唐突な話ではあるが、衛宮切嗣は困惑していた。
昨日までの出来事と今朝の異常を照らし合わせてもこの状況が起こりうる理由には至らない。そして周りにいる者達がこの状況を正確に把握するとは到底思えない。
故に衛宮切嗣は周りにいる者たち、相対する者たちを正しく観察する。情報収集こそが全てを征する。それは彼が現在参加している聖杯戦争でも変わらない、現代世界の鉄則でもある。
「な、何が一体どうなってるんだ?」
「これは一体……!」
周りにいる連中は切嗣にとっての敵そのもの。強いて一つの単語でくくるならば、第四次聖杯戦争の関係者といったところか。サーヴァントやマスター、その関係者などが一様にこの場に姿を見せているのだ。
「ねぇあなた、この状況は一体なんなの……?」
現状把握が出来ていないのは切嗣の傍らにいる彼の妻、アイリスフィールにも当てはまるものだった。彼女は切嗣とセイバー、そして相対するものの一部をしきりに見比べていた。生粋の魔術師である彼女すら困惑を隠しきれていない様子だ。
「分からない。聖杯戦争とは別の大きな何かが動いたとしか思えない」
それが現在切嗣が出せる精一杯の仮説だった。
このような状況、聖杯戦争で舞い降りる奇跡によるものではない。ましてやこの場にいるかつての英雄どもの仕業では到底ない。そして、奇跡の体現でも決して無い。
切嗣たちを取り巻くこの空間は異常だった。まるで現実と夢との狭間のような錯覚すら覚える。固有結界とはまた違った別世界との印象も受ける。
「けれど、僕達がこうして集められたのだからきっとなにか大きな意味があるはずだ。とにかくその把握に今は努めよう」
「分かったわ」
騒然となっていた辺りがだんだんと収まっていく。相対する者たちと切嗣たちの間に立っていたシスターが間を取るように咳をし、おもむろに両腕を広げる。
「まずは皆様、このように集まっていただきまことにありがとうございます。早速本題に移りますが、あなた方には間もなく降りようとしている奇跡体現の儀式に協力していただこうと思います」
「奇跡の体現?」
アイリスフィールはいぶかしげに眉をひそめる。
「奇跡の体現とはすなわち聖杯の成就に他ならない。何を今更言っているの」
アイリスフィールはアインツベルンの魔術師。冬木の聖杯戦争を創り上げた、第三の奇跡を追い求める古の家系だ。聖杯の体現を持って悲願を成就させようとする聖杯戦争の最中にこのような形で阻害されたのは不愉快だった。
それをシスターはわずかに首を横に振って否定する。
「この奇跡は冬木の聖杯とは一切関係の無いものであり、根源に至って現実を塗り替える成就の仕方ではなく、正に天が味方をしたような成就を達成できるものです」
「なによ、それ」
「さて、ね。聖堂教会の方でも『もしかしたら起こるかもしれない』程度にしか予測できなかったもので、正確に把握してはいません。しかし、」
シスターは切嗣たちと相対する者たちを指し示して、冷笑した。
「あなた方にとってはその奇跡の一端で起こった出会いがあれば、それを信じるのには十分なのではありませんか?」
まるでそれは全てを見透かしたように、そして皆がうろたえているこの場を心の底から楽しむような微笑だった。
相対するものに驚愕しているのはアイリスフィールだけではない。遠坂の当主も間桐のマスターも、ついでにセイバーも目を見開いているのだ。
それは相対する者たちも同様だった。白き少女はアイリスフィールと切嗣を、彼女の傍らにいる少年は切嗣を、そばにいる少女達は遠坂と間桐を目にして一様に言葉も出ていなかった。
ただ一人、白く汚れた少女はセイバーを見て嘲笑を浮かべている。セイバーの全てを蔑むかのようにした濁った黄金の瞳はセイバーを哀れむようでもあった。セイバーはそれを侮辱と受け取ったのか、今にも武装して襲い掛かりそうな剣幕だった。
「じゃ、じゃあその奇跡っていうのはなんなんだよ。なんでも願いが叶うなんて言うんじゃないだろうな」
不穏な空気を打ち破って発言をしたのはライダーのマスター、ウェイバーだった。若干どもりながらも口調ははっきりしていて要点は掴めている。
(この場において空気を変えるとは、な)
相変わらず切嗣のウェイバーに対する評価は他のマスターより高かった。征服王イスカンダルを伴う以上のものを切嗣はウェイバーから感じ取っていた。
シスターはその返答としてわざとらしく肩をすくめて見せる。
「分かりかねます。なぜならこの奇跡は未だ実現されていない奇跡の片鱗として起こるのではないかと推測されているだけなのですから」
「なんなんだ、その奇跡とやらは」
次に口を開いたのは今まで姿を現していなかったアーチャーのマスターにして遠坂の現当主、時臣だった。
なお切嗣の彼に対する第一印象は魔術師そのもの、だった。その程度の事実にはなんの感情も湧かなかったが、これでよくアーチャーとうまくやれているものだとは思わざるを得なかった。
「みんなを幸せにする、というもの」
『えっ?』
切嗣たちばかりでなく相対する者たち、この場にいる全て者もが一斉に驚きの声を発した。
「であるかもしれないしないかもしれません。詳細は儀式を執り行わねば分かりません」
「つまり、眉唾物の奇跡のために得体の知れない儀式をやれ、と?」
次に発言したのはランサーのマスター、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトだった。
相変わらず他の全てを見下したような大きな口調と態度には言葉も出ない。そうやって死んでいった者達を切嗣は何人も見てきた。切嗣にとってはこの先目の前にいる神童とやらもその一人になる結末が目に見えるようだった。
「そんなことより僕らと目の前の彼女らに何をさせようというんだ? まさか聖杯戦争のように殺し合えとでも?」
「いえ。この儀式が終われども五体満足で還れるのではないでしょうか、多分」
「多分っ?」
「それはあなた方次第です」
シスターは厳かに双方に整列するよう促した。
切嗣とてこれから何をやるかなど始めから分かっている。それはこの場にいるという事実が全てを物語っている。ただ確認しただけなのだが、まさかそれをこのメンバーで本気でやろうとするのには呆れるしかなかった。
切嗣だけではなく、周りの魔術師達は皆困惑するしかないようだった。
