/

俺と葵の出会いは些細なものだった。

聖杯戦争に参加するために帰国した俺はかつて通っていた百目木の家に厄介になる事にした。
理由は簡単。もはや俺は遠坂の憐ではなく真木の憐になっていたから。
だから遠坂とは接触を持ちたくなかったし、けれど一人で過ごすには生活費がかさんで仕方がない。

居候の件は沙耶さんと一成さんは快く承諾してくれた。
俺が聖杯戦争という魔術師の戦いに彼らを利用する。そんな考えはなかったにせよ事実ではあった。

執行者の手伝いと言う血なまぐさい生活とは全く異なった普通の生活。
剣にかけては誰よりも勝っている赤木英、つまり英ねえとの出会い。
そうやって俺は穏やかに過ごしていた。

そんな時、俺は彼女に出会った。

本当にそれは些細な事だ。
柳洞寺から帰ろうとしていた俺を横切って向かおうとしている葵。
石段で俺たちはただ挨拶を交わすか素通りするか。本来ならそれしかなかった。
が、彼女が石段を踏み外し、崩れ落ちるのを見て黙っているわけにはいかなかった。

落ちる事は免れたものの足をくじいていたのでそのまま寺に運び、英ねえと柳洞さんにその事を伝えた。
幸いにも筋肉や骨は痛めていなかったのでその日の間に歩けるようにはなったけど。
その間俺が葵の話し相手になっていた。

これがきっかけ。葵は英ねえと知り合いだった事もあってよく話すようになった。
そしてそのうちに姐さんとも知り合うようになってどういう話からか百目木の屋敷に出入りするようになった。
家事全般も始めは一つ一つ確かめながらだったけれど、今では俺以上にこなせるようになっている。

町の人たちは「会う度に女性としての魅力が上がっていく」と言っていた。俺もそう思う。
もし彼女を娶る人がいたら、絶対に彼女を幸せにしてほしい。
それがこの町に住む男連中みんなの願いでもある。

そんな俺は彼女にどんな感情を抱いているんだろうか?
家族のように大切な存在だろうか? 一種の憧れだろうか? それとも、恋愛感情だろうか?
分からない。どうなのかは。

俺の心は全く整理できてないのだから。




Fate/the midnight saga(仮)

第32話


   /9日目

 文句がないほどに快晴の言葉が似合う……わけではないがいい天気には違いない。
でも正直な話、この街に関しては俺たちはかなりの部分を知っている。
つまり、逆に俺たちも街の人からは知られすぎているわけだが、

「憐ー! おまえは俺たちを裏切った!」
とか言いながら殴りかかってくる街の人たちの顔が目に浮かぶようだ。
何しろ俺が紳士服を着るのは気まぐれですむかもしれないが、葵が着飾っているのは言い訳の仕様がない。
つまり、ぱっと見だけで俺が街の人から見てとんでもない事をしていると分かってしまうわけだ。

なので俺は普段行かないような所を選ぼうとするんだけど、

「この際ですからみんなに見せびらかしましょうよ」
なんてとんでもない事を言ってくれました。
葵、君はそんなに積極的だったっけ?

もちろんこうした女性との付き合いが始めて、と言うわけではない。
と言うか悪友がその点に関しては無理やり解決してくれました。あいつ、いつかギャフンと言わせる。
こういった清楚な美人との付き合いでも普通に世間話から色々とふくらませられる自信はある。

でも、それが葵なのは正直緊張しない方がおかしいと思う。

「さ、まずどこに行きましょうか」
しばらくして葵がそう聞いてくる。

さて、これには困った。
今は花盛りな時期ではないし、英国のように本屋に行く事や劇を見るなどといった娯楽はない。
いや、あるにはあるんだけど……。

「落語でも見に行くか?」
「せっかく2人きりの時間を作ったのにそんな事で潰したくはありません」
と言うわけできっぱり断られた次第である。

つまり、落語でも歌舞伎でも、時間を多くとるものはそれだけに集中するから駄目だって事だ。
ようは短時間をすごせるものを選べって事だが、日本の文化ってわりと時間を多くとるものばかりだった気がする。
そういった演目は使えない事になる。

他に考えられるのは店に入る事ぐらいだけど、たいていの所は自分や町の連中とで行きつくしたような気がする。
と言うわけで雑貨を買う事での話題転換は到底不可能と見た。
飲食店に入るには朝食が近すぎ、昼食は遠い。
……。

「普通に歩くか」
「そうですね。わたしもその方がいいかと」
結局ここに行き着くことになるわけで。

こういった場合店は所詮話題作りに役立つ事であって、話題があるなら普通に歩きながら語り合う事ですむ。
少なくとも午の刻まではそれで時間をすごせるはずだ。
俺には葵と語り合う事は多くある……と思いたい。

と言うわけで歩み始めたわけだが、

「憐ー! おまえは俺たちを裏切った!」
予想通りの展開が待っていたのはまた別の話で。


   /

 川沿いに来ていた。
いくら今の季節が散歩に向かない、春夏秋冬で言うなら冬の季節に当てはまる今でもおもむきと言うものがある。
かの清少納言が記した枕草子、ここに『春は曙』とあるが、これを英国で語ってみたところ理解できない馬鹿が多いのに驚いた。
ようは気候の違いで春夏秋冬がはっきりしていない地域もあるという事だ。
季節ごとに趣がある事を分かっていない連中ばっかだと言う事だ。

