はこれ以上の治療法を知らない。
自分の浅知恵では及ばないものがあるのではないかと瑪瑙に視線を移すが、瑪瑙も俺の意見に同意するようにうなづいた。

「そうですね。憐兄様のお貯めになった魔力は十分な量がありましたから、魔術的治療はもう施せません。
 あとは医学的治療なのですが……」
あいにく俺は応急処置は学んでいても蘇生術は知らない。
ディート達に視線を移しても彼女は残念そうに首を振り、クリスはセイバーに語りかけているだけだ。

「ぐ……」
脈も心臓も動き出さない。呼吸も再開しない。
どこから見てもただ静かに眠っているだけなのに、その眠りから永久に覚める事はないみたいだ。

「アーチャー……アーチャーの時代だったらもっと発達した応急処置があるんだろ? だったら頼むから……」
「すまない。それはできそうにない」
「な、んでだよ――」
そんな申し訳なさそうな顔をしないでくれアーチャー。
頼むからいつものように自信に満ちた表情でいてくれ……。

「車にはねられたとか辻きりに斬られて殺されたんだったら肉体的外傷がなければ人工呼吸とか心臓マッサージで蘇生させる事もできる。
 だが……葵は宝具という至高の概念武装で殺された。概念ごと殺されたらいくら肉体的処置を施しても蘇生させる事はできない」
「い……言うな。それ以上は……」

「憐が宝石に貯めていた魔力は英霊でも思わずうならせるほどの量を持っていた。多分キャスターでも触媒なしではあれほどの量を行使できないはずだ。
 つまり憐のとった魔術的処置はこの場合最適なものだったと考えてもいい。
 ――けど、それでも蘇生できないとしたら……」
「それ以上は言うなアーチャー!」
思わず令呪まで使うかもしれなかったほど強く言い放つ俺。

俺は絶対にそんな結末にならないように今まで必死になって歩んできたんだ。進んできたんだ。
多くの苦難にもぶつかったし、死ぬほどの思いをしたことも何度もあった。だけど、それはこんな結果になるためじゃない。
認めない。そんな結末は決して認めない。


「間桐葵は蘇生できずに死んだんだ」


俺は一体何のために今まで過ごしてきたんだ。一体何のために剣を、魔術を学んできたんだ。
なんで、どこで道を間違えたらこうなるんだ。
誰か頼む、教えてくれ。

俺は一体……どうすればいいんだ……。


   /

「……――」
どれほどの時間がたったのか。
あっという間だったのか数年も経過したのか時間の感覚すら曖昧になっていた時だった。
誰もがその場から動こうとしていなかった中で、とうとうある人物が動きを見せた。

「前、キャスター……」
俺自身はサタナというサーヴァントと出会うのはこれが初めての事。
だが目の前にいる存在はディートから聞いていた前キャスターとは全く違う印象を感じた。
そう、この印象はキャスターがディートに反逆してでも俺達と戦った時のような決意を秘めた、神代の魔術師のものだった。
強い意志を宿した有無を言わさない目がこちらを見据える。

「……どきなさい」
俺は思わず葵から離れる。瑪瑙も英ねえも同様に後ろに下がった。

前キャスターは傷ついた体を引きずりながら葵に近づき、手をそっと彼女の胸元に当てた。
そして軽くため息を漏らすと手を離し、腕を大きく広げた。
すると前キャスターの元に水が徐々に湧き始める。

いや、それは水であって水ではなかった。
サタナが持つ魔力が全てその液体に注がれていき、まるで魔力の塊のようになっていく。
しかもそれは形を維持したまま規則的な流れを生み出し、魔力を増していくのだ。
そして、


尊き栄光の証ナルタモンガ


神秘の言葉が紡がれた。

サタナが創り出した水はまるで母が子供を抱くように優しく葵を包み込んでいく。
それはどんな治療魔術や回復魔術など児戯に思えてしまうほどすばらしいものだった。
もはや語彙力の乏しい俺の頭では形容する事そのものがおこがましいほどだ。

「う、そ」
その現象に真っ先に声を漏らしたのはクリスだった。

クリスは目を見開き、ただ呆然とそれを見つめるだけだった。
ふと視線をそらすとディートやセイバー、そして英ねえまでも同様の反応を示していた。
俺とアーチャーもキャスターから推論を聞かされていなかったらただ驚愕するだけだったに違いない。