「それではこれより聖杯戦争参加者による親善試合、第五次チーム対第四次チームによる野球を執り行いたいと思います。一同、礼」
勿論この場において律儀に礼をする者など誰一人としていなかった。
「まずこの戦いの意味ですが、お互いのチームにいる七体のサーヴァントがしのぎを削る行為そのものが重要なのです。これによってこの場の神秘の密度を極限まで高め、奇跡の体現をより円滑に進める狙いがあります」
「ではそれがなぜ野球なのですか?」
粛々と説明を続けるシスターに問いかけたのはセイバーだった。セイバーは目の前にいる白く汚れた少女の方を懸命に見まいとしている。
「我々サーヴァントは戦うためにこの世界に召喚された。ならば剣と剣で争うべきだ」
「別にその必要が無いからですよセイバー。戦いの結果より過程こそが重要であり、白熱するのであれば死闘であれスポーツであれ関係ありません。それにスポーツだからと甘く見てもらっては困りますよ」
切嗣はなんとなくシスターの言葉に納得した。
今もなお争いの耐えない世界ではあるが、ソ連が崩壊した今国対国の全面戦争は今の国際情勢から考えても起こる可能性は低いと見ていい。局地戦は未だに行われていて地獄はそこらにある事は当然否定しないが。
しかし、それをほんのわずかに和らげる効力を持つものがスポーツだとも否定しない。オリンピックやサッカーなどはもはや国と国との代理戦争と言っても過言ではない。国家の威信をかけて戦う選手達はある意味でこの場にいる英雄達と同一な存在なのかもしれない。
「ちなみにサッカーやアメフトやバスケではないのは、野球の方がより衝突する危険が少ないと思ったからなので深い意味はありません」
しかし野球とは……と切嗣は内心で呆れ果てていた。
野球はどう考えても世界的に見ればマイナーなスポーツだ。オリンピックでもほとんど話題にならないし世界大会らしいものもない。盛り上がりを見せているのはアジアや北アメリカなど一部。ヨーロッパなどにはほとんど知られていないはずだ。
理由は単純明快。道具を使う競技だからだ。
物にあふれている日本などはまだしも、貧困にあえぐ国で野球道具一式をそろえるのはまず不可能に近い。ボール一つで出来てしまうサッカーとは全く違うのだ。ちなみに剣道より柔道が世界的になった原因の一つでもあるかもしれない。
「だがこの戦いは始めから不公平だ」
切嗣は奇跡成就のための野球試合そのものには不満はなかった。
あるとすれば、目の前の者たち。
「第五次といったな。未来の者たちにとって僕らの時は過去のもの。過去を知る事ができても未来を予知する事はできない。ならば彼らだけが僕らの事を一方的に知っているんじゃあないのか?」
「いえ。詳しい事情は控えさせていただきますが、第五次の者達は第四次の事をまったくと言っていいほど知りません。それは保証しましょう」
「その言葉、信じていいんだな?」
「逆に第四次の者達も第五次の者達に対する疑問はご自分で解決していただきたい」
未来を知る行為はなし、か。切嗣は一人つぶやいた。
まず相対する者たちの中で真っ先に着目したのは勿論第五次のアインツベルン。ホムンクルスは基本的に同じ容姿ではあるものの、切嗣が彼女を見間違えるはずもなかった。
イリヤスフィール。切嗣とアイリスフィールの娘。
彼女が第五次聖杯戦争のマスターとして参加していると言う事は第四次と第五次の間隔は六十年も開いていないことになる。ならば彼らにとって第四次はそう遠く無い過去であってもおかしくないのだから、と考えたのだが杞憂だったようだ。
違う時間軸であろうと目の前の少女が二人の娘と言う事実に変わりなどなかった。それが嬉しくもあり、また悲しくもあった。
そして、イリヤがマスターとして参加している事実は切嗣にとっては衝撃的だった。
「……つまり、僕らは敗北したのか」
それは、衛宮切嗣とアイリスフィール・フォン・アインツベルンの失敗に他ならない。
もし切嗣たちが勝利しているならイリヤが戦争に赴く未来などありえないものだったはずだ。それが現実のものになっているのだから、あのアインツベルンの老人がそのように仕向けたのだろう。
考えられる要因など絞りきれない。周りにいる連中がどのように起因しているかなどその場の事情でしか判断しようが無い。
故に切嗣は残っていたサーヴァント、アーチャー、ライダー、バーサーカーと彼らのマスターを速やかに分析し始める。
この奇跡が成就しようとしまいと聖杯戦争に戻るのは間違いない。ならば第五次として突きつけられた未来にしないようあらゆる手は打ちたかった。今の内に情報を手中にしていれば戦局を大いに有利に進められるからだ。
「ルールは野球そのもの。それに則するのなら神秘の行使も構いません。当然ですが重火器や武器などは禁止いたしますがね。詳細は一応まとめておきましたので一度は目を通してください」
シスターは第五次のツインテールの少女と切嗣にそれぞれ厚い冊子を配布した。中には野球規約と同時に具体的な神秘の禁則事項にまで及んでいた。
「個人の宝具を始めとする神秘にもふれていますから、ちゃんと個人個人に配ってくださいね」
切嗣はアインツベルン組のものを抜き取って残りをウェイバーに放り投げた。野球のルールは一応頭に入れている切嗣にとってルールブックは不要のものだった。
それによれば補助魔術はタイムをかけないと他人にはかけられない、や武器火器類は全面的に禁止などが書かれていた。切嗣最大の神秘である固有時制御を始めとして全ての神秘は許可されていた。
逆にセイバー、風王結界しか使えないのは痛かった。聖剣は握れさえもできないよう定められている。だが魔力放出は制限されていないのだからセイバーの身体能力に大きな変化は無い。ならば些細な問題だと切嗣は早急に結論付ける。
「ねえあなた、これ何かしら」
アイリが着目したのはその中の一節だった。
「神秘に対抗するために神秘を用いるのに制限はかけない、と書かれているけれど」
「他のサーヴァントで許可された神秘を行使してきた場合、こっちのセイバーも宝具で撃退する事ができるって事だろう」
好都合だ、と切嗣は正直思った。これについても様々な詳細はあったが、要は敵がやってきたのならそれを撃退してもいい、に繋がる。ならば対城宝具が使えるセイバーは確実に有利となる。
戦いそのものに意味があるのならば策を張り巡らせる必要もなく、セイバーを制御しやすくもなる。若干どこかが冷めた感想を思い浮かべていた切嗣だったが、