かの悪友曰く、

「それぞれに特徴があって素晴らしい、ですか。まあ、わたくしには理解できない世界ですけれど」
との事。

まあ、あっちはどちらかと言うと自然を征服する建造物を作る風潮がある。
一方のこっちは自然との調和が図られている気がしてならない。
文化の違いと言えばそれまでだけど、せめてその心を知ってほしかった気もしないでもない。
いや、むしろその心をこの国の人たちが忘れないでいてほしいものだ。

ちなみに洋食を葵に教える際に俺が英国に行っていた事は教えていた。
ので今回その話から始めていた。

「と言うわけで俺の学友はこの国の良い所を理解しようとしてくれなかった。それが残念ではあるな」
「わたしはこうして山や海を眺める事も好きになりましたから、きっとこの国に来てくだされば分かってくださりますよ」
口元に手を当てて笑みを浮かべる葵。
そのちょっとしたしぐさでも思わず直視できないほど綺麗に見える。

「それにしても憐さん、向こうでも交友関係が広かったんですね」
「え?」
「この国で向こうへ行った方はまだ少ないんですよね。それだけ文化に違いがあるなら普通は戸惑うじゃないですか」
ああ、なるほどね。
確かに1人で行けば文化の違いで戸惑う事は間違いないけれど、

「まだ俺は幼かったし、先生もいてくれたからね。それに大きく助けられたかな」
「先生、ですか?」
いぶかしげに首を傾ける葵。

「ああ。英ねえを師匠と呼ぶなら彼は先生って言った方がいいな。俺の人生を変えてくれた人なんだ」
ああ。彼は俺の人生を変えてくれた。
遠坂が魔術師の家系だと知らなかった俺は両親の事すら知らなかったんだ。
この道に進んだ俺が正しかったかは分からないけれど、少なくとも俺は感謝している。

「……どんな方だったんですか?」
「どんな方か、そうだな……」
あの人を一言で言うならなんだろうな……。
魔術師であるとかは差し引いて、あえて語るなら……。

「おおらか?」
「疑問系なんですか」
ごめん。正直あの人は断言なんて出来ない。

標的となった魔術師を問答無用で殺す事もあれば赤の他人の子供に手品を見せて喜ぶし。
でも、彼は正直魔術師らしくなく、一番人間らしかったような気がする。
姐さんとは別の意味で。

「英ねえみたいに強引な性格ではなかったけど人をひきつける何かはあったな」
「へえ……」
人をひきつけたっきりで引っ張る事はしようとしないから問題なんだけど。
あの人は基本的に押す方だ。

「そんなわけで異国の地でも何とかやってこれたんだよ」
「随分と苦労したんですね」
「まあ、俺の苦労なんて苦労のうちに入らないけど」
実家を捨てて俺は留学した。双魔は行方知れず。
たった一人で遠坂と言う魔術師を背負う事になってしまった瑪瑙に比べれば……。

「でも憐さんはこっちに戻ってきたじゃありませんか。やはりこっちの方がよかったんですよね」
「んー、向こうでも向こうの素晴らしさっていうのがあったからなー。一概にそうだとも言い切れないな」
向こうには向こうのよさがあったし、今ではこっちのよさというものがある。
あっちの生活は確かにつらい事もあった。
でも先生や悪友を始めとして色々な人が俺を支えてくれた。そんな気がする。
あそこでの生活なしに今の俺は語れない。

「先生の他にもお嬢様って言葉が一番似合う学友がいてさ。俺なんかよりはるかにすぐれてて、彼に支えてもらってたような気がする」
エレオノーラって言うんだけど、彼にこの国に帰る時に聖杯戦争について話したら、

「私、与えられる奇跡に興味はなくてよ」
などと魔術師にあるまじき言葉を返してくれました。

男のくせに淑女な彼。
妙なところで自分に自信を持っているから何でも自分の力で達成しようとするのが彼らしい。
そんなエレオノーラに結構影響を受けていたかもしれないな。俺は。

……もう3年近くも会ってない。彼は一体どうしただろうか?
俺よりもはるかに立派な魔術師になっているだろうな。
当時でも俺なんか足元にも及ばないほどの魔術師だったし。

「憐さん。また旅立ちませんよね?」

「え?」
唐突なまでの葵の発言。

「ずっとこの町にいてくれますよね?」
ちょっと待ってよ。
何でそんな話が……、

「だって憐さん、向こうでの生活を懐かしんでいたじゃありませんか!」
「う……」
完全なる事実だったので反論できない。

葵は食ってかかるように服の襟首を掴む。
話し方もいつもの葵じゃなく、何と言うか今にも泣きそうな感じが受け取れる。
俺が葵をこうしたのか?

「憐さん、いつだったか話してくれましたよね。過去の事を」
「あ、ああ。確かに話したな」
いつだったか、あくまで魔術師という部分を引いて遠坂の事を含ませて話した。
そうする事で俺は葵に自分の事を知ってもらおうかと思ったから。

「あの時とは違ってもうここには帰る場所があるんですよ。それなのにまたどこか行ってしまうんですか?」
「葵……」

「わたしは英さんがいて、沙耶さんがいて、一成さんがいて、道場の方々も町の人たちもいて、そして憐さんいて。そんなこの町が大好きなんです。
 誰一人として欠ける事のないこの町の事が……」

葵は俺から視線をそらして後ろの方を向いてしまう。
葵のうなじの曲線が色っぽいなどと場違いな事も頭をかすめるが、俺の心の動揺に比べたら些細な事だった。
なぜなら葵の肩はふるえていた。