「冗談じゃないわ。こんな事まで出来るのになんで英霊ごときでいられるのよ……!」
「な、なぜサタナがこれほどまでの神秘を行使できるんですか……!」
とりわけアインツベルンの魔術師達の驚き様は誰よりも激しかった。
まあ俺だって目の前で第二魔法を行使されたらそんな反応するだろう。

「キャスター、これは――」
「ええ。これがサタナの宝具の本質であり根本。 魂を癒す宝具バラ・スティル魂を奪う宝具ドン・ベッテュルも 所詮これからこぼれ落ちた効果に過ぎないわ。
 それこそアーチャーの投影のようにね」
ただ一人なんの感慨も沸かずに真剣な眼差しをサタナに送るキャスターのディートへの説明は素っ気無かった。
ほとんどの意識をサタナの方に割いているようだ。

「貴女達が目指している魔法の領域にある神秘の行使である魂の救済、言わば『万能の釜の中身』こそがサタナの真の宝具ね」

何気もなく言い放つキャスターだが、その口から出た言葉は現代の魔術世界にとってはとてつもない大事だ。
魂を扱うのはもはや第三魔法の一端。神秘のほとんどが魔術となった現代でも魔法使いのみに許された領域なのだ。
それほどの存在が一介のサーヴァントとなって現界する事がそもそもおかしいとしか言いようがない。
祖母がどんな手で召喚したのか本気で気になってくる。

「……まずいわね。思ったとおりだわ」
だがそれを見つめるキャスターはうかない顔をし始めた。そしてそれは次第に焦りへと変わっていく。
俺もサタナの方を注視してみると、ようやく不安材料が分かった。

葵を覆う魔力はそれこそ俺の全魔力どころかキャスターが聖剣に行使する魔力より間違いなく多い。
それがさっきやった俺の宝石のように力づくで押し込まれるのではなく、水の中に細かく描かれる三次元の術式で規則正しく使われるのだ。
その精密さや凄まじさは決して誰もたどり着けるものではない。正にサタナだけにしか出来ないものだ。

が、術式を維持するサタナの様子が何かおかしく、明らかに苦悶の表情を浮かべている。
しかも誰よりも静かだった彼女の魔力の流れが大いに乱れている。
それはまるで今まで清流だったのが嵐の中の海になったように。
水の大魔術師であり精霊でもあるサタナには決してあってはならない現象だ。

「キャスター、これってもしかして……」
「ええ、間違いないわね」
俺の予想が外れてくれている事を願ったが、キャスターはあいにく深刻な顔でうなづいた。

「今のサタナでは魔法を安定して行使できない」

やっぱりそうだったか。だから宝具の本質は『万能の釜の中身』だと表現したのか。
器がない中身は安定されずにあふれ出すしかない。
それをサタナは強引に押さえつけているわけだから、どれほどの負担かは押して知るべしだ。

だけど、それを補助する事はこの場にいる誰にも出来ないはずだ。
いくらディートやクリスが優れた魔術師でも、アーチャーがどんな宝具をだすにしろ、魔法の手助けにはなりやしない。
唯一つ可能性のあったキャスターの大釜だって昨日アーチャーが両断してしまったから使い物にならないはずだ。

「このままだとどうなるんだ?」
絶望的な予想しか立てられなかった俺はまたわずかな希望を持ってキャスターに一応聞いてみる。

「そうね。サタナは生前も魔法使いのようだったから抑止の守護者が颯爽と現れて皆殺し、にはならないはずよ。
 だから安心してサタナがアオイを蘇生させるのを待つ事ね」
「俺が聞きたいのはそんな事じゃない」
それは分かってる。アーチャーの時代ならいざ知らず、現代でサタナはれっきとした魔法使いだ。
既に開いた穴に関して守護者が出てくる可能性は極めて低いはずだ。
だけど、それは『サタナ』だから当てはまることで、『前キャスター』には……。

「そうね。魔術師というクラスに当てはまったあたしもサタナも魔法と同程度の神秘は行使できても魔法そのものは行使できないわ。
 例え死者蘇生できる魔法の大釜を持っていようと、死者蘇生できる神秘を伴っていても、ね」
「やはり、か……」
魔法使いにまでなれば英霊の枠組みには入りきらなくなる。
英霊として現れるなら何らかの制約を受けているはずだ。サタナにとってはそれが魔法そのものの行使だったんだろう。

