/8日目・interlude

 深夜。薄暗い街の中を1人の人物が歩いていた。
いや、正確には2人だけれども、1人は肩の上に乗っかっているのだ。
1人は大剣を背負った全身鎧の剣士。1人は剣士の肩の上に座っている少女。

「セイバー、今日こそあいつとの決着をつけるわよ」
「ああ、分かってる」
2人、クリスティーナとそのサーヴァントセイバーの会話はそれだけで終了した。
後は何も話す事はない。話は不要。視線だけでお互いのことが分かるのだから。

そして、2人の気配の他に、1人の気配がそこからはするのだ。
距離にして百数十メートル。そこにはたった1人だけで存在していた。

その気配は濃い霧のようにつつまれているが、明らかにセイバーたちを意識していた。
それは友好の証、などでは当然ない。
気配は、明らかに闘気を発していた。

セイバーは50メートルほどの距離で立ち止まり、その人物を見据える。
そして彼は己のマスターを静かに下ろし、剣を抜いた。

「最初の戦闘ではおまえはアサシンと名乗っていたし、二回目には私の方が不意打ちをしてしまったからな。改めて言おうか」
その剣を相手の方に向けて、悠然と言葉を述べる。

「セイバーと見るが、いかに?」
「その通り。ワタシはセイバーとして召喚された。正直騎士であるこの身、名乗れないのが非常に残念だ」
セイバーと名乗ったその人物、黒づくめの騎士は背中に帯刀していた剣を抜く。

「この60年は長かったものだ。幾度となく狂気にさいなまれた事か。だがこれでようやく終わる……」
黒づくめはたそがれるように言うが、その気配に微塵の揺るぎもない。

「アーチャーでケイローンを、セイバーでジークフリートを。アインツベルンはそれだけを見ても優秀だな。正当なる戦いを求めたワタシには僥倖」
「意外だな。60年間も待ったわりには騎士としての礼儀を重んじるか」
「当然だ。死してもワタシの本質は変わらない。それはセイバー、貴方とてそうだろう?」
「……違いないな」
セイバーは笑みを浮かべながら構えをとる。
スタンスをやや下におき、肩に担ぐようにした上段の構えは、一瞬で敵をきりふせるものだ。

「……さて、先日は二度も遅れを取ってしまったが、そのような有様で貴方と戦うのは不相応だろう」
黒づくめ、前セイバーは左手だけで剣を持ち、構えをしようとはしない。
前セイバーは右手だけを動かして、首にまで持ってくる。

「偽りの衣は、不要」
そして首から何かを外す。
それはアミュレット。白銀と紺碧に彩られた、美しい装飾品だった。
が、それがただ単に装飾品のはずがなかった。

今まで深い霧のように覆われていた、前セイバーの雰囲気が明らかになる。
と同時に、前セイバーから漆黒の色合いが消えていく。
剣は美しい輝きを放ち、衣から見える鎧は白銀に輝いている。そしてその瞳はまるで宝石のような翠の輝きをもっていた。

前セイバーはそのまま衣を脱ぐ。
いや、それは脱いだのではなく、前セイバーの体から、剣から、鎧から離れていくのだ。


明日を望む夕日の表情――――・―――――――


「――――・―――――――……」
前セイバーが展開したのは鞘のように自身の全てを覆っていたもの。
それが細かい結晶となって辺りを舞っているのだ。
だが、それによって前セイバーの全容もまたクリスの知るところとなった。

まずはその容姿、意外にもそれは少女のものだった。
兜はかぶっていない。ので容姿が見える。
いや、もしかしたら少年のものかもしれないが、とにかく自分とほぼ同じぐらいの年齢のように感じるのには驚いた。

媚のような蠱惑的な容姿ではなく、清楚で純粋。そこには間違いなく美があった。
エメラルドのごとく輝く瞳、黄金の髪。まるで天が与えたかのようにそこには一切の隙もない。
男女問わずに彼女(?)には好感が持てるだろう。

そして彼女(?)を覆う甲冑。全身鎧ではなく、鎧と籠手でできている。具足も装備はしている。
色は白銀で、ある色の模様が走っている。その色は服の色と相成って、彼女(?)を気高く見せていた。
実戦的でないその装飾ではあったが、クリスにはなぜそうなっているのかがすぐに分かる。

前セイバーの鎧は魔力で編みこまれていた。
魔力で構成されているなら装飾など自由。思いの通りに形作る事ができる。
職人泣かせなこ行為には走っていないようだ。

そして、剣。
間違いない。あれこそがセイバーの剣と互角にわたり、ライダーを一撃で葬り去ったものだ。
あんな普段戦っていた時のような黒い異物で固められた無粋なものではなく、どこまでもまっすぐなものだ。
おそらくセイバーの剣と互角だったのはその相性からだろう。
でなければ……。

「そう、あの盾の宝具はこんな感じなのね。てっきりキリスト教要素を含んで召喚されたと思ったのに、実際は違ったんだ」
あきれながらクリスはつぶやいた。
ああ、確かにアイシスは最高のサーヴァント、アーチャーでケイローンを呼び出していた。
だけど、ランサーやキャスターを始め、セイバーであの人物が呼び出されていては聖杯を取り逃しもするはずだ。

「そうだな。私は後に伝わる中世騎士道に準じた存在ではなく、古くから伝わる戦争を駆け抜けた英雄として召喚されたからな。残念か?」
「いえ、真実が分かっただけでも僥倖よ」
だが、自分の思ったとおりならば、セイバーが前セイバーに負ける事はありえない。
それがいまや確信に変わった。

「まさか第一次からセイバーであの有名な英霊が呼び出されるとは思わなかったわ。マキリも随分とやるようね」
「どのように私を判断されても一向に構わないが……」
前セイバーはそのまま自身を偽っていたアミュレットを手に取り、何小節かの詠唱を唱える。
そしてそのままアミュレットを放り投げた。

「……そう、誤認の宝具ね。普段はあなた自身の性質を変えているけれど、いざとなればこのように結界の役割を果たす、かしら?」
「その通り。残念だがまだアーチャーやキャスターに私に関して知られたくはないからな」
展開されたのはマスターが良く行う、一般の者への被害を抑えるためのものだった。
防音、気配遮断、視覚変更などで普通ならそこで戦闘を行っていないように見せる工夫。本来マスターが行うそれを前セイバーが行ったのだ。
と言っても前セイバーが行ったのは気配と視覚をごまかすもの。クリスはそれに防音の結界を上乗せする。

「それで、アサシンと前キャスターでも呼んだらどうかしら。貴女でセイバーに勝てるの?」
「必要ない。私1人で十分」
お互いにマキリ邸で起こった事は知っているくせに、と前セイバーは思ったがあえて言うこともなかった。