「葵」
俺はそっと葵の肩に手をのせる。

「俺の帰る場所はもうこの町だって決まってるんだ。どんな事があってもそれは変わりない」

そう、例え家族のほとんどが死んで遠坂でなくなっても、この聖杯戦争でどんな結末になろうとも、それだけは変わりない。
だって俺はこの町で育ったんだから。育てられたんだから。
英ねえがいて、姐さんがいて、師範も師範代もいて、町の人もいる。
たとえ遠坂の魔術師でなくても俺を待ってくれる人がこんなにもいるんだから、この町がずっと俺の帰る場所なんだ。

「だから葵たちの前から急に姿を消すなんて事はないから安心してくれ」
「それでは答えになってません。どこかに行ってしまう事実には変わりはないのですから」
う、確かに。
意識したつもりはないけれど俺の表現だと「帰っては来るけどどこかに行ったっきりだ」になってしまう。

「ずっとこの町に……いてくれますよね?」
「そ……それは……」
言葉に詰まる俺。

聖杯戦争が終わったら俺は……正直何も考えてなかった。
今まで魔術を専攻してきたのもこの聖杯戦争に参加するためであってその後の研究のためじゃない。
英ねえから剣を学ぶのは俺の未熟な心を鍛えるために行っているものだ。
ようはつまり、その後の事は何も考えていないのだ。

先生の後継者も遠坂の後継者も既に別の人が成しているから俺は正直用済みだ。
なら俺は俺のためにこの後の時間を使わなければならない。
そういえば悪友エレオノーラが、

「貴女がいないと研究に張り合いがありませんわ。無様に敗北してさっさと戻ってらっしゃいな」
とそっぽ向きながら言ってくれた。
魔術の研究を進めたいなら英国に戻った方がはるかに効率がいいし、エレオノーラの言葉は正直嬉しかった。

確かにここは俺にとっては素晴らしい町で、町の人も温かい。
平穏な日々を送るならこの町で過ごすことが一番だろう。
でも俺は、

「それは約束できない」
こういうしかなかった。
息をのんであとずさる葵。

「俺は先生や英ねえに恥じない道を歩んでいきたい。だからいつまでもこの地に残ったままは多分出来ないと思う」
「そ……そんな……」
そう、これが俺の気持ちだった。

こんなのあくまで自己満足でしかないけれど、俺は先生や英ねえに勝る人生を歩んでいきたい。
誰に対しても胸を張っていけるような、誰もが馬鹿に出来ないような、そんな道を。
だからこの地にとどまる保障はできなかった。

「そう、なんですか……」
「……」
そうなったら、その時はこの町とは一旦おさらばだ。
そして、英ねえたちとも、葵とも別れる事になる。
それがどんなに名残惜しくとも……、

「そうですか……それでしたら――」
「そう言えば葵、この町から出た事ないのか?」
ふと気になったので言ってみる。
はて? 葵は何かをしようとしていたようだけど、何だ?

「へ?」
「いや、普段柳洞寺からすらでようとしなかった英ねえだって人生で何回かは旅に出てたみたいだし、師範も何度か旅にでたらしいからな。
 葵はどうなのかなって」
と言っても英ねえは武者修行、心を鍛えるためらしいが詳細は語ってくれなかった。
師範は何度か長崎の方に足を運んで情報を仕入れてきたらしい。

「……わたしはお爺様がいらっしゃるので町の外に出る事はかないません。と言うより藩の外に出たことのある人すらこの町には少ないのでは?」
あー、かもね。
そんな必要どこにもなかったから。

「なら一緒に出るか? 向こうの国ぐらいなら俺にも案内できるぞ」

「え……?」

俺が葵と所帯を持つなーんて事は夢のまた夢としても、この町の外の事を知ってもらう事は出来る。
それで価値観が変わる事だってある。

「何もずっと行きっぱなしってわけじゃないし、俺たちの帰る場所はこの町だろ。ならいずれは必ずまたこの地を踏む事になるって」
「憐さん……」
まあ、葵の爺さんには会った事ないから説得できるかは分からないけれど。
でもいざとなったら葵の意志を尊重して連れ出す事だってできるはずだ。

「この町が好きだとしてもそれに固執したくはない。そうすると英ねえにも莫迦にされそうだしな。俺は俺の道を行きたいんだ」
だからまあ考えておいてくれ。と俺は言いながら伸びをする。

いつの間にか雲はだんだん少なくなってきていて、快晴に近くなってきた。
てっきり午後は雨でも降るかと思っていたけど杞憂だったみたいだ。

「まあ、葵も考えの片隅にでも置いておいてくれよ」
「分かりました」
にこっと笑う葵。
その表情はどこか喜んでいるようでもあり、さびしがっているようでもあった。
そのどちらかなのかは俺には分からない。


   /

というわけで昼の時間がやってきた。

「昼、どこにする?」
「どこと言われても……」
そう、正直俺はそれに大いに迷っていた。

何しろ俺たちは振袖に紳士服。店に入ったとたんに格好の話題になる事は間違いなく、この後のことに支障をきたす事も間違いない。
つまりその危険性を冒して店に入るか、昼を抜くか、屋敷に変えるかの三択。
こんな事ならおにぎりでも作っておけばよかったなとも思うけれど、あいにく今日の食事は葵だったし提案があったのはその後。
ようは後の祭りである。

「既に決めているんですけれど」
「へ?」
だと言うのに葵はこんな頼もしい事を言ってくれました。

「もしかして憐さん。この手荷物をただのお荷物だとでも思っていたんですか?」
ただの荷物って……葵がずっと背負っていた小荷物の事か?
一体なんだろうと思っていたけどもしかして、

「はい。今日の朝食のついでにおにぎり作っておきました」
やっぱりそうだったか。
てゆうかどこまで完璧なんだ葵は。

美貌も性格もその行いも、全てが町の連中の言う『理想的』ってものなんだけど、どうなんだ?
そんな葵と今2人きりなんだけど天罰とか落ちてこないよな?