「最後に、降りる奇跡はおそらく七が限界でしょう」
その言葉は聞き捨てならなかった。
「七、だと?」
「はい。この絶対数以上の奇跡はおそらくかなえられない。参加してもらって申し訳ないのですが、おそらくは奇跡を受けるのは勝者のみでしょう」
あっさりと言い放ったシスターだったが、この場にいる者たちの気を全く別のものに変えていくのには十分すぎた。
目の前の存在を倒さねばならない。立ちはだかる絶対数七という数だけいるサーヴァントとそのマスターを。
切嗣の中で全てが急速に冷えていき、冷徹に物事の判断を開始する。
問題なのはむしろ……、
「ではこれより先攻第五次として試合を開始します。両選手は速やかにベンチへ」
シスターのうながしを受けて切嗣たちは三塁側ベンチへと向かっていった。その光景を最後尾で観察する切嗣は更に一塁側ベンチへと向かう第五次の者たちと見比べて、改めて愕然とした。
「あなた、いったいどうしたの? さっきから思い悩んで」
「アイリ、こういった戦いで最も重要なものとは一体なんだと思う?」
「え?」
唐突に問われてアイリは困惑したように思わずセイバーに視線を移した。セイバーはためらう事無く凛とした物腰を崩さず答える。
「優れた指揮官こそ最も重要な要素でしょう。下のもの全てを把握し、最善の場に最善の機会で起用する力量こそが軍において最も大切なものです」
「私は戦争の事なんて分からないけれど、セイバーのような人々の希望となる存在が士気を高揚させて、勝利を導くんじゃないかしら」
二人の意見を聞きながらも切嗣はアイリにしか視線を合わせない。彼は答えの代わりにおもむろに背後を指差した。
切嗣に促されて振り向いたアイリとセイバーが見たものは、驚くべき光景だった。
「そんな……!」
「サーヴァントとマスター同士が意気投合している……?」
イリヤを始めとして第五次の者たちは誰もが語り合い、笑いあい、作戦を練り、士気を高めていた。それは戦うために召喚されたセイバーと聖杯を成就するために遣わされたアイリには到底理解できる光景ではなかった。
「なぜ敵対している者たちがあのようにしているのですか……!」
「イリヤ……」
二人の視線に気付いたのか、白い少女はアイリの方へと振り向く。彼女はわずかに悲しげな表情を浮かべたものの、一つうなづくと不敵に笑ってみせた。
彼女の声は小さくてセイバーにも聞き取れるものではない。それでも二人には彼女がなんと言っているのかが容易に分かった。
「奇跡は私達が貰うわ。そしてお母様たちのためにその奇跡を使う」
イリヤはスカートの裾をつまむと優雅にお辞儀をし、ベンチへと下がっていった。
「これで分かっただろうアイリ。『この』戦いにおいて最も重要なものがなんなのか」
切嗣にはもはや余裕などなかった。いかに策を張り巡らそうと、いかに自らの手を汚そうと、到底この難題を解決できるような事態になる未来は到底想像できなかった。
「確かに一騎当千の英雄が一人いれば戦争は事足りる。英雄はいわば戦略兵器のようなもの、うまく扱えばこれ以上心強いものは無い。いなくとも有能な指揮官がいればうまく兵士達を適材適所で扱えるだろう。聖杯戦争で僕達がやっているようにね」
切嗣は振り返って彼らがいるこの場所、野球場を示す。
「けれど、この戦いは違う。英雄がいるのは向こうも同じ事、有能な指揮官がいてもそれに従う兵士がいなくては話にならない。こういったスポーツで最も重要なのは、一人一人の心がけなのだから」
「心がけ――」
「第五次の連中は全員が一丸となって野球に挑もうとしている。対する我らが第四次の連中と来れば……あのざまだ」
最後まで言われなくてもアイリとセイバーは意気消沈してしまう。
何しろサーヴァントからして我の強い者たちばかり。中には王を名乗る二人の頂点すらいるのだ。有能な指揮官の下勝利を目指して疾走するなど奇跡でも使わぬ限り叶わない現象だ。
更にマスターもマスターで因縁あるものばかり。協調などそれこそ夢のまた夢だろう。
最も、聖杯戦争としては第四次の方が正しい。和気藹々としている第五次の方が異常だとは切嗣も認める。
だが、この違いがこの場合は決定的だ。
「お互いに条件は同じ。なら、まとまりのない僕らは……確実に負ける」
切嗣の深刻な一言が第四次の全てを物語っていた。
「と、言うわけで監督は僕がやらせてもらう。異論があれば聞こう」
「仕切るな雑種。我を従えられるのは我のみ。雑種の提言など聞く価値すらない」
案の定猛反対にあっていたりする。
正直この悲惨な内部事情にはため息しか出なかったがそれを何とかこらえる切嗣。しかし彼の我慢とは裏腹に身勝手な意見は次々と飛び出してきた。
「ほう、なぜ君がこの場の指揮を取るのかね。ならば私がこの場を取り仕切った方が全てがうまく行くはずだ」
「王長島も分からん世間知らずが偉そうに……」
アーチャーに引き続いて真っ先に威厳たっぷりに反論した時臣。そんな彼を嘲笑うかのようにはき捨てたのはバーサーカーのマスター、間桐雁夜だった。
時臣はそんな皮肉を聞き流すように嘲笑を浮かべる。
「神秘から脱落したものには永久に分からんよ。この神秘の異常性は聖杯戦争とは全く異質でありながら同格であるかもしれないのだ。魔術師であるならばそれを探求するのは当然だろう」
「で、バット振った事あるのか? ボール握った事あるのか? 頭の中だけじゃあ野球はできないぞ、魔術師サマよ」
これが聖杯戦争だったら雁夜は時臣の言葉を聞き捨てる事は出来ずに憤慨し、闇雲に襲い掛かっていただろう。だがこれは野球の場、どう考えても神秘より先行するのはスポーツと言う世間一般常識だった。
雁夜にとってこの場においては文明のぶの字とも無縁な男の戯言など感情を高ぶらせる要因にはなりはしなかった。逆にそれでも神秘を先行させようとする男に哀れみすら感じ始める。
そんな蔑みの目がいたく気に入らない時臣はわずかに顔をしかめた。
「うっそ、今時野球知らない奴がこの世にいるのかよ。マジ信じらんねぇし。どれだけ天然記念物だって」
キャスターのマスター、雨生龍之介はそんなざまな魔術師一行を本気で哀れむように発言を続ける。
「リュウノスケ、私もヤキュウとやらは知らないのですが」
「あー、旦那はいいんだよ。野球の歴史って思った以上に浅いらしいからさ。それより大の大人が野球知らないってなに? 一昔前のジョーク?」