「じゃあこのまま行使し続けてたら……」
「魔法使いといえども魔法を行使して失敗したらどうなるかなんて分かりきっているのでしょう?
 魔術の失敗のように些細な問題では決して済まされない大災害が起こるわ。下手をしたらこの地域が地図上からなくなるほどのね。
 高域の神秘にはそれに比例した危険が伴うものよ」
最もそれは行使している本人が一番よく分かっているはずだけどね、とキャスターは付け加えて口を閉ざした。
なぜか今のキャスターの言葉に一番反応したのは瑪瑙で、何かを思い出したように青ざめる。

「で、どうするのかしらレン」
「え?」
キャスターは俺に魔術師として凍えてしまいそうなほど冷酷な視線を送る。

「サタナが死者蘇生させるまえに自爆する事は目に見えてる。でもその巻き添えを食らう必要は一切ないわ。
 選びなさい。この先どの道を選択するのか」
どの道を選択するか。

すなわち、奇跡が起こって葵が助かるのを信じて待つか、葵をあきらめて今のうちにサタナを倒してしまうか。

「な……っ! キャスター、貴女は……!」
「ハナブサは黙ってて。今あたしはレンに意見を聞いてるの」
キャスターの意図に気付いた英ねえは怒りをあらわにして立ち上がろうとするが、彼女は俺の言葉に視線を鋭くして杖を前に突きつける。
有無を言わさない迫力にさすがの英ねえも沈黙しざるを得なかったようだ。

「さあレン、あなたはどうするの?」
おれはどうするのか? どうすればいいのか?

魔術師として考えるなら答えは当然後者だ。
サタナの行使している神秘は明らかに危険でいつ大惨事を巻き起こしても不思議じゃない。
十年前の思いを町のみんなにさせるなんて言語道断だ。藁を掴む思いをするより今生きている人を優先させるべきだろう。

真木憐として考えるなら答えは……正直前者だった。
葵を助けられる方法があるのにそれを無視する事なんてしたくなかった。
わずかな可能性があるのならそれを信じたい。

俺自身として考えるならどうなんだろうか?
葵には絶対に死んでほしくない。例え俺が不幸になろうとも葵は絶対に幸せにならないといけないんだ。
けれどサタナの神秘が成功する確率は限りなく低い。十年前みたいに大切な人を失うのはもう嫌だ。
このままサタナを見過ごせない。けれど葵は助けたい。

「決まってるだろ」
なら、取るべき手段は一つだけしかない。

「アーチャー」
「なんだ?」
「旅は道連れってよく言うけれど、こんなろくでもないマスターの俺についてきてくれるか?」
「もちろんだ」
アーチャーは俺の考えを悟ったのか、力強くうなづいてくれた。
こんなにも至らないマスターに召喚されたアーチャーには本当に申し訳ないが、これが俺にとって出来る最善の手段だと確信できている。
ならば、それをやらない手はない。

「レン、あんたまさか――」
「ああ、多分そのまさかだ」
キャスターもようやく気付いたのか、はっと驚いてこちらに顔を向けた。
俺は彼女に決意を込めてうなづく。

「最後の令呪を使ってキャスターの大釜を作らせる」

キャスターならサタナの補助が出来る。今それをしないのはその道具を俺達が破壊したからだ。
だったら創造すればいい。足りないところを補うように創りあげるのだ。
令呪を使えば満身創痍なアーチャーでも一回ぐらいは完璧な投影ができるはずだ。

『中身』に『器』があれば、必ず奇跡は成就する。

「あんた、それ正気で言っているの?」
「やめてください……レンが今魔術を使ってしまったら今度こそ魔術回路が暴走して、取り返しのつかないことになります!」
「なんで敵対するマスターにそこまで出来るのか不思議よね。アオイはマキリのマスターとして死んだんだから、放っておきなさいよ」
だがそれを聞いた他の魔術師達は信じられないとばかりに声をあげる。
確かに魔術師から見れば俺のやろうとしている事は言語道断だが……、