それを開けてみると、中に入っていたのはおにぎりが6つ。
全部塩と梅干なのは手間を取ったからか、これだけでも十分に味の保証があるからか。
たぶん前者だなと思いつつ俺はおにぎりを口に運んでいく。

「ん、これ朝食と同じ時に作ったんだろ?」
「ええ、そうですよ」
うまい。正直な話うまい。
むすび方が絶妙。ご飯がかたすぎもせずやわらすぎもせず、のりもふやけすぎてらず、まだおにぎりは暖かい。
正直俺がこれを目指そうと思っても辿り着けない領域にまでなってしまっているかもしれない。

「どうですか?」
「……申し分がない。というかむしろこれ以上やってもらったら困るな。俺の出番がなくなる」
おそるおそるきりだす葵に正直な意見を述べる。
うん、この調子で行くと台所から俺が淘汰される日が刻一刻と近づいているのが分かる。
ギロチン台の階段を一歩一歩上っていく、それが今の俺な気がしてならない。

「ふふ、もはや台所で憐さんの出番はありませんよー。そしてそのうち士郎さんの出番もなくなってわたし1人の独壇場になるんです」
「やめてくれー」
しゃれがしゃれになってないです。本当に。

無論、俺だって黙って手をこねていたわけじゃない。
必死になって努力して料理の腕も上げようとした。本職の人に教えてもらったりもした。
でも結局は片手間だったせいで葵の成長速度を超える事は全く出来なかった。
のせいで、結局は追い抜かされていってしまったわけだ。

更にここにきて洋食の領域も脅かされ始めた。
葵に新たにアーチャー、つまり士郎という師匠が加わってしまったからだ。
正直俺の料理の腕は士郎には遠く及ばない事は痛感済み。その士郎と葵が手を組んでしまったら……結果は言うに及ばず。
もはや料理全てが追い抜かされて台所から淘汰されるのは秒読みの段階に入っている。

「そもそも家事をこなす男性なんてこの世界ではいませんよ。ですから憐さんもわたしに任せてくれればいいんです」
「一流の台所職人はほとんど男性なんだがな」
「それとこれとは別です」
きっぱりと言い放つ葵。
冗談じゃない。終末をこのまま指をくわえてみてられるか。

「絶対に俺は淘汰されないからな。死守してみせる」
「絶対に独占して見せます。見ていてくださいね」
もはやこれは料理人としてのプライドをかけた戦いでもあった。


「さて、昼をすませた事だし、どこに行く?」
「どこに? そうですね……」
正直な話、語り合いながら歩くのはこれ以上は無理っぽい。
ここはやはりお互いが楽しめるような演目を見に行くぐらいしか考え付かないんだが……。

「町に行きましょうか」

「へ?」

「ですから町に行きましょう。こちら側のではなく、川を隔てた向こう側に」
あ、よかった。こっち側の町だって言われたら俺どうなってただろうか。
さっきのをよりとんでもなくしたものになっていただろうな。はあ。

「そうだな。あっち側は普段行かないから知り合いも少ないだろうし」
「ですよね」
お互いの言葉に笑いつつ、俺は大河にかかった大橋をわたるのだった。


   /

この地は大河と海に面していて、港町という側面も持っている。
当然一方の川岸に町が栄えるはずがなく、対岸にも町は栄えてゆく。
かつてはその大河は渡し舟でしか往来できなかったので別の町だったが、藩主の命令で大工事が行われて橋が完成した。

さすがにその工事を二度やるつもりは全くなかったらしく、互いの行き来は橋と渡し舟だけになっている。
ただ、互いに独自の発展を遂げてきたせいでその雰囲気は大分異なっているけれど。

最大とも言える点は、大商店や岡場所が対岸側にはあるという事だ。
今でこそ役所はこっち側だが、かつてはこの地の豪族はあっち側を元に支配していたとか何とか。
多分その原因は柳洞寺と曰く付きの場所(現遠坂邸、吸血種が寝床にしていたとか)を除いた霊脈が2つがあっち側にあったせいだと思う。
丘の霊脈に山城があったとか言う話は聞かないけれど、あってもおかしくはないと思う。

まあとにかく、こっちとあっちでは趣が違うと言う事実に変わりはない。
この後どうやって互いが発展していくのかは分からないけれども。

「やっぱりあっち側とは違いますね」
「……俺も正直な話、これだけ違うとは思わなかった」
たまにこっちに足を向けることがあってもこれほどまでじっくりと回った事はなかった。
のでどれもが目新しく感じられる。

店も知り合いが経営していないのでやはり違和感を感じる。
菓子屋、米問屋、その他色々。
道行く人の視線がこっちに集中しているようだけど気にならない。

「それにしても葵、その服は高価だっただろう。買う余裕があるほど裕福だったのか?」
ふと呉服屋が目に入ってきたので何気ない疑問を口にしてみる。

素人目で見ても葵の振袖は高価な布を元に職人技で製作されていた。
へたをすると町人の収入が何か月分かぐらい吹っ飛ぶかもしれないと言うぐらいの一品かもしれない。

「いえ、実はこれ沙耶さんが下さったんですよ」
「へ? 姐さんが?」
姐さんの贈り物?
姐さん、振袖も持ってたんだ。

「はい。「もう葵ちゃんは百目木の家の人なんだから着物の1つは持ってないとねー」との一言で」
嬉しそうに語る葵。
男性と女性に全く差をつけない姐さんらしいといえばらしい発言だな。
職人の良品を気前よくあげるなんて事俺には……。