そのまま前セイバーは構えをとる。
ほんの少しスタンスを前に置いた脇構え。
その視界には、既にセイバー以外にとらえられていない。

「いざ尋常に勝負」
「ゆくぞ!」

2人はそのまま飛び出した。




Fate/the midnight saga(仮)

第30話


   /

幾度となく剣が交わる。
剣士と騎士。戦い方そのものは違えど、その剣の持つものは同じだった。
すなわち、己の剣にかけて勝利を。

本来ならありえないその光景。
神代や中世までなら分かる。だが今は既に火器を初めとして武器ではなく兵器が作られている。
ゆえに、もはやこれから先に英雄が現れる事はまれとなるだろう。
ましてや英雄同士が剣や槍で戦う事など。

そして今、聖杯戦争においてもセイバーは本来ただ1人。剣と槍での戦いはあれど、剣と剣との戦いではセイバーが上回るのは明らかだ。
つまり、このような互角の戦いなど起こりはしない。

だが現に、ありえないはずのセイバーとセイバーの戦いが行われていた。
そして、体格も、剣の長さも、魔力も、戦法すら違うと言うのに、
両者は互角だった。

「はああっ!」
セイバーが剣を横になぎ払う。
いかにルーン魔術で強化をしていると言っても、剣をふるうのは己の筋力だ。
そして絶対的な力と剣の破壊力で、竜すら両断する。
まさに一撃が必殺。

「ふっ!」
前セイバーが瞬時に己の間合い(かつセイバーでは近間の間合い)に踏み込み、敵の剣の根元を攻撃しつつ防御、反撃に出る。
いかに前セイバーが剣の英雄とて、その筋力ははるかセイバーに及ばない。前セイバーは魔力でそれを補っていた。
自身を覆う魔力を剣に、全身の筋力に上乗せして、身体能力の向上を行う。
一撃は瞬時に次への手段へとつながる。

ゆえに互角。いつかの剣舞の焼き増しになっていた。
かと言ってこれ以上令呪を使うわけにはいかない。
まだランサーとアーチャーが正体不明。キャスターは今こそおとなしくしているが、もしランスロットあたりの召喚でもされたらどうなるか。
今後のためにも令呪による強化は重要だ。

そうなればあとはサーヴァントがサーヴァントであれる魔力が先に切れた方が負けだ。
クリス自身は他のマスターより魔力は多い。だからその事で前セイバーのマスターに遅れを取る事はまずない。
が、セイバーの魔力は前セイバーの魔力より低い。

持久戦に持ち込まれては、再びランサーに出し抜かれかねない。

幾度などではなく、幾十にも剣のぶつかり合いが続く。
互いに致命傷には至らず、防御と回避を続けている。
これもまた前回の焼き増しだった。

小手調べは以前にとっくに済ませた。
ならば戦局が傾く要因は、マスターからの援護か、それとも……。

「……竜破壊の剣は抜かないのか、セイバー?」
剣舞を行いながら、なお剣に闘気を漲らせて前セイバーは涼しげに語りかける。

「使わないのなら私はそのまま半日でも一日でも戦いを続けるが、どうか?」
「……ふん」
セイバーは前セイバーの剣をはじき、間合いを離す。
そしてそのままセイバーは大きく振りかぶった。

「……来るか」
あのファフニールを一撃の下に葬り去った、そして前セイバーにその後の戦いにも大きく響くほどの傷を負わせた宝具。
竜破壊の剣を。

「!?」
クリスは表情を引き締めた。

前セイバーもまた剣に魔力を収束させる。
今回は初めから正体を現しているために変化はない。が、その分膨大なまでの魔力が流れている事が良く分かる。
それはまさに夜空を昼に変えるほど光り輝いていた。

「やっぱり……」
クリスはその剣を見て確信していた。
なるほど、ライダーが一撃で倒されるわけだ、と思う。

流れている魔力の量は間違いなく前セイバーの方が多い。
以前宝具同士のぶつかり合いで互角だったのは、セイバーの宝具がたった一人を両断するためのものだった事と、その属性からだろう。

やはりここまできても前回の焼き増し。
なら、結果はまた互角で終わるのではないか?
とクリスは思う。


馳せる竜破壊の聖剣グ  ラ  ム!」

明日を望む夕日の表情――――・―――――――!」


だがそれはクリスの杞憂に終わった。
それも、悪い方向へと転んだのだ。

セイバーが剣を振り下ろして真名を開放するのに対し、前セイバーは剣を振り下ろさずに真名を開放した。
それはクリスが盾の宝具と呼んでいた、剣とは別の宝具。それを前セイバーは使ったのだ。

だがそれは一見すると全く意味もない行為。
セイバーの一閃は容赦なく前セイバーに襲いかかる。

――――――――――――――――!」


だがそれもほんの一瞬。
前セイバーは前回同様、剣を振りぬいた。

光の一閃。太陽の輝き。

それは竜破壊の一撃をも斬り、

セイバーをも斬った。


「きゃ……!」
走る衝撃はセイバーの後方にも続いていく。
以前のようにセイバーの宝具との消滅も起こさず、またライダーの時のように対象が空中にもいない。
結果、街の街道を衝撃が走っていく。

光の線はやがて消え、辺りは再び暗闇につつまれる。
街の街道は切断の跡が残っているが、それほどのものではない。
これはセイバーの宝具が威力を弱めた事も一つの原因だろう。
だが、もう一つ理由がある。

「セイバー!」
その剣を受けたのはセイバー。
彼が後方にいる自分のマスターを守るために全ての威力を受けたのだった。

彼の鎧は大きな切断の跡があり、おびただしいまでの血が流れている。
表情には苦悩がうかがえる。
だがそれでも剣を構える力に揺るぎはなかった。

宝具の戦いを経てなおセイバーがこのようになっている理由は2つ。
一つは耐久が高い事。クリスがセイバーをジークフリートと主張するように、このシグルズの耐久力はとても高かった。
そして、スキル戦闘続行。これによりセイバーはまだ戦える事を意味した。

「……受けたか。今の一撃を」
前セイバーはまた構えを脇構えに戻しながら、誇らしげにではなく驚愕と賞賛の声を上げた。
いくら宝具で威力を落としたとは言え、未だに五体満足。しかも戦闘を続行できるほどにしか傷つけられないなど、生前でもなかったかもしれない。

「さすがはジークフリート。その逸話通りの腕のようですね。貴方の様な剣士と戦える事を光栄に思います」
「何を言う……。貴公こそ竜破壊の効果をもろともせず、こうして私に手傷を負わせたではないか。謙遜にもほどがあるぞ」
セイバーは前セイバーの言葉に笑う。
その間に傷は驚異的な速度で回復をしていった。これはクリスが回復魔術をかけているおかげだ。