「ああそうだな。ディートたちが言っている事は最もな話だ。そっちの方がもしかしたら正しいのかもしれない。
 けれど、俺はそれでも葵を助けたい。分かってくれ」
そう。俺はそのために、人を助けるために魔道に踏み込んだんだから。
この選択に後悔は一切ない。

俺が万一再起不能になっても、アーチャーが万全だったらランサーだって絶対に倒せる。
だからディートの事も安心して任せられる。俺自身が一緒に歩めないのはすごく残念だけれども。
アーチャーがなるべく犠牲にならないように令呪を調整すれば俺一人が被害をこうむるだけになる。
俺一人で葵が助かるなら、それで十分だ。

「ではアーチャー。最後の令呪で命じ――」
俺が最後の精神力を使って神秘を行使しようとしたところ、

「やめなさい。あんたが犠牲になる必要はないわ」
キャスターが俺の口を鮮やかに抑えてきた。
思いがけない行動に一瞬戸惑う俺をよそに、キャスターは軽くため息を漏らす。

「本当だったらこんな事する気はなかったんだけれど、あんたがそれほどの決意を秘めていたなら話は別ね。
 買いましょう、貴方の意思を」
キャスターの表情が引き締まった。
それは今サタナが見せている強い決意を持った神代の魔術師のものだった。

「いでよ我が至高の一品」
キャスターが威厳に満ちた言葉を発して杖を振るうと、虚空から彼女の大釜が出現する。
そう、黄金剣に両断されたはずの魔法の大釜が。

「それは……」
アーチャーが思わず表情を曇らせる。俺もすぐ後に大釜の悲惨な有様に気付いた。

大釜は確かに形だけを見るなら万全のもののままだ。
が、それは完璧に修復したのではなく、のりや接着剤でくっつけた程度の応急処置に過ぎない。
これでサタナを補助するとなれば……。

「魔力で強引に抑えるにしろ、キャスターに及ぶ負担はとてつもないぞ。それだったら贋作でも完璧なものを使うべきじゃないのか?」
「あんたかあたしの魔力を搾り出すんだったらあたしの方がいいでしょう。それにあたしはあんたの心意気を買った。
 だから好きにさせてもらうわ」
キャスターはディートの方に振り向き、苦笑いを浮かべる。

「勝手に決めちゃってごめんなさいねディート。正直アオイはどうだっていいんだけどレンがここまで言うんだったらしょうがないよね。
 それに実際あたしもこの現象が成功するところを見てみたいしね」
「いえ……。僕も純粋にこれには成功してほしいです。どうかよろしくお願いします」
「任せなさい。令呪は別に使わなくていいから」
なんかさらっと聞き捨てならない発言が出たような気もしたが、俺の気のせいだろう。
まあ、自分に正直なのがキャスターの魅力なのかもしれないな。

「では、全ては奇跡の成就のために」
キャスターは大釜に手を触れ、杖をサタナの方へと向けた。
そして、


約束された理想の大釜ペイル・リアンノン!」


キャスターが宣言すると大釜は魔力の結晶になっていく。
光の粒子とは全く違った力強さ、尊さを持ち合わせたそれはサタナをやさしく包み込んでいく。
『器』に収まった『中身』はあふれ出す事無く徐々に安定していく。

「すごい……」
その光景はクリスの一言が全てだった。
二人の精霊が、神官が、魔法使いが。
お互いの全てを結集させて神秘を執り行っているのだ。

今ならなんでアインツベルンが何世紀にも渡って第三魔法を追い求めていたのか分かる。
遠坂が、マキリが、なぜこの極東の地で協力し合ったのかが分かる。
そして、殺し合いをしてまでそれを成し遂げようとするのかが分かる。

人類が目指す先のものがそこにはあった。
人間誰もが一度は願った事のある奇跡が、今成し遂げられようとしていた。


   /

 どれほどの時間が経ったか。葵を包んでいた清水が音を立てて割れ、あたり一面に広がっていく。
葵に真っ先に駆け寄ったのは英ねえだった。彼女はまず口元に手を寄せ、その後で胸にそっと手を当てる。
そして、歓喜で顔を崩した。

「鼓動がある……息をしています!」
「本当か、本当に生き返ったのか!?」
「ええ、ええ……」
英ねえは彼女を抱き上げて涙を流す。
何度も何度も葵の名前をつぶやき、何度もサタナやキャスターに感謝を述べる。