懐具合と相談してみる。
普通ならどう考えてもここまでの品を買うだけの金はない。
たまに町で働く時の賃金は家賃と雑費で全て使い果たしているから、労働で増えもしないし減りもしない。
結果、俺の財産は正直この国に戻ってから一向に増えてない。

だが、宝石の数を増やしてもいないので減ってもいない。
それを切り崩せば何とかなるかもしれない。

「と思ったら駄目だ……」
呉服屋で買うような布ならまだしも、仕立てに関しては俺の技術はまあそれなりに程度だ。

が、実は姐さん、仕立てに関しては本職も顔負けなほど達者だったりする。
意外とも思えるかもしれないけれど事実なんだなこれ。
のせいで呉服屋の常連ではあるけれど仕立て屋には一回も世話になってないとか。

だから姐さんが葵に送ったのもあの人自身が仕立てたものなんだろうな。
あの人何気に没頭すると凝る方だから、それこそ金も時間も惜しげもなく使ったんだろう。
だとしたら俺が例え呉服屋と仕立て屋を駆使したとしても、葵が今着ているものには全くかなうはずがない。

「……だとしたら俺たちが葵に何気なくしてきた贈り物ってみんな小物じゃん」
「そ、そんな事ありませんよ! かんざしやくしはわたしにとっては宝物です!」
確かに俺や町の人は誕生日とかに贈り物をしていた。
時に高価なものもあったけれど、それは正直姐さんの仕立てた振袖ほどではないと正直思う。

だがそれ以上に高価なもので葵が普段使いそうなものは正直思いつかない。
等身大の鏡は師範が使えと簡単に渡すし(思えばあれはアインツベルンの物だったかもしれない)、化粧道具は師範代たちが送ったし。
正直俺は抜きん出た贈り物を葵にしていないかもしれない。

なら俺が贈れるもので皆が贈りそうにないものと言えばなんだ?
幸いにも俺には西洋の知識がある。西洋の小物、すなわちアクセサリに関してはさすがの一成さんも分かるまい。
金属と宝石があればあとは俺でも加工できる。そういった手先は器用でからかわれてたし。

よし、すぐに……と言いたいけれどあいにく加工にも時間はかかる。今はそんな暇はない。
この聖杯戦争が終わったら早速とりかかってみるかな。

「なら今度のは見てろよ。姐さんも英ねえも、師範すら考えつかないもんを贈ってやるからな」
「ふふ、期待してますね」
笑みを浮かべる葵。
うん。問答無用でひきつける魅力が葵には備わっていて、町の衆は彼女に貢ぎまくっているような気がする。
俺も例外ではないけど、俺は普段のお礼のつもりで贈っているんだけどなぁ。


 と言うわけで呉服屋を始めとして色々な所を巡る俺たち。
1人でまわるのと2人でまわるのとでは全く違っていた。
語る相手がいるから店や商品の話題で盛り上がる。町の様子を語り合う。
1人でいる時も悪くはないんだけど、やはりこうして2人でまわった方が楽しい事は間違いなかった。

時間を忘れるほどまわった気がする。
めまぐるしいと言う言葉は全く不相応だけれども、とにかくあっという間に時間は過ぎ去っていく。
このまま時が止まってくれればいいのに、とまで思ってしまうけれど、次があるからこそ人生は面白いとも思う。

申の刻。つまり午後四時になっていた。
さすがに日も傾いてきていて、そろそろ屋敷に戻らないと帰った時には日が暮れてしまう。
夕食のしたくもあるし、そろそろ帰らないと。

「そろそろ百目木の屋敷に戻りましょうか」
「そうだな」
俺が言い出そうとも思ったけどその前に葵が言ったので俺はそれに同意を示す。
そうして俺たちは帰路についた。

川のこっち側もこんなに面白いんだったら来る回数増やそうかな。
町の連中も少ないからとっても静かだし、穴場みたいな店が数多くある。
その時も葵が一緒ならばなーと贅沢な事も考えてみる。

だけど、そんな甘い考えは一気になくなってしまった。

あちら側からこちら側に戻る大橋。
その中央に彼女たちはいた。

1人は白い少女。
1人は屈強の騎士。

お互いに私服ではあったけれど、明らかにこの町どころか西洋の方でも注目を集める存在感があった。


「こんにちは、レン、それからアオイ」


彼女は左足を下げ、スカートの裾をつまみ、軽い会釈をする。
それは模範とも言っていいほど礼儀正しい淑女の挨拶。
見ている者を魅了する気品がそこにはある。

だけど俺にはそれは挨拶には見えない。
それはは死刑宣告のようにみえてしまう。

「こんな所で会うなんて意外ね」
挨拶をやめて無邪気に笑みを浮かべる。
そのまま踊りだしそうな足取りで連れの男と共にこっちに近づいてくる。

「こんにちは、クリスティーナさん」
葵は彼女に対して笑みを浮かべて返事として挨拶を交わす。

そう、大橋の向こうからはセイバーとクリスがこっちに歩んできていた。


   /

「これからどちらに?」
「んー、実は昼間のあっち側ってあまり知らないのよね。だから行ってみようかなーって」
お互いに世間話を交わすクリスと葵。

既にお互いの距離は3メートルほどまでになっている。
セイバーなら一足一刀で両断できる間合いだ。
あの大剣にかかれば俺はそれこそ豆腐を切るより簡単に両断されてしまうだろう。
しかも俺には葵を連れ去って間合いを離す大義名分がその瞬間には思いつかなかった。