野球を知らない事実が事実だけに時臣もケイネス達も龍之介に言いたい放題されるしかなかったりする。
「だめだこいつら、早くなんとかしないと……」
他にもケイネスとウェイバーやキャスターとセイバーやら確執を数えたらきりが無い。かく言う切嗣も必死になって一人の男を意識から外そうとしていた。
言峰綺礼、アサシンのマスター。
彼は食い入るように目の前の衛宮切嗣を観察していた。まるで射抜くように彼の視線は切嗣に固定されたままだ。次の瞬間には本当に射抜くのではないかと思わせるほど鋭い気配も漂わせている。
切嗣はそれを振り払い。どうしようもない者たちに意識を裂いた。
「じゃあまず聞くが、この中で野球を経験した人はいるか?」
切嗣の言葉で手を上げたのは彼の予想していた通りのメンバーだった。
そもそも野球などマイナーな娯楽である。魔術師としてみれば知っている方がおかしいし、当然知る必要など無い。なので魔術師として大成しているほど野球に無知でも仕方の無い話だった。
ようは雁夜と龍之介、ウェイバー、そして意外にも言峰綺礼の四人だけしか挙手しなかったのだった。時臣やケイネス達やアイリ達、そして当然サーヴァント一行は挙手できなかった。
「経験者の中で野球の指揮に自信のあるものは?」
今度は誰も挙手しなかった。
ウェイバーはライダーにしきりに促されるが頑なに拒絶する。ウェイバーとてルールをとりあえず知っていてバットを振った程度しかやっていない。ライダーの影響で指揮にもわずかに興味を抱き始めていたものの、野球と言うものでは無理だった。
言峰綺礼と雁夜は元々指揮など興味が無い。綺礼は特に切嗣のお手並み拝見とばかりに座しているふしも見られる。龍之介は野球ゲームならとりあえず指揮できたが、やるのがだるかったので拒絶した。
「決まりだな。よってこのチームは僕がとりあえず指揮を取る。チームワークとやらには始めから期待していないから、自分の思ったようにやっていい。ただ少々の口出しはさせてもらうよ。この場にいる皆も勝ちたいんだろう?」
「おうとも。やるからにゃあやっぱ勝たなければな」
真っ先に意気込んだのはライダーとして召喚された征服王イスカンダル。相変わらず豪快に笑いながらベンチから外れてバットの感触を確かめている。
それを冷ややかな目で見つめるのはほかでも無い、アーチャーだった。
「ライダー、貴様は王でありながら雑種が仕切ることを許すか」
なんの要因かは分からなかったが既にアーチャーはイスカンダルを王の一人だとは認めているようであった。
だからこそたかがマスターごときが仕切る今の状況に反発しないライダーがたまらなかった。それをライダーは些細な事だとばかりに笑って手を振った。
「ん? そうさな。王とて一から十まで全てを取り仕切るわけでもあるまい。我らサーヴァントはヤキュウとやらに関しちゃあ聖杯から貰ったいわゆる一般常識程度しか把握してはいまい。ならヤキュウを知っているもんにとりあえずは任せてみて、不甲斐なかったら遠慮なく指揮権を奪い取ればいい」
「ほう、下々の者の力量を試すか」
「おまえさんみたいな頂点に君臨する者一人で全てが事足りるなんてもんはさすがに少ないしな。下の者が働くのをただふんぞり返って見ているのも重要じゃないか?」
ライダーは軽くボールをウェイバーに向けて放り投げた。ただのキャッチボールではあったが対するウェイバーにとってはその程度では済まされない。まるで大砲のような一撃に悲鳴を上げながらよけるのが精一杯だったりする。
「まあ余がいるのだから勝利は確約されたも同然。皆で奇跡の美酒を分かち合おうではないか」
「ふん、そのような児戯など好きにしていれば良い」
アーチャーはベンチにふんぞり返った状態で座り、明らかに静観する様子だった。
とはいえ実は切嗣はアーチャーにはなんの期待もしていない。武器が禁止された以上、彼が使ってきた無限の武器はこの場では全てガラクタ同然。武装で最強の英霊など個々の能力がものを言うこの場ではなんの役にもたちはしない。
武器以外の宝具を出現させるのも可能かもしれないが、この際どうだってよかった。
「なあライダー、これってマスターが集う必要があるのか?」
もっとゆっくりやれ、と先に言い放ったウェイバーはボールを軽くライダーに放り投げる。ライダーは唸りながらも鮮やかにそれをキャッチし、今度は剛速球ながらもウェイバーが取れる範囲で投げていた。
「だって結局野球って形にしたって優れているのはサーヴァントの方だ。だったらマスターなんて不必要じゃないか」
「あー、ところがどっこいってやつで、そうもいかないみたいだぞ」
そんなやりとりをしながらライダーは一歩ずつ距離を離してゆく。ウェイバーの送球はバウンドするようになっていた。
「どうも参加者全員が一度は守備と打席につかなきゃならんらしい。言わば強制参加ってやつだな」
「へえ、それじゃあスターティングメンバーをサーヴァントで固めて逃げ切る、なんて戦法は使えないのか。ならいかにしてサーヴァントに劣るマスターを消費していくかが最大のポイントになるわけか」
「はあ。だからこそ余はおまえさんに指揮を取ってもらいたかったんだがなぁ。せっかくヤキュウを知っておきながら名乗り出ないとは」
「ふん。サーヴァントはともかくマスターは一癖も二癖もあるような連中ばっかだ。まずは様子見だよ」
出来うる限り自分の師であったケイネスに聞こえないように言ったつもりだったが、実際聞かれていたかを判断する事は叶わなかった。
「結局この奇跡とやらが成就されようとされまいと僕らは聖杯戦争で殺しあわなきゃならないんだ。得体の知れない儀式で手の内全部ばらしてどうするんだよ」
「ほほう、そこまで考えていたとはな! ふふん、世も坊主のようなマスターを持って鼻が高いぞ」
「莫迦」
ボールを放り投げるウェイバーの表情は呆れ果てながらも、まんざらでもない気持ちにあふれていた。
「……初回はこれでいく」
切嗣は早々とスターティングメンバーを決め、皆に見せていく。
ルールを聞いてから切嗣の取る戦法は誰もが考えついた手法でもあった。要所にのみサーヴァントを起用して他はマスターで埋める。そして早々と劣るマスターにはご退場願っていくのだ。
が、誰もがそのオーダーには驚くしかなかった。
「文句は無いだろう?」
一切興味の無いアーチャーを含めて誰もが切嗣の決めたオーダーに反対はなかった。