「その黄金の宝剣。見間違いはしないぞ」
「螺旋剣カラドボルグ、太陽剣グラム。探せばいくらでもありますよ」
そのように語り合う2人には互いに対する賞賛の念が生まれていた。
宝具を出しても互角。そんな好敵手を前に互いのセイバーは歓喜の中にいた。

が、そのマスターであるクリスはそうはいかない。
以前は互角だったはずの宝具の戦いでセイバーは敗れたのだ。
消費した魔力は回復魔術を含めてもクリスらの方が下回る。
だが、彼女を憤慨させるには、宝具での戦いで敗れた事実だけで十分だった。

その昂る心情を何とか押さえ、その原因を探る。
以前と違う事。それがセイバーの敗北へとつながったのだ。

「『明日を望む夕日の表情――――・―――――――』ね。この結果の原因は」
「その通り」
クリスの言葉に前セイバーは清々しいまでに述べた。
その態度にも腹が立つが、自分の魔術では前セイバーに傷一つもつけられない。

違うのは、セイバーと前セイバーの周りを舞っている結晶だ。

「盾の宝具、『明日を望む夕日の表情――――・―――――――』は呪い、属性などの付加効果を 一切排除するもの。使用者やその仲間にハンデを与えないためのものだ。つまり……」
「『竜破壊』の属性を無効化されたのね」
前セイバーは返事をしないが、クリスはそれを肯定と受け止めた。

属性効果、付加効果の解除。一見するとあまり役に立ちそうにないものだ。何しろ威力を抑える事を全く行わないのだから。
だが、両者の実力が拮抗しているのなら話は別だ。宝具には呪いや付加効果のついたものはいくらでもある。
それが無効化されれば、純粋に武器としてしか使えない。

圧倒的優位を誇っていたと思ったのに、それが一つの神秘によって一瞬で覆された。
だが冷静になって考えると、前セイバーはセイバーの宝具に勝るために盾の宝具まで使用している。
つまり、使用魔力は圧倒的に前セイバーの方が上なのだ。

状況はよくなっているとはいえないけれど、悪くなっているとも言えない。
残るは、セイバー次第だ。

が、それは好敵手と呼べる存在が皆無だったセイバーには僥倖だった。
思わず彼は笑みを浮かべる。
その好敵手に、自分自身に、そしてこの時そのものにも。

前セイバーもまたこの状況に歓喜していた。
聖杯を追い求めるサーヴァントと言う立場を忘れ、騎士として純粋に彼に勝ちたいとまで思った。

この勝利の価値が、何よりも大きい事に2人は歓喜した。

「さあセイバー、宝具での勝負が互角な以上、これに意味はない」
「そうだなセイバー。決めるのは……」
間合いをつめる2人。

クリスはただセイバーを見守っている。
もはやこの2人の戦いはクリスには止められない。おそらく令呪を使えば、その瞬間にセイバーとの関係は今までのではなくなる。
前セイバーのマスターの葵にも止められないだろう。彼女もまた前セイバーとの関係はそのままにしておきたいから。

「「お互いの剣のみ!!」」
再び戦いを始めようと飛び出そうとする2人。

この2人の戦いを止められるのは、


「ふ……ふふふふふ」


第三者の介入のみだ。

「「!?」」

2人の英霊は即座にそちらの方に顔を向けた。
お互いに警戒はしているが、注意はそちらに向ける。

月光の支配する夜中。
民家の屋根の上に、その人物は立っていた。

その姿は幻想的で、精霊と見間違うほどに神秘的で美しい。
その人物を、前セイバーが見間違うはずがなかった。
そう、彼女は……、

「なぜ貴女がここにいるのですか、キャスター」

前回のキャスター、サタナだったからだ。


   /

「嘘……!」
クリスが驚いたのは、ただ単に目の前に前回のキャスターが現れたからではない。

彼女が驚いたのは、その在り方だ。
その存在そのものが以前会った時と全く違うもの。
属性は逆転しているし、サーヴァントにもなっている。
今彼女が感じているのは、ディートが数時間前に感じた事と同じだった。

だが、もう一つ彼女は驚愕した点があった。
それは魔術師としてはるかにクリスより前キャスターが優れている事の証。
それをまざまざと見せつけられ、クリスは悔しくも賞賛もなく、ただ驚愕した。

なぜなら、前キャスターは前セイバーとクリスが創った結界を互いに気づかれる事なく突破してきたのだから。

クリスほどの魔術師が結界程度の魔術でしくじるはずもなく、通過すれば誰どころか何であろうとも気づく事ができる。
だが、前キャスターはそれこそ何もなかったかのようにその場にいるのだ。
アサシンでもあるまいし、結界の内側に始めからいたわけでもないのに。

「キャスター、なぜ貴女がここにいるのかはおおよそ見当がつくが……」
前セイバーはセイバーに切りかかられる可能性がある事を承知でアサシン……いや、前キャスターに剣を向ける。
その目にはセイバーには決して見せない、氷河のごとく冷たい殺気がある。

「メイガスに伝えろ。この戦いに介入は不要だとな」
さもなくば、いかにマスターであろうとも許しはしない。
頑なな意思を持って鋭く言い放つ。

が、

「ふ……ふふふ。おかしな事を言うものね、セイバー……」
前キャスターは笑った。いや、哂った。
まるでおろかな事を言った人物に対してするように、侮蔑と愉快に彩られたものを。
その哂いにいっそう前セイバーは視線と気配を鋭くする。

「何だと?」
「だって……奇跡はたった一個。私たちは2人。誰かがこの運命の歯車から落ちなきゃいけないのだから」
そして、哂いながら彼女は腕を広げる。
その手のひらで舞うのは、2つの水球だった。

「馬鹿な。それではキャスター、貴女は……」
とっさに剣を脇にかまえる前セイバー。
セイバーもまた上段に剣を構える。
この聖杯戦争で最高のクラスであるセイバー、しかもそれを2人を前にしても、魔術師のサーヴァントのキャスターは動じなかった。

だが、その前セイバーは己のマスターである葵に念話で話していた。

『どういう事だアオイ。これではアサシンは私にまで攻撃をしてきそうだぞ』
『分かっています。今彼女と話しますから、しばらくお待ちを』
(……期待できそうにないがな)
ひそかに前セイバーはそんな事を思っていた。