だけど強引にしようと思えばできたはずだ。
でもセイバーの間合いに入れさせられたのは完全に俺の判断ミス。
いくらまだ日があって橋の人通りが多かろうと、こんな千載一遇の機会をクリスが逃さないはずがない。

……いや、それ以上にこの状況は危険だ。
万が一俺がクリスにいち早く気づいて退避行動に移ってもセイバーの宝具一撃で両断される結果には変わりないだろう。
つまり、橋と言う移動手段を使った時点でクリスが圧倒的有利に立っている。

(アーチャー、今いる位置からセイバーたちを狙えるか?)
(……戦闘状態ならいざ知らず、ここから射ても警戒してるセイバーにはじかれる結果に終わりそうだぞ)
とにかく念話でアーチャーに話しかける。
最悪俺が盾になって葵に危害が加わらないようにしなくてはと思ったけれど、その心配は低いらしい。

セイバーの剣は正に大剣。それを現界させて攻撃に移る前にこちらが攻勢に入ればあるいは。

(分かった。セイバーが何かするようならためらわずクリスを狙ってくれ)
(セイバーなら確実に防御するだろうからその間に逃げる、か。了解した)
あら、俺の考えを言う前に言い当てられてしまった。
そこまで俺の考えって単純かなぁ。

宝具の射では周りにも被害が出る。が、通常の矢ではセイバーに気づかれる可能性が高い。
だがクリスが狙われている以上セイバーが受ける必要があるはずだ。優秀な魔術師だとしても英雄の技術を防げるとは思えないからな。
その隙に逃げる事ができるはずだ。

そんな俺の考えをよそにクリスと葵は世間話を行っている。
この2人、ディートの話だとあまり仲良くしていなかったはずなんだけど……。

「例えば大商店とかー、おかばしょとかいうのも見てみたいしね」
ふふ、と小悪魔みたいな笑みを浮かべるクリス。
また岡場所か。なんでまたクリスも岡場所なんかに興味を持つんだ?

でもその発言を聞いてひどく驚いたのはどうやら葵の方だったようだ。
焦っているのが俺にも分かる。

「だっ駄目ですよそんなところに行っちゃ! それでしたらもっと建設的にわたしの茶店にでも来て下さい!」
「イヤよ。私は私の決めた事に従うもん」
正にのれんに腕押しの状態の会話が続いています。

「ですが酒に飲まれた男の人に襲われでもしたら……!」
「そんな奴は私の従者が倒してくれるわよ。そうよねジークフリート」
葵の最もな意見を更に最もな意見でかえすクリス。
お、それは何気にうまい。

サーヴァントをサーヴァントと呼ばず、だがセイバーとも呼ばずに従者とジークフリートか。
葵にはジークフリートはディートリッヒの名前同様にニーベルンゲンの歌が出典とすら分からないに違いない。
万一双魔の使い魔に聞かれていたりしてもクリスはセイバーの真名を公にしていたから全く問題なし。

それにセイバーは見た目からして屈強な男性だ。
彼を超えるこの国の人はまず少ないと談じておく。
だからクリスが囲まれてもあっさりとどうにかしそうだ。むしろそいつらに同情すらする。

「……もはやいいか」
セイバーはあきらめたようにそんな事をつぶやくけれど、心底から失望したのではなくそれもまた良しとの感じだ。

でもジークフリートではなくシグルズだと思うんだが、セイバーの真名。
出典こそニーベルンゲンの歌と北欧神話で違えど、起源は同じだ。
竜破壊の剣を持っていて最後に非業の死を遂げる点に変わりはない。

あるとするなら、その在り方だ。
竜の血を浴びて一ヶ所以外不死身となったのと、鳥の言葉が分かるようになったのとでは全く違う。
あと剣もグラムはシグムンドのグラムから鍛えなおされて生まれたものだ。あり方がやや違う。

俺はそのあり方からセイバーはシグルズかと思っていたけれど、マスターであるクリスはそう主張。
起源が同じである以上見分けをつけるのは困難だから、かく乱の意味もあるかもしれないけど……。

「憐さんも何か言ってください。クリスさんのような少女があそこに行ったらどんな目にあうか分かったもんじゃありません」
「え?」
葵はこっちの方を見て身体を寄せてくる。
そこを俺にふるのか?
ただでさえ朝に疑惑を持たれてびくびくしてたのに。

「道徳から考えてそうすべきですよね」
「何? レンも私に口出ししようとしてるのかしら?」
ずい、とクリスまで俺の方に近づいてくる。
セイバーの方を見るけれど完璧に「我関せず」の状態だ。

「ジークフリート、あなたはクリスが岡場所に行こうとしているのに賛成なのか?」
だがそうは問屋がおろさない。
何とか俺1人にだけじゃなくてセイバーにも……。

「私は従者。意見は出来ないし、そんなお姫様にも付き合うと決めたんでね」
うあ、模範的なまでのサーヴァントの返答。
これには反論の仕様がない。

「ごまかさないでください憐さん」
「貴方はどっちの味方なのよ」
更に葵とクリスは俺に近づいてくる。
もはや目と鼻の先だ。

こ……これは別の意味で正直こたえる……。
このままだと心の方が悲鳴をあげるに違いない。
話題の転換を行わないと。

「だ、大体クリスは何で岡場所なんかに用事があるんだよ」
「あら、分かってないようなら別にいう必要もないわね。とにかく向こうの方を回ってみたいだけよ。観光みたいなものね」
むっとするようにクリスは言い放つ。
観光、その言葉がアインツベルンほど似合わない家系もないと正直思ってしまう。
何しろアインツベルンはこの地に聖杯戦争以外の目的で来る筈なんてないんだから。