一回表、先攻は第五次チーム。向こうが提出してきたオーダーによれば、先頭打者はランサーらしい。
「どうやら向こう側も考えている事は一緒だったようだね」
ベンチに残った切嗣は他に残った者たちに敵オーダーを見せ付けた。
第四次チームがとったオーダーはピッチャー、キャッチャー、セカンド、センターの四人にサーヴァントを起用。残った五つにマスター達を割り当てていた。対する第五次チームはセカンド、ショート、ピッチャー、センターに一人ずつ起用している。とってきた戦法は明らかに同じだった。
「そして向こう側の先発ピッチャーはあのランサーらしい。果たしてどんな投球をする事やら」
「しかしあんた、よくこんな手段を思いつくよな……」
ベンチに残っていたウェイバーは感嘆の声を漏らしながらマウンド上のサーヴァントを眺めていた。
「使える駒を考慮したら自然と出た答えだ。誰だって思いつくような初歩的戦術だろう」
もはや打てる手段は打った切嗣にとって自軍の状況などどうでもよかった。彼が意識すべきなのは目の前の敵、第五次の者たちなのだから。
「へえ、そっちはセイバーがキャッチャーか。こりゃ変わってるな」
敵ランサーはバットを振りながらバッターボックスへと進む最中、セイバーの顔を意外そうにうかがった。セイバーは思わず敵ランサーを鋭く睨みつける。
「剣士がキャッチャーで問題があるのか、槍兵」
「いんや別に。ただ意外だっただけだ」
殺気の伴った視線を敵ランサーは軽く受け流してバッターボックスに入る。どうやらこのランサーも第四次のランサー同様に飄々としたものらしいと印象を受けた。
この敵ランサー、セイバーと言うクラスを持ったサーヴァントがキャッチャーになる事を意外に思ったのではない。明らかにセイバーのクラスにいる少女そのものを意外に思っている。
なぜ、とセイバーは思考を走らせ――敵側ベンチの存在に移った。
「……アイツか」
アレが想像通りだったとしたら(そんな事はもちろん認めたくは無いが)敵ランサーがそのような態度にでるのはうなづける。
ならば、いずれは雌雄を決しなければならない。セイバーはそう確信する。
「プレイボール」
主審のシスターが物静かな口調で宣言を行い、試合が始まった。
「……ur……!」
直後、いや、全く同時だった。マウンドにいたピッチャーが動いていたのは。
ピッチャーの手から黒いボールが投げ放たれる。それは曲がる事も減速する事もなく、一直線にセイバーの顔面へと襲い掛かった。
「ぐぅ……っ!」
セイバーは全身から魔力を放出してかろうじてソレをキャッチする。魔力の勢いと全身のばねを使って暴れる黒球を押さえ込み、どうにか勢いを殺すことに成功する。それまでの間にセイバーの身体は大きく後退させられていた。
「ストライク」
いつの間にかシスターはセイバーの後ろから離れ、事務的のように宣言する。
「なんだぁ今のは? 今のは幻覚……いや、魔術の一種か?」
敵ランサーは腕を組んでセイバーがキャッチしたボールをじいっと見つめる。彼の目からでもセイバーの手の内にある白球は種も仕掛けもなさそうなただの野球ボールにすぎなかった。
「まあいいか。球種は見切った。次はとらせてもらうとするか」
改めてランサーはバッターボックスに入って構えをとった。
セイバーから球を返してもらったマウンド上のピッチャーはそれを右手で受け取り、
「……Ar……ur……ッ!」
そのままセイバーに投げ返した。
「はっ! 馬鹿の一つ覚えみたいに!」
いくら間隔をなくして投球しようと敵ランサーも歴戦の英雄。その程度でごまかされる事は断じて無い。
そしてバーサーカーの球は相変わらずの直球。それもセイバーの肺の位置を狙って全身のばねをフルに使って投げていた。
敵ランサーはバットを振るう。タイミングは完璧。バットの性質もよく知り真芯に当たるよう身体も動かしておいた。ならば、バットとボールの勢いでそのままホームランは確実だ。
普通の球ならば。
「な……にぃっ!?」
驚愕の声を漏らしたのは敵ランサーの方だった。ピッチャーの事をある程度知るセイバーもまた若干驚いていた。
真芯に当たっていたランサーのバットは粉々に砕けていた。そしてセイバーの肺の前では彼女のミットが捕球をしていた。
「ストライク、ツー」
シスターはいつの間にか完全装備で粉々になったバットから自分を守っていたりする。そんな調子のシスターが気にならないほどランサーはバットとセイバーが持つ白球を観察していた。
「くそっ、そういうことかよ」
その上で敵ランサーは毒づいてバットを放り捨てる。
「そうだ。これでいい」
切嗣は自分の想定していた結果になりながらもほくそえむ事もなく、ただの事実としてそれを受け止めていた。
そう、ただ魔力放出ができて身体能力が高いからセイバーをキャッチャーにしたわけではない。そんなのは愚作そのもの。セイバー単独を考えるなら明らかにサードやショートに起用して守りを固める。身体能力で内野の守りが良いとし、彼女の頭の構造でキャッチャーは論外だと切嗣は断じていた。
セイバーをキャッチャーにした理由はただ一つ。マウンドにいるピッチャーのためだけだった。
明らかにピッチャーはセイバーを目の敵にしている。まだ真名を解き明かしていないのでどのような因縁があるのかは知らないが、それを利用しない手などなかった。
マウンド上にいるピッチャー、バーサーカーを最大限に生かすには。
黒い騎士の特殊能力はまさしく彼の手にかかればあらゆるものが彼の宝具になるものだった。そして、それは野球ボールとて例外ではない。
つまり第五次の者たちは始めから宝具と言う神秘を相手に戦わねばならないのだ。
かといってバーサーカーの放つものはあくまで自動発動。しかもただの変哲も無いボールにすぎない。打席に立てばバットを武器にしなければならない以上、それを宝具のような神秘で迎え撃つ事はできやしない。
「ようは第五次の連中は一球一球奴の宝具を相手にせにゃならんわけか」
つまらん、とライダーは言い捨てて腕を組む。
だが相手は間違いなくこんな詰んだ状態からどうにかする者たちだろう。この状況をどのように突破してくるか、逆に楽しくなってきたライダーであった。
「外野まで飛ばしてくる猛者を期待しておるぞ」
彼は自分の守備位置、センターで心を高鳴らせているのだった。