実際はその場にいるのは前キャスターではなく、アサシンだ。

アサシンのサーヴァント。
今回の聖杯戦争で葵が召喚した暗殺者のサーヴァント。
60年以上の時を過ごしてきた前セイバーではあったが、実は葵にマスター権が移ったのはアサシンが召喚された後だった。
葵とのつきあいはつきあいは前セイバーの方が圧倒的に長いが。

だが、今のアサシンは前キャスターの存在をかぶっている。
このようになったのは前セイバーのせいなのか、それとも葵があらかじめ考えていた事だったのか。
とにかく今のアサシンはアサシンではなかった。

『アサシン、どういう事ですか。今の言葉の真意を』
『真意?』
『とぼけないでください。最大の敵であるあの2人を倒さないうちは貴女方2人の戦いはご法度と命じたはず。マスターの命令が聞けないのですか?』
遠く離れたとある場所、葵はそこで使い魔の蟲を使いつつ監視を行っていた。
前セイバーの宝具は葵の使い魔にも影響を及ぼしてはいたが、監視だけなら問題なかった。
その彼女も、アサシンの言葉には驚く以外になかった。

だからこその問いかけだ。
なぜかは分からないが、アサシンは前キャスターに変化してから全てが変わったように感じられた。
それを含めてでた問いかけだった。

『……ふ……ふふふ』
だが、当のアサシンはただ笑うだけだった。
己のマスターの声を聞いてもなお。

『何がおかしいの……?』
『いえ、貴女はそれでいいのかしら、マスター』
『え?』
思わぬ問いかけに葵は思わず戸惑う。
それでいい? どういう意味だ?

『私なら貴女や彼女以上にうまく事を運べる。貴女の願いもかなうし、私の願いもかなう。
 運命の針がたった一つしか指さないのなら、要らない歯車はジャンクに』
『な……っ! それは……!』
『そう、ならば……』


自分以外はいらないじゃない。アサシンはそう断言した。


戦々恐々する葵。
以前のアサシンからは全く考えられなかった発言だ。

葵の誤算はたった一つだけだった。たった一つが致命的だったわけだが。
つまり、前キャスターであるサタナを大きく誤解していた事だ。


アサシンは前キャスターを写してから大きく変わった。
魔力は膨大、気配遮断はおろか、アサシンとしての技術と経験は全く残されていなかった。
せいぜい使用できるのは宝具である『身想鏡写ザバーニーヤ』 ぐらいだが、それを行う事はもはやないだろう。

なぜなら、考え方そのものが既にアサシンでなくなっているのだから。

いくら自分の上に上書きする宝具だからとは言え、そう容易に自分以上の存在になれれば苦労はしない。
そも、アサシンはその気配を全く悟られる事なく敵を葬る事こそに重点を置く。
元はアサシンの技術を持ってしても暗殺が困難な対象を殺すために、身近な人物に化けるためのものだ。
ゆえに、その経験、しぐさ、身体能力、つまりその存在全てを自分に上書きする事で対象に近づき、殺す。
その任務が終わればその姿に意味はなく、放棄する。
つまるところ、何も化ける対象は明らかに強い存在である必要がないのだ。

だが、ハサン・サッバーハという群であるアサシンのサーヴァントとて個はある。
そのアサシンだけの個で、果たして英霊の情報全てを自分自身に写す事ができるだろうか?

答えは、否だ。

本来ならそれでも自分より個の存在として上の存在を写す場合、戻れる事を前提の範囲で用いる。
何もその存在をのっとり、成り代わる事を想定したものではなく、あくまで暗殺の手段でしかないのだから。

しかし今回はマスターの命令により、アサシンはその宝具を最大限使う事となってしまった。
その結果、今のアサシンがアサシンである証として残っているのは少ない。
自身の宝具がまだ使えること、そして聖杯戦争の参加目的を優先する事、そしてマスターを何よりも大切にする事ぐらいだ。

そう、それ以外はアサシンは全てにおいて前キャスターとなった。なってしまった。
もはやアサシンに元の姿に戻る考えは全く浮かばないし、アサシンとしての『記憶』は『記録』に成り下がっていた。
自分の存在以上の器をかぶる。その結果、自分の器が再起不能なまでに破壊されてしまったのだった。

今そこにいるのは、キャスターのサーヴァント、つまりサタナ以外の何者でもなかった。

では、第一次ではなぜ優れた魔術師だったキャスターを堕としてまで臓硯は属性を変貌させたのだろうか?
器だけしか残っていなかった第二次はともかく、サーヴァントだった第一次からそれを行っていた理由は、実はたった一つしかなかった。

キャスターは、あまりにサーヴァントには不適切だった。

女神や天使のような微笑を浮かべると思えば、世界が凍りつくぐらいの冷たい笑みも浮かべる。
その魔術は全てを癒す慈しみがあると思えば全ての生命に幕を閉じる残酷さがある。
言うなら湖は湖でも、普通の生命をよせつけない、水だけしかないような神秘的なものなのだ。

何をたくらみ、どのように行動するのかさっぱりで何をしでかすか予想すらできない有様。
魔術師としての一貫性が全くつかめないのだ。
始まりの地での戦いはそんなことを感じさせる暇は全くなかったが。
臓硯がいざサーヴァントとして手持ちの駒とした時、そのキャスターの在り方はあまりに自分にはふさわしくないとあっさりと確信に至る。

この前キャスターの本質を知っていたのは、臓硯だけだった。
前セイバーやケイローンはおろか、召喚した遠坂すら知らなかった事。
それを葵があらかじめ知る由はなかった。


『待っていなさい、マスター。あなたが望む展開になるでしょうから』
『アサシ……!』
一方的に念話を打ち切る。

「……可哀想なセイバー。たった1人のために他の人に盲目になるだなんて……」
「なん……だと……?」
セイバーの目つきが変わる。
鋭く、ではなく憤りをもって。

「どのように貴女が葵と親しくなっても、どのように貴女が葵にとって母親同然の存在になっても、どのように貴女が様々な人と関係を築こうと……」
笑みを浮かべ続けるアサシン、いや、サタナ。

「どんなに愛しくても、どんなに恋しくても、どんなに努力しても……」
そうして、彼女はその表情で、言い切った。


「貴女が思うたった1人は振り向いてはくれないのに……」


「き……貴様アァァァァァァッ!!」


前セイバーは飛び出した。
技術も、考えも、己の主も、全てを忘れて、前セイバーは激動に駆られていた。
前セイバーの思いは唯一つ。サタナを殺す事だけだった。

が、それ故か。前セイバーには見えていなかった。
サタナの周りに白銀の光が舞っている事を。
いや、見えていても感情に流された前セイバーにはそれは対魔力の前には無力に等しいと思ってしまっただろう。