「まあいいわ。とにかく私は貴方たちとやりあう気なんてないから安心しなさいよ」
「え?」
その言葉に俺は拍子抜けしてしまう。
俺はてっきりサーヴァントを身近に控えていない絶好の機会を狙うとばかり思っていたんだけど。

「あのね、私はそんなずるい手なんて使わなくたって勝ってみせるわ。それを忘れない事ね」
うそ、俺の考えが読めるのかよ。
いや、単純にこっちの考えが読まれやすいだけの話か。
確かそういった技術をコールド・リーディングとか言ったはずだ。

「だから私が行動するのは夜の間だけよ。その時は容赦しないんだから」
容赦しない、か。

最高のマスターと最高の英霊。
この2つの要素が合わさってそれが絶妙の効果をもたらしている。
それが彼女らのあり方だ。

最終的にセイバー組が生き残ったとして、俺たちは彼女たちに勝てるのだろうか?
セイバーの宝具こそ見たものの、それに派生される技はまだ全て出しきっていないはずだ。
だとしたら戦闘開始直後に一刀両断なんて事もありえるわけで。

このセイバー組がディートの助ける事に協力してくれれば全てがうまくいくんだけれども……。


ぐう〜〜。


そんな時だっただろうか。
腹の虫がなったような音がしたのは。

鳥が鳴いた音か? 川で魚が跳ねた音か?
ここは木造の橋の上だし、何かの音が伝わったとか?

いや、どうねじ曲げて考えたって今のは腹の虫の音だろ。
俺じゃない。食事を抜く事の多い俺は確かに空腹気味になるけれど、腹の虫がなるほど飢えてはいない。
当然セイバーでもない。食事に無関係なサーヴァントが空腹を知らせる生理現象を起こすはずがない……と思う。
第三者か? それにしても音が大きかったような気がする。多分数メートルも離れていない。

だとしたら一番考えられるのは正直は話、葵なんだが……。
俺はちらっと葵の方をのぞいてみる。

のぞいてすみませんでした。

そこにはとてつもなくさわやかな笑顔で葵がこっちの方を向いていた。
だがその奥深くでは間違いなくどす黒い炎がうずまいている。般若もびっくりな面をひたかくしにして。
でもこの感じ、俺の思っているのとはちょっと違うようだ。

「くすくす、この事をしゃべったら食べちゃいますね」
と言うより、
「くすくす、憐さんはわたしをお疑いになるのですね」
と言った感じ。
だからこの事の隠匿と言うより俺が疑った事への笑みなんだろう。多分。

だとしたら……正直見づらい。
見たらこっちに制裁が起こるのは過去の経験上枚挙に暇がないほど味わってきた。
今回もその類にもれず、君子危うくに近寄らずとの言葉に従うのが理想的。
でもこの場合、もっと適切な言い方がある。

無視すれば気まずいままで何かが起こる。指摘すればもれなく口止め発動。
前門の虎、後門の狼。これが今の状況を正しく言ってるだろう。

なら潔く玉砕を選ぶ!

「……」
言葉が全く浮かばなかった。
と言うよりそれには言葉を発せさせない何かが存在している。

クリスは耳まで真っ赤にしつつ、目の端に涙を浮かべていた。
その顔は恥ずかしさが全てを支配している。屈辱と言い換えてもいいかもしれないが俺はその言葉は選ばない。
でも、それがとてつもなく可愛いと思えてしまう俺は正常なはずだ。

「う〜……」
なみだ目でうなるクリス。
ああ、この犯罪クラスの可愛さなら町の連中はまず魅了されるだろうなーなんてバカな考えも浮かぶ。
俺はペドファイルではない。間違いなく。

だが……こ、この場合どうやって対処すればいいのか分からない。
素直に指摘するべきか、ごまかすか、無視するか。
だが何も行動に移さないと状況は悪化していくばかり。
ここは……、

「そうだクリス。さっき面白かった店があってな……」
ごまかす選択肢をとる。
俺が手に持っている屋敷へのお土産の1つの封を開け、中から1つの物を取り出す。
そしてそれをクリスの方にさしだした。

「……な、何よこれ」
恥ずかしさをごまかすためか、警戒のためか、かなり鋭い口調で述べるクリス。
だけど俺はそんな事は気にせずに続ける事にした。

「せんべいって呼ばれてる食べ物。生菓子だったまんじゅうのたぐいと違ってこれは焼きあげているものだから焼き菓子って呼ばれてるな」
その中でも一際大きなものがあったので、それを1人1枚ずつとして土産にした。
円型のもので、直径に直すと……一尺、つまり30センチほど?
その一枚。俺が後で食べようと思った分をクリスに渡したのだ。

「買収のつもり? だとしたら随分とお粗末なものね」
「煎餅1枚で買収できるんだったら宝石全部うっぱらって煎餅買い占めて聖杯頂戴するっての」
俺の冗談を完璧に無視しつつ、うさんくさそうにそのせんべいを眺める。

「……こんなの初めて」
「だろうな」
ヨーロッパでの焼き菓子と言えばせいぜいクッキー止まりだろう。せんべいと歯ごたえを比べればそれは一目瞭然。
しかも味付けは醤油だから、大陸の方の料理に精通でもしていないと判断は困難。
クリスが料理面で知っているとは思えないから、これは初体験となる筈!