「そう、か……」
葵が生きて、生き返ってくれたのか。

俺はただ感謝の気持ちでいっぱいだった。
俺ごときでは救いきれなかったかけがえのない存在を、彼女達は助けてくれた。
それがどれほど嬉しいか、どれほど喜ばしいか。

俺はただ涙を流した。
自分の至らなさや不甲斐なさがまねいた結果だとしても、こうなった事に歓喜した。
それを真っ先に現そうとサタナの方に振り向く。

「莫迦ばかり……」
そしてサタナの異変に気付いた。
彼女の魔力の流れが全く治まる気配を見せない。それどころか更に乱れ始めていた。

「市民も神官も英雄もみんなみんな莫迦ばかり。付き合わされる身にもなってごらんなさい、そうすれば始めてありがたみが分かるのだから。
 なんて混沌とした世界なのかしら……」
サタナは微笑を絶やさないままで葵の方を見つめる。
それは俺が始めてみる表情で、母性があるかのようなやさしいものだった。

「がんばりなさい、私の偉大なるマスター」
次の瞬間、サタナの体は魔力へと還っていきその場から姿を消した。

それがアサシンのサーヴァントとして呼び出された英霊の最後だった……。

「……やっぱり無理か」
キャスターは嘆くようにため息を漏らすと、サタナを取り巻いていた魔力の粒子がはじけ飛んだ。
その場には大釜は影も形もなく、何も残る事はなかった。

「キャスター、宝具は――」
「両断されていても破壊されたわけじゃなかったから、道具生成スキルで時間をかければ修復も出来た。
 けれど修復が中途半端なままで酷使したんだから形を維持できなかった。
 あたしの大釜は今死んだのよ」
あっけらかんと言い放つキャスターだったが、名残惜しそうに散っていった大釜だった魔力の粒子を眺める。
ブリタニアを神秘で守ろうとしたニムエが所有する魔法の大釜。その最後としては十分すぎるほどのものだと思えた。

……ともあれ、これで朝の戦いに幕が下りた。
結果的に俺達の大敗の形にはなったが、これだけ死闘を繰り広げて脱落したのはサタナだけだったのは驚くべき事だろう。
けれどこっちがこうむった被害は甚大だ。再度双魔たちが襲ってきたらひとたまりもない。
それに双魔たちを襲った黒鍵を投げた人物が味方か敵かも不明だ。

ならこれからやるべき事は今後の対策をじっくりと話し合うことだろう。
これ以上戦いが熾烈になるなら百目木邸から立ち去る準備も始める必要があるだろう。
やる事が山積みで頭が痛い。

「ニムエ。貴女には感謝してもしきれません。本当にありがとうございました」
「あー、別にご丁寧な感謝はいいって」
頭を深々と下げる英ねえに対してキャスターはてれを一切見せずにつぶやいた。
いや、それどころかどこか冷淡な面持ちですらある。

「どうせすぐに嘆きに変わる」
「えっ?」
キャスターの吐き捨てるような言葉に疑問を抱いた英ねえだったが、それを追及する暇はなさそうだった。
抱きかかえていた葵がわずかに動いたからだ。

「葵、葵!」
「ちょっと英ねえ! そんなにゆすったら葵が……!」
「あ、すまない……」
全く、こんなに慌てふためく英ねえなんて始めて見たぞ俺は。
それほど彼女にとって葵は大切な人なんだろう……。

「……――」
少しうなって葵はまぶたを開いていく。
それがどれほど嬉しかったか。どれほど大切なものだったか。
俺も体を引きずるように葵に近づいていこうとして、キャスターが肩を掴んだせいで倒れてしまう。

「キャスター?」
「さすがナルトの英雄達を導いた水の精霊ってところかしら。
 マスターのためだったらどれほど親しい仲の者でも平気で裏切るんだから」
キャスターは底意地悪そうに苦笑する。
正直キャスターが何をいいたいのかさっぱり分からない。

「葵、私だ。私が分かるか?」
「……――っ」
目を開けた葵はきょとんとしながら英ねえを眺めた。
そして見せた反応は驚くべきものだった。

「え――?」
葵は英ねえから逃げるように手を振り払い、そして脅えるように後ろに下がるのだ。
更に視線を俺達の方へと走らせて、声も出さずに泣き出した。
愕然とする英ねえ。俺も何が起こってるのかわからずに呆然とするしかない。