湖の精霊とは言え、サタナは賢者である。
その知識にある魔術は種類を問わない。単純に水が自分と相性がいいだけだ。
が、大地や風。炎を除けばそれでも大魔術師と言われるだけの技術はある。使わないだけで。
そして、サタナが行使しようとするものもその1つだった。

天空仰ぎし白銀の剣ゴイトシュロス


巨大な質量を持ってサタナは前セイバーを斬りつけた。
それは前セイバーの対魔力すら組み伏せるほど強力なものであった。

「が……!」
だが、いくら激動で盲目になっていても直感は前セイバーを生かす方を選んだ。
何とか剣でその一撃を受けつつ、体は軸からそらしたのだ。

結果、直撃こそ避けたものの、前セイバーは負傷を負ってしまった。
だが威力を挙げているのか呪いなどの追加効果はなかったようで、すぐに魔力を使って回復をする。
その一撃でようやく冷静さを取り戻す前セイバー。

クリスは見ていた。
前セイバーを挑発する間にも前キャスターがために入っていた事を。
対魔力を上回る魔術行使はこの賜物だろう。

「さようならセイバー。理想を胸に湖に沈みなさい」
サタナはそんな前セイバーを尻目に両手をそれぞれのセイバーの方に出す。
そして、


「清水は鋭く流れ落ちる」


たった一小節で詠唱を終了させ、魔術を解き放った。

それは線だった。
水が線のようにして両方のセイバーに襲いかかるのだ。
まるで、剣士の一閃のように。

「く……!」
「む……!?」
本来ならセイバーには対魔力のスキルがあり、キャスターでさえもセイバー相手には一方的に不利になりがちだ。
が、前セイバーはかわし、セイバーは剣で魔術を斬る選択肢を選ぶ。

奇怪な音をたて、線が走っていく。

その線が走った跡には大きな斬り跡が残り、その魔術がいかに鋭かったかを物語っている。
前セイバーの後方にあった桶などが斬られ、地面に落ちていく。
見れば後ろの家にも切断の跡が見られる。

「セイバー?」
クリスはセイバーの動作を不思議に思う。
いくらサタナの魔術だからと言え、対魔力が高いセイバーだったら耐えられるはずだ。
それほどサタナの魔術に威力があるとも思えなかったのが本音だ。

だが、セイバーだけでなく彼より対魔力が高いと思われる前セイバーまでも受ける選択肢を取らなかったからには何か裏がある。
そう感じ取ったクリスはその魔術の在り方を観察する。
そしてたどりついた結論は、

「まさか水の加速だけしかしてない……?」

対魔力のあるサーヴァントを魔術でダメージを与える方法。
一つはより高い威力の魔術を使う事だが、それよりも簡単なのが魔術を二次要素としてしか使わない事だ。
ようは、攻撃にいたる過程は魔術だが攻撃そのものは自然の物理に託すパターン。

今回のサタナの使ったものは、単純に水の高圧縮と高速射出だけだ。
水の強化のみを行い、射出後は任せきり。
ようは対魔力があっても直接与える攻撃が魔力を付加したほどの物理に即したものであれば対魔力を向こうに出来るとの推論からやった攻撃だ。

「叡智まで上がってる。やっぱアイツは今までのと違う……!」
目の前にいるサタナは正真正銘、魔術師の英霊であった。
が、いかに水の剣で攻撃をしようと、2人は剣の英霊。
魔術師ごときに遅れを取りはしない。

「はああっ!」
いかに高圧縮高速射出をしたところで水は水。セイバーの剣で打ち破れないものでは当然ない。
セイバーの剣は確かに一撃に重点を置いて連続攻撃に向いてはいない。
だが、そんな必要はなかった。

天帝の飛翔剣グングニル!」


セイバーは剣を敵のほうに向け、突撃を開始した。
当然強化した程度の水でそれを阻めるはずがなく、ことごとく霧散していく。
そして、

セイバーの剣はサタナに突き刺さり、サタナはまるで水がはじけたように粉々となった。

あまりにもあっけない。
あれほどの魔術師がそんな簡単に終わるはずがない。
クリスはそう判断して辺りを警戒する。


「二重写しの罠」


だが、次には既にサタナはクリスの背後に回っていた。

「いつの間に……!」
とっさに魔術で撃退しようとするクリスだったが、完全に後ろから抱きつかれるように体を密着させられる。
詠唱も口に指を入れられる事で中断させられた。
サタナはクリスの顔に手をはわせ、目を見開きながら冷笑を見せる。

「さようなら、お人形さん。静かな眠りにつきなさい」
どこか甘ったるい。だが背筋が凍るほど冷たい言葉を放ち、サタナは魔術の詠唱に入る。
が、その瞬間、

サタナの体が強制的に引き剥がされる。

「何……ですって……!?」
サタナの表情が驚愕で彩られる。

クリスは何もしてない。魔術を使う暇などなかったから。
だがそれに一番驚いたのはサタナ本人だった。クリスからは魔術の行使は見られない。だというのにはじかれた。
即座にクリスを観察し、彼女はある結論にたどりついた。

「サタナ!」
一瞬だった。
次の瞬間にはサタナに前セイバーの剣が振り下ろされる。
前セイバーは本当に一瞬の間に間合いをつめ、サタナを自分の間合いの範囲内にしていたのだ。

サタナは左腕を犠牲にする手段を選んだ。

「数多の雫が万物を貫く……!」

手から腕にかけて切断されていく間に、自身の血液を操って何とか威力を落とそうとする。
そして、威力が落ちきった時には肩の少し手前までが切り裂かれていた。
前セイバーとサタナの距離は1メートルもない。
その間合いで、


「揺れ動け潤す対流」


サタナは前セイバーに対して魔術を発動する。
生物に流れる血液を操作する事で内部から破壊する魔術だったのだが、

「こんなものですか、キャスター」
対魔力が高い前セイバーにそのようなものが通じるはずもなく、
前セイバーが放った回し蹴りで大きく飛ばされる。

「ぐ……あ……!」
地面を転がる事数メートル。ようやく止まった時には20メートル近くは離れていた。
が、前セイバーはサタナに追い討ちをかける事はしようとしなかった。

「見事です、セイバー。己のマスターを離れていても守るようにしていたとは。どうやら貴方はサーヴァントの鏡のようだ」
思わずセイバーを賞賛してしまう前セイバー。
前セイバーにとっては一連の事は賞賛すべしものだった。

なぜなら、サタナをクリスから引き離したのはセイバーのルーン魔術だったからだ。
それがどのような効果を持っていたかまでは確かめられなかったものの、どうやら魔力に反応して自動発動するものらしい。
おそらくは宝具であろうとも、ほんの一秒少しではあろうが、耐えられるほどのものだった。
その時間さえあればクリスには十分だろう。