まあ、毒の可能性を疑っているのかもしれないけれど、俺はそんな事はしません。
アーチャーならセイバーを倒せるだろうと俺は信じている。
……まだアーチャーの宝具を見ていないからこそ思える事だけど。

「さ、俺のおごりだから気にせず食べてくれ」
「分かったわ。それじゃあ」
おそるおそるクリスはせんべいを口に運び、若干困ったような顔をする。
ぱりっとした食感が醍醐味なんだけど、どうやらクリスにとってそれは不思議な体験なようだ。

「ん……ん……」
音をさせてそれを食べていく。
まだ味については判断しかねている状態か?

「んー……」
2割ほど食べ終えてなおも考え込むクリス。
まんじゅうみたいに甘くないからなこれ。甘い菓子が多い向こうにとっては新鮮なものかな。

「変わった味ね……」
それはまた微妙な感想で……。
それでも熟考してクリスが出した結論はそれだったようだ。

「でも……嫌いじゃないわよ、この味」
「え?」
クリスはそのまませんべいをまた食べ始めた。
小さな口で大きなせんべいを食べようとしているので、何だかほほえましい。

「憐さん……?」
「ジッジークフリートもどうだ!? クリスには好評のようだったからさ」
なんだか殺意がこもっているような言葉を葵は言ってきます。
どんな顔を俺がしていたのかは分からないけれど、これ以上は危険な顔してたんだろうな……。
ごまかすように俺はもう一枚せんべいを差し出そうとするが、セイバーはそれを手でさえぎった。

「その親切はありがたいが私には不要だ」
「そう、か」
なら仕方がない。無理に進めることもないし、俺はせんべいをしまう。

と、鐘が6回鳴る音が聞こえてくる。酉の刻になっている証だ。
懐中時計を見ると既に5時を回っていた。
まずい。これだと屋敷についた頃には日が暮れている。
俺、葵、アーチャーがこの場にいるという事はディートが食事を作るか、それとも姐さんの料理が堪能できるか……。

「あら、もうこんな時間」
クリスも俺と同じく時計を確認して、セイバーに何かを促がす。
セイバーもそれを見てうなずき、こちらに頭を下げた。

「じゃあ私たちはこれからしなくちゃいけない事があるし、もう行くわね」
「ああ。分かった」
「あなた面白いし、この町に詳しそうだから昼であった時は案内でもしなさいよね」
「考えておく」
俺とクリスはお互いに笑みを浮かべる。
ああ、確かに昼に出会った時はそうなるだろうな。英雄の時代も戦争も関係なく、クリスとなら楽しい時間をすごせそうだ。

だが、それは裏を返せば夜に出会えば殺しあう事になるという事。
だがセイバーたちよりはランサーやキャスターを優先させたいのが俺の本音だ。
そして馬鹿げているかもしれないけれど、セイバーたちとは正々堂々と戦ってディートを救いたいものだ。

「じゃあねレン。おせんべいおいしかったわ」
「また別なのおごるよ」
そうしてクリスは満足した顔をしながら俺の横を通り過ぎ、


「で、あなたはいつまでごまかすのかしら?」


そう最後に言い残して去っていった。

「今のはどういう……」
振り返ってその言葉の真意を聞きたかったけれどクリスは既に人ごみの中に入ってしまっていた。

ごまかす? 俺は確かにごまかしばっかな気がするけれど、クリスの言いたい事はそんな生易しいものではないような。
そう、まるでごまかす事が罪というように。

「いつまで……ですか……」

そんな考えに埋没していた俺は葵の言葉に我に返る。
その葵は胸に手を当て……いや、まるで心が苦しいみたいにわしづかみにしている。

「葵?」
「確かにわたしは偽りをごまかしてばっかでしたけれど……」
俺の呼びかけにも全く反応を示さない。
悲痛な顔でそのまま独り言をつぶやいたままだ。

それでも、葵の言葉には決意が込められているように感じた。

「そう、ごまかすのは今までです」

そしてその悲痛な顔が決意になり、俺の手をつかむ。

「憐さん。どうかわたしの話を聞いてはくれませんか?」
「分かった。どんな話でも聞くぞ」
そんな葵の話を真剣に受け止めない選択肢など俺には存在しなかった。
俺も葵の手を握り返してなるべく人のいない方向へと進んでいく。

「まじめな話ならここじゃない方がいいだろ。川辺でいいか?」
「大丈夫です」
朝とはまた別の決意が込められた葵の話。
そんな決意を込めないとできない話をこれから葵がすると言う事になる。

だとしたらそれは何なんだ?
世間話の類ではない。それならいつもしている。
俺の話でも他の人の過去話でもない。気さくに声をかけてもらえれば魔術師と言う部分を除けば答えているし。

ならば、葵の内面に関わる話か?
俺は正直葵の過去の話はあまり聞かない。
町情報でも姐さん情報からも俺と同じぐらいにしか分かっておらず、あくまで葵の表面的な事ぐらいだ。

……でも葵の事情はそうまでしてしか話せない事なのか?
最低でも店や屋敷での生活からはそんな様子は見ることは出来なかった。
いや、単に俺が鈍いだけかもしれないが。

とにかく、どんな内容であっても俺は葵に対する接し方が冷えるような事は絶対にない。
どんな事だろうと、あの日常生活に嘘偽りなんてなかったんだから。

俺は葵を信じる。




to the next stage……


第33話に続く

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 本来なら1話で終わるはずの内容をまたしても2話に分割。それでもなおこの容量。
31話でも書きましたけれど、やはり描写は詳しくと心がけているとこれだけ長くなってしまいます。
それが『無駄に』長いのか『詳しく書かれて』長いのかは自分でも判断しかねています。試行錯誤あるのみで。
でも多分このペースで進めてれば夏までにはどうにかなりそうだなぁと思いつつ。
  2007年3月11日


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