「『器』はあたしでも『中身』はあっち。だから死者蘇生の神秘も主導権はあっち持ち。だからあたしにはどうしようもなかった。
 まあ止められても止めるつもりもなかったけどね」
「キャスター、一体何が……」
一体葵に何が起こったんだ?
まるであの様子だと今始めて世界を見た赤ちゃんみたいじゃないか。

「普通に生き返らせても待っているのはどうしようもない現実。だからアイツは通常の蘇生より更に上、葵を純粋無垢な状態にしてしまった。
 その結果があれね。世界の穢れを全く知らない赤ん坊じゃないか」
「質問に答えろキャスター!」
俺はキャスターをつい親の敵のように睨んでしまう。
それをあっさりと受け流し、キャスターは冷酷なまでにあっさりとした口調で言い放った。

「今の葵は全てのしがらみから解き放たれた存在よ。魔術からも、マキリからも、今までの日常からも。
 ――そしてハナブサやレンからもね」

「元の葵は――」
「記憶喪失と違って絶対に過去を取り戻す事は不可能よ。一度失ったものは二度と取り戻せない」
「でも――」
「神秘を打ち消したければより強い神秘を持ってくることね。レンは当然ながらこの世界にいる誰もがあれ以上のものは無理でしょうけど」
英ねえは両手を地面につき、我を忘れた呆然とする。
俺もそうしたかったが、葵が泣く様子が否応なしに現実と言うものを物語ってくる。

「それとも、聖杯にやり直しでも求める?」
何が面白おかしかったのか、キャスターは高笑いをしながら屋敷の方へと戻っていく。
クリスとセイバーもなんの感慨も抱かずに葵を一瞥してその場から去り、ディートまでもが立ち去っていった。
瑪瑙は瑪瑙で戦闘の後始末を始めてたから、この場に残ったのは俺と英ねえ、そしてアーチャーだけになった。

「なあ、アーチャー……」
「どうした?」
俺は今まで過去を振り返る事はあってもそれを教訓として生かし、常に現在と未来のために行動してきたつもりだ。
過去の所業をを嘆いていても過去は変わらないから。過去より良い未来があると信じていたから。

だけど……今この時ばかりは言わずにはいられない。
取り返しのつかない現実を突きつけられて、俺の志を真っ向から否定されて。
今まで俺が抱いていた信念を覆すどうしようもない弱さを。


「俺は一体どこで選択肢を誤ったんだ……」


償いきれない罰がそこにはあった。




to the next stage……


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第44話に続く

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 アサシンリタイア。残るサーヴァントは5体。
ではアサシンの裏話でも。

 始めのプロットを紐解いてみると、アサシンは……志貴? 何考えてたんだ当時の自分?
始めからアサシンは葵のサーヴァントだと決定済みでしたが、アサシンがハサンに変更になったのはアーチャーが士郎になってからです。
英が間桐側につく事にする前まではアサシンの相方は実はライダーでした。前キャスターの出現でその案は没にしましたが。
その時にようやくアサシンの方向性を決定。他者になれるアサシンにしました。
脱落時期も実は七転八倒。この戦いで葵が脱落する事は決めていましたが、アサシンだけはその後も生き延びる案もありました。
と、言うより様々なプロットを読み返してみると一定していなかったようですね……。
アサシンが生き残るプロットについては現時点では保留しときます。
なんで脱落させる事にしたか、それはあくまで葵のサーヴァントが最後までマスターに忠義を尽くす『アサシン』にしたかったからです。

 次に今回の話について。葵の脱落は決めていましたが、結末を最後まで悩んでいました。
葵を殺すか、生かすか。
物語を引き締めたいのならこのような中途半端な形ではなく潔く殺すべきだったのでしょう。
しかし、一年以上描き続けて思い入れのできてしまった葵を殺したくはなかった。正直本音に屈しました。申し訳ございません。
少しでも説得力を持たせようととんでも理論もやってしまいました。言い逃れは出来ません。
それでも後悔がないように書きました。

 さて、次の話でようやく先に書いてしまった部分につながります。
日常の終焉と決戦の開始。投げ出す事無く書きたいものです。
それでは次の舞台で。
  2008年3月20日


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