「何。単純に以前でこりただけの話だ。ほめられた話じゃない」
セイバーはクリスを守るようにサタナの前に立ちはだかる。
当然前セイバーへの警戒も怠っていない。
その顔は笑みの一つもなく、真剣な面持ちだった。

「さあキャスターとやら。これ以上やるというなら剣のつゆと消えてもらうことになるが」
「手ぬるい。この類の行為をするものには問答無用で消えてもらうのみだ」
2人のセイバーが剣をサタナに構える。
それぞれの殺気だけでも威圧的。おそらく子供や老人が感じれば失神してしまうほどそれは鋭かった。

「……」
言葉を失うクリス。
剣の英霊が並んで立つ事がこれほどまでにすさまじいものだとは想像すらしていなかった。
あまりに雄々しく、まるで神話の再現を見ているかのように、それは偉大だった。

もはやその光景に、直前まで命の危機でありセイバーに救われた事など気にもしなかった。
ただクリスはそれを見ていたかった。

そんな2人のセイバーを前にサタナは、

癒すは万物の源ドン・ベッテュル


その一言でサタナは患部を水で満たす。
そして左腕と蹴られた時に折れたあばら骨を治療した。
その間一秒に満たない。

「……そう。呪いや付加効果の完全治療、重傷であっても完全回復。それがサタナの宝具ね」
クリスはつぶやきながら前セイバーがここまで戦える理由がやっと分かった。

竜破壊の剣グ ラ ム』で負った傷は前セイバーには回復できない。
それには前セイバーがセイバーに勝てない最大の要因でもあった。盾の宝具でその要因は解決されてしまったが。
特にセイバーは前回の戦いで前セイバーの片腕を再起不能なまでに傷つけた。
なら、なぜ今万全の状態なのか。それの答えがこれだ。

だが完全回復を行う宝具を持っているとは言え、一撃で即死させれば問題ない。
幸い前セイバー以上の攻撃力がセイバーにはある。
彼ならば、サタナを一刀両断できる。

圧倒的不利に立たされたサタナであったが、

「ふ……ふふふ」
なおも彼女は笑っていた。

その笑みに2人のセイバーは表情をいっそう厳しくする。
過去に生きた2人にとって、魔術師は現代よりいっそう油断してはいけない相手だった。
そして関わればろくな事が起きない事もまた身にしみている。

そんな魔術師が笑っていれば身構えたくもなるものだ。

「何がおかしいキャスター。その不愉快な笑みも我が剣が打ち払ってくれる」
セイバーは剣を大きく振りかぶる。
彼最大の攻撃、宝具を使う構えだった。

前セイバーと違ってセイバーの宝具はたった一人を攻撃する分、魔力の消費が少ない。
そして、その分何回でも使用できる利点があった。
これならばいかなる防御をも突破し、サタナを両断できる。

だがそれを見てサタナはただ片手を上にするだけだった。
背筋の凍るような笑みを顔にはりつけながら。
それが気になって前セイバーは頭上をちらっと見、凍った。

「あれは……!」
クリスもそれを見て驚愕する。

そこにあったのは、巨大とも言うべき水の球だった。
直径にすれば数メートル規模のもので、それが上空数十メートルほどで停滞していたのだ。

「あんな大量の水を上空に停滞させていたの……!? なんて技術……!」
「まずいです。あれをやられてしまっては……!」
クリスはその現象そのものに青ざめていたが、前セイバーはそれが行使する魔術に青ざめていた。

その水は、強酸性でできていた。
触れるものを一瞬で溶解させ、何も残さない危険な液体。
それを行使すれば数多の軍隊とて敵ではなくなる。それほど物騒なものだった。

ただ大魔術として行使するだけなら二人のセイバーには問題ないが、上空にある以上ただ落下させるパターンもあるだろう。
なら、負傷は免れない。
しかもこの場にはマスターであるクリスもいる。サタナの魔術行使とクリスの魔術行使を比べるなら……。

セイバーはサタナを殺す事をあきらめ、クリスを守るように立つ。
雷帝の覇轟剣ニョルニル』ならば全てをはじく事が可能だと判断したから。
前セイバーは飛び出した。一刻も早くサタナを退場させるために。


「鮮血乃雨」


だがサタナは自分に襲いかかる手段をとられる前に腕を振り下ろす。
それに答えるように強酸の球は揺れ動き、

消滅した。

「「「「!?」」」」
その場にいた誰もが驚いた。
何しろ誰もそれが消滅する行為などやっていないのだから。

セイバーが確認したものでは、まず強酸の球に何かが突き刺さった。
と同時に雷撃が球を襲い、その球を固定しつつ水を大量に分解していく。
そして止めとばかりにその何かが大爆発をし、水を消滅させたのだ。

セイバー自身はそれには見覚えはなかったが、そのような攻撃をする者はこの地には1人しかいないと確信した。
前セイバーもまたそれが第三者からの攻撃だと判断するが、行動を変えはしなかった。

「二重写しの罠!」

再び前セイバーの剣がサタナを斬るが、水のように手ごたえがない。
水を自分や対象のように形作り、ドッペルゲンガーのような存在を作り上げる。ただし攻撃能力は皆無の囮。
それを作り上げるのがこの魔術だった。

「……」
サタナはその間に行動を起こす。
笑みも言葉もないままに彼女は彼女は間合いを離し、その第三者がいるだろう方向に顔を向けた。

遠くに立っているのは2人の影。
1人は白い侍女用のドレスに身を包んだ女性。1人は弓を構えた赤い外套に身を包んだ男性。
見覚えがありすぎるその組み合わせ。
サタナは呪詛をこめるような顔で彼らを睨む。

「アーチャー……ディートリッヒ……!」
昼間に瑪瑙抹殺を邪魔した者たち。

だが昼間の戦いでは水源の水は枯渇していて戦えずにサタナは退却した。
今回はサタナの方こそ水源である川近くにいるが、アーチャーははるかに遠い。
これでは魔術を行使しても逃げられるだけだ。

まさに、この状態はアーチャーの独壇場だ。

「……」
怒りをそこそこにサタナはそのまま霊体となって消えた。


   /

「……終わったか」
サタナの退散を確認した前セイバーはそのまま剣をおさめた。
そして手を上げると、周りに展開されていた盾の宝具、そして結界を張っていたアミュレットの宝具が前セイバーに装備される。
前セイバーはまた黒づくめに戻った。

「……さて、キャスターはこうして退散した事ですし、ワタシも撤退させてもらいます」
「……そうか」
セイバーは前セイバーが剣をおさめてはいたがアーチャーが健在なのは分かっているために剣をおさめずに述べる。
前セイバーは口元を覆っていた布を下に下ろし、笑みを浮かべた。