一方、バットを破壊された敵ランサーはベンチへと戻っていくと新たなバットをフードを被った者に渡される。遠目から見ると先程のバットと全く変わりの無い代物だった。
「さあ、試合再開としますか」
だが、敵ランサーの目は灼熱に燃えていた。まるで獲物を狙う肉食獣のように瞳をぎらつかせてバーサーカーを見据えていた。バーサーカーの一挙動も絶対に見逃すまいとするように。
明らかなる闘志。ならば先程までの戦いでの教訓が生きてこないはずが無い。フードを被った者を敵キャスターだと仮定するなら、宝具とも打ち合えるほどバットは強化されているに違いなかった。
「プレイ」
シスターの宣言と同時にバーサーカーは再びセイバーの顔面向けてボールを投げる。一直線に伸びるボールはやや回転しながらも安定したコースを奔っていた。
「だから馬鹿の一つ覚えみたいに!」
敵ランサーは再びバットを振るう。先程と同じように真芯に命中するよう振るわれたバットはこのまま行けば間違いなくホームランコース。
迫り来るボール、迎え撃つバット。
戦いを制したのは――どちらでもなかった。
「なんだとっ!」
「!?」
またしても敵ランサーは驚愕の声をあげるしかなかった。しかし今度はセイバーも一様に驚きの声をあげるのだった。
バーサーカーの球は突如軌道を変え、敵ランサーのバットをすり抜けていったのだ。それが野球の球種で言うシュートだと気付いた時はもはや後の祭りだった。
バーサーカーは明らかに狂戦士らしからぬ技巧を備えている。それはバーサーカーという器そのものに収まりきらないと言うより、狂っていてもなお衰える事の無い、言わば身体に染み付いた無意識のものとして行使されている。おそらくはそのような固有スキルがあるのだろうと切嗣は踏んでいた。
だから、試合開始前に切嗣はバーサーカーに変化球の種類やプロが見せる技術を見せていた。たった数分のやり取りではあったがバーサーカーは見事にプロの球種を自分の物とし、存分に発揮しているのだった。
通常のストレートとてバックスピンをかけた『変化球』である。普通に投げていればボールの回転はぶれてあらぬ方向に行ってしまう。バーサーカーの特殊能力ほどの神秘があればそのような小細工抜きで討ち取れる可能性は高かったが、勝算は少しでも高くしたかった。
「あいつ、本当に何者なんだ……?」
バーサーカーに当てはめられながらも一瞬に職人の技巧を物にする手練。明らかに名の知れ渡った英雄に間違いなかった。規格外のアーチャーと互角に渡り合った腕前といい、他のマスターたちにとっては正しく危惧すべき存在だった。
「ち、くしょう……しくじったぜ」
敵ランサーのバットがあえなく空振り、大きく体勢の崩れたランサーは悔しがりながらもどこか満ち足りた苦笑いを浮かべていた。
しかし、それを気にする余裕は第四次の者達にはなかった。
「しま……っ!」
突然の変化球にセイバーはとっさの反応を見せる。未来予知に迫る直感のたまもので変化球に気付いたのは良かったが、黒い野球ボールの宝具は狙い済ましたようにセイバーの足先に襲い掛かったのだ。
ミットでキャッチしようとしたセイバーだったが、体勢が若干崩れたためにミットからボールが零れ落ちる。
それに気付いた敵ランサーは豹のごとく身体をしならせ、一目散に一塁へと疾走を開始していた。最速のサーヴァントの名は伊達ではなく、一塁までの距離を数秒もかからず消化してゆく。
「振り逃げ……!」
白球に戻ったボールを拾い上げたセイバーは全力でボールを投げようと振りかぶる。いくら敵が最速のサーヴァントだろうと今送球をすれば間違いなくぎりぎりでアウトに出来る。そのように下した結論だったが、
「これは……っ!」
セイバーは自分と敵ランサーの事ばかりを考えていたため、肝心な事を失念していた。そしてそれが致命的な事だと気付いた時は既にセイバーは行動に移っていた。
一塁を守るのはケイネス。サーヴァントが全力で投げるボールを無難に受け止める事など期待できるはずもなかった。
ちなみにこれはセイバーがケイネスが身にしている神秘を知らないからこそ下した判断であり、決してセイバーが浅はかなわけではない。ケイネスの月霊髄液は英霊の攻撃だろうと神秘の無い野球ボールぐらいなら自動防御する事は出来る。
問題は、自動防御すればタイムラグが生じるために間違いなく敵ランサーをアウトに出来ないというもの。敵ランサーは神秘の類を一切行使していないので迎撃する事も当然叶わない。
「主! ここは私にお任せを!」
判断に迷っている刹那の直後、ケイネスの目の前に現れたのは己のサーヴァント、ランサーであった。
ランサーはバーサーカーの球種が何らかの変化球だと見抜いた直後には行動を開始していた。セイバーがボールを落としてから行動に移った敵ランサーよりも早くファーストにたどり着いたのは当然の事とも言える。
「おもしれぇ、勝負だランサー!」
「来るがいい、ランサー!」
敵ランサーは脚を動かして更に加速する。
分厚い冊子には塁審はおかず、全て魔術と機器による両面からの記録判定でセーフアウトを決めるという。つまりヘッドスライディングによる雰囲気でのセーフは一切期待できたものではない。
ならば、と外野まで突き抜けていきそうなほどの速度で敵ランサーは突撃する。ランサーは一塁ベースに片脚を触れながら出来る限り身体を伸ばしてセイバーの送球を待ち受ける。
ランサーが捕球する。敵ランサーが一塁ベースを踏む。
その判定は、
「アウト」
主審のシスターによって冷淡に告げられた。
「だああっ、やっぱそうかー。俺もそうなんじゃないかとは思っちまったんだよっ」
敵ランサーは外野フェンスを地面のように蹴って一塁へと引き返してくる。頭をかいてぼやく敵ランサーではあったが、その様子はいっそ清々しいものであった。
「まあ振り逃げなんて成功すればラッキー程度にしか考えてなかったし、今回は敵の方が見事だったって事だ」
「勝敗が決すれば潔くそれを認めて引き下がる、か。さぞや名の通った騎士とみる」
そんな様子の敵ランサーを見たランサーは素直な感想を漏らした。それを耳にした敵ランサーはわざとらしく肩をすくめて見せた。
「騎士? そんなご大層なもんじゃねぇよ、俺はな。騎士じゃあないが俺にも守るべき芯があるのは認めるけれどな」
「……なるほど。すぽーつだと聞いていささか落胆していたが……どうやらまんざらでもないらしい」