セイバーは再びの戦いをしようとは思わなかった。それはクリスも同じ。
何も自分たちだけ戦う必要はなく、いずれは聖杯に至るのだから。
決着の時は、今ではない。

「いずれは雌雄を」
そう言い残して前セイバーもまた霊体となり、その場から立ち去る。
クリスが見ると、アーチャーたちがいた場所には既に誰もいなくなっている。

「……随分と対称的だったわね。前キャスターと前セイバー」
「そうだな」
もはや敵がいない事を確認しつつ、セイバーは剣をおさめた。
そして指でルーンを描くと、再びクリスに防御の術を施す。

「それにしても、今回はやけにあっさりと敵を逃したな」
「ええ。今日は前セイバーの真名が分かっただけで十分よ」
クリスの言葉にセイバーは無言でうなづく。

宝剣、盾の宝具、それだけでも前セイバーの真名は判断できる。
不安な材料といえば、なぜアミュレットで自らの姿を変えていたか、だがそれも前の2つの前には無意味だ。
ランサーもそうだったが、前セイバーも最大の障害の一つには違いないだろう。

「さあ、帰りましょう。まだ時間はあるわ」
「そうだな」
2人の主従は夜の街から姿を消した。

セイバーも、前セイバーも、あまりサタナやアーチャーの事は気にしていなかったりする。
なぜなら、あれほど心昂る戦いを行ったのだから。
互いが全力を出し合い、そして決着をつける。

三度目の戦いも決着がつかなかったが、いつかはつく事になるだろう。
聖杯戦争は無期限ではない。いずれはただ1人を除いて退場するのだから。
そして剣士と騎士は思う。

最後の戦いは、あのように清々しい戦いをしたいものだ、と。


   /

 深夜。キャスターはアーチャーとディートからの報告を受ける。
自身も使い魔を用いて2人のセイバーの戦いを見ていたが、あれは生前でも数回しか見ていないほどの戦いだった。
剣と剣とのまじわり。両方盾を持たない変則的な戦いではあったが、それでも声がもれるほどだった。

が、キャスターにとってはそれよりもはるかに重要な事があった。
2人のセイバーが強いのは分かっているし、宝具が対処できるものではない事も分かっている。
だが、これはまさに予想外の産物だった。

すなわち、サタナだ。
だが魔術でもその在り方でもなく、彼女が気を引かれたのはサタナの持つ宝具だ。
あれほどまでの完全回復、完全治療をやってのけるものを見た事がなかった。

だがキャスターは同時にとある可能性に至っていた。
完全回復、完全治療の宝具。

それにはまだ先がある、と。

「……」
その他に一つの考えが浮かび、それを振り払う。
だが次にはその考えがまた浮かんできた。

ランサー、セイバー、前キャスター、前セイバー。
誰もが一筋縄ではいかない者たちばかり。尋常なものなど誰一人もいない。
だとしたら、今の状況を……。

「……」
窓から外を眺めるキャスター。

既にディートは自室で睡眠に入り、憐は疲れからか気絶したように床についている。
アーチャーは既に見張りのために屋根にいて、キャスターの工房にいるのは彼女ただ1人だ。
夜空は星の輝きで明るい。だが所々が雲でかげっている。
街に明かりはなく、ただ空だけが幻想的だった。

その中で今後に備え、キャスターは案を練っていた。
ふと浮かんで振り払った可能性も含めて。
そうして、キャスターの頭にはある最悪の案が思い浮かぶ。

「……アイツを召喚するか」
そしてそれを実行に移せば、間違いなくディートを救えるものだった。
ただ、それは手段を選ばぬ最悪の案を実行に移せば、だが。

「……やめやめ。そんなことしても意味なさそうね」
きびすを返すとキャスターはそのまま霊体となり、明日にそなえる事にした。

キャスターには優先順位がある。
だが問題はその優先順位が意思決定の最上位にある事だった。
そしてその優先順位に従って生前は行動した。儀式も行ったし、マーリンにも手をかけた。そして最後までそれにこだわり、……。
死後もそれは変わらない。生前と優先順位こそ違えど、その在り方は。

だからキャスターは、万が一になってもためらわないだろう。

ディートを敵に回しても、ディートを救う事に。


アーチャーは屋根にいながら考えていた。
それは先ほどまでの戦い。

2人のセイバーの戦いは素晴らしいものだった。
全てを引き込んでいくその魅力は今後の世界ではないかもしれない、と思わせるほどに。
立ち振る舞い、直感、洞察力。その全てに魅力があった。

そしてアーチャーが一番気になったのは、前セイバーだった。
アーチャーの眼からでは前セイバーは彼女(?)のアミュレットの宝具によって偽りの姿しか見ることができない。
だが前セイバーは盾の宝具を身から外していた。だから以前よりも前セイバーの事をよく見ることができた。

「……」
そしてある人物の事を思う。

この事実を知ったらどう思うのだろうか?
今後の歩みにどのような影響を及ぼすのだろうか?
そして、心の中でどれぐらいを占める事になるのだろうか?

「……どっちにしても明日だな」
葵の話が本当ならば、既に日付は変わってはいたが、明日になれば自分の口から話すと言う。
ならその時には前セイバーの正体もまた知る事となるだろう。

その時、どのような反応を示すかは、アーチャーにはたやすく想像できてしまった。
そして、思い出すのは1人の人物。
おいかけて、おいかけて、おいかけて。
だからこそ……。

アーチャーは思考を中断し、空を眺める。
夜はとても長かった。




   /9日目

『それで、どうするつもりだ?』
『え?』

 朝、百目木邸。前セイバーが葵に問いかけてくる。
葵は今日もまた憐から台所独占権を取得、朝食作りにとりかかっている。
わりと軽めの物に仕上げようとしているので準備はとても早い。

朝、起きてから葵は英と共に百目木の家を訪ねる。
葵が来る頃には毎日一成が起きていて施錠を解いているので、その点は安心だった。
そうしてこの日もまた真っ先に出会ったのは一成だった。

「おはよう。いつもすまないな」
「いえ、好きでこちらに来ているので。こちらこそお邪魔してすみません」
「いや、本当ならこちらが給料を払うべきなものを……」
「駄目です。わたしが迷惑をかけているのですから……」

のような会話をして台所に立つ。
数分後、台所にやってきたのは憐だった。

「……おかしい。昨日よりも若干遅い程度のはずなのに……」
「その昨日でいささか遅い事が分かっちゃったんで早めにきちゃいました」
「……手伝うって選択肢は……」
「ありません」