ランサーと敵ランサーがすれ違う。視線を合わせずとも、二人の背中が次なる戦いを望んでいる事は明らかだった。
「次はおまえが打席に立つ番だ。そんときゃ俺が勝つ」
「なら俺はおまえの魂のこもった球を我が主のために打つとしよう」
敵ランサーは自分が放り投げたバットを手にベンチへと引き返していった。ランサーは自然と静かな笑みを浮かべている自分に気付き、静かに、だが熱く血が沸きたつのを心地よく思った。
「よろしくお願い致します」
次に打席に立ったのはイリヤに付き従っていた侍女の一人だった。彼女はわずかな間セイバーに視線を移すと、すぐにバーサーカーへと視線を戻した。
セイバーはこの侍女、セラにイリヤスフィールの事を問いかけたい衝動に駆られたものの、かろうじて押さえ込んでバーサーカーの挙動に専念する。
セラがバットを構えた途端、バーサーカーは行動に移っていた。彼の投げる球はバッターを討ち取るためのものではない。目の前にいるセイバーを標的にした投擲であった。
故に低めのストライクまたはボールしかバーサーカーは投げない。球種は多くてもその狙いは明らかに絞られていて、狙いは定めやすかった。
しかしセラは微動たりともせず、ただバーサーカーの球を目で追うばかりだった。もしかしたら魔術の類で探知をしているのかもしれないが、それをセイバーが看破することは叶わなかった。
「ストライク、バッターアウト」
結局セラは三球三振に倒れ、そのバットが一度も振るわれることはなかった。
それでもセラは毅然とした態度でベンチへと戻っていき、ネクストバッターサークルにいる次のバッターに何かを耳打ちしてベンチに座った。
「……なるほど」
切嗣はセラの戦略的正しさに素直に関心を示した。
セラは見に徹した。バーサーカーの特殊能力が宝具で表すならどの辺りであるか、そしてどのような効力をもたらすのかをつぶさに観察したのだろう。そしてそれを他の者たちに伝え、バーサーカーの攻略にかかろうとしている。
「さすがに一筋縄ではいかないな」
それが切嗣の思い浮かべた率直な感想だった。
しかしそんな感心も次の戦いに比べればどうでもいいものだった。
「ふん、ようやく前座の出番が終了してワタシの打席が回ってきたか」
ネクストバッターサークルからゆっくりと打席に立つ存在。彼女に比べればランサーやアインツベルンの侍女などどうでもよかった。
第五次聖杯戦争のセイバーに比べれば。
その容姿は明らかにこちらのセイバーと同じ。ただ纏う雰囲気がセイバーと真逆で色も純白と漆黒で真逆。まるでこちらのセイバーがバーサーカーのごとく黒く塗りつぶされているかのようだった。
「貴様は、何者だ」
セイバーが敵セイバーに問う。そのエメラルドの瞳は目の前の存在そのものに憤りを見せている。
「ワタシは、貴様だよ」
敵セイバーがセイバーに答える。その濁った黄金の瞳はセイバーを嘲笑するように輝きを見せている。
「そんなはずはない。私は――」
「ほう。王が、騎士が言葉で語るか」
セイバーが認められないとばかりに主張しようとするのを敵セイバーは容赦なくあっさりと遮り、セイバーから視線を外す。
「貴様も剣士の端くれならば、これで語れ」
敵セイバーの意識はそれでセイバーから完全に外れた。ゆっくり腕が上げられて構えを見せる。その姿は現時点でグラウンドに立つ誰よりも威風堂々としていた。まるでその場に君臨するかのように。
「来い、バーサーカー」
「……Ar……ur……ッ!」
これ以上に無いと思わせるほどの殺気を総身に漲らせたまま、漆黒の騎士は漆黒の騎士王を目掛けてボールを投げはなった。
そう、漆黒の騎士王に向けて。
ボールは明らかに敵セイバーの顔面目掛けて直進していた。ビーンボールそのものである。特別ルールがあってビーンボールを仕掛けても一発退場にはならないが、間違いなく暴投には違いなかった。
純白の騎士王はバーサーカーの雰囲気から投球前に何をしでかすかをとっさに判断し、すばやく行動に移っていた。腰を上げてミットをコース上に持ってくる。ランナーがいなくとも暴投にされてはたまらないからだ。
「さすがだといいたいところだが、あまいぞバーサーカー」
だが、漆黒の騎士王はほくそえんだ。
「これが答えを得た今のワタシが貴様に示す――返答だッ!」
漆黒の騎士王はバットを振るう。まるで聖剣を解き放つように全身のばね全てを駆使して一閃する。
「風王鉄槌!」
そして、バットにまとわせていた轟風が枷を外れて解き放たれた。
あまりに有名すぎる聖剣を覆い隠すための鞘である、光の屈折による透明効果を起こす聖なる風。だが透明効果という起源はマビノギオンのロナブイの夢に記されているようにグウェンと名づけられた純白のマントにある。すなわち、それは元々は一個の独立した宝具であり、決して聖剣の付属効果ではないのだ。
故に、風の王は聖剣を覆い隠す鞘には納まらない。セイバーと言う性質上マントの形は取れないものの、鞘という役割さえ守れば対象は聖剣でなくとも構わない。
たとえ、それが野球のバットであっても。
バーサーカーが侵食した漆黒の野球ボールという宝具はそれでもDランク相当。一方騎士王の風王結界はCランク。それだけでも結果は分かりきっていた。
バーサーカーの球は敵セイバーに見事に打ち返される。それはまだバーサーカーの特殊能力によって宝具のままで、更に敵セイバーの風を伴って轟然と大気を突き抜けていく。
それも、バーサーカーの顔面目掛けて。
「まずいっ!」
切嗣は思わず立ち上がっていた。敵セイバーが打席に立った時点で予想していた展開ではあったが、それに対応するはずのバーサーカーは予想外だった。
ピッチャーが注意しなければならないのは何も投球や盗塁ばかりではない。ピッチャーもまた内野の守備についているのを忘れてはならない。
現在それを疎かにしているプロもいるが、一流の投手はバントだろうとピッチャー返しだろうととっさに対応できるように投球フォームを作っている。投げる事に全力を尽くして体勢を崩していたら取れるアウトも取れないからだ。
全力で投げて三振を取るか、堅実な投球でアウトを重ねるか。それはもはや投手の嗜好によるものが大きいだろう。
だがバーサーカーに至ってはそんなの関係ない。バーサーカーにとっては目の前のセイバーこそが全て。投げ放った後の事など念頭から外れているに違いない。
バーサーカーは全力で投げ込む。とっさの行動に移れないほど体勢を崩してでも。