その言葉に精一杯の笑いを見せて憐は立ち去る。
その笑顔には「明日こそ葵を出し抜いて朝食を作ろう」という考えがありありと透けて見える事に葵は思わず笑う。
そうして葵が朝食の準備を進めている時に、前セイバーが問いかけてきたのだ。

『サタナ、いや、アサシンの事だ。このままではアイツはこの屋敷も強襲する可能性まである』
『その時は令呪を使うまでです』
む、そう言えばまだアサシンの令呪は3つのままだったな、と前セイバーは思い直す。

『まさかサタナがあのような方だったとは思いませんでした。キャスターことヴィヴィアンさんを見ていると過去の魔術師を誤解してしまいそうです』
『それこそニムエを誤解している。見た目だけで判断していると出し抜かれるぞ』
『分かっていますよ』
前セイバーの言葉にむっとしてしまう葵は思わず釜の火加減を誤ってしまう。
あわててそれを戻す。

本当に予想外だった。
アサシンはサタナの存在を手に入れてからアサシンではなくなった。
そこまでは予想していたが、サタナが自分の想像とはかけ離れていた事に驚愕する。

何しろ葵にとっては前キャスターは臓硯と同等の存在だった。
幼少の頃から葵はあの死の存在に触れてきた。
だからこそ、その前身であるサタナを誤解しても仕方がない事ではあるが。

『あら……それは心外よマスター』
だがその考えから急に現実に引き戻される。
葵と前セイバーとの念話に割り込んでくる相手などたった1人しかいない。

『アサシン……!』
『私にはマスターやセイバーを出し抜くだなんて……そんな事はしないわ』
今葵、サタナ、前セイバーは別々の場所にいる。
だが葵と前セイバーにはこのお互いとは違い、サタナの場所は把握できていない。

サタナがいる場所は百目木の屋敷が目視できる木の陰だった。
そこでサタナはただ笑みを浮かべながら様子を観察していた。
もちろんキャスターにすら気づかれないように。

アサシンと前セイバーに直接ラインのつながりはない。
葵を中継して念話をしているのだ。

前セイバーは昨日言われたことを思い出し、かろうじてその怒りを抑える。
だが何かしら言うものならその許容範囲はあっさりと決壊するだろう。

『その言葉の意味を問おう、アサシン。返答しだいではただではすまない』
『言葉の通り。私にはもうセイバーと戦うつもりはないの』
その言葉を全く信用できないからこそ問い返しているんだろうが、と前セイバーは思うが、それは心の底に沈めておく。
今それを言っては一番迷惑をするのはマスターである葵だ。

『そう……もう私の単独で誰かと戦おうなどとは思わないし、行わないでしょう』
『その言葉、信用できるのですか?』
マスターである葵の問いかけに、サタナは不敵に笑い返した。

『ええ。私の2つの真名、ハサン・サッバーハとサタナに誓って』
『……そうですか』
葵はそれ以上問い詰めるのをやめた。
サタナがそう言ってくれるのならば彼女を信用する。
それが葵の考えだった。

前セイバーはそれでは納得しなかった。
生前に魔術師であった魔術師に幾度となく出会っているから。
だが葵が納得したのなら納得するしかなかった。

「……」
だが、納得こそしていたものの前セイバーはサタナを許すはずがなかった。
そして、少しでも不穏な動きがあればいつかは……。

「……そうやって幻を追い求めなさい、セイバー」
1人、サタナはつぶやく。
サタナの前セイバーへの考えは全く変わっていない。

バトラズ、ソスラン。数多のナルトの英雄たち。
アサシンの時には仲間などという概念は全くなく、今サタナとなっても前セイバーを仲間とは思いたくなかった。
彼女が知る英雄は、前セイバーのような存在ではなく、セイバーのような存在なのだから。

おそらく前セイバーが願いを叶える事ができるのは、
臓硯でなく、葵でもなく、屋敷にいるほかのマスターでもなく、そして聖杯ですらない。
サタナの見立てではそれを叶えてくれるかもしれない人物は、2人。

幻のままで終わるか、それとも……。

次にはサタナの頭から前セイバーは消えていた。

「マスター……」
葵、自らのマスター。
強くて、弱い。
それがサタナが感じた第一印象だった。

「貴女の夢は私が叶えましょう」
アサシンの時に葵にあったのは絶対的な忠誠。
今サタナにあるのは忠誠ではない。
それもあることはあるが、サタナにあるのはその思いを叶えてあげたい本能だった。

主を、自分の認めたものを、良い方向に導くのが自分の使命。
そういった意味ではサタナはキャスターと酷似していた。
そしてその前ではもはや聖杯をも後回しにしてもよい、とまで思っていた。

悲しいかな、優先順位まではっきりしたところまでもが酷似していたのだった。


食事はつつがなく終わろうとしていた。
いつものように沙耶と英がよく食を取る。談笑ではずむ。ゆっくりと味わうものもいれば早く食べるものもいる。
それは日常の繰り返し。

ただ、違った点が1つ。

葵は視線を英の方に向けた。
それに気づいた英は食を止め、うなづいた。

前セイバーは考える。
60年間、同じ事を何度も何度も繰り返し、自分に問い詰めるのだ。

もしかしたら、聖杯を求める以外にも何かがあるのではないか、と。
そして、違う答えが見つけられたら、その時こそ人生をやり直せるのではないか、と。
過去の自分と決別し、剣をも捨て、みんなと幸せにすごす1人の人間として。

マスターである葵は先に進んだ。
変わる事を恐れないで、未来を信じて。
自分も進まねばならないのではないか、過去を捨てて、未来へと……。

前セイバーにはその答えがもう少しででるような気がしてならない。

「れ……憐さん!」

だから、今は葵と歩んで……、


「きょ、今日一日付き合ってくれませんか!?」

別の答えが見つかるかを探そうじゃないか。




to the next stage…


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第31話に続く

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 別視点での8日目最終。今迄で一番長い一日でした。
今回は改めて2人のセイバー、そして2人のキャスターについて書いてみました。

この前キャスターことサタナの宝具ですが、名前を変えさせていただきました。
理由:ナルト叙事詩の登場人物なのに宝具が英語なのはどうかと思って。
ルール・ブレイカーといい、ゴッド・ハンドといい、ギルガメッシュ叙事詩やアサシンの事はきっちり調べてあるのになぜギリシア語にしないのか、 との疑問を自分でもやっていたわけです。
ゴイトシュロスはギリシア神話で言うならアポロンのポジション。すなわち太陽神です。サタナの最大級の魔術は皆神の名前をつけようかと思います。

さて、次はイベントシーンだけだったり。
やっと9日目移れるよ……。
それでは次の舞台で。
  2006年1月20日


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