だから、この結果は当然と言えば当然だった。
投球フォームから立ち直る前にバーサーカーはピッチャー返しを受けた。見事に顔面に直撃したボールはバーサーカーの兜を容赦なく粉砕して彼の身体を大きく吹っ飛ばす。
「ノックアウト打法かよ! いいねぇ」
ちなみにそんな中で漫画でしか見たことも無いような打法を見せた敵セイバーに舌を巻く龍之介だったりする。
バーサーカーに直撃したボールは勢い衰える事無く突き進む。
「させん!」
ボールの前に躍り出たランサーがそれをキャッチしようと試みるが、
「ぐぅっ!」
その結果は踏ん張る暇もなく弾き飛ばされて終了した。
元々力ではなく技巧に頼った戦法を取っていたランサーにとって、戦場であるなら今の一撃は回避、悪くても槍でそらす事で対応する。巨人の一撃のごときそれを馬鹿正直に受け止めようなどという発想はまず浮かばない。
なのでこの結果を残念がる事はなかった。むしろランサーは笑みを浮かべて球を見送っていた。
「頼んだぞ、征服王よ!」
「おうとも、任せておけ!」
内野を突破して外野に突き進んだボールに立ちはだかったセンターのライダー。彼は自らの巨体と巨大な手で漆黒の野球ボールの捕球にかかった。
「ぬうううっ!」
足腰や腕をいくら駆使しても勢いを殺しきれない。それでもライダーは押さえ込もうとボールを離さない。
そして、外野フェンスに背中をつけたあたりでようやくライダーの動きが止まった。
「ははっ、まさしくドラゴンの牙のごとき一撃だったわい」
ライダーはただの白球と化した野球ボールを上空高く舞い上げながら歌うようにつぶやいた。
バーサーカーを撃沈させランサーを跳ね飛ばし、これだけの距離がありながらなおこの威力。じかに受ける事になったらどれほどのものなのか。
「あやつがこちらのと同じく騎士王なのだとしたら、こりゃあ十分に期待できるなぁ」
外野で退屈していたとはいえライダーにも勝る威風堂々としたたたずまいを見せた敵セイバー。それはライダーにとっては騎士王を名乗る少女よりも王者のように見えてならなかった。
そしてなにより、果てない夢を追い求める幻想は彼女からは一切見えてこないのだ。
反転しているとか態度がこちらのセイバーと違うなどとは些細な問題にすぎない。ライダーにとっては痛ましい夢から覚めてもなおセイバーが騎士王だという事実こそが嬉しいのだ。
「答えは得たと言っていたが、ならばこの征服王が相手をするのには十分だ」
一方のアーチャーは能面のように一切の表情を浮かべず、ただ目の前の騎士王を眺めていた。
アレは何らかの要因で裏返ってはいるものの間違いなく騎士王である。ただ、アーチャーが今まで目にしてきた騎士王とは明らかに違っている。属性などではなくその在り方が、だ。
「第五次で何があったかは知らぬが雑種どもめ、余計な真似を」
誰があの心地よい苦悩を、葛藤を晴らしたのかは知らないが、それはあの類まれなる奇跡に手を付けられたという証でもあった。それはアーチャーにとっては己のモノに手を出されたのと同意義でもあった。
「我のものに手を出すとはな。万死に値するぞ」
地獄の業火のような激しい憤りを覚えたアーチャーだったが、しかしとも同時に思う。
アレは答えに苦悩する様子ではない。そして答えを履き違えている愚者でもない。彼女は、彼女が至るべき一つの到達点に至っている、と。
自らの理想を抱きながら溺れていた少女はいなくなり、全てを認めて新たな一歩を踏み出してもなお騎士たちの王であるのなら、
「ならば、この英雄達の頂点に君臨する王である我が相手をせねばなるまい」
アーチャーは第四次の騎士王とは全く別の理由で第五次の騎士王に価値を見出していた。慰みものなどの弱き者としてではなく、征服王同様に王自らが倒すべき存在として。
アーチャーは酒の席のように杯を手にし、新たなる騎士王を祝うようにあおった。
「見せてもらおうか。全ての果てに至った答えとやらをな」
最後に、セイバーは目の前にいる敵セイバーをただ呆然と眺めるしかなかった。
敵セイバーはバットを振りぬいてから一歩も動かなかった。ライダーの捕球を予知していたとかではなく、彼女の視線は始終バーサーカーに固定されたままだった。それは打球の結果よりもバーサーカーの方がはるかに大事だと言わんばかりに。
「……ur……」
戦闘ではないこの場では回復する間は十分にある。外野まで転がっていたバーサーカーが起き上がったときには既に兜の修復を終えており、面はあらわになっていなかった。
「まあ、この程度で倒れるような騎士ではなかったな、貴方は」
敵セイバーは詩を奏でるように謳う。その端には微笑を浮かべ、その目は遠くを、それでもバーサーカーのいるどこかを眺めているようだった。
知っている、目の前の騎士王はバーサーカーの正体が誰だか知っている。
「次の打席で会おう、バーサーカー」
敵セイバーはそのままよろけているバーサーカーに語ると、きびすをかえしてベンチへと下がっていく。
「待て、私は――」
「語るな、と言った筈だぞ」
どこまでもあっさりとした、それでいて突き放すように鋭い声で敵セイバーはセイバーの言葉を阻む。体どころか顔すらセイバーに向けようとしていない。
「ワタシが語る言葉は無い。ワタシの得た答えはワタシが至ったものだ。おまえのでは決して無い。答えは……自分で掴め」
「答えならもう掴んでいる。それなのになぜ貴様は征服王のように否定しようとする」
「さてね」
もはや敵セイバーの意識はセイバーには向けられていない。それがセイバーにとってはたまらなかった。
手を震わせてキャッチャーマスクを外して立ち上がる。思わずセイバーは自らの聖剣を具現化させて敵セイバーに向けていた。
「私は王として正しい! それを否定される謂れはたとえ私自身であっても……無いッ!」
そして、セイバーは敵セイバーばかりではなくライダーやアーチャーにも聞こえるように宣言した。騎士王として駆け抜けた生前も、アイリスフィールたちが抱く祈りも、終焉を己の手で変えようとする強い意志も、絶対に間違ってはいないと。
それを受けて各人がどのように思ったかは特筆するものではない。それぞれの在り方そのものの受け止め方をしただけなのだから。
「スリーアウト、チェンジ」
粛然と結果を述べたしスターの言葉だけが、この戦いがまだ始まったばかりだとつげていた。
一回表終了。第五次チーム三者凡退。0対0。